2024-09-07 10:13

知識が先か体験が先か

どちらが先でもいいです。判断する練習を普段からしておくといいと思います。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、知識が先か体験が先か、というテーマで話をしていきます。
はい、知識か体験か、
どのような物事にせよ、知識を先に得るのか、体験を先にするのか、これが起こっていますよね。
これは、どちらが先であれば良い悪い、よしよしのことではなくて、
どちらかを先にしなければいけないんだ、というような固定観念があるようなことがあると、
何をするにも極端なことになってしまう。
それから、活動、行動に制限がかかってしまう。
こうあらねばならない。知識を先に習得しなければならない。体験を先に行わなければならない。
このようにですね、考えてしまうようなこと。
それは、どちらが先であった方がいいのかというような考え方、そこに至るまでの経緯は、
その人それぞれではありますが、大きく分けると、知識ですね、何かを知っていたり、
勉強でも何でも、そのようなことで褒められてきた経験がある。
それによって認められてきたという経緯がある。
このような場合は、知識が先に来た方がいいというような傾向になります。
また反対に、肉体を動かす、運動神経がいいとか、体を動かすことによって褒められたり認められたり、
そのような経緯がある場合には、体験が先に来た方がいいというようになります。
繰り返しになりますが、どちらが先に来たら良い、悪い、
そういうことではなくて、発生した事案に対して、
どちらが先行した方が、この事案に対しては効果的なのか、判断する必要がありますよね。
例えばね、机とか椅子とか、最近の家具って組み立てるのが主流だと思うんですが、
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このようなことを説明書をしっかり先に読んで、つまり知識を先に得てから手を付けるのか、
もしくは説明書を読まずに、先に手を付けてわからない部分があったら説明書を読むのか、つまり体験が先に来るわけですよね。
こうした日常の事柄、これに関しては知識が先に来た方がいいのかな、それとも体験が先に来た方がいいのかな、
こうしたことをですね、考えてみるというようなことを普段からしていると、それが習慣になってきますかな。
もとより何か知識を得てから、学習をしてから、すべての物事に取り組んでいた。
けれどもそれはひょっとすると、あまり得策ではなかったのかもしれない。
何事をするにも、まず体験をしてから、身をもって経験をしてからでないと何もわからないんだ、そのようなことを考えていたけれども、
ひょっとすると、先に知識を得てからの方が効率が良かったんじゃないか、このようなことにですね、気づけるわけです。
ひょっとすると、コミュニケーションを取るというような場において、今、たまたま出会った目の前の人と、
相手の出方を伺ったり、身につけているものを隅から隅までチェックをしたり、
その人がどのような人間なのかというようなことを観察して、まずその人に対しての知識を得てから対応をするのか、
それとも、そうしたことは脇に置いておいて、まず自分から話しかけてみるのか、
この人にはどちらで対応しよう、このようなことがですね、自然と思えてくるようになります。
あとはですね、何か目的がある、ゴールがある、ただ今そのゴールがよくわからない。
よくわからないから、先に体験をしに飛び込もうというようにやるのか、
ゴールがわからない、わからないからわかるまで考えて知識を得てからにしようとか、
これもですね、状況によって異なりますよね。
その物事、出来事が緊急かつ重要であったならば、知識を得ているような状況ではないでしょうし、
思いはさずね、まず飛び込んで体験をしに行かなければならないような状況があるかもしれませんし、
言葉選びというようなところで、会話に今一つ積極的でないなんていうような場合もあるかと思うんですけれども、
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この言葉遣いが合っているのか合っていないのか、正しい日本語なのかどうなのか、
そうしたこともですね、思い悩んでこの人に対してはそうしたわずかなミスも許されないから先に知識を得るのか、
それとも多少であれば後から調べればどうにでもなるというような場合であれば先に体験をするのか、
正しい日本語なんていうのはね、私の個人的なことですけれども、
後から知るようなことがですね、多いなと思います。
昨日の話、会話と会話の間に会を挟むというような話をしたんですけれども、
それをね、自分の中でサンドイッチ和法で名付けようって昨日思ったんですよ。
ただ、そういえばサンドイッチ和法ってあるのかなって調べたら、あったんですよ。
マイナスのことをね、伝えたいのであればプラスとプラスに挟んで言うというような、
こうした言葉があったんですけれども、何か専門的な言葉だとか、
用語というんですかね、業界特有の言葉だとか、
こうしたものというのはその言葉からあるものを連想できる漢字みたいなもんですかね。
漢字って一目見たら意味がわかるじゃないですか。
それと似たようなもので、専門用語というのもその専門用語一つ、
例えばこのサンドイッチ和法であれば、それを見たら、
これはマイナスを言うんだったらプラスとプラスの間に挟んで言う言葉なんだなと連想するような、
題名というんですかね、タイトルというか、
そんなようなものなので、自分がわかっていればいいと思うんですよ。
それを使うあなたがわかっていればいいと思うんですよ。
本来こうして発信をしているような場合だと、
何か間違ったことを伝えてしまうと、聞いた方も間違ってしまうかもしれないと、
そのような懸念もないことはないんですけれども、
気づいたどこかのタイミングで間違ってましたので訂正しますと言えば済むことじゃないですか。
ですから、昨日の話でサンドイッチ和法という言いましたけれども、
それは本来マイナスのことを伝えたい場合にプラスとプラス、
これに挟んで言うといいよというようなことに既に命名がありましたので、
私の会話と会話の間に会話を挟むというようなことは、
サンドイッチ和法Ⅱと呼ぶことにしました。
もう何の話してるんだって感じですよね。
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すみません、ちょっと飛びすぎましたね。
つまり何が言いたいのかというと、
知識が先なのか、体験が先か、
これはどちらが先に来ても、どちらが後に来ても、
それは正しいとか間違ってるとか、いい悪い、そうしたことではないです。
これは全ての物事がそうだというように決めつけるのではなくて、
何事も知識を先に得なければいけないんだというようなこと、
もしくは体験が先に来なければいけないんだということ、
そうではなくて、起こった事案に対して、
これはどちらが先だったらより効率的なのかな、
こう考えることによって、活動、行動に制限がかかる。
今は知識がないからやるのはやめておこう。
体験が足りないからやるのはやめておこう。
このようなことになることが少なくなるかと思います。
どちらでもいいんです。
ということで、今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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