1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.107「書くのは、考える訓..
2018-04-12 50:28

Vol.107「書くのは、考える訓練になる」

エッセイスト、翻訳家の中島さおりさんのインタビュー2回目。著書の「哲学する子供たち」の話を紹介しながら、フランスの哲学の試験のこと、日本とフランスの文章の書き方、思考の違いについてお話してくださっています。

オープニングでは、日本の雑誌にあった「パパは9時まで家に帰らない」のはなぜか?や、家事分担について話をしています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:15
こんにちは、木です。
今日も、パリで学んだブレない自分の作り方の時間がやってまいりました。
さゆみさん、どうぞよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
さゆみさんがね、Facebookでちょっとアップしてたのを、私もたまたま見て読んだんですけども、
日本の某ファッション雑誌、30代向けの、まさに働いて子供もまだ小さくて、
っていう人たちが多分ターゲットかなっていう雑誌の、あるページを見ていたら、
驚愕の話が出てたっていうことだったんですよね。
私もちょっとびっくりした。
ちょっとその話をしていただいてもいいですか?
そのページというのは、男性、パパ、いわゆる家庭を持つパパに対する対談みたいな、
パパ同士の対談。
男性の、パパの本音みたいな感じですよね。
本音を語るみたいな、家庭においてのパパの位置みたいなところですけれども、
例えば、9時より早く帰ってくると、
ママと子供たちの食事とかお風呂とか、いろんな宿題とか、いろんなこう大変な時間帯なわけですよね。
だいたい9時過ぎるともう寝てしまう。
寝る前までが戦場ってことですよね。
戦場的なシチュエーションなわけですよね。
その時間帯に帰って、パパも仕事でかなり疲れてぐったりだと思うんです。
だから、ソファーでダラダラとしたいとかってあると思うんです。
そうしようものなら、
あなた何やってんの?みたいな。
これやって、あれやって、みたいな。
早く帰ったら帰ったで、すごい大変なプレッシャーを感じると。
何もしないんだったら帰ってくる意味がない、みたいな。
そういうことを語られているお父様方が、
皆さんそうだったんですけど、
そうなんだと思って、ちょっと居場所がなさそうな感じなんですよ。
だから、9時以降にあえて帰るようにしてるとか。
時間潰してるってことです。
そうです。だから、何してるのか。
残業をあえてしてるのか、それともどこかで飲んでるのか、
それは分かりませんけれども、
あえて9時以降に帰るようにしてるっていうお父様方が、
僕もそうです、僕もそうです、みたいな感じがあったので、結構びっくりしました。
さゆみさんの家はどうなんですか?
03:01
家は早いですよ。
結構6時半とか7時?
遅くとも7時半までには絶対帰ります。
その時って、こっちもわーってなってるじゃないですか。
なってますよ、なってます。
その時に彼は?
彼はテレビ。
彼は彼のペースを保ってるのか?
保ってるんですけど、
必要な時はやっぱり手伝ってくれますし、
私がお風呂を順番に子供を入れてる時に、
じゃあ待ってる間、他の子の宿題をやろうとか、
宿題だけは見てくれる。
その間に宿題をやるとか、
明日のやらなきゃいけないこと、準備の確認とか、
そういったことは結構進んでやってくれるので、
私がフランス語だからできないから、あなたがやって、
振ってるとこもあるんですけど、
そういう風にしてもらってはいます。
それはね、自分からやってくれてるので、
あんまりプレッシャーみたいなのを感じてはいないと思います。
9時に帰ろうとは思わないってことですね。
9時に帰ったら逆にもう食べ物何もないよみたいな。
そういう感じですね。
本当に居酒屋さんとかないですからね、フランスにはね。
多分ほとんどの人が早くお家に帰ってお食事をするという前提ですよね。
だと思いますね。
だから私がこの記事を読んだ時に思ったのは、
ある意味お母さんがお母さんのコントロールできるやり方で家事を回したいのに、
変な話、中途半端に帰ってくると足手まといにもなるし、
やるならちゃんとやってほしいし、
その辺が旦那さんとしても居場所がなくなっちゃってわからなくて、
本人は頑張ってるつもりなんだけど、
お母さんから見たら、奥さんから見たら、
中途半端だったり。
全然できてないみたいな。
例えば宿題はもう100%パパが見るとか、
何かはっきりとしたルールみたいなのがあったら、
お互いの責任のあり場所もはっきりするので、
そこは尊重し合えるとは思うんですよ。
そこが基本的に多分、その記事を読んだ時に、
日本ではほとんどがお母さんが背負ってるんだなっていうのをちょっと感じましたね。
役割が明確じゃない。
仕事の時でもそうじゃないですか。
フランスだけじゃなくて、外資系だと文業みたいな感じ。
役割が明確になってるところが、
日本ってそこちょっと曖昧だから、
手が空いてる人が手伝うみたいな。
毎年ちょっとやってよ、手伝ってよ、みたいなね。
ありますよね。
その感覚が家事にも来ていて、
06:00
家事とか子育てとかにも出ていて、
はっきり言って、お母さんが司令塔になって、
その司令塔の下、お父さんが動くんだけど、
お父さんの役割が不明確だから、ある意味、
うろうろしてるみたいな。
っていう感じがしたんですよね。
だから、お母さんが完全リーダーになっちゃってるから、
お母さんがダメ出しされると、
もう彼の立場がないみたいな感じがして、
だから、家族の一員っていうよりは、
家族のメンバーなんだけど、
お母さんっていうか、奥さんと同等というよりは、
お母さんが司令塔で、その下に…
下についてるみたいな。三本みたいな。
だから、中途半端にしか彼も参画しないのかなって。
同等のとこにあればね。
でも明らかに、クジに帰りたくないっていうのは、
帰ったら逆に怒られるとか、
なんかこの司令塔がやっぱり中心になってるって感じじゃないですか。
だからね、すごく違和感というわけじゃないけど、
お互いにとって幸せなんだろうかって、
私はちょっと読んでて思っちゃったんですよね。
私もすごいね、その記事には結構衝撃を受けたんですよ。
えーって思って。
これはちょっと何か定義しなきゃみたいな思いに駆られて、
フェイスブックでアップしたんですけれども、
やっぱりちょっと違うかなと思いましたね。
私、ほら、嫌いな言葉で、
子育て、手伝うっていう言葉とか嫌いなんですよ。
手伝うんじゃなくていいし、自分がしなきゃって。
そう、でしょ、みたいなね。
手伝うっていうのは、明らかにお母さんを司令塔にしてる前提じゃないですか。
それをお父さんも認めてて、
お母さんもそう思ってるっていう感じだから、
もうその時点で、なんかちょっとスタートが違うかな、みたいな。
だから、参画するっていう参画の仕方は家庭それぞれだと思うんですけど、
司令塔の元に動けばいいか、ゴミ出ししようとか、
そういうのって、もう明らかに支持待ちですよね。
そうですよね。
で、別の言葉で言うと、育免とかね、言ってるじゃないですか。
育免とかじゃなくて、当たり前だろって感じも。
私も育免って言葉嫌いなんですよ。
それは当たり前のことじゃないのって、いつもすっごく違和感をね、感じてました。
だから、その育免であるっていうことがもてはやされて、
で、なんかその、自分は育免だからって言ってる人が、
奥さんから見ると、あんなの全然育免じゃないわよ、みたいな感じに思ったり、
周りからね、あれば育免ですね、って褒められたりするっていう、
その前提がちょっとはてなマークっていうのは、私もある。
09:05
でもこれは、仕事が遅いとか、家庭のことを面倒見きれる余裕がないとか、
そういう要素がいろいろあるんだろうなとは思うんですけど、
育免って喜んでて持ち上げてる場合じゃないでしょ、みたいな。
じゃないですよ。
そんなの普通であって、持ち上げるところがおかしいとすごく思うんですけど。
そういうところで、育免になりきれなくて、
司令塔からダメ出しされて落ちこぼれていくお父さんみたいな。
お父さんたちの不満とか悩みっていうのが、
座談会とかに出てたのかなっていう気がしたのが、ちょっと寂しかったですね。
私も読んでとっても寂しい気分になりました。
ああいうの出していいのかなって逆に思いましたけど。
でもあれがリアリティなんだなって私は思ったんですよ。
あれを出して、普通だって思える感覚が、
リアルな30代のカップルの現状なんだろうなっていうのを感じて、
日普通って簡単に比べられないって分かってるけれども、
お母さん司令塔っていう発想を、お父さんは経済大臣だけみたいな。
でもフランスって結構逆じゃないですか。経済大臣、旦那さんのところじゃないですか。
だいたいそうですよね。
そうですね。
家庭の我が家だって夫は全部握ってますよ。
うちもそうですね。
だいたいそうですよね。
友働きも、友働きでちゃんと仕切ってるっていう感じですよね。
すごいお金のことも、
入ってきますね。
夫婦でかなりきちっとしてるところ多いですよね。
だからよくご主人で自分がどれくらい給料をもらってるかよく知らないとか、
ありえないですよね。
どれくらいにお金がかかってるかとか、
全く奥さんに全部任せてるっていうのは多分ないですよね。
多分全くないと言えますね。
だからもう発想が多分ちょっと違うんだなっていう。
お母さんはもう家のことを仕切るっていう、
昔ながらの流れがそのまま残ってるのかなとは思ったんですけど、
これ今友働きにもなってきて、
奥さんも同じように働きながら家事の部分は、
結局変わらないまま生きてて、
お父さんにダメ出ししてるみたいな。
皆さんはどう思うかわかんないんですけど、
私はちょっと9時に帰りたくない、
9時までは帰りたくないっていうのは、
ちょっと寂しい話だなと思って聞いてましたね。
私もそう思いました。
はい、ということで本編スタートです。
12:01
はい本編です。
今回はエッセイストで翻訳家の中島さんおりさんのインタビュー第2回目です。
前回はフランスとの関わり方とかそういう話をしたんですけども、
今回は新しく2016年に出た本のお話を伺ってますので、ぜひ聞いてください。
今度本の話を伺ってもいいですか。
はい。
この本を哲学する子どもたちを読ませていただいて、
これフランスに住んでる人間としてはもうその通りっていう感じ。
ある意味私はまだ子どもが1人目が今年中学に入ったばっかりで、
2番目が小学校でいう3年生くらいなんですけども、
だからこれからこういうことが起こるんだみたいな感じで読ませていただいたんですよね。
これを書こうと思ったきっかけは先ほどもちょっと伺いましたけども、
何を一番書きたかったんですかおりさんの中で。
そうですね。
こんなに違うから面白いよっていうようなことがありましたね。
それから日本で私本当にこういうことを習わなかったけどこんなことを教えるんだというのがあって、
そしてこう教えたらいいじゃないのっていうのがあったんですよ。
それはね、ちょっとピアノの話に戻りますけど、ピアノもそうですよね。
それは別にフランスだ日本だっていうことじゃないんですけど、
どういうふうにすれば綺麗な音が出るかっていうことを教えてくれるんですね先生が。
そうするとできるようになるわけですよ。
ピアノは才能のある人は多分教えられなくてもそれができるんですね。
でも私は才能がないからほっとかれたらできないんですね。
じゃんじゃん汚い音で弾くわけですよ。
でも先生がこうやるとそういうのではない。
綺麗な音が出るっていうことを教えてくれる。
それを練習すればある程度綺麗に弾けるようになるんですね。
教師っていうのはそういうことを教えてくれるべきじゃないかなって思うんですね。
フランスの教育というのを見ていて私はそういうことをやっていると思うんです。
例えば論文の書き方、小論文の書き方。
フランスでは哲学の試験とかフランス語の試験とかそういうものに論文を書かせるんですけれども。
大学入試にあたるバカロレアというところでね。
かなり難しいことを書かせるように思えるんですよね。
試験問題だけ見ていると芸術作品には必ず意味がなければならないかとかね。
15:04
タイトルを見るだけでびっくりする。
日本人はたぶんびっくりすると思うんですね。
こんなのを高校生が書けるの?みたいに思うと思うんですね。
ところが書けるんですね。
それは書き方を教えるからなんですよね。
それは書き方はこういうことを書きなさい、こういうことを書きなさいっていうのではなく
内容を教えるんじゃなくてですね。
どういうふうに構成するかということを教えるんですね。
主題があったら、その主題をどういうふうに展開するか。
言葉を何か使うときにはその言葉を定義していかなければいけないとか。
その本の中できちんと書いたんですけれども。
本当にそれからイントロダクションはどういうふうに書かなきゃいけないかとか。
イントロダクションと結論とは同じことを書くんじゃないとか。
日本の小論文との違いとかも書いてらっしゃいましたよね。
そうですね。日本の小論文ととても違う。
日本の小論文と一番大きな違いは
日本の小論文というのは自分の視点を書いてそれだけ書けばいい。
自分の言いたいことだけ、自分の立場から見たことだけを書けばいいんですね。
フランスの論文の書かせ方というのは
伝承法というときに自分の一つの考え方があって
もう一つ反対の考え方があって
それを総合して考え方にする。
そういうものが根底にあるので
見方が一方的じゃなくて
反論があって然るべき、反論はなきゃいけないという形で教えるんですよね。
そういうところが思い込みじゃなくて
いろんなことを検証しなきゃいけないし
自分の意見じゃない、自分と対する意見というものを
もっと尊重するようなふうに育てられるんじゃないかなって思うんですね。
日本人は議論が下手だってよく言うじゃないですか。
私はやっぱり学生の頃にそういう議論とかみんな見てて
やっぱり一方が言い立てて、一方が全然違うことを言って
それで結局いろんな考え方がありますからって言って終わるっていう
噛み合わないまま終わるみたいな。
そういうこと多いじゃないですか。
あとそれは結構悪くないパターンで
もっと悪いパターンだと
人格攻撃みたいになっていって
でもあいつらは口が聞かないみたいになっていって
ちょっとバカバカしいんじゃないかみたいな
そういうことが多分起こらない。
フランス人は議論とか好きじゃないですか。
そういう基礎が育てられているんだなっていうようなことがあって
それはちょっと日本でも勉強したらいいって教えたらいいし
すぐに教えられることじゃないかもしれないけれども
学校で勉強していることの内容が面白いなっていうのがありました。
18:01
その書き方とか構成っていうのは
どの段階から学び始めたの?
中学生。
中学生からもうやってると思いますね。
中学生からやってる。
ただ哲学という科目は今のところ
高校の3年生、最終学年に置かれていて
最終学年でしかやらないんですね。哲学自体は。
ただ哲学が最終学年に置かれているのは意味があって
つまりいろんな物事をどう考えるか
あなたがどう考えるかっていうことが大事な科目なので
それの基礎になる知識みたいなもの
歴史地理で習ったりとか科学で習ったりとか
そういうことを総合するから
他の科目でいろいろ勉強してきたことの上にあるみたいに
それが最終学年に置かれているというふうに読みました。
これから変わるのかもしれませんけれども。
だからそれ自体は
哲学自体は高校3学年、第3学年でしか習わないけれども
論述の仕方みたいなのはもっと前からやっていて
フランス語の試験はここ2年でありますから
フランス語の論文みたいなのがもっと前に書かされるし
どの科目でもフランスの答案の書き方っていうのがあって
それは高校の1年生、2年生あたりでは始めますね。
そしてそれに向かっているから中学でもそってはいる。
ただ中学の段階と高校の段階では要求度に差があるらしくて
それは深さという感じですか?
そうですね。
違うみたいですね。
だからあんなに哲学の問題を見ても
確かに私は本当に日本の教育を受けてきた人なので
どうやって展開していくのって
本当にさっきのおっしゃった小論文的な展開でしか考えられなかったけれども
彼らは10代からそれを学んでいるわけだから
それが当たり前のような形で
テストとかそういうのを受けていくということなんでしょうね。
テストはそういうものだと思って受けるんでしょうね。
基本記述式ですもんね。
そうですね。
マークシートとかそういう選択式がない。
別に哲学で教えているこの形で絶対書かなきゃいけないとか
そういうことはないと思うんですけど
でもやっぱり基本にそういうものを持っているから
自分の考えを展開するやり方というのは
学んでいるんだろうなと思いますね。
だから私はこの本を読んですごく感じたのは
そういう構成の話も全部込みなんですけども
そういう仕方で考えたら
考える癖っていうのがつくだろうなっていうのをすごい感じて
やっぱり私たちってあんまり考えてこなかったなっていうか
日本で生きてきた人間としては
21:03
なんかこう小論文展開の考え方であって
本当にテーゼとアンチテーゼがあってみたいな話って
聞いたことなかったですし
だからこういうトレーニングってやっぱり
ちっちゃい頃からやっているところを考える
思考能力にすごく影響を与えるんだなっていうのは
私は感じたんですね。
物を考えるっていうのはやっぱり言葉でするじゃないですか。
だから書くっていうことは一番考える訓練になると思うんですね。
実際自分で書いてても
ちゃんと自分が分かっていないこと
自分が本当によく考えたことじゃないと書けないじゃないですか。
書いているうちに破綻がわかるんですよ。
わかります。自分でわかりますよね。
だから文章を書かせるっていうことは
子供に考えさせるっていうことだと思うんですね。
でも私たちの日本で受けてきた教育というか
大学入試がよくないんだと思うんですけども
大体その卓一問題マークシートで
4つの答えの中から1つ選べみたいな
そういう試験っていうのは知識を問うことができる
これ知ってるか知ってるか知ってるか
それはいいと思うんですけど
その知っている知識をどういうふうにつなげて
あなたはどう考えるかっていうことは
全然試されないわけですよね。
全く試されないわけですよね。
日本の多分記述式の試験っていうのも
800字以内でとかすごく少ないですよね。
800字以内で自分の考えたことを
展開することはできないですよね。
そうですね。原稿用紙2枚ですよね。
800字以内でできるのは
知っていることを文章にするっていうことはできる。
何かをまとめることもできるかもしれないけれども
やっぱり哲学の試験は確か4時間かかるんですよね。
あとフランス語の試験も3時間とか4時間とかかかりますよね。
そのくらい時間がないと
一乗もまとまったことを書くってできないと思いますよね。
思うんですね。
私なんか4時間で書くって言われたら
本書けないんじゃないかな。
そんなにさっさと書けたら随分
書ける人もいるんだろうけど。
だからそういう訓練を
大学のうちはたぶんたくさんの人が受けてくるから
これ採点簡単だとか
そういうことでやってきたことなんだろうと思うけれども
でもそのために教育はやっぱり
大学生のうちの高校教育は向いてしまうから
これに受かるようにっていうような
教え方になっていくわけじゃないですか。
それでやっぱり考えるっていうことは
日本の教育の中からは
割と外れていくというか
おろそかにされていくんじゃないかなという気がします。
フランスの教育だと確かにおっしゃるように
24:00
書かなきゃいけないっていうことは
考えなきゃいけないので
訓練されるんじゃないでしょうかね。
分からないけど
新聞とかによく
女優さんとか
女優さんじゃなくてもですけど
作家は当たり前かなとか
いろんな人が意見を出すじゃないですか
この間それこそ
バランストンフォームの
MeToo運動に反対して
カトリー・ルンドヌーヴとかが
100人の署名をしたとか出すと
そうするともう即座に
それに対する反論みたいなのが
いろんな新聞に出てくるじゃないですか。
やはり全部自分の意見みたいなのを
まあよくこんな一々で
みんな書くなみたいなのが
出てくるでしょう。
ああいうの書き慣れてるんだなって
思いませんか。
そうですよね。
本当にいわゆる普段文章を
書いているような
職業じゃない人たちも
結構意見を論理立てて書きますよね。
書きますよね。
確かにそれは思いました。
慣れってことですね。
多分そういう慣れはちょっとあるのかな
って思いました。
やっぱりじゃあ
日本とフランスの違いはそこの部分ですか。
そういうところはあるでしょうね。
やっぱり教育に関してはあって
そういうことを当たり前だと思って
生きてきているから
まあよくしゃべりますよね。
よきにしけやしきにつけね。
あと時々
これはもう個人的な感想なんですけども
フランス人としゃべってて
ロジックが噛み合わないときがあるんですよ。
自分なりのロジックを展開されて
正当化するためのロジックだと思うんですけど
ああいえばこういうじゃないけど
私から見るとそのロジックあれ?みたいなのが
堂々とおしゃべりをされると
そっちの論理展開が正しいんじゃないか
それは声の大きいものが勝つみたいな
あの世界ですかね。
そうなんじゃないでしょうかね。
確かにね、いろんなね
教育的に訓練を受けているとかいったって
全員が素晴らしいわけじゃないですか。
私の夫と喧嘩すると
なんでわかんないの?みたいに
ありますか。やっぱり。
自分の言っていることしかわかんない。
あんなにほら、ていぜい、あんちていぜいって
ちゃんと論理展開ができる人たちなのに
いや、全員ができるわけじゃないでしょう。やっぱり。
いくら教えられてもね。
そこは気にしなくていいんですね。
そういうもんだと思えば。
噛み合わないって。論理が噛み合わない。
要するにこちらの言っていることを
わからないってことでしょ?
わからないし、わかろうとする意識がないのか
自分の良さというか正当性を
27:02
こう言ってもそれを認めさせる正当性がある
論理展開をしていくんですよ。
説得する力はあるんですか?
でも私からすると
そのロジックは
本当声が大きいから納得させられているだけなのかもしれないけど
それはちょっと言いがかりっていうか
自分を正当化しているだけなのかな
とか思っちゃったりするんですよね。
自分の説を主張するためには
自分の説が成り立つぞということを
論証していくわけだから
それなりに正当性があって正しいのであれば
論としてはあるんじゃないですか。
そこに論に破綻があるか破綻がないかっていうところは
どっちなのかなって今ちょっとお話を聞いていて
わからないんですね。
破綻があるんだったらそこをこっちがつけばいいわけだけど
破綻がないんだとやられてしまうっていうことですか。
ただ何ていうか
こちらの言っていること
こっちにはこちらの論理がある
こちらなりに論理に破綻はないんですけれども
それをわかってくれないっていうことはありますよね。
それはありますね。
それの方が大きいかもしれないですね。
日本人がこういう協力を受けたフランス人と
例えば一緒に仕事をしていくとか
一緒に生活をしていくときに
気をつけなきゃいけないこととか
あるいは意識した方がいいことって
何か沙織さんなりにありますか。
多分わからないけれども
わからないけど
彼らはやっぱり
論的な説明が通っているということを尊重する人だし
おそらく
だから感情的な
やっぱり日本人は
理屈はそうだけど感情が許さないみたいなのが
すごく大きくて
感情で動いている人がすごく多い
それよりは
もちろんそれは全員がじゃなくて
ステレオタイプに還元できるものじゃなくて
フランス人だってそういう面はあるから
だからフランス人がみんな理性的で論理的で
自分が間違っていたと認めて
そんなことは全然ないんですけど
でもやっぱりフランス人に対しては
説明をするということが有効だと思うんですね
だから多少言いまかされてしまうかもしれないけど
でも私はこういうつもりでやったんだし
それが地道に立てて説明できて
ああそうかと思えば
彼らは納得するっていうところが大きいと思う
そしてそのことをあんまり悪く思わない
日本人は同じことを日本人に対してやると
かえって悪いみたいなことになりませんか
30:02
怒られているみたいとか
いじめられているとか
そういうふうに通るんじゃないかなっていう
そして理屈が通っていれば通っているほど
理屈っぽいとか
嫌がられて嫌われちゃうみたいな
だからやっぱりフランス人のほうが
理屈が通る人たちだとは思いますね
もちろん比較的な問題だと思うんだけど
でもどうかな
またフランス人はフランス人で
私はフランス人っていうのは
フランス人がいろいろ教えてくれて
日本人が学んでいる
そういうのがすごくいい関係でうまくいくけど
逆に日本人のほうが能力や知識とかがあって
フランス人に教えるみたいになると
フランス人って教えてもらうっていうのが
すごく下手な人たちじゃないかと思います
教えてもらうっていうことが下手で
嫌なんじゃないかな
プライドですか?
なんなんですかその教えてもらう
素直じゃない?
なんでしょうね
わからないけど
教えられて素直に
ああそうかっていうふうに言いたくないみたいな
感じがしますよね
それでなおか向こうからが教えたがりますよね
私が日本人だからか
女性だからかな
なんでか知らないけど
おかしいこといろいろあって
台湾人とか中国人とか
マイケルとかジョンとか
つけますよね
つけるじゃないですか
そういうのって
アジア人はみんなやるよねみたいな感じで
日本人やらないけどみたいな話で
でもたまたま私は
クリスチャンネームあるんだ
僕普通にクリスチャンネームあるから
私はあるけどねなんて言うと
当たり前だみたいな
当たり前みたいだろみたいな
アジア人みんな二つあるだろ
ヨーロッパ名あるだろみたいな
そういうふうに
布団っていうのは
すごい厚ぼったマットレスですよね
こっちのはね
あれが布団じゃないんだけれども
日本ではみたいに言っても
絶対あれが布団だって言って譲らないとか
それから日本では
うさぎを食べないって
うちの旦那が言っちゃって
うさぎ食べないことないけどみたいな
ふうに思ってもですね
私がうさぎ食べないよって言っても
絶対うさぎは食べないんだ
日本人はうさぎを食べないとか
布団はこういう厚ぼったものだとか
間違ってるなって思うようなことでも
あ、俺間違ってたって言わないんですよ
33:02
堂々と主張してきますよね
何かありますよね
教えられない
あと私昔うちに
ホームステイをしていた
フランス人の女の子がいて
私は若い時に同い年くらいというか
私はちょっと年上だったんですけど
そうすると
茶碗の持ち方が違う
こうやって茶碗の中に親指を入れたりするので
それはちょっと日本の茶碗の持ち方ではありません
って教えるわけですよ
疲れているから
絶対直さないとかね
何かこうそうですよね
その辺も加味しながら
どうしてかは分かりません
ただ教えてくれる分にはすごく
こっちが教えると思う
でも分からない
日本語を教えている先生の中は
そんな風に思っていないかもしれないし
教えてもらっている何によるかにもよる
だから皆さんがどう思うか分からない
私の経験ではちょっとそうなのかな
私が低く見られているだけかもしれません
今後詳しい本はね
こちらの本を読んでいただきたいなと思うんですけども
今後は沙織さんが書いてみたいなっていうテーマは
私は今考えていることがあって
パリジェンヌについて書いてみようと思っているんですね
パリジェンヌのどの部分を
パリジェンヌについての本はたくさん出てますでしょ
パリジェンヌかっこよかったり
お洋服の着方が素敵だったり
最近だとお洋服たくさん持ってないとか
そういう本はたくさんあるので
それを書こうと思っているわけではないんですけれども
パリジェンヌって
みんながすごく特別なものとして
盛り上げるわけじゃないですか
そのパリジェンヌ像っていうのは
何なのかどこから来ているのか
そして何を意味しているのか
みたいなことを考えてみたいなと思って
パリジェンヌっていうのが多分生まれてくるのは
19世紀の終わり頃の
ファッションとかなんか
ちょっとまだ考えてないので
まだちゃんと調べてないので
そのあたりに出てくるんだと思うんですけど
今あるパリジェンヌっていうのは
フランスの人自身が
パリジェンヌっていうのを作っている部分もあるけれども
あとアメリカでやっぱり
フランスの女性っていうのが
ちょっと理想化された形で出てくるじゃないですか
日本は多分アメリカの影響とか受けているんだと思うんですけど
日本のパリジェンヌ像っていうのも
独特なものがあって
いろいろ互いに矛盾したりもするんだと思うんですが
36:00
何でパリジェンヌってそんな特別なものなのか
そのパリジェンヌっていう
世界の女性が持っている
パリジェンヌっていうイメージは
本当のパリのフランスの女と
どういうふうにリンクしているのか
結構違ってたりもすると思う
ありますよね
その部分は大きいかもしれない
パリに住んでいても全然パリジェンヌじゃない
パリジェンヌじゃない人もいっぱいいるわけじゃないですか
我々住んでいると
そういうことは知っているわけですよね
だからそうじゃないパリジェンヌっていうのがあるわけですよね
でもイネス・ドラフケさんとか
パリジェンヌっていうのについての本を書いたりしているじゃないですか
そういうパリジェンヌのイメージっていうのは
やっぱりフランスの女たちが持っている
自分たちの理想のイメージみたいなところもあるわけでしょ
そういうものについて考えてみたいな
というふうに思っているんですけれども
まだ何にも書いていない
構想っていう感じか
そうですね
だから次はと言われれば
そういうことを書いてみたいかなと思っています
私もぜひ読んでみたいです
早めに書いてください
読む人いるかな
いますよ
教育とか最初の本の本とちょっと近いかもしれないですけど
女性の持っている生き方と
実際パリジェンヌの像っていうのは
確かにパリジェンヌって言葉が
一人歩きしているところもあると思う
一人歩きしているところもあって
やっぱりパリの女たち自身が
そのパリジェンヌ像っていうのに
コンプレックスを抱いているところもあるらしいんですよね
イメージとのギャップみたいな
自分はパリジェンヌになれないみたいなのがあるらしくて
そういうパリジェンヌって
面白いなと思ったんですね
なんでこういうパリジェンヌっていうものがあって
そこには女性たちのどういう夢があるのかな
今後の方向性とかも考えていて面白いですよね
パリジェンヌの
じゃあその本もちょっと近いときも楽しみにしていますので
これからもまたよ本を読ませていただきます
ありがとうございました
中島沙織さん2回目のインタビューでした
今回は哲学する子どもたちっていう本の中身について
お伺いしたんですけども
哲学の試験とか文章の書き方の違いっていうところ
日本とフランスでは全く違うよねみたいなところ
本当ですね
私も習いたかったです
私もお話聞いて本当に習いたかった
そういうのを習得できなかった
39:00
日本の学校ではできないじゃないですか
そういうことを習いたかった
ちゃんと反論というか
そうですよね
アンチテーゼみたいなものを考えつつ
ちゃんと意見を言えるようになりたかった
それこそ本当に論理的思考ですもんね
私も今の自分たちも当たり前にやってたけれども
息子の補修校見てても日記とかあるじゃないですか
日記って
あと夏休みも読書感想文とか
夏休みの日記とか書くから
日本ってああいうのが普通なんだと思うんですけど
そこには論理思考じゃないじゃないですか
自分の思ったことだけなんですね
書くじゃないですか
それだけでも多分字数だけはすごく多めに
例えばこのぐらい書いてくださいとか言われて
何をこれ以上書くことがあるんだろうみたいな
書く練習とかにはいいんでしょうね
そういうちっちゃな子にはね
でもうちの子なんて何々どこどこ行きました
何々しました
楽しかった
終わりですからね
うちの子楽しかったもないんですよ
イルカと遊びました
イルカとキスした
以上終わりみたい
ママは笑っていた
事実を描写して終わるみたいなね
これに意味があるんだろうかってちょっとね
書く練習としてはね
いいんですけどね
楽しかった以外の表現はないのかって言われても
彼らにはいまいちピンとこない
みたいなところがあって
でもその時に
だから日記を書けってなっちゃう
多分そうなっちゃうんだと思うんですよね
あと小論文とか
これを見て感じたことを書きなさいとか
今度感想文とかもね
自分だけの感じたこと
そうなんですよね
だからそのノリで小論文を書いてたけれども
こっちはその弁償法っていう言い方をされてましたけど
自分の考えを出し
その反論も出し
結果的に自分はどう結論付けるかみたいな
ところがもう書き方として習うと教えてくれて
その形を応用して哲学の試験もある
バカロリアの哲学の試験とか見たことあります?
ないです
もうねほんと一行ポンっていう感じなんだけど
は?みたいな感じなんですよ
かけ
かけみたいな
でその例えば今ここにあって
ちょっとフランス語に
フランス語か日本語に訳しにくいんですけども
知るためには観察するということで十分か
っていう質問なんです
つまり知るっていうことと
観察するってことをちゃんと論理付けて考えて
それで観察することで十分なのかっていうのを
42:00
これ3時間かけて書くんですよね
ちょっと私書けないと思う
書けないでしょ
あとこれって私の権利だよねっていうことっていうのは
それは正当性があるものかみたいな
これ2番目の問題
は?みたいな
まだそっちの方が書けそうな感じもするけども
でもそれをやっぱりある一定の考え方としてのフォーマットがあって
それに沿ってやっぱり書かなければいけないんですよね
まあそれなりに文字図もあるし
3時間かけて自分の論理展開も考え書く
3時間っていうのがすごくないですか
すごいですよね
でこれがやっぱりバカロリアの中で文学系と理系でまた問題が違ったりするし
3時間じゃない4時間ですね
2017年は朝8時から12時まで
すごい
4時間かけて
8時から
哲学だけこれひたすら書くんですよ
まず自分の中で論理というか
組み立てなきゃいけないですよね
いけないですよね
じゃあ知るってことはどういうことなのかとか
観察するってのはどういうことなのかとか
これを17、18で書くわけですよねみんなが
で合格しないとバカロリア取れないわけですから
それはやっぱりすごい
私フランスに来た時思いました
なんでフランス人ってこんなに大人びてるというか
思考がね
誰でもそうですよ
すごいしっかりしてるの
すごく自信を持って言うの
すごい思いました
そういう裏付けがね
多分学業の面でみんなあるから
反論されても自分はこうっていう
結局意見を言える論文を書く
各訓練をしてるわけじゃないですか
だからいくら反論があったとしても
自分はこうですっていうことを
結果的にその反論も含め
提示できるっていう人がやっぱり
教育としてなされているので
みんな自信があるのかなっていうのを
ちょっと感じました
だから私も沢森さんにこう
インタビューの中で聞いてましたけど
あんなに堂々と自分のロジックを言って
私から見たら
どう考えてもそのロジックは言いがかりだなと思ってたとしても
自分のロジックにすごく自信を持っている
だからはぁって思っても
本人はそこでガンガン主張してくるから
私のロジックが違うって思ってしまうぐらい
あの自信の感覚っていうのはすごく
面白いなっていうか
フランス人の中ではだなっていうのを感じますね
45:00
やっぱりね
そうですね
これやっぱりね
教育の影響というと
あると思いますね
すごく大きいと思うんですよ
あと沢森さんが言ってた話で面白かったのは
フランス人って教えてもらうのはいいけど
教えられるのがちょっと苦手というか
いまいちみたいな話もしてましたよね
だからそれはなんとなくわかる気がする
彼女はなんだっけ
お茶碗のなんかホームステージに来た女の子が
お茶碗を親指の中にこう手を突っ込んでて
お茶碗の持ち方が違うって言ったのに
私疲れてるからっていう
わけわかんないロジック
私の感覚はそれなんですよ
わけわかんないロジックを持ち出すっていう
関係ないだろうみたいな
疲れてるとかって関係ないでしょみたいなのが
堂々と言ってしまう
この発想がね
疲れててもやっちゃう
やっちゃう
疲れてなかったらやらないのかみたいな
思わず言いたくなるんだけど
それを正当化させてしまえるようなロジックを
持ち出す
これは多分自分の子供でもそうで
なんとなくこう
何言ってんのみたいな
例えば反抗してきたりとかする時とかも
多分日本の反抗期とはまたちょっと違って
よくわかんないロジックを
多分絶対持ち出してくるはずなんですよね
本当に親としてどう関わり合うか
日本人としてね
私の長女とかでも
他の人にちゃんとご挨拶しなきゃいけないよ
って言っても
なぜ
私はしたくないから
しない
なぜする必要がある
それを言ってとかって
なぜがね知りたい
なぜしなきゃいけない
したらどういうことがあるとか
すごいロジカルですよ
それでしない理由を
自分がしたくない
しなくていい理由を並べ立てる
11歳ですけどね
すでに
そこをまたこっちのロジックで攻めないと
あっという間に任されちゃうんですよね
これはね
フランス人の夫でないと
今のところ対応できないかもと思いました
母親としては
結構びっくりする
ロジックを出されてきたりするので
なんで挨拶しなきゃいけないの
私には関係ないじゃないの
確かに関係ない人だけど
でも挨拶するのが普通なの
それが世間の常識って
そんなの私には関係ないって言われたら
もうひえーとかってね
そんな感じになりますね
やっぱりさゆみさんとしても
挨拶するロジックをちゃんと
体制として持っておかないと
向こうのロジックでやられてしまう
48:03
それを持って言ったとしても
でも本人がしたくないから
しなくていいロジックをね
持ってくるんですね
そこがボタンの掛け違いでわけわかんなくなる
それはすごい私も感じますね
そういう意味では
自分の思考の仕方とか
考えるってことについては
すごくやっぱり勉強になるっていうか
フランスの思考の仕方と
日本の思考の仕方は違うんだな
そうですね
あとパリジェンヌの本の話も楽しみですね
すごいそれはね私もめちゃめちゃ楽しみです
フランス人パリジェンヌが
パリジェンヌのイメージに
コンプレックスを感じてるっていう話が
私はすごい興味あるなと
多分フランス人でもやっぱり
パリジェンヌっていうのに
かなり反応するんですよね
いろいろコンプレックスとか
感じてるところがあるみたいですね
その辺の話を早く読みたい
まだ多分そういうことは誰も書いてないので
そこまで本当イネスが書いてた
パリジェンヌの本っていうのは
彼女は体験として書いてると思うんですけど
それを外側の人間から分析して書くっていうのは
まずないですね
ないと思うんで
私たちもすごく楽しみだなと思います
また来月も素敵なゲストをお呼びしてますので
楽しみにしていてください
ありがとうございました
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また次回もパリで学んだ
ぶれない自分の作り方をお楽しみに
秋でした
50:28

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