1. 愛はフラクタル
  2. #268 銃を向けたのは “わ..
愛
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・なぜ、こんなに悲しいのだろう?・誰が殺したのか、に思いを馳せると。・全人類 元赤ちゃんなのに・馬鹿だから、馬鹿だからこそ。それでも。


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親の愛なる皆様、アロハです。愛です。今日はいかがお過ごしでしょうか。
いやー、日本ではね、本当に大きな事件がね、起きてしまいましたですね。安倍首相の件、私は昨日の夕方ぐらいかな、ニュースで、
撃たれたっていう話を聞いて、で、無事でありますようにって祈りながらね、
眠って、そして朝起きた時にね、亡くなられたというニュースをまた知って、ということで、
なんかね、すごい悲しみっていうかショックっていうかね、
大きくてですね、で、結構今日はフリーなので、がっつりお仕事しようと思ってたんですけど、何も手に、手につかなくなっちゃって、それでそれを思うとね、結構涙がね、
出てきたりとかしてて、何なんだろう、この悲しみは、ということで、私本当に政治とかね、詳しくないですし、安倍さんすごい人ともね、安倍さん悪いやつとかね、そういうね、
何かね、語れるようなこと、知識もね、何もないんですけど、ニュースね、チラ見するぐらいで、
ただまあね、彼は彼なりに本当に命をかけてね、日本のためにやってこられたんじゃないかな、というふうに想像するんですけれども、
ただ、何だろう、まあその、何でこんなに悲しいんだろうってね、思ったんですよね、それをちょっと深掘りしてみたんですよね、自分の中で、何で涙が溢れてくるんだろうっていうことを、
で、それをね、言語化してみてですね、ちょっと勇気を持ってフェイスブックに投稿してみたんですけど、そしたらね、やっぱりまあ政治的なこととかってね、いろんな意見があるので、
ためらいますよね、そういう公共の場に投稿するのって、でもなんか、同じような気持ちで、同じようにもやもやして涙を流していた人たちから、
私も同じ、同じ風にね、感じてたよということで、本当にたくさんのコメントをいただいたんですよね。
なので、思い切って投稿して、言語化してよかったなという風には思うんですけど、まあ声の方でもね、音声配信の方でも残しておきたいなと思って、今お話ししております。
で、何で悲しいんだろう、何でこんなに涙が出るんだろうっていうところで、
やっぱり、まあそれはもちろんね、その安倍さんっていう一人のね、人の命が、命が奪われてしまったっていうことの悲しみでもあるし、
そしてまあそれ以上にですね、まあ以上も以下もないんですけれども、それ以上に、何でそれがね、この現代の日本でね、起きているのかっていうことを考えると、
本当になんかやりきれない気持ちになっちゃって、涙がね止まらなかったんですよね。
まあ一言で言うと、これは私が望む世界ではないっていうところに尽きるんですよね。
で、まあ亡くなられた安倍さんももちろんそうなんですけれども、その犯人はね、何をもって銃を放ったんだろうっていうところにね、私はすごくなんか、
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関心って言ったらおかしいですけど、まあ普通のね、一見普通のなんか40代のね、お兄ちゃんで手作りでね、YouTubeかなんか見て、
拳銃作って、それで事件に至ったっていうことなんですけど、何が彼をね、そこまで追い詰めたんだろうっていう、
この事件っていうのは、まあ拳銃を放ったのは実際ね、手に指をかけてね、放った銃を、弾を放ったのは彼なんですけど、
でも彼をそこに至らせる、彼をそこまでね突き逃してしまったっていうのは、彼自身だけの問題じゃないと思うんですよね。
なんかまあ社会だったりとか政治だったり、まあ政治だったり社会だったり、そしてまあそういうね、世の中で起きていることに対して、
まあ今ね、本当に自由にね、好きなことを、まあ時には匿名でね、発信できるようになっちゃって、
なんかそういうね、あのよからぬ、よからぬムーブメントというか、なんか無責任なね、根拠のない発言っていうのも、なんかすごく増えてきているよなぁというふうに思うんですよね。
突き詰めて考えればね、愛なのかもしれないけど、でもなんかそういうね、大きな渦みたいなものが、その犯人をね、突き動かしてしまったんじゃないかなというふうに想像します。
で、やっぱりなんでそれが起こるのかっていうところで、やっぱりその全ての争いとか全ての差別っていうのは、自分とは違う考えを持っているとか、
もしくは自分の未来や資産をね、脅かされるっていう、そういう不安とか恐怖から、あの全ての争いが始まるなというふうに私はいつも思っているんですよね。
そういう恐怖から誰かの命をね、奪うとかいうことをね、もう人類ってやつは本当にね、もうずっとずっとやってるわけでですね、
なんでなんだろうって、もうどんな文化でもどんな神様信じてても、まあ平和にね、楽しく暮らしたいに決まっているのに、なんでなんだろうって、まあなんでそれが起こるんだろうっていうふうに、
これ永遠にね、私だけじゃなくて、永遠にもう人類史始まってからずっと続いている問いだと思うんですよね。
だからこそ、まあいろんな英知がね、あって、いろんな宗教だったり、いろんなね、あのなんだろう、哲学だったり、まあ今私が学んでいるところで言えば、まあコーチングでね、
コーチングで、まああらゆる人の一番の幸せ、皮踏みコーチでは思ってますけど、学んでますけど、あらゆる人の一番の幸せを持ったりとか、
あとはね、仏教というものから、すべての命は尊いということをね、学んだりとか、哲学なんかではね、生きるってなんだろうって、愛ってなんだろうっていうことをね、
考えたりとか、しているいろんな英知が私たち、
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ね、周りにはあるわけなんですよね。そう、で、それって本当に突き詰めて、このテーマで突き詰めていくとですね、やっぱりもうどんな命でも、
それがどんなふうにこの目に見えたとしても、全部尊くて、でもそこに存在するね、確かな理由があるっていうね、ことに尽きると思うんですよね。
でもって、それは、あの、誰にも決してこう、脅かされるべきではないと思うんですよね。
でもやっぱり、それをこう、脅かしてしまうっていうのは、
なんか、憎いとかね、やっつけたいとか、殺したいとかね、究極を持ってしまうのは、やっぱり自分の中に、自分の心の中に敵がいるからだと思うんですよね。
その敵、自分の中にいる敵っていうのを、相手という敵にすり替えて、傷つけてしまうときには命を奪ってしまうっていう、そういうことをずっと繰り返しているんだなぁっていうふうに、
思います。そうなんだけど、なんていうのかな、そういう正義の、正義と悪の世界みたいなね、加害者と被害者の世界みたいなね、
なんか、私が正しくて、あなたが悪いっていう、なんか100%を言い切れる状況って、この世に存在しないって思うんですよね。
どんなに、まぁ今回起きたこともそうだけれども、どんなふうに見えたとしても、どんなに残酷に見えたとしても、やっぱりそれがそこに至るまでにね、
何があったかっていうことを紐解くと、そしてそれがね、前世とかね、来世とかね、そういうスケールでね、考えちゃうと、本当に、
100%の、探偵できる状況なんて、この世の世界に存在しないって思うんですよね。
なんだけど、そのことに気づかずに、私とは違うとかね、こいつは悪いっていうことをね、
こいつをなんか、悪だからやっつけろみたいなことを理由に、なんかその、自分とは異なるものっていうものを、なんか一生排除し続けるのかなっていう、その犯人とかね。
犯人はね、そう一生排除し続けるのかなーって、誰かを殺し続ける、一人ね、今回その人をターゲット殺したとしても、また次に殺さないといけなくなるんじゃないかなーって、
それってなんで悲しいんだろうっていうふうに、思っちゃったんですよね。それ思うとやりきれないっていうか、なんでそうなっちゃったんだろう、その人は。
その人だけじゃなくて、なんでそういう仕組みになっているんだろう、この社会とかね、世界っていうのはっていうね。
みんな愛でもって、愛を求めているはずなのに、なんでなんだろうっていう。なんでこんなに歪んじゃったんだろうっていうことに、思いを馳せるんですよね。
そういった時に、いつも私思うのは、もう生まれた時はみんなお母さんからね、生まれたね、赤ちゃんだったのになーっていう、全人類元赤ちゃんっていうことを本当に思うんですよね。
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どんな肉たらしくね、見えるね、人でも、どんなにふてふてしく見える人でも、どんな極悪人でも、生まれた時お母さんのね、お腹かね、もしくはお股からね、
あのー、まあ、親って生まれてきてね、おっぱい飲ましてもらって、おしっこしたらね、あのー使えてもらって、っていう風にしてたはずなのに、なんで、いつの間にそうなっちゃったんだろうっていう、いつの間に憎み合うようにね、なっちゃったんだろうっていうことを思うんですよね。
みんな元赤ちゃんなのになーっていう風に、何があったんだろうっていう風に思うんですよね。
で、まあ今回のね、その事件の犯人の意図とか、で、まあその犯人をね、突き動かしてしまったっていうね、その見えざる人々の意図とか、あとまあその社会の歪みみたいなこととか、いろんなことが絡まって今回のことが起こったと思うんですけど、まあその真実っていうのはね、
本当になんかこう、分からない、分からないなーって思う、想像することはできるけれども、何が真実だったのかっていうことは分かり得ないなーっていう風に思うんですよね。
でも少なくともね、単純に、単純に命、命っていうこととして考えた時に、やっぱ全部自分と同じ存在だったら、そもそもつまらないし、そして子孫は反映しないし、やっぱり多様性っていうものがね、生命、なんだっけ、その生命をね、種として強くするので、なんか自分と違うものをどんどん排除していったとしたら、
なんかそれは命の法則に違反してるんじゃないかなーってすごく思うんですよね。 まあそうそうそう、どんな風にね、
とはいえね、まあ嫌いな人もいるし、こいつは合わないって、全然合わないっていう風にね、それが合わんっていう人もね、いると思いますし、まあ
どんな風にね、見えたとしても、そうやってね、嫌いって、うえーっていう風になりそうになったとしても、でもやっぱりね、地球の目から、宇宙の目から見たらね、私たちってほんとただのね、一つながりの命なんですよね。こうやって違う体でね、違う魂入れてもらってるみたいに見えますけど、ほんとただの一つ、ただの、単なるただの一つの命だって思うんですよね、究極的には。
それで悩んだり苦しんだりしてるんですけれども、
でも本当にね、そうやって、銃をね、向けて、誰かに銃を向けてその命を奪うっていうことをするとしたら、
それって、一つながりの命論で考えると、誰かに銃を向けるっていうことは、自分自身にね、銃を向けているっていうことだよって私は思うんですよね。
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誰かに銃を向けている。そしたらもうその銃はね、地球一周回って自分の背中にね、突きつけられているんだよなーって思うんですよね。
だからまあ今回そのね、事件に至った犯人と、そしてその人をね、突き動かしていたかもしれない、そのね、見えない力みたいな、集団みたいな、集団の声みたいな、
その扇動のね、一部となっていた人々とかね、そしてもってその中にですね、まあ何が起こっているのかとかね、もう知ろうともしなかった私自身っていうのがね、
加担しているんですよね、今回のことにね。 私も犯人なんですっていう話なんですよね、感じるのは。
だから何が起こっても、やっぱりそこに行き着く、行き着いちゃうんですよね。 だから何かが起こった時に、100%の真実ってどこにあるんだろうって、
みんなそれぞれ意見持っててね、それで持って対話して、それは素晴らしいんですけど、でも絶対に忘れちゃいけないのは、
誰だって必ず自分が見えてない部分っていうものがあって、 それをね、ちゃんと自分で知っておかないと、
私は十分にね、バカであるっていうことを知らないと、その盲目さっていうのが誰かを傷つけたりね、
でしまいにはね、命を奪ってしまったりね、 するんじゃないかなっていうことをいつも感じています。
だから、本当に今回の事件も何においてもそうですけど、その犯人だけが殺したんじゃないっていう、
そう、みんなで殺したんだよなーって、私が殺したんだよなーっていう風に、私は感じています。
それはね、別に安倍さんがね、安倍さん反対とか安倍さん賛成とかそういうことではなくて、
私が私の中で、常にね、誰かに向けてね、銃を受けてるかもしれないっていう、そういうことをね、今回なんか改めて思い出させてくれたなーっていう風に思うんですよね。
まあ本物の銃ってことじゃなくて、まあ本物の銃は一生持ちませんけども、
でもその銃っていうのは、例えば誰かをね、受け入れようとしなかったりとか、排除しようとしたり、ジャッジしようとしたり、
そういうね、何がその人の中にあるんだろうっていう風な想像力をね、発せずにね、決めつけて遠ざけようとしたりするっていう、
そういうね、銃を私たち、まあ私たちっていうか、まあ私でいいや、私は持っているわけなんですよね。
なので、そのね、心の中にある銃っていうものが、今この瞬間にも誰かを殺してしまっているかもしれない。
誰かの命をね、傷つけたり、命を奪っているかもしれない、ということに思いを馳せます。はい。
で、まあもちろんね、100人いたら100人と100%理解し合うことなんて、まあ無理ですよね、やっぱり。
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そうそうそう。でも、まあ少なくともね、あなたはそうなんですねっていう風に話し、耳を傾けてね、それを受け入れられなかったとしても、
まあ尊重してね、認めて尊重して、それでもって共存するってことはできると思うんですよね。
そう、共存する。まあ別に隣に一緒にね、くっついていなかったとしても、お互いに心地よい距離で同じ世界にね、生きていくっていうことはできるはずなんですよね。
なんだけど、お前はこうだろうとか、汚い、お前汚いとか、お前やってることは悪いとかね、そうやってね、なんかこう決めつけて無きものにする、排除するっていうことを、
私自身も気づかぬうちにね、そういうね、心のね、自由を誰かに向けているようなっていう風に感じさせられます。はい。
だからね、戦争、どっかでね、戦争が起きてたら、それは私の中にも起きているし、どっかで殺人が起きていたら、それは私の中でも起きている。
だからこそ私自身をね、どれだけね、クリアにしていくか、どれだけ私自身を平和にしていけるかっていうことでもあるし、
そう、そして、光の部分、平和をね、平和でいれば世界も平和になるっていう、光の部分だけじゃなくて、やっぱり闇の部分ですよね。
目を背けたくなるようなこと、目を背けたくなるような世界の出来事とか、目を背けたくなるような自分の醜さとかね、未熟さみたいなもの、
そういう私の中に、私という名の犯人がいるっていうことに、目を背けずにいるっていうことで、それとね、対話し続けていくことで、しかないなっていうふうに思います。
そう、そして、まあ目の前のね、人に対して、そして自分自身に対して、もう今できる最善のことをし続けていくしかないなっていうふうに思います。
それがなんか自分の命を信じるっていうことだし、誰かの命も同じように信じて愛するっていうことなんじゃないかなというふうに思います。
そう、そしてそれを教えてくれるのがね、さっきも言いましたけど、コーチングであったり、仏教であったり、哲学であったり、宗教であったり、
いろんなね、いろんないろんな英知っていうものが、この世界中にはたくさんたくさんあって、
それでもってね、やっぱり生きる力を育てるっていうことを、まず自分自身がやっていくっていうことと、
それをね、そしてそれを大切な人に伝えていくっていうことしかないなっていうふうに思ったりします。
はい、なんだよなぁ、そしてね、まあこうやってつらつらね、もう17分も喋っちゃったけど、もうちょっと喋らせてください。
もう一つね、こうやって平和ってなんだろうって、愛ってなんだろうとかね、
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なんで私はこんなに悲しいんだろうとかね、人の命を奪うなんて、何があってもね、それはあってはならないとかね、そういうことにね、
思いを馳せてね、こうやって音声配信できてるっていうね、そんなね、平和な、この私の今のね、日常っていうのは、
そんなことがね、こんなことができてるっていうのは、もう今ここでね、携帯の電波が繋がる、夜だけど電気がつく、インターネットも繋がる、
そしてお部屋もね、快適に屋根があってね、温められているっていうね、そういう電気とか水道とかね、医療とか公共とかね、
そしてまあそれをね、整えるためのね、社会とか、政治とか、そういうものがね、あって、
で、そういうものがあってからこそ、自分の命が脅かされないっていう、命が脅かされないって当たり前のように思ってるけど、本当に奇跡的なことですよね、人類史から言うと。
そう、そんな当たり前の奇跡をね、作ってくれている人たちが、毎日ね、一生懸命働いて、その、私たちの当たり前の奇跡を作ってくれているわけで、そういう人たちがいるからそれがね、できるわけで、
そう、もしそうじゃなくてね、本当に水とかね、食料を奪い合うために、常にね、命が脅かされるようなね、環境で暮らしてたとしたら、
もうそりゃ、自分の命とかね、家族の命をね、守るために、守るために誰かをね、命をね、奪うっていうことを、そりゃしてしまうかもしれないですよね、そういう状況になったら。
命の、命の、そう命を脅かされないというこの奇跡があるからこそ、道徳とかね、平和みたいなことを考えられるっていう、
そう、だからこの瞬間っていうのをね、そんなことに思いを馳せるこの瞬間っていうのを、
どれだけの人がね、汗水垂らし整えてきてくれているのか、ということを忘れずにいたいなというふうに思います。
それがね、実は、自分がね、なんか言論の意思をね、ついつい投げてしまいそうになるその政治家の人だったりとかね、そういう労働者の人だったりとかね、だったりするんだけど、
それをね、忘れちゃいけないなっていうふうに思ったりします。
はい、とってもとっても長くなってしまったけど、本当にね、一人一人がね、もうあらゆる人がね、全ての命がもうその人の一番の幸せに
迎えるっていうね、そういう社会だったりとか、もう全ての命がね、一つながりで、
一つながりなんだけど、それぞれがね、個性的にね、尊く輝いて美しいっていうふうに、誰もがね、そういうふうに信じられる、そういう世界に向かって、それが私の望む世界なので、その世界に向かって、
自分の命を使っていきたいなというふうに思います。
ちっぽけでね、ちっぽけで偉大なんですよね。とってもとってもバカなんですよね。
私、はい、バカなんです。バカなんです。そう、バカなんだけど、バカだからこそ、それをね、諦めずにやっていきたいなっていうふうに、今日はショックでね、何もできなかったけど、
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やっていきたいなというふうに思います。なのでね、本当に亡くなられた阿部さんと、そしてね、
残されたね、奥様とかご家族とか、関係者の皆さんが、
少しでもね、心が安らかで、
ありますように、それをね、祈って、そしてね、全てのね、私も含めて全ての命がですね、
光に灯されてありますように、ということを、
今日でございました。はい、長くなってしまいましたが、自分へのね、リマインドのためにも、声で残しておきました。
はい、というわけで皆さん、今日も引き続き、良い一日をお過ごしください。
バイバイ。
21:59

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