アレルギーの現状と家庭の影響
TaeとKumikoの栄養カフェ。
このラジオは、私たちが日常生活で、これって興味深いなぁと感じたテーマについて、10分ほどでお届けします。
では、くみちゃん、今日のテーマは?
今日は、食物アレルギー当事者と第三者、保護者との感覚の違いについてです。
はい、保護者と?
うん、当事者ね。
私自身はアレルギーは持ってないんです。
で、子供が結構ひどいアレルギーを持っていて、1歳の時に小麦でアナフィラキシを起こしたんですね。
今、中学1年なんだけども、ようやく食べてもアナフィラキシが起こる心配もなくっていうところまで来たんですけど、
13歳でここまでかかるって、かなりアレルギーの中では珍しい方というか。
だいたい小学校入学の時で、アレルギーの有病率って2、3%ぐらいまで減るので、学年に1人とか2人レベルに減る中で、
全く小学校1年生の時は小麦なんて一口食べたらとか、そうめん1本食べたら全食が起きるみたいな、そのぐらいひどかったんですよ。
なので、たとえばフードコートに家族で週末行って、お昼どっかで食べようかって言っても、うちの家の近くにあるフードコートがミスタードーナツアウトでしょ。
で、サヌキうどんのまるがめせいめんアウトでしょ。たこ焼き焼きそばみたいなのもアウト。
ローストビーフ丼とかカツ丼とかそういう定食物も、どこに小麦が入ってるかわかんないと、すべてアウト。
唯一これは大丈夫だよって食べていいよって言えるのが、31のアイスクリームのシャーベットしかなかったんですよ。
それもコーンも無理だからカップに入れるオレンジソルベみたいなものだったら100%小麦は入ってないけど、なんかフードコートでもいけない。
ユニバに遊びに行くにしてもお弁当持っていかないといけない。
ちょっとここで何かお腹すいて食べたいって言われても、レストランは探せなくて、一番安心なのはガストとかそういうファミリーレストランなんですよ。
大人にしたらちょっとおいしいもの食べたいなと思うけど、一品居酒屋みたいなところはアレルギー表示なんて皆無だから、
天ぷらを揚げたお箸で違うものを同じ菜箸で揚げるとか普通にすると捨てるかもしれないみたいなことが起こるようなお店は怖くて怖くてね、行けないと。
でもアレルギー表示があるファミリーレストランはもう100%安心だから行けるみたいなね、そういう生活をずっと送ってたんですよ。
そうすると、もし間違って食べたらどうなるかっていうのは、小児科のアレルギーの負荷試験をして子どもがおそうめん食べたりおうどん食べて一本二本で全食バーって出てるのをずっともうずっと嫌というほど毎年見てると、
間違って食べたらあれが起こるってね、親としては分かってるわけで、そしたらどう考えても避けてあげたいって思うじゃないですか。
でも一方でアレルギーは年齢とともにまあだんだん良くなるだろうということも分かってはいると、頭ではね。
でも小学校の間までかなり残るひどいアレルギーだったっていうことを考えると、なかなかちょっと食べてみたらいいよなんていうことは簡単には私としては言えなくて、
どっちかというと命を守るためにしっかりと見てあげないと、子どもがちょっと食べたいって言って食べたことが本当に命に関わるかもしれないって思いながら子育てをしてると、なかなかそれは子どもにとっては食に対するストレスというか、好きなものが選んで食べれないみたいなことってあるんやろうなって思いながらずっと子育てをしてたんですね。
なので今中学生になってだいぶアレルギーの数値は残ってるんだけど症状は出なくなってきているので学校でもパンを食べてはいるんだけれども、一方で心の中では大丈夫かなっていう心配は拭いきれずっていう風なのが親としての子育てとアレルギーの向き合い方だったんですね。
大人と子供の選択
そんなときに私、たえさんとね、昨年でしたっけランチに行って結構衝撃やったんですよ、あの中華料理のお店の話ですよ。ちょっと話してもらってもいいですか。
えー何でしたっけ、一応その中華料理のときの予約のときに。
アレルギーあるのに食べますみたいに言ったじゃないですか。
あーはいはいはい、えっと卵の場合は加熱するとアレルギー成分が減るので、あの天ぷらとかは大丈夫、高温で揚げるから大丈夫なんだけど、
それがあるから、加熱したものだったら、十分加熱したものだったら食べれます、アレルギーですけど食べれますって予約のときにお店に連絡しといたんだけど、出てきたものがかき玉汁だったと思うんですよね。
でもかき玉汁ってそんなに高温で、それはちょっとやっぱり食べたら頭痛くなったり、痛くなったりするんで、ちょっとこれはって思ったんだけど、でもお味を知りたいからアレルギーだけどちょっとだけ味見だけしますって言ってちょっと食べたんだと。
それのこと?
そうそうそう。
なんか、衝撃に近くて、だってそれアレルギーやし、食べたら頭痛いってなることもわかってるのに、それでもなんか味見とはいえ食べようって、その後の不快感もね、自分で理解しながら、なんかそういう行動を選択するんだっていうことに結構衝撃やったんですよね。
え、そんなしんどくなるってわかったら避けたほうがいいやんって思うんだけど、それがなんか試行品のビール飲んだら私も苦手だからビール飲んだら頭痛くなるとか、コーヒー飲んだらちょっと頭がズキズキするとかっていうことと、試行品の選択とアレルギーの選択が同じ感じに聞こえたというか。
あー、なるほどね。
すごいなと思ったんですよね。うちの子がそんなにしようとしたらやめてって私は多分言うだろうなと思うけど、でもね、ある意味で大人だから自分のその不快な症状までわかると、そういうこともするんやなと思って、なんか結構それはね、保護者として子どものアレルギーを見守る立場と、対自分がアレルギーの時のなんか違いなんやなっていうのをすごい感じたんですよね。
そうですか。私はその話を今聞いて思い出したのが、私もちょっと大きくなって卵アレルギーがきつかったんだけど、ある程度わかるようになって、これぐらい食べたらこれぐらい前足が苦しくなる、でもこれぐらいで治るみたいなのがある程度経験できた頃に、味が知りたい、食べてみたいっていうのがあって、
食べるって言った時に母がもうすごいキレて、もう絶対そんなの食べんといてみたいな、また苦しい思いをしなあかんやんかみたいな感じで、すごい怒られたことがあって、え、大丈夫やのにって思ってたんだけど、やっぱりそうやってやっぱり当事者も苦しいけど、それを見守る保護者っていうのも相当つらい苦しい思いをしてたんだなっていうのはね。
改めて感じましたね。
見守る側は想像でしかないからね、苦しさとかしんどさ、でもそれがわが子の場合は、もう本当に病院の付加試験で、この1分、20分待たされるんですよね、1つの付加試験の食材を食べて、20分間症状が出ないかをお部屋で様子見てくださいって言ってストップウォッチを渡されて、うどん食べて20分待つ間に、
ゲホッゲホッとか首かいたりしだすと、もうなんかそこのシーンってすごいやっぱり鮮明に覚えてるから、だんだんしんどくなっていってるなあ、息しづらくなってるよなあって、だってそれはアレルギー物質口に入れてるんだもんっていう風になって、もうしんどいって子供が言って、
ねえ、看護師さん呼びに行って、給乳して、みたいなこう一連のものが終わってる側としては、なんかそこに突っ込んでいくよ、みたいな、っていうのは、なんかもう、あ、でもそれは子供がわからずにやるんじゃなくて、大人で自分のことがわかるようになったら、やっぱそういうのもできるようになるんだなとはいえ、でもお母さんはやっぱりね、そういうのは見ててやめてほしいって、
たえさんが言ったことから思ってるように、これって当事者なのか、第三者、保護者目線なのかによって、なんかチャレンジしたい、やめといてほしい、本人は食べたい、でも親はそんなことはせんとってくれ、みたいなところのこの、なんか教会ってすごいお互いの思いがあるんやなあってめっちゃ覚えますね。
コミュニケーションの重要性
そうですね。
だから今私も子供がだんだんいい小麦食べるようにはね、なってきてるんだけども、なんかあえて若干好きにしていいよって言ってるとこあるんですよ。いつまでも食べれないわけでもないからね。
でも今のたえさんの話を聞いて、食べたいっていう気持ちはあるから、食べたらこうなるよって決めつけて、なんかちっちゃな頃の思い、過去の出来事からそうなってしまうからあかんよって言わないようにしようってめっちゃ思いましたね。食べたい気持ちはあるもんね。
あるけれども、でもね、お母さんの大変なった思いっていうのはなくならないから、なんていうか、よく子育てに向き合ってきた経験も宝物になりますかね。
でもどっちの面もわかるからこそ、なんか寄り添えるっていうのは絶対ありますよね。しんどさがわかるし、しんどい子供を見てるからこそ、なんかいいよいいよって言ったらあかんなと思うけど、でも本人食べたいと思ってるかもしれないなっていうところって、なんか当事者にお互いになってみないとわかんないし、その話を聞いてみないと、
親はそう思ってたけど、本人は食べたいと思って、不快な症状を受け入れてでも食べようとしたいやんっていうこともわかってあげないと、なんか話はいつまでたっても平行線で終わるから、やっぱりなんかそういうこと、いろいろ知ること、話をして知ることがなんか一番大事やなと思いますね。
お互いにね。
何事についても結構そうなんでしょうね。やっぱりね、決めつけない、ちゃんと聞いて、聞いてあげるって聞いて、世界を知ることからしか始まらないんやなって、今日なんか喋っててめっちゃ思いましたね。
聞いている方も当事者の方もいらっしゃるかもしれないし、保護者の方もいらっしゃるかもしれないので、参考になればいいかなと。保護者と当事者の経験を持つ者の話っていうのがあんまりない機会かなと思って。
ないない、あんまりこんな話、改めて確かに聞いたことない。片一方は大変よね、守るのはっていうのはあるし、本人は本人でどうしてしんどいよねっていうのはあるけど、合わさることはなかなかないかもしれない。
いい貴重な話になったんじゃないでしょうか。
はい、ということで、今日の話はこれで終わります。ではまた。