ギブネスの挑戦
真の愛のある皆様、アロハです。愛です。いやぁ、カナダも寒いでございます。
先週の日曜日から雪が降って、2、30センチは、30センチもいかないかな。20センチぐらい積もってるかな。
はい、マイナス5度ぐらいかな、今。溶けずにずっと残ってて。ユタロウと一緒にね、巨大な雪だるまも作りましたけど、日本もね、大寒波っていうことで、昨日は
3時間も雪かきしたわーっていうようなお仲間もいらっしゃいますけど、皆様、足腰、そして足元気をつけてお過ごしください。
はい、というわけで、雪を踏みしめながらね、お話ししようと思うんですけど、今日はちょっとね、非常に私も話しにくい
トピックに切り込もうかなというふうに思っております。っていうのは、ギブネスと貯金のお話。
はい、で、ギブネスやってらっしゃるね、先駆けの吉田すぐるさんとか、あと無限画のね、お絵かき天才のふくちゃんとか、皆さん本当に
鉱山の山高までね、航海していらっしゃって、本当にゼロまで行き着いて、そしてギブネスという生き方に挑戦していらっしゃるということで、もうね、なんか本当足をめけて寝られないっていうぐらい
チャレンジだなあっていうふうに思っているんですけど、私はどうかというと、まあぶっちゃけ貯金はあるんですね。そんなに別に巨大な巨額、多くはないけど、貯金は持ってますと。
で、これ結構ね、ギブネス始める、始めたいなと思った時にすごく悩んだんですよね。なんか貯金がゼロになるまで、みんなに助けてって言っちゃいけないんじゃないかみたいな。
生活費サポートしてくださいっていうなら、先に自分のね、貯めてるお金使えよってね、なんかそういうね、声が聞こえてくるんじゃないかっていうことで、ギブネス始める前に、すぐるさんに壁打ちしてもらって相談したんですよね、その辺もね。
そしたらすぐるさんは、まああの全てをね、まあいろいろやり方、いろいろやり方っていうか、そもそもギブネス、正解真理はね、あるんでしょうけど、それぞれができる形で、できるタイミングでやればいいということで、まあ公開してもしなくてもいいと。
で、まあ持ってる、自分が今ね、持ってる、手元に持ってるお金、まあ貯金だろうが、投資だろうが、っていうのも、まあその自分が、自分のリソースの一つに過ぎないから、まあもしね、あのその持ってるお金っていうのを、あの自分の将来の安心安全のために持っているっていうよりは、自分が今できる最高のことにこれを使いたいって思った時に、そのリソース、お金というリソースも、
自分が持っている他の才能とかね、できることと同じように、ただ開放すればいいだけじゃない?っていうようなお話をしてくれてですね、ああなるほど、納得みたいなことで、はい、それで始めたんですよね。
で、まあ私は父が亡くなった、亡くなった父がね、残してくれたものとか、あとは何だろう、カナダにね、来た時に、あの始めた、前の旦那さんと始めた、えーと年金型のね、そういう、何?貯蓄?みたいなものだったりとか、まあそういうものがね、手元に、あるのはあるわけですよね、まあ全然一生生きていけるほどではないけれども、あるものはある。
でも、あるままでも、ギブネスを始めたいと思ったので始めたんですよね。なんかハードルを低くしたいというか、何ていうのかな、そう貯金があったらギブネスやっちゃいけないんじゃないかとか、貯金があるなら助けてって言っちゃいけないんじゃないかとか、生活費サポートしてって言っちゃいけないんじゃないかとか、
お金のリソースとしての捉え方
なんかそういうことじゃないなって思うんですよね。誰でもいつでも始められるように私は、なんかギブネスというものは開放されてるんじゃないかなというふうに思っておりますということで、私はそのように始めているんですけど、
だから私はね、わざわざこれこれいくら持ってますというふうには介じはしてないんですけれども、ありますと。でもそのありますっていうのも、私のお金、私が将来安泰であるためのお金っていうんじゃなくて、何かあったときに、それは自分も含めてね、自分も含めて、そして自分の人つながりの命である皆さんが本当に必要であったときに、
それを自分のできる最高のこと、最も価値のあることとして、そのリソースとして開放するためにそれがある。その糸のシフトだけでいいのかなっていうふうに今は捉えてます。これからどうなるかね、ちょっとわかんないんですけど。
そうそうそう、お金もただのリソースの一つと感じております。はい、なので、まあいろいろね、賛否両論、賛否両論っていうか、賛も否もね、賛も否もっていうか、まあみんながそれぞれね、できる形でできるタイミングでやればいいし、その正解とか別になくて、そのチャレンジする中で感じたことっていうのが、
そのギブネスっていう生き方、お金がいらない国っていうのって、もしあるとしたらどんな場所なんだろう、どんな世界なんだろうっていうのをそれぞれが想像、体感する中で想像して、クリエイトしていけばいいんじゃないかなというふうに思います。
お金ってやっぱすごいね、今の世界ではパワーがあると私たちが思い込んでいるので、一概にこの人がお金が必要だから、じゃあもうお金をこの人にあげようって言って、ドーンとサポートとかね、お貸金を送っちゃったりすると、やっぱりその人間関係とかね、パワーバランスっていうか、崩れちゃったりとか、それが本当にその人のためにならないっていうようなことも起きたりするので、
それも本当にギブネスっていうのが、ただただばだらきするっていうのではないっていうのと同じで、ただ送るお金をね、お金でサポートするのがいいのか、それとも他に何かできることがあるのかっていう、これをやることでもしくはやらないことで、どういう因果関係が紡がれるのかなっていうことをその瞬間瞬間で感じ取っていくことなのかなっていうふうに思ってます。
だから本当私ができる、今私にできる最も価値のあることってなんだろうっていう問いを常にね、胸に置いておくと、なんていうかね、まあ私もまだまだですけれども、本当に自分が8ドルの一筋ずくじゃないけど、バタフライエフェクトじゃないけど、自分がね、紡ぐ因果、因果律みたいな、奏でる因果律みたいなものを常にね、感じながら生きることができるので、
できるんじゃないかなというふうに感じております。そんな難しいことは置いといて、本当に私はギブネスって面白いなっていうふうに、今全く一しずくの後悔もなくギブネスにシフトして良かったなっていうふうに思ってます。
だしね、なんかお金、まあこの話はまた別でしようかなと思うんですけども、近づいてきたから、ゆたろの学校が。お金でね、命をね、そんなに縛らなくてもいいんじゃないかと。もちろんね、大事だし、今はね、家は現金かね、もしくは銀行に振り込まないといけないから必要なんだけど、
そんなに命縛らんでええんちゃうっていうのが正直なところですね。あまりにも縛りすぎ、もっと大切なことがあるって言うと本当にチンプな言葉になっちゃいますけど、本当にそうだなって思うので、一人一人にそれに気づいていくとね、また違う世界、違う世界、もっと優しくて暖かくて、死んだ晩生と調和する世界がね、見えてくるんじゃないかなって。
その世界ではきっと誰一人何一つ取り残さず、すべての命が、才能、命をね、愛を解放して循環していく、そんな世界じゃないかなというふうに思い描いておりますので、私はギブネスを今日も生きております。
はい、というわけでね、運動場真っ白。めっちゃ真っ白なんですけど、子供はね、もう何の関係もなくめちゃくちゃ遊んでますよね、普通にね。大人とは違うわ、やっぱり。子供は本当風の子だなというふうに思います。リスペクト、子供。
はい、そんなわけで、今日も引き続き暖かくして良い一日をお過ごしください。じゃあねー。