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はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、場数を踏むというテーマで話をしていきます。
場数を踏む、ですね。
いろんなところで言われるようなことですよね。
何でもそうだと思います。
場数を踏むということ、これが大事だと。
改めて言うようなことでもないかもしれないですけれども、
多文に漏れず、コミュニケーションも当然そうなんですよ、
というような話をちょろちょろとするだけの回です。
コミュニケーションに関して、場数を踏むだなんだというようなことを言ったとしても、
そんなことは日常的にやっていますと。
人と話せば、人と会えば、それでコミュニケーションの場数を踏んでいるでしょうというようになりますよね。
それもね、そうなんですけれども、
どれだけの密度で行っているのかというようなことも関わってくると思うんですよね。
特にコミュニケーションなんていうのは、
日常的に言ったら生まれた瞬間からコミュニケーションをとっているわけですから、
その本人が特に人間関係とかそういうのに困ってたり悩んでたりしていないと、
私はこれでも全然生きていきますよと、むしろコミュニケーション上手な方ですよと、
そのぐらい思っているような人も結構多いと思うんですよ。
それはね、決して他人が決めることじゃないですから、
その本人が自分はそれでいいんだと思っていればいいと思います。
ただこうした技術のことを、自分はそれでいいんだということで納得して終わってしまうと、
そこで成長って止まるじゃないですか。
もうこれで満足だとなったら、それ以上求めないしやらないわけですよ。
ですから困っている人、悩んでいる人ももちろんそうなんですけど、
それ以上に自分はそんなに必要ないかなと。だって今満足しているから。
というような人もですね、コミュニケーションの馬鹿座は密度を濃くして踏むというようなことを
意識をした方がもっと人間性が高まっていくんじゃないかなということを日々思うわけですよ。
とはいってもね、先ほどから言っているように、
コミュニケーションの馬鹿座なんて言ったって普通に暮らしていればそれは踏んでますよと。
じゃあそれが実際どういうふうに踏むのか、何を持って馬鹿座を踏んでいると言えるのかというようなこと。
これはもう私個人の思うところというか、やってきたことも含めてね。
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それはこういうことだと思いますというのがあるんですけれども、
比較的向こう側がウェルカムな状態って結構日常に存在しているんですよ。
フラットに会話をしようと、もともとの知り合いだとかそういうことではなくて、
例えば家にいるときに訪問販売が来たり、
あとは出かけたときに店先の人、従業員の人とか、店じゃなくてもね。
店員とお客という役割が分かれている状態のとき、
これって訪問販売にしろ、店員とお客という役割にしろ、
こちら側が積極的に話そうとしなくても話しかけてくれたりするような状態ですよね。
かつ、仮にこちら側が話しかけたとしたら、
積極的にそれを拾い上げて話をしてくれるような状況だと思うんですよ。
もしかしたらあなたが訪問販売の側とか従業員の側というようなこともあると思うんですけど、状況によっては。
どちらか一方でしかないという人の方が少ないですからね。
どちらもやると思うんですけど、こういうときってウェルカムな状態じゃないですか。
コミュニケーションの取り方、これを試すいい機会にもなるわけですよ。
密度を高めるために。
しょっちゅう行くお店とか、しょっちゅう来る人とかそういう人ってなければ、
一期一会というか、今会ってこの場から立ち去ったらおそらく二度と会うことはないだろうなというような人にだったら、
たとえその場所で恥をかいてもいいわけで、だって二度と会わないわけですから。
何も躊躇することはないわけですよ。
実験っていうとね、実験を受ける側の人に対してちょっと失礼なときもあるかもしれないですけれども、
付き合ってくれてありがとうと思えばいいので、
そうした相手がウェルカムな状態のときに積極的に普段やってることを試してみたりとか。
あとは、ある程度社会に揉まれるというか、
一つの組織に長いこといるような人に起こりがちなことだと思うんですけど、
踏む爆発の数が一定になっているっていうようなことがあると思うんですよ。
日常的に接する人との、ある程度メンバーが固定されているというか、
多少の変動や誤差はあるけど、
普段から関わる人はほとんど変わらないというようなこともあって、
それだと平らになっている地面をひたすら踏むみたいな、
特に何かコミュニケーションの向上につながっているとか、全くそういうことでは何にも関わらず、
自分は全然できているからと、
そのように勘違いをしてしまうようなことがあるわけですよ。
本当にそういう人に限って言うわけですから。
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本当に一つのことを長く続けられるというのは、それも一つの能力、才能だと思ってますから、
すごいことであって、かつ私にはできないことなんで、すごいなと思います。
ちゃんとリスペクトの精神は持ってます。
その上でですよね、ことはコミュニケーションということになって、
例えば10年20年同じ組織に所属をしているのか、
それとも10年20年の間にいろいろな組織に点々としているのか、
コミュニケーションというような観点から見ると、
どちらの人の方が多く馬鹿つを踏んでいるのかというようなこと、
この辺りは結構違ってきますよね。
別にどっちが良いとか悪いじゃなくて、それぞれの役割が違うというようなことなんですよ。
より多くの馬鹿つを踏んで、かつコミュニケーションのことを理解をしているのであれば、それを話せばいいですし、
そうではなくて、あまり馬鹿つというようなことで、いろいろと複数の種類を踏んでいないけれども、
ただその代わり、同じ人たちと長く付き合っていくための方法がわかるというのであれば、
そうしたことを話せばいいですし、
何が良くて何が悪いじゃなくて、それぞれの役割があって、
その役割に適した活動をしているのか、もしくはしてきたのか、
さらにこの先もそれを続けていくのか、
そんなような取り留めもない話ですね。
つまり何が良いのかというと、馬鹿つを踏む。
これは日常的に活動生活をしている中で、比較的相手が受け入れてくれやすいような状況ってありますよね、ウェルカム状態ですね。
そのような場合にあなたが試したい技術があったとして、それを試す良い機会なので、
密度を濃く、たとえ失敗をしたとしても、良いような状況で積極的にコミュニケーションを試してみるといいんじゃないでしょうか、というようなこと。
あとは、とりわけコミュニケーションで馬鹿つなんて言ったって、日常的にやってますよというようになると思うんですけれども、
それは果たしてそうなのか、凸凹な道を踏んでいるのか、平らな場所を踏んでいるのか、
それによってね、練度や密度というものは変わってくると思います。
コミュニケーションね、生まれてから死ぬまで、ひょっとしたら死んだ後もずっとやり続けることですから、
満足することなく、もうこれで完成だなんてことはないですから、
変に自信がありすぎるのもなさすぎるのも良くないので、これで終わりというようなことはなくて、
ずっと一生を通じて、一生の後も通じて、コミュニケーションというものを、馬鹿づを踏む、これを続けていくと、
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何よりも心の平穏が保たれるんじゃないかなというように思います。
ということで以上となります。ありがとうございました。