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やっほー!みなさんごきげんよう!アナンディです。本日もバハマからお届けしまーす。
あのさぁ、春になりましたね。バハマは春です。 まぁ、もうなんか暑いんだけれども、あのー
鳥のさえずりが、もうあちらこちらでピピピピと聞こえてて、最高でございます。 なんていうの、私の理想だよね。鳥の
さえずりで起きるみたいなね。 でさぁ、なんかあのー
ちょっと 授業をさぁ受けてて、ハッとさせられたことがいくつかありまして、うまく言えるかわからないんだ
けれども、なんか努力の方向性ってあるよなっていう
ことを 改めて
考えさせられました。なんかさ、この努力の方向性って昔さ、 あ、なんていうのかな、結論を言っちゃうと、なんかさ、人生を変えたい、人生を変えたいと思って
あの そういうふうに努力をしようとしてたんだけれども、そうじゃなくて
物事の見方、人生そのものの自分をの、自分そのものの見方を変えることが、 変えるというか、正すことが
正すための努力が必要だったんだっていう話なんだけれども、言ってることわかるかな。 ね、私もちょっとまだなんかこう、頭なんかこんがらがってるというか
すっきりしてる感じはないんだけれど、すっきりしてるというか、うまくしゃべれるかどうかは謎なんだけれども、 あの、このままのむにゃむにゃの気持ちも込めて残していきたいなと思っております
いやなんかさ、昔さ、言ったこと、このスタイフでも言ったことあるんだけれども、 社会人の時にね、上々企業の製薬会社で働いてた時に、あの、すっごい私は頑張ってるのになんでみんなを認めてくれないの?
みたいなふうに思ってたわけ。 で、なんかある時社長が一枚の絵を、ホロバシャの絵を出してきて、なんかこうじーっといろんな役割の人がいて、一個の大きなホロバシャを
みんなで進めているっていう 絵だったんだけれども、なんかさ、それに
まあ言ったじゃない、地図を見て方向性を決める、まあきっと社長だろうね、 ホロバシャのホロの上に乗っかって、あっちだこっちだっていうふうにやってる人とか、それをサポートする人がいたりとか、
馬の手綱を引いてる人もいるし、ホロバシャを後ろからこう押してる人もいるし、みたいな。 なんかこういろいろね、あの役割があって、そのうちの写真の写真で絵の一端っこの方に
ホロバシャの横の方にだよね、あの大きな岩があってさ、それをさ、なんか一生懸命ロープを巻いて引っ張ってる人がいたわけよ。
でさ、それを見つけちゃってさ、なんかこれ私じゃないかなと思ったっていう エピソードがあるわけよ。なんか衝撃的だったわけ、その絵を見て。
え?みたいな。あれこれ私かもしれないみたいな。なんかホロバシャすらも押してないし、 会社員の一員として会社を盛り立ててるつもりでいったんだけれども、なんか
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ホロバシャが先に進む、ホロバシャの先にある石をどけてるわけでもなく、ホロバシャの横にあるとてつもなく大きなものを、なんか一生懸命どかそうとしている人のみて、あれ?と思って。私これかもしれない。
なんかすごい衝撃を受けて、なんかすいませんって思った。 記憶があるわけよ。
で これって、あー私努力の方向を間違えてたなっていうふうにその時思ったわけ。私はこんなに頑張ってると思ったんだけれども
頑張ってるって言ったって、これ何の意味もないところで頑張ってたかもしれないみたいな感じで思えちゃって。
なんか、え?ってなったとね。なんかそういう経験があって、本当に努力する方向で間違えると、
まあ一つの経験ではあるけれども、無駄というか、ゴールには達しないじゃんみたいな。
っていう感じなわけよ。
リレーの人はさ、コースがわかってるかあれだけどさ、なんていうの?
マラソン?箱根駅でみたいなさ。 あれさ、なんかコースを例えば外れちゃったとするじゃない?
1番を独走してたはずなんだけど、コースを間違えて全然違う右に行かなきゃいけないのに左に行っちゃったとしたら、いつまで経ってもゴールは出てこないみたいな。
でも余計に走るだけ走らされるみたいな感じになっちゃうわけじゃん。
でもこの努力の方向性ってすごい大事だなと思ったわけ。
で、この努力の方向性っていうのが、なんかしないといけないとか、もっと例えば豊かにならないといけないとか、もっとこのキャリアが欲しいとか、もっとこうならなきゃいけない、もっと我慢しなきゃいけないとかっていうことが、
あ、すでに間違ってるというか
方向性が違う。岩を引っ張ってるのと同じじゃんっていう。
同じで、じゃあ何をしないといけないのかって言ったら、見方を正すっていうことをしないといけないっていう。
しないといけないっていうか、そういうことをすることが1番のゴールに近づく方法だっていうのをね、あの世外のクラスでね、やっててね。
なんかこういろんなことがフラッシュバックしてね。
あの私の好きな事業の一節にカルマっていうセクションがあって。
そのカルマはさ、もう抗えないものも含まれてるわけよ。
過去からの引きずってきてるものもあるし、今この世に背を受けてるのが、
いつ、どこで、どういう両親のもと、どういう家族構成のもとを生まれて、
大体こういう人生を送って、いつ終わるかっていうのが決まってるんだって言われてるのね。
それがカルマって言われてるわけ。
でさ、もう一つ、三つあるんだけど、過去からのどうすることもできないやつと、
今現在起こっていること、ここにいること、もう一つのカルマなんだけど。
と、もう一個未来を作るっていうカルマがあって。
このさ、二つ目がやっぱり今現状が一番大事なわけだよね。
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でさ、もう起こるんだからしょうがないじゃんって。
じゃあ諦めればいいのかって言ったらね、
もちろんそういう時もあるのかもしれないんだけれども、
努力が必要ですよっていう話をしてるわけよ。
でカルマって、尽くすことが大事であって、解消することが大事なんじゃないんだよね。
結果解消されてたってなるんだけれども、
なんか経験とともに使い尽くすっていう、味わい尽くすっていうか、燃焼させるみたいな。
燃焼っていうのが消化させないといけないのかなって思ってたんだけれども、
そうじゃなくて、尽くすことが尽きるまでやるっていうことが大事だっていう風に言われてるんだって。
で、なんかその何かが起きちゃった時に、
あーなんだもうこうなっちゃったのかしょうがないじゃん、
もうどうせ、なんてノストラダムスの予言じゃないけれども、
どうせ世界が滅びるんだから何やってもしょうがないからやめようみたいな感じで、
努力をしないんじゃなくて、流れに身を任せまくるじゃなくて、
自分でそこで努力しないとダメですよって、
なんかこう例えとして、農家さんが土を耕して、耕して耕して、
芽も種も入れて、努力をそこでして、
雨が降ったらその雨は恵みの雨になるけれども、
もし何もしないで、どうせ何も来ないねん、どうせ雨なんて来ないんだから、
いやだってしょうがねえよって、やらなかったとしたら、
そこの土地はただの沼になるだけ、雨が降ったらね。
だけど雨という事象が恵みに変えられるのは、努力をするからだっていうのを言ってて、
おーって思ってた時があんだけど、その努力の方向っていうのが、
さっき言ったように人生を変える、変えないといけないとかっていう風に思ってたのが、
なんかそういうことっていっぱいあったよなと思って。
この両親の元に生まれたんだから、こうなっちゃったのしょうがないみたいな、
お前のせいだ!ぐらいな感じでさ、って思ってたんだけれども、
そうじゃなくて、見方を正すっていうことをするための努力が必要ですよっていう。
わーお!と思ってさ。
でさ、例えばさ、勉強してて、学ぶことって光を当てることだなと思ったの。
光を得るというか、それがクリアになる、明らかになる、本質がわかるっていうのが、
ライトで暗闇の、暗闇ってもう無知だよね。
ライトでパッて地面を夜に当てたとしたら、なんかそこに長細いものがあった。
え、何だろう?ヘビかもしれない。え、嫌だ嫌だ嫌だって見るわけじゃない?
これもう有名な例だったのを例えたんだけれども。
でもさ、よくよくさ、例えばもう少し近づいたりとかして、
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ライトをもう少し強くしたりとかして、すると、それが何なのかクリアになるじゃない?
そうすると、ああ、何だロープだったじゃん。ってわかるみたいな。
何だビビることなかったじゃん、慌てることなかったじゃんってなるわけじゃん。
で、一度ロープだってそれがわかってしまえば、もう恐れることはないし、
もう心配になることはないし、なんかこうあたふたする必要もなくなるわけだから、
なんかそういう間違った見方を正すことがための努力が必要ですよっていう話をしてたわけ。
それが勉強であり、マインドをクリアにしたりとか、落ち着いて見られるようになったりっていうのが
ステップを踏んで段階的にあるんですよっていうのを習ってるわけだよね。
ねえさん、なんかその習うことって、ああ、光を当てることなんだなと思ったわけ。
本当に私たちは闇の中にいて、何にも知らないというか、まだまだ知らないことっていっぱいあるなっていうことがわかったみたいな。
なんかこう、何ていうの、なんかこうやってさ何回も何回も何回も何回もクラスを受けてて、
わかることが増えてきて、なんかこう本質が見れるようになって、なんだそういうことかみたいな。
もうみんなピーピーケアゲー言ってんの、こういうことなんじゃんみたいな風に
すごく思って高みの見物をしてた時があるわけよ。
傲慢になるみたいな。慢心するみたいな。
なんかそう、そういう風になってわかってきたわかってきた。
おしおしえらいえらいみたいな感じ思ってたんだけど、でもまだまだ知らないこといっぱいあるし、まだまだ
ああ、そういうこととそういうことがくっついてるんだみたいなことがわかるっていうのは、
なんか本当に光が当てられる範囲が、なんか1センチだったのが3センチになって、3センチが10センチになってみたいな感じでどんどんどんどん広がっていくし、
逆にまだまだ闇があったみたいなことがわかって、
なんかそういうのをね、なんか昨日の授業を受けてもっとわかるようになって、
はーっとさせられたっていう話でございます。
なんかそしてカルマ、さっき途中で言ったけれども、カルマを消化させないといけないって、
私は表現使って言ったんだけど、そういうものじゃなくて、使い尽くす。
なんかそれに気づきっていう光を当てることで、
あ、なんだっていうね、ヘビヘビヘビと思ってキャキャキャと思ってたのが、
なんだロープじゃんっていうのがわかるっていう光の当て方を変える。
例えば強さ、範囲、角度を変えるとやっぱ物の見方って変わるから、
そういうことを正すのが大事ですよっていうのをベイダンターで教えてくれているというね。
これ多分ベイダンターじゃなくてもどのお偉い様が喋っているどの心理学とか、
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どのなんとかでも多分共通していることだと思うの。
だからベイダンターだけかとは言わないんだけれども、
なんかそれをもし言ってないのだとしたらそれは多分偽物?
なんじゃないかなと思うほどの大事なことを気づかせて、改めてね気づかせてくれて、
なんかやっぱり勉強するって面白いなって思って。
昨日も言ったじゃない?70歳のゲストが年を越えて持っている物?物質?が大事なんじゃない?
ステータスとかそういうのが大事なんじゃない?っていうのを
どれだけ知識を持っていてそれを活用できているのか、
在り方に反映できているのかっていうのことが、
内面の在り方っていうのかな?が大事なのかっていうのに気づかされるよねみたいなさ。
そこに価値を置くよねって言ってたじゃない?
まさにそれそれと思って。
なんかね、昨日はすごくハッとさせられる。
ハッとさせられるし、いろんな話がくっついて納得風に落ちてきてるっていう感じがしております。
だから学ぶことは光を当てることだなっていうことを学びましたよ。
でもだからこいつはなんかこういろんなことが起きて、
あーナミに飲み込まれたなーとか、
ナミに飲まれてる時ってあいつが悪いこいつが悪いってこのせいだみたいな感じになるんだけど、
一回ナミから出ちゃえば、はぁ、みたいな。
ちょっと私は恥ずかしくなるんだけど、やっちまったぜって。
なんかそうなって、またそこからね、反省して、
今度はナミを見てるようになって、
そのうち、ナミあるねーって言って、
ナミの本質は水だって気づくみたいな。
で、最終的には、あの段階的にはね、なんかそういうステップがあるんだけど、
ナミを見ても、
ナミを見てもっていうか、水ですね。
ナミを目の前にして、水ですね。
ナミって何ですか?っていう、
完全に悟った状態がそういう状態になるらしいので、
もう完全に動じないっていうね、すごくない?
きゃーナミだーって言って、逃げろーってなってる状態と、
まずはビーチサイドに行くっていう作業があって、
ビーチに行ける加工が必要で、
そうだね、ビーチに行くまでの下調べがあって、
こうやって行くんだ、こうやって行くんだ、ここでこうするんだっていうのが分かって、
で、ビーチに行って、きゃーナミだーっつって、
あたふたして、ナミに飲み込まれて、
ナミが悪いんだーって言って、
でもあるときナミっていうものを知って、
あ、ナミってこういうものなんだっていうことが分かったら、
こう、距離感を持って見れて、
そのうちナミを見ても、なんか怖いとか、
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大きいな、怖いな、どうしようという気持ちがなくなって穏やかになって、
ナミって水だよなーっていうのが分かって、
そのうちナミを目の前にしても、水ですっていうみたいな、
っていうようなステップがあるんだって、面白いよね。
だからなんかそういうのを、
あ、今私ここなんだなーっていうのを見ながらね、
本当は至難所だなと思って見ております。
なのでなんか、私大事にしてたんだ、
こんなに何回も覚えて、何回も授業を受けているのに全然覚えられないなと思って、
これは前回から思ってたんだけど、
どうしよう、何も覚えてないじゃんみたいな、
何も覚えてないんじゃないかなと思ってて、
ちょっと心配だったわけよ。
今回こそ覚えようみたいな、定着させようと思ってて、
ちょっとそういうふうに重い気持ちでやってたんだけれども、
なんか学習ってやっぱり暗記するっていうふうに教わってきてるよね。
テストって暗記のためのテストじゃん。
暗記がどれだけできたかみたいなテストなんだけれども、
なんかそういう環境で育ってきちゃったから、
そうしないといけないってどっかで思ってたんだろうね。
だから、あんなに何回も授業を受けているのに、
全然覚えてないとなってたんだけれども、
そういうことじゃないんだよ。
理解しながら覚えてるっていうふうに切り替えればいいんだと思って、
だから今は、なんかこう、
ああ、なるほどねって思って、
っていう感情とともに覚えてるから、
もちろん忘れたら見返せばいいし、
っていう気持ち?
なんで覚えてないんだろう私?とは全然思わない。
し、全然前より覚えられてるっていう、
なんかすごくない?みたいな。
ってすら思ってるぐらいな感じで、
授業を受けております。
なんかやっぱり体験すること、
納得すること、
マジでそうなの?って疑問に思うこと、
全部大事だなと思って。
なんかこれが、
本当の意味で、
光を当てる?
し、正しく理解する?
それが正しい、
なんか見方を正しくする努力の一つ?
らしいんだよね。
だからなんか、
まんま、
王道を通ってっております。
全然そんな風には思えないんだけどね。
でもなんかそういう風に、
そうらしいので、
ひたむきに面白いなと思ってることを、
このまま突き詰めていきたいと、
思っております。
さあ、ちょっとまとまったのかまとまってないのかわからないんだけれども、
聞いてくださってありがとうございます。
何か皆さんの、
へーって言うような、
へーふーんってなるようなことにつながったらいいな、
とは思っております。
さあ、今日も最後まで聞いてくださってありがとうございます。
本当に日差しが穏やかになって、
今最高な日陰、
日陰じゃない、日向か。
で、
めちゃくちゃおしゃべりをしております。
時々船が通ったりしてたから、
もしかしたら音が入ってたかもしれません。
さあ、皆さんも今日、
お機嫌に過ごしてください。
それでは、バハマからナンディーがお届けしました。
それではごきげんよう。