1. イラストレーター原あいみの話
  2. #58 人と違う事をやってなんぼ..
2024-03-22 11:24

#58 人と違う事をやってなんぼと思っていた頃を思い出そう

自分の個性はなんだろう…と色々思い返しています。人と違う事をするのに恐れがなかった頃から、ちょっとエッセンスをもらいたい今です。

#ダンス #創作ダンス
#コンテンポラリーダンス
#演劇 #演劇部
#オールジャパンダンスフェスティバル
#AllJapanDanceFestival

#中村淳彦 さんの
#悪魔の傾聴ライティング
受講生です。

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イラストレーターの原あいみです。久しぶりに今日はですね、車の中で録音をしています。
どうしてかというと、娘の習い事の送迎をやる日っていうのが担当が決まっていて、夫と交代でやってるんですけど、
その習い事を送った後、一旦家に帰って迎えに来ると、なんか若干慌ただしくてほとんど時間がないんですよね。
なので、車の中で収録をしちゃうっていうのが結構いいなと思って、よくやっています。
私は車の運転があんまり上手じゃないんです。というか、頻繁に乗ってないからだっていうのが言い訳ですけどね。
もうなんかね、いろんなとこぶつけるんですよ。本当気をつけないとと思います。もうね、歳もあると思う。
なんかもう、今日もね、ちょっとある駐車場で、後ろがりってやっちゃいました。もうね、私のがりってやった傷だらけ。
もう本当ね、夫が車命みたいな人じゃなくて、本当良かったなぁと思っています。気をつけましょう。
さて、今日の本題はですね、人と同じことをやっていては誰も見てくれないという話について考えたいと思います。
今、自分をいろいろ探りながら、思い出しながら、配信っていうのをやってるんですけどね。
本当、少し前の回で、正論一定ポジティブに終わりがちな私っていうのをやったんですけど、
みんなが言っていそうなことを話しても、やっぱり面白くないよなっていうふうに改めて感じてます。
なんか自分も耳がだんだん越えてきたのかもしれないですね。
あの、ボイシーとか好きでいろいろ聞いてるんですけど、なんか誰かが言ってそうだなっていう話だと、最後までちょっと聞けないというか、途中で切っちゃう感じですね。
やっぱりそうなんだなって、誰が言っても同じようなことを話していては、誰も聞いてくれないですよね。
でね、私、昔、ダンスをやっていました。高校の時3年間ダンス部だったんですけど、
そんなに強い部活ではなかったんですが、結構先生がすごい熱い方で、
コンテンポラリーダンス的なね、創作ダンスが一番メインの部活だったんですけど、
1年に1回全国大会があるんですよね。今もずっと続いてます。
オールジャパンダンスフェスティバル神戸っていう大会なんですけど、それが高校生と大学生と全国から集まってきて競う作品を見せ合うっていう大会です。
それに3年間出場していました。 私は好きでダンス部に入ったんですけど、全然ダンスうまくないんですよ。
お恥ずかしながら。めちゃくちゃ体が硬いんです。立って床がつかない。つま先に手がつかないですね。
そんなのでよくダンスやってるなっていう硬さで、技術も別に子供の頃からダンスやってました、我やってましたっていうタイプではないので、
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上手じゃないんです。なんですけど、技術だけで綺麗に美しく揃えてみたいなダンスをやる部活ではなかったので、
自分なりの動きとか表現とか発想とかアイディアとか、そういうことの方が大事ってなる部活だったんです。
先生がそういう教え方をしてくださってたっていうのもあるんですけど、
なので私はとにかく技術では敵わないので、いかにみんながやらない変な動きを思いつくかとか、
何かテーマを出した時にそこの切り口から行くみたいなことを考えるとか、そう言われてみると学生の頃はめちゃくちゃやってたなっていうふうに思い出しました。
その後、大学ではダンスも考えたんですけど、ちょっとやっぱり技術が伴わないので、それよりも自由な表現が面白くて演劇の道に進みました。
演劇も同じく、誰もがこのセリフはこう読むだろうみたいな表現をしていては普通の人ですよね。
そこでどうやって個性を出すかとか目立つかとか見てもらえるかっていうのは、やっぱり人とちょっと違う視点で、違う表現でしないと見てもらえないっていうような感覚があったので、
常にそういうことを考えていたと思います。
昔はそうだったなって、人と違うことをやることに怖さがなかったし、むしろこんなことやるんだぞ、見てみたいなそういう気持ちがありましたね。
それで思い出したんですけど、高校3年間ダンスをやっていて、大学は3年間やってみんな引退していって就職活動をしたりして、4年の最後に最後卒業公演をするっていうような演劇部だったんですね。
なのでその3年から4年、4年生の最初は引退してしまった後、やることがないというか、その時期に大学のダンスの先生から声をかけてもらって、
その高校時代に3年間出場していった大会に、ダンス表現を学んでいる生徒たちとチームを作って出ませんかっていうふうに先生から声をかけていただいたんです。
ちょうど演劇も引退していたので、久しぶりにダンス表現やるの面白いなと思って、大学の部のその大会に出場することにしたんですよね。
とはいえ別にダンス部とかではないので、本当に間に合わせの有志たちで作ったチームで出場するというもので、最低6人だったかな、6人から出場できるんですけど、6人だったんですよ。
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しかもずっと4年間練習してきました、みたいなチームじゃないので、そこでよろしくお願いします、みたいな感じで集まったチームなので、別に賞を取るとか予選を通過するのを目指すとか、
そういう熱いものではなく、出るっていうのを一つ目標にして作品と向き合い、一作品6人で作ってみるっていうことに意味があるっていうような、そんな活動でした。
ダンスの作品作る時ってね、本当テーマギメにめちゃめちゃ時間かけたりするんです。
なので踊ってるより話し合いしてる方が長いんじゃないかっていうような、そういう活動だったりするんですけど、その時はちょっとあまり覚えてないんですが、色をテーマにしようっていうような話になり、
セキララっていう言葉が面白いよねっていう話から、赤に裸って書いてセキララで、20代の女性が集まって作ってるので、色々な格好つけて隠してる気持ちとか、そういうのってあるよねって、それを脱ぎ捨てて本当の自分になるみたいな、そういうテーマって面白くない?っていう話になり、
あとそれと対照的に黄色っていう色は、ちょっと幼稚とか幼いっていう意味があるみたいなことが調べたら出てきたので、黄色をまとってる時は本当に幼くて自分を幼稚で隠しててみたいな、そういう対照で踊ってみるのはどうかっていうことになりました。
タイトルはね、セキララ、キララって、キララっていうのは黄色に裸って書くんですけど、そういうタイトルでダンスを作ろうっていうことになったんです。
こういうダンス作る時って、色んなやり方あると思うんですけど、この時は、高校の時もそうでしたが、まず各自そのテーマの一番のモチーフになる動き、ちょっと短い動きですね、そういうのをメインでたくさん使ったり繰り返し出てきたりっていう感じで、
一つモチーフの動きをよく作ったりするんですけど、それを個々人で考えて、一つ自分で作って発表し合おうっていう風になりました。
私はセキララってどんな動きだろうって色々考えて、一つモチーフを作ったんですね。
いざ先生も招いて、テーマ決まりまして、最初のモチーフの発表の回ですって言って、みんなで見せ合いました。
私はですね、その時に何を思ったか、ちょっとよく覚えてないんですけど、自分を舐めるダンスを作ったんです。
自分を舐めるってね、不思議ですよね、言葉じゃちょっとうまく伝えられない。
腕をね、腕をベローって舌で舐めていくみたいな、そういうそれを踊りながらっていう感じなんですけど、それをモチーフとして披露しました。
そしたらもうみんなね、ポカーンってなって、先生もえーって、なんかこの子は何をやりだしたんだみたいな感じになりました。
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特にその先生は本当に美しいダンスを、バレーとか身体操とか美しい表現をってきちんとされた方だったんで、私がその後ね、みんなから舐めダンスって言われてたんですけど、
その舐めダンスをやったことに、なんかもう、はーってなってしまって、なんですけどね、先生はせっかく声をかけていろんなタイプの子たちを入れてきたから、これ面白いんじゃないのって、なんか言いまして。
で、これメインのモチーフにしようってなっちゃったんですよね。
で、もうあの強くないし、たった6人だし、もう本気で賞は取れないチームだってわかってるので、もうやりたいことやろうっていう感じになり、全員で自分の腕を舐めるっていうね、それがメインモチーフになったダンスを披露しました。
で、ラストはですね、あの赤い衣装を手作りでね作ってたんですけど、それをなんかバーって最後盛り上がって引きちぎって、すべて脱ぎ捨てて終わるみたいな、そういうフィニッシュにしたんです。
で、さすがに脱ぐのはダメなので、あのなんて言うんでしょう、肌色のヌード色のあの全身タイツを中に着ていて、で、あたかもその衣装をすべて引きちぎって、裸の自分になって終わるっていうような終わり方をしたんですが、
もうね、かなりね、会場がねざわつきましたね、本番。すごいざわざわされてるって思ったのを覚えています。
でも今思い返すと、あの時はとにかく人と違うことをどう思われようが、やるっていうのは全然迷いがなかったんですよね。
あの、若いってのもありますけど、なんかね、ちょっと今思い返して、あの時の自分のエッセンスをちょっともらいたいな、思い出したいなと思います。
はい、ちなみにその大会で我々はもちろん予選落ちでした。はい、ということで最後まで聞いてくださりありがとうございました。イラストレーターの原江美でした。
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