はい、みなさんこんにちは。 AI音楽ラジオ、お久しぶりです。SunoPよこたんです。
今日はですね、ちょっと緊急でですね、動画、ライブ配信を行っております。
ちょっとね、AI音楽に関して、少し過去のことをですね、振り返る内容をコンテンツとして撮っておきたいなと思いまして、
せっかくだったらですね、ライブ配信して、僕の思うのままですね、やるタイムでこれを残しておきたいなと思ったので、
急遽、このチャンネルの方で配信をしております。よろしくお願いいたします。
今日はね、ちょっと長くなりそうなんですけど、僕が今、AI音楽をやるようになったルーツというかですね、
僕の人生をこの55年間を振り返ってですね、どういうことがあったかということをですね、少し話をしていきたいなと思っていますので、
かなり長くなると思うんですけど、時間の許す限りお聞きいただけば嬉しいなと思っております。
はい、ではですね、まず遡ってですね、随分遡ることですね、小学校の低学年の時からですね、話をしていきたいと思うんですけど、
小学校の時ですね、実は小説とか詩、ポエムですね、を書くことが好きだったんですね。
で、詩集を作ってですね、その中にいろんな思ったことをですね、詩に書いたりしておりました。
先日ですね、その中の一曲、一つをですね、曲にしましたが、面白い詩を書いてまして、
それが、猿ですね、猿のお尻が赤いのは、猿は木から落ちるってことはありますけど、猿がですね、木登り得意なのに木から落ちてしまって、
尻餅をついてですね、お尻が赤くなったんだというですね、詩を書いていてですね、なかなかいい感性してるなと思ってたんですが、
そんな少年時代ですね、うちの父親がそう思ってくれたらしくて、すごく感性豊かで、
この内容の詩集は大人になったら、ちゃんと一冊本にして出したらいいんじゃないの?と言ってくれていてですね、
あ、そうなの?と思っていたんですね。その書いてた詩集が、実は無くなってしまって、見つからなかったんですけど、
この間、父が亡くなったんですが、その時ですね、父親の書斎のですね、両側にこの袖で引き出しがあると思うんですけど、
この右側のね、利き手の右手の一番上の引き出しに、当然鍵がかかっているところがあるんですけど、
ここの中にですね、遺品を整理してて、入ってるってことが見つかりまして、僕の元にですね、戻ってきたんですけど、
ここにね、ありますが、この詩集なんですけど、これをですね、いただきました。
そのぐらいですね、感性豊かな子供だったらしいんですけど、小学4年生の時にですね、
担任の先生が、ちょっと変わった先生で、作文を書かせることが好きだったんですね。
このぐらいの大きさの紙に作文を書かせまして、それで毎朝ですね、書いた人が手を挙げて発表するというのをやってたんですね。
そこでですね、発表された人もされない人も、その紙をですね、閉じて、そして先生のところに提出すると。
先生が見て反抗してくれたりするというものをやってたんですけど、そうするとですね、みんな紙を閉じていくものだから、だんだんそのね、紙の厚みっていうのが出てきますよね。
その厚みが出てきて、競争になるわけですよ。
誰々君はこんなに高い、私まだこんなに低いよとかですね。
なんかこの競争にですね、なんか僕の負けず嫌いがですね、働いてしまいまして、
これを超えるためには、1日1枚ペースだったら追いつけないから、1日2枚3枚書けばいいと言って、最後はですね、たぶん1日200枚とか300枚とか書いてたと思うんですね。
本当ネタがなくて、これが200枚目の作文ですとかですね、どうでもいいような作文を書いてました。
そうしたところですね、世の中の全てのことをですね、思わないで、要は頭の中で思い詰めないで、すぐ形にして字に出してしまうということをやったことによって、感性というものがですね、枯渇したらしいんですね。
それでこの頃から僕はそういうのがなくなったとですね、両親はですね、後日そんな話をね、しておりました。
この頃から僕はですね、国語が苦手になって、逆に数学とか理科というですね、理系の方に行くようになって、今があるわけなんですけど、
この頃までね、非常にね、文章を書いたりとかするのもいいのを書いてたらしいんですね。
っていうのはですね、この時の思い出なんですけど。
なので僕も今気をつけているのは、1日2曲を作っているので、曲をいっぱい作るとですね、同じように感性というのが枯渇するんじゃないかっていうことをね、僕は恐れていて、
そのためにどういう対策をしているかということはですね、先日の、このエイヤー音楽ラジオのところで喋っているので、ぜひそのコンテンツを見ていただきたいと思うんですけど、
今僕がその感性を磨くためにやっていることというですね、回がありますので、ご覧いただければと思っているんですけど、こういうことがありました。
これがですね、小学校の4年生ぐらいの話なんですね。
ここからですね、この頃、母親がですね、当時広島に住んでいたんですけど、隣の山口県にですね、岩国という場所がありまして、ここにですね、いわゆるアメリカの米軍の基地があるんですね。
その軍人さん向けにラジオ局っていうので、FENというですね、ラジオ局がありまして、ここでですね、英語の放送の中で、当然洋楽の曲がたくさん流れているのを、うちの母が聞いていたんですね。
そこでですね、ビートルズ特集とかがあって、それを母がビートルズをですね、高校時代から好きだったらしくて、その影響でビートルズとか、当時ですね、マイケルジャクソンとかですね、あとボンジョビとかですね、
ビリージョエルとかですね、ワムとか出てきまして、このような洋楽をですね、母の影響で聞いていたっていうのがですね、小学生から中学生ぐらいまでの間はですね、これだったんです。
というのはですね、テレビっていうのが我が家では禁止でして、小さい時にテレビを見ることができなかったので、いわゆる音楽番組と言われているものとかを、ほとんどね、見れてないんですね。
なので、音楽を当時聞くっていうことはほとんどなくて、ただ、土曜日にですね、高生でしたっけ?の音楽のランキングの番組がありまして、ちょっと時間帯忘れましたけど、
1時から邦楽があって、2時から洋楽とかだったと思うんですけど、というのをですね、母親が聞いていたので、これでヒット曲なんかはランキングで聞いたりはしていましたね。
ですけど、それ以外の曲っていうのは全然、自分で何も、例えばカセットプレイヤーとかですね、何も持ってなかったので、聞く手段がなかったっていうのがですね、小学生の頃の話になります。
これからですね、中学生になると、中学1年生の時に仲の良い友達がですね、当時はまだレコードなんですけど、レンタルで借りてきた曲をカセットに録音してですね、そしてプレゼントしてくれるという本当にね、優しい友達がいたんですね。
もう今となってはその方にね、もう感謝したいなと思ってますけど、そういう人がいて、それで曲をですね、邦楽を聴く、ちゃんと自分のカセットテープで聴けるようになったっていうのは、この時からになるわけなんですけど、
そうするとですね、その友達同士、仲の良い中学1年生の時の友達同士が、当時の歌番組のですね、ランキングですね、今日ベスト10とかトップ10とかありましたけど、1位は誰なんだっていうことで、みんなが誰々さんじゃないの?誰々くんじゃないの?とかですね、当時チェッカーズとかですね、中森昭菜とかいましたけど、予測してたわけですね。
そうすると、1位から10位までを書いて、どの曲が何位になるかって言うんですね。みんなで当て合うという、予測するというのをですね、そういうゲームをですね、やっていたんですね。で、〇〇くんはいくつ当たったよ?みたいなのやってたんですね。
そこで予測の精度を高めるために、当時中学1年生の時に、技術家庭科の授業で自作で作ったAMラジオをですね、ゲットしまして、これでようやく僕はテレビはないけど、自分で曲をですね、ラジオから聴くことがですね、できるようになったんですね。
僕はね、実はお小遣いってものをですね、人生でもらったことはなくて、なので自分のお金で物を買うっていうのは、アルバイトするまではできないので、買えないわけですね。で、これでAMラジオをですね、使ってですね、優先ランキングとか、オリコンランキングとか、ラジオのリクエストランキングとか、こういったものをですね、ラジオの中で流れますよね。
で、こういったものをですね、メモして、それで総合評価をつけて順位を予測するということをですね、中学1年生の時にやってまして、この辺がね、今の仕事のひっかけになっているような気もするんですけど、今、アナリストの仕事っていうのが、この頃からね、スキンだったんじゃないかなっていうのを今振り返ると思うんですけど、それで結構ですね、当たっていたんですね。
で、そんなことをやっているのが中学生の時で、自分で曲を録音したりすることはできないので、その友達に借りてやっていたというのが、中1からの話になります。
で、今度高校生になるとですね、一つ上に兄がいるんですけど、兄がですね、ラジカセというものをですね、誕生日かな、何かのプレゼントで買ってもらったんですね。
で、それをですね、借りて、借りてというかですね、うちの長男が、うちの兄貴がですね、いない時にこっそり借りてですね、聞いて、兄貴が家に戻ってくるんですね、僕は使えないんだけど、帰ってくるまで借りてたんですね。
で、そのラジカセが買ってもらったことによって、今度はAMだけじゃなくて、FMラジオというのをですね、聞くことができるようになりまして、当時ですね、エアチェックという言葉わかりますかね。今の人たちはわからないと思うんだけど、エアチェックという言葉がありまして、
それは放送の中で流れていく曲をですね、チェックして、で、いい曲があったら録音するというもので、いわゆるカセットテープの録音ボタンの一時停止を押した状態にしてずっと待機していてですね、次の曲が何々ですって言った瞬間に、この一時停止を外してですね、録音開始するというのをやってて、それで90分のカセットに当時のヒット曲をですね、どんどん残していくというのをね、やってました。
この辺もね、色々話すと長いんですけど、例えば、1曲フルに流す番組と1番だけしか流さないとかってあるじゃないですか。これだとダメなので、ちゃんとフルに流してくれるような番組を見つけて、その番組のとこでもちゃんとスタンバイしてですね、録音するっていうのをやってましたね。
そうするとですね、いい感じでいってるのに、最後の方になって、急にですね、フェードアウトしてて、なんかアナウンサーの声が入ったりとかするんですね。だから、おめえの声いらねえんだよと思いながら、ちゃんとフルのやつをですね、集めていくってことをね、やってました。
これで当時はお小遣いなかったけど、そのCDにですね、カセットテープに録音していくってことをね、始めたんですね。というのはですね、中学生からこの高校生になった時になります。
で、この時もですね、テープを買わなきゃいけなかったんですけど、これお小遣いどうしてたのかな?ちょっと今わかんないんだけど、そんなにたくさんテープ持ってなかったんですけど、テープに録音するというんですね、やっていました。
で、今度はですね、高校生になった時に、これね、僕もよく覚えてないんですけど、AMラジオから今度FMラジオをですね、買うことに成功したんですね。
で、これで今度はFMラジオのいいとこっていうのは、当然音もいいんですけど、テレビの音声チューナーっていうのはついていてですね、当時のテレビドラマを音だけで聞くってことが可能になったんですね。
だからテレビを見れなかった僕としては、映像は見れないけど音だけでもテレビが見れるので、それこそベスト10とかトップ10みたいなものをですね、音だけで聞こうとできたんですね。
で、これってのは、音楽であればパフォーマンスが見れないのは残念だけど、音楽であれば別に問題ないと思うんですね。
だけどやっぱり学校の話についていこうとすると、やっぱりテレビドラマを見れないっていうのはちょっと痛いわけですよ。
なので、このFMラジオでテレビドラマをですね、聞いていました。
これね、ぜひ皆さんもやっていただきたいんだけど、テレビドラマの映像を切ってですね、イヤホンつけて音だけでドラマを見てほしいんですね。
全く何をやっているか分からないです。誰が何を喋っているか分からないので、何を分かるか、誰が喋っているか分からないですね。
誰から誰に向けて喋っているか分からないですね。
だけどそれを2人の会話のやりとりとか、あとは誰々君とか言っているので、これが誰々君なのかなとかですね。
そして周りの効果音とか環境音とか、こういったものを聞きながら、登場人物や場面を想像していたんですね。
つまりテレビのドラマは映像と音声の2つがあるわけなんだけど、このうちの音声と言われている文字情報だけが頭に入ってくる状態で、映像をイメージしなきゃいけないですよね。
これによってですね、僕は妄想力というのが相当鍛えられたと思っているんですね。
これはですね、今の僕が歌詞から映像を思い浮かべて曲を作る時のですね、原点になっていると思っていて、
これはね、ぜひ皆さん鍛えられるのでやってみられたらいいと思います。
すごく勉強になるし、自分の中でですね、言葉を使ってどうやったらイメージ化させるかということのですね、ヒントになると思うので、
ぜひですね、お勧めするんですけど、これはですね、高校生の時の3年間ぐらいですね、やってました。
大学生になるとですね、今度一人暮らしを始めて、自分のですね、テレビを持つことができるんですけど、まだ高校生できないんですね。
というね、話があります。
で、今度ですね、高校生になった時に、友達同士でですね、当時はまだね、ウォークマンでしたけど、
で、音楽をお勧めして聞き合うということがですね、機会として増えてくるんですね。
そうすると、友人がですね、いわゆるロックバンドを始めたりとかして、
で、ライブチケットをですね、売っている姿をね、見たりとかしてました。
当時僕、広島にいたんですけど、広島といえばですね、ユニコーンというですね、バンドがありましたけど、ユニコーンさんのですね、まだ売れてない時のですね、
そのチケットとかをですね、買ってくれみたいな話があったり、パーソンズとかもありましたね。
というので、そういうので思い浮かべてるんですけど、これで音楽は聞く側だけでなくて、演奏する側の世界も身近になった。
自分のお友達がですね、その文化祭とかで歌っている姿を見てですね、
で、その自分も歌っている側の友達にいるということで、やっぱり聞くのと全然違うなと思ったりしたのがですね、この高校生の1年生になってからですね。
この頃、ちょうどボーイが出てきまして、このですね、音楽とライブ映像から大きな衝撃を受けましたね。
当時はですね、自分の家にビデオ店舗もないし、当然そういうものですね、テレフォンは見れないわけなんだけど、
いわゆるレコード会社、レコード店に行きますと店頭でですね、ミュージックビデオが流れてるんですね。
ここでボーイのですね、ライブ映像が流れていてですね、これをね、悔いよるに見てましたね。
で、もうね本当に好きで、ボーイばっかりをね聞いていたところ、友達がですね、お前何聞いてるんだっていうので、
ボーイってやつを聞いてるんだと言ったところですね、じゃあ俺にも聞かせてくれっていうので聞かせたところですね、その友達もですね、ハマってしまってですね。
で、当時はですね、ボーイなんか、ブルーハーツとかもそうですけど、聞く人っていうのは不良っていうイメージだったんですね。不良が聞いてるイメージだったんです。
今みたいにロックバンドが普通のね、人が聞いてるんじゃないんですよ、当時はね。
なので、それをきっかけにその友達はですね、不良の道にですね、進んでしまうことになってしまって、今となってちょっとね、後悔してるんですが、
まあそんなね、友達とも今も仲良くさせてもらってるんですけど、ということで、音楽を介して人生が変わるんだ、自分の将来が変わるんだっていうのをですね、感じたりしました。
で、当時その先ほど紹介した文化祭で歌っていたね、ボーカルの男性はですね、その後ね、そっちの道に行くのかなと思ってたんだけど、残念ながらね、そっちの道に行かなかったんですけど、
そういう音楽っていうものから一つの人生というかですね、ドラマが始まるんだっていうのはですね、感じ始めたのがこの高校生の時でしたね。
高校生、1年生の時にですね、ボーイの解散っていうのはですね、クリスマスイブにあるということがあって、このライブを見たいと思ってですね、当時ですね、電話からチケットの申し込みをするっていうことで挑戦したんだけど、
これ一瞬でね売り切れたという有名なエピソードがありますけど、全然ダメで撮れなくてですね。で、ライブを行くんだったらボーイに行きたかったんだけど、ボーイが人生初のライブに行けなかったもんだから、
結局自分人生の初のライブはやっぱりボーイの氷室京介か、ホテイトモヤスカにしたいなと思っていてですね。ソロになった氷室京介のライブ、これラストライブなんですけど、これがですね、僕が初めて行ったライブになるし、人生で初めて自分のお金で購入したCDも氷室京介のクライムオブラブという曲になるんですけど、
ということで、僕の人生はこの氷室京介っていうものですね。氷室京介は卒業できないという有名な言葉あるんだけど、未だに卒業できてないというのがね、ここから始まっています。
で、この高校1年生の時に好きだった女の子がいまして、その子が尾崎豊をね、聴いてた。で、尾崎豊ってどんな曲歌ってるんだろうと思って、自分も聴くようになってですね。
で、その中で尾崎豊の卒業という曲に非常に影響を受けまして、その中に支配者からの卒業という言葉と、自由になりたかったという言葉があって、この言葉はですね、その後の僕の人生を大きく変えるきっかけとなった曲だと思っています。
僕の人生の中で一つだけあなたを象徴する曲は?と聞かれたら、僕は尾崎豊の卒業ということを今ならね、言えるんですけど、これに気づいたのはですね、3年ぐらい前ですね、両親が亡くなった時に初めてですね、自分の人生を振り返った時に間違いないなと思ったんですけど、この影響をね、相当受けて今があります。
今度ですね、高校生の3年生ぐらいになると、この大学受験が始まってきて、そうする音楽がですね、精神的な支えになっていきます。
例えば受験勉強をする時とか、夜中眠い時仕事をする時とか、例えば模擬試験を受けに行く時とか、大学入試センター試験を受ける時とか、入試本番とか、その向かう前にもですね、お気に入りの曲を聴いて緊張をほぐす。
もしくは夜中の勉強で眠くなった時には、激しい曲を聴いて眠気覚ましも使うという時に聴いてたのが、バクチクとアップビートという2つのバンドをですね、もちろんボーイは聴いてたんですけど、この頃ね、バクチクは相当僕は、バクチクさんのおかげでですね、僕のいわゆる受験勉強は助かったと思っております。
アップビートさんは本当に僕のですね、深夜に勉強している時の助けになったと、眠気覚ましにね、助かったと思っているんですけど、音楽がですね、僕のいわゆる受験勉強から大きく影響を受けたと思っております。
ようやく、これで大学に入学するわけなんですね。
初めてですね、アルバイトをできるようになりまして、これでですね、自分で自由に使えるお金をね、手にすることができるようになりました。
これで高校まではお小遣いがなかったので、CDを購入したりレンタルしたりして録音するっていうことはできなかったんですけど、ここから一気にですね、音楽収集が加速します。
ので、高校1年生からなんですね。
レンタルCD店に並んでいる、いわゆるレンタルランキングベスト30とかベスト50みたいに並んでいると思うんですね。
あれを、ジャンルを問わずですね、片っ端から1位から50位まで借りて録音するって生活が、こっから始まります。
なので、高校生ですから、大学生ですから、18歳からですね、かれこれ30年ぐらいですね、この生活をね、してました。
詳しくはまた後で話しますけど、だからその時からの曲は全部持ってます。全部ある。
最初はカセットですね。カセットに録音することが始まりまして、今度はミニディスクが出てきた。大学生の時にはもうミニディスクに録音してましたね。
カセットテープはここまでですね。その後は、今度はですね、iTunesが出たことによって、ダウンロードしてですね、音楽を買うというものは始まりまして、と言ってたら今度はサブスクになっちゃったんですよね、時代が。
で、音楽をコレクションしなくても、いつでも聴けるようになっちゃったので、収集というものはここで終わっていくんですけど、
10年ぐらい前まではレンタルCD屋さんにいてですね、借りるって生活をですね、だから僕今のような、今の会社を作ってからもですね、その生活してましたから、10年ぐらい前ではやってましたね。
だからもう演歌だろうが、アイドルだろうが、ロックだろうが、ポップスだろうが、関係なく、知ってる人が聴くという習慣ができた。
で、この何十年間それをやり続けたので、いわゆるいろんな歌詞とかいろんなメロディーっていうのが、頭の中に記憶として残ってるのがいっぱいありますよね。
なので、歌詞の方はラージランゲージモデルです。ただ自分自身のラージランゲージモデルですね。で、そのいろんな歌詞を書いたりする時にそれが出てくると思ってるし、
最近では自分で曲を作るんですけど、メロディーを口ずさんで、それをエイヤー音楽に投げて曲にしてるんですけど、この時はラージメロディーモデルですね。というですね。
メロディーのものもたくさん頭の中に入ってるから、それを組み合わせて曲を出してるんじゃないかなと思うんですよね。
こういうのはね、始まったのはこの膨大な自分のですね、バックボーンがあって、これを自分の今のですね、エイヤー音楽に生かしてるからできるんだって、これなかなか真似することできないし、
そのエイヤー音楽にそれができるかっていうとね、これできないんですね。オリジナルが作れないんですね。ここはね、やっぱ財産かなと思ってますね。
ということで、ずっとですね、この自分のヒット曲をですね、保存していくってことで始めてるわけなんですけど、大学のですね、3年生からですね、一人暮らしを始めまして、
で、その時からは今度、自分のテレビっていうものは初めてね、これでゲットするわけですね。
で、これでですね、自分のテレビの中で今度何やったかっていうと、ミュージックビデオと言われているものの録画を始めました。
なのでこれもエアチェックのラジオ時代から変わりまして、今度はミュージックビデオの録画と、そして自分が好きなアーティストがテレビに音楽番組に出演したりとかすると、
それをですね、録画するというですね、コレクションが始まりまして、これもね、めっちゃたくさんあるんですけど、だからVHSのテープもね、たくさんあるんですけど、これを始めたりもね、しております。
で、これでですね、大学に入学するわけなんですけど、そうするとですね、一学年上の兄がですね、同じ大学の広島大学に入学しておりまして、在籍しておりまして、
そんな兄がですね、所属していた男性合唱団にグリークラブというのがありまして、そうするとですね、そこの先輩方が弟がね、同じ大学に入学したということを知ってですね、それで簡易を受けるわけですね。
で、それでいやいや、僕はその男性合唱団の方に入部するということになるわけなんですけど、僕はあまりですね、合唱には興味がなくて、しかも男だけが歌うってちょっとなんかね、キモいなと思っていて、今で言えば、例えばそのいろんなね、アカペラのいわゆるグループとかあるじゃないですか、ゴスペラーズとかあるんだけど、
そういうものがまだね、世に出る前なので、男だけでって言って思ってたりしたんだけど、アカペラとはちょっと違うんですけどね、合唱違うんですが、そういう子にいまして、でもまぁ、カラオケというものも高校時代に僕一回も行ったことがなくて、で、大学に入ってカラオケに行くんですけど、その時にね、やっぱり歌う時に上手に歌いたいなと思うので、
せっかくこういう合唱団に入っているから、歌う上手になるためにもいいんじゃないかなと、自分に言い聞かせていたんだけど、なかなかそうならなくてですね、うまくならなかったというのがですね、当時の思い出になりますね。
で、僕もともとですね、喉があんまり強くなくて、カラオケでも1,2曲歌うだけで、もう声が枯れちゃう。だから全然その発声がちゃんとできてないんですよね。ちゃんと習ってないからね。できてないんですよ。いわゆる腹式呼吸でとかっていうこともちゃんとできてないと思うんですね。なので、小学校4年生の時に、いわゆる生徒会のですね、選挙活動をしたことがあるんですけど、
この時にですね、「よろしくお願いします。」っていうのをやっているとですね、声を出しすぎてしまってですね、その選挙に受かったんですけど、受かった日にみんなの前で挨拶しなきゃいけないのに、声が出なくなったという経験があって、昔からね、喉が弱かったっていうのはね、自覚しているんですね。なので、カラオケに行っても声が出せなくなっちゃうんですよ。すぐね。
で、僕今ですね、公園の仕事してるから、カラオケに行って翌日声が出なくなるとですね、さすがに自分の仕事において影響を与えるので、僕はだからこの公園の生活を2011年ぐらいから始めているんですけど、こっからね、カラオケは封印したんです。だから僕のカラオケを聞いたことある人はほとんどいないと思うんですけど、歌わないというふうに決めていたんですけど、最近ね、このエイヤー音楽を始めて、カラオケでね、最近歌う機会が、もう去年、
今年かな?今年ぐらいからようやくですね、出てきたんですけど、ところがね、びっくりなのは、歌ってもですね、声が枯れなくなったんですね。さすがにこの15年間ですね、公園生活で毎日2時間3時間人前で喋るっていうのをですね、訓練していることによって、喉が鍛えられた僕って、発声も多分上手になったんでしょうかね。
なのでですね、声が枯れなくなりましてですね、カラオケ歌ってもね、いや、枯れはしますけど、声が出なくなるとか、カラオケ中にもう全然ガラガラになってっていうのはね、今もなくなったんで、発声も良くなったんじゃないかなと思っていてですね。あとはこのライブ配信もですね、ずっともうね、2010年ぐらいからやっているので、これも大きかったんじゃないかなと思っているんですけど。
というのでですね、カラオケは1回マイク持つと話さないっていう生活を大学時代にはやってました。ってもんなんですね。これで大学1年生の時にですね、母親からですね、譲り受けた車がありまして、これをですね、改造しまくっていまして、特にですね、カーオーディオの部分はですね、もうお金をね、継ぎ込みまくりましたね。
なので、当時はCDチェンジャーも持ってたし、MDチェンジャーも持ってたし、そしてウーファー付けたりとか、そしてリアスピーカー付けたりとかして、当時はアゼストというですね、ブランドを使ってたんですけど、で、かなりお金をかけて改造してました。
それをレンタルで借りたCDをカセットやMDに録音して、大音量で音楽を流しながら車を運転するっていうのはですね、大きな楽しみになりましたね。趣味になりましたね。これで聴く場所もですね、できたわけなんですけど、これがですね、今度大学の3年生ぐらいになるとですね、さっきも紹介しましたように、この映像付きでですね、できるようになったので、これが大量にですね、
今まだ保存されている状態になっています。これはですね、今VHSがもうそもそもないので、見ることはできないんですけど、かなり希少な映像がね、今膨らまれている可能性があるかなと思っています。
で、これでさっき紹介したように、高校時代はボーイとかを聴いていてですね、そしてブルーハーツとか出てきてですね、聴いてました。ユニコーンとかですね、聴いておりましたけど、大学に入る頃からですね、いわゆるビーング系って言われている、まあビーズに始まってザード、ワンズ、ティーボラン、レフとかですね、いろんな方がフィールドビューとかですね、今フィールドビューめっちゃ流行ってるんですけど、
30年ぶりにですね、今世界中でヒットしてるらしいんですけど、こういった地が出てきたことによってビーング系を聴くようになりました。そして高校時代から聴いてたのがTMネットワーク、小室哲也さんの曲が好きで、いわゆるTKサウンドというものをね、聴いておりました。
この中でようやく、女性ボーカリストとして最初に好きになった人っていうのが、当時ビーングに所属していましたミケというですね、3人組のアイドルグループがあったんですけど、この宇徳恵子さんでした。
宇徳恵子さんは元々ミケとしてアイドルとしてデビューする前は、踊るポンポクリンで有名なBBクイーンズっていうとこのバックコーラスをしている3人組だったんだけど、これがね独立してミケとして出たんですけど、このねセンターにいる女の子の宇徳恵子さんが大好きなんですね。
これに関してはまた詳しくは栄夜音楽ラジオの方で過去に喋っているので、ぜひねまた見ていただきたいんですけど、さらにこのビーング系でですね、ザードの坂井泉さん、さらにはね大黒巻とかですね、好きになっていくわけなんですけど、そしてもう一人ですね、これ高校時代から少し聞いてたんだけど、大学時代かなにより聞くようになったのが浜田まりさん。
で、浜田まりさんはですね、非常に好きで今でもね一番好きなアーティストでここにもありますけどね、最近あの40周年ですね、CD出しましたけど、ベストアルバム出しましたけど、これもね貼っておりますが大好きなんです。
で、この今お話しした宇徳恵子さんはとにかく性格が好きなんですね。この性格の良さの部分と、そして坂井泉さんのビジュアルですね、と浜田まりさんのロックヘビメタという楽曲性、この3つの要素を融合させたのが今僕がやっているAIシンガーのミリアなんですね。
ミリアちゃんという人はこの3つの要素をうまく取り上げて、見た目はちょっと坂井泉ぽいでしょ、あのポニーテールしてて。で、一応性格はこの宇徳恵子さんぽいってことをイメージしていて、そして曲調は非常にロックとかヘビメタも歌うという浜田まりのポイントが入っているというですね、この3つの要素でね、できているのがミリアという女性AIシンガーなんですけど、手物になっているのはこの大学時代からのですね、つい出るものになります。
今度ね、男性ボーカリストは振り返ってみるとですね、やっぱり先ほど紹介しました高校の時に好きだった女の子の尾崎豊はやっぱり好きだった女の子の影響で聴いた尾崎豊は相当僕の人生にも影響を与えたとさっき話しましたよね。
さらにはね、徳永秀明ですね。徳永秀明さんは、うちの母親が僕が聞いてたのを聞いてファンになってくれたこともあって、特に思い出がある。そして、まあモテない男性というかですね、そういうキャラとしていろんな詩を書いていてですね、好きな人で徳永秀明さん。
そしてもう一人モテないといえばですね、濱田翔吾。この3人の曲や歌詞、世界観っていうものがですね、強く影響を受けたと思っていて、なので孤独だったりとか、男性側の気持ちとか、こういう恋愛に対しての片思いの曲とか、こういったものをですね、今の僕のですね、歌詞を今自分で書いてますけど、影響を受けてるんじゃないかなと思ってますね。
はい。これでですね、社会人になります。社会人になるとですね、父親の会社に入社してですね、営業職として東京営業所の方に所属されます。
当時ですね、学生時代に使っていたカーオーディオとスピーカーが乗っていた車はですね、東京に持っていくことができなくて、廃車になったんですね。
このスピーカーとオーディオをですね、営業者に積み込んでですね、全国を営業で車で移動しながら音楽を聴いて営業するというスタンスが始まったわけなんですね。
これでですね、録音するものと、そしてそれを聴くものっていうのがうまく揃ってですね、国内を回り始めるわけですね。
当時はですね、1994年からですけど、営業者にですね、MDチェンジャーっていうのを積んでまして、複数のMDをですね、交換しないでも連続再生できるような環境とかCDチェンジャーを積んでまして、
もうなんせですね、東京から青森までですね、700キロぐらい車で移動するみたいなことをやってたんで、だからもう7時間8時間はもう走りっぱなしなんですね。
その時にずっと音楽をですね、聴くっていうことをやってたので、だから仕事をしている時間よりも多分音楽を聴いている時間の方が長いぐらいですね。
で、やってました。でもその時はね、いわゆる誰かのアーティストをずっと聴いていくこともやってたけど、結局ね、毎日いろんな曲をですね、録音していたので、その毎日のヒット曲を順番にループして聴いているっていう感じが多かったような気がしますけどね。
そういう形で全国各地に営業に行ってました。
そうすると今度はですね、この営業で車で回っていると、営業先にいわゆる中古CDショップがあるわけですよ。
そこにですね、訪問してみるとですね、そうすると、あのア行からワ行までアーティストが順番に並んでるわけですね。
で、その棚のCDの背拍子ですね、を一個一個眺めていって、知らないアーティストはいないのかな。
知らないアーティストの名前が出てくると、出してみてどんな人かな。
で、そのジャケ買いって言うんですけど、見てなんか気になるような人がいればそれを買うというのをね、やってましたね。
なので、ジャケ買いとか、あとはですね、レーベルとかスペシャルサンクスって裏に書いているので、
だから、この音楽事務所系だったら良い曲がありそうだとか、この人の系列だったら良い曲がありそうとかっていうのをですね、見ながらですね、
ジャケ買いをしてですね、音楽を新しく探すということをね、始めました。
だからヒット曲はもう全部網羅してたんで、ヒット曲ではなくて、ヒットしないけど良いアーティストいないかなっていうのをですね、
社会人になってからね、始めました。
当時はビジュアル系のインディーズバンドにハマってまして、
ちょうどバクチクとかXジャパンとか出てきて、その後はマリズミゼルが出てきまして、
そっからディル&グレイとか出てきて、そっからですね、さらにいっぱいいるんですけど、
をガーッと聴いていくわけなんですね。
で、その中で、これ言ったら怒られるんだけど、ラルカンシェルっていうのはビジュアル系じゃないんですが、
ラルカンシェルも集めていたところですね、
なんと、まだ有名になる前のインディーズ時代の貴重なライブ会場で配布しているようなCDがですね、あって、
それをですね、数万円出して購入したりしてましたね。
で、これが今でこそインターネットが普及しているからネットから買えるんだけど、
当時はインターネットがまだ普及しないので、
その中古のCDショップから中古CDの一覧になっているものが紙で郵送で送られてくるんですね。
そのちっちゃい時に1行ずつこうね、アーティスト名、曲名と、で、どんな曲が入ってます、で、いくらです、みたいなの書いてて、
それをですね、1行ずつ見ながら、気になる人があったらですね、それをですね、注文するっていうことをね、やっておりました。
なので、そこでね、そのさっきのラルカンシェルのですね、曲をですね、見つけたりしたんですけど、
そんな生活をしてました。
なので、実は結婚した時にですね、
うちの妻からですね、どのぐらいの給料をもらっていて、どのぐらいの家賃のところに住んでいて、
で、どんな生活しているかっていうことをだんだん把握されますよね。
で、計算されたんですよ。
給料と生活費を計算して、もう貯金額が合わないと。
問い詰められまして。
で、大量に音楽に投資したってことをですね、剥除することになってしまうんですけど、
たぶんね、10万円ぐらいとかは、毎月使ってたんじゃないかなと思うんですよね。
そんな問い詰められるくらいだから、たぶんほとんど使ってたんだと思うんで、
そのぐらい×12でしょ。で、120万でしょ。1年間で。×10年。
だから1,000万ぐらい。1,000万以上はたぶん僕が突っ込んでるんじゃないかなと思うんですけど、
そういう生活をですね、しておりました。
ということで、今現在ではカセットテープが数百本ぐらいで、CDが数百枚ぐらいで、
MDも数百枚ぐらいあって、膨大なコレクションが今持っていてですね。
で、音源ではなくて、さっき言ったVHSの映像まで含めると、
自分自身の音楽アーカイブがここで形成されていたんですね。
なので、ラージランゲージモデルとラージメロディモデルとですね、
この2つは、この膨大なコレクションの聞いてきた、
そしてそれを聞き続けてきたことから生まれてるんじゃないかなと思うんですよね。
で、これで東京にですね、5年いまして、
それからの仙台営業所を立ち上げることになりまして、
僕は営業所長としてですね、行くわけなんですけど、
この時にですね、やっぱり部下や同僚とのコミュニケーションを、
自分が上司に初めてなったので、していかなきゃいけないってことになって、
で、音楽を介してコミュニケーションを取ろうっていうことを考えたんですね。
当時はね、よく一緒にカラオケも行ってましたし、
音楽をね、いろいろ聞き合うことやってたんですね。
それで、その人たちが聞いてる音楽を教えてもらって、
そういう音楽聴いてるんだったら、この音楽聴いたらいいよみたいな、
いわゆる音楽ソムリエみたいなことをやってました。
そこでですね、その人の好みに合わせて、
オリジナルで選曲したCDを作ってプレゼントするようなことを始めたんですね。
そこでですね、
という形で、
ラ、リ、ル、レ、ロなんですけど、
ラがですね、ラフィン。
お笑い系の面白い音楽を集めたのがラフィンですね。
で、リッスンっていうのがリですね。
これが注目の聴いてほしい曲を集めたのがリッスン。
リッスンはみんなが好きそうなヒット曲ですね。これがリッスンですね。
で、ルッキンっていうのは、こんな注目の曲だけを集めたものがルッキン。
で、同僚と一緒にカラオケ行くので、
カラオケでみんなが歌って盛り上がる曲がカラオケレッスンですね。
がありまして、最後、ルッキン。
これは僕が聴いているロックのみんなにも普及させたいので、
それを集めたものがルッキンというもので、
ラ、リ、ル、レ、ロですね。
1匹たCDを1枚74分で12、3曲くらい入ると思うんですけど、
これをですね、もう10セット以上たぶん作ったんじゃないかなと思うんですけど、
同僚に配ったりしてました。
そうすると、同僚がですね、自分が作った選挙のCDを
人から人にですね、実は知らない間にですね、渡っていてですね、
そしてあるガソリンスタンドで、
僕のCDがBGMで流れているっていうことを知ったんですね。
で、これで自分が選んだ曲が誰かに聴いてもらえるんだというDJとか、
あとはいわゆるこのソムリエみたいなものが仕事になったらいいなと思って、
そういう会社を作ろうと思って、実はですね、
父はあの会社を辞めようと思った時に、父はその話をしたんですね。
で、父は笑ってましたけど、そんな仕事ねえよと言ってましたけど、
今となっては、たぶんDJっていう仕事もそうだし、
例えばプレイリストというもので、
このやっぱり上手にプレイリストを作る人っていうのが人気があるっていうのは同じだと思うんだけど、
こういうものっていうのが今インフルエンサーですよね、まさにね。
そうね、インフルエンサーって言葉は当時はないから、
要はそういうことなんですよね。
これをね、やってました。
で、僕はその同僚にも配っていたんだけど、
当時はまだ結婚してませんけど、
結婚することになった妻にもですね、
自分が選曲したCDをプレゼントいくつもしたし、
ギリの母の方にもプレゼントしたし、
うちの長男にもですね、その人に合わせたオリジナルCDを作って渡すっていうことをね、やってました。
息子の場合はですね、成長すると今度本人から曲のリクエストが来て、
それに自分がオススメしたい曲を加えてですね、
それでCDをプレゼントするっていうですね、親子間の音楽コミュニケーションもできてきた。
ということで音楽を通して、
例えばギリの母とか妻とか子供とかとですね、
コミュニケーションするっていうこともできるっていうことをやっているんですね。
いろんな音楽を聴いてきたので、
どういうアーティストでどういう曲聴いてきたかっていうのは今回はやりませんけど、
1980年代から2000年代にかけて幅広い音楽をですね、聴き続けたっていうことは間違いないのかなと思ってます。
これで社会人になって、東京5年、そして仙台5年いまして、
その後結婚して新潟に来るわけなんですね。
こっから以降っていうのは、仕事が忙しかったっていうのもあるのかもしれませんけど、
特になんかハマった、強烈に残ったっていうアーティストは実はあんまりいなくて、
多分記憶に残っている限りでは、多分2組ぐらいしかいないですね。
一つがですね、和製ホラーのビジュアル系バンドのキリューっていうですね、バンド。
このバンドは非常に音楽性が和を意識しているような歌詞になって、曲名が全部日本語なんですね。
歌詞も日本語が多くて、和テイストの和楽器とか取り入れている非常に面白いバンドなんですけど、
キリューはかなり聴きましたね。
最近では女性5人組のロックバンドのバンドメイドというもの。
世界ではベイビーメタルとかね、話題になってますけど、
ベイビーメタルの後発で、今世界でも流行っているというか注目されているバンドメイドっていうグループがあるんですけど、
この曲もですね、よく聴きましたね。
だからキリューが出た、知った年とバンドメイドが知った年っていうのは、
多分1年間ほぼね、この曲だけしか聴いてないというですね、年があったりしましたけど、
一方でさっきも話しましたけど、若い頃好きだった浜田麻里さんというのはですね、
当時はヘビーメタルから始まったんだけど、
いわゆるリターントゥーマイセルフというヒット曲を生まれた頃からポップになって、
そっからちょっとですね、おとなしい曲になっちゃったんですね。
1回離れたんですけど、また彼女がヘビーメタルに戻ってきまして、
いまだに元気でね、ヘビーメタルを歌っているんですけど、
で、今もう1回再燃してですね、今最も好きなアーティストの人になっているのが浜田麻里さんですね。
で、この音楽性を今ですね、メディアの方に反映していると言ってもいいんじゃないかなと思っております。
ということでですね、音楽メディアとしては、レコード時代からカセット、CD、MD、iTunesによる、
そしてダウンロードですね、そして音楽サブスクへと移行が行われていて、
全ての変化をリアルタイムで経験しながら、この40年間にわたって音楽を聴き集め続けてきたということですね。
で、それでようやく僕は起業するわけですね。
2007年に起業した際には、今の本業でありますネットビジネスアナリストという肩書と、
電脳アイデア専任という2つの肩書を持っているんですけど、とは別にですね、
音楽コンサルタントという肩書を実は作って活動を細々とやってたんですね。
さらには音楽コンサルタント協会という公式サイトまで立ち上げて、
ミュージシャンの方がどうやってSNSとかを使って有名になるかっていうね、
そういうセミナーも過去やったことあるんですけど、
企業が音楽を活用してサービスを作る方法とか、
いわゆる音楽かけるビジネスのコンサルティングというのもやっていこうという会社を作ったんだけど、
この仕事がですね、ほとんど来なくて、
で、趣味なんでしょって言われてるんだけど、
いや、趣味じゃなくて、音楽はビジネスになるんですよって言ってたんですが、
まさかこれがですね、20年近く経って、
生成AI時代にですね、再び音楽を仕事にするという構想がですね、
花開くなんていうのは、当時は全く思ってなかったんだけど、
今はね、現実味を帯びたものになっているんじゃないかなと思いますね。
で、2024年の4月頃にですね、音楽生成AIのSUNOと出会いました。
最初は試しに触ってみる程度で、
僕1曲だけね、今iTunesに登録されている曲があるんだけど、
これはこの頃作った曲なんですが、
で、まあ、面白いでしょって言っている程度だったのは、
ちょっとクオリティが低くてですね、
そのままでは使い物がなくて、編集とかしなければ全然ダメだったんですよ。
ところがですね、これがだんだんですね、歌唱が上手になって、
楽曲生成能力が上がってきたので、
これは使えるんじゃないの?というふうに気づいたのが、
2024年の12月ぐらいです。
この時にSUNOのバージョンがですね、3.5から4に進化しまして、
それで普通の音楽の、いわゆる4分とか5分ぐらいの曲っていうのが、
フルで高品質で生成できるようになったんですね。
この時にPersonaという機能があって、
今はボイスという名前になりましたけど、
これでですね、2020年11月29日に、
今、自分を代表するAIシンガーでありますMIRIAが誕生したわけですね。
先ほど紹介した宇徳圭子さん、坂井泉さん、濱田麻里さん、
この3つの影響を受けて、自分なりに融合したコンセプトの
AIアーティストが誕生することになったわけなんですね。
まもなく2年、2歳になろうとしてますけど、こんな感じです。
それでSUNOが出て、2020年12月から、
AIで音楽作ると1回に2曲できるんですね。
だから1日2曲作ろうって決めてですね、
そんな簡単なもんじゃなくて、2曲どっかでたくさん作ってるんだけど、
そこから2曲だけを絞って、みんなに聴かせてあげるっていうことをやってました。
これが2020年12月からやっていて、
ちょうどこの時にですね、Mixi2というサービスが始まったので、
Mixi2の中で音楽生成AIのコミュニティがあったので、
そこに入ってですね、その方々に聴いてもらうっていうぐらいで活動してたので、
ほとんど曲が聴かれないで、
再生回数も5回とか10回とか、そんなものしかいかないっていうのがずっと続いてたんですね。
それが2024年の12月から、年越して2025年の7月ぐらいまで、6月までですね、
そのような形が続いてたんだけど、
2025年の7月1日からですね、ちょっと幅を広げようということで、
YouTubeに配信するっていうことを始めたのが、
2020年の7月からで、25年の7月からですね。
始めまして、今ちょうど1年ちょっと経ったから、まだね。
だけど、YouTubeに上げてもほとんど泣かず飛ばずで、
再生回数もですね、全然10回とか20回とかいかないぐらいだったんですね。
それで、ずっときまして、2025年が終わって、
2026年になるわけですね。
この26年になるタイミングぐらいの時に、
SU-NOのバージョンがまた1個上がるということがあったんですけど、
この時にですね、今の、
ボイスっていう名前ですけど、この機能の精度がめちゃくちゃ上がったんですね。
これで声がちゃんと再現できるようになってきたんですよ。
それまではですね、スタイルを変えると曲調が変わったりしてたんだけど、
これがね、変わらないようにできるようになったんですね。
ということで、この頃からですね、よくなってきたんですけど、
もう1個は、2026年になるぐらいの時に言われたのは、
この年、26年から著作権でたくさん訴えられているので、
ミリアというボイスはもしかしたら使えなくなるんじゃないかという噂があったわけです。
なので、2025年の暮れぐらいから、
もう思い残すことがないように、
いろんな曲をミリアに歌わせようということで、
今まではとびとびで思いついた時にミリアちゃんの曲を作ってたんだけど、
2025年の12月からは、
毎日1曲ずついろんなテーマで曲を歌わせようと。
だから、ボサノバ調だったりとか、
アカペラだったりとか、いろんな曲を作ってきたんだけど、
こういうことを始めたのは、2025年の12月から。
これ始めまして、
でも、そんなに泣かず飛ばずで来たわけですね。
で、年越しまして、2026年の2月に、
お待たせしました。
このエイヤー音楽ラジオを始めることになったわけなんですけど、
ここでトモミンと出会ったことによって、
僕のエイヤー音楽人生は大きく変わりました。
彼女の影響で曲の作り方、詩の書き方、
そしてそのテーマ、世界観ですね。
いろんなことを教えてもらいまして、
それをですね、反映させていきました。
スーノ・P・ヨコタンっていう名前に変えたのもこの時からですね。
で、そこからですね、一気にですね、変わったんですね。
多分ですね、2026年の2月時点では、
僕スーノのフォロワー数って、まだ2桁ぐらい。
20人とか30人しかいなかったと思います。
しかいなかったと思うんですけど、
今1800人なんですね。
なのでまだ、3,4,5,6,7,8,9だから半年ぐらいしか経ってないんですよ。
で、ここまで成長させることができました。
これにはいろんな仕掛けもしましたし、
いろんなことも取り組んできたんですけど、
本当に彼女の影響は大きいですね。
いろんな曲の作り方のアイディアをいただいたり、
アドバイスをいただいて、
それをですね、全部自分のものにしてきたつもりです。
ともにいかがでしょうか。できてるでしょうか。
彼女が作っている音楽にも影響を受けて、
そっか、曲ってこうやって作ればいいんだということで、
いろんなことを教えてもらったりもしました。
で、今があるわけなんですね。
ということでですね、このような生活をしてくるきっかけとなった出来事をですね、
今日は自分の人生を振り返ってみました。
映画音楽というものがこれからどうなっていくのかということは、
まだ未知数でありますけど、
自分の人生というものをどのように曲にするか、
歌詞にするか、テーマにするかということをしていくのを
僕はずっとテーマにしていまして、
自分の考えていること、思っていること、
自分がやってきたこと、自分が体験したこと、
自分がですね、振られたこと、こうしたことということを
全部僕は曲になっています。
これを自分の気持ちが入っている作品としてですね、
世に出していっています。
もちろん全然関係ない空想で作った曲もいっぱいあるんですけど、
僕が作った曲もね、相当たくさんありますので、
ぜひその辺もね、聴いていただければ嬉しいなと思っています。
はい、ということで今日は1時間ぐらいに渡りまして、
僕の映画音楽を作るルーツというものを紹介いたしました。
ぜひね、このように1回自分の人生の音楽との関わり方というのを
こういう風に洗い出ししてもらったらですね、
皆さんのそこに強みがわかってくると思います。
ぜひね、ラージランゲージモデルを自分用のものを作るとか、
ラージメロディモデルを作るとかということもですね、
ぜひそれがですね、自分の財産となって、
自分のオリジナルとしてですね、世に出していけます。
今日ね、冒頭のように話しましたけど、
僕はもともと歌は上手ではないし、今でも上手じゃないし、
楽器は演奏できないし、音楽理論一切わからないし、
そんな人間でも今数の音楽生成ランキングで、
総再生回数ランキングで今12位まで来てるっていうのは、
全てですね、自分の形にするものをですね、
表現することってできてるからなんですね。
これはね、チャンスでもあるんですね。
ここにまだミュージシャンとかすごい人が入ってきてないから
僕この位置にいるんであって、
本物が入ってきたら僕なんかって吹っ飛ぶわけですよ。
でも今その位可能性があるから、
昔音楽好きだったけど、やっぱり楽儀を優先して断念したとか、
ミュージシャンになろうと思ってたけど、
結局無理で諦めたとかっていう人も、
今40代50代の人もですね、まだチャンスあります。
ここからもう一花咲かせましょうと。
人生ね、まだ色々できますよ。
逆にその経験が全て皆さんの曲になって返していくことができますので、
それらをね、今見た僕みたいに洗い出ししてみてください。
そうするとですね、それが共感する人がたくさん現れてくるんじゃないかなと思いますので、
そういう活動をね、一緒にしていきましょう。
それのサポートすることが僕もできたら嬉しいなと思ってますので、
また引き続きですね、
エイヤー音楽ラジオも頑張ってやっていきたいと思ってますので、
よろしくお願いいたします。
はい、ということで1時間ぐらいに渡りましてお話させていただきました。
以上で終わりたいと思います。
AI音楽ラジオ、SunoPよこたんでした。
ではまた次回お会いしましょう。
ありがとうございました。
バイバイ。