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2024-02-15 12:44

認知の歪みとノンバーバルコミュニケーションと調和

5 Comments

今日はリモートワークで1日家から出ることがなさそうなので、最近興味がある、「認知の歪みと決めつけとノンバーバルコミュニケーションと調和」などについて話しています。

あとListenを宣伝しているよっていう話もしてます。

※ちなみにトップ画はChatGPTくんに「認知の歪み」から発展して作ってもらったやつです。ちょっとそれっぽいよね。

▼元ネタ

ホテルのフロントに「ティッシュが空なんですが、これって…通常通りですか?」と聞く夫にイラついちゃう→人によってかなり賛否が分かれる話だった

00:00
はい、みなさんこんばんは。ということで、今日は2020年2月15日の6時半頃に収録をしています。
はい、パチパチパチ。現在の私の状況はですね、今日はリモートワークで1日家にいて、
昨日2軒はしごして飲んで、飲みすぎて朝起きて、そのまま仕事がずっとミーティングが入ってたのでミーティングして、
今みたいな感じなので、物理的な移動はほとんどしておらず、ずっと喋ってて、でも生身の人間とかにはまだ会ってないみたいな、
難しいですよね。人と話すとちょっと外交性増すと思うんですけど、やっぱりどうしても生身の人間と喋ったりとか、
仕事とかってやっぱりプライベートな話とかしないじゃないですか、あくまでプロジェクトとか仕事とかの話をするから、
もうそろそろ十分に仕事をしたような気がするので、仕事上がりたいなという気持ちもあるんですけど、
それにあたってですね、プライベートな自分に戻るためにこの場を活用させていただき、
別になんか普通にリモートで仕事してるとき、脳内は全然会話してるので、ツイッターとかで発散してるんですけど、
プライベートな感じに戻りたいので、この場を活用させていただければと思います。
というわけでですね、今日のテーマは、
認知の歪みとノンバーバルコミュニケーションと決めつけっていう、
テーマが重たい話をしていければと思うんですけど、
なんでその話をしようと思ったかっていうと、
さっきね、トギャッターがバズってたんで、それを見たんです。
タイトルは、「ホテルのフロントにティッシュが空なんですが、これって通常通りですか?と聞く夫にイラついちゃう→
人によってかなり賛否が分かれる話だった」ってことで、
元の話自体は、ホテルに泊まりに行ったらティッシュの箱の中に何も入ってなくて、
それを問い合わせれば?って多分奥さんが言って、そしたら旦那さんがティッシュが空なんですが、
これって通常通りですか?っていうめちゃくちゃ回りくどい質問をしましたっていう話なんですけど、
これについてどう考えるかみたいな。
パッと見た時は私も、うわ、これマジ回りくどくてうざいみたいな。
普通にティッシュないんで持ってきてくださいでいいじゃんって思ったんですけど、最初に見た時はね。
で、そのトギャッターで賛否があったみたいな話を見て、それで読んだんですけど、
でも確かに個人的な人間関係とか、心理的な安全がない間柄とかだったら、
こういうエクスキューズしちゃうししてるかもなって思ったんですよね。
03:02
さすがに旅館とかでこういう言い方はしないですけどね、相手が仕事だし。
会社とかも多分しない。でもあるかもなって思ったんですよね。
やっぱり怒られたくないじゃないですか。
相手のことが分かってる人だったりとかするとやっぱ怒られたくないとか、
もしかしたら自分が見落としてる観点があるかもとか、
そういうことを勝手に思って、
基本は嫌なことがあっても言わないみたいな風にすることが多いし、
もしどうしても言わなきゃいけない場合は、
もしかしたら私の勘違いかもしれないんで、意図が汲み取れてなかったらごめんなさいとか、
もしかしたらもともとそういう仕様って話だけかもしれないんですけどみたいな、
結構エクスキューズ入れちゃうなっていう風に思って。
それなんでなんだろうみたいなことを思ったりとかして、
結構多い気もするんですよね。多いっていうか自分の中で多いってだけなんですけど、
それみんなやってないんだっけ逆にみたいなことが気になったりとか。
確かに今私のいる会社とかだとそういう回りくどい言い方する人いないし、
回りくどい言い方しないと不器用になる人もいないって分かってるからしないけど、
これ聞いてる人多分いないから言うけど、
前職とかだったらめちゃくちゃちゃんとエクスキューズしてたと思うんですね。
それは合理的な会話ができる相手だって私がそんなに思ってない人がいたから、別に誰とか言わないんですけど、
でもそれって何て言うんでしょうね。
はしょっちゃうことで機嫌悪くする人がいる職場とか関係性って全然あると思うんですね。
別になんだろう。私すごい思い出したのは、
元旦那とコミュニケーション取るときとか、
相手がめちゃくちゃ怒ってるときとか感触を起こしてるときとかって、
すごい回りくどい、京都人もびっくりぐらいのすごーい婉曲的な感じで相手を悪く言って、
聞き方によっては全然悪く言ってないように見えるみたいな。
でも言いたいことは言わせていただきたいみたいな。
なんかそういう自分の中での葛藤があって、
言うと言わないの間を葛藤した結果、
そういう隠言無礼、忖度文章が完成するみたいなことってあるよなって思いますと。
これは一般的に社会でよくある話っていうよりは、
やっぱ自分の認知の歪みとか、
怒られたくないみたいな気持ちがあるからそうなっちゃう。
し、察してほしいみたいな期待もあるんだと思うんですよね。
06:03
なんかそれは、私の場合は認知行動療法とか、
今だいたい20回ぐらい終わったぐらいなんですけど、
やっぱり認知の歪みとか、
相手が過度に期待してるんじゃないかとか、
相手がすごくネガティブなフィードバックを自分に返してきてるんじゃないかみたいな風に、
思いがちなのでそれを意図的に修正しようとしてたりとかするんですけど、
やっぱ難しいなって思ってて。
要はそこにないものを、
懐疑的な方向に読み取ってしまうみたいな。
でもそれって別に何が事実とか真実だったかとかって、
別に後から分かるものじゃない。
分かったりすることもあるけど、
難しいなって思います。
この話とは別に、
この前友達と話してた時に、
私は、
他人のノンバーバルなコミュニケーションを受け入れる用意があまりないのではみたいな話。
そこに対する感受性が低いのではみたいなことを、
この前泊まりに来てた友達に言われて、
なるほど、みたいな。
なるほどね、みたいなことを思いました。
実際、私は、話何回か聞いてる人は分かると思うんですけど、
めちゃくちゃ性格が内向的なので、
あんまり他人と積極的に関わりたいっていう気持ちが、
そこまでないというか、
もちろん関わってくれること自体はありがたいし、
内向的と言ってるくせにめちゃくちゃ人とのコミュニケーション量は多いので、
人と接する機会は多いんですけど、
それがすごくインタラクティブなコミュニケーションかと問われると、
私の言ってることを聞いてくれている
or not ぐらいは分かるけど、
相手から読み取れる情報を自分がちゃんと読み取っているかと言われると、
すごく自信がないし、ぶっちゃけそんなに興味もないみたいな。
ないことはないんですけど、
言外に匂わされているものまできちんと読み取ろうという気概が、
私には足りないんじゃないかというふうにも思ったりとかもして、
その辺を自然にやれる人っていうのはきっと、
思いやりに溢れた人物だったりするんだと思うんですけど、
そういうのが自分はできるのが大変だなみたいなことを思ったりとか、
そういうのをうまくやっている人はどういうふうにしてるんだろうとか、
表情から読み取れるみたいなことを、私はすごくいろんな人から言われるんです。
私自身はね。
私自身は言葉の中に含意しているメッセージ量と、
表情とか動きとかから読み取れる情報量が同じ、
あるいは表情の方が多いみたいな。
09:00
別に私自身がそうしてるつもりは別にないんですけど。
つまり私とコミュニケーションを取る上では、
ノンバーバルコミュニケーションを要求しているというか、
必要なスキルになるんだと思うんですけど、
私がそういうノンバーバルなコミュニケーションを受け取ったりとか、
読み取ったりとかしてない可能性があるので、
非常にいびつなコミュニケーションになっているのではないかということを
最近思ったりとかしてます。
最近そんなことを思ってたんですけど、
私は全然まだこれから考えるんですけど、
人間関係における調和とは何かみたいなことを考えている
お友達の話を聞いて、
調和みたいな話とかって、さっきの話と全然違うところにある話だなって思って。
要は自分が分かってもらうとか、相手のことを分かるみたいな話とは、
また別の話だよなって思って。
今まであんまり自分の脳内に調和みたいな言葉ってあんまりなかったんじゃないかなって思ってて、
これからこのラジオとかで調和とかについて考えたことも、
やっぱり言葉に、書き言葉にするのがまだ難しいから、
その辺はまた喋りながら整理していけるといいのかなみたいなことを
思ったりとかしてます。
今のところはやっぱり人との関わり方について、
解像度を上げるとか、
コミュニケーションを重ねることで相手の思考のパターンを理解するとか、
相手のコンテクストを分かる幅を広げていくみたいなことしか、
あんまり関わり方のパターンが私の中になくて、
だから調和みたいな話とかはよくわかんないんですよね。
調和とはその文脈における何なのかみたいなのが違うなって思って、
人とコミュニケーションするっていうか、
カスタマーサポートみたいな感じで対処するだけなら、
別に相手のパターン認知だけでも、
トラブルシューティングみたいな感じだったら、
こういう時はおそらくこういうふうなことを言っているんだなみたいな、
パターン認知だけで十分な気がしてて、
おそらく調和というのはそれを超えた、あるいは全然別の話をしてるんだろうなって思うと、
何のことなんだろうっていうのをこれから考えてみたいなと思っているので、
最初のタイトルの話ちょっとずれちゃいましたけど、
そんな感じでノンバーバルコミュニケーション認知の歪み決めつけと、
調和の話ですね。最近興味あるトピックなので、
なんか興味ある人いたらコメントとかもらえると超絶嬉しいです。
12:00
これ画像めっちゃむずいですね。何にしようかな。
そんな感じで私もお仕事終わって、
なんとなく緩んでいくモードになれたような気もしなくもないし、
今から一本ちょっと読書しなきゃいけないんですけど、
読書しなきゃいけないというか、夜読書会があるんで読書するんですけど、
ちょっと頭の切り替えになったので、ここに訪れてよかったなと思います。
そういえば最近めっちゃリッスンの宣伝を私してますね。
ユーザーが自分の周りでも入ってくれるといいなという願いを込めながら、
今日はおしまいとさせていただければと思います。
コメントお待ちしてます。バイバイ。
12:44

コメント

私の認識する、人間関係における調和というものは、俗にいうムードメーカー的な人が担ってたり、あるいはファシリテーター的立ち位置の人が担ってたりするものなのかなと思ってます…けどどうなんでしょうね。 深い調和に必要なものってめちゃくちゃ多い気はしていて…他人の情報が少ない時ほど実は簡単で(調和している気分になれるのが簡単)、相手を知れば知るほど難しくなるような気もします。

確かに…「調和」ってなんなんでしょうね。概念が気分とかバイブス的なものを指すものなのか、あるいは本当に波動?みたいなのがあるのかは学術的になにか示しているものがないか探してみようと思っています。

調和は幻想かなー…と思ってます。なんとなくそう感じるだけで、なんとなくそう感じさせる誤作動というか、バグのようなもので、たまたまピタッと当てはまった演出なのかなー

過去を想起しても誰かと調和したな、と思ったことが人生であんまりなくて、調和って例えば合唱コンサートとかそうなのかもしれないけど、多くの中の一つである感覚のほうが自分のなかでは先に立っていて、それがハーモナイズされているという感覚よりも上回っていたような気もします。 だとしたら調和ってなんなんだろ、、、うーむ。。。

コーノ

まあ、いらないんじゃないですか、調和

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