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やっほー!みなさんごきげんよう!アナンディです。 本日は、モントリオールからお届けしております。
2025年7月の29日、火曜日。 あら、深夜0時4分でございます。もう、てっぺん終わりましたね。知りませんでした。
さて、そうなんです。今日は朝からニューヨークからカナダ、モントリオールへ戻ってまいりました。
陸路で入ったんだけれども、またなんかいろいろ質問されたりだなぁと思ってたんですけど、スモースに入ってこれました。
なんか、いつ日本に帰るの?って言って、いつです?とか言って答えたら、あ、そう、じゃーねー、みたいなそんな感じでした。
本当にあっけなくて、えーと、いいんですか?っていう感じだったんだけれども、まあそんなに長くいないからいいでしょうっていうね。
あと、陸路から入るのにさ、追いかせないよね、と思ってさ。
だから、まあ、余裕でございました。よかったです。
でね、アシュランも後にして、今日、昨日の夜、だよね、東京の朝、ハーモニウムっていうインドのオルガンみたいな楽器があるんだよね。
で、それをさ、私はピアノをちょこっとだけやってたの。多分2年ぐらいやってただけなのかな。
で、私は小さい頃にバイオリンをやってました。10年以上習ってて、音題に行くかどうかみたいな、なんかそういう感じだったわけよね。
でも、そこまで音楽が好きっていうか、なんかこう仕方なしにやってるというか、なんていうか、こうやってる動機がみんながやってないから、なんかすごいだろって言われたくてやってるみたいな、なんかそういうヘンテコりな動機だったために続けたい意欲はなかったんだよね。
で、音題に行くこともやめるし、行かないことを選択するし、もう完全に趣味でやってたの。
でもさ、音楽自体は好きなのよ。
でね、そのハーモニウムですよ。
あの、スワミジがさ、毎日毎日歌うわけよね。毎日毎日そんな嫌なあれじゃないんだけれども、朝のメディテーションと夕方のSATさんの時のメディテーションの後にジャヤガネーシャっていうチャンティングを歌うわけよね。
で、それはさ、だいたい15分ぐらい歌ってるのよね。
で、だいたいのスワミジは自分でハーモニウムが弾けたりとかするから、自分のキーで、自分のペースで、自分の好きな和音でハーモニウムを奏でて、みんなが森のくまさんみたいにコール&レスポンスだからさ、リードちゃんとしてくれるわけよね。
で、私たちがそれに従ってそれぞれのキーで、それぞれのテンポで、いろんな人にフォローしていくわけよね。それぞれが。
毎回毎回違うスワミジがね。
で、だいたい2人しかいないんだけれども。
で、そのうちの1人のスワミジがピアノを弾かないわけよ。ハーモニウムを弾かないから、ただ壇上で歌ってるだけだし、キーがさ、とっても高いスワミジなわけ。
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まあ、体もちっちゃいから声がももも高いんだけれども、でさ、誰もそれに合わせられなくて、ハーモニウムが。
で、ずーっとやってる人もいるんだけれども、その人もキーが探せなくて、私いけるんじゃないかなと思って。
で、人数もどんどんさ、アシュラムの人数も減ってったから、前に座ることもできて。
でさ、そうするとさ、あ、私できるかもと思って、ハーモニウムを触って、最初の1小節ぐらいはずっと音を探してるみたいな。
そんな絶対音感があるわけじゃないからさ。
これかな?これかな?これかな?みたいな感じで。
で、多分この音は絶対コッキ音を使わないといけないだろうみたいな感じでさ、探しまくって。
あ、これ?これ?これ?これ?これ?っていろいろ。
でも邪魔にならないようにさ、なんかこう音を当てて。
で、1回見つかったから、あ、こっからはできるわと思って、あのタラララララーと伴奏したわけよ。
でさ、あの、やっぱりさ、音はさ、いっぱいあった方が気持ちいいよね。綺麗な音がさ。
で、ハーモニウムも一緒に弾かせてもらえて、なんかスワミジも気持ちが良かったし、
そうだな、私自身もできたし、あ、良かったと思ったし。
で、普段ハーモニウムを弾いてる他のスタッフも、絶対合わせられないとか言って。
で、1回弾いて彼女がトライ、他の子がトライした時も、あのもう音を探し当てられないから、
いつものキーでやろうとするとさ、不協和音なわけよ。
本当に気持ち悪くて、やめてって感じなわけよ。もう拷問じゃんそんなのと思って。
でさ、スワミジもさ、もうやめてやめてみたいな感じでさ、こうジェスチャーで。
で、その回はハーモニウムなしのスワミジのアカペラで、私たちもそのキーでフォローするっていう感じだったんだよね。
だからこそ私が何かチャレンジしたくてやってみたら当てられて、でさ、やっぱりある方がゴージャスだからさ、いいんだよ。
でさ、昨日の夜もそれをやって、今日の朝ももう出発する本当に5分前まで演奏してました。
そうなのよ。で、なんかさ、こっちもできたことが嬉しいし、で、スワミジもさ、ゴージャスになるわけじゃん。
華やかになるから、やっぱりこう気持ちがいいものだし、で、他の人も音が取りにくかった人も取れるわけよね。
そんな全部に音階をつけてるわけじゃなくて、本当にメロディーを弾いてて、
あともう一個和音になる音、キーになる音をずっと演奏してるみたいな感じだから、そんな難しいことはしてないんだけれども、
なんかやっぱりあるとないじゃ全然違うよねと思ってて、私はそれができて嬉しかったのね。
でさ、今日の朝は本当私は出発するような時間帯だったから、忙しいかもしれないから行きませんって、札幌に行けませんって言ってたんだよ。
けどなんか時間がぽっかり空いたから、これは行けるんじゃないかと思って、札幌に参加してさ、
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ハーモニーもチョロンって弾いてさ、なんかこう良い奉仕ができたなぁと思ったわけよ。
私なりにね、私的に満足ができて、みんなも多分喜んでくれてて、スワミジは絶対喜んでたから、なんかこう良しと思ったわけよね。
でなんか自分ができることをやって、誰かが喜んでくれるっていうのは、なんかあまりにも私の最大の能力を使って、なんていうのかな、失礼。
なんかなんていうのかな、できないことをやろうとして努力したというよりも、できることをさらっとやったら喜ばれるみたいな、
なんか自分を活かせてるっていう感じがすごく心地がいいなと思ったの。
で、あのほら、この世界は優しさでできてるんじゃないかっていう過程。
でもこの優しさは愛なんだけれども、でもその優しさっていう表現をしてるこの優しさって、
あのさ、なんか自分にキャパシティがないとそれは提供できないんだよね。
もちろん自分のキャパシティの問題と、エゴがそれをさせないっていう2つの問題があって、
でキャパシティの場合はさ、やりたいかやりたくないかじゃなくて、できるかできないかじゃん。
なんていうの、背が高い人と背が低い人がいました。高いところにあるものを取りたいですってなった時に、
背の高い人だったらさ、背伸びもせずにさ、脚立も使わずに、ほいほいどうぞって言ってさ、この戸棚の一番上から取れるみたいな。
だけどさ、背の小っちゃい人にさ、棚の上のものを取らせようとしたらすごい労力が必要なわけじゃん。
もしかしたらなんかいろいろ乗っかってる脚立を片付けてみたいなさ、なんかそういう作業があってすごい重労働かもしれないわけじゃん。
なんかそういう人に無理なことをさせるよりも、できる人があ、私は取るよって言って、背の高い人がぷって取ったらさ、もう一瞬で終わるみたいな。秒で終わるみたいな。
なんかそういうキャパシティができると、労力がやりたいかやりたくないかじゃなくて、あ、できるできるって言って簡単になるわけだから、そういう方を伸ばしていった方がいいなと思ったわけ。
もちろんエゴの抵抗もない方がいいかなとは思うけれども、あるならあるで、その時はそれでいいじゃんと思って。
で、なんかひらめきました。なので自分ができることを最大限にやれるって最高だなって思いました。
これこそが優しさであり、なんか愛につながるんじゃないかなと思って、カルマヨガを一旦終えたので、
それが総括なんじゃないかなと思っています。
もちろん、与えられた仕事は多分エゴが邪魔をして、
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なんで毎回毎回毎回毎回この皿洗わなくちゃいけないわけみたいな、私使ってないのにみたいな、
なんかそういう不満が出てきたりとかするのは、私のエゴだから能力の問題じゃないんだよな、きっとと思って。
だってお皿洗うなんて簡単だもんさ、だけど違うんだよ、そこに感情が絡まってるから面倒くさいことになってるみたいなさ。
なんかこれはキャパシティが増やせる、キャパがあるかどうかできるかできないかっていう能力の問題と、
マインドの邪魔がエゴだよね、があるのかどうかっていう2つ分野があるなっていうのを感じ取りました。
ハーモニウムとかなんかこう特殊なものとかいうのはできる人がやればいいし、できない人は聞いてりゃいいし、
他のことで貢献すればいいわけじゃん、手を叩いてリズム叩くみたいなさ、
なんかそういうことすればいいし、歌歌うだけでもいいし、全然それでいいわけじゃん、そこにいてくれてればいいみたいなさ、
存在がそれで素晴らしいわけだからさ、みたいな。
なんかそういうことを理解したなって思います。
だから無理にできないことを人に押し付けることもないし、
だって能力がないんだもん、しょうがないじゃんっていう、その背の高い人と低い人がいるじゃんみたいな、
低い人にいくら牛乳飲めって言ったって今更伸びねえよみたいな話じゃん。
それだったら高い人がピュンってやってさ、あんたるよーって言ってさ、
実際すごい高い人がいてさ、私は背伸びしておいしょって撮ってるものをさ、
ほんとにとも簡単にさ、ポポンってやってたのを見て、こんなに簡単にできる人もいるんだみたいな。
別にそんな能力ではないけれども、簡単にやってたのを見て、
私もハーモニウムを弾くっていうのも、最初のキーを探すのは大変だったけれども、
一回探し当てちゃったら別になんてことないし、初めて演奏したけどメロディー知ってるからできるみたいな。
なんかこれこれこれが助け合いになるんじゃんと思ってさ、
カルマヨガっていうこの奉仕する、無私の奉仕、私欲のない奉仕の意味合いというか、
が冷静になってわかったような気がしております。
なんかそれを得られた経験は良かったんじゃないかなーって。
良かったんじゃないかなーなんて一言に言ってますけれども、良かったです。
こんだけずっとやっててもさ、やっぱり毎回毎回発見があっていいなと思います。
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ヨガの出会いが2016年の1月だね。
から本格的にこのスピリチュアルな道みたいなところの門を叩いて開けて歩んでいくっていう
スピリチュアルパスっていう道が始まりました。
全然そこに行くなんて思ってもいなかったし、
こんなにアシュラムに足しげき通うなんていうのも1ミリも思ってなかったし、
人生何が起こるかわかんないなーと思って楽しんでおります。
毎年毎年なんか行きたい気がするとかって言って、
呼ばれてる気がするとか言って勘違いでここまで来ております。
今回はバハマに5ヶ月、ニューヨークに2ヶ月いさせてもらって、
前の年もそんな感じだったし、
パンデミック中はさすがに私も動けないっていうか動きたくなかったので
日本にずっといたので自分のヨガクラスを毎週毎週教えてるっていうのが現状だったから、
アシュラムにまた来れるようになったのはパンデミック以来だし、
その前も毎年行ってたんだよ実は。
本当に毎年行ってんの。
だからなんか1ヶ月行ったり3ヶ月行ったり6ヶ月行ったりとか、
なんか毎年毎年こう違う。
そうね、よく行ってたよね。
ヨガが私に生きることを教えてくれてるなぁと思っております。
そうです。
なのでなんか今見ている世界は私はかなり幸せな世界にいるんだよね。
平和な世界というか穏やかな世界。
もちろん自分の感情が荒ぶったり、元気がなかったりとかっていうのはもちろんあるんだけれども、
なんかこう世界がさ、動いてるわけじゃん毎日毎日。
戦争が起きてたりとかさ、
あとなんかやっぱり偉い人はお金を目的というかお金を、
力を得たいんだかお金を得たいんだかでさ、
あんまりいい動きをしてなくてさ、
何やってんのかなぁみたいな。
なんかもうちょっと世界平和につながることやらないのかなぁみたいな。
なんかこう不思議な気持ちで見ております。
欲に目がくらんでいるっていうのもエゴでしかないわけだから、
そのステージを終わらせられるためには、
終わらせるためにはみんながスピリチュアリティに目覚めるっていうか、
なんかそういう愛の世界で生きるっていう、
助け合う優しさの世界で生きるっていうことが一番なんじゃないかなぁってふわっと思っております。
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そうなんだよ。
なんかそれを思って世界を見ております。
というわけで今日はこの辺で終わります。
眠いので寝たいと思います。
それではいつも聞いてくれて、いいねくれてコメントくださいましてありがとうございます。
本日からはモントリオールからアナンディーがお伝えしました。
皆さんはどんな世界に生きていますでしょうか。
よかったらお聞かせくださいませ。
それではごきげんよう。