ギブネスライフの始まり
親の愛のある皆様、アロハです。愛です。今日は2月12日、バレンタインイブイブですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
カナダはね、雪が結構溶けてきて、今日も天気ですけど、太陽が反射すると雪ってめちゃくちゃ眩しいんですよね。サングラスが欲しくなります。
でも鳥さんたちの声がね、なんかちょっとはるめいてきたっていうか、まだまだ寒いですけど、春の兆しを感じております。
今日はね、本当にやりたいことは、一番やりたいことは一番怖いことっていうお話をしようかなと思っております。
というのもね、私、ギブネスライフをこの夏から始めまして、ギブネスの原則その1、今自分にできる最も価値のあることを無料でするっていうね。
これが一番ね、なんていうのかな、大きなテーマというか、どれも1,2,3の法則それぞれ全部つながりあってて、どれが大きい小さいとかないんですけど、
一番突きつけられやすいというかね、自分に問いやすいテーマで。
本当に今自分ができる最高のことって何かなっていうふうに、常にその問いを自分の胸に抱いているなというふうに思ってるんですよね。
そもそも私がギブネスを始めたきっかけは、去年、もう一昨年か、一昨年の秋にね、思い立って指導した生きがいメディアラボですね。
生きがいの探求ということと、あとひふみ村コミュニティですとか、セルフコーチングをベースにしたそのコミュニティ。
そして生きがいを真ん中にワールドシフトしていくっていう、今まで自分がやってきたことを統合していくっていうのが一つのまとまりとなって、これに関しては本当に地球にとって人類にとって大事なことだなっていうふうに思っているので、
ビジネス、お金がどうとか言わずにね、豊かく言わずに命をね、全身全霊でやりたいという思いがあって、ギブネスをやりますというふうに始めたんですよね。
表現することの重要性
なので、今私ができる最も価値のあることの一つは生きがいだったり、ひふみ村だったり、ワールドシフトの活動だったりするわけなんですよね。
特にひふみとか生きがいのコミュニティっていうのは、村人さんのメンバーがいるので、いろいろお手伝いできることはあるし、お祭りも企画したり、みんなのサポートしたり、バナー作ったり。
とにかくね、常にね、お仕事っていうか、誰にも頼まれてないけど、求められていることっていうのはたくさんあるんですよね。
やっぱりチームでやってるとね、いろいろ締め切りがあったりとか、いつまでにこれやるとか、こういうもの作るとか、あるわけですよね、人と関わっているので。
それはそれでね、喜びとしてやっているし、生きがいのほうのコラム、生きがいのウェブメディアのコラムなんかも執筆しており、
これは自分にとっての研究の成果を形にするっていうことでもあるので、ギブネスのね、すごく大事な要素としてやっているわけです。
っていうふうにやってきたんですけど、なんか本当この1ヶ月ぐらいですね、なんていうかな、ちょっと不完全燃焼というか、本当に私は最も価値のあることをやっているのかっていうのが胸の中にありましてですね、もやもやしてたんですね。
で、それ何かというと、私の好きなこと、得意なことっていうのは、そういうね、人のサポートしたり、表現のお手伝いしたり、ライティングしたりということと、もう一つ、やっぱりその表現することっていうのが、私の好きなこと、得意なことであるんですよね。
でもまあ、小説家でもないし芸術家でもない。
でもないっていうか、それで食ってはいってない、まあ食ってはっていうか、ギブネスやってるから食うも食わないもないんですけど、職業ではないっていうふうに自分では認識してるんですけど、アーティストとして何かお金をいただいているとか、小説家として暮らしているとか、そういうものではないんですけど、
なんか自分の中の本当に大事な柱として、実はその表現者としての柱が実はあるんですよね。
で、そこをおざなりにしてしまうと、後回しにしてしまうと、私これいつもパターンなんですけど、後回しにしてしまうと、いつもこうやって、なんか違うみたいな、本当にこれが最高のことなのみたいな、何かが足りないみたいな感じでこうもやもやして、で、ふと肌と気づくっていうね、そういうパターン、私結構ずっと繰り返してるんですよね。
いろいろコミュニティに関してはオンラインの皮踏みが始まる前もね、リアルでもやってきたし、求められる生きがいの表で言えば、自分が得意なこと、そして好きなこと、お金になること、で世界が求めていること、4つの花びらが重なるとそれが生きがいになるっていう、それを私にとってはコミュニティ盛り上げたりとか、コピーライティングしたりっていうことでもあるんですけど、
でもここをね、ちょっと見落としちゃいかんなっていうのが、その世界があなたに求めていることっていうの、その世界っていうのを何と捉えるかっていうので、なんか全然その深みっていうかレイヤーが違ってくるなっていうふうに思うんですよね。
もちろんコミュニティづくりとかコピーライティングとかっていうのはまあ、いろんな人に求められてることではあるんですけど、でも前も言ったけど、死んだときに、私が死んだときに私のお墓に、皮踏みの村役場って母標にお墓に刻んでもらってもいいけど、でもなんか違うっていうふうに官房計の中から言うと思うんですよね。
で、何と刻まれたいかっていうことを考えたときに、その世界っていうのがこの世界であり、宇宙であり、ご先祖様、DNAの中でね、そして全ての命の中で皆さんはね、私をそして皆さんを見守ってらっしゃるご先祖様であり、そういう人たちも含めた世界っていうのが、
私に何をね、この星でさせたがっているのか、この命に何を使わせたがっているのかっていうことを考えると、もっとね、その職業とか仕事とかいうね、ところよりももっと深いところから出てくる何かがあると思うんですよね。
で、それってまあ、なんだろう、この世界で照らし合わせると、なんか肩書きがなかったりとか、なんだろう、お金、単純にお金に換算できなかったりとか、で、待ってる人がいないように見える、ように見えるですよ。待ってる人がいないように見えることだったりするんですよ。
恐れと向き合う
で、それは私にとって何かっていうと、まあ数日前にね、思い立って、あ、ギブネスについての本を書こうっていうふうに思ったんですよね。そう、で、それは私にとって私がこの星に来た理由だなっていうふうにご先祖様とか、世界や宇宙が私にやってほしいこと、私と一緒にやりたいことだなっていうふうに思ったんですよね。
で、持ってこれを残せたとしたら、うーんと、私はまあ人生悔いなしというふうに言って死んでいけるかなと。
でも、完成はないと思うんですよね、本当に。完成はないんですけど、そのプロセスに自分の身を置いたならば、もうね、本当にこれは最高のことなのかっていうような問いを自分の中でね、もやもやもやもや問いだかずに、そのプロセスをね、道を歩んでいけると思うんですよね。
うーん、でもね、そう、それが一番やりたいこと、私のなんですよ。でも、なんでそれは後回しにするかというと、まあそういうコミュニティーのお仕事とか、人に求められるお仕事があるっていうことももちろんなんですけど、それは言い訳で、本当はね、めっちゃ怖いんですよ。めっちゃ怖い。
っていうのは、まあやっぱり私は職業としてアーティストだったり、詩人だったり、小説家だったりするわけではないので、その本をね、ちょっと絵本のような不思議な形にしようと今ちょっと考えてるんですけど、その本を書く物語をとしてそれを表現するっていう世界をね、表現するっていうことに対して、本当にできるのかなとか、上手にできるのかなとか、書けなかったらどうしようとかね。
そういうふうにね、本当に私できるのかなっていう、恐れてる、すごい怖いんですよね。本当にやりたいからこそ、本当にそれを自分ができるのかっていうことがすごく怖い。だからなんじゃかんじゃ言いながら、ごまかして後回しにしているんですけど、まあもうそろそろね、潮時というか、認めなさいよっていうことで、
この間の、なんだ、3日前ぐらいかな、一流万倍日だったかな、なんかの時にね、ぽんとそれが出てきたわけです。
はい、というわけでね、日々ちょっとその本の構想とか、1日10分でも20分でもね、考えたり思いを馳せたり、イメージしたりしているところです。
でもそれをね、1日の10分でも20分でもできたら、すごくね、滞りが良い。他のいろんなお仕事とか、ギブネスでね、誰かをサポートするっていうような、いろんなその周辺、周辺って言ったらですけど、どれも中心なんですけど、いろんなお仕事がね、心地よくね、流れ、循環してくるっていうね。
だから本当にね、本当の本当にやりたいこと、でもって、それは往々にして、一番恐れていることだったりもするんですけど、皆さんもね、ちょっとこのお話聞いて、何かね、心当たりというか、私の中に眠っているのはこれかな、みたいなね、そういう気づきなどありましたら、
ぜひね、ちょっとそのね、扉をノックしていただけると、面白い世界がね、開けるんじゃないかなというふうに思ったりしていますし、まあ私にお手伝いできることであれば、常にね、愛とリソース無料で開放しておりますので、はい、えーっと、連絡ください。一緒にこの星を遊びましょう。
はい、というわけでね、運動場に着きました。めっちゃ子供はね、遊んでますね。はい、運動場の雪もちょっと溶けてきたかな。まだまだ真っ白ですが。はい、というわけで引き続き皆さんも良い一日をお過ごしください。バイバーイ。