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2024-02-04 35:19

#139 建コン各社の社名の由来 徹底調査

建設コンサルタントのいろんな会社の社名の由来を調べてみました!会社の成り立ちを知る機会にもなって、興味深かったです。  取り上げたい会社→ 日本工営
建設技術研究所
パシフィックコンサルタンツ
オリエンタルコンサルタンツ
エイト日本技術開発
長大
八千代エンジニヤリング
大日本ダイヤコンサルタント
パスコ
ドーコン
ニュージェック
キタック
復建技術コンサルタント、
復建エンジニヤリング
中部復建
中央復建コンサルタンツ
復建調査設計
第一復建

サマリー

建設コンサルタントの各社の社名の由来について調査しています。日本工営さんは戦後の混乱期に活路を切り開いた組織として設立されています。エイト日本技術開発さんは合併によって名前が変わりました。エイト・日木の社名由来は、ホワイトナイトと呼ばれる買収支援をする会社に由来しています。長大は長大橋に由来する名前です。八千代は、千代に八千代という縁起の良い名前をつけた会社です。建設企業「福建六社」の社名の由来や、「知足美術館」の情報についてお話ししています。

00:06
建コンのアレこれの建コンのアレです。どうもこんにちは。
お久しぶりです。今日はですね、久しぶりに
ちょっと調べ物、大したことじゃないんですけど、調べ物しまして、 台本を作ってですね、ちょっと
ネタを用意してきました。話題を用意してきました。題しまして、
建コン各社の名前の由来 徹底検証
という感じで、建コンにはですね、いろんな会社があるわけですけれども、 当然まあいろんなそれぞれ会社の名前がありますね。
で、その会社の名前の由来をですね、 いくつか調べてきました。どれぐらいかな、ちょっと10社、10社ぐらい、ちょっと調べてたら
盛り上がってきちゃって10社ぐらいあるかもしれないんですけど、
あの会社のね、なんで研究所なのかとかですね、 8っていうのは何が8なのかとかです。
まあまあそんな会社の名前の由来をちょっと調べたものをちょっとお話ししていき たいと思います。で、今回取り上げる
企業は主に、あの売上ランキングの割かし上位にいる会社を中心として、
規模がそこまで大きくなくても、ちょっと名前の気になる会社も後半に取り上げていきたいと
思います。ということで、ちょっといっぱいあるんで、さっそくどんどん行きたいと思います。 まず
日本工営の由来
最初の会社は、皆さんご存知、日本工営さんですね。 まずこれ日本工営さんの会社の名前で気をつけなければいけないのは、
あの日本工営だということです。あの日本工営さんってね、よく 言いたくなっちゃうんですけど、あの正しくは日本工営、名刺にもね
あの書いてありますね。それで日本工営さんの、まあ日本はね、あの皆さん
ご存知、我々の国の名前ですけれども、工営って何なのかなというところですが、この工営の意味っていうのは
わかりませんでした。申し訳ありません。これは調べたんだけど、工営はちょっとわからなくて、ただね、あの工営って、あの工事の工に営みと書いて工営っていう名前をつけてる
日本の会社は実は結構いっぱいあるんですよ。 南進工営とかね、あの
東日本なんだっけ、まあまあなんとか工営なんとか工営ってあるんです。で、あの すいません
まあ工学、例えば学ぶという字をつけたら工学ですよね。エンジニアリングの学び、スタディっていうか、研究とかいう意味ですけど、ここはまあ営みって
いうことなんで、まあ工業的なエンジニアリングのビジネスとか営みとか、そういう意味の言葉なんじゃないかと思うんですけど、なんか
web 上でまず単純に工営という単語の意味を調べても、ちょっとちゃんと意味っていうのは出てこなかったんで、意味はわからないんですが、一応どんな
ふうにこの日本工営さん、日本工営さんという会社が出てきて、その会社の名前になったかっていう
由来というか、老いたちはありまして、これ日本工営さんのホームページによりますと、1946年の6月、戦後の混乱期の最中、優れた技能力を、技術力を持つ技術者たちの活路を切り開き
うぬんかんぬんということで、前進となる新興産業建設者っていう会社ができたそうです。新興産業を新しく起こすですね。新興産業建設者。で、この会社が翌年に日本工営と名前を変えて今に至る。
ということで、ずーっと前から日本工営さんは日本工営さんなんですね。 で、この日本工営さんは去年に、その話だけでも1個エピソードを取り上げましたけども、
持株会社化に、持株会社制に移行をして、現在ではID&Eホールディングスの子会社となっています。
まあ子会社といってもID&Eホールディングス自体を日本工営さんが作ったんで、
まあなんかそういうことなんですけど、で、ID&EホールディングスのこのID&Eっていうのはインテグレーテッドデザイン&エンジニアリングとそういう意味になっています。
建設技術研究所の由来
まあそんな感じですね。はい、どんどんいきましょう。次、建設技術研究所さん。ね、なんで研究所なんでしょうか。
ここはですね、建設技術研究所さんは、元々は財団法人建設技術研究所っていうものが立ち上がるんだそうです。
これがまた同じように戦後なんですね。戦後というか戦中ですね。第二次世界大戦中の1994年の12月に発足をするそうです。
日本土木建築統制組合の理事会で、アメリカに負けない建設機械の開発、建設技術の開発と、そういうことを目的として財団法人、
建設技術研究所というのが立ち上がる。だから株式会社じゃないんですね、生まれが。
で、この日本土木建築統制組合っていうものについてまだちょっと私は詳しく掘り下げて調べてはいないんですけど、おそらくやっぱり国の政策としての政府の思いもあったってことなんですかね、財団法人として立ち上がるっていうのはちょっとわかんないですけどね。
で、それが1964年に建設コンサルタントの登録制度というのができて、そこに反応する形で株式会社化をしたそうです。
1963年に株式会社化をして、財団法人から株式会社になった時には建設技研株式会社っていう名前だったそうです。
ただそれは1年だけで翌年に株式会社建設技術研究所、今の名前になっているということで、時代としては日本工芸さんに近い頃、戦中戦後に発足をしたんですけれども、
建設技術研究所さんの方は発足してから20年間ぐらいは財団法人という形で歩んでいったということで、本当にだからいわゆる研究所だったということですね。株式会社ではない財団法人としての研究所だった、そういうことみたいですね。
ということで、こうやって名前の由来を掘り下げていくと、その会社の歴史にどうしても触れることになりまして、それが面白いですよね。
というところで、次行きましょう。パシフィックコンサルタンツさん。パシコンさんは、大事な話はコンサルタンツっていうことですね。
健康で勤めている人はよくご存知かもしれませんけど、なんとかなんとかコンサルタントっていう会社とコンサルタンツっていう会社があって、パシコンさんはツの方です。
パシコンさんは1951年、これはパシフィックコンサルタンツインコーポレーテッドっていう日米の共同出身によって設立された米国法人ということで、これまた
高栄さんとケンギさんに比べると生まれがだいぶ違う感じがしますよね。例えばケンギさんのホームページなんかにもアメリカに負けないような土木建設機械とか開発するぞっていう意識で生まれたものに対して、パシコンさんはむしろ共同出身として米国法人、アメリカの法人として設立されたんだそうです。
それがパシフィックコンサルタンツインコーポレーテッド。1951年です。で、その会社が1954年、3年後に日本法人パシフィックコンサルタンツになったということで、なんでパシフィックなんだろうなーって言うとわかりますよね。日本とアメリカの間にあるのは太平洋なんで、そこの名を取ってパシフィックコンサルタンツということみたいですね。
名前で言うと、今ではあんまり見かけない。PCKKっていう略称をパシコンさんの社員の方が使ってたりしますね。KKは多分株式会社のことだと思います。PCKKとか言ってたりしますけど、最近では言わないのか言うのかちょっとわかりませんが、そういう話もあったりしますと。さっさどんどん行きましょう。オリエンタルコンサルタンツさん。
オリエンタルコンサルタンツさんは1957年に設立をして、PC構造物のパイオニアとしてスタートしましたということで、やっぱり協僚、PC構造物って書いてありましたけどね、ホームページには。まあ協僚なんですかね、の設計としてスタートしてるみたいですけど、社名の由来は書いてなくて、なぜオリエンタルなのかはちょっとわかりませんでした。
また私がホームページで見た限りですと、発足当時からオリエンタルコンサルタンツってことで、名前が変わったりとか、組織が変わったりとかっていうふうにはなってないみたいでしたね。
これちょっと調べ忘れたな。アークグループっていう持ち株会社を作ってた時代があったと思うんですけど、オリコンさんは今、オリコンさんが事業持ち株会社なのかな。オリコンさんの組織構造、ちょっと今度調べてみよう。ちょっとすいません、そこ曖昧ですけど、アークって言葉を一時使ってた時代があった記憶がありますね。すいません、ここちょっと調べ不足でした。
エイト日本技術開発の由来
続いていきます。ここがねちょっと長くなるんですけど、出ました。エイトニシギさんです。エイト日本技術開発さん。エイト日本技術開発さんは、エイトコンサルタントっていう会社と日本技術開発っていう会社、エイトコンサルタントと日本技術開発さんが2009年に名前を変えて合併して、まあ合併したのはその数年前なんですけど、
一緒の資本的につながったのは2005年ぐらいなんですが、名前としては2009年にその背景を受けてエイト日本技術開発という名前になりました。ということでエイトニシギさんの話をするとエイトさんの話とニシギさんの話と両方しないといけないんですね。
で、エイトさんの話さっきしますね。エイトさんは1955年にヤクモ測量者っていうのが発足当時の会社の名前、前身として。だからこのエイトってのはヤクモなんですね。ヤクモっていうのは出雲の国の別称というか微称なのかな、島根の会社なんですよ。元々ヤクモ測量は。
で、そのヤクモ測量者が岡山に本社を移してヤクモ建設コンサルタントとなります。これが1962年。で、さらに時代がくだって1984年にヤクモ建設コンサルタントをエイトコンサルタントという名前にしたわけですね。このネーミングセンスどう思いますか?かっこよくないですか。エイトコンサルタントって響きいいし、目にも耳にもこう記憶に残りやすい。
だからヤクモっていうのをエイトって言ったのはかっこいいなと私は個人的に思うんですけども。一方、日木さんは日本技術開発という会社でずっと、1954年に発足して、ここは何か移転をしたり名前を変えたりするわけではなく、日本技術開発としてずっと歴史を歩んできたわけですが、私の時代にはすでに過去のことでしたけども、それでも知っている人はいるかもしれませんけど、
ユメシンホールディングスというホールディングス会社から買収を仕掛けられるんですよね。これね、ビキュペディアとか見てもいろいろ書いてあるし、野村総研かな、いわゆる経営コンサルみたいな総研研究所というか、経営コンサルの報告、レポートとかも出てます。
ユメシンホールディングスの買収騒ぎというか、買収事件というのかな。で、何が言っているかというと、TOBという株式公開買付というものをユメシンホールディングスが日木さんに対して仕掛けます。
これは敵対的TOBと言われて、日木さんの合意を得たわけじゃなくて、日木さんの会社の合意を得ているわけじゃないけど、日木さんの株を持っている人たちに高いお金で買いますから、うちに売ってくださいと言って、株を買付けしようとするわけですね。
これが目標にまでは変えず、株式の発行部数の10%ぐらいを保有するぐらい。狙いとしてはもう過半数取って経営権を取っちゃおうという狙いだったみたいですけど、そこには至らなかった。10%。でも10%に握られちゃったんで、その10%の保有株を使って日木さんの経営に今後絡んできますってユメシンホールディングスさんは言ってたそうです。
2005年の時期ってバブルはとっくに終わっているんですけど、いろいろそういうM&Aとかね、取引とか買収とかの制度が自由になりつつある時代だったってことなんですかね。
その辺もちょっと時間があったらよく調べて取り上げてみたい気もするけど、なんかちょっとエイトさんの歴史をほじくり返せよだからあんまりあれだけど。そういうことがあったんだけども、そこでなんでエイトさんが出てくるかっていうと、日木さんとしては、日木さんってね、私の認識はトンネルとかの実績をすごく持っていらっしゃって、昔の設計の図書とかを借りると日木さんの成果だったりとかするっていうのはよくあるんです。
そういうイメージなんですけど、本当に大きい会社だったんだろうというふうに認識してます。そんな会社が、当時公共投資とかも冷えてた時代で買収を仕掛けられました。経営権を分取られるまではいかなかったけど、でも一定割合の株を持たれてしまった。
そのユメシンホールディングズっていう積極的に経営に介入しようとしている会社に持たれてしまった。どうしようどうしようってなって、結果としてはエイトコンサルタントさんが、じゃあうちが買いますって言って日木さんの株を半数以上買ったんですね。これは報道によると日木さんの承認を得た上で買いますと言って、エイトさんは日木さんの株を買って、日木さんはエイトさんの子会社になった。
ということがあって、これが2005年のこと。2005年の時点で日木さんはエイトさんの子会社になって、それから数年経った後にエイト日木っていうふうに名前を変えると。そういうことなんですね。
これはもう全く私の想像ですけど、ユメシンホールディングズっていうのは当時そういうふうにいろんな会社を買収買収しようとしてた
エイト・日木と長大の由来
タイプの企業だったみたいで、日木さんとしてはそんなところに買収されちゃったり、経営にごちゃごちゃ言われるぐらいだったら、同じ健康のどっかの会社に買ってほしいって言って動いたのかもしれないですね。
どっかお願いできませんかできませんかって言ったのかもしれないですね。その中でエイトさんが助けたっていうかね、あの記事ぜひ何か検索してみてください。ホワイトナイトっていう言葉が使われていて、ホワイトナイトっていうのはその
TOB、買収の用語の一つで有効的なTOBとして名乗り出るその会社のことをホワイトナイトっていうらしいですけど、白馬の騎士って意味ですよね。
そういう形でエイトさんが日木さんを救ったというような言い方もできるんでしょうか。そういった形で今現在はエイト・日木という名前になっているという感じですね。
私たち、私が会社に入った2009年がだからまさにそのエイト・日木になった時代なんですよね。だから今はもう15年ぐらい経ってる社員の人とかはもう合併して名前も変わった後にエイト・日木さんに入社した人たちがいるんですけど、それ以前の人たちは元日木の人とか元エイトの人とかそういう形になってたんだということだと思います。
さあ次行きます。長大さんです。長大さんは1968年、これはですね今まで出てきた会社の中ですと歴史としてはちょっと遅めですかね。1968年に長大橋設計センターという株式会社として発足します。
だから長大さんは何なのかというと長大橋なんですよね。橋の名前、橋の名前というか種類というかね。長大橋設計センター株式会社。ん?ごめんなさい。株が先ですかね。株式会社長大橋設計センターというのが1968年発足しまして、そして1984年に名前を株式会社長大というふうに書いています。
そしてこの長大さんも日本工芸さんの例に似ていて、まあでも日本工芸さんよりは少し先立って持株会社制に移行をしてひとゆめ技術グループ株式会社というのに今なっています。だから長大さんという会社は今も存在するんだけど、ひとゆめ技術グループ株式会社の子会社として長大さんが存在している。そういう形ですね。こうやって見ていくとね1984年に名前を変えている会社多いんですよね。
これ84年何があったんですかね。ちょっとわかりませんけど。私の生まれ年なんですけど。まあどうでもいいんですけど。よしいいペースで来てるぞ。次いきます。次八千代さん。八千代エンジニアリング。ここもね会社の健康系の会社の名前の注意ポイントでエンジニアリングっていう会社とエンジニヤーリングっていう会社がありまして八千代さんはエンジニヤーリングのヤの方ですね。八千代のヤってことですかね。違うかもしれない。違うかもしれませんけど。
で、この八千代さんだけはホームページにはっきりと社名の由来が書いてあるんですね。これが面白い。当社の社名は千代に八千代に生き続け未来永劫にわたって人類社会のために貢献し発展してほしいという願いを込めて命名されたものでありということが書いてあります。これが60周年記念サイトっていうのが八千代さんにあって。去年が60周年。一昨年が60。ちょっとわかりませんけど。
60周年記念サイトっていうのにこの命名の由来がもう生にバンと書いてあるんですけど、ここでですね八千代さんの千代に八千代にっていうことはまあ縁起のいい名前をつけたっていうイメージですよね。千代に八千代に。何か場所が由来しているわけでもないし。
っていうところで健康企業の典型パターンをちょっと分析してみたいと思います。健康企業の名前って大体まず地域の名前入ってるんですよ。日本とか。まあ日本の地域って言ってもいいけど。まあでも場所にまつわる言葉。日本とか。パシフィックとかオリエンタルとか。それからエイトさんも元々はヤクモ。ヤクモって言葉は出雲の国。島根の辺りを指す。やっぱエリアに関連する言葉なんですね。ヤクモ。
だから地域系のワード。次に業界に関連する言葉。建設とか技術という言葉があって、ここにコンサルタントあるいはエンジニアリングって名前をくっつけると大体健康の名前になるんです。パシフィックコンサルタントとか。
日本工営さんの工営っていうのは違いますけどね。この後出てくるなんとかコンサルタントなんとかエンジニアリングとかも。まあ割とその地名に由来してたりウニャウニャ建設とかウニャウニャ技術コンサルタントとかそういうのが多いんですが八千代さんだけはどうしたんでしょうか。完全に独自路線を行っていて演技の良い言葉をつけてるんです。場所にも由来しないし
土木分野の関係する言葉でもないし、どこから出てきたかよくわからない演技の良い名前をつけてる会社っていうのは意外と八千代さんぐらいかなっていう感じで、そこはねなんかマイペース感感じますね。そんなのが八千代エンジニアリングさんの名前の由来で、はっきり書いてあるっていう意味でもちょっと面白かったですね。
続きまして、大日本ダイヤコンサルタント。あらこれちょっと待って私ちょっとチェック不足だなぁ。大日本コンサルタントだった気がするから大日本ダイヤか。大日本ダイヤ。大日本ダイヤコンサルタント。え、どっち?あ、日本だ。はい大変失礼しました。大日本ダイヤコンサルタントですね。
大日本ダイヤコンサルタントさんは、これも大日本コンサルタントさんとダイヤコンサルタントさんが、昨年かな合併して大日本ダイヤコンサルタントさんになりましたね。大日本コンサルタントさんは1963年。同じくダイヤコンサルタントさんも1963年に設立をして、それで
大日本コンサルタントさんは持株会社制に移行をしていて、DNホールディングスっていう会社の完全子会社に2021年になっています。ということで今回合併して大日本ダイヤコンサルタントになったわけですけど、大日本ダイヤコンサルタントも持株会社としてのDNホールディングスの子会社という、そういう体制ってことですかね。だと思います。
ダイヤコンサルタントさんは結構地質に強い会社で、割と地質系の会社を買収したり子会社にするっていう流れはここ10年ぐらいでありますね。長大さんもどこだっけ、どこか子会社にしてたと思いますね。結構前に地質系買収してたと思いますね。
あ、忘れちゃった。うん、忘れちゃった。まあそんなこともありますが、ちょっと名前に関係ないんで触れなかったですけれども。ということで大日本ダイヤコンサルタントさんは大日本コンサルタントとダイヤコンサルタントの合併でこの名前になっている。さあ行きます、次です。パスコさん。パスコさんもね、測量系では結構大きい会社ですけど、何だろうなパスコって、なんかあの似たような感じのあの
雪印か何かのビスケットとかすごい失礼な。申し訳ありません。そんなちょっと美味しそうな名前じゃないですかパスコっていう名前ですけども、あのパスコさんはですね1953年にパシフィック航空測量という会社の名前でスタートしてるんですからパスコってパシフィックのパスなんですね。
パスコのコは航空測量のコなのか、カンパニーのCOなのかちょっとわかりませんけど。1953年にパシフィック航空測量、10年後の1963年にパシフィック工業に名前を変えてます。その後に1983年にパスコに名前を変えてるんですね。
パスコさんもやっぱり1983年ですからこの時期名前を変えた会社多いんですね。ということであの私のさっき言ったあのセオリーですね。やっぱパスコさんもパシフィックが元なんでやっぱ地域に関係する言葉っていうのがもともとついてるっていうことなんですよ。
次はドーコンさんです。ドーコンさんはまあ売上ランキングで言うと上にいるわけではないですけれども名前がね印象的ですよねドーコンってなんだろうなってまあイメージの通りかもしれませんけど昭和53年あごめんなさい昭和35年に北海道開発コンサルタントとして設立されてだからドーコンって北海道のドーなんですね。
で多分私の記憶は知らないな私が入社した時にはドーコンさんはすでにドーコンさんでしたけどおそらく名前をドーコンさんにする前にドーコンって呼ばれてたんだと思います業界の中ではドーコンさんってあの略称ニックネームとしておそらくね。
で平成13年に名前をドーコンに改めます。ということでドーコンさんもやっぱり地域の名前北海道という言葉が入ってるんでやっぱりそういう地域の名前を関する健康の会社っていうのは多いなーっていう印象ですね。
ちなみにちょっとドーコンさんだけなんで昭和と平成で言ってるかというとホームページに昭和と平成で書いちゃったんでちょっとそのまま書いてますちょっと西暦が書いてなかったから書き直せばよかったんですけど昭和35年って平成何年ですかちょっと平成じゃない西暦25を足せばいいのかだから1960年かなちょっと多分そうだと思いますけど北海道開発コンサルタントの設立
たぶん1960年だと思います昭和35年って書いてありますはい次ニュージェックさんですねニュージェックさんはあの日本にいくつかある電力系の健康企業ですねだからニュージェックさんは関西電力の関西電力さんの子会社です
で例えば中国電力さんの子会社は中電コンサルああこういう名前をちゃんと調べてから原稿にすればよかったなまあなんか中国四国電力さんもあの四国電力コンサルさんとかなんか四国ってこう地域の名前がついてるんですけどニュージェックさんだけは関西って言葉出てこないんですようんなんですけどニュージェックってあとねごめんなさいニュージェックさんは名前において大事なことがあって
正しくはねニュージェックなんですよね多分ニュージェックさんの社員の方はだいたいニュージェックって言ってるんで多分ニュージェックなんですよでもねあの業界の中ではみんなニュージェックニュージェックって言っちゃいますねニュージェックですでニュージェックさんは1963年に新日本技術コンサルタントっていう名前で会社が設立されるんですねかっこいいですよね新日本技術コンサルタント
これ確か私昔この古い新日本技術コンサルタントさんの設計書をあの私の自分の設計する業務の関連図書として事務所に保管されてたものを借用したことがあってどこだろうこれと思って調べたらニュージェックさんで確か表紙めくってどっかにねニュージェックって当時からあのニュージェックって言葉を使ってたような記憶があったようなないような
これニュージェックさんかよって思った記憶がありますけど新日本技術コンサルタントって元々そういう名前なんですねでまぁこれもご存知の人はいるかも知れませんけどニュージェックさん新日本技術コンサルタントっていう企業が設立されたのは黒部ダムの設計に携わった結構ダムとか発電の技術者の人が中心となっている会社としてコンサルタント会社として設立されたという風に聞き及んでおりますし
ホームページにもそういう風に書いてありました黒部ダムの設計に関わった技術者を中心に作りましたとでその新日本技術コンサルタントが1991年にニュージェックに会社をするということでニュージェックのニューは新日本技術のシンですね
でジェックはJEC日本エンジニアリングコンサルタントJECだと思いますだから新日本技術コンサルタントをニュージェックにしてニュージェックそういうことなんですねだからニュージェックってカタカナっぽく読むんじゃなくてニュージェックさんの気持ちとしてはニュージェックなのとそういう思いでイントネーションにこだわりを持っているということだと思いますけれどもニュージェックの皆さんあってますでしょうか
続きまして次はキタックさんですキタックさんというのは今までは全国区の健康会社を取り上げてきたんですけどキタックさんは主に新潟とか北陸圏をフィールドにしていらっしゃる会社だと思います
でなんでキタックさんを取り上げたかっていうと名前が特徴的だっていうこととあとあの中山雅子社長がですねツイッターのアカウントを持っていらっしゃって私よく拝見してるんですけどあのエッセイのようなつぶやきが私大好きであの思い勝手にファンなんでキタックさんの名前も調べてみました
キタックさんというのは本社は新潟にある会社なんですけど1973年に北日本技術コンサルタントという名前で設立をされて1989年にキタックに改称名前を改めたという企業でしたからやっぱり北日本って名前ついてますよね
キタックのクは何でしょうねコンサルタントのシーかもしれないですねキタックそんな感じでついてるんですけどでも北日本技術コンサルタントっていう名前がもともとあったとして名前変えようってなった時どうしようかなーっていろいろね悩みそうですよね同婚さんを同婚にするのも結構あの思い切ったもっと他の案もきっとあっただろうなーって想像しますけどいやもう略称のままでいこうぜってこうなったのかなーとか
勝手に想像するんですけど北日本技術コンサルタントをキタックにしようっていうのにもきっといくつかアイディアがある中で選ばれたんじゃないかなというふうに思ったりいたします
知足美術館と福建六社の由来
ちなみにキタックさんというのは知足美術館知足っていうのは知る 樽を知るですね樽を知るっていうか順序としては知るっていう感じの次に足っていう感じを書いて知足美術館という美術館の経営もしていらっしゃる
これが創業者の方の個人的なコレクションなんかを美術館に仕立てているものなんじゃないかと ちょっとそんなことだったかと思うんですけども
あの新潟の県庁の近くにあるらしくて私行ったことないんですけどぜひ行ってみたいんですけど 新潟にご縁があったり行くことがある方は
健康企業に由来するというか関わりのある美術館ということで知足美術館行ってみてください 最後です最後は健康の社名といえばこれもちょっと取り上げておかなくてはいけない
福建六社 これ行きたいと思います健康の中にはですね福建という名前がつく会社が6つあるんですね
福建っていうのは復興の復、回復の復ですね 業人米の方の復に建設の建で福建です
この福建と名をつく六社っていうのは実は同じルーツを共有する六社でして1946年にこれは社団法人
復興建設技術協会というものが設立されました なんとなく県議さんに似てますね財団法人建設技術研究所にちょっとなんか雰囲気似てます
関係があるかどうか知りませんけど でこちらは社団法人復興建設技術協会でこの復興建設技術協会が1960年ぐらいに株式会社化をして株式会社
復興建設技術協会ってなったのかな ちょっとそこの名前も調べ漏れてますが その会社に東北福建事務所とか関東福建事務所とか近畿福建事務所ってエリアで分けたそうなんですよね事務所
でそのそれぞれの地域の事務所がベースとなって東北の福建技術コンサルタント それから東京に本社を置いている福建エンジニアリング
名古屋の中部福建 それから大阪の中央福建コンサルタントそして広島の福建調査設計
それで福岡の第一福建 もう一回読者の名前を言うと福建技術コンサルタント
福建エンジニアリング 中部福建 中央福建コンサルタント
福建調査設計第一福建 この6つの会社に福建と名前を残してそれぞれの株式会社になったということなんですね
どこかの福建さんはどこかに合併してたような気がするけど 中部名前は残ってたような気がしますね あともう一個大事なのは福建エンジニアリングさんも嫌ですね
あーじゃなくて嫌です 鉄道の関係の設計が結構実績持ってらっしゃった気がしますね 福建エンジニアリングさんはね
とかとか言う感じで 福建6社まで
取り上げましてちょっと長くなりましたけれども 健康各社の名前を
紐解いていきました歴史が垣間見えて面白かったですね なんでこれをちょっとやろうと思ったかちょっともうすでに忘れてしまいましたけれども
もともとはねこのpodcastを始めた当初はこんな感じでいろんなことを調べて 新しい情報を孵化して
番組を仕立ててたんですけど 最近もうちょっと子供が生まれたことが大きなきっかけでそんな時間がなかなか取れないんで
雑談系のエピソードが増えていきます増えてますけども まあこの番組を長くやっていくという想定で
まあだんだんどこかではこういうちょっとやはり情報としても聞いて面白い コンテンツを増やしていきたいなぁという思いは持っておりますが当面ちょっとこんな
面白い話ばかりをできるわけではない 感じ
まあ今ね年度末ですしちょっと余裕はないんですけども思いとしてはしていますまた ちょっと最近の私の
エピソードをきっかけにこの番組を知ってくださった方はぜひ初期のエピソードも 聞いてみてください
健康ってのは何なのかとか各技術分野の説明とかそんなこといろいろやってますので お楽しみいただければと思いますということではい最後まで聞いていただきありがとうございました
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