助けを求められない理由とその背景
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。まずは、おめでとうございます。ということで、今回は、助けてという話をしていきます。
はい、助けてですね。これは別に私が助けてっていうふうに言ってるわけじゃなくて、声を上げるということですね。
人に助けてというようなことを言えない人、あなたがそうかわかりませんけれども、特に声を上げることに抵抗がある場合に、それはなぜなのかというところと、
声を上げることの重要性ですね。
当然、これもコミュニケーションの一つなので、自分が声を上げない限りは、周りはわかってくれないわけですよ。
ただ、そうは言っても、自分で頑張らなきゃいけないと言いづらいというのは、そういうことも当然ありますと。
それでですね、助けてというようなことを自分で言えない人には、いくつか特徴がありますね。
仮にあなたがそうであるならば、おそらく当てはまっていることであるとは思うんですけれども、ある程度のことであれば、自分でなんとかできてしまう。
長男長女である。責任感がある。プライドが高い。人に迷惑をかけたくない。
長男長女というのは、兄弟がいる人で、自分がなんとかしなきゃという意識を持って幼少期を過ごしていたからこそ、それは大人になっても継続していくことの一つでもある。
あとは過去に誰かに助けを求めたけれども、結果助けてもらえなかった。そういう経験に基づくものですかね。
今言ったようなことがざっくり当てはまる。何かしら当てはまるんじゃないかなと思います。
助けを求めることの重要性と誤解
このいわゆる壁と言ってもいいですね。人に助けてというような声を上げられない壁というもの。これを破壊するためには、2つのことを理解しておく必要があります。
当たり前のことですよ。聞けばわかります。
一つは、言うことは自分自身を助けることになる。
二つは、言わなければ周囲の人はわからないということなんですね。
仮にあなたが誰かのことを見たときに、この人助けてほしそうだなというようなこと、それは相手から直接言われなければわからないですよね。
ありがた迷惑なんてこともあるじゃないですか。
別に思っていなかったけれども、助けてと思っていない人を余計に助けて、別にそんなこと望んでないんですけどというふうに思われたりすることもあるわけですよ。
そう考える人も一定数いるわけですよね。
自分自身が助けてほしいときには、自分から声を上げなければ誰も助けてくれない。
その上で断られたというような経験があったとするならば、それは助けを求めたこと自体が良くなかったというわけではなくて、頼った相手が違っただけ。
もしくはその相手のタイミングですね。もちろん相手も通常の生活を送ってますから、タイミングが悪ければ。
普段だったら助けを求められたら助けるというような人であっても、ちょっと今違うんだよな、ちょっとごめんというふうに断られることもあるじゃないですか。
例えば両手が塞がっている人に、もう一個荷物持ってくださいって言ったって、別に持つ手ないから持ってませんよというふうになると思うんですよ。
自分の荷物を置いてまで人の荷物を持ってくれるっていうのはそういう成人君子の人もいますけれども、その人はごく人握りなんで。
基本的にはタイミングが悪ければ人の助けを聞けないということもあると思うんですよ。
ですから過去に断られたからといって、未来永劫ずっと誰にも助けてもらえないという、そんなことは当然ないわけですよね。
あとはそのボンといった、ある程度のことであれば自分で何でもできてしまうから、自分がやったことが早いから助ける習慣がなかった、助けてもらうということを言う習慣がなかった、
そういう場合であるならば、それはおそらくプライドというところに直結している内容であって、
人に頼ることができない人というのは、自分を何かしろにしていることと同じなんですよね。
何よりも自分自身を助けるために人に対して助けてというのは、声を上げるということ。
声を上げたとしても何も失うものはないですよ。
あると思っているのであれば、それは自分自身の話してきたような内容が壁となって、せっかく自分のためになることなのに自分に対してブレーキをかけてしまっているという非常にもったいないですよね。
人に助けを求められずに自分で頑張る、それも素晴らしい心がけではありますけれども、助けを求めることは自分を助けることにもなります。遠慮はいらないんですよ。
助けを求めることのポジティブな側面
そしてここが最も重要というかポイントになるところではあるんですけれども、助けを求めた相手ですね。
その相手があなたを助けることによって人のためになれたというようなその充足感を助けを求めたにもかかわらず与えてあげることができる。
この考え方ですね。人に助けを求めることに対して抵抗がある場合にブレーキするようになるんじゃないかなと思います。
自分が頼った、助けてと言った、その上でそれを受け入れて助けてくれた相手は自分はこの人のために何かをしてあげたんだというような充足感を得ることができるということです。
それを与えることができるということです。助けを求めるということは。
これですね、決して都合のいいように考えているだけではなくて、本当にそのような効果があるので、もし仮に助けてという声をあげることができない、しない、抵抗があるという場合には、今回のこの内容をもとに人に対して助けを求めるということをしてみてください。
つまり何が言いたいのかというと、助けて、助けてほしいときには自ら声をあげるということです。
言えずに自分で頑張るということも非常に素晴らしいんですけれども、その上であえて助けてほしいのであれば、ちゃんと声をあげるということ、自分を助けることにもなるわけですね。
サメル・スマイルズ、天は自ら助けるものを助くということはありますけれども、これはちょっとニュアンスが違うんであれですけれども、自分で努力する場合には天が自分に味方してくれますよというのはそういう意味なんですけれども、
味方と変えれば、人に対して助けを求めるというその行為、行い自体が一つの努力と言ってもいいと思います。
何でもかんでも常日頃、誰かに頼るということを常としているのであれば、それはまたちょっと違いますけれども、
自分を助けることで、助けてもらったにも関わらず助けた相手から見ても、この人のために何かをしてあげたというような充足感を得ることができるという機会を与えてあげることもできます。
そして言わなければ周りは分かりません。遠慮は得らないということです。
仮に人に助けを求めて断られたとしたら、相手が違っただけ、もしくはその相手のタイミングが悪かっただけ、
たとえ断られたとしても逆恨みは絶対しないということですよね。
そんなようなところですね。
配信再開の挨拶
今回配信、約1ヶ月ぶりぐらいなんですけど、
いつも聞いていただいている方は、またかと思っていると思うんですけど、
空いてる時間というか、使える時間ですね。
今Amazonプライムで、サナダ丸ってやってるじゃないですか。
10年ぐらい前にNHKのタイガでやってたやつ。
ずっとあれを見てしまいました。
ちょっと収録して配信すればよかったんですけど、
使える時間を全部あれに使ってしまって、見終わったんで、
また今回から配信再開していきますんで、よろしくお願いします。
ありがとうございました。