1. 大人のためのコミュニケーション技術
  2. コミュニケーションで与える
2024-09-13 09:39

コミュニケーションで与える

与えることはいいことです。誰でも与えるものを持っています。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、
コミュニケーションで与える、というテーマで話をしていきます。
はい。
与えるですね。
ギブですね。
与える、奪う、ギバーといいかありますけれども、
いずれかで言ったら、ギバーの方がいいですよ、と。
与えることの方がいいですよ、というようなことは話していますが、
改めて、与えるということに関して、
それから、与えるというのにはコミュニケーション、
これでもってして、与えることができますよ、ということなんですけれども、
奪うのか、与えるのか、もらうのか、授けるのか、
人間関係を築いていきたいな、と思うような人、
これがどちらですか、と言われたら、
それは、与える人、授けてくれる人、このような人ですよね。
もらってばっかりで、相手に何もお返しをしないだとか、
何かをしてもらわないと自分もやらないだとか、
こういう人とはね、付き合っていきたいとは、あまり思わないと思います。
であれば、あなたがなるべきは、与える人、
誰かに何かを授ける人、プレゼントをする人、
何も見返りがなくとも、与える。
そもそも、見返りというのはね、求めないんですけれども、
その与えるということ、それ自体が喜びに変わっていくというようなことになっていくと、
自然と与えたくなるものなんですが、
万人がそうなるというようなことは、必ずしも必要ではないと思いますし、
バランスがあるんで。
とはいえ、あなたが人に何かを与える、そのものが喜びにできたとするならば、
いいことですよね。
その上で、何かを与えるというような場合には、
物品がないといけないのかなと、
何か手に取ってわかるようなもの、
これを誰かに渡す、あげる、
これが与えるというようなことなんだと。
それでいて、自分には誰かに何かを与えるというようなことは何もない。
このように思うことがあります。
これは実は、誰にでも人に与え得るものを持っています。
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それは何でしょうか。
何かというと、大きな括りで言うと、
時間です。
タイムですね。
誰にでも平等にあるもの。
この時間というもの、これをどのようにして人に与えるのかと。
例えば、何かを依頼をされたとして、特に報酬などは発生しない。
見返りがあるわけでもない。
ただ、あなたはその相手のことを思って、
こうした相手の依頼を受けてあげると、
喜んでくれるから、自分の時間を捧げて、
してほしいことをしてあげようと。
このように行動をするだとか。
誰かに何かを言われたわけではないけれども、
今、相手が欲していること、
これを自分の時間を使って解決をするというようなことはありますけれども、
このコミュニケーションで与えるというようなこと、
それはどういうことだと。
時間というものを使ってということにはなりますが、
それは話を聞くということです。
相手のお話を聞いてあげる。
ただそれだけで、あなたは自分の時間を使って、
相手に対して与えていることになるんですね。
日常ですね、様々な人と会話をするかと思いますが、
その際に、自分が話をする、自分の話したいことを話すのではなくて、
相手の話したいこと。
ことさら、あなた自身は関心がないことであったとしても、
相手の話を自分の時間を使って聞いてあげる。
人は話したい生き物ですから、
徹底して相手の話を聞くというようなこと。
言うは優しですが、行うは過多しというところで。
ただ聞くだけでは、時間は与えてはいるんですけれども、
与えているというような実感もないままに、終わってしまうようなこともあります。
何か話をしてきてくれている場合に、何もあいづちもせず、無言でただ見つめるだけ。
見つめるならまだしも側方向いて、
ただ同じ空間にいて相手が言っていることをなんとなく聞いているというような。
これでは自分の時間を与えて相手の話を聞いてあげているというようなことにはなりませんよね。
ですから、コミュニケーションの技術を使って相手の話を引き出したり、
質問をしたり、あいづちを打ったり、
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私は今自分の時間をあなたに与えていますよと。
これは相手に分かる必要はないんです。
というよりかは、多くの人は気づきません。
なぜなら、コミュニケーションで与えるというようなことはもとより、
与えるというようなことの有用性、
これを理解をされていない人が多いので、
多くの人は自分の時間を相手に与えているというようなこと、これは分からないかと思います。
ただ、それでいいんです。分からずともいいんです。
相手に分かってほしい、今自分があなたのために与えていると、
これを分かってほしいというようなことは、何か見返りを求めているわけです。
私がここまでしたんだから、あなたも何か私にお返しをしてよと。
このようなことですね、思うわけです。
ただ、それは与えるというようなことにはなりませんから。
無条件に、見返りを求めず、与えるというようなこと。
そうして、何もないと思う。
ただ、それは誤解で。
あなたにも時間というものがある。
そして、その大きな括りの時間という中での、さらにはコミュニケーション。
それでいて、相手に与えることができるというものは、話を聞くということですね。
コミュニケーションというと、自分が話をしなければと、そのように勘違いをする場合がありますが、
必ずしも、自分が相手に何かを話すというようなことだけが、コミュニケーションではないですから。
自分で話題をつけらずとも、いいんですね。
相手の話したいことを、そのまま聞いてあげる。
そこには、あなたの時間を使っていて、相手に与えているということ。
これは、あなた自身がわかっていれば、それでいいんです。
ああ、今私はこの人のために、自分の時間を相手に与えているんだなぁと、
それで気持ちよさそうに話をしてくれる。
嬉しいなぁというようですね。
この与えるということをですね、喜びへと変えることができるならば、
人生がより良く、明るく見えるというようなことになりますので。
あくまで私個人の見解ですけれどもね。
少しでも共感ができる、納得ができるのであれば、
与えるということはもとより、コミュニケーションを使って、
相手の話を聞いて、与えるというようなことを実践してみるといいかと思います。
あとはですね、あなたの周囲に人間関係が良好な人がもしいたらば、
その人のことをよく見てみてください。
おそらく誰かに与えるというようなことを実践しているかと思います。
コミュニケーションが上手だと言われている、人間関係が円満だというような人。
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これらの人々は、すべからく与えるというようなことが習慣となっているかと思います。
特段そういう人たちと比べてどうということはする必要はないですが、
観察をしてみて、いいなと思ったら自分にも取り入れていけばいいというようなことです。
はい。
ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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