2024-05-16 10:44

コミュ障は頭がいい

コミュ障という言葉は人には使わないほうがいいと思います。はいdon't think. feelです。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、
コミュ障は頭がいい、
というようなテーマで話をしていきます。
コミュ障ね、頭がいいんですよ、と。
このね、コミュ障っていう言葉、
コミュニケーション障害、
これ誰が考えたんですかね、
このコミュニケーション障害っていう言葉。
あんまり望ましい表現ではないんですけれども、
障害っていうほどの言うことかと。
コミュニケーションって言ったら技術ですから、
その技術力がない人のことを障害とは言わないじゃないですか。
ただね、望ましくはないんですけれども、
伝わりやすいっていうことにもなってしまってるんでね。
世間一般的に言うと、
コミュ障っていう言葉自体が、
標準語みたいな感じになってますもんね。
分かりやすい言葉という。
そういうところでね、今回はあえて、
テーマにコミュ障っていう言葉を使ったんですけれども。
このね、コミュ障は頭がいいというところで、
頭いいんですよ。
これはね、なんでかっていうのは、
考えすぎてしまうがゆえに、
コミュニケーションを取ることが億劫になっている。
そういう人もね、多いじゃないですか。
頭がいいがゆえに、
考えられてしまうから、その先を考えすぎてしまうから、
だからこそ素直に言葉が出てこないと。
だからこそコミュ障となってしまっていると。
技術を向上させていけばいいんでね。
その技術力を培っていくっていう部分でも、
頭が良ければそれは有利というか、
やればできる人ばっかりなんで。
コミュニケーションが苦手だっていう人は、
やればできる人なんですよ。
やればできる子。そうなんです。
まあ、経緯を持ってですけれども、
決してね、卑下してるとかそういうことじゃないですよ。
例えばですけれども、その辺の、
アホっぽいヤンキーって言うんですかね。
ヤンキーモドキというか、
チャラチャラしてるような雰囲気の人が、
そういう人がコミュ障ということって、
ほぼないと思うんですよ。
その辺のね、アホっぽいヤンキーがコミュ障ということ。
これはね、ほぼないと思うんですよね。
一人でそういうことをやってる人あんまりいないじゃないですか。
トトーを組むというか、
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何人かでね、そういう集団というかね、
見かけることもあるかと思うんですけれども。
言ったらね、コミュニケーションに関しては、
本当に経緯を表してなんですけれども、
何も考えてないから、
何にも考えてないからなんですよ、
そういう人たちっていうのは。
コミュニケーション、
人と意思疎通を図るっていう上で、
その程度の差はありますよ、それは。
どういうレベルで、
人とコミュニケーションを取れているのかっていう、
その程度の差はありますけれども、
意思疎通を図るというところで、
その辺のですね、
アホっぽいヤンキーが、
何回も言いますけど、
その辺のね、アホっぽいヤンキーがね、
コミュ障ってこと。
これ、何も考えてないからこそ、
そういう状態なわけじゃないですか。
だから、何も考えてないからこそ、
コミュニケーションが取れるんですよ。
そういう人たちは。
まあね、そういう彼ら彼女らも、
ゆくゆくはね、
精神的な成長をしていくにつれて、
そうではなくなってくる。
そうではというような、
アホっぽいヤンキーではなくなっていく、
と思うんで、
そのね、成長していくにつれてね。
これはもう実際の年齢というよりは、
精神の年齢ですから、
それはもう魂のレベルというところでね、
生きていれば多少なりとも、
成長はしていくと思うんで、
もう敬意を持って言わせていただきますけれども、
何も考えてないからこそ、
素直に、
ストレートに表現をするからこそ、
コミュニケーションではないと。
だからこそその、
言ったら逆というかね、
また異なる人種として、
頭がいいという。
頭のいいあなたはコミュニケーションである。
ゆえにというね。
ゆえにそうなんですと。
ここは、
その部分に関してはね、
自信持ってくださいと。
自信持ってくださいというのも変ですけれども、
コミュニケーション取れないから、
自信持ってくださいというのも変なんですけど、
そういうことなんですよ。
考える前に、
まずやるっていうことが、
先を想像してしまって、
怖くなってしまうから、
こうなるだろうなっていう、
今までの経験則に基づいた、
その結果を想像してしまうから、
現時点であまり、
コミュニケーションが得意ではないという場合には、
何か過去に、
そういうですね、
囚われている経験か、
何かがあって、
嘲笑の的にされたりだとかね、
そういうことがあったのかもしれません。
また同じことをしたら、
同じようになってしまうのではなかろうかという、
先をですね、考えすぎてしまうと。
そういうことがですね、
主にしてあると思うんですよ。
ただこれはね、
その、
先の、
彼ら彼女らにですね、
学ぶという意味でも、
誰からでもね、
学ぶべきことはあるんで、
そういうね、
何も考えていないような人たちにも、
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学ぶべきことっていうのはあって、
それはですね、
考える前に、
行動する、
タイプの人が多いと思うんですよ。
これはね、
アホっぽいヤンキーに限らず、
いうのですね、
なだたる、
経営者の人たちだとか、
誰もが知っているような人たちというかね、
そういう人たちも、
のきなみに言ってますからね、それは。
考える前にやると。
コミュニケーションももちろんそうなんですけど、
やってから考えた方が、
効率がいいじゃないですか。
まずやってから。
何かこう、
頭で考えていても、
先にですね、
進むっていうのが。
実際の現実は何も変わらないですから、
頭で考えているだけだと。
頭がいいから考えられてしまうんですけれども、
それの影響もあって、
やる前に考えてしまうと。
そうではなくて、
あえてアホになって、
その殻を破って、
考える前に、
やると。
やってから考えた方が効率がいいですよと。
この何をやるのかって言ったら、
今までこう、
学んできたことというね。
そしてまあ、今もね、
学んでいること、
そのコミュニケーションを取るにはというね、
言葉を、
多少なりともかじってきたのであれば、
それはですね、
実行していますかというね。
最近ですね、
その読んだ本で、
非常に、
興味深い文言ありまして、
興味をですね、
注がれる。
確かにその通りだなっていうような、
文言があったんですけれども、
その本の中のですね、
言葉を使わせていただくと、
知識。
知識は経験の準備。
知識っていうのは、
今こうして学んでいることも含めてですよね。
その知識は経験の準備であると。
で、
経験を伴わない知識は、
これは哲学に過ぎない。
経験を伴わない知識は哲学に過ぎないと。
そして、
その知識を伴わない経験は、
無教養だと。
知識を伴わない経験は無教養なんですって。
それで、
知識を得て、
それを経験して、
さらに感情に取り込むと。
こういうことをすると、
いいですよというね。
そんなような文言があったんですよ。
これは確かになるほどそうだなと。
何でしたっけ?
経験を伴わない知識は、
哲学に過ぎない。
知識を伴わない経験は無教養だと。
これはもうセット、
だっていうような考えもできますよね。
経験も知識もそれはもうセットなんだと。
だからこうして、
学んでいる知識、
どうしたら話すとか、
コミュニケーション、
これを取るためにはと。
そういう得てきた知識、
これは頭で考えて得た結果ですよね。
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知識、頭で考えていることって言うんですか。
知識っていうのは頭の中にあること。
その知識を経験として外に出すと。
考える前にやるってことですよね。
もう得たものをそのままやってみると。
考えても現実は何も動かないんで。
その知識を得たらそれをやってみようと。
経験をしてみようっていう。
これをセットでやるなんていう。
確かにそういうことだなぁと。
思ったんですよ。
漠然と考えてたことが、
ふと文言になって自分の眼前に現れるっていう。
そんなようなね、
私にとってもこれは一つ、
経験になったんですけれども。
そういう考え方もあるなと。
いい言葉だなと思ったんでね。
ちょっとシェアしたいなと思って。
なんでね、そのコミュニケーションは頭がいいというようなことで。
これは頭がいいがゆえに考えすぎてしまいますよと。
言ったらその辺のね、
アホっぽいヤンキーがコミュニケーションってことは、
まあほぼないと思いますから。
まあいい意味で何も考えてないからなんですと。
頭がいい人は考える前にやるということは、
考えすぎてしまってやらないので、
それはもうやってから考えましょうよ。
そのほうが効率がね、いいですよというね。
まあそういうことです。
まあなんでもね、
まあ行動して初めて変わるもんなんで。
現実はね。
その現実を変えていきましょうよと。
考える前にやろうというね。
そういう話です。
ということで、今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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