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はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。 まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、間違ってないが間違ってるという話をしていきます。
はい、間違ってないが間違ってる、ですね。 人とコミュニケーションをとっているときに、相手の話が合ってるとか間違ってるとか、
もしくは、自分が話すことが合ってる間違ってる、 そうした正語の判断と言いますか、何が間違っていて何が間違っていないかというような、
いわゆるジャッジをするようなこと、それに対してどう反応するのか。 この世の中に人が言うことに対して、
合ってる間違ってるというような判断はですね、 基本的には人は下せないはずなんです。
コミュニケーション以外のことで、人と会話をする中で、何かこう厳然たる事実を元に話をして、そこに対して、
合ってる間違ってる、こういう事実があるということに対しての正語ということはあると思いますが、
人のことに関してですね、特にその人の意見というもの、もしくは感想、
個人のものでしかないものに対して、合ってる間違ってるというような判断を下してしまうケースが多い。
あくまで、一、個人の意見や感想、自分の考えに基づいた話というものに対して、合ってる間違ってるということは、
実はその当人以外には判断を下せないことですよね。
絶対に間違っていないことというものはない。
さらには誰かの話に対する反応というもの、何かこう事実があってこれこれこうですよねということではなく、
その人の意見だとか感想、考え方に対して反応を述べるというようなことはあれども、
それは合ってますよね、間違ってますよねというその判断は、個人対個人、別々の考え方を持っている。
なので、そういうこともありますよねという、そういった反応が基地なんですよね。
人が言ったことに対して、いやそれは間違ってますというようなことがあったり、間違ってないですというふうに言ったり、
人に対して間違いを指摘したいとなった時、事実の間違いじゃないですよ、
あなたが考えていることはそれは間違ってますとか、
あなたのその感想は、意見はおかしいですというように言いたい時に、これは一つ思い起こした方がいいことですよね。
よくある反応として、何かこう相手から自分とは違う考えを話された時に、いやそれは違いますよ、
もし自分だったらどうするんですか、他の人にされたら嫌でしょう、それと同じでしょう、
というようにですね、なんというか、私がこう思っていることに対してあなたの意見はこうだから、
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それは仮に自分がされたとしたら嫌でしょうというような、人にされて嫌なことは相手にもするなということはありますけれども、
全てのことにおいてその限りではないということなんですよね。
人の行い行為というものは、時と場所、環境や時代によって左右されるということ、
それも時々によって間違っていることもあれば間違っていないこともある、それは社会通念的なのか、
その相手から見たことなのか、それぞれの視点からではありますけれども、
とにかくその行い行動をとっている当人からすればそれは別に間違った行いではないわけですよね。
自分のやっていることが間違いであるとわかった上で行動している人というのはなかなかに少ないと思います。
あえてやるということはあると思うんですけれどもね。
間違っているようなでもそのままやってしまおうというように。
そうする人は、中にはそういう人もいるんですけれども、多くはそうではないと。
そこに対して他の人がとにかく言うということ、
これはそこに教育だとか指導、教え導いてあげるというようなその位置があればいいと思いますが、
自分の思うこととは別のことだからここからねじ伏せてやろうというようにですね、
間違いを断罪するというような、そうしてしまうことは愚かと言わざるを得ませんね。
何事においても自分から出たもの以外は、それは間違っていないけれども間違っている。
間違っていようともいまいとも、それはあくまでそれを思った人の考えであって、
それを発信した人の意見ではないわけですよ。
他の誰かが断罪できるようなことではないということです。
人はどうしても自分と違う意見を持つ人間に対して敵対意識と言いますか、
敵対とまではいかないにしろ思うところがあるから私も意見しますよというようにですね、
それが話し合いというような関係性であるならばまだマシですよね。
そうではなくて一方的にそれは違うというような、
こう言ってしまうと、いさすかそれはちょっとやりすぎではないかなと、
本来その限りではないわけですからね。
ですからその人の考え、意見に対して間違っているかいないかということ、
他の誰かが何を言ったとしてもそれは間違っていないが間違っているということなんですよね。
というようなところでね、かなりふわふわしたような感じになりましたけれども、
いいです、そのまま受け取ってください。
つまり何が言いたいのかというと、間違っていないが間違っている。
人とコミュニケーションを取る中において、
相手の意見、考え方、感想、これらに対しての反応として、
絶対に間違っているということもなければ絶対に間違っていないということもないということ、
誰か人の意見に対してそれをジャッジする、判断する、断罪する、
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これらの行いは他の人がするようなことではないわけです。
これは絶対に間違っていないな、これは絶対に間違っているな、
こう思えるのはその当人が発信した自分自身の内容に関してのみ、
他の人が問いかくようなことではないということです。
ですからその自分自身の考え、思想、イデオロギーと反発するようなことがもしあるとするならば、
確かにそういうこともありますよね、というような反応が基地であって、
ここからぶつかっていこうというのは相手と議論したい、
そういった姿勢があればいいですけれども、
ねじ伏せてやろうというような考えからそれをすることは愚かですよね。
全ての事象事柄において、何事にも言えることですけれども、
時と場所、環境や時代に左右されるわけです。
今はあっているけど昔は間違っていた、昔はあっていたけど今は間違っていた、
あの場所ではあっているけどこの場所では間違っている、
そうしたミックスものパターンがあるわけですね。
そんな中で誰かが言った意見に対して、それは間違っている、間違っていない、
こういう判断を下すこと自体が愚かな振る舞いであるというように言わざるを得ない。
ですからもし仮にあなたが誰かに対して、
いやそれはあっている、間違っているよと言いたいようなことがあった時には、
こうした考え方を持っておくと、
むやみやたらに人を傷つけるようなことをしなくなる。
傷つけるとまでいかないにしろ、あっている間違っていないというように、
自分の考え方を押しつけたりするようなことがなくなるということですね。
教育や指導、教え導いていこうというような考えをベースに持った上で、
そうした意見というか相手に対して話をしてあげるのであれば、
それはしっかりとその意思を相手に伝えた上で言ってあげると、
なお相手が受け入れる土壌を作りやすいので、宣言してから言った方がいいですよね。
でなければこの人は頭をなしに自分の考えを間違っていると断罪する人なんだというように思われることもありますので、
あっている間違っている論争、これに関してはこうした考え方を持ってみるといいんじゃないかなと思います。
ありがとうございました。