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あのさ、そう言って語り始める無数の私たちの話。
とるに足りないとされるかもしれないけど、それは私たちにとっては大切な話。
たとえ分かり合えなくても、言葉を紡いでいくことで見えてくる地平があるのかもしれない。
そんな可能性にかけて、まとまらない話を、結論のない話を、解決策のない話をひたすらに重ねていく。
で、今日は、何、何、読書会って言うの?こういうの。
分かんないけど。
どうなんだろう。
なんか、
本読む会。
うん、本読む会。
本読んだ会。読んで感想言う会。
語る会。
そうそう。
っていう感じで、えっと今回は、
村田沙耶香さんの金庫を読みました。
読みました。
はい。
いくつかね、候補をあげてくれて、りょうちゃんがお互いアクセスできる本で、
お互いそれぞれ読みたいと思ってた本みたいな感じで選んだけど、
どうだった?
いきなり入っちゃうのもあれだけど。
なんか、めっちゃ久しぶりに村田沙耶香さんの4番。
なんか、久しぶりっていうか、これ2冊目で、
あ、ほんと?
コンビニ人間しか読んだことなくって、
あ、そっかそっか。
なんか他の作品もよく本屋とかでは見てたんだけど、
なんか、あ、そう、あと中古でなんだっけな、
生命式っていう本かな。
私も最近読んだ。
あ、ほんと?
そう、それは買っているけど、本棚に積木になってて読んでなくって、
だからなんか今回この本読む会をするにあたって、
久しぶりかつ2冊目の本を読んだっていう感じで。
うんうん。
コンビニ人間とまただいぶ違うんだよな。
なんかコンビニ人間の記憶も薄れてきちゃったんだけど、
だいぶ前だよね、コンビニ人間。
なんか、この短編の、
っていうか特にこの表題作の進行が、
なんというか、
なんか読み進めるにつれて、
03:03
なんかいろいろ自分がこう、
信じてるとまでは言わないけど、
自分が当たり前だと思ってることとか、
あるいは自分が好きなこととか、
っていうものへの、なんというか、
感情が揺らぐ?
それが、なんて言うんだろう、
今までこう思ってたけど、そうではなかったんだ、みたいな、
そういう単純な揺らぎ方というか、ことではなくって、
なんかわからなくなる。
自分がそうだって思ってたことが、そうじゃないのかもしれないのか?
みたいな、グラグラする感じ。
あれ?みたいな。
そうそうそうそう。
っていうのがあって、
なんか普通に長編で読んでみたかったって思っちゃった。
なんか結構終わりが、
個人的な印象として結構唐突に終わってしまったような気がして、
なんかこの続きが読みたいって思っちゃった。
どの短編も、私も短編って知らなかったからさ、
どの話も結構その先があるっていうかさ、
かなりその次、主人公がいろいろクライマックスを迎えて、
で、はい次どうなるっていうのを読者に任せてるみたいなところもあるのかもしれないけど、
なんか同時に結構もっと、
この村田さんどんな感じに話を進めていくんだろうみたいなのを見たいなっていうのがすごいあって、
確かにその読者に任せるっていうのもすごいいろんな読み方にオープンっていうかさ、
それもすごいいいと思うんだけど、
村田さんってやっぱりすごい独特の世界を描くからさ、
どんな感じで話を進めていくんだろうみたいなのがすごい興味深いっていうのもあるよね、確かに。
私もそれをすごい思った。
最後のさ、唯一何というか、
短編としてこの長さがしっくりきたのは一番最後の、最後の展覧会っていう作品。
すごい綺麗にこう。
なんかこれって図録のために指定されたテーマで書き下ろした作品。
だからなんかこの表題、表題作じゃない、この最後の展覧会のタイトルの下にドイツ語でタイトルが書いてあるのはなんか不思議だなって思ってて。
06:03
本当だ。
そうしたら一番最後の書室のところの情報で、
なんかこの最後の展覧会は、
ドイツフォルクバング美術館開館100周年特別展のルノワール・モネ・コーギャン
浮遊する世界のイメージの図録のため、
松片浩二郎とカール・ヘルンスト・オストハウスの架空の出会いをテーマに書き下ろした作品っていう風に。
本当だ、書いてあるね。
そうそう。
なんかこれだけ唯一この短編、この短い作品としてなんか一番しっくりきた感じ。
他の作品は、なんか単編が良くないってことではなくて、
なんか終わり方がゾワゾワするっていう。
なんか不穏な感じを残して終わるみたいな感じで。
なんか村戸さんの本ってなんか全部私そんなイメージ。
なんか直前にすごい連続で生命式読んで、生命式の前に地球星人ってやつを読んで、
次の日に生命式読み終わって、それで2日後ぐらいにリオちゃんとズームして、
でなんか次進行読もうかみたいになったから、すごい村戸さんの世界観にこう浸ってる時だったから、
なんか余計にすごいその書き方っていうか、村戸さんの描く世界観みたいなのがすごいずっしりのしかかってくるっていうか、
この進行を読んで、そこそこまでにやっぱり積み重ねてたっていうのもあるし、
なんかすごい、さっきリオちゃん言ったみたいに、みんなが自分たちが当たり前と思っている、
それぞれの個人が当たり前と思っている自分たちの世界っていうものを片っ端から壊していくみたいな書き方というか、
ストーリーもだし、書き方もだし、なんか直接すごい問われているような感じがするっていうのがすごい一番。
なんかさ、普通にただ読むだけで、こういう考え方もあるよねとか、見方もあるよねとかじゃなくて、
なんかすごい直接的に感覚みたいな不穏な感じとか、わからない感じとか揺らぐ感じみたいなのがすごいグワーってくる。
感情的に自分に直接降りかかってくるみたいな印象がすごいあって、
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他の作品もだし、この作品もだし、そういうのがすごい一番感じたかな、これ読んで。
なんかやっぱりこの短編集の中でも一番ドワドワしたのはやっぱり氷大作のこの進行。
なんか結構このカルトとか、カルトだけじゃなくても、
スピリチュアル系のものとか、あとは全然そうじゃなくて、何か一つのことに熱狂している人とかに対して、
なんかそうではない、そういうものを持っていない人から見て、何かに一つのことに熱狂している人って、
何それみたいな、ちょっとバカにされたりとか、なんかそんなの嘘に決まってるじゃんとかいう形で、
なんかあしられがちなんだけど、でもなんかその人たちが何か例えば教祖を信じるとか、ここで信じられていることを信じるっていうことだったり、
っていうことと、なんか自分がこの作品の中でも、例えば結構値段がするけど美味しいものとか好きで、そのためにわざわざそこに行くこととか、
なんか、何だろう、ここの製品はすごくいいから、これこそ分10万、分100万みたいな感じですごく高い値段がつけられても、
それって安いじゃんって思えてしまうことっていう状況がどれだけ違うのかっていう、
あるいはこの作品の中の主人公が、なんかそういう高い値段がつけられていることに、それをいいって思ってしまうことに、
なんていうか、共感ができない。この原価いくらだと思ってるの?みたいな、そうやってある種の現実みたいなものを見せつけていくっていう、
なんかその現実が正しいって信じてる、このみんなそれぞれにある種のものを信じてる、そこに何か差が果たしてあるのか?みたいな、
なんか普通に何にも考えずに、なんかその図式だけ見たら、そんな宗教ハマる方おかしいじゃんとか、
そんなステリチュアルなものにハマるのも、なんかもうちょっと冷静になればわかるじゃんとか、わからないけど、
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そういうふうにバカにできるのかっていう、なんか問いみたいのがある気がして、
だからなんかこの作品読んでいくうちに、なんか何かを知らず知らずのうちに信じてる、これが正常である、
こういう状態は異常だっていうふうに分けてる、なんかその境界線自体をグラグラさせていく感じがすごい小説の中にあって、
なんかそれに私は結構ゾワゾワして、なんか自分が普段何気なく生活していて、
無意識に正しいと思ってること、実際には正しいことがないっていうのは頭でわかりつつ、
それでも習慣として遂行してることとか、なんか不意に出てきた言葉とか、
そういうものって何かしらを拠り所にしていることがほとんどだから、
なんかその時に自分のさしてることとか考えていることそのものもグラグラさせてくるみたいな感じがして、
めっちゃ不穏な衝撃だと思った、いい意味でね。
うんうんうん、初っ端からそれだったからね。
この衝撃がでかすぎてさ、なんかその後の作品も全部読んだけど、やっぱり最初の印象がでかすぎて。
すごいね、確かに。
私もなんか、最初読み進めていくうちは、
自分もすごい主人公と似たところがあって、やっぱりそういう、何だろう、
現実が正しいじゃないけど、現実を見なきゃみたいな感じの感覚がすごい、
普段自分にもあるんだなっていうのをまず一番感じたっていうか、
主人公として、やっぱり主人公が他の宗教にハマる人とか、
そういう高いものを買う人たちに対してのジャッジメントを普段の会話の中で発している時に、
最初のうちは、読み進めていく最初のうちは、
これ普通じゃんみたいな、逆にこれをこんな風にあがめて高いものを買うのがいいみたいに考えている。
それを信じて、逆に宗教をバカにしている方がおかしいんじゃないかみたいに思っていたけど、
どんどん読み進めていくうちに、主人公自身の、何だろう、現実主義みたいなもの自体が宗教に見えてきて、
みんな同じじゃんみたいな、みんなそれぞれ自分の宗教、
一緒に宗教を作ろうみたいな感じでできた人が一番まともに見えるというか、
そんなアイロニーみたいな、何だろう、エンディングだったし、
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自分的にも最初に読んでた時の印象と、やっぱり最後にたどり着いた時の印象っていうのが、
すごい自分の中でも変わって、自分の中でも感じられたし、物語自体の中でもすごい変わっていってたけど、
それぞれ、みんな個人が信じる世界って他の人に体験させることできないじゃん。
やっぱり自分の今までの経験だったりとか、学んできたこととか、周りから言われてきたことみたいなのが、
そういう自分の価値観とか現実、それこそ自分のフィルターとして自分の中に蓄積されてるわけだから、
やっぱりそれの外に出るって、なかなかできることじゃないし、
やっぱりそれを考えると、それぞれのキャラクターが自分たちの世界で、
自分たちの信じてるものを信じ続けながら生きてるみたいなことに対して、
良い悪いとか、あと優劣をつけたりとかすることができないんだっていうのを、
すごい上手く描いてたっていうか、その過程みたいなのもやっぱりすごい上手かったし、
自分がやっぱり主人公が正しいと思っているところに最初は共感させつつも、
最後に言ったら、あのね、主人みたいな感じのエンディングになるところもすごい、
自分の現実とかその世界とか他の人たちの価値観とか信じてるものに対して、
自分はどう、逆にジャッジしたりとか、コメントっていうかさ、
どういう風なアプローチをしてるんだろうみたいなすごい考えさせられたし、
でもそれってなかなか自分じゃなくなることってできないから、
そこからどう抜け出すことができるのかとか、逆にそこを越えて人とつながることって、
どうしたらできるんだろうみたいなのもすごい考えて、やっぱりそこまでは書かれてないし、
そこから先をやっぱりそれぞれが考えることなのかもしれないけど、
やっぱりそこをすごい自分なりに悩むまではいかないけどすごい考えさせられて、
ずっと思うと、どうやったらそういうことができるんだろうみたいな、
やっぱりりょうちゃんさっき言ったみたいに無意識じゃん、
普段考えてることとか習慣とか、口癖とか、そういうものってやっぱり無意識の中で、
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行われる作業だったり流れだったりするから、そこから出てくことってやっぱりなかなか難しいし、
仲のいい友達とか、普段会う人たちみたいな中にいると、やっぱりみんなそれぞれが相手として受け止めてるわけだから、
そこの外に行くことってなかなか難しいし、どうなんだろうみたいなのもすごいずっと考えてるっていうのがあるかな。
なんかこの一回ぐらぐらになった境界、というか境界が全て曖昧になった後で、
じゃあどうやって自分の目から見える世界を認識していくのかとか、
どうやって自分が見てる世界とは異なる形で世界を見てる人と一緒に繋がるのか、関係を構築していくのかって、
でかい問いよね。
別に。
一緒のテーマかもしれないけど。
なんかその意見の違いとかそういうレベルじゃないじゃん。
それもそこから来てる一つの例としてあるかもしれないけど、それ以外のもっともっと大きなものとして、
個人がそれぞれが信じてるものみたいなところを模索していくかみたいなところもすごいあるよね。
でもその繋がり方もやっぱ違うじゃん人によって。
だからそこもやっぱり難しいし、なんかすごい超複雑だけど面白いけど、なんかめっちゃもう自分の世界とか信じられないよね。
なんか揺らぎまくりみたいな。
でもなんか絶えず揺らがせてほしいかもしれない。
自分がこり固まりたくないっていうのもあるし、
なんか自分が考えてることとか言ってることを自分自身信じきりたくないみたいな。
でも一方で、なんかまるっきり不信というか何も信じないっていうこともできないし、
なんかこれはそれでまた違う態度だなとも思う。
なんかそのバランスもなかなか難しいよね。
どうやってその間っていうか、
確かにその状況とかその置かれてる環境とかやってることによって、そういう不審の度合いみたいなのもやっぱり変わってくると思うし、
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なんかそういう、なんかそういうのって自分の中でうまくバランスが取れてたりするのかなって思いたいけど、
でもやっぱり同時に、なんか自分の信じているものに対する疑いってなかなか自分の中から生み出しにくい。
だからやっぱりそこを外からやっぱり全然違う世界から見て、
他者がこう、素敵じゃないけど、こういう違いがあるんだみたいなのをコメントしてくれるだけでも、
自分の中で、これは違う、こういう違う考え方があるんだとか、自分が信じているあり方以外にも、こんなやり方があるみたいなのもすごい見つけられるし、
なんかそういうのもあって、りょうちゃんと話すのもだし、
いろんな人と話すっていうのは、自分の中での認知、自分の世界が全てじゃないみたいなのを常にリマインドさせるための作業じゃないけど、
本読むのもそうだし、映画を見たりするのもそうだし、
必ずしも自分がいつも安心できる場所にいたいとは思わない。
っていうのはやっぱりそういう、自分に対しての不信っていうか、自分に対しての揺らぎを保ちたいみたいなどこかで、
みたいなのがあるのかなと思ったりもするけど。
さっきむーちゃんが、他者と、他者とって言ったか忘れちゃったけど、
なんか人と分かり合いたいっていう気持ちもある。
でも一方で絶対に他者のことは分からない、分かり合うことはできないっていうのも多分あって、
そのギャップっていうか分からないっていう、そのギャップは多分あえて埋めなくていいはずのもので、
なんかそれはさっきむーちゃんが言ってたみたいに、
なんかそういう自分とは異なる人とずっと関係をつないでおくっていうことが、
自分自身を常に相対化する作業にもなるかもしれないし、
なんかそれが結局誰かとつながるとか、誰かと関係を保っておくっていうことの、
なんか結構意義とか言ったら失礼かなと思うけど、
単純にそれが嬉しいことだったり楽しいことであったりするっていうのももちろんそうなんだけど、
なんか誰かと一緒に自分はあなたのことを分かり切ることはできないって、
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お互いに思うことができる相手と一緒にいるなら、
なんかそれってすごいポジティブなことだなって、
なんか今というか割と近年は思えるようになったなって思って、っていう感じ。
確かになんか私もなんかすごい、なんだろう、
なんかどうせ分かり合えないんだからみたいなすごいしにくいな思いはずっとあったし、
なんかそういうふうに考えちゃうとなんか全てがネガティブじゃないけどさ、
なんかその意味がないわけではないけど、
なんかどうせそこにたどり着くことができないんだから、
なんかそこまでする必要ないよねとか、そこまで関係を築く必要ないよねみたいな感じの考え方とかもすごい、
なんか自分は結構悪い癖だなって自分の中ではすごい思ってて、
でもなんかそれって今なんかりょうちゃんが言ってたみたいに、
なんかお互いがそれを理解した上での関係性っていうのは、
なんかまた違うものになり得るっていうか、
なんかそのお互いがそれ分かり合いなさみたいなものを認識して、
でもそれでもお互いと関係を保つ選択をするみたいな感じの関係っていうのを、
やっぱり常にお互いをやっぱり刺激し合うし、
分からないことだらけだから、お互いやっぱり知りたいとも思うし、
その知ったからといってそれが必ずしも、
分かるっていうところにつながるとも限らないじゃん、
自分の中で例えば全然受け入れられなかったりとか、
会話の中で自分はこういうこと思ってるとかっていう意見として、
一つの事実として知ることはできるかもしれないけど、
それに対して自分が共感するとか分かるみたいなところに
向き合い方みたいなのが生まれるから、
なんかやっぱり長く関係を保つ上でも、
やっぱりお互いすごい変わっていくじゃん、
長く関係保つ間にお互いそれぞれ色んなことがあって、
変わっていくかもしれないけど、
その変化にもすごい柔軟に対応できるというか、
必ずお互いに対してやっぱりそういう理解できないっていう理解みたいなのがあるからこそ、
やっぱり常にちゃんと向き合っていこうみたいな姿勢があるから、
いいなって思った、今りょうちゃんの話聞いてて。
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でもやっぱりお互いがそうじゃないとうまくいかないかなっていうところも。
そう、それはそう、お互いがじゃないと多分、
ていうかそこがキーポイントなんだろうなっていうのを、
なんとなく自分の体験からそう思ってて、
結局いくら自分が、自分はこの目の前の相手のことを100%理解するとか無理とか、
それはできないっていう前提に立とうと思ったところで、
相手が自分のことを分かってるって思い込んでたりとか、
逆に相手がなぜ自分のことを理解しないのかっていう言葉を投げかけられて、
それはすごい暴力的だなって思うし、
どう足掻いても埋められないギャップっていうのは、
もう無理やり力づくで埋めようとするっていうのは、
すごいいろんなものを取りこぼすし、
相手を尊重しない、踏みにじったりするっていうことがあるにもかかわらず、
そういう言葉を投げかけられると、
もうその時点で関係がうまく、
自分がどれだけ2歩3歩下がったところで、
そのギャップを相手が無理やり飛び込んでくるみたいな感じだと、
どうしたらいいのかみたいになってしまうし、
それを結局自分自身のことで変えられることは変えればいいし、
でも逆に自分自身のことでももちろん変えられない部分はあって、
でも相手のことってもう変えようがないし、
それを力技でなんとかしてやるっていうこともできないし、
それでなんか自分が逆にそのことにイラついて、
相手に暴力的になるのもやっぱり望ましくないし、
なんかそういう時の関係って、
どちらかが我慢し続けるか、
どちらかというかお互いにもうその環境破綻させるか、
みたいな二択しか本当にないんだろうかっていうのが結構今考えてることで、
なんかもしその究極の二択しかないのであれば、
なんかそれってすごいなんというか選択しようがないし、
なんかもちろんもういいわってなって、
すぐ切れる相手であればいいけれど、
そうではなかった時とか、
自分がそこまでは望んでない時って、
なんか他にどういう選択肢を考えられるんだろうっていうのを今考えてる。
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なんかそういう時って、
例えばなんか自分がその例として、
例えば今りおちゃんが例として、
自分が二歩三歩下がって、
でも相手が飛び込んでくるみたいな環境が、
状況があったとして、
その相手に自分のそういう考えというか、
自分の人との関係性に対してのアプローチとかを説明した時に、
なんかそういうのって理解してもらえるのかな。
なんか私もこういう話あんまりしないから、
やっぱり自分のすごい親しい人と以外は、
だからやっぱりそれ以外の場所ではなく、
うまく流してるみたいなところもあるのかもしれないけど、
例えばそういう状況にあったとして、
相手にそれを説明して分かってもらえるのかみたいなところ、
私はまず最初の問いっていうか、
それをうまく説明できないよね。
特に相手側が考えたこともなかったりしたような場合だと、
なんでそんな冷たいの?みたいな感じになったりもするし、
ある程度のそのギャップだったり、
分かり合えない部分っていうのはそのままでいいと思いつつ、
でもいろんな考える出発点がそもそも違う、
共有している前提が何もないっていう時に、
そこで会話をしたところで、
どこまでその関係をマシな方にできるのかっていうのがすごく難しいし、
話している言語が同じであっても、
持っている言葉が違うとか、認識している言葉が違うっていう感覚がすごいあって、
話してるはずなのに噛み合ってない。
で、それってどうすればいいんだろうっていうか、通じないんよね。
そうなんだよね。
相手に泊まれって言っても泊まりが通じてないみたいな感じで。
言語学的には同じ言語であっても、
言葉が違うとか、
その言葉に自分が込めている意味とか、
思いとか感情みたいなのが全然違うから、
なんか話してるはずなのに通じてないし、噛み合わないし、
そもそも会話が成立してないっていう状況になりがちで、
だからそれをどうしたらいいんだろうっていうのが、
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物理的にどうにかすることもできないし、
自分が言葉を尽くしたところで、そもそも持っている言葉が違うから伝わらないし、
伝わったところでその投げかけられた言葉を、
相手がどの程度授与するかっていうのも相手次第のところもあるから。
そうなんだよね。
相手を変えることもできないしさ、
こっちがそれを理解してって言ってるわけではないっていうのを、
理解してもらうところが難しいんだよね。
さっきの話で世界観と価値観の違いみたいな、
みんなそれぞれの世界に住んでるみたいな話をしてたけど、
それを相手に、例えば、
相手に問いを投げかけるところから始めてみるとか、
自分の感覚とか価値観ではわからない世界に住んでるわけじゃん、相手は。
やっぱりこっちができるだけの情報とか、
自分のそういうものについて説明することはできるかもしれないけど、
りょうちゃんとみたいに全然違う言葉を話している、
それぞれの言葉に込めている意味が違う。
相手がもし、
話し合いじゃないけど、
そういう対話みたいなものに向き合いたいと思うんだったら、
こっちから自分の相手側が信じている、
例えば理解とかわかるみたいなものの説明っていうかさ、
自分、私たちが思っているわかるとか理解するみたいな感覚と、
相手が思っている感覚ってやっぱり全然違うわけだから、
相手がどう、なんでそういうふうな、
わかり合えるっていうものについてすごい信じているのかとか、
そういう背景とか理由みたいなものを、
問いも投げかけたいじゃないけど、
そういうところからまた、
それで相手が全然わかり合えないということを わかってくれないかっていうので、
関係が構築できないっていうのもやっぱり、
その一つの、
世界を閉じてしまうような感じになっちゃうから、
36:01
もし相手が、自分のキャッパ的にそういう対話を許容できる相手で、
あまり自分にダメージが来ない、
そういう関係性を築けているなら、
相手側に、なんでそういうふうな、
わかり合えるっていうものについて信じているのかとか、
どういう理由でそういう世界、
価値観とかそういうものについて信じているのか、
聞いてみたいっていうところはあるよね。
そこからまた、全然自分が想像もしなかったような考え方とか、
感覚みたいなものを知ることができるかもしれないし、
全然何も考えてなかったっていうので、話が終わる可能性もあるし、
でもそこでまた違う、
違う繋がり方ができるんじゃないかなみたいなのもすごいあって、
でもやっぱり同時にそこに行くまでもやっぱりなかなか難しかったりもするから、
それは状況とか関係性に応じて考えないといけないけど、
同時にやっぱり自分にダメージが来る相手だったりしたら、
やっぱりなかなか難しいところもあるし。
なんかあまりにも毒だなとか、もう傷つきすぎたって思ったり、
もちろん逃げるっていうこともとても肯定的な選択肢だと思うし、
もう一切の関係を断つっていうことも全然あり得るしできると思うけど、
でもなんか、逃げるとか環境破綻させると、あと我慢するっていう、
究極の二択に絞られない第3の選択肢、第4の選択肢をもう少し考えたいなっていうのがあって、
今聞きながら思ったのも、自分のことを人口にしすぎない?
なんかあらゆることを打ち明ける必要はないけど、
でも同時に全てを開示しないとか、ある程度自分の考えてることとか、
自分が今相手にどう思っているのかっていうことをある程度開示する?
でもそういう関係性にあれば、開示してみるっていうのも、
そこからどういうふうに転がるかは分からないけど、
一つの選択肢としてありだなとも思ったし、
あとは時間に身を任せるっていうのも一つだから、
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なんか完全に断ち切るまではいかないけど、
一旦かなりの距離をとってみる?
かなりの距離?
そこ大事。
なんていうか、完全に断ち切りはしないけれども、
自分にその毒が及ばない範囲まではとりあえず逃げてみる。
あとはちょっと時間に任せてみるっていうのも一つだろうなとも思ってて、
もちろんその時間の経過で自分の相手もどういうふうに変わっていくかは分からないけど、
まるっきり変わらないっていうことはないと思う。
いいにしろ悪いにしろ自分の相手も変わるから、
変わった先でまたどこか接点が生まれるかもしれないし、
新しくつながり得る可能性も出てくるかもしれないし、
っていう微かな希望にかけてちょっと距離を置いてみる。
っていうのも一つなのかなっていうふうに思った。
それ第4の選択肢、第3、第4の選択肢。
でもそれすごい、すごいなんか肯定的な考え方でいいね。
すごい好き。
なんだろう、やっぱり。
全然映すのもなかなか難しいとは思うけど。
難しいけどね。
でもなんか割とやりやすくない?その選択肢、第4の選択肢。
やっぱり完全にやっぱり断ち切るわけではないから、
人との関係を完全に断ち切るって多分すごいエネルギー必要っていうかさ、
やっぱり何かしらの縁があってその相手とつながったわけだから、
それを自分の人生から完璧に排除するっていうのは、
結構地味な作業でいろいろやらないといけないこともあるし、
気持ちのエネルギー的にもすごい大きなものがあるから、
自分のためにも同時に相手のためにも、
りょうちゃん言ったみたいに必ずやっぱりお互い変わるわけじゃん。
相手だけじゃなくて自分もすごい変わるから、
10年後とか5年後何が起こるかわからないし、
自分がその時にどういう世界に生きてるかもわからないわけだから、
最初からそういうふうに自分の中でこれはこうだみたいな感じで思って、
そういうものをブチブチ切っていくのもあんまりだなっていうのもあるし、
友達みたいな、友人関係についてのなんかいろんなエピソードで、
そのうちの一つが高校かな、高校が同じ友達、お互いすごい仲良くて、
でも高校卒業して結構添えになってしまって、
42:04
つながりたいんだけどつながりきれないみたいな、
すごい微妙な関係にあった2人を、
特にカップルとかリレーションシップのカウンセラーみたいな、
ポッドキャストやってる人がいるんだけど、
その人が特別版みたいなので参加して、
お互いの話を聞いてた時に、
その一つの最近の社会的なトレンドとして、
今まではやっぱり移動が少なかったから、
一つの場所で生まれて、同じ学校に行って、近くで就職して、
そういうすごい狭い物理的な地域の小さなコミュニティみたいなものに限られていて、
その中で育むいろんな関係性みたいな感じの、
友人関係とかもそうだし、家族とかもそうだし、
っていうのがあったんだけど、今の時代はやっぱり、
生まれてから死ぬまでの間に移動する回数みたいなものが、
その時代に比べたと的に増えて、
やっぱりその友人関係っていうものの定義もすごい変わってて、
新しく引っ越した場所、移動した場所で、
いかに早く多くの人と知り合えるかみたいな方が優先されるようになってしまって、
なかなか時間をかけた関係性みたいなものっていうのを、
維持するのがすごい難しくなったっていうのもやっぱり、
結局引っ越しをする、移動する回数が増えたっていうので、
例えば距離がある、物理的な距離がある関係性を保つのがすごい難しくなってるし、
それがゆえに関係性も結構インスタントじゃないけど、
その時その瞬間にその場所にいて、そこにいる間はつながっているけれども、
そこを去ってしまったら終わりみたいな、
例えばコミュニティとかその友人たちと自分をつなげているものがなくなってしまう、
みたいな感じのトレンドっていうか、今の時代そういうものが多くなってて、
そういう友人関係がすごく多くなっているみたいな話をしてて、
時間の重要性じゃないけど、お互いその場所にいたからつながれたっていうのもあるけど、
45:01
やっぱりそれだけじゃない部分もすごいあると思うのね、
やっぱりそのある程度の関係になる人って。
だからそういうのって、例えば引っ越しちゃってあんまりメーターに会わないとか、
全然会えないとかっていう距離があったとしても、
やっぱりお互いがどこかでつながりたいって思い続けられてるなら、
どこかで必ずまた時間が経ってつながれることがあるのかもしれないみたいなのをすごい思ってて、
そうそう、だからなんかりょうちゃんのすごい、第4の選択肢にすごい共感したのも、
なんかその時間っていうものを結構疎かにしてはいけないなみたいな、
なんか時間があるがゆえにつながれることがあるのかもしれないみたいなのもすごい今考えてて、
私は結構後悔とまでは言わないけど、
なんかはそれこそもう少しその第4の選択肢みたいなのを考えられてたらよかったのかもなって思ったのは、
私結構何回も話してる気がするけど、
10代自分、暗黒時代みたいに思ってたから、
すごい10代の頃の人間関係も嫌だったし、
学校、高校までのその学校に通うみたいなのが、
その周りの人とも打ち解けられないし、
その学校にいる教員たちへもすごい嫌だったから、
いろんな点で、
私なんかその特に高校とか自傷心学校みたいなとこに行っちゃったから、
なんかもう入った瞬間から受験受験受験みたいな感じで、
何のために学ぶのかとか、
今やってることがどういう風に自分の今後につながっていくんだろうっていうことが、
全然こう提示されないし、
考えるきっかけだったり時間隙間みたいなのを与えずに、
いかに偏差値を上げるのかとか、
志望校の判定をどうやったら上げられるか、点数を上げられるかみたいなとか、
そういうのにすごいうんざりしてて、
その時の友達というか、
日常的に話す人が全くいないとか、ずっと孤立してたとか、
そういうことは全然ないんだけど、
そこまで振り切れなかったというのが正直なところ。
いろんなものに違和感もあったし、
周りのクラスメイトたちが笑っていることに全然自分だけ笑えなかったりとか、
あったけど、
でもそれをそこで一線を自分で引いて、
48:03
もう自分は自分でやってきますみたいな方向にまで行けなかったから、
全部中途半端で、
向こうからくれば普通に対応するし、
普通に笑うし、
あ、そうですかっていう感じで、
肯定するフリとかは普通にしてたけど、
でも内心、心の底でだけ反抗心バリバリだったから、
なんかもう全部クソって思ってた。
そんな感じの10代だったから、
高校の卒業式とかいち早く学校から出てって、
一番最後って最後のホームルームやって、
みんなでわたわたして、
写真撮ったりして、
その後ご飯食べに行ったり、
みんなでまた集まり直したりするんだけど、
もううんざりと思って、
最後の出なきゃいけないホームルームが終わった瞬間、
さっさと出てって帰っちゃって、
その後も高校卒業して、
高校のクラスのグループラインとかもすぐ抜けて、
その時の繋がってた人とかもブロックして、
なんか普通にそういう時のこういう関係って、
連絡手段さえ立てば、
自分はもう地元から離れることが決まってたから、
それも相まって連絡先さえ立てば、
関係が簡単に立てるような状況だったから、
もうそれで立って、
過労死で残ってた中学の時の同級生のラインとかから、
成人式の時集まる話とかも来てたけど、
すぐ欠席しますっていうメッセージして、
そこですぐ抜けてブロックしてまたやって、
今とかラインとかで繋がってる人とか、
普通に番号とか知ってる人とかも全然一人もいなくて、
地元の時のこういう関係とか、
関係を持ってた人とかって、
だからなんか完全にもうやり直したかったし、
自分が違和感を持ってることに、
無理無理笑ったりとかもしたくなかったし、
自分が好きだと思える人としか、
関係を持ちたくないみたいな、
結構ラディカルな感じでやってたから、
だからそれは結構、
18でそんな感じになって、
20歳とか20歳過ぎてからとかも、
別にそんな選択が間違ってたとも、
全然疑いもなかったし、
51:00
むしろ今繋がれてる人とかが、
本当にいい友達とかばっかりだから、
これで良かったんだっていう風に思ってるんだけど、
でも割と最近になって、
もし何らかの手段で繋がりを残しておいたら、
また変化した誰かと、
別の形で会うこともあったかもしれないなとか、
それがもしかしたら必ずしもポジティブじゃなくて、
自分とは真逆の方向に変化してた人と会って、
それで全然無理だなって思うかもしれないけど、
でもそうじゃない可能性もあったかもしれないっていう、
その可能性さえも全部自分で捨てたような感じだったから、
今も後悔してるわけではないけど、
あり得たかもしれない可能性までも捨てたかもしれないなっていう思いが若干ある。
私もめっちゃりょうちゃんと似てる。
中高時代めっちゃ暗黒だったし、
すごい似てるっていう部分で、
特にその一線みたいなのを引けてなかったやっぱり。
自分の中で群れたくないみたいなのもすごいあって、
そういうものに対して全然自分が馴染めなかったけど、
でも上手く馴染もうと努力してるみたいな感じのところがあって。
完全に孤立することもやっぱり怖かったし、
その時の世界、今だったら多分あんまり怖くないって思えるかもしれないけど、
その時自分が接してた世界って学校ってすごい大きかったから、
しかも田舎だし、学校以外、地元もやっぱ狭いから、
学校に行かなかったところで、あるいは学校で一線隠して孤立みたいな感じになったところで、
どこかしら出てこなくて、そうではないコミュニティに行く方法がなかったから、
そこで孤立してしまうことがやっぱり怖かったっていうのはあったと思う。
だから一線を隠すみたいにはやりきれなかった。
だいぶ勇気がいるし、それができなかったから、
学校行事とかも出るし、やることはやってますみたいな感じだったけど、
大学も私も、大学時代も似たようなすごい感覚があって、
なかなか友達もあんまりいなかったし、
54:04
自分の中で納得した人としか付き合わないみたいなすごい狭い生き方をしてたから、
全然うまく人とつながれないなみたいなすごいあったけど、
大学入った時にたまたま会った友達が今もつながってる子がいて、
でも最初にやっぱり印象はめっちゃ全然自分のタイプ違うし、
絶対自分からは話しかけない感じのタイプの子だったんだけど、
いろいろあって結構仲良くなって、
でも私が大学を1年目の後中退するってなった時に、
自分的には全部その大学の時のつながりも立ちたかったんだけど、
高校の時の友達はほとんどもう経ってて、
その時の両親が言ってたみたいな微妙な後悔みたいな、後悔ではないけど、
その変化するみたいなのはすごい、
特に高校から大学に進んだ大きな変化、節目みたいなのですごい感じてたから、
それもあってか、大学の時の友達とは、
どこかでつながってればまたどこかで会う時が来るかもみたいな感じで、
つながってたんだけど、それもあって、
そのことをたまに話すし、
全然やってることとか、想像してることとかも全然違うし、
世界観とかも結構違うんだけど、
たまに話すだけでも結構自分の中でも、
そういうことやってるんだとか、
自分と全然違う世界観を知ることができるのでつながれてて、
やっぱりそういうのって、
私も特に高校の友達とかは全部経ってるから、
微妙な後悔じゃないけど、
何かしらのつながりがあればまたどこかで、
たまたま地元に行って会うとかっていうこともあるかもしれないし、
そういう時にふっとしたタイミングがあった時に、
意外に喋れるかもしれないみたいな、
お互いにやっぱり、自分側もやっぱり成長してるし、
相手も多分いろんな意味で変わっているから、
お互いの変化みたいなのを目の当たりにするだけでも、
たぶん新しい発見があるのかもしれないっていうふうに思うし、
57:05
大人になってからの、
頭が今ひょいって出てきた、
泣いてる、お腹空いてる、
どうかな、今食べてきたような気がするけど、
次遊ぶ時間だ、遊べ!
そうだから、逆に大人になってから友達作るのめっちゃ大変じゃないっていうのを思った。
特に何だろう、社会人になってっていうか、
大学とか、いろんなコミュニティーがあった時はまだいいけど、
仕事とかって結構やっぱりいろんな人がいるし、
生き方みたいなのがあるから、
友達みたいな感じのつながり方をするのはなかなか難しかったりもする。
大人になったらむずいなって思ったりもしてる。
私がたぶん職業性なさすぎるのもあるけど、
お、しっぽが見える。
画面の方を占領してるから。
慣れてくれっていう感じで、今目の前にいるから。
めっちゃ眼見してくる。
私の時めっちゃ眼見してくる。
椅子の下からなんか視線を感じると思って、
ふっと下を見ると、どっか下で待ってるみたいな。
遊べ!みたいな感じ。
なんか結構、誰かと話してるとか、別のものに集中してるとかわかるみたいで、
なんかそれがわかると、こっち向け!って感じで。
こっちこっちだ!みたいな。
アピールしてくる。