2025-10-27 09:47

八方美人

あなたは八方美人ですか?もしそうであるならこうしたらいですよという話です。まぁ、やめた方がいいですね。


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サマリー

八方美人についての考察が行われ、人々がコミュニケーションにおいて誰にでも良い顔をすることの無意味さが強調されます。自己防衛の一環としての八方美人は、信頼を得られず、時間を浪費する結果になり、最終的には自分の心を狭めてしまうと述べられています。

八方美人の定義
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。ということで、今回は、八方美人という話をしていきます。
はい、八方美人ですね。
ある人を称する際に、このような表現を使うことはありますよね。
もしかしたら、あなたにもこうした側面があるかもしれないですね。
ちなみに、私はそういう一面が過去ありました。
この八方美人というもの、これもよく言われることですけれども、結論から言えば、必要ないということです。
誰にでもいい顔をする、誰にでも人当たりがいい、誰に対しても平等に接する。
これらは、あなたが人間関係を、コミュニケーションをしていく上で必要ないことなんですね。
ですから、もし仮に八方美人であるというようなことに思い当たる節があるのであれば、それはやる必要ないですと。
なぜかということと、とはいえやめ方もわからないということもあると思いますので、こうした八方美人という人について話していきます。
結論から、必要ないと言いましたけれども、それはなぜかといったら、誰にでもいい顔をする人は誰からも信頼されないからですね。
八方美人のデメリット
人の好き嫌い、もしくは関心無関心にかかわらず、関わる人すべてに良くあろうとする、良いと思ってもらおうとする。
それは一種の自己防衛反応から来るものであって、人からの評価を気にしている。
人からどう見られるかということを気にしているわけですね。
ということは、誰にも関心を寄せていないということになるわけです。
相手のことを考えていない。
こうしたことが透けて見えるんですね。
八方美人であり、誰にでもいい顔をして、誰にも関心を寄せていない人、自分のことを考えている。
こうした人に何かを任せよう、頼ろう、信頼しようというようにはならないですよね。
ですから、誰にでもいい顔をする人は、誰からも信頼されないということになるわけです。
さらには、あなた自身に発生する、仮にね、あなたが八方美人であるとするならば、それに発生するデメリットもあるわけですよ。
こういう人は断らないですよね。断れないというか、断ったらどう思われるかわからないから、何か言われたらやろうとすると、時間を浪費することにもなるわけですよ。
嫌だけどいいですよと言ってしまうわけです。
ここで言う、任せられるとか頼られるというのは、重要なことではないことがほとんどです。
この人は何を言っても聞いてくれるから、とりあえずこの人に頼んでおこうというふうにですね、そういう使われ方をしてしまうんですね。
あまり嬉しくない頼まれ事ということ、これはありますね。
先ほど、任せよう頼ろう、信頼しようとはならないと言いましたけれども、大したことではないことは断らないから頼まれてしまう。
結果、時間を浪費することになると。
よくあろうとするその精神はいい心掛けではあると思います。
ただそれは、どこにベクトルが向いているかといったら、相手のことではないですよね。
自分自身のことなわけです。
自分が人からどう見られるか、自分が人からどう思われるか、相手がどうこうではないんですね。
自分のことしか見ていない。
だからこそ、この発泡美人というものを実行することができるわけですよ。
これはですね、冒頭にも言った通り、全く必要ない。
誰にでもいい顔をする必要はない。
誰からも信頼されないから、再三繰り返しになりますけれども、そういうことなわけですね。
と言っても、防衛反応として発泡美人、誰からもよく思われたい、自分を守るという意味でもそういう行いをしてきたし、これからもしていこうと思っている。
それで自分を守れるならそれでいいじゃないかというですね、思うようなこともあるかもしれないです。
ただそのままでは、人間関係もコミュニケーションも上達しません。破滅へと向かっていきます。
自分自身の心が徐々に狭まっていることに気づいてください。
やめた方がいいです。
これは経験則から断言できます。
発泡美人であることは今すぐやめた方がいい。
八方美人をやめる方法
ただ、やめるにしても、ずっとそうやってきたから、やめた方がいいと言われたって分かりませんと、そういうこともありますよね。
これはやはり思考の転換。
何か今この行動、行いを変えたから、今日明日からすぐさま変わりますよというようなことはないんですね。
これまでの積み上げ積み重ねで、その人格というものが形成されていますから、すぐさま変わるということはできません。
思考を変換するということには、ある程度の個人差はありますけれども、時間がかかります。
それを踏まえた上で、どのように思考を転換させていけばいいのかというと、
嫌われてもいい人には嫌われてもいい、嫌われることを怖がらない、これを意識するわけです。
大した影響はないですから、嫌われてもいい人に嫌われることは、外分や外面を気にしないということです。
これは仮にあなたが発泡美人であったとして、実際にこうした考え方を持って活動してみないと、正直分からないということもあります。
大したことがなかったと気づけるのは、それが過ぎ去ってからです。
発泡美人をやめて、人から嫌われてみて、この人には嫌われてもよかったんだなということを気づけるようになるのは、それが終わった後、過ぎた後ですね。
ですから、やるまでは非常に勇気のいることだと思います。
勇気のいることだからこそ、思考から考え方から変えていかないと行動が変わっていかないんですね。
日々自分自身に言い聞かせてみてください。
自分は人に嫌われてもいいと、嫌われることを怖がらない、気にしない、そうやって人と関わってみようと、これをですね、考えてみてください。
そして、今まで誰にでもいい顔をしていた分、嫌われたとして、その人は離れていくじゃないですか。
その離れていったところには、あなたが発泡美人でなくとも、自然体として関わってくれるような人がですね、現れるんですね。
空白には、必ずそこに埋まるピースがはまります。
たとえ人間関係であれ、同じなんですね。
今まで抜けたところに、新しいものが加わるんです。
それは前よりも良いものです。
それは間違いありません。
実際、そうなってみないとわからないんですよ。
それが過ぎて、過ぎ去って、過去を振り返ってみて、ああ、あの時、人から嫌われるという選択をしてよかったな、発泡美人をやめてよかったな、というような感覚が、初めてそこで訪れるわけですね。
誰にでもいい顔をすることに疲れた、やめたい、そう思うのであれば、こうした考え方を取り入れて、実践してみてください。
つまり、何が言いたいのかというと、発泡美人、これは誰にでもいい顔をする、誰にでも人当たりよく接する、というようなことですよね。
コミュニケーションの界隈ではよく言われることですが、これは必要ないです。
なぜかといえば、誰にでもいい顔をする人は、誰からも信頼されないから、誰にも関心を寄せていないということになりますからね。
自分がどう見られるかを気にしているから、相手のことを考えていないということです。
それが相手にわかるわけですね。
そうすれば、何か重要なことを任せよう、頼ろう、信頼しようとはならない。
かつ、断らないから何でもやらされてしまう。
それら全ては重要ではないこと。
結果、あなたの時間を浪費することになる。
時間の投資にはならないんですね。浪費にしかならないようなことしか任せてもらえないわけです。
とはいえ、今までずっとそうだった。
辞めた方がいい、必要ないと言われたってどうすればいいんですか、というようなことで、
これは一朝一夕では変わらない。
思考の転換、考え方を変える。
それは、人に嫌われてもいいと思う。
嫌われることは怖がらない、ということですね。
八方美人であるということは、主には自己防衛が理由です。
相手のことは一切考えていません。自分だけですからね。
その上で、嫌われてもいい、というようなことを視点において活動してみると、
その実、実際に嫌われてみたら、なんだ大したことないな、と。
むしろその方が良かったな、というふうに思うことができるようになります。
これは、あれですかね、アドラーの嫌われる勇気って流行ってたじゃないですか。
今でも流行っているのかな、わかんないですけど、
私自身もずいぶん前に読んだので、内容をほとんど覚えてないんですけれども、
嫌われるのはなんだというと、やはりその本のタイトルを思い出しますね。
中身何でしたっけね。似たようなこと言ってたらすみません。
別に何か引用して言っているとかじゃないんですけれども、
ふとそれが思い浮かんだので、これを機に読み返してみるのもいいかなと思いました。
というような打速です。
とにかく仮に今、発泡美人であるというようなことがあるのであれば、
辞めたとしても何も影響はない。
むしろ良かったな、というふうに思いますから、
こうした考え方を取り入れて、人と関わってみてください。
はい。
ありがとうございました。
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