異文化と自己発見
今回はですね、書籍、ヘタレ人類学者、砂漠をゆく、この本をめぐる読書会の記録がありまして、そのメモとか文字起こしをもとにして、皆さんの議論の中から、特にこう、響くであろうポイントを掘り下げていきたいなと思ってます。
読書会では参加された方々が、インドでの経験、フィールドワークですね。それを通して感じた文化による感覚の違いとか、あとは、こう、自分自身とどう向き合うか、みたいな、いろいろな気づきを語り合っていました。
なので、異文化理解とか、自己発見につながるようなその確信の部分を、一緒に探っていければなぁと。
そうですね。身体的な、あるいは心理的な距離感であるとか、文化によっても全然違う当たり前の問題。それから、自分自身が壊れるっていうのは、こう、一体どういう経験なのか。こういったテーマについて、読書会で出た、あの多様な視点からその本質に迫っていけるといいですよね。
ええ。まず、面白いなと思ったのが、文化による身体感覚の違い、特に人との距離感の話ですかね。日本だと、こう、パーソナルスペースを結構保とうとしますけど、インドだと、もっとこう、近いというか、あと、歩き方一つにも文化が出るっていう話もあって、例えば、日本人の歩き方って、あの着物文化の影響があるんじゃないかとか。
それで、海外だと、それがちょっと弱そうに見えちゃうかもしれない、なんていうのは、興味深いなと思いました。
ああ、なるほど。姿勢を正すだけで、襲われにくくなる、なんて話も出てましたね。
そうそう、ありましたね。その身体的な現れ方っていうのが、事故の示し方にもつながってくるんでしょうね。読書界の中でも、インドだと、見た目とか振る舞い、そういう記号がすごく大事にされる。一方で日本だと、言葉の裏を読むみたいな、文脈重視ですよね、っていう対比がされてました。
なるほど。警備員の例なんかもありましたけど、何をもって存在感があるとか、効果的とするかっていうのが、文化で全然違うんだなと。
そういう異文化の中での体験、フィールドバグですよね。それが事故発見にどう結びつくのか、これが次の大きなテーマになってくるわけですけど。
90年代の記録が、今になって本になった背景には、当時の出版の状況もあったみたいですけど、でもやっぱり記録を残すこと自体の価値っていうのも語られてましたね。
そうですね。そして、この本で繰り返し出てくる鍵となるのが、「壊れる」っていう経験ですよね。
読書会でも、著者が電車の中で不意にワーッと涙した経験。これを壊れたって言っていいのかどうか、結構意見が分かれてたみたいで。
それが単なる感情のかかぶりなのか、あるいは事故の内面に向かうある種の暴力性なのか、それとも他者との関係性の中で自分を捉え直すプロセスなのかとか。
もしくは、「壊れる」というよりは、むしろ本当の自分に気づいて世界の見え方がガラッと変わる。そういうきっかけなんじゃないかみたいな、結構深い考察もありましたね。
なるほどね。自分を開こうとして相手を理解しようと思ったんだけども、気がついたら自分の期待みたいなものを相手に見てしまっていて、結果なんか裏切られたように感じちゃうっていう。
これは異文化に触れるときに多くの人が経験することなのかななんて思ったり。
読書界のメモには、著者の視点を力を持たないもののある種臆病なオリエンタリズムではないかなんていう鋭い指摘もありましたね。
文化の瞬間と自己の再認識
オリエンタリズムですか。西洋が東洋をちょっとエキゾチックに見てしまうあの視点ですよね。ここでは力関係が逆になっていると。
そういうことですね。他者と深く関わろうとすると、初めて自分の境界というか枠みたいなものが見えてくる。
日本みたいに同質性が高い社会だとなかなかその境界で意識しにくいんじゃないですかね。
確かに。
読書界の中ではインドでの経験を通して著者が自分自身も他者もあるがままに受け入れるという方向につながったんじゃないかなんていう解釈も出てました。
自己需要と他者需要ですか。それから最後に儀式とか社会の規範っていうテーマも出てきましたね。
インドの29歳っていう節目と儀式の話があって、そこからじゃあ日本ではどうなんだろうって話になって成人式とか卒業式とかそういう通過儀礼が形だけになってきてるんじゃないかと。
だから個人個人で人生の節目を自分でデザインしていく必要が出てきてるのかもねみたいな議論もありました。
それと同時に異文化を理解する上でなんというかロマンチックな面だけじゃなくて現地の人たちが持っているリアルな力とか、
時には暴力性みたいな側面もちゃんと見ないと本質は見えないよねっていう指摘もすごく重要だと思いました。
なるほど。
なんか安易な理想論じゃなくて社会の既存の仕組み、例えば仲介みたいな中間的な役割の人の存在意義とかそういうのを理解することが大事なんだっていうのも議論の中では強調されてましたね。
こうして今回の読書会の記録を改めて見てみるとやっぱり異文化との出会いってすごくパワフルだなと感じますね。
それは単に相手の文化を知るっていうだけじゃなくて、なんていうか自分自身の価値観とか社会の見方そのものを根本から揺さぶって再構築させる体験なんだなと。
まさにそうですね。身体の感覚とか自己表現の方法、社会のルールみたいな普段は全然疑わない当たり前がグラグラ揺さぶられる。
その経験を通じて初めて私たちは自分自身の輪郭を知るというか、そして他者とより深く豊かに関わる方法を見つけ出していくのかもしれないですね。
えー、あなたにとって自分を壊すような経験ってどんなものでしょうか。そしてもし全く違う価値観を持つ人とか文化に触れたとき、ご自身の境界をどのように感じてそれをどう乗り越えていきますか。この機会にちょっと考えてみるのも面白いかもしれませんね。