2026-03-21 25:39

#31 瞑想会に参加して

瞑想会に参加して感じたこと。
#あそびやさん
#造形教室
#逗子市
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/65b1a8bdd47b013105857090

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:05
はい、みなさんこんにちは。ちょっと変わった造形教室あそびやさんをやっています。 ばばさくらです。
最近は造形教室だけじゃなくて、不登校はギフトでしかないっていうお話をしているんですけれども、
最近は、ちょっと振り返ってみると、 自分のために、今まではね、
自分の子供が不登校だった時の経験から得たことを伝えることで、誰かの役に立たないかなって思って喋ってたんですけども、
最近ちょっと変わってきて、自分の中で、 あーそうかーそうかーって色々腑に落ちることがあった時に、
それって、なんかこう、一瞬の光みたいにものすごく鮮明に、 なるほどって思うんだけども、ふーっと消えてしまう。
自分の中で感覚的なもので、次に思い出そうと思った時に、 あれ、さっきすごい感動したのなんだっけ?って忘れちゃうことがあって、
なので、自分のために、面白かったこととか、深く腑に落ちた、 気づいたことみたいのを記録しておこうかなーみたいな感じでね、最近は喋っています。
ということで、今日はですね、もう不登校とはあんま関係ないんですけども、 最近、あのー
瞑想、瞑想する会?瞑想会っていうものにちょっと参加させてもらってるんですけども、 その時に、あの面白かったことをお話ししようかなって思うんですけども、
あの瞑想っていうのは、前にも、あのー そういうのに参加したことがあって、
で、その時は、なんていうんだろう、その時に教わった瞑想っていうのは、 なんか宇宙のすっごい果てしなく遠くの、うーんと、とんでもない遠くの特別な世界に、こうアクセスしてみようみたいな瞑想会だったので、
うーん、だいぶ頑張ってみたけど、私としては、なんか全然わかんなくて、うーん、ていたんですけども、 その今回参加させてもらった瞑想っていうのは、ものすごく身近なテーマから始まっていて、
最初の1回目の瞑想会は、とにかく自分の呼吸を整えて、自分が息を吸っている、吐いている、吸っている、吐いている、それをとにかく認識し続けるっていうね、とってもシンプルなものだったんですけども、
03:03
それがものすごく私にはわかりやすくて、今ここにあるっていうことを、なんかこう体でわかった瞬間というか、ものすごくシンプルなことなんだけど、ものすごく大事なことなんだなっていうのを初めてこう経験したっていうか、
それで、例えば自分が息を吸っている、吐いているってやっているうちに、自分の中でそれをやることに飽きちゃって、ちょっと違うことに意識が行っちゃったりとかしたら、あ、今違うことに意識が行ったな、もう1回戻ってこよう。
そして、息を私は吸っている、そして今吐いているっていうところに戻ってくるっていうことだったんですよね。
で、そうすると、何が起こるかというと、それにくっついて自分がどんなふうな感情というか、状態なのか、心の軽さだったりとか、重いところだったりとか、そういうのはちょっと感じるっていうか、
それはやっぱり日常の中で先のことを心配したりとか、過去のことを反省したりとか、今現在に自分がいない状態で、そうやって未来や過去にばっかり行っていると、そこはやっぱり感じることを忘れてしまう。
これは言われて言葉ではわかっていたけども、ああ本当にそうだなって思いました。
で、その次の回にまたその瞑想会に参加したとき、その時もテーマはやっぱり呼吸、とってもシンプルでわかりやすいテーマだったんですけども、そしたら今度は自分の中の感情がいろいろ出てきたんですよね。
たぶんそのまず大前提として、その瞑想している時の自分が安心安全な場所、今ここには自分だけの世界があって、それは守られていて、安心安全な世界でっていうことがあるから、
自分が初めてここにいられる、この現在にいられるんだなっていうのもものすごく思ったし、だから今この現在が、この瞬間が私にとって安心安全かどうかっていうのはものすごく大事なことなんだなって思いました。
06:09
そしてそれは自分で作ることができる。自分で作ろうと思えば作ることができるっていうのも大きな発見でした。
で、その時にまず最初に出てきたのが、私大きな病気をしている友達がいるんですけども、それがすごく悲しかったっていうことがわーっと出てきて、
で、それって当たり前、友達がその病気で大変な思いをしていることが悲しいっていうのは当たり前のことなんだけども、私はなんて言うんだろう、
彼女が今どんな状況でもそれには全て意味があって、そして病気が役割を終えた時、病気にも何か役割があって、その人が考えるテーマだったりとかわからないけど、何か必要があってやってきていて、
で、そこから気づくことなんかが全部終わって、病気が役目を終えた時にはきっとまた元気に良くなるって思って、それを信じて、
大丈夫、大丈夫、今大変でも大丈夫って思ってきた。だから、自分自身にも悲しいんだって認めてなかったし、大丈夫大丈夫って言いながら来て、でも本当はやっぱり悲しかった。
それを自分自身にも許さなかったっていうところが、やっぱりその気持ちって忘れてない?心の奥の方では忘れてなくて、やっぱり見ていて辛いし悲しいっていうことがバーッと出てきたのでね、
あーそうなんだなーって。自分のことなのに、あーそうなんだーって思いました。
なんかあの私はいつもどこかで、人の役に立たないと、人様の役に立たないとってすごく思っていて、
だからなんかできることがあるならばやらなくちゃって思うし、それが少々大変だったとしてもやってあげたいって思ってきて、
09:12
そこから得るものもいっぱいあったんだけど、その喜んでもらえることで私も嬉しいとか、そういう喜びもたくさんあった。
本当にやりたくて、できることはやってきたし、そこにある喜びも本当なんだけども、
だけど、それで自分が、自分のエネルギーが足りなくなってきちゃった時、それはやっぱりバランスを欠いていて、
持続可能ではない形になっている時っていうのは、やっぱり立ち止まって考えなきゃいけないっていうことを最近思っていて、
なんかここまで人生50何年やってきて、いろんなテーマがあったけど、乗り越えるテーマがいろいろあったけど、
ここまで来てもこういうテーマがあるんだなーって思っています。
それはね、なんて言うんだろう、だんだん一番確信のところに迫ってくるっていう意味では、
面白くもあり、興味深くもあり、本気で向き合わないと、なかなか変わらない部分でもあったりするんだけど、
その本当の根本のところにあるのは、やっぱり認めてほしいっていう部分なのかなーって思います。
なので、この話をね、今したような話をこの間ね、母にしたんですけども、
その時もね、思ったように話せるようになったっていうことはもうすごい進歩だし、私にとって思ったことをそのまんま口に出せるっていうのはものすごく進歩、それだけでも進歩なんだけども、
だけどそれを言った後に、一瞬ね、母はこの話を聞いてなんて言うだろう、認めてくれるのかなー、それともなんか違うっていうのかなーっていうことが、こんな五重過ぎても一瞬頭をよぎるっていうか、
12:04
わー、これってすごいなーって思いました。やっぱり、なんだろう、認めてほしいっていうことがまだ残ってる。
自分が気づいて、自分がそうなんだーって、そうなんだなーって深く思ったんだったら、それでいいじゃないって、それでいいはずなのに、やっぱりそこで一瞬怯むというか、なんて言うかなって思う。
で、私は思ったんですけども、そういうことをなんていうのかな、手放すことってやっぱり順番があって、全然関係の薄い人、私のことを深く知らないような人だったら、私に対して何をコメントしたとしても、
まあ、なんかそんなに深くは話せてないし、まあ、なんていうのかな、わかってもらえないのは当たり前かって思うんだけど、やっぱり関係の近い人になるほど、わかってほしいっていう、わかってくれるはずとか、わかってほしいっていう気持ちは強いんだなーって思って。
だから、例えば友達に対しては手放せたものが、子供たちとの間では手放せなかったり、旦那との間では手放せなかったり、友達との間では腹が立たないことも、子供との間だと腹が立ったり、旦那との間だと腹が立ったり、そして親との間だともっと腹が立ったり、
っていうことはあるなーと思って、そういう意味では、うーん、やっぱり親はラスボスなのかなって、自分の中で、向こうがどう思ってるかとかはわからないし、向こうがどう思ってるかはもう全く別の話で何とも思ってないかもしれないし、
そういう意味じゃなくて、私が気にするっていうか、わかってほしいと執着するっていう、私側から見たラスボスだなーって、もういつも思います。
で、それもね、一緒に住んでないときには、そんなにね、全然思わなかったんだけど、一緒に生活してるとね、うーん、やっぱりそういうのが出てくるっていうか、もう手放せるかなーって思って、もう一息かなーと思っているところなんですけども、
15:13
これがね、手放せたら私自身も本当に、なんというか、一点の曇りもなく軽やかな気持ちでいられるんじゃないかなーって、うーん、思っているところです。
で、最近改めて思うのは、うーん、みんな、私、私は何をしに、まあみんなもだけど、何をしに生まれてきてるのかなーって思って、うーん、やっぱりいろんな感情、感情を味わいたいのかなーって最近思っています。
例えば、お金が欲しいっていう人がいたとしても、そのお金で得る喜びが欲しいのかなーって、そんなあの、ね、紙の束もらったって、あの、しょうがないじゃないですか、そうじゃなくて、それで旅行に行ったり、うーん、なんか欲しいもの買ったりとか、勉強したいことしたりとかすることで、
その嬉しい、嬉しいとか、そういう感情、経験できる感情が欲しいものなんだろうなーって思います。
うーん、逆を言ったら、感情以外は、うーん、まあ大したものではないのかなって、な、なんて言うんだろう、感情以外残らないっていうか、うーん、いつかね、あの世に帰るときに、この肉体をね、置いて、まあ帰らなきゃいけないわけですけども、
その時に持って帰れるのも感情だけだし、結局もうそこだけなのかなーって、うーん、思います。
お金持ちはお金持ちで得られる感じ、なんて、うーんと、まあお金を例にするとうまく言えないけど、結局は、うーん、お金持ちが偉いとか有名人が偉いとか、そういう話じゃなくて、それぞれの立場で経験できることがある、経験できる感情があるっていうことなんだろうなーって思います。
だから面白いなーって思うけど、例えば息子が中学3年間教室ほとんど行かなくて、で、私からしたら、まあいろいろ困るだろうなーって思ってたけど、でも、息子が、うーん、最近言ったのは、うーん、俺何一つ困んなかったし、何一つ諦めなかったよなーって思ってた。
18:21
だから、息子が、うーん、何一つ困ったんだろうなーって思ってた。
だからそれは、その人の真実だから、だから、本当にそういうことだなって思います。
周りが決めることなんて、何も意味がないっていうか、うーん。
私は今、託児所でね、お手伝いしてるんですけども、託児所なんかでね、小さいお子さんたち見てると、0歳からね、5、6歳のお子さんたちまでいますけど、わー、なんかみんなもうできてる。もう完璧なんですよね。
みんなここからスタートするんだなーって、もう本当にすごいなーって思って、私は見てるんですけども、うーん、自分もここからスタートしたんだなーって思う。
何があって言ったら、例えば転んだら泣く。痛かったら泣く。悔しかったら泣く。来て欲しかったら大声で呼ぶ。で、そういう、それが本来当たり前の姿で、でも私、転んでも泣かないですよね。
泣けない。泣こうと思わない。もう思いっきり膝ぶつけて痛かったとしても、あの子供たちのようには泣けない。
で、それってみんなそうだと思うし、逆に泣いてたらおかしい人かもしれないけども、でもそこで泣いちゃいけないって思うってことはもう、なんていうのかな、思い込み?いろんな思い込みがたくさんあるわけですよね。
だから本当、この間も言ったかもしれないけど、あるホメオパシーのね、ホメオパシー習った時に、ホメオパシーの先生が転んで泣かなくなったら、もうそれは病気なんですって言って、私はもう大げさで面白いなと思って笑っちゃったけど、
21:16
まあ、うん、確かにって思って泣きたかったら泣くっていうところから、なんだろうな、泣けなくなっていく。それが大人なんだけど、
転んだぐらいで泣いちゃいけない。ああしちゃいけない。こうしちゃいけない。で、成長しながらたくさんたくさんたくさんたくさん自分の中にいろんなものを、えー、なんていうのかな、思い込みを取り入れていく。採用していく。自分のものにしていく。自分の考えにしていく。
もうそれは無限、いっぱいいっぱいあって、うーん、で、大人になった頃にはもうがんじがらめで、で、それはもちろん、うーん、この地球上に肉体を持って生きている限り必要なものもあると思う。
外に行くときはパンツを履こう。外に行くときは靴を履こう。それは身を守るためだし、うーん、やっぱり裸で歩いてたらおかしいし、だからそれは生きていく上で必要なものもあるんだけども、
大人になったときに本当にこれ必要かなって、その、確認するっていうことができる、うーん、できるといいなって思います。
自分は今50過ぎてそれをやってるけども、もっともっと若いときに、うーん、そういう確認を、なんていうのかな、何かあるたびに自分の中で確認できたら、この、この自分の中の常識って本当に常識かな、うーん、本当に必要かな。
こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないって本当かな、本当に自分に必要かなっていうことを問い続けるっていうことはものすごく大事だなって思って、子育てをするときに一番子供に伝えてあげなきゃいけないのはそういうことなんじゃないかなって、うーん、受験勉強なんかじゃなくて、
うーん、自分にとっての幸せ、自分にとってのやり方、自分に合った、うーん、生き方っていうものを常に常に更新していいんだよっていうことを、うーん、伝える。
24:14
まあ、それには自分が、それがどういうことかっていうのを自分が経験してないと言えないけど、でも本当に大事なのはそれだなって、うーん、本当に思います。
そして、自分にとっての幸せ、そして子供にとっての幸せっていうのを、こう、なんていうのかな、話題にするというか、普通に日常の中で話をしていくっていうことができたら本当に素晴らしいなと思うし、うーん、それはゆくゆく結婚したり、まあパートナーができて、
そういう人と一緒に生きていくときにも本当に助けになることなんじゃないかなって、そんなふうに思いました。
というわけで、今日はなんだっけ、あ、瞑想会に参加したお話から始まりましたけども、まあ今日も話があっちゃこっちゃいきましたけれども、最後まで聞いてくださってありがとうございました。それではまた。
25:39

コメント

スクロール