1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.93「30歳で自分のブランド..
2018-01-04 47:43

Vol.93「30歳で自分のブランドを持つと決めていた」

NY在住ジュエリデザイナー、春名めぐみさんのインタビュー1回目。1年間充電するときめ、ヨーロッパをバックパックで周り、そのあと引かれるようにインドに行き、そこでの体験から自分の方向性を見つけたいきさつを話してくださっています。

オープニングは、2018年についてお互い話しています。


00:14
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さゆみさん、今日もどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
明けましておめでとうございます。
おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
こちらこそどうぞよろしくお願いします。
98年に実は私、さゆみさんと知り合ったんですよ。
あ、ちがうわ。
88年ですよ。
1900、2000年じゃないんですよね。
1988年。
すごいですよね。
今年もすごい歴史。だって半分以上ですからね。
おかしいというか、不思議というか。
4月に知り合っているはずなので、もうちょっと先なんですけども。
2018年は結構、そういう意味では出会いという意味でも
締めの年かなという気がしました。
さゆみさんにとって2018年はどんな年にしたいですかね。
そうですね、私自身と家族の幸せをちょっと意識していきたいなと思う年なんですね。
どういうイメージなんですか、幸せって。
幸せっていうのはね、例えば私にとっておいしいものを食べるとか
家族にとってもそうですけど、おいしいものを食べると幸せな気分になりませんか。
それでやっぱり食べ物にすごく意識を向けていきたいな。
おいしいものを作る、健康的なものを食べるということを私と家族と意識していきたいと。
なるほどね。じゃあやっぱりテーマは家族?
ですね、なんとなくそんな感じはしますよ、今年。
面白いね。
あとはね、子どもたちの個性がいろいろとだんだん出てきて、
出てきたの、17年の終わりぐらいからなんとなく感じてたんですよ。
だけど去年は私あんまり子どもたちのことをサポートする力というか余裕がなかった。
だけど18年はできるだけちょっと子どもの個性というかね、いい部分のサポートをしてあげたいなと思いました。
03:01
それがまた子どもたちの幸せにもつながると思うし、私もそれで幸せに感じるのであればそれはいいかなと。
結構じゃあ家族にテーマがいってますね。
っていう感じになってますね。あんまり意識はしてなかったんですけど、なんとなくね、そういうインスピレーションを受けました。
私はね、家族が確かに個性が違ってきてるし、そうなんだけど、なんかね、私自身が変わろうっていう。
かきさん自身が。楽しみ。
実はね、さっきさゆみさんにもカードを引いたじゃないですか、カードセッションをちょっとやった時に。
そうやってもらったんですよ。
私もさゆみさんに会う前に家でやってきたんですよ。
そしたらね、それは分かってたんだけども、変容って言ってた。
で、それはもう前々からずっと感じていて、もうね、自分は今もう仕込みの時期に入ってる。
お料理みたいな感じね。
だから春まではちょっと仕込みの時期をして。
ちょっと楽しみじゃないですか。
で、ちょっと4月から少しまたちょっと方向転換を図ろうかなって。
だから今ね、冬のこもってる感じ。
こもりの時期ですね。
こもりの時期なんですよね。
だからあんまり、人と会ったりとかそういうのは全然もちろんするけれども、なんか新しいことガンガンやってこうっていう感じは、あんまり前半は。
自分の中でちょっとこういろいろと育ってて。
で、ちょうど春頃、引っ越しもあったりとか環境の変化もあるので、その頃からあたりからちょっと動き始めるかな。
楽しみですね。ちょっとすごい楽しみ。
どう変わるかちょっと分かんないんですけどね。
でもなんか自分がちょっとこう、17年は17年ですごく楽しく過ごしたんだけど、なんかやっぱちょっと方向を変える。
これから20年まではちょっと方向を変えていこうっていうのを思っていて。
それがまた楽しみだもんね。
いろんなね。
楽しみにしてるんですよ。
だから、仕事の面でもそうだし、プライベートは環境が変わるっていう感じかなっていう。
そうですね、お引っ越しもあるし。
だからちょっと自分が変わっていくと家族への影響も出てくるかなと。
出ますよね。
ね。
どういう影響が出るかもちょっと楽しみ。
そうなんです。
その辺をね、ちょっと。
だからあんまり目標とか決めないで、今年はね。
なんかこう、自分がインスピレーションが得た状態を楽しんでいこうかなって。
06:06
それもね、なんかいいんじゃないかなって思います。
そうですね。
人によってほらね、必ず決める人いると思うんだけど、ここ最近ちょっとあんまり私も考えてなくて。
考えてないのも楽しいですよね。それはそれで。
決めたつもりだったけど忘れてたとか。
それはね、それはよくあるパターンですよね。
忘れてたとかって、結局何にも目標ないのと同じっていう感じで過ごすことありましたね。
だから逆に無しのままその場を楽しんでいくっていうのも一つの作戦として。
与えられた環境で。
環境とかなと思います。
はい、またじゃあ今年もどうぞよろしくお願い致します。
それでは本編スタートです。
はい、本編です。
今回は2018年1回目のインタビューということで、
ニューヨークにお住まいのジュエリーデザイナー、春名恵美さんにインタビューをさせていただいています。
実はですね、恵美さんは不思議なご縁が実はあったんですよ。
というのは、なんか知らないけれども私のフェイスブックに上がってくるようになったんですよ、彼女が。
なぜか。多分共通の友人がいるからなんだと思うんですけども。
友達で。
元々友達ではないんですよ。
友達ではなくて、彼女がふーっと上がってきて上がってきて、
結構興味を持ってニューヨークに住んでるんだとかジュエリーデザイナーなんだとかっていうのを
フェイスブックに上がった情報で分かって、時々日本に帰っていると。
インド先生術もなんかやってるらしいみたいなことも上がってくると。
なんかインスピレーションで、すごいこの人会いたいなと思ったんですよ。
インタビューの時によくあるパターンで、インタビューしたいなと思ったわけじゃないけど、
ちょっと知りたいなと思って、
だけど、私が日本に行くタイミングと彼女が日本に戻るタイミングは全然違うし、
ニューヨークも行く機会が今んとこないし、どうしたもんかなと思ってたんですよ。
そしたら、私のすごい仲のいい友人の津田絵舞美さんにインタビューにも答えてもらったんですけど、
彼女がパリに遊びに来ることになった。
10月ぐらいですよね、去年の。
友達と一緒に行くからと言ってたんですよ。
友達と一緒で、日本から来たお友達とも会って、こういう感じで過ごすから、そこに入って紹介するねと言われてた。
でもその友達が誰かっていう話は全然聞いてなかった。
そしたら彼女がたまたまフェイスブックで、今から空港に行ってパリ行きに行きますって言ったら、
09:04
まためぐみさんの方が入ってきたんでしょ。
めぐみさんも、今ラウンジでパリ行きの飛行機待ってまーすって出てたでしょ。
タグ付けされてたとかね。
タグ付けされてた。うん、されてなかった。
全然?別々?
そう、別々で入ってきちゃった。
で、「はぁ?」みたいな。
で、来たら2人で乾杯してるシーンがその後出てきたの。
で、「あ、来る友達って彼女なの?」って。
で、私は会いたいなぁと思ったら、2週間後にも会えたっていう。
すごいですよね。引き寄せちゃいましたね。
そうご縁なんですね。
で、今回インタビューさせていただいたのは、この彼女と初めて会った時ではなくて、その後また来たんですよ、パリに。
そうなんですか。
で、その間、11月くらいかな、11月終わりくらいに1週間くらいいらっしゃって、その時またお会いした時にインタビューをさせていただいたという流れなので、ある意味ご縁のある方かなと思って。
そうですね。
彼女もね、すごく面白い。ご自身でもスナフキンのような。
おっしゃってましたね。
なので、そのインタビューをまずお聞きください。
こんにちは、あきです。
今日も素敵なゲストに来ていただいています。
ジュエリーデザイナーの春名恵さんです。
恵さん、今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
素敵な衣装から感謝ありがとうございます。
実は私が今させていただいたんですけども、クリスタルボールアーティストの田浦さんのアトリエの場所をお借りして、恵さんのインタビューをさせていただくことになったんですが、
せっかくなので演奏しなさいと言ってくださり、私が僭越ながら演奏させていただき、好きなクリスタルボールをね、チョイスして演奏しました。
ちょっとリラックスできる雰囲気ですよね。
なんかでもちょっと演奏して緊張されてるような。
そうだ、私が緊張してる感じみたいな。
私はすごいリラックスしてしまいました。
でも恵さんがリラックスしていただくのが何よりなので。
恵さんはニューヨークにお住まいで、今回パリにいらっしゃってくれたところを、私がインタビューさせていただくことになったんですが、
12:08
パリっていうのは今回何回目ですか?
パリはちょっと回数をですね、数えられてないんですけど、多分10回はいかないぐらいですかね。
なるほどね。
結構回数としては来てる国です。
結構噂では色々旅をしていると。
そうなんですよ。
もうスナフキンを目指して。
スナフキンめぐみなんですね。
そうです。
ちなみに何カ国とか何都市とか結構覚えてます?
一回数えたことがあるはずなんですけど、すぐ忘れるという素晴らしい忘れる性質があって、ちょっと定かじゃないんですよね。
ヨーロッパだとおそらく8カ国か9カ国で20何都市かっていう感じですね。
それはいつ頃?若い頃とか学生さんの時とかどういう感じ?
そうですね。学生の頃というよりは、学生の頃も旅はしてたんですけども、
実は社会人になってから一度ドロップアウトというわけではないんですけど、
今の自分のJDの世界に入る前に一旦休憩1年間仕事をしないって決めた時期があって。
それはおいくつぐらいの時?
26歳ですね。
26歳の年は今年は一切仕事をしないと決めて、
その時に人生で一度やってみたかった自転車とリュックだけで旅をするというバックパックをヨーロッパでするということを実行したんですね。
それは前々からやりたかった?
昔からバックパッカーには憧れがあったというか、一度やってみたいことだったんですね。
でも学生の頃は当時ファッション系の勉強をしてたので、それこそパリに2泊4日とかイギリスに1泊4日とか。
ほとんどいないじゃないですか。移動の方が長いみたいな。
そうなんです。びっくりするぐらい短い期間でもファッションショーを見に行けるとか、
どうしても行きたい用事があったらとりあえず行ってしまうっていうぐらいアクティブに短期間でも来てたんですけど、
でも長期間をバックパックするという時間は当時私学生で別に親がお金持ちで旅行に行ってたわけではなかったので、
アルバイトをしてお金を貯める時間も必要だったから長期間はいけなかった。
いつか長期間ヨーロッパをその日、今日はどの国に行こうかなという気分で旅をするっていうのを一度やりたかった。
なのでその1年間遊んで暮らすというか、充電期間で決めた時に一番やりたかったこと、それがバックパック。
自転車ですよね。
ヨーロッパはそうです。自転車とあとは鉄道を使って。
15:01
大きな移動は鉄道を使って、あとは自転車で。
アスリートではないので。
なのでその街で、どうして自転車を日本から連れてきたんですけど、愛車をね。
どうして自転車で旅がしたかったかっていうのが、その土地に住んでる人の気分というか目線になってその土地で暮らすっていうことをどんだけ短い期間でもしたかったので、
そのための自転車だったんですね。
アスリートではない。
ただこぐえばいいってもんじゃないってことですよね。
移動のすべてっていうのではなくて、街に着いたら自転車で。
そこで回るっていう感じ。
それはどれくらい、1年かけてやったとか。
1年か本当はやりたかったんですけど、金銭的だったり物理的に、約3ヶ月ですかね、2ヶ月半くらいの間。
その時もパリを中心に自転車を回ったので。
そっからヨーロッパで。
パリに日本からフライトしてきて。
パリスタートだったんですか。
パリスタートです。
だからパリは私の人生の一人旅の拠点になるところ。
パリに来るとまた新たな扉を開くというか、新しい出発の場所っていうのがパリなんですね。
なるほどね。
その3ヶ月間で得たものって何だったんですか。
3ヶ月間で得たものは、それまでどれだけ一人旅が好きって言っても、
明日どの国にいるかわからないっていう経験はイメージでしかしたことがなかったんですね。
で、全くやっぱりヨーロッパの素敵なところって言語が違うっていう、
全く隣の国に行くと言葉が通じないんですよね。
すごく近いのに言葉もわからないところを、
明日どこに行くのかわからない状態で移動するっていう経験。
だから、どこにいても私は私だけど、
全てその土地の人だったりとか、言語も何もかもが違う人と、
その土地でコミュニケーションを取れるんだという不思議なこと。
言葉は話せなくても取れるコミュニケーションがあるってことをすごく学んだんですね。
じゃあ3ヶ月やって、その後日本に戻られたんですよね。
で、日本に戻ったとまたじゃあ、1年間はのんびりしたってこと?
実はその旅に出る前の半年ぐらいは、
私ずっとやりたかったことが、子供の頃から絵がすごく好きだったんですね。
で、絵を描いて自分のコテをやるっていうのをずっとやってみたくて、
で、ただ別にだからといって行動してたわけではほとんどなかったんですけど、
当時実はベンチャー、IT系のベンチャーに勤めていて、
18:01
私すごいわがままというか、その前の会社の勤務時間がもう本当14時間とか、
びっくりするぐらい長かったのもあって、
ベンチャーの前が?
ベンチャーの前がデザインの製作会社でいてすごく忙しかったので、
ベンチャーに入る時の条件が、私定時で帰りますっていう。
ベンチャーで?
ベンチャーなのに。
でもその代わり何か会社にとって必要な時はもちろん、条件があれば残業するということと、
あとは自分の仕事に関しては持ち帰ってでも確実にやりますという。
お約束はした上で、ただ定時で帰る。
そういう約束をしていて、そこからやっと絵が描けるようになったんですね。
仕事をしながらプライベートな時間で絵を描き始めて、
それが作品が溜まったタイミングで、
当時イタリア人の友達が急に自宅をちょっと改装して固定をしてあげるという風に言い出してくれて、
その前半はそのための作品作りに基して固定をした直後にフランスに来たという感じですね。
じゃあもう一度ちょっと最初の半年ぐらいでやり遂げた後にできたと。
できたんです。
じゃあこの充電期間って、めぐみさんにとってどんな期間だったんですか?
充電期間、もう多分人生においてなくてはならなかった時間ですね。
あの26路時って自分で充電期間をこの時期って決めてたんですか?
いや全く私決めてなかったんですね。
本当に多分旗から見てると私の人生どれだけ行き当たりばったりかっていう。
なるほどね。
それぐらい自由な感じなんですけど、
本当にファッションの勉強をしていて、
当時入りたい会社が全くなかったっていうのがあって、
そこから本当に略々もなくコンピューター系の会社に入り、
ただそこの時点で私が唯一持ってた夢が、
30歳ぐらいで自分のブランドを持つっていうビジョンだけを持ってたんです。
それはファッション系で当時は?
当時は何にするかも決められなかったんです。
でも衣食中がすごく興味があることで、
当時勉強してたのがファッションだったんですけど、
何か私はファッションをやりたいのかっていうところにぶち当たったところがあったんですね。
ファッションっていう概念がいろんな考え方があると思うんですけど、
着飾ることではなくてスタイルを作る。
だから流行を追いかけるファッションっていうのが私がやりたいことではないっていう結論になって、
それで入りたい会社がなかったっていうことまでは当時わかったんですよ。
でもそうなると自分でやるしかないけど、
今の私にできることはまだ何もないなっていうところで、
21:02
じゃあ30歳までとりあえず人生経験割り切って。
その当時偶然ちょっとお付き合いがあったというか、
関係が深かったのがウェブデザイナーの方々だったんですね。
当時フラッシュって言ったんですけど、
フラッシュのアーティストでアドビから依頼が来るような結構レベルの高いアーティストの方々が
ちょうどお友達で彼らの作る世界観に見せられて、
できないのに入っちゃったっていう。
全くウェブ系のことをやったことなかったんですけど、
会社に嘘ついて。
できますみたいな。
できますって言って入っちゃったんですね。
それがでも定時で買える?
それとはその前の会社?
10何時間働いてた会社?
12時前に買える日は今日はすごいラッキーって思うぐらい忙しかったんですけど、
ただ本当に最初の会社のおかげで、
やっぱり働くときにハードルって最初低いというか、
最初が厳しいと次からどれだけ天国かって感じられる部分があるんですよね。
だから私結構最初に大変なところに入る癖があって、
当時製作会社でもガリガリやってて、
体を壊しちゃったんですよ実は。
最初の会社辞めたきっかけは、
年に3回入院して、
そうだったんだ。
もうこれは私の体が持たないというところまで来たので、
それで諦めてというか、
これは一回辞めて、
もう学んだことは学んだのでリセットしようかなと思ったら、
すごく運が良くスタートアップのベンチャーを立ち上げたい、
当時東大と慶応生の未踏プロジェクトという国が支援しているプロジェクトで、
学生企業をしている方々と出会って、
なぜかデザイナーで採用されたんですか、
ストックを持って入ってほしいという風に言っていただけて、
なんていう幸運という形で、
それでジョインすることになったんですね。
それで充電期間で戻って来られた後はどうされたんですか。
充電期間の前にベンチャーで働いて、充電期間に入って、
実はそれで戻ってきたタイミングではまだ1年間経ってなかったんです。
ヨーロッパをもう少し伸ばしたかったんですけど、
多分ちょっと贅沢しすぎて、
私の中でブランドをいつか持つために貯めていたお金は絶対手をつけてはいけないお金だったので、
さてはてどうしようかな。
あと3ヶ月弱は最低。
そうなんです。遊んで暮らせて決めたんだけどどうしようかなと思ってたタイミングで、
ちょうど父からメッセージがあって、
当時父がインドに駐在をしていたんですね。
24:01
もうそろそろ駐在期間が切れて、
あと半年から1年で帰りますというメールが来たんです。
そうか、父のところに行けば住む場所あるし、
インドは行ってみたかったし、
遊びに行っちゃえみたいな形で、
いそおろして遊びに行くつもりで、
もう父のところに行くことにしたんですね。
それはあと残り、自分の充電期間の中であと3ヶ月ぐらい?
3ヶ月弱ですかね。
なるほどね。
だから一応1年は最低って決めてたので、
じゃああと半年期限が延びたみたいなそのくらいの気持ちで、
もうじゃあ、そうだインドに行こうっていう。
インドはどの辺だった?北と南?
インドはデリーの郊外だったので、
デリーだったんですね。
まさに北の方。
なるほどね。
じゃあインドに行くことにしました。
インドに行くときに、お父様もいらっしゃるし、
楽しもうと思ったけど、
何か自分の中で目的みたいなのを持ってたんですか?
インドに行った時の目的は、
一つは、ヨーロッパを周遊してた時は、
すごい新たな発見とか、
自分自身が言葉が使えなくても、
その土地の人とすぐに友達になれる不思議っていう、
新たな自分のいい面というか、
今まで気づいてなかったところに気づけたってことはあったんですけど、
人とたくさん共有する時間を過ごしてたおかげで、
一人旅をしてたのに、
全く孤独じゃなかったんですよ。
なるほどね。
インドは孤独を楽しもうと思っていたんですね。
あえてヨーロッパではできなかったこと。
できなかったので、
自分自身と向き合う時間というか、
本当に無になる時間を過ごすために、
父とはやっぱり父親なので、
仲は悪くないんですけど、
毎日よなよな語るようなことをしない。
最初から私は当時趣味だったヨガの勉強を、
一応インドに行くからにはしようと思っていたので、
瞑想、自分と本当に向き合う瞑想をするため、
そのための期間だったんですね。
じゃあヨガの学校にもそこから行ったりとかしたんですか?
行ったんですよ。
最初に入った学校がですね、
国立のヨガの学校というのが、
実はインドに唯一一つだけ存在するんですけど、
そこに入ったんですね。
1ヶ月間。
もうそこでの生活が、
自分の想像を遥かに超えて厳しかったんです。
例えばどういうイメージなんですか?
厳しいって。
面白い話というか、
食事中の方は一回ストップした方がいいかなと思うんですけど、
まず朝5時半に起きて、
学校の6時までに着いて、
そこから2リットルぐらいのタルに作業を作って、
27:01
飲んで胃洗浄をするんです。
全部吐き出す。
まずこんなに飲めないという量の水を飲んで、
一気に飲むんですかね?
一気に飲むんです。
一気飲みはできないので、
2リットル作るんですけど、
インド人の体でたぶん2リットルで、
私たぶん半分弱とか、
飲めるとこまで飲んで、
それ全部吐くんです。
吐き切った後に、
麻ひもを鼻から通すって、
よくテレビとかでインド人がよく言ってるじゃないですか、
あれをやるんです。
あれはどういう意味なんですか?
あれはクリラっていう、
儀式の一環なんですけど、
空気が通るところをクリアにする。
全て洗浄するって意味なんですけど、
正直粘膜を麻ひもで洗うって、
寒風摩擦を粘膜にやるようなものなので、
痛いし、
体に良いとは正直言えないですね。
傷つけてる感じがしちゃいますよね。
だから、私元々喉がすごく弱い方なので、
インドに行って、
唯一高熱を出してた期間は、
その1ヶ月間の中に何回もあったんですけど、
もう39度まで上がっても、
とりあえず薬飲んでいくみたいな。
どっちが健康なのか。
そうですよね。
そこでいろんな筋に耐え、
痛いのに耐えみたいな。
その後、鼻から鼻に浄露で水を流して、
それは鼻うがいとかね。
そこが痛くはないんですよ。
それがちゃんと水が通ったのを、
水を飛ばしたのを、
先生が確認したらクリアって言って、
瞑想しなさいって言って、
瞑想に入るっていう。
毎朝それを1ヶ月間やるんです。
ヨガもやるの?
瞑想の後に。
その後、1時間瞑想して、
瞑想から起きた後に、
アーサナーと言って、
体を動かすヨガをやるんですね。
でもインドのヨガと、
アメリカナイズされたヨガっていうのは、
結構違う面が多くて、
もともとインドのヨガというか、
ヨガの語源が、
つなぐことっていう意味があるんですね。
心と体をつなぐために、
どうしてそれがヨガのポーズになったかというと、
体の隅々まで、
呼吸をしながら動かすことで、
自分の体が今どんな状態かを知ることが、
心と体をつなぐ時の、
最初の意識というか、
一番簡単に自分を認識することができることだったんですね。
なるほどね。
その1ヶ月間やり、
その後はどうされたんですか?
1ヶ月間やって、
その後、
私結局、
30:01
その後実は、
結婚したんですよ。
インドで?
インドで日本人となんですけど、
出会ったってことですか?
その半年の間に、
行ってすぐ、
割とすぐですね、
出会った方と、
実は結婚することになって、
その期間何もしてなかったわけではないんですけど、
割とインドのいろいろカルチャーとか、
日常生活をしながら、
お手伝いさんが、
父のお手伝いさんが変わったので、
日本食を教えたりとか、
家事手伝いをしながら、
絵を描いたり、
買い物を見たり、
自分の充電期間の一環ですね。
割とゆったりとした生活をしている間に、
結婚することになって、
じゃあそのままインドに、
あとどのくらいか、
当時わからなかったんですけど、
少なくとも2年は残ることになったなっていう、
そんな流れがあったんです。
充電が伸びちゃったんですね。
そうなんですよ。
充電が伸びてしまったというか、
お父さんは途中で帰られたの?
父は途中で帰ったのかな?
少し前に帰ったんですね。
そうなったんですね。
結局もうちょっと伸びちゃっていたんですよ。
そうなんですね。
結局、旅行の一環で来た、
滞在期間で行ったつもりが、
もう済むことになっちゃった。
そうなんです。
もう呼ばれていったとしか思えない感じですよね。
結局インドはどれくらいいらっしゃったんですか?
インドはトータルで2年弱いた感じになりますね。
なるほどね。
ヨガをしつつ、
かつ絵を描いたりとかやっている中で、
めぐみさんにとってのインド生活ってどんな風に、
インド生活。
総括できますか?
実はその後、結婚することになったので、
残りその1年半とか2年、
何をして過ごそうかって言って、
そこで考えたんですね。
というよりも、
奥様生活を最初大化しようと思って、
婦人会というか、
インドにも日本人の女性の方がいるから、
みんなお茶会とかいろんなことやってて、
優雅に過ごしてるんですよ。
で、真似してやってみたんですけど、
3日で飽きちゃったんです。
楽しいんですよ。
3日というか1週間くらい、
真似してお茶飲んでたら、
優雅だけど、
なんか自分こんな優雅な感じじゃないなと思って、
じゃあ何やりたいかなって思ってたときに、
もう1回実は山子守市に行ったんです。
今度はデリーの学校ではなくて、
石けしっていうところに行ったんですけど、
そこでもう1回ヨガの勉強をして、
今度はそういう変な修行はなかったんですけど、
その代わりベジタリアンだったんですね。
33:00
ベジタリアンの生活を、
お酒も飲めないっていう生活を、
1ヶ月弱とかしてる間に、
石が急に話しかけてきたんですよ。
ごめんなさい、ちょっと待って。
ヨガをやっていて、
ずっとこもってるわけですよね。
山での生活。
毎日ヨガして瞑想して、
朝起きたら瞑想してヨガして、
昼ごはん食べて、
また座学の勉強して、
ヨガして瞑想して、で帰るみたいな。
そんな生活を毎日繰り返していたら、
急に散歩して道を歩いてたときに、
急に石が呼び止めてきた。
石っていうのは道に落ちてる石?
どういう石?
天然石屋さんが道で石売りみたいな。
そういうお店でね。
急に石がしゃべりかけてきたんですよ。
なんて言ってきたんですか?
持って帰れって。連れて帰れって。
自分を連れて帰れと。
連れて帰れって感じで呼んでるんですよ。
最初、空耳アワーってあるじゃないですか。
空耳かなと思ったんですけど、
どう考えても呼んでる。
最初ガーッと聞こえてきて、
その後は目で訴えてくるって感じだったんですけど、
もうそこで目が合ってしまった石を、
別にそんな高いものでもなかったので、
連れて帰った。
面白いから、こんな経験なかなかないじゃないですか。
それで連れて帰ったら、
そこからいろんなものに石に導かれていったんですね。
その時買った石ってちなみにどんな石だったんですか?
その時買った石がグリーンのメノウだと思うんですよ。
石の、私その当時勘別ができなかったので、
今その実は石もうなくなっちゃったんですけど、
消えたんですよ。
消えた?
本当に消えたとしか言いようがない。
インドから引っ越す時に戻ってきたらなくなったんです。
だけど、インドの中でいろんなアンテナを
私に教えてくれたのはその石だったんですが、
ポケットに入れて毎日その石を持って歩くようになったら、
いろんなところで立ち止まるように
ここっていうのを伝えてくるようになったんですね。
石が?
石が。
自分の気分がそれまで毎日同じルートを通って生活してたんですけど、
アシュラムに滞在してるとアシュラムに滞在できなかったので、
そのサンプルートを毎日変えるように指示してくるというか、
違うところに行こうって言って誘ってくるので、
いろんな道を歩いてたら、
その当時石屋さん、アイルベーダー、
あとは一番大きな機械は先生術。
インド先生術のところとかにここに入るようにみたいな感じで、
一緒に指示してくるんですよ。
でも面白いんで。
それ指示に従ってみたんだ。
そうなんです。
なんでだとか思いながら、面白いからとりあえず指示に従ってみようみたいな感じで、
36:00
言われた通りにしていったら、今度は先生術にたどり着いたんですね。
インド先生術。
インド先生術と知り合って、
先生術っていうのが実はインド人がつけてる宝石、
一つ一つのメッセージっていうのが、
実は先生術によって編み出されたものをお守りとしてつけてるっていうことを知ったんです。
それまで全くインド人がなんであんな石つけてるんだろうって思ってなかったんですけど、
男性でもその大きな石をつけてる意味が、
そのリシケ氏の意思のおかげで全部わかって、
面白いってそこで、
宝石にすごい興味を持ったんですね。
それがじゃあ宝石に興味を持ったきっかけ。
ちなみにインドの先生術といわゆる西洋の先生術って何が違うんですか?
インド先生術が実は元になってるんですね。
西洋先生術と大きく違うところは、
すべて計算式で図式を出すんですね。
西洋先生術はインド先生術で計算すると、
ものすごく頭のいい人が、
本当の本当の頭のいい人は頭の中で想像できるらしいんですけど、
普通の人、私レベルの人間が計算式を出すと、
1日かけて自分のチャートを出せるくらい複雑な計算があるんですけど、
それを簡単にしたもの。
時点と回転があるんですけど、
それプラス再三運動まで計算して軸を決めるのがインド先生術で、
その再三運動を入れないと西洋先生術のチャートになるんです。
計算能力がなくてもリーディングする人の能力によって、
リーディングができるようにしたのが実は西洋先生術です。
だから結構見る人の才能によって、
ちょっとレベルが出てしまうのが実は西洋先生術です。
そういうことか。計算が自分でできないわけだから。
なるほどね。
反対に言うとインド先生術は、
誰でもルールが分かれば見れるんですよ。
その代わり複雑だってことなの?
計算が複雑なんで、
今はコンピューターが計算してくれるので、
実は私以外の方も誰でも見れるんです。
なるほどね。そっかそっか。
当時は手計算だったりするから大変だったけどっていうことですね。
そうですそうです。
だから計算機、これだけコンピューターが発達するっていうのは、
当時の時代には考えられなかったことなので、
そのための改良をされたものです。
なるほどね。
じゃあそこで石と出会って、
宝石っていうかそういうジュエリーと出会った後のめぐみさんは?
そこで石と出会って、宝石に興味を持った上で、
私もこのお守りとしてつけるジュエリーを作りたいと思ったんですね。
思いますよね。
そうですよね。自分にとって何かあっているのを知りたいですもんね。
ただですね、売ってるジュエリーがことごとくダサいという。
石がドーンってあって、
大きいみたいな。
39:01
石がどれだけいいものとしても、
デザインが本当にシンプルな、
リングとかだったらまだいいんですけど、
どうしたらこんなにボテッとした感じなんだろうっていうのが、
デザインで着たくないというか、
私は身に着けたくないと思って。
石としてはいいんだけどもっていう。
なるほどね。
それで、このお守りとして処方されるジュエリーを、
私がデザインしたもので作りたいと。
そこでいろんな点と点がつながったんですよ。
そこからはすごい行動が早かったですね。
そこで何をまずアクション起こしたの?
そこですぐにインドの聴銀学校に入ったんですよ。
それまでファッションの勉強はしてきたから、
基礎のデザインとかそういうものがあったけど、
ジュエリーは全く趣味でしか作ったことがなかったので、
本当の聴銀の技術とか、石の裁定へのルールと、
デザイン設計上のルールとかが全く分からなかったので、
専門学校に入りました。
インドの?
インドの専門学校です。
英語ですか?
英語ですね。英語とヒンディー語で。
英語だったんだ。
一応留学生がいるクラスは英語でやるんですけど、
彼ら盛り上がるとすぐ忘れてヒンディー語で盛り上がるんですよ。
だから授業が聴銀なので、
技術的なことは大体目で見て分かるんですね。
ただ座学というか計算だったりとか、
そういうのは全部知る英語で一応出してくれて、
もう必死で。
それはどれくらい通ったんですか?
そこに残りの1年半くらいかな。
2年ちょっといたのかなという感じですね。
そこでデザインの、
ジュエリーに関するデザインの能力を身につけて、
めぐみさんの石は見つけたの?
見つけました。
2段階で見つかって、
私自身のパーソナルストーンというのが、
まず最初に見つかったグリーンの石というのが、
自分の人生の一番導きの石というか、
大きく変化する時に導いてくれる石というのが、
実はグリーンだったんですね。
それを安定させたり反映させる石というのが、
ダイヤモンドにちょっとだけイエローが入ったものとか、
基本は透明な石と、
差し色で黄色が入ったもの。
実はこれパワーバランスを間違えるとダメで、
黄色だけの石は私ことごとくなくなるんですね。
それはめぐみさんにとってってこと?
そうです。
本当にみんなそれぞれパーソナルな処方を持っているんですよ。
それってちょっと実験的というか、
明らかにこれはダメだろうという石と、
この石がニュートラルに絶対味方になってくれるというものは皆さんあるんですけど、
私自身がこれまで宝石をたくさんの方に作ってきた過程で感じたのは、
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宝石処方って今学術的に残っているものは、
全てじゃないんですね。
全てじゃなくて、
実はその時に必要な石っていう処方の仕方もあるので、
そこが実は難しいところ。
ただやっぱりパーソナルストーンとなる軸となる石は、
私にとってはその2つか3つだったんですね。
それをじゃあ手に入れて、
ダサダサだから自分用にデザインをしたのが最初じゃん。
本当に最初の最初です。
まだ学生の頃からお友達とかのデザインしたりとかしながら最初は始めたんですけど、
そこの学校に通いながら、
放課後はその学校を紹介してくれた宝石床のところに毎日通って、
これはめぐみ5000万の石だよとかっていうのを手に乗せて、
実際に触らせてもらって、
原石?
原石じゃないです。
もうです。
研磨したものですね。
なるほどね。
面白かったのは私、
天然石と言われる研磨してない石とはあんまりリンクできなくて、
研磨した石の方がダイレクトに話してくるというか、
チューブが合うみたいで、
面白い。
毎回いろんなものを感じながらというか、
それ体調だったりとか、
全く何も感じない石もあるんですね。
面白いことに何千万ってする石でもピンとこないというか、
何も自分とリンクしないものもあれば、
すっごくおしゃべりない石もあったりして、
へー。
連れて帰ってほしいって言われても5000万じゃね?みたいな。
連れて帰りたくてもみたいな。
お家には連れて帰れないけどまた遊びに来るねみたいな、
そんな石があったり。
へー。
それもずっとインドにいないだけ。
やってた。
うん。
はい、めぐみさんのインタビュー1回目でした。
彼女もちょっとスナフキンっていう話をさっきもしましたけども、
ヨーロッパを自転車で旅をしたり、
その後インドに行っちゃったりとか、
結構面白い流れをしている人ですよね。
そうですよね。
なんか流れにうまく身を任せるというか、
そういう感じですよね。
乗ってしまうというかね、
楽しんでいらっしゃるところが素敵だなと思いました。
なんか印象に残ったところはありますか?
そうですね、なんか彼女の話を聞いてると、
タイミングがすごくいろいろといい方なのかなと思いましたね。
お父様がたまたまインドにいらっしゃったりとか、
とりあえずじゃあ行ってみようかみたいな。
あとフットワークの軽さ。
スナフキンですからね。
タイミングとフットワークの軽さっていうのはすごく大事なんだなと。
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そうですよね。
思いますね。
確かに26歳で1回1年休もうって充電当てようと思ったのもすごかったし、
どっかで30歳で自分のブランドを持ちたいなっていうのも決めてたっていうのもあるし、
それが結局最終的には宝石につながっていくっていうか、
ジュエリーにつながっていくっていうところが面白いですよね。
自分のブランドを持とうと思ってたところもすごいなと思いますよ。
そのために資金を準備してたりとか。
そうですよね。
若いのにね、すごいなと。
思いを呼びかけちゃったからね。
話しかけてきた。
かけられたことってしないんで。
感覚的にどういう感じかわからないんですけども。
でもそこから彼女は貯金の世界に入り、
そういう貯金を自分で行こうって決めるとか、
ヨガも行こうって決めるとか、
それら全部やっぱ決めて、スパンとフットワークのカーズじゃないけど、
そのあたりいろいろ試してみるというか、
されてるところはすごいなと思う。
ですよね。
そこがやっぱり彼女がここまで来たっていう一つの理由かなっていう気がしましたよね。
次回はそっから今度日本には戻るんだけども、
ニューヨークに行ってしまうっていうそのニューヨークの話とか、
その辺のどうやってこうジュエリーデザイナーとして
ビジネスを広げていくかっていうところのお話を伺ってますので、
ぜひ楽しみにしていてください。
はい、ありがとうございました。
それから質問や感想をぜひ送ってください。
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また次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに。
アキでした。
47:43

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