フランスの国技とデモ
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだブレない自分の作り方の時間がやってまいりました。
今日は、フランスの国技とも言われる2つの出来事についてお話ししたいと思います。
フランスの国技というと、基本的にはデモとストなんですね。
これはフランスに限ったことではないかもしれないんですけども、
ストなんかは、例えばお隣のドイツなんかも、最近大掛かりなストをやっていました。
フランスはね、ちょこちょこやるんですよね。
それがね、今年の場合は、まあまあ大きな出来事があるじゃないですか。
夏にオリンピックがあったりするので、ストされてしまったり、デモが起こると、まあまあ国内が混乱する。
つまり、観光客にも混乱を与えるということで、ちょっとヒヤヒヤする年でもあるんですね。
そのデモとかストが、最近行われているという話をしたいと思います。
今回大掛かりなデモというのは、特に農業系なんですね。
農家の人たちが、物価が上昇していることとか、あるいは安い輸入品が入っていることで、農業の人たちが守られない。
ということで、デモを起こしているんですよ。
フランスは、ご存知の方も多いと思うんですけど、持久率が100%超えているというところもあって。
農業って結構大事なんですけども、EUの政策とかがあったりして、それでも安い野菜とか入ってくるんですよね。
EUの基準は、一応安全面とかそういったもので審査が厳しいんですけれども、それでも、例えばトマトなんかはスペインから入ってくる方が安かったりするんですよ。
やっぱりあったかいじゃないですか。
ということは、ちゃんと売れているトマトが、ある意味冬でも食べられるということなんですね。
昔といっても、私がフランスに来た頃は、やっぱり冬ってトマトがほとんどなかったんですね。
あるいは、見るからに色が薄い赤って感じで、売れてないっていうトマトがいっぱいあったんですよ。
だから、季節の野菜っていうのを考えたときに、冬にトマトなんか食べないよねっていうノリだったんですね。
でも、ここ20年ぐらいで、冬でも普通にトマトが手に入り、その技術も上がってるんだと思うんですよね。
ビニールハウスの技術とかもすごく上がってるから、フランスでも冬のトマトが食べれる。
スペイン産だけじゃなくて、フランス産のものでも食べれるっていうのが出てきましたね。
それでもトマトはやっぱりスペイン産が多いような気がします。
そういったこともあって、農業の人たちが特に小麦粉とか、そういう飼料とかも含めて燃料の口頭とか、他の野菜が輸入されているとか、
あとは小売業者、例えばスーパーとか、そういうのが生産者の値段を叩いて安く売ろうとするために生産者の方に芝寄せが来る、そういうのも出てきてます。
実際に高速道路にトラクターを止めてばら撒いたり、あるいは例えばマクドナルドだっけ、スターバックスだっけ、
そういうお店の前に糞尿を置いたりとか、ゴミを投棄したりしてデモをしていると。
それに対して、特に地方なんですよね、特に道路がストップしてしまって大渋滞が起こっているような感じなんですけども、
パリ市内はないですね。ただやっぱりパリ郊外のちょっと遠めの郊外とかだと高速道路をブロックしたり、道がめちゃめちゃ混んでいたりというのはありました。
これも若くしてなった34歳のあたる首相がコミュニケーションして最終的には治ったという感じなんですけど、結構長く続いていたと思います。
それと同時に、今ちょうど2月でバカンスシーズンなんですね、スキーバカンスといって2月2週間ずつお休みがあるんですけども、
この2週間のお休みは全国的なお休みではなくて、地方によって1週間ずつずれるんですね。
今ちょうど今週はパリがお休みで、先週末から違う地域がまた始まり、1週間ずつずれていって、
観光地とか特にスキーとかそういうところが混み合わないようにしているんですけれども、ここに来てわざわざこのバカンスの時期に、
SNCFっていうフランスの国鉄ですよね、がTJPとかそういうのでストーをやったりしているというわけなんですね。
こういうパリのメトロ、RATPっていうメトロとか、こういうのもわざわざ夏のバカンスにやったり、空港とかも夏のバカンスにぶつけたり、
要は特に交通機関などの旅行者を盾にとって交渉するんですよね。
今回のSNCFは給料をもらっているのにさらに賃金を上げろということなんですけど、賛成している人も一定数いるとはいえ、
基本的にはたまに来ている人は多いんじゃないかなと思います。
頭に来ているとか、自分の生活に負担を強いられるということもあって嫌がる人は多いんですけど、実際は諦めている人が多いっていう気がしますね。
そういう意味では、この夏にかけてもメトロとか、そういう大きな電車があるような気がしますね。
そういう意味では、今年オリンピックもパリにありますよね。
あと、サッカーがヨーロッパ選手権があるんですよ。
ちょうどパリオリンピックの直前に。
これはドイツなので、一応ヨーロッパ選手権と勝ち合おうということはないんですけれども、
ただですね、やっぱりドイツにみんな、世界中からの人が集まってくるじゃないですか。
その流れで、直後がパリオリンピックなので、オリンピックに流れてくる人たちもいっぱいいると思うんですよね。
そこを狙って首都をするっていうのは結構めんどくさいかなと。
あとそういうのも込みで、メトロのチケットが急に上がるんですね。
実際最終的には住んでる人たちは上がらないっていう風になったらしいんですけど、
実際どうやって住んでる人とそうじゃない人を分けるのか、私もちょっと分からないので、まだ混乱している状態かもしれないんですけど、
パリに住んでる人たちは逆にオリンピックの大混乱期、すべての値段が上がって、地下鉄とかそういうのも含めて上がるんだったら、
みんなパリを出ちゃおうっていう人が私の周りでは多いです。
なので、わざわざパリにいるからオリンピック見ようっていうチケットを買っている人はそうですけど、
そうじゃない人はそういうところから離れて違うところで過ごしたいと思っている人が案外いるんじゃないかなと思います。
それでは本編スタートです。
農家のデモとN教事件
はい、本編です。
今日はですね、世の中何がきっかけで変わるか分からないっていう話をしたいなと思います。
特に今調子がいまいち良くないとか、不調の状態が続いているとか、ここから逆転していきたいみたいな、
そういう方にとっては一つの面白いメッセージかなと思いますので、ぜひ参考にして聞いていただきたいなと思います。
私も非常に刺激を受けた話でした。
実はですね、小澤誠治さん、世界的な有名な識者ですけども、彼がお亡くなりになりました。
私も本当にちょろっとなんですけども、クラシックがまあまあ好きで、そういう意味では彼の追悼のメッセージであったりとかニュースっていうのを結構細かく見ていて、
その中でたまたま入ってきたニュースがとても面白いって言ったらあれなんですかね、
私は全然知らない時の、生まれてない時代の話なので、知らない話もあったりして、これはぜひシェアしたいなと思いました。
題してN教事件と言われているものなんですね。N教っていうのはNHKの公共学団っていう有名な学団ですよね。
この事件がずいぶん前に起こったんですね。
小澤さんっていうのはたった一人で海外に行って、これも実はすごい面白い話があるんですけど、それはちょっと置いておいて今日はね。
彼はブザンソンコンクールっていう、ブザンソンっていうのはフランスの町なんですけども、こちらの世界識者のコンクールで優勝し、
その後カラヤンのコンクールでも優勝して一気に有名になった方なんですね。
その後ニューヨークのフィルハーモニーの初来日の時に副識者として加わって日本に戻ってきたと。
これ1961年の話なんですけども、その直後にN教、NHK公共学団の識者に指名されたんですね。
若干彼は27歳ですよ。
識者とは言っても常任のN教の識者ではなくて、いわゆる客縁っていう形で外から呼ばれた識者っていう専属ではなかったんですね。
私は細かいことはよく知らないんですが、当時のN教っていうのはどちらかというと、
巨匠とかそういう識者を大々的に扱うっていう位置づけなので、若き27歳の日本人なんだけども天才と言われているような小澤さんのことをよしとしなかったんですよね。
いろんな講演とかもきっかけにして反発し、ある意味生意気だと。
彼はどうやらため口を聞いてたらしくて敬語も使わなかったらしいんですけども、その辺が気に食わない。
敬意的なN教にとってはめちゃめちゃ態度が悪い人だったんですよ。
これをN教は逆にマスコミを利用して問題を大きくして、非常に天才かもしれないけどすごく卑劣な失礼な人だっていう感じで調子に乗ってるという感じでバッシングをしたんですね。
海外で成功している嫉妬もあったと思うんですけども、N教の学団員がボイコットを始めたんですね。
彼と一緒に演奏会をするっていうことに対するボイコットです。
小澤征爾さんのN教事件
当時N教のメンバーっていうのはだいたい平均年齢40歳ぐらいなので、27歳の若き小澤さんにとってみれば相当年上の人たちですよ。
よくあるあるじゃないですか。
自分の部下が全員年上とかそういう感じですよ。
上司部下の関係とは違いますけども、やっぱり指揮者ってリーダーって位置づけなので非常になかなかやりにくいと。
これではもう公演ができないって状態になっちゃったんですね。
NHKとしては、12月に契約が切れると。
12月に演奏会があるんですけども、大空だったのかなそれが。
12月に契約が切れるから、彼はアメリカと日本を行ったり来たりしてるので、このまま病気になってしまったことにして演奏会を中止し、日本にも戻るなという感じで言ったんですね。
でも小澤さんは絶対折れなかったんですよ。
だんだんもうこじれにこじれまくって、全く演奏もしない、練習もしないっていうボイコットだったから、NHKとしても困ってしまって。
要は小澤さんの未熟さがもたらしていることなんだから、謝れと謝らないと演奏会は完全に中止になってしまうと言ったんですね。
小澤さんはどういうふうに言ったかというと、後々彼の言葉として残されてるんですけども、どういう言葉を言ったかというと、ちょっと読みますね。
僕は人間的にも音楽的にも未熟かもしれない。
しかしその反省は演奏会という手段を通してしか行えない。
演奏会の積み重ねによって成長していかなくて、一体どこに音楽家としての成長の場があるのだろうかということだったんですね。
つまり演奏会を辞めるという選択はあり得ないと言ったんですね。
実際に演奏会に向けて12月アメリカから帰国して練習をスタートしようとするんだけど、もちろん楽団員はボイコットしてるから練習が全くできないんですね。
できないまま演奏会なんかできないじゃないですか。
ということで最終的にNHK側は応援を中止したんですね。
N響事件の概要
中止を発表したんです。それがいつの講演かというと1962年12月20日の講演だったんですね。
62年って言いますとねもう50年近くなるわけですよね。
この時代のことを思い浮かべていただければどんな時代だったかわかるかと思います。
私がびっくりしたのはN教っていうのは歴史の古い楽団なんですけども、
戦時中、戦争中でも休むことが全くないまま演奏続けてたんですって。
戦争中もですよ。
だけど指揮者との対立で中止したのはある意味前代未聞だったわけですね。
戦時中でも辞めないのに指揮者のボイコットで中止したっていうことで前代未聞の出来事になったと。
これをね実は何とかしなければって思ったのは第三者である文化人と言われてる人たちだったんですね。
特に中心人物であったのが劇団式のアサリケータさんだったんですけれども、
彼が新聞社の記者たちを呼んで講演の日ですよ。
12月20日の日に新聞社の記者たちを控えさせてたんですね。その会場に。
小澤さんは当日たった一人で会場入りすると。
で学員も観客もいない。たった一人で式台に立つっていうこの孤独の天才みたいなね。
一人ぼっちの指揮者みたいな位置づけで写真を撮らせて、
次の日新聞の社会面にデカデカと載ったんですね。
ここからちょっと一気に空気感が変わり、
小澤さんがかわいそうじゃないかっていう。
一種の同情の方が風潮として上がり、
そこから文化人が彼の音楽を聞く会を作ろうってことで、
ホッキキンがね、まあまあ相々たるメンバーで三島由紀夫だったり、
石原慎太郎だったり、竹光徹だったり、井上篤だったり、
っていう感じで、もちろんアサリケータさんが基本的には中心になってたんですけど、
翌年の1月、次の月ですよね、日比谷公会堂でコンサートをやったんですね。
大成功を収めたと。これをきっかけにして、
N京都は一応和解になったんですね。和解になったっていうのは、
小澤征爾の音楽活動への転機
裁判沙汰にならなかったっていうだけで、N京都仲直りしたわけではないんですよね。
彼としては、もう日本で活動するっていうのはもうダメだと、
ダメージがあまりにも大きすぎたんで、
彼はそこからまた世界に旅立っていって、活動を世界に移していったっていう話なんですね。
で、そのN京都再演するのは、なんとそれから32年後の話なんですね。
要は93年、1993年。で、なぜ32年もかかったかっていうと、
当時、そのボーイコットの時ですよ、当時N京にいた学員がいなくなるのを、
小澤さんは待っていたかららしいんですね。
だから、まっさらな新しいN京メンバーと一緒に講演をするっていうところを、
彼としてはこだわっていたということなんですよ。
で、この話どういうふうに思いましたか。
いろんな批評を書いていらっしゃる方が皆さん言ってるんですけども、
もしあのままN京に謝って、N京のメンバーとして戻って、
要は頭下げてね、復帰していたら、今の世界の小澤っていうのはなかったんじゃないかって皆さん言ってるんですよ。
結局N京の仕事の方で忙しくなって、世界に出ていくことがなかったんじゃないかと。
で、今の世界の小澤になったきっかけは、実はN京事件じゃないかと言ってるんですね。
ここでね、いつも私も自分自身にも言ってることなんですけど、
物事を点で見ないっていうことなんですよね。
点で見ると、例えばこのN京事件って非常に辛いことじゃないですか。
私たちにもどうしようもないくらい辛いことっていっぱいあるし、
うまくいかないで落ち込んだりとか悩んでらっしゃる方っていると思うんですよ。
でも後から見ると、あの辛さがあったからこその大逆転劇があるっていうケースは、まあまあ多いんですね。
今回の小澤さんの話も、実はそうなんじゃないかなと思うんですね。
失った瞬間は辛いけど、その時感じていたこと、気づいたことが別の形できちんと願望として叶っているケースが多いんですよ。
だからね、最終的には違った形で叶うと。
ただそこで問われるのは、自分自身を信じることじゃないかなと思うんですね。
辛い時こそ自分を信じられなくなったりするじゃないですか。
でも自分の、まあ例えば小澤さんの場合には音楽に対する情熱とかそういうことだと思うし、私たちそれぞれも今信じていること、やっていることってあると思うんですけど、
そこを簡単に諦めないで、その自分を信じてあげる、それを突き進んでいく、そういった思いがある人には必ず応援者が現れるんじゃないかなと思います。
今回その小澤さんのケースでもね、アザリケータさんが応援者として力になって、わざわざ音楽会を開くとこまで行ったりとか、わざわざ記者を呼んで、
一人ぼっちの小澤さんの写真を撮らせて、新聞にデカデカと載せて、N教事件っていう位置づけでね、なんか同情を誘うような感じになっていったのは、
結果論ではあるんですけども、そういう応援者が現れ、そういう応援者がいいと思って賛同してくださった裏には、
彼が彼の音楽に対する思いとかね、自分自身を信じているっていうところを、やっぱり見てくれたんじゃないかなと思います。
後から小澤さんも、その時にすすくってくれた人たちにはずっと感謝しているという言葉を残しています。
これを聞いてどう思ったでしょうか。私はね、すごい刺激を受けたし、やっぱり辛い時とかね、なんか思うようにいかない時ほどこそ、
自分をもう一回整理し直してね、自分を信じてみる、諦めないでやってみるっていうところが非常に大事なのかなっていうことと、
物事を点で見ないでね、線で見ると、実は出来事って悪いことだけじゃなかったんじゃないかなと思えるんじゃないかなと思いました。
ということで、また次回お会いしましょう。ありがとうございました。
いつも聞いてくださり、本当にありがとうございます。
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