はい、どうも、吾輩です。ゆるっとフリートークやって参りましょう。
お酒をね、飲みながらいきます。
で、今、かなり眠いというかね、もう寝ようかなと思ったんだけど、ちょっと喋りたいことがあったんで、LISTENの方で喋ります。
はい、じゃあウイスキー飲みまーす。
本日はですね、誰も自分を助けてくれないという話題でお話ししていこうかなと思っております。
YouTubeのなんか、モチベーション動画みたいなのが流れてきたんですね。
海外の自己啓発的な、有名人とか成功者みたいな人たちが言ってるようなところを翻訳して伝えてるっていう動画でしたね。
モチベーション卿の動画。
で、あんまり僕それ好きじゃないんですけど、そういうの。
でも、ちょっと見てみたら、確かにまとえてるなと思ったんですよね。
誰も自分を助けてくれないみたいなタイトルで、誰も自分を救ってはくれないみたいなタイトルだったんですね。
That's rightですね。その通りですよね。
僕がやってきたことと近いっていうか、同じ考え方なので、結局やるやつっていうか気づくやつっていうのは底値諦めるんだろうなと思いましたね。
諦めるんですよ、結局。この意識の中には自分一人しかいないんで。
わかりますかね。この世界に一人しかいないんですよ、自分っていうのは。
だから究極の孤独ですよね。誰もいないですよ。
事実そうじゃないですか。
僕は僕の意識があって、僕しか存在してません。
なんか、優待離脱とかして他人の意識に入り込めるんだったら、それは他人の意識があるとか、覚悟薬というか証明できるけども、
僕はできてないんで、ということは自分の意識しかないってことですね。
他の人が、なんか哲学的ゾンビ的な話もありますけども、他の人がロボットじゃない可能性とか、他の人が
プログラミングされた何らかのBotでない可能性っていうのを否定できないってことなんですよね。
誰であってもですよ。
友達であっても、恋人であっても、両親であっても、子供であっても、親兄弟、親戚、自分の近しい人であっても、
誰であったとしても、それがBot、NPCである可能性っていうのを完全に否定することはできない。
つまり、今ある確かなものっていうのは僕しかいないんですね。
僕の意識の中ではね。あなたの意識の中では。卿の意識の中では卿しかいない。
だから僕も幻かもしれないじゃないですか。聞いてる中でね。
僕がプログラミングされたロボットで、そういうネット上で発信してる。定期的に発信する。
ただの役割のNPCの可能性っていうのを完全否定することは、あなたの意識の中ではできない。
ただし、僕の意識の中では僕は存在してるんで、
役に入ると僕は僕っていうのを確約できるというか、実存を確認できているってことになるんですよ。
これって僕、自分で考えたのかなと思いきや、これあれですね。パスカルですね。
人間は考える足であるみたいな。
あ、違うな。デカルトか。ごめんなさい。デカルトですね。我思うゆえに我ありみたいな。
僕詳しくないですよ。哲学とかね。西洋哲学みたいな。詳しくないけど、
確かに我思うゆえに我ありっていうのが一番確立なところだなっていうふうに思ってて、
それが僕の言うところのNPC理論とか、
孤独理論ですね。究極孤独理論みたいな。この意識の中には一人しかいないっていう。
だからここで真剣になる必要もないしってことですね。裏を返すと。
じゃあどういうふうにスタンスとして持っていけばいいのかっていうと、
どんなに深刻なことがあっても適当に流せばいいしとかね。
どうせこれ俺が見てる、やってるゲームなんだからみたいな。
ゲーム感覚ですよね。ゲームでやってるんだからそんなに何か起こることがあっても、
没入してもいいし、楽しいから。楽しいからそれ没入して怒ってもいいし、
怒らなくてもいいしっていうふうなところになってくるのかなと思っております。
話がちょっとそれちゃったんですが、
だから自分変えたかったらやっぱりどういうふうに変えられる人と変えられない人っているんですよね。
僕は変えられた側の人間なんですけども、
なんで自分変えられない人がいるかっていうと、甘えてるからですよね、結局。
自責を完全にインストールできてない。
他責っていうのはまだどっかに残ってる。
誰かのせい、誰かが何かをやってくれるみたいなね。
誰かが僕を助けてくれる。
なんか甘えてるんです。世界とか他社とか政府とか現実とか。
いろんなものに甘えてるから。
だから自分ともに立ち向かえてないっていうか、自分に向き直れてないんですよね。
自分の方向き直って、しかと自分の醜いところ、弱いところ、ダサいところを見つめて、
それを受け止めて抱きしめて噛みしめて、なおかつそれを含みながら進んでいく。
それを認めながら進んでいくってことができない限りは、成長なんて何もないし、
だから筋トレもできない。
泣きもできない。続かない。やったとしても続かないってことですね。
これ前回の動画で自分を雑魚だと思えるかってところで言ったんですけど、
それと近いというか、連作ものみたいな感じ、シリーズものみたいな感じで捉えてください。
だから誰も助けてくれませんよ、自分をね。
だったら自分でやるしかないってことですね。
諦めましょうよ、もう。自分以外を。
逆に楽になりますよね、そしたら。
逆に言うと、自分以外のものに何か愛着があるとか執着があるとか申し訳があるとか、
何か甘えてるとか頼ってるから、だからいつまで経っても自分という現実とか、
あるいは自分自身という存在とか、そういったものをグロースしていくことが、成長させていくことができないし、
量子的飛躍、量子ワープとかね、量子ジャンプみたいなところで自分を高いところに持っていくとかね、
もうできないわけですよ、結局ね。
それは他者が介在してるからですよ、詰まるところは。
宗教で言われてるようなことって、
信仰宗教じゃないですよ、もちろん。そんなね。
今世紀に出てきたような、21世紀で初めて出てきたような
ゴミみたいな21世紀とか20世紀で出てきたようなものじゃなくて、
20世紀前からね、2000年ぐらいずっと続けられているとか、
2000年3000年4000年とかね、ずっと言われ続けていることって
真理があるっていうふうに論理的に推察できるわけですよ。
それを否定するのはおかしいじゃないですか、さすがに。
これ続いてきてるんだから、ずっとね。
何かがあるって見るのが一番真摯なというか、
正しい見方だと僕は思ってるので、だから宗教ってところに着目して、
それが解いてる禁欲ってところを真面目にやってますよね。
私は訓業も真面目にやってますよ。
僕的な言い方で言うと、筋トレですよね、訓業に関しては。
筋トレやって、現代的な言い方で言うと、
体が大きくなるからとか、テストステロンが上がるからとか
っていうのもあるんですよ。
体が大きくなると舐められないっていうのもある。
だからこのように有利に進めることができますよね、このゲームっていうのね。
この意識ゲームを。
あとはテストステロンが上がるのでやる気とかも出て、
キャンセル壁とか先延ばし壁みたいなものが消えていくっていうのもあるし、
だからそれが有利に働くわけですよね。
自分の人生を進める中においては。
そういうのはありますよね。
今日本当ちょっとしっぽり撮ってるような形でね。
まとまりがつかないかったんですけど、
今度からも本当にLISTENでもメディアブルのトーク動画でも
顔出ししてトーク動画してる動画もありますので、
興味のある方はですね、このLISTENの概要欄から飛んでもらって見てみてください。
YouTubeでなんでやらないかというと、YouTubeでゲームの統制食らってるからですね。
こんなね、YouTubeで今チャンネル登録者13とか14人しかいないんですよ、今。
にもかかわらず、なんかこうヘイトスピーチ扱いされて、
何て言うんだろうね、警告とか受けまくってるんで、
だからもうやめましたね、YouTubeで。
本音の話をするのは。
筋トレ動画とかしかやらないですね。
筋トレのVlog的な記録動画とか、
あとは筋トレ系の話題とか、
あるいは本当にペット、犬とか猫を撮るとか、
自然の美しい風景を撮るみたいな、
本当のVlog、本当の味気ないものしかYouTubeでは残さないので、
だからこのLISTENではもちろんこういうふうにトークで喋りますけども、
顔出して喋ってる動画聞きたいって方は、
メディアブルっていうところで顔出しのトーク動画してますので、
そちら気になる方もご覧いただければなと思います。
筋翼者の顔ってどうなの?
150日やってる人?
オナ禁?
300日?
過去には300日やった。
今は150日やって、筋トレは3年ぐらいやってるっていう。
やつの体とか顔ってどうなってるの?
顔つきってどうなの?
オーラってどうなんだろう?
見てみたいって方は、
ぜひそちらの方も覗いてみてください。
今回の話は覚悟を決めなきゃならないですね。
誰も助けてくれないってことを、
誰も自分を助けてくれない、救ってくれない、
一人しかいない。
僕の言い方で言うと、この世には一人しかいない。
僕しかいない。俺しかいない。
あなたしかいないんですよ。
言ったら、卿しかいない。
自分の意識の中においては。
だから、そのことをさっさと受け入れるってことですね。
辛く厳しいです、もちろん。
辛く厳しいし、寂しいし、
本当に根源的な恐怖というか、
根源的なすごく冷たさみたいなものがありますね。
これが真理なんですよね。
真理って冷たいんですよね。
冷たくて、辛くて、厳しくて、鋭利で、
何かこう、禍々しいさすらも感じられるような騒音さがあると。
それが真理でございます。
その真理を飲み込めたものだけが何かいい思いをするんだよとか、
何て言えばいいんだろうな。
引いては、この現世利益というか、
物質社会も立ち回っていけるんだよってこと。
サバイブしていけるんだよってことですね。