西村茂樹の紹介
こんにちは、栄基です。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日はですね、ちょっとフランスネタをお話ししたいと思います。
実はですね、私はフランスに住み始めて、23年になるんですよね。
で、そのタイミングでどういうビザが出るかっていうと、滞在許可書っていうのがあって、
いわゆる永住権っていうものはフランスにはないんですね。永住権っていうのはなくて、10年の滞在許可書。滞在許可書っていうのはフランスに住んでいいんですよ、と。
なので、私は例えばこの間、ヨーロッパ内のポルトガルっていうところに行きましたけども、私一人はパスポートを持っていくわけですよ。私は日本人なので。
でも、私はそのパスポートを見る限り、ポルトガルに入ったっていう証明がないわけですね。スルーなので、ヨーロッパ国内。
なので、あなたはもしかしてヨーロッパに住んでますかと。住んでいるのであれば、その滞在許可書を見せろと言われます。
これね、日本でもそうなんですね。日本で出国とかそういう時ではなく、むしろ飛行機のチェックインの時に航空会社からあなた旅行じゃなくて住んでますよねの証明を出せと言われるんですね。だから住んでる証明を見せれば入れます。
その滞在許可書っていうのは、いわゆるフランスでいう身分証明書です。フランスの身分証明書っていうのは、例えば国民一人一人がフランス人全員持ってるんですよ。だから日本みたいに免許証がとか保険証がとかそういうのは全くなく、身分証明書っていうのがあります。
その大きさもだんだん小さくなってきて、いわゆるクレジットカードと同じ大きさぐらいになってきてるので、今本当にスッとお財布にも入るようになったんですね。いわゆるフランス人はブルーとかグリーン、ブルーグリーンみたいな身分証明書なんですよね。
私たち外国人としてフランスに住んでいる人はピンクなんですよ。だから身分証明書出してくださいって言ったときに、そのカードがピンクだったら外国人なんですよね。それが明らかになる。
私自身は、これね昔から聞いてる人はご存知かもしれないんですけども、私の場合には2001年に住み始めた頃、その頃は私学生だったんですけども、結婚したときに1年滞在していいですよっていう許可書がおります。
1年のビザがおります。で、終わってもう1回1年やって、2年やって3年目で10年がおりるっていう感じだったんですね。だから2回1年を繰り返してくださいっていう感じだったんですね。
で、私よりもだいぶ前にフランスに来た方は結婚してすぐもう10年がおりた感じだったんですけども、私が結婚する前の年とか前の前の年ぐらいに結婚した人は1年後に10年がおりたんですね。
で、私の時には2回2年で10年がおりる。で、私の後に3回で10年がおりるってだんだん伸びていきました。これ良い悪いではなくて、いわゆる偽装結婚みたいなそういったものを避けるためにも行われた仕組みだと言われています。
そして私は2005年に10年ビザを始めておりました。もう本当に幸せだったんですね。なぜかというと、この滞在許可証を取る時の手続き、待ち、予約が取れない、いろんなドラマが涙と汗の結晶となって、もう本当に終わった時の安堵感とガッツポーズ感みたいな。
1年更新でも毎年味わってたんですよ。これが10年やらなくていいんだっていうこの安心感。これ本当に終わるまでドキドキなんですよ。言い方悪いんですけど、担当者のご機嫌一つで変わっちゃう場合があるんですよね。処理が完璧だったらそうないんですけど、いくらでもケチをつけようと思えばつけられるので、そういう意味ではもう本当にヒヤヒヤなんですよ。
2015年の時に初めての10年更新をやって、10年を更新するってこんなに楽なんだと思いましたね。一応その10年間住んでる人なんだという前提で、長期の滞在許可証が出てる人って位置づけなので、書類の数も多分そんなに多くなかったし、ストレス度が減った。
これでまたあと14年ってなったんですね。
いよいよ来年、2025年が来て、私の次の10年の滞在許可証の更新が来ます。
その県庁の場所にもよりますし、県庁の中でも副県庁扱いで、県庁まで行かなくっても近場の事務所、副県庁ですよね、で住むっていう場合もあって、私の場合は隣の町に副県庁っていうのがあるので、本当にバスで10分もかかんないようなところにあるんですね。
こちらに行く。2015年から明らかに変わったのは、ネットでドキュメントを出せるようになったってことなんですよね。
もう既に遅いだろうって感じなんですけども、2015年の時は並んで予約をわざわざ取って、そのために並ぶんですよ。
で、1回帰ってくる。で、予約の面会の日付ですよね。その日付にまた行く。で、何事もなければまたその新しいカードを取りに行くって3回行ってたんですけど、見てみたら今はネットの仕組みでネット上で申請ができるようになりました。
だからドキュメントもデジタル化してます。これがこの10年で変わったことですね。なので、ドキュメントを出すためにフランス語で言うランデブーって言うんですけど、アポイントを取る必要はない。
で、あとその時に、なんか書類はまだ細かく出てきてないんですけど、書類自体はそんな大したものじゃなくて、例えばその住所がちゃんとわかるもの、証明書であるとか、今までのカードのコピーであるとか、そういったレベルのものなんですけれども、もう一つ新たに加わった項目がありました。
それがですね、フランス語の能力試験なんですよ。フランスの国籍になる人はフランス語の試験が必要なんですね。要は言葉だけじゃなくて、歴史とか文化とか、要はちゃんとフランス人になるための基礎知識、ちゃんとあるっていう、そういうのを行うテスト。
で、その中に言語があるんですよね。だから簡単に国籍を取れるわけでもないんですよ。年齢厳しくなってきてる。で、私は滞在許可書の更新なので大したことないと思っていたら、どうやらその試験をやったことない人はちゃんと試験を受けろというのが出てたんですよね。
フランスでいう英検みたいな感じですよね。なんか日本の英検みたいないう資格試験ですよね。で、ビビってしまって、え、フランス語の試験みたいな。で、私は国籍取るわけじゃないから大丈夫と顔をくくってたんですが、やっぱりその制度が取り入れられたのが2015年の後だったんですね。
なので私はその前回の時には受けずに10年更新してるんですよ。でもやっぱり1回も受けてない人は受けてくださいっていう証明書があるので受けなきゃいけない。これをね、だから更新の前までに受けとかなきゃいけない。
でも、そこをフランス語ちょっとどう勉強しようとか思って。で、なんか求められるレベルはAの2のレベルまでですって言って、このAの2のレベルが何のレベルなのかわかんなくて。正直、なんか昔フランス語の文科賞の試験を受けたことがあって、その第一ステップは受けたけど第二ステップ受けてないしなとかいろいろ思ってたんですよね。
で、もう慌てて怖くなって準備しなきゃ、勉強しなきゃみたいな感じになり、試験のどういう問題かっていうのを見てみました。そしたらね、正直ほっとしました。
でもね、すごい実用的で、例えばこういう看板が出てます。ドクターのところに行くとき、例えば午前中9時から12時まではアポイントあり、午後からの診断は、診察はアポイントなしみたいな感じでちょこちょこ両便によって分かれてるんでしょうね。
で、この人はこの状態で行くためには何曜日アポイントは取ったほうがいいですかとか、なんかそういう質問だったり、あとは不動産屋さんに行って不動産屋さんのアナウンスを見たときに、この人はこういうのを探してるけど、こういう告知はあなたの希望に合ってますかとか、そういうのをトイックみたいに四択で選ぶ質問でしたね。
で、これを読んでね、これぐらいのレベルだったらいけるかなと思いましたね。なので、フランス語の試験があるってビビってたんだけど、その辺はレベル的には大丈夫だった。ただし、やっぱり試験は受けとかないといけないっていうのが分かったので、ちょっと受けようと思ってます。
で、問題は特にコロナの時はもっと大変だったんですけれども、私の場合は5月末で切れんですね。で、多分3ヶ月前ぐらいから申請ができるんで、私はもう速攻3ヶ月前からやるんですけど、基本的に。まずその自分の期限が切れるまでに新しいカードは出来上がらないんですね。
で、出来上がらない場合はレセピセと言って、その仮証明書を出してもらうんですね。で、その証明書がないと、私国内を出れないんですね。だって住んでる証のものがなくなっちゃうから。で、この5月っていうのが微妙でして、夏のバカンスに重なってくる可能性があるんですよ。
6、7、2ヶ月ぐらいの間に降りないと、私はレセピセで行かなきゃいけない。で、そのレセピセの申請も大変なんですよ。で、レセピセって6ヶ月分しか出ないんですけど、レセピセだけでもう1年経っちゃったっていう人もいるんですよね。
これはね、住んでる場所にもよると思いますけども、なので私にとって2025年のこの10年ビザの申請はかなりもしかしたらドラマティックというかね、またドラマがあるでしょうし、一番ポイントなのは国の移動がなかなかしにくくなると、計画が立てられなくなるってことじゃないかなと思います。
それでは本編スタートです。
デュッセルドルフの日本人コミュニティ
はい、本編です。今回ですね、久しぶりにインタビューをさせていただきました。
ドイツにお住まいの西村茂樹さんという方なんですけども、久しぶりの男性で、彼はね、この度こういうタイトルの本を出版することになりました。
ドイツ人のすごい働き方、日本の3倍休んで成果は1.5倍の秘密っていう本をお書きになりました。
彼はずっとドイツで会社員で駐在という形で会社員生活を送りながら、今はね、いろんなコーチングとかそういういろんな活動されている方なんですけども、
そのドイツに長く住んでいらっしゃる社会人の目線から日本とドイツの比較っていうことを今回伺っています。
ではぜひ楽しんでください。
今日は素敵なゲストの方に来ていただいています。
ドイツ在住17年、人生を100倍楽しむドイツ式ライフコーチの西村茂樹さんです。よろしくお願いいたします。
西村さん、今日は招きいただきありがとうございます。そして皆さん、はじめまして。
ドイツ式ライフコーチの西村茂樹と申します。本日お聞きいただきありがとうございます。
ありがとうございます。なんて呼びましょう、茂樹さんって呼んだほうがいいんですか?茂樹ちゃんって呼んだほうがいいですか?
茂樹ちゃんでお願いします。
ドイツ在住17年ってことなんですけども、ドイツはどちらにお住まいなんですか?
ドイツのデュッセルドルフという町にいます。デュッセルドルフはドイツの中でも北部で、どちらかというとオランダとかベルギーの国境近い町ですね。
そしてデュッセルドルフは人口60万人ぐらいの都市なんですけれども、日本人が多い、日本人コミュニティがあるというので有名な町でもあります。
だいたいその人口60万人に対して8000人から9000人日本人がいるという方ですので、日本人が住むためのインフラを整っていますし、
私の家の近くなんかだと日本人向けの学校があったりとか幼稚園があったりするので、朝なんかはマムチャに乗ったお母さんが子供を送っているみたいな。
ここはどこなの?というような場所になっています。
それだけ駐在の方が多いという位置づけですか?
おっしゃる通りですね。ちょっといろいろで第二次世界大戦後の歴史的な経緯があるんですけれども、
当時は銀行とか商社とかが進出し、その後にメーカーなんかも来て、今ではですね、周辺を含めると200社以上の一定企業がこの辺りにあって、
先ほど申し上げた日本人学校も小中でだいたい200人以上というような形なので、すごい大きな日本人コミュニティになっています。
ヨーロッパの中では日本人が多いところというイメージだと、もちろん大都市とかロンドンとかそういうのもあるけど、
やっぱり日本人のコミュニティ的な位置づけで言うと、やっぱりデュッセルドルフって一番大きいのかな?
おっしゃる通りですね。数で言うとロンドンがヨーロッパの中では一番多いらしいんですけど、日本人が住んでいるという意味では。
ただ、先ほど申し上げたようにぎゅっと凝縮しているっていうんですかね。60万人の都市の中で日本人がそれだけ多いっていう密度が高いという意味では、
デュッセルドルフが一番じゃないかなというふうに思います。秋田も来られたことがあるのでご存知だと思うんですけど、
ラーメン屋が何軒あったり日本食のお店があったり、リトル東京なんて呼ばれるかと思ったり。
そうなんですね。そこに17年前、お仕事でいらっしゃったってことですよね。
正確に言うと、累計17年になります。2回に分けてして、以前は2002年から2007年、5年間いまして、
そして今回は2013年から12年目になるということで、それがちょっと偶然というか、同じ時のデュッセルドルフという町で会社が変わった形で、
それぞれいわゆる海外駐在という立場で住んでおります。ですので、今業というんですかね、日本の会社に所属しながら海外駐在をしているという立場になります。
駐在生活の体験
2002年に駐在に初めて来た時の前は海外で駐在したことはなかったんですか。
そうですね。海外駐在ないどころか、実は僕初めて海外出たのが28歳の時だったんですね。
これまた出張でドイツデュッセルドルフに来たっていうのが初海外でもあるし、初海外出張でもあるっていう、割と海外という意味では遅咲きの方だったんです。
じゃあ旅行とかでもあまり出たことがなくて、出張で行ったのが初めての海外だったってことなんですね。
おっしゃる通りですね。そうなので、普通に大学出た後は日本の一般的な方々と一緒で英語もしゃべれなかったし、
たまたま最初に入った企業、新卒で入った企業が半導体関連のメーカーも、そこで欧州担当になりまして、
絵画王にも英語を使わざるを得ないような仕事になりまして、そこから20代、1年復帰して英語を身につけてきたみたいな、そんな経緯でございます。
仕事柄国際派にならざるを得なくなっちゃったみたいな。
そうそう。留学は留学でも、駅前留学しても違います。
その時の最初の5年間は、ご自身はどう総括していますか?
初めての海外駐在でドイツに来て、もちろん出張で来たことはあったかもしれないけれども、また違うじゃないですか、住むのと出張で。
この5年間は結構エンジョイしてたんですか?
もうエンジョイしかしてなかったって感じですかね。
年齢も若かった。年齢言っちゃうとわかっちゃうんですけど、33歳にして5年間いたんで、まだ遊びたい盛りっていうのもあって。
やっぱりヨーロッパに来たからには、もともと旅行的だったと思って、これは遊びまくらなきゃみたいな感じだったんです。
結果的には5年間いたんですけど、最初は2年限定みたいな話だったんですよ。
交換でドイツのメンバーと交換して2年間だけみたいな、ある意味トレーニーみたいな感じで来たんですけど。
だからこそなおさら、もう2年しかないんだったら遊ぶしかないみたいな。
遊ぶしかない。
2年間で、3年、4年、5年になってみたいな感じでしたね。
総括すると、やっぱり見るもの、聞くもの、新しいもの、体験ばっかりだったので、ものすごく刺激を受けたっていう記憶があります。
そして、今回本を出すということで、お呼びいただいたんですけれども、
ドイツ人のすごい働き方という本になるんですが、そのセットにも書いてあるんですけれども、
そこで衝撃を受けたドイツ流の働き方によって、私の人生が一変したと言っても過言ではないというふうに思います。
日本人の働き方とは根本的に違うということですよね。
おっしゃる通りですね。
何が一番衝撃を受けましたか。
衝撃を受けたのは、一言で言うと、なんでこの人たちはこんなに働いていないのにアウトプットを渡せるんだっていう。
ドイツ流の働き方
そこです。
やっぱり働いていなさそうな雰囲気はあったってことですか。
そうですね。ダラダラやってるっていう感じではなくて、休みをしっかりとりながら、残業もなくやることはきっちりアウトプットする。
ドイツ人らしいっちゃドイツ人らしい。
これがね、博士さんが言ってたフランス人とかスペイン人とかイタリア人、ラテン系とはやっぱり違うゲルマン系だなみたいな、そういう働き方ですよ。
なるほどね。
日本人は私も20代そうでしたけど、やっぱり残業は普通にあって、
休日、出勤もあったりしてっていうイメージが、ちょっと今の働き方と当時の私たちの20代とはまた違うと思うんですけど、
そういう世界からいったってことですよね。日本ではそういう働き方だったんですよね、しげちゃん。
そうです。もう20代後半はもう会社の中で一番俺働いてるなぐらいな感じで、
マジで思ってるぐらい、たまたま独身だったんで会社の近くの寝寮にいたんです。歩いて帰れる。
いいのか悪いのか分かんない状態で、というのは終電があったりすると終電で帰る時間。
近くで歩いて帰れるんで、エンドレスで働いたと思いますし、本当に毎日から残業で。
昼間昼間で仕事して、夕方ぐらいからヨーロッパのオフィスが開いてくるわけですよ。
そこからまたさらに会議とかがあったりとか、気づいたらもうそこからまた自分の仕事をするみたいな、そんなような状態でしたね。
それはもうドイツに行ったら衝撃ですよね、やっぱり。
そうなんです。なので衝撃も受けましたし、すごい悔しい感じ。
なんでこんなにゆったりというかね、この時間内でこんなにちゃんときっちり成果が出せるんだ、
というところからドイツ人の働き方を研究してみようというきっかけになったわけですね。
一番の違いって何ですか?本に書いてあるんだと思うんですけど、どの辺がやっぱり根本的に日本と違うんだろうっていう。
これ一言で言うと、一切の無駄を排除した働き方ということになります。
具体的に言うと、日本の場合は、例えばある目的を果たそうとしたときに、例えば倫理っていうことをしたときに、
何かこう慣習的に無駄なプロセスでね、あの人とこっちとこっちのこの人の許可がいないとこの倫理は通らないみたいなね。
倫理っていうのは、要するに新しい企画を出したりとか、新しいプロジェクトを始めますとかいうときに許可を得て、
関係者の方々と一時許可を得るみたいなね。それだけで疲れちゃう時間もかかるみたいなことがあるんですけど。
ドイツの場合はね、全く誰のチェックも受けないってことはないんですけど、本当に意味のあるプロセスだけを残して法律化されてるっていうのが一つです。
あともう一つなんか具体的なイメージしやすいのはね、例えば会議の仕方ですよね。
日本って例えば定例会議みたいなのがあって、とりあえずじゃあメンバー全員集合みたいになってて、
だいたい喋るのは部長とかね、声が大きい人とかみたいな人で、あとの人たちは黙々とバス割ってるか、今だとパソコン持ち込んで内食してるかみたいな感じがまだあるんじゃないかなと思うんですけど、
ドイツはね、そういうのは一切ないんですよ。
まあ必要なことはね、例えば会議の目的っていうのもいろいろあると思うんですけど、情報伝達っていうことであれば、もうメールとかね、今だとチャットとかですね、やったりとか、
あと本当にこうディスカッションが必要なもの、会議っていうのは、そういう必要な人しか、最低限の人しか集められないんですよね。
なので逆に言うと、出席してるのに発言が一言もないと、あんた何時に出てるんでしたっけ?みたいなことを言われるぐらいに会議になっているので、
まあそれも短くコンパクトに収められる形になっているので、全体的にすごく効率よく働けるような環境になる、情報無駄を排除しているっていう働き方になるっていうことです。
会議の時間も短いって感じですか?
会議の時間も短いです。極力なくす方向だし、やる必要性があるにしても短くやっているということになりますね。
面白いですね。やっぱり無駄を徹底的に排除するっていうか、無駄とも日本の場合は思ってない、多分必要だと思ってやってるんですよね。きっとね、ああいう会議のスタイルもね。
2つあって、必要だと思っているっていうふうに勘違いしてる場合もあるということと、あとは監修になっているので、それを変えるトリガーがなくてそのままやっている。
昔それが始まった時は意味があったのかもしれないですけど、今考えるとこういうの意味ないよね、さっきのリーンの話もそうですけど。
もう電子化すればいいじゃんっていうふうなことになっていても、なんかそれを見直して、じゃあこういう新しいプロセスにしたらいいんじゃないですかっていうふうに提案する人もいないし、
なんかそうやって、もしいたとしても周りも保守的な人が多かったりすると、新しい方法に変えるのに抵抗勢力って必ず出てくるので、
そういうことでなかなか古いやり方、伝統的なやり方が変わらないっていうのが結構いいものがあるんじゃないかなというふうには思いますね。
日本での実践と変化
ちょっと後でね、本の話はまたじっくりちょっと聞きたいんですけど、じゃあその5年間のまず取材を終えられて、
で、徹底的に今やりたいことはやり尽くして帰った感はあるってことですか、最初。
そうですね、当時のその5年間という意味では、ドイツで経験したいことはし尽くしたなっていう感じではありました。
っていうのは、先ほど申し上げたように最初2年間だったんですけど、それが1年のみ2年のみで3年目になって、
5年目になった時に、なんか自分の中でもういいかなって感じになったんです、とりあえず。
で、それなんでかっていうと、当時ちょっと大手のメーカーに立っているので、結局ヨーロッパの支社って支社なんですよ。
もう海外支店みたいな感じなので、その後のキャリア形成を考えるとやっぱりメインストリームではないんですよね、そこには。
なので長く言いすぎると、いわゆる浦島太郎状態がいかれなくてね、特に僕エンジニア技術者だったので、
そういう点も含めてちょっと将来的なことも考えて、ある程度旅行とかもしつくしたし、なんかいろんな経験もしたし、
今一旦日本に帰るかみたいな、そんな気持ちになって帰ってきたんですよね。
そこを聞きたかったんですよね、なんかこうちょっと後ろ髪を引かれるような感じで帰ってきたのか、
それとも割り切ってやり切って帰ったっていう感じだったのか、駐在ってほら自分都合じゃないんでね、なんかまた微妙じゃないですか。
そうなんですよね。僕はある程度コントロールできた方だと思うんですけど、
ただその時の気持ちを改めて聞かれて思い出してみると、なんか一旦帰ってまた戻ってくるぞみたいな、なのでステージ1終了みたいな感じ。
なるほどね。
それで2007年に帰られて、通常業務に戻って、日本に戻ってきた時にドイツのスタイルの仕事をしてて、どんなふうに感じましたか。
なんかね、僕もそうなんですけど、やっぱり当時日本人で出向してた人って常時20人くらいいたんですね、大きい会社だったので。
5年間の間入れ替わり立ち替わりなので、たぶん延べ40人以上いたと思うんですけど、ほぼほぼ全員の感じだと思うんですけど、日本に帰るとすごい違和感があるんですよ。
ドイツの働き方に慣れてしまって。なので僕も含めてね、同じ会社にいる人ってほとんどいなくなっちゃったんですけど、そうなんです。
外資系の会社に勤めてたりとか、あとまた一旦会社辞めて、ドイツに移住してきて、こっちで就職したりした人とかね、そういう人もいるぐらい。
僕は個人的にどうしたかっていうと、本来であればドイツ流の働き方、アウトプットを出せばいいものだから、やり方を変えたいと思うんじゃないですか。
とはいえ、いきなり日本の職場に行って、もうドイツはこうだから、みんなこういう働き方をしようとか言っても、誰もついてきてくれないんですよね。
出話の神って言葉知ってます?
知ってます。
ドイツ出話の出話の神ですよね。
そうそう、ドイツ出話みたいな。出話の神になりかねなかったので、これはちょっといきなりは難しいなと思いました。
周りを全部変えるのは難しくても、個人でできることっていうのはあるんじゃないかということで、ちょっとずつ試してたんですね。
ちなみに、そういう日本の職場でも簡単に取り入れられるドイツ流働き方っていうのも、その本の中にSNSと書かれています。
なるほど。実際にやってみたんですね、日本内に。
結果として、例えば日本って、僕がいた会社は有給休暇20日間、その普通のサービスとかとは別に権利としてありますと。
ただ、その時の職場の状況もそうだったんですけど、ほとんど有給休暇使っている人がいないとか、使ってても数日とかね、そんな20日とかって使いきれないみたいな感じの人がいまだに多分多いんじゃないかなと思うんですけど、
僕はきっちり帰ってからは、もう20日間全部使い切ってたっていうことを。
かなり珍しいタイプですよね。日本にいたら珍しいですよね。
そうですね。ゴールデンウィッドとかと合わせて2週間連続休み取ったこととかもありまして、行ったり夜食をしたりとかね、そういうことをやっても、仕事成果を出していれば何にも言われないんだみたいな感じで、
その時の意図としては、僕がそうやって率先してやることによって、あれぐらいまでやってもいいんだっていうふうに周りがちょっとずつ思ってくれて、
少しずつでも変わってくれないかなみたいなふうにして思って、行動に移したことがありましたね。
そこからどうですかね。しげちゃんに習ってて、有給が徐々にみんな取りやすくなっていってるみたいな感じは。
どうでしょうね。個人レベルでってやっぱりちょっと難しい感じで、ただ今はね、日本も働き方改革ということで、やっぱり残業規制が入ったりとかね、有給取るのを奨励されたりってこともあるので、徐々に徐々に全体感としては、いい方向に向かってきてるんじゃないかなって感覚はありますね。
仕事を変えたって言ってましたけど、結局じゃあしげちゃんも辞めることになったってことなんですか。
キャリアの転機
そうですね。詳しい経緯をちょっとお話しすると、結局そのメーカーにいたんですけれども、業績が悪くなって、私が43歳の時に早期退職制度の募集があったんです。
その前にいろいろ学んでいて、経営塾なんかも行っていて、その経営塾の一つで妻と結婚に行ったんですけども。
ですので、当時からちょっと独立っていうことも考えてましたし、やっぱり43歳ぐらいって多分多くの人が何か人生の転機というか次を考える時期だと思うんですね。
なぜかというと、例えば20代前半で新卒で会社入りました。20年近くいると、大体周りを見ながら、その先の人生ってなんとなく見えてきちゃったりするぐらいの年齢だと思うんです。
ミドルエイジクライスっていう言葉もあるぐらいで、中年の危機みたいな感じで。ちょうどやっぱりそういう時に、人生の模索、その後の人生の模索をしていた時に、この後しげちゃん2.0になるにはどうしたらいいかなと。
考えてた時に、偶然なのか失伝なのかわからないですけど早期退職制度という制度が来て、もちろん20年近くお世話になって、海外にも行かせてもらって経験してもらったということで、元いた会社の恩義みたいなのを感じてたんですけど、早期退職制度って要するにお願いだからやめてくださいみたいな感じじゃないですか。
あ、だったらもうありがとうということで、そこでやめて一旦リセットしたっていうことになったんですね。
そこでビジネスを学ばれたりしながら、企業っていうんじゃなくて、やっぱり会社員は続けたいと思ってた?
企業っていうのも一つの手段としてもちろん考えてました。一方、ちょっと個人的に興味があったのが、そこまでいろんな経験、スキル、知識を身につけてきて、英語も含めてですけど、自分の市場価値ってどの程度なのかなっていうふうにちょっと知りたくなったんですよ。
で、そのパッケージの中にパソナとか人材派遣会社のサポート受けられるっていうのも入っていたので、あったらちょっとそういうとこ行って、43歳に乗って履歴書をまた書き直して職務経歴書書いて、英語の職務経歴書とかも書いてですね、メイクブチェックとかしてもらいながら、会社いくつか受けたんですよね、実際ね。
で、その時の方向性としては半導体業界にずっといたので、一つはちょっと業界変えてみたいなっていうことと、あとはメーカーのエンジニアだったので、ちょっと違う職種してみたいなと新しい意見。
ただ、自分の強みを生かすにはどうしたらいいかなって考えた時に、やっぱりその英語力であったり、エンジニアならではのロジカルシンキングであったり、あと海外経験っていうところを生かすのには、
一つは日本に進出している外資系の企業、もしくはこれから海外に進出したい日本企業、こういったところを中心に探していたわけです。
で、そういった中で、これは全く偶然なんですが、結果的にはパソナ経営ではなかったんですけど、ご縁で今の会社がヨーロッパ、ドイツ、しかもディスセルドルフに新しくオフィスを開くので技術マネージャーを募集してますってお話をいただいたんです。
ドンピシャで、これだったら自分の経験も活かせるし、しかももともとものづくりしてた半導体を扱う商社にいるので、そういう知識、経験なんかも活かせるしっていうこと。
で、かつ妻のね、あきさんもよくご存知のももですけども、ももにドイツに住みたいって言ったら、行く行くってめちゃめちゃ乗り切ってたので、じゃあ行ってみようかと。そんな感じで来て、気づけば12年目っていうんですかね。
なんかこう、ご縁といえばご縁だし、偶然といえば偶然なのかもしれないけど、この良いタイミングで乗り切ってくっていうか、なんかポンポンって渡ってる感じがしますよね。
ドイツでの働き方
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