2025-02-25 08:12

自己満足

コミュニケーションにおいて自己満足であることはプラスです。大いに自己満足していきましょう。


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サマリー

このエピソードでは、自己満足の重要性が語られています。自己満足がなければ他者を満足させることができないという観点から、自己成長と自己満足の関連性についても考察されています。

自己満足の意義
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、自己満足という話をしていきます。
自己満足、ですね。
誰かに話をした際に、自己満足なんじゃないかと思われるかもしれない。
もしくは、それはあなたの自己満足ですよねと言われたことがある。
また、世間的には、自己満足ではいけませんよというような考え方が一般的なのかなというように思います。
ですから、そうした人とコミュニケーションをとる際に、
自己満足ではいけませんよ、相手のこともしっかり考えた上で話をしたり行動したりしましょうと。
というようなことを言いたいのではなく、
結論から言うと、自己満足でもいいですよと。
むしろね、肯定的な意味合いで自己満足と言っても差し支えないというようなことですね。
ですから、あなたもこうしたことが原因になって、人の足を踏むというようなことがあったり、
人が話している話を聞いて、結局それはあなたの相手の自己満足ですよねというようなことを
習慣的に思うような場合には、そういう考え方もあるのかなと思ってもらえればと思います。
なぜ自己満足でもいいというのかというと、それはもう簡単で、
自己満足していなければ他人に報酬することはできないからです。
これはどんなことをしていようとも、
自分で自分のことを満足させてあげられないと、
表現を変えると自分のことを好きでないと、
自分の器が満たされていない、あなたの器が満たされていないのに、
あなた以外の人に報酬しようということは思えないと思うんですよ。
自分を満足させる術がどうというのはちょっとまた別の話ですから、一旦置いておきますが、
そうした自己を満足させるというようなこと、
これは仮にあなたが人に対して思ったり、もしくは思われたりした場合にあっても、
何のために自己満足であるのか、こうしたことを考えると自ずと答えが出る。
それは先ほども言いましたが、自己を満足させることによって、
初めて他人に報酬することができるようになるわけです。
考えてみれば当たり前ですけれども、
自分が満足していないと他人に何かをしてあげようという気持ちにはなれないと思うんですよ。
例えば資本主義ですから、お金に例えてみると、
手持ちのお金が0円であったとして、寄付をすることはできないじゃないですか。
例えば、街中で寄付を募集している人がいたとして、
コンビニに寄付のボックスがあって、そこにお金を入れようとしたとして、
自分の持っている財産が0であるとなった場合には、
つまり自分が満足をしていない状態であるならば、
人に与えることはできないわけです。
それでもなお、他人に報酬をするというようなことをする場合には、
現実にはなかなかいないと思いますが、
どこかから借金をしてきて、その借金を寄付に当てたりだとか、
満足の反対ですよね。
自己不満足の状態であっても、他人のために報酬をしたいという、
そうした人はなかなかいないですよね。
極端な例かもしれませんが、
これを人間関係コミュニケーションというところに置き換えた場合に、
自分の言葉に対して満足できていないというような状態で、
自分の話をせずに他人の話を聞いてあげようとか、
他人のために何かをしてあげようと、
行動するコミュニケーションによって何かをしてあげようというように思ったり、
このようなことが自然と分け出ることはあまりないと思います。
よっぽど心の清い人であれば、
お金とコミュニケーションに相関関係はなくて、
自分が満足せずともしておらずとも、
他人のために動いてあげられるんだというようなこともあるかと思いますが、
多くの人は、それは私も含めて、
自分のことを満足させていないと、
人のために何かをするということはできないわけです。
まずはそれも認めるということですね。
自己満足しないと、
人に対して何かをしてあげるということはなかなか難しい。
自己満足と他者への影響
それはもうそういうもんかと。
あとは自己〇〇というものに関しての関連というところで、
自己成長というものもありますよね。
この自己満足と自己成長というもの、
これに通じて言えることもあるんじゃないかなと思っています。
それは何をもって成長とするのか、
自己の成長とするのか、
それは自己満足、自分に満足できるようになるということも
成長の一端なのではないかというふうに捉えることもできますよね。
いつまでたっても自分は満たされないんだというようなこと、
また言い方を変えると、
自分は不幸だと、不幸せであるという思う。
これは成長とはほど遠いですね。
例えば一つ見方を変えて、
自己満足でもいいと、
自分に満足できるようになっていると、
今の自分で幸せなのだと思うことによって、
それは自己成長へともつながっているということ。
これも一つ言えることですよね。
そういう見方をしようと思えばできますよねというようなことですかね。
ですからこれらの根底にあるというものは、
考え方のエネルギーというものを、
否定だったりマイナスの方向へと働かせるよりかは、
プラス肯定の方へと働かせるということ。
これをすることによって、
何事も良い方向へと考える習慣が身につくというようなことですかね。
ですから自己満足でもいいと思えるようになれば、
肯定的になると。
これはちょっと飛躍しすぎですかね。どうでしょうか。
こういう考え方もありますということですね。
つまり何が言いたいのかというと、
自己満足。
これは自己満足でもいいですよということですね。
それはなぜかというと、
自己を満足させて、
初めて他人に奉仕をすることができるようになるからということです。
自分に自己満というものに対しては、
ネガティブな意見がつくようなことが多いかと思いますが、
むしろその方がいいと。
あなたが自分に満足することによって、
自己成長との関連
あなたの周囲の人も満足させてあげることができる。
つまり他人に奉仕をすることが当たり前のようにできる。
引いては、自己成長と自己満足というところに関して、
何をもって成長とするのか。
いわば自己に満足できるようになるということも、
成長の一端と捉えることができますよねというようなことですね。
ですから、自己満だなんだというように、
思ったり思われたり、言ったり言われたり、
このようなことが人とコミュニケーションをとっていると、
発生することもあるかと思いますが、
言われたら褒め言葉として受け取る。
言いたくなったら、
あの人は満たされている人間なんだなと。
出会うから他の人にも、
満たしてあげるような行いができる人なんだなと思ってあげる。
こうした考え方をすると、
世界が少し明るく見えるんじゃないかなと思います。
はい、ということで以上となります。
ありがとうございました。
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