00:01
拝啓、3000年の人類へ。私は、こう考えます。
トークテーマをトークしたい。
はい、ということで、今回なんですけども、コラボ回ということで、お二人の方に来ていただいております。
簡単に自己紹介をお願いします。
はい、じゃあ、不安だらけのクソみたいな日々を過ごすという姉妹ポッドギャストをやらせてもらっている平山と申します。
コバリです。お願いします。
お願いします。
はい、今日はこのお二人に来ていただいてトークをしたいと思っております。
今回なんですけども、我々お互いに1テーマずつ話してまして、我々後半編ということで、我々の方ではトークテーマというところをトークテーマにするという、なかなか器用でやっていきたいと思っております。
トークテーマといえば、まず一番最初に思い当たるのは、我々もそうなんですけど、アンカーさんから毎月トークテーマが3つぐらい出ていて、我々もそちらに参加をするんですけども、
皆さんどういったところでトークテーマを思いついたりとか選んだりしてるかって話をしたいと思うんですけど、
お二人はいつもどういった時に、今日これ話したいなとか、こういうことを話そうかなっていうのを思いついたりされるんですか?
これは基本的にコバリーの方がいつも考えてるんですよね。自分が考える時もあるんですけど、コバリーの方が多いですね、我々は。
なんか2人のディスコードの中にトークテーマを貯めていくチャンネルがあって。
今ディスコード見せてます、今。
そこに思いついたら、わーって書いていくみたいな。
なんかね、まずはたくさん話せそうなこと、話が盛り上がりそうな、2人が好きな話。
過去回で言うと、リアリティーショーとか、牛澤みたいなゲーム実況の回とかがあったりして、
あとはなんだろうな、なんか、冷算されてることとか言葉みたいなものに対するアンチテーゼみたいな、
価値を提供するって言い回しおかしいよねとか、
なんかここでまだ喋ってないネタで言うと、
言語化とか、ニーズとか、なんかいいように使われてる言葉だけど、
それって本当に何かを作ったりする上で本当にいいことなんだっけみたいな、
いう感じで設定してますね、トークテーマ。
そうだね。
なんかお二人のチャンネル、今見せていただいてますけど、
本当に単語だけを羅列してるっていう。
そう。
03:02
そうですね。
だから投稿された時には、どういうことを具体的に話したいのか全く分かんないです、お互い。
で、後から撮る時、まとめ撮りとかする時に、
これって何だったの?って聞いたら、
これはさ、これこれこうって、
ちょっとだけ触り聞いて、
それはめっちゃ面白そうだね、みたいな。
たまに言ってくれる時もある、
ちょっといつもの単語に添えて言ってくれる時とかもあって、
そういう時は、面白いねとかリアクションするんですけど。
何で思いついたかも忘れちゃうこともたくさんあるからね。
そうだね。
例えば自分の人材開発って挙げて、別にこれ撮ってないですけど、
人材開発は何で思いついたんだっけな。
なんかよく企業で言われるじゃないですか、これとか。
でもなんか、人を開発するってなんか偉そうだな。
まあそうだろうなと思ったけどね。
人材もやだな、なんか。
そうそうそうそう。
しかも人材の材はあっちの財閥の材にするケースとか見ません?
はいはい。
そうそうそう、あるんですよ。
人は価値のあるものだからみたいな、材料じゃないんだみたいな。
それはそれで貴重いっていう。
そうそうそうそう。
どちらにしても貴重い。
どちらにしても貴重いっていうので、これは覚えてましたけど。
でもそういうなんかもやもやする言い回しは、
自分たちへの反省の意味も込めてみたいなところもあるよね。
そうそうそうそう。
使っちゃいがちみたいな。
有名会っていうのがあるんですけど。
ありましたね。
有名な小説家がいてみたいな紹介の仕方をしたときに、
有名ってなんだよみたいな。
ただでも自分たちもすごく使っちゃうよねみたいな。
そういうちょっとね、日々の疑問っていうかなんか、
うーんって思ったことをテーマに話しましょうかみたいな感じですけど、
逆にお二人とかはどうなんですか?
我々は一応ラジオのテーマとしては、皆さんにもお伝えしてますけど、
西暦三前の人類に向けて話すっていうところがあるので、
ひとつテーマとして挙げてるのは未来というか、
必ずそのテーマを選んだプラスそのテーマの先みたいなところを話そうっていうのを
意識はするようにしているんですけど。
いいですね。前向きですね。
本当に同じこと思った。
俺らめっちゃ後ろ向きなのよ。
社会にね。
社に構えてね。
でも未来に向けてっていうポジティブな要素があるから。
と思うじゃないですか。
でも未来ってポジティブな要素だけじゃなくて、
06:00
僕はポジティブ寄りの考えをするのが多いんですけど、
相方のしゅんちゃん、今黙ってますけど、
彼はディストピアの方が好きで、
よくディストピアの話をしてますね。
そうですね。
過去に将来はみんなメタバースに移住して、
現実はなくなるみたいな話をしたことがあるんですけど。
あれだ。つくよみの話だ。
そうそう。
無限つくよみ会。
そう、NARUTOの無限つくよみっていうのがあるんですよ。
聞いてます?小林先生。
はい。
今一番大事ですよ。NARUTOの話を。
そうそう。聞きました。聞きました。
でもあれがあるし、答えないんじゃないかみたいなところもあるので、
未来イコール平和とは限らない。
それが一番平和な可能性はある。
確かに。
全然社会的に見ても脅かされてる状況もありますからね。
やっぱり戦争も起こってますしね。
そうですね。なのでバランスを取れてるのかもしれないんですけど、
僕は結構未来に対しては、いいことも結構たくさんあるから、
期待する分もあるんじゃないと思うんですけど、
それはどちらかというと影の部分を見つめて話し入れるってところで、
インとビョーのバランスが取れてるのかなと思って話をしてますね。
でも確かにそのね、期待を持ちすぎてしまっても、
持ちそうにならなかったらがっかりするし、
あまりにもネガティブに考えすぎても前向きに行きづらいしっていうので、
確かにそこのバランスは良さそうですね。
そうですね。
あとトークテーマってところで、どういう時に思いつくかっていうんですけど、
僕はどちらかというと、先にいろいろこう考えておいて、
こういうの話したいんだけどっていうのを伝える部分なんですけど、
どちらかというとしゅんちゃんの方は、
即興的に今これ思ってるんだけどいいっていう感じで言ってて、
ここも結構反対というか、対照的なところかなと思いますね。
これはあっちゃんにムカつかれることはあるんですが、
そうなんですか。
僕、あまり収録の時間以外、あまり時間を避けてなくて、
収録の時にあっちゃんがテーマを持ってきて、
あっちゃんとテーマ喋ってるうちに、
これ喋ろうかなっていうのが思い浮かんできて、
それを次に撮るみたいな。
なるほど。
だからあっちゃんは舐めてるんかっていう。
なるほど。
でもトークテーマがトークテーマを呼んでくることありますよね。
ありますね。
そうですよね。
そういった形で我々最初今日2本だけ撮ろうみたいな感じで集まるんですけど、
気づいたら5本撮ってるとか、
すごい。
これも話したいんだよねみたいので、
最初1時間、2時間だけって言ったら4時間撮ってるみたいな。
すごい。
我々そこまではないかもね。
普通に雑談して終わってる時とかあるけど、
撮ろうって言って、
収録しないと。
そうです。
収録しようって言ってんのに、
普通に酒飲みながらやってて、
いいか今日は。
09:03
妹だからね。
対面でやってないから。
そうそう。
会ってないからその気軽さがっていうのはあると思うんですけど。
確かにそうですね。
でも我々、
そんなに長く撮っているけど、
さっき前半の方で自己紹介でも話し合ったと思うんですけど、
そういう意味ではトークテーマでキャッチボールしてるみたいなところも多分あると思ってて、
今お話し合ったと思いますけど、
トークテーマがトークテーマに呼んでくるみたいな形で、
他といろいろリンクする話をよくしてるのかなっていうのもありますね。
他っていうのは過去回とかっていうか。
過去回とのリンクもありますし、
他の周辺テーマっていうんですかね。
実は最近もサーリーマン戦獣って話を出していたんですけど、
それも僕がたまたまいつやってるのかなって見たときに、
ちょうど今月だっていうのでやろうと思ってやったんですけど、
それプラス僕が未来のサーリーマン戦獣どうなんだって話をしたんですけど、
そこで結構いろんな周辺のやってることとか仕事とかも含めてリンクがあったので、
いろいろ呼び込んできたのかなというふうに思いますね。
そういう決めきらないところもやっぱりいいですよね。
あるものを受け入れながらやられてるっていうのも広がりがあったりとか、
自分たちが計画しきれないところを受け入れてるっていうのは、
なんかいいよね、いいなって思います。
前向きだなって思っちゃったのは、
私は結構撮り終わって数日後に、
うわー、あの時あれ喋ればよかったみたいなことが多い。
だから外伝なのか、その2なのかわかんないけど、
そういう形で撮りたいテーマがいくつもありますね。
撮ろう。
撮りましょう。
我々はそのトークテーマを出がらしになるまで、
喋り終えて終わりみたいなのが結構多くて、
次じゃあこのテーマに行こうみたいなんですけど、
そういう意味ではどっちがいいんですかね。
テーマをちゃんと刻んでいくのが聞いてる人にとっていいのか、
それとももう1個ちゃんとやりきった方が来やすいのかというと、
どうなんでしょうね。
どうなんでしょうね。
でも2人はテーマが今日これだから、
これから外れるものはあえて喋らないでおこうっていう風にしているわけでも別にないと思うんですよ。
それもそんなないけど、でも話を戻すことはありますね。
あまりにもこの前なんだっけ、何の回だったっけ。
何の回だったかは全然関係ないのにまたバチロレっていうのを話してる。
何の回だったっけあれ忘れちゃったけど。
でもそうずっと同じこと話してはいるよね、どんなテーマでも。
12:01
そうね、逆に言うとね。
どんなテーマでもいや余白が大事だよねとか。
確かにそれはあるかもしれない。
効率ばっかりじゃねみたいな無駄なこともねみたいな話に最終的に落ち着いちゃうから何でもいいんだよね多分。
結局そこに落ち着かせたい。
さっき言ってた話とかも、多分余白の話で決めきらないで手枯らしが出るまで喋り続けるっていうのは状況を受け入れてるよねっていう余白があるよね。
無駄なことって言うよね。
全部落ち着いちゃう。
昨日お二人の方の最新回の感想をつぶやかせていただいたんですけど、
その時もすごい思ったのが、最近情報多すぎてお腹下しちゃいそうになる。
軽く触っただけで楽しんだと思って次どんどんホップしていって、
Twitterのトレンドも1時間単位で全く違うの出てくるし、
多分今年の1月とか2月の流行ったのとかお二人とか覚えてます?
1月2月?
1月2月?
1月2月なんやこれ。
コロナは流行ってた。
ボケですよ今の。
記憶がもう飛んじゃってるんですね。
1月2月って何がありましたっけ?
プーチンが戦争を追っ始めたりはしてましたからね。
戦争、そうね。
ありますし、
我々もトークテーマに話してましたけど、
ウィルスミスという方がリンタしちゃったとかね。
そうだ、あれぶつ切りかもし出しました。
ちょっとごめんなさい。
インパクトの強いものがポンポン来すぎちゃって、
残らないんですよね。
自分で考えないからですよね。
労働を消費しちゃうから、
自分で考えたり意味を見出したりしないから、
記憶にも残らないんだと思う。
食べ物とかも、
美味しいもの食べてるはずなのに、
何も残らないみたいな感じ。
その感覚ちょっとありますね。
そういった中で、
ちゃんと1つのテーマに対して、
雑談形式でも何でもいいんですけど、
考えて話す機会っていうのは減っちゃったのかなって。
そういった意味で、
僕らラジオやっててすごくよかったのは、
あることに対して、
我々はこう思うよねとか、
こう考えられるよねとかっていう、
我々の考え方で、
物事を見えるようになったのかなっていうところは、
トークテーマとかやっててよかったなと。
後で聞き返してみても、
それは確かにそれは思ってたし、
次これ言うんだろうなって思ったことが、
自分の口から出てきたりとか、
自分の回聞いててもやっぱ思うんで、
15:00
やっぱそういう振り返りみたいな、
振り返りっていうと仕事っぽいですけど、
そういうふうな自分の思考を確認するっていう文脈でも、
結構その音を残す、
声を残しとくっていうのは、
ありだなっていうのは思いますよね。
そうですね。
当時のニュース番組を見たところで、
当時の人たちがどう思ってたかって、
残らない。
そういう意味で、
こういうポッドキャストとか、
ラジオっていうのは、
結構大事な資産になるというか、
確かに。
ニュースとかも、
めっちゃ消費視線になって思うんですよ。
見て、誰それが、
結婚した付き合ったに挟まって重要なニュースが、
入ってくるとかするじゃないですか。
同じテンションで見ちゃうんですよね、全部。
で、しかもパーソナライズされるじゃないですか、
見てたら。
だから、結婚とか見てたら、
付き合ったスタンダードばっかり出てくる。
ああ、みたいな感じなんで。
それもやっぱ消費してるから、
この事件、
事件のこととかね、
なかなか話しづらい部分もありますけど、
だから、
ウィルスミスの回とかも話されてて、
すごい結構勇気の得ることだろうし、
すごいなって思いましたし、
それが当時思ったことが残ってて、
また10年後とかご自身たちで聞かれて、
どう思うかとかもあるでしょうし。
いや、結局ポッドキャストいいよねって話かな?
いいですか?
ああ、もちろんもちろん。
消費される情報と、
されない情報みたいなところについて話したいなと思ったんですけど、
僕はそもそもインプットすることが好きじゃないんですよね。
基本的に、
要はニュースとかって、
結局その、
今覚えてないっていうことは、
もう価値がなかったわけじゃないですか。
じゃあ半年前にドヤ顔でニュース見てた人は、
全く無意味なものをその時取得して、
その後それを流していったと思ってるんですけど、
一方で小張さんはインプット大好きなわけじゃないですか。
それがどこで線引きされると思うかみたいな、
どういうインプットは価値があって、
一方でそのニュースとかで過ぎ去っていってしまったものは、
意味がなかったなってなったのであれば、
どこに差があるのかっていうご意見をお聞きしたいです。
いや難しいですね。
なんかでも、
知ってることが多い方が、
新しく入ってきたものに対しての解像度が変わることもあると思うんですよね。
そういう意味では、
大事なインプットっていうのは確かにあるとは信じていて、
純粋に何かを受け取るとか、
自分が感じたままをみたいなのは、
僕は幻想だと思ってて、
何かに自分の過去だったり、
自分が過去を受けてきたものに、
少なからず影響してしまっているので、
そういう意味でいろんな情報って言っちゃうとあれだけど、
自分が過去に感じてきたことだったり、
18:01
読んできたものみたいなのから、
感じることが変わるというか、
解像度が変わるのかなと思ってますけど。
ありがとうございます。
なんか急に質問しちゃったんですけど、
要はあれですよね。
例えばプーチンさんがウクライナ攻撃しましたっていうだけの情報を、
周辺知識がないままでインプットすると、
それこそ意味のなかった過ぎ去った情報になってしまうが、
そもそもウクライナとかはどういう関係性があって、
どういう状態でプーチンさんはああいう意思決定をしたのか、
というところまで知ると、
それが過ぎ去る情報じゃなくなるという。
そういうことですね。
そうですね。
やば。
どうしたかな。
僕の質問が悪かった。
でも多分、
そこまでウクライナとの関係性とか、
プーチンがどう思ってるかっていうところまで、
情報を取りに行ってるときって、
多分割と能動的に取ってるか、
やっぱり主体的に取ってると思うんですよね。
そういうときって、
やっぱり知識が身につきやすいけれど、
それが情報をわーって聞いてる中で、
引っかかったときにアクションできると、
情報がより沈殿しやすいというか。
だから結局さっきの話も、
そういうニュースが入ってきたときに、
背景知識を知っているが故に、
それに対して意見を持てるというか、
こういう考えで戦おうという意思決定をしたんだな、
っていうところに関しては、
インプットではなくてアウトプットやから、
そこで知識がつくってことですね。
そうですね。
自分からアプローチかけに行くきっかけに、
何かなるっていう意味で、
でもあれよね、
本とかめっちゃ最近流し読みしたいぐらいのテンションで、
いつも言ってる。
流し読みを。
で、ポッドキャストもね。
流し劇。
流し劇。
で、そこに何だっけ、
でもそれでも何か、
心に残るものがあればみたいな感じで、
だから消費というよりかは多分浪費なんだろうね、きっとね。
暇と退屈の倫理学から参照すると。
そう、だから消費は良くないと思うんだよね。
プーチンが戦争始めましたっていう情報を消費するだけだと、
文字通り情報を消費してるだけで、
そこから何か考えるのであれば、
それは消費ではなくなるというか。
で、考えるためには他にもいろんな情報が必要だよねっていうインプット。
そうか、だからアウトプットなのか、
何かをちゃんと考えるみたいなことは。
そうだね。
21:00
考えるだけでもアウトプットになっちゃうという。
でも確かにそうかもしれないね。
紙とかに起こしたりとかした方がより情報は整理される、
自分の頭の中は整理されるんでしょうけど、
考えてるだけでも割と確かにいいのかもしれない。
でもそう考えた時にさらに知りたいなって思うのが、
そのインプットがアウトプットになる瞬間っていうのがやっぱり、
どこなのかなっていうところで、
アウトプットになった時に価値が出ますよねっていう結論かと思うんですけど、
じゃあどこまでやればそこに行き着くんだみたいな。
ちょっとのインプットでも、
頑張ってアウトプットにつなげることができるのか、
しっかり積み重ねないとそこまで行き着かないのかみたいな。
ところが気になりますね。
知的好奇心とかにもよるのかね。
自分の関心事がそこにあれば、
多分ああって思うだろうし。
でも多分知識不足でのアウトプットっていうのが、
陰謀論な気がするんですよね。
確かに確かに、それもそうっすね。
確かにな。
だから深さが違うよね、そのアウトプットの。
1個だけの情報から考え方が決まっているのであれば、
こうですよねってなって、
もっといろんな周辺の情報とか、
別の立場からの見方とかを検証した上でのアウトプットは、
やっぱり深いし陰謀論にはならないはずで、
っていう差が出るかな、インプットの量によって。
例えば今俺が、
わかんない、こんなこと言っちゃうと、
ケンカ売ることになるかもしれないですけど、
情報の消費を促してるなって思うのは、
中田敦彦のYouTube大学は結構情報の消費につながる気がしてて、
最初の手段としてはすごく良かったんだと思うんですよ。
学校で学んだけどよくわからなかったようなことを、
もう一度面白くコンテンツとして見ようっていうのは、
多分いいと思ってるんですけど、
やっぱりあれって結構知識に偏りがあるなとは思っていて、
それを見たときにその情報を得た上で、
ちゃんと現状に当たる、
参照してる本に当たったりとかし始めると、
ちょっとやっぱり濃度に疑いにかかってるというか、
なんか自分も何回か本読んだことがあって、
あそこ経由で、
そういう知識は若干身についてたりとか、
若干ですけど、
とかはあったりするんで、
気になるかもっていうきっかけとして見る、
見る姿勢も大事かもなっていうのはやっぱり思いますね。
ファスト映画もそうですけど、
結局編集されたものって、
その編集した人の思維的なものというか、
思想が入っちゃうので、
24:00
それが全て正しいと思っちゃうと、
それはもちろん陰謀論になっちゃうんですけど、
結局二次情報でしかないから、
ちゃんと一次情報が当たるっていうのは大事ですよね。
一つ思ったのが、
今の時代っていうのは、
インプットのハードルが下がりすぎたのかなって。
それはなんかある気がしますね。
昔は一定の努力をして、
それこそ字を頑張って読むとか、
昔の司書からしたら普通かもしれないけど、
そういう一定の努力、一定の知識陣のみがインプットできたものを、
今はそのインプットのハードルが下がりすぎたが故に、
誤ったアウトプットが増えているのかもしれない。
それは分かった気になっちゃうっていうか、
気持ちいいじゃないですか、分かった気になると。
自分はよくありますけど、
分かった気になってただけなのか分かってなかっただけなのか、
やっぱありますけど、
そういうのをちゃんと疑うというか、
自分の分かったつもり、
完全に理解したっていう、
エンジニア界隈ではよくある、
完全に理解したっていう、
あれをどれだけ疑うかっていうのは、
結構大事なのかもしれないですね。
入りたての時が一番分かった気になりますね。
そうなんですね。
うおーやば、全部理解したわ。
そうなるけど、
何もできない。
そこからが大変。
それは結構いろんなことに言えるかもしれない。
確かに入門書っていう本結構増えましたよね。
しかもなんか、
例えば、哲学者の名前入門みたいな本って、
もうちょっと硬いけど、
入門書のさらに入門書みたいなのが多分増えている感じがあるけど、
どう?そんなことない?
入門書の正しい読み方は、
入門書読みまくるっていうのが正しい向き合い方で、
いろんな入門書を読むと、
いろんな立場からの何かが分かってくるというか、
おぼろげに見えてくるみたいなので。
そうね、やっぱり入門書でも難しいじゃない?
ああいうのって。
難しい?難しくない?
入門書なんか難しいイメージあるんだけど。
何の入門書の話?
例えば、何だろう、
俺が一回最初の数ページでやめたのは、
アレンと入門とか。
その時はもっと知識がなかったから、
今もそんなに読めないと思うけど、
やっぱりちょっとこう、
ここ最近国文先生がスピノザって本出されたけど、
ちょっと読めんのか俺ってやっぱり気持ちに、
あれが入門なのかどうなのかなんもわかんないけど、
やっぱりちょっと入門書自体も難しいイメージがあるから、
さらにハードルを下げたものを漫画で分かるとかね。
あれだけ読んでるとやっぱり良くないから、
27:01
あれをきっかけにしてさらにもうちょっと奥に、
入門書からどんどん奥に、
行きたければ入っていかないといけないのかなみたいな。
確かに。
哲学者一人にフォーカスしてるやつだとやっぱりこう、
流れがわかんないから、
過去にどんな思想があって、
今じゃあアレンとだったらドイツはこういう状況で、
アレンとがこういう立場だったから、
こういう思想が生まれましたみたいな感じ。
全体の流れとか文脈がわかって、
初めて何か理解できるみたいな感じだから、
アレンとってこういう思想なんですって、
いくら簡単に言われても、
それが自分の知識としてはあんまり根付きにくいというか、
暗記になっちゃう。
アレンとはこういうことを考えた人でした。
それって哲学だけじゃなくて、
美術とかでも言えると思っていて、
美術も何とか派とかいろいろいっぱいあるじゃないですか。
あれも一つの絵を見て、
綺麗って思うのはもちろんあるんですけど、
全体の歴史の中で、
どういう人がどういう理由でこれを描いてるかとか、
当時の時代背景がどうかっていうのはわかっていくだけで、
その絵の解像度が格段に上がって、
見え方が全然違うんですよね。
そうですよね。
はい。まさにそういう形で、
入門するのはいいんだけど、
その後ちゃんと道場に行けよと。
うん。
大まけですよね。
確かに。
だから自分とかもやっぱり、
自分は本当に絵は全く、
美術系は全くわかんなくて、
たまに展示会とか展覧会とか行って、
見ますけど、
やっぱりなっちゃうんですよね。
そこのハードルが高い、
自分からしたらハードルが高くて、
自分にはあんまりわからないものなのかなとか思って、
諦めちゃうっていう側面もあるんで、
そういうのに対して、
もうちょっとラフな感じで、
入門させてもらえるようなやつがあったりとかすると、
こういう人間からすると楽ではあるんですけど、
そういうふうな楽しようとしてる人間、
自分みたいな人間が、
楽できるわって言って楽して、
俺も全部わかったみたいになってると、
お前みたいな感じになるんだろうなって思うんですよ。
そこがむずいですよね。
大事なのは、
楽しいかどうかだと思うんですよね。
どっちが楽しいと思いますかっていう話で、
いろんな文脈とかを知った上で、
解像度高く物事を考えられるのと、
何かで読んだものの答え合わせみたいに見るのと、
どっちが楽しいですかって言ったらやっぱり、
より楽しむにはいろんなことを知ったり、
いろんな文脈を知った上で見たほうが楽しいよねっていうのが、
結構私がずっと思ってることですかね。
最近気づいたこと。
なるほど。
ちょっと言いたくて。
言ってください。
哲学と美術に関しては、
30:01
逆にインプットあんまりいらないんじゃないかなと思っていて、
例えば歴史とかを知る上で、
誤った考えを元にとか、事実と違うとかは、
嘘になるのでダメなんですけど、
哲学とか美術は、
もちろん解体知識を知った上で楽しむっていう方法もあれば、
知らなくても楽しめる数少ない分野だと思っております。
思想とかに関しても、
人の思想を知ってしまうと、
もうその思想は自分で生み出せないわけじゃないですか。
っていうのがちょっと機械損失な気がしていて、
自分で例えば、
僕はこういう信念を元に生きよう、
なぜならこうだからって自分で生み出せるわけじゃないですか。
その思想について、哲学については。
美術についても、この作品の背景っていうのは、
実際の事実としての背景があるんでしょうが、
それをどう見るか自分の自由なわけであって、
なので自分の自由な発想の機械っていうのを、
失ってしまうんじゃないかという意味で、
そういう知識をあまり入れたくないっていうか、
っていう派ですね、僕はっていう。
意見が違うのも素晴らしいと思うんですけど。
逆にそこで変に知識が入っちゃうと、
自分の思考の阻害を受けてしまうから、
でもそれ逆にすごいですよね。
自分そこまでワーって思えないから、
多分ちょっと知りたいなとか思っちゃうと思うんですけど、
そこから自由に発想ができるっていうのがそもそも、
これはもうすごい社会の目を気にする人間なんで、
この絵、今隣で見てる人は何を持って見ているんでしょう?
変に思っちゃうんですよ。
逆にそこでちゃんと作品とかと対話ができる状況に
慣れてるっていうのがそもそもすごいなっていう。
個人的な。
それこそ美術館に行って美術を見るっていうことだけが
全然アートだとは思っていなくて、
例えばですね、今この机の上があるわけじゃないですか。
いろんな想定ができる机の上が今あるわけですよ。
聞いてる人に言うならば、3人が今一緒にいるわけですが、
これ伝えていなかったと思うんだけど、
平山さんとあっちゃんとしゅんちゃんが今一緒に収録をしていて、
っていう状態で、そこに机がありますと。
平山さんの家なんですけどね。
真ん中にマイクがあって、
それぞれがコーヒーのものを置いてるっていう状態なんですけど、
例えばここで女子会が行われていたってなったら、
33:03
いろいろなストーリーが生まれるわけですよ。
それが美術を見るときと同じ状態だと思っていて、
要はそこに作品っていうきっかけだけがあって、
その先は自由なわけですよね。
っていうのも楽しみ方の一つなんじゃないかなって思います。
そうっすよね。
なんかね、気になっちゃうんですよね、周りがね。
本当にそうあるべきだと思って。
別にここがこの3人がいてっていう話じゃなくていいわけじゃないですか。
もともと3人がいてっていう話じゃ全然なくて。
っていうことなのかなって。
想像とかイマジネーションするほうが好き?
そうですけど。
なのかな?
いや、そうっすよね。
ちょっとなんか反省しちゃって。
いやいや、どちらも正しいと思いますよ。
いやいやいや。
バランス大事だと思いますけどね、その辺り。
まあまあ、確かに。
結局なんか自由に表現していいよって言うけど、
自由に表現するために必要な表現力というか、
ラベルとかって持ってないと使えないものじゃないですか。
なんかよくわからないけど何とかだとか、
例えられるってことは何かしら近いラベルを持っていると思って、
それがない人はただ美しいとしか言えない。
と思ってるんですね。
それは本当にその通りで、先ほどの話で言うと、
そもそも女性という概念を知らなければ、
その機会はできないですね。
多分どっちも多分限界があって、
どっちか限界を迎えるとそっちにシフトするっていう、
そういうやり方がいいのかもしれないですよね。
そのラベルを張り続けると多分、
ずっとラベルの周辺をとか言って探してると、
結局知識量がなさすぎて発想が凝り固まるから、
ちょっとそっちの自分の空想の方にバーって入ってってみたいな、
そういう。
なんかこんな話なかったっけ?
勉強の哲学とかでそんなこと言ってたの?
まあね。
千葉雅康さんとか、
古文広一郎さんとかも言ってるかもしれないけど、
純粋な発想とか表現みたいなのを疑うみたいな。
結局そこには自分が過去に感じて、見てきたもの、
インプットしたものみたいなのが、
少なからず影響される。
なんかすごい同じこと言ってる気がする。
ごめんなさい。
後も言わせてしまって。
でもね、
結構その純粋に楽しむとか、
知識を持った上で楽しむみたいなので、
結構自分でも葛藤することはありますね。
どっちが正しいとか間違ってるとかじゃないですけど、
本当はどっちがいいんだっけって自分で思うことは。
社会に決められてる感覚があるのか、
それとも自分の気持ち、こっちがいいって思ってる方の
36:04
強さの度合いがどっちかみたいな。
なんかいいイメージか分からないんですけど、
何か木があって枝が伸びてるじゃないですか。
そこにぶら下がりたいなと思った時に、
ブランコを作るっていう概念を持ってる方がいいのか、
自分で考えてブランコを生み出す方がいいのか、
どっちなんだろうっていう。
伝わりますかね。
そもそもブランコっていう概念を知ってる上で、
木にあれ面白かったからここにも付けちゃおうっていうのがいいのか、
自分で手でぶら下がると疲れるから何か棒を付けて、
ブランブランした方がいいのかなっていう形で、
発明する側の方がいいのかっていう。
でも文脈によるのかもしれないですよね。
本当にまじで何もないところからつまんなすぎて、
こうやってぶら下がってる時に、
これもっと振られたら面白いんじゃない?ってひもつけたとかっていう感じになるのか分かんないですけど、
っていう発想が別のところであって、
次に街を、そういう風な環境を離れた時に、
あ、俺すっげえ面白いもの知ってるぜって言って木にぶら下げる時も、
多分それはそれで価値を生むんだと思いますし、
あ、そこでやったらすっごい面白くなるからちょっと俺作るわって言って、
それはそれでその人がヒーローになるんだと思うんですけど、
文脈による気もしますよね。
多分全く同じものもできないでしょうしね。
ブランコとかだと、でもブランコでも多分見る景色も変わるし、
それこそイマジネーションじゃないですけど、
揺れてる時の風景とかまたそういうのも違うだろうから、
それはそれで同じものを作ったとしても、
乗ってる人はまた感じ方が違って、
それぞれの楽しみ方を見出せるとかあるから、
一概にどっちがいいっていうわけでもなく、
状況によるのかな。
多分僕は新しく作るっていう方に、
喜びを感じるから、
じゃあブランコって知らないほうがいいやっていう側なんですね。
ブランコを知ってしまっているが故に、
ブランコを自分で生み出したっていう喜びを見られないのかなって。
私の場合は多分ブランコを知った上で、
ブランコじゃないものを作る。
そうなんですよ。
僕それ言おうと思ったのが、
知識があるとその上に行けるというか、
全てを知った上でさらにその上を行けるから、
例えば日本の最先端の研究をしている人っていうのは、
全ての知識を得た上で、
さらにその上での活動をやってるんで、
その方が偉大なんですけどね、確実に。
だからそもそもブランコを最初に作る人は、
39:00
別の何かのものを持っててブランコを生み出してるんですよね、きっと。
木に何か引っ掛けたら揺れるっていう知識を持ってる。
そうそう。
これはトークテーマ回なんでしょうかね。
こんなもんですよ。
いやでも楽しかった。楽しいですね。
実際トークテーマ考えるときに、
どういう発想でやるのがいいかっていうところに繋がってくるかなとは僕は思っていて、
外から得てきて、これってどう思うっていう考え方もできるし、
何も見ずにこのトークテーマ面白そうだから、
答え合わせをしてみようっていう考え方もできると思うんですよね。
そういった意味で我々はどっちもやってるんですけど、
トークテーマを考えるときに、
お二人も多分考えると思うんですけど、
今後どういうふうに作ってみようかなっていうところの一つの考え方になったかなと。
いやでもそうですね、
どっちかっていうと、
基本的に社に構えて、
社会を斜めに見て、
何だかなって思ったやつをただ羅列するみたいな感じではあったんで、
確かにもうちょっと発想豊かに考えてみるのも面白いかもなっていうのはちょっと思いましたね、確かに。
はい、ありがとうございます。
結構喋っちゃいましたね。
すごいですね。
時間を見てはいたんですけど。
そうですね、最初そうですね。
もうちょっと今表示されてる時間より短い気がしますけど。
結構話し尽くしたのかなと思いますね。
大丈夫ですか?こんなんで。
大丈夫ですよ。
すごく楽しかったです。
刺激的でしたね。
でもすごい楽しかったです。
あんまない視点で話してもらえて、
すごいありがたかったです。
お二人の考え方が流れてきて、
すごい刺激になりましたね。
前半戦は爆笑しまくってて、
すごい楽しかったです。
こっちはこっちで考えるっていう。
ちょっと大丈夫でしたかね。
我々ほら爆笑するチャンネルなんで。
どちらかというと穏やかに話されてると思うので。
両方とれるってことは分かったのがいいってことで。
確かに確かに。両方いけます。お互い。
ということで今回こんな感じなんですけども、
こちらのチャンネルで今この話をしてるんですけど、
一つ前の方でも話をしてまして、
これは自己紹介ということで、
皆さんでお話しさせてもらってますので、
ぜひ不安だらけのクソみたいな日々を過ごすの、
チャンネルの方でもどうぞお聞きください。
お願いします。
ということで最後に何かありますか。
ないです。
じゃあ終わりにしたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
42:02
ということでエンディングです。
今回なんですけども、
不安だらけのクソみたいな日々を過ごすの、
実際にポッドキャスターさんの方と一緒に会ったりと、
リアルでお会いしてコラボをしました。
今まで僕らは身内であったりとか、
どちらかというと間接的に参加をするっていう機会が多かったんですけども、
実際にポッドキャスターさんの方と一緒にお会いして、
お話できてすごく楽しかったですね。
もともと出会いはポッドキャストウィークエンドで、
向こうから姉妹らしさだと思ってますって言われたところから、
実際に今回お話しさせていただいて、
本当に姉妹だなってすごく感じるようなお二人で、
実は平山さんとは飲みに行かせてもらって本当に楽しかったです。
ありがとうございましたって言うのをここで言っておきます。
今回は本当に姉妹っていうか、
本当に同じポッドキャスターとして、
すごい親近感を覚えるような相手とコラボできて、
僕らもすごく楽しい時間を過ごしましたし、
今回こちらの方は後編ということで、
トークテーマをトークテーマとしてお話しさせていただいたんですけども、
向こうのポッドキャストの番組としても、
前編の方で自己紹介という話をしておりまして、
そちらめちゃくちゃゲラゲラ笑っておりまして、
こちらと対照的にすごいいろんな顔が見せられたのかなというコラボ会でした。
どうでしたか、今回一緒にお話で。
そうですね。
多分向こうからすると、
こちらではちょっと真面目な面見せちゃったなっていう感じになってますし、
不安だらけのクソみたいな日々を過ごすさんの方で、
我々のゲラゲラした部分っていうのをいつもいいように出せたのかなっていうところで、
ぜひ向こうも聞いてくださいというところですかね。
そうですね。
今回はすごく楽しい時間を過ごさせていただいたので、
本当に感謝をしております。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ということで、今回はこの辺にしておきたいと思うんですけども、
現代人の皆さんも、未来を生きる未来人の皆さんもまた次回お会いしましょう。
さよなら。
さよなら。