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SunoPよこたん、なぜAI音楽に来たのか?人生55年の答え【AI音楽ラジオLIVE配信アーカイブ】
2026-09-14 58:57

SunoPよこたん、なぜAI音楽に来たのか?人生55年の答え【AI音楽ラジオLIVE配信アーカイブ】

SunoPよこたん、なぜAI音楽に来たのか?人生55年の答え【AI音楽ラジオLIVE配信アーカイブ】

https://yokotashurin.com/etc/sunop55.html

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サマリー

SunoPよこたんは、55年の人生を振り返り、AI音楽制作に至るまでの自身の音楽遍歴を語った。幼少期に詩作に没頭し「感性枯渇」を経験したことが、現在のAI音楽制作における感性維持への意識につながっている。FENラジオや友人からのカセットテープで音楽に触れ、自作AMラジオで音楽ランキングを分析した経験は、彼のアナリストとしての原点となった。高校時代にはテレビ音声のみでドラマを視聴し「妄想力」を鍛え、これが現在の歌詞から映像をイメージする力に活かされている。 BOØWYや尾崎豊の「卒業」に深く影響を受け、音楽が人生を変える力を実感。大学入学後はアルバイトで得た資金でカセット、MD、iTunes、サブスクとあらゆるメディアで膨大な楽曲を収集し、これが自身の歌詞やメロディーの「ラージモデル」を形成した。社会人時代には営業車で全国を回りながら音楽を聴き、中古CD店で未知のアーティストを探求。部下や同僚に合わせたオリジナルCDを作成する「音楽ソムリエ」として活動し、この経験がAI時代に「音楽×ビジネス」の構想として再燃した。 2024年4月に音楽生成AI「SUNO」と出会い、その進化を経て、自身の理想を融合したAIシンガー「MIRIA」を誕生させた。2026年2月にAI音楽ラジオを開始し、トモミンとの出会いが彼のAI音楽活動を飛躍的に成長させた。SunoPよこたんは、自身の人生経験をAI音楽で表現し、かつて音楽を諦めた人々にもAI音楽が新たな表現の場とセカンドキャリアのチャンスを提供できると提唱している。

オープニング:AI音楽への道のり
はい、みなさんこんにちは。 AI音楽ラジオ、お久しぶりです。SunoPよこたんです。
今日はですね、ちょっと緊急でですね、動画、ライブ配信を行っております。
ちょっとね、AI音楽に関して、少し過去のことをですね、振り返る内容をコンテンツとして撮っておきたいなと思いまして、
せっかくだったらですね、ライブ配信して、僕の思うのままですね、やるタイムでこれを残しておきたいなと思ったので、
急遽、このチャンネルの方で配信をしております。よろしくお願いいたします。
今日はね、ちょっと長くなりそうなんですけど、僕が今、AI音楽をやるようになったルーツというかですね、
僕の人生をこの55年間振り返ってですね、どういうことがあったかということをですね、
少し話をしていきたいなと思っていますので、かなり長くなると思うんですけど、
時間を許す限りお聞きいただけば嬉しいなと思っております。
幼少期の感性と音楽との出会い
はい、ではですね、まず遡ってですね、随分遡ることですね、小学校の低学年の時からですね、話をしていきたいと思うんですけど、
小学校の時ですね、実は小説とか詩、ポエムですね、を書くことが好きだったんですね。
で、詩集を作ってですね、その中にいろんな思ったことをですね、詩に書いたりしておりました。
先日ですね、その中の一曲、一つをですね、曲にしましたが、面白い詩を書いてまして、
それが、猿ですね。猿のお尻が赤いのは、猿も木から落ちるということはありますけど、
猿がですね、木登り得意なのに、木から落ちてしまって尻餅をついてですね、お尻が赤くなったんだというですね、詩を書いていてですね、
なかなかいい感性しているなと思っていたんですが、そんな少年時代ですね、
うちの父親がそう思ってくれたらしくて、すごく感性豊かで、この内容の詩集は大人になったら、
ちゃんと一冊本にして出したらいいんじゃないのと言ってくれていてですね、あ、そうなのと思っていたんですね。
その書いてた詩集が、実は無くなってしまって見つからなかったんですけど、
この間、父が亡くなったんですが、その時ですね、父親の書斎のですね、両側にこの袖で引き出しがあると思うんですけど、
この右側のね、利き手の右手の一番上の引き出しに当然鍵がかかっているところがあるんですけど、
ここの中にですね、遺品を整理してて、入っているということが見つかりまして、
僕の元にですね、戻ってきたんですけど、ここにね、ありますが、この詩集なんですけど、
これをですね、いただきました。
そのぐらいですね、感性豊かな子供だったらしいんですけど、小学校4年生の時にですね、
担任の先生がちょっと変わった先生で、作文を書かせることが好きだったんですね。
このぐらいの大きさの紙に作文を書かせまして、それで毎朝ですね、書いた人が手を挙げて発表するというのをやってたんですね。
そこでですね、発表された人もされない人も、その紙をですね、閉じて、
そして先生のところに提出すると、先生が見て反抗してくれたりするというものをやってたんですけど、
そうするとですね、みんな紙を閉じていくものだから、だんだんそのね、紙の厚みってのが出てきますよね。
その厚みが出てきて、競争になるわけですよ。
誰々君はこんなに高い、私まだこんなに低いよとかですね。
なんかこの競争にですね、なんか僕の負けず嫌いがですね、働いてしまいまして、
これを超えるためには、1日1枚ペースだったら追いつけないから、1日2枚3枚書けばいいと言って、
最後はですね、たぶん1日で200枚とか300枚とか書いてたと思うんですね。
もうなんか本当ネタがなくて、これが200枚目の作文ですとかですね、どうでもいいような作文を書いてました。
そうしたところですね、世の中のすべてのことをですね、思わないで、
要は頭の中で思い詰めないで、すぐ形にして字に出してしまうということをやったことによって、
感性というものがですね、枯渇したらしいんですね。
それでこの頃から僕はそういうのがなくなったとですね、
両親はですね、後日そんな話をしておりました。
この頃から僕はですね、国語が苦手になって、
逆に数学とか理科というですね、理系の方に行くようになって、今があるわけなんですけど、
この頃までね、非常にね、文章を書いたりとかするのもいいのを書いてたらしいんですね。
っていうのはですね、この時の思い出なんですけど、
なので僕も今気をつけているのは、1日2曲を作っているので、
曲をいっぱい作るとですね、同じように感性っていうのが枯渇するんじゃないかっていうことをね、僕は恐れていて、
そのためにどういう対策をしているかということはですね、
先日のこのエイヤー音楽ラジオのここで喋っているので、
ぜひそのコンテンツを見ていただきたいと思うんですけど、
今僕がその感性を磨くためにやっていることというですね、
回がありますのでご覧いただければと思っているんですけど、こういうことがありました。
これがですね、小学校の4年生ぐらいの話なんですね。
ここからですね、この頃、母親がですね、当時広島に住んでいたんですけど、
隣の山口県にですね、岩国という場所がありまして、
ここにですね、いわゆるアメリカの米軍の基地があるんですね。
その軍人さん向けにラジオ局っていうので、FENというですね、ラジオ局がありまして、
ここでですね、英語の放送の中で、当然洋楽の曲がたくさん流れているのを、
うちの母が聴いていたんですね。
そこでですね、ビートルズ特集とかがあって、
それを母がビートルズをですね、高校時代から好きだったらしくて、
その影響でビートルズとか、当時ですね、マイケルジャクソンとかですね、
あとボンジョビとかですね、ビリージョエルとかですね、
ワムとか出てきまして、このような洋楽をですね、母の影響で聴いていたっていうのがですね、
小学生から中学生ぐらいまでの間はですね、これだったんです。
というのはですね、テレビっていうのが我が家では禁止でして、
小さい時にテレビを見ることができなかったので、
いわゆる音楽番組と言われているものとかをほとんどね、見れてないんですね。
なので音楽を当時聴くっていうことはほとんどなくて、
ただまあ、土曜日にですね、
高生でしたっけ?の音楽のランキングの番組がありまして、
で、ちょっと時間帯忘れましたけど、
1時から邦楽があって、2時から洋楽とかだったと思うんですけど、
というのをですね、母親が聴いていたので、
これでまあ、ヒット曲なんかはランキングで聴いたりはしていましたね。
ですけど、それ以外の曲っていうのは全然自分で何も、
例えばカセットプレイヤーとかですね、
何も持ってなかったので聴く手段がなかったっていうのがですね、
小学生の頃の話になります。
中高生時代の音楽収集と分析
これからですね、中学生になると、
中学1年生の時に仲のいい友達がですね、
当時はまだレコードなんですけど、レンタルで借りてきた曲を
カセットに録音してですね、そしてプレゼントしてくれるという、
本当にね、優しい友達がいたんですね。
もう今となってはその方にね、もう感謝したいなと思ってますけど、
そういう人がいて、それで曲をですね、邦楽を聴く、
ちゃんと自分のカセットテープで聴けるようになったっていうのは、
この時からになるわけなんですけど、
そうするとですね、その友達同士、中学1年生の時の友達同士が、
当時の歌番組のですね、ランキングですね、
今日ベスト10とかトップ10とかありましたけど、
1位は誰なんだっていうことでみんなが、
誰ださんじゃないの?誰々くんじゃないの?とかですね、
当時チェッカーズとかですね、中森昭菜とかいましたけど、
っていう予測をしてたわけですね。
そうすると1位から10位までを書いて、
どの曲が何になるかっていうのをですね、
みんなで当て合うという、予測するというのをですね、
そういうゲームをですね、やっていたんですね。
で、〇〇くんはいくつ当たったよ?みたいなのをやってたんですね。
そこで予測の精度を高めるために、
当時中学1年生の時に、
技術家庭科の授業で自作で作ったAMラジオをですね、
ゲットしまして、これでようやく僕はテレビはないけど、
自分で曲をですね、ラジオから聴くことがですね、
できるようになったんですね。
僕はね、実はお小遣いっていうものをですね、
人生でもらったことはなくて、
なので自分のお金で物を買うっていうのは、
アルバイトするまではできないので買えないわけですね。
で、これでAMラジオをですね、使ってですね、
優先ランキングとか、オリコンランキングとか、
ラジオのリクエストランキングとか、
こういったものをですね、ラジオの中で流れますよね。
で、こういったものをですね、メモして、
それで総合評価をつけて順位を予測する、
ということをですね、中学校1年生の時にやってまして、
この辺がね、今の仕事のひっかけになっているような気もするんですけど、
今、アナリストの仕事っていうのが、
この頃からね、スキンだったんじゃないかな、
っていうのを今振り返ると思うんですけど、
それで結構ですね、当たっていたんですね。
で、そんなことをやっているのが、中学生の時で、
自分で曲を録音したりすることはできないので、
その友達に借りてやっていたというのが、
中1からの話になります。
で、今度高校生になるとですね、
1つ上に兄がいるんですけど、
兄がですね、ラジカセというものをですね、
誕生日かな、何かのプレゼントで買ってもらったんですね。
で、それをですね、借りて、借りてというかですね、
うちの長男が、うちの兄がですね、
いない時にこっそり借りてですね、聞いて、
で、兄が家に戻ってくるんですね、僕は使えないんだけど、
帰ってくるまで借りてたんですね。
で、そのラジカセが買ってもらったことによって、
今度はAMだけじゃなくて、
FMラジオというのをですね、聞くことができるようになりまして、
当時ですね、エアチェックという言葉わかりますかね。
今の人たちはわからないと思うんだけど、
エアチェックという言葉がありまして、
それは放送の中で流れていく曲をですね、チェックして、
で、良い曲があったら録音するというもので、
いわゆるカセットテープの録音ボタンの一時停止を押した状態にして
ずっと待機していてですね。
で、次の曲が何々ですって言った瞬間に、
この一時停止を外してですね、録音開始するというのをやってて、
それで90分のカセットに、
当時のヒット曲をですね、どんどん残していくというのをね、やってました。
この辺もね、色々話すと長いんですけど、
例えば、1曲フルに流す番組と1番だけしか流さないとかってあるじゃないですか。
これだとダメなので、ちゃんとフルに流してくれるような番組を見つけて、
その番組のとこでもちゃんとスタンバイしてですね、
録音するっていうのをやってましたね。
そうするとですね、いい感じで言ってるのに、最後の方になって、
えっとなんか急にですね、フェードアウトしてって、
なんかアナウンサーの声が入ったりとかするんですね。
だからおめーの声いらねーんだよと思いながら、
ちゃんとフルのやつをですね、集めていくってことをね、やってました。
これで当時はお小遣いなかったけど、
そのCDにですね、カセットテープに録音していくってことをね、始めたんですね。
というのはですね、中学生からこの高校生になった時になります。
で、この時もですね、テープを買わなきゃいけなかったんですけど、
これお小遣いどうしてたのかなぁ、ちょっと今わかんないんだけど、
そんなにたくさんテープ持ってなかったんですけど、
テープに録音するというんですね、やっていました。
で、今度はですね、高校生になった時に、
これね、僕もよく覚えてないんですけど、
AMラジオから今度FMラジオをですね、買うことに成功したんですね。
で、これで今度はFMラジオのいいとこっていうのは、
当然音もいいんですけど、テレビの音声チューナーっていうのは付いていてですね、
当時のテレビドラマを音だけで聞くってことが可能になったんですね。
だからテレビを見れなかった僕としては、映像は見れないけど、
音だけでもテレビが見れるので、
それこそベスト10とかトップ10みたいなものをですね、音だけで聞くことができたんですね。
で、これってのは、音楽であれば、パフォーマンスが見れないのは残念だけど、
音楽であれば別に問題ないと思うんですね。
だけどやっぱり、学校の話についていこうとすると、
やっぱりテレビドラマを見れないっていうのは、ちょっと痛いわけですよ。
なので、このFMラジオでテレビドラマをですね、聞いていました。
これね、ぜひ皆さんもやっていただきたいんだけど、
テレビドラマの映像を切ってですね、イヤホンつけて、音だけでドラマを見てほしいんですね。
全く何をやってるかわかんないです。
誰が何を喋っているかわからないので、何をわかるか、誰が喋っているかわからないですね。
誰から誰に向けて喋っているかわからないですね。
だけどそれを、2人の会話のやりとりとか、
あとは誰々君とか言っているので、これが誰々君なのかなとかですね。
そして周りの効果音とか環境音とか、こういったものを聞きながら、
登場人物や場面をね、想像していたんですね。
つまりテレビのドラマは、映像と音声の2つがあるわけなんだけど、
このうちの音声と言われている文字情報だけが頭に入ってくる状態で、
映像をイメージしなきゃいけないですよね。
これによってですね、僕は妄想力というのが相当鍛えられたと思っているんですね。
これはですね、今の僕が歌詞から映像を思い浮かべて曲を作る時のですね、
原点になっていると思っていて、
これはね、ぜひ皆さん鍛えられるので、やってみられたらいいと思います。
すごく勉強になるし、自分の中でですね、
言葉を使ってどうやったらイメージ化させるかっていうことのですね、
ヒントになると思うので、ぜひですね、お勧めするんですけど、
これはですね、高校生の時の3年間ぐらいですね、やってました。
大学生になるとですね、今度一人暮らしを始めて、
自分のですね、テレビを持つことができるんですけど、
まだ高校生できないんですね。
というね、話があります。
BOØWYと尾崎豊、人生を変えた音楽体験
で、今度ですね、高校生になった時に、
友達同士でですね、当時はまだね、ウォークマンでしたけど、
で、音楽をお勧めして聞き合うということがですね、機会として増えてくるんですね。
そうすると、友人がですね、いわゆるロックバンドを始めたりとかして、
で、ライブチケットをですね、売っている姿をね、見たりとかしてました。
当時僕、広島にいたんですけど、
広島って言えばですね、ユニコーンというですね、バンドがありましたけど、
ユニコーンさんのですね、まだ売れてない時のですね、
そのチケットとかをですね、買ってくれみたいな話があったり、
パーソンズとかもありましたね。
というので、そういうので思い浮かべてるんですけど、
で、これで音楽は聞く側だけでなくて、演奏する側の世界も身近になった。
自分のお友達がですね、その文化祭とかで歌っている姿を見てですね、
で、その自分も歌っている側の友達にいるということで、
やっぱり聞くのと全然違うなと思ったりしたのはですね、
この高校生の1年生になってからですね。
で、この頃、ちょうどボーイが出てきまして、
で、このですね、音楽とライブ映像から大きな衝撃を受けましたね。
当時はですね、自分の家にビデオ店舗もないし、
当然そういうものですね、テレフォンは見れないわけなんだけど、
いわゆるレコード会社、レコード店に行きますと、
店頭でですね、ミュージックビデオが流れているんですね。
ここでボーイのですね、ライブ映像が流れていてですね、
これをね、悔いより見てましたね。
で、もうね本当に好きで、ボーイばっかりをね、聞いていたところ、
友達がですね、「お前何聞いてるんだ?」って言うので、
ボーイ鉄を聞いてるんだと言ったところですね。
じゃあ俺にも聞かせてくれって言うので聞かせたところですね、
その友達もですね、ハマってしまってですね。
で、当時はですね、ボーイなんか、ブルーハーツとかもそうですけど、
聞く人ってのは不良ってイメージだったんですね。
不良が聞いているイメージだったんです。
今みたいにロックバンドが普通のね、人が聞いてるんじゃないんですよ、当時はね。
なので、それをきっかけにその友達はですね、不良の道にですね、進んでしまうことになってしまって、
今となってちょっとね、後悔してるんですが、
まあそんなね、友達とも今も仲良くさせてもらってるんですけど、
ということで、音楽を介して人生が変わるんだ。
自分の将来が変わるんだっていうのをですね、感じたりしました。
で、当時その先ほど紹介した文化祭で歌っていたね、ボーカルの男性はですね、
その後ね、そっちの道に行くのかなと思ってたんだけど、
残念ながらね、そっちの道に行かなかったんですけど、
そういう音楽っていうものから一つの人生というかですね、
ドラマが始まるんだっていうのをですね、感じ始めたのがこの高校生の時でしたね。
高校生、1年生の時にですね、ボーイの解散っていうのはですね、
クリスマスイブにあるということがあって、
で、このライブを見たいと思ってですね、
当時ですね、電話からチケットの申し込みをするっていうことで挑戦したんだけど、
これ一瞬でね、売り切れたという有名なエピソードがありますけど、
全然ダメで撮れなくてですね。
で、ライブを行くんだったらボーイに行きたかったんだけど、
ボーイが人生初のライブに行けなかったもんだから、
結局自分人生の初のライブは、やっぱりボーイの氷室京介か、
ホテイトモヤスカにしたいなと思っていてですね。
で、ソロになった氷室京介のライブ、これラストライブなんですけど、
これがですね、僕が初めて行ったライブになるし、
人生で初めて自分のお金で購入したCDも、
氷室京介のクライムオブラブという曲になるんですけど、
ということで、僕の人生はこの氷室京介っていうものですね。
氷室京介なら卒業できないという有名な言葉あるんだけど、
未だに卒業できてないというのがね、ここから始まっています。
で、この高校1年生の時に好きだった女の子がいまして、
その子が尾崎豊をね、聴いてた。
で、尾崎豊ってどんな曲歌ってるんだろうと思って、
自分も聴くようになってですね。
で、その中で尾崎豊の卒業という曲に非常に影響を受けまして、
その中に支配者からの卒業という言葉と、
自由になりたかったという言葉があって、
この言葉はですね、その後の僕の人生を大きく変えるきっかけとなった曲だと思っています。
僕の人生の中で一つだけあなたを象徴する曲は?と聞かれたら、
僕は尾崎豊の卒業ということを今なら言えるんですけど、
これに気づいたのはですね、3年ぐらい前ですね。
両親が亡くなった時に初めてですね、
自分の人生を振り返った時に間違いないなと思ったんですけど、
この影響をね、相当受けて今があります。
大学時代の音楽収集と影響を受けたアーティスト
で、今度ですね、高校生の3年生ぐらいになるとこの大学受験が始まってきて、
そうする音楽がですね、精神的な支えになっていきます。
例えば受験勉強をする時とか、夜中眠い時仕事をする時とか、
例えば模擬試験を受けに行く時とか、大学入試センター試験を受ける時とか、
入試本番とか、その向かう前にもですね、お気に入りの曲を聴いて緊張をほぐす。
もしくは夜中の勉強で眠くなった時には、激しい曲を聴いて眠気覚ましも使うという時に
聴いてたのが、バクチクとアップビートという2つのバンドをですね、もちろんボーイは聴いてたんですけど、
この頃ね、バクチクは相当僕は、バクチクさんのおかげでですね、
僕のいわゆる受験勉強は助かったと思っております。
で、アップビートさんは本当に僕のですね、深夜に勉強している時の助けになったと、
眠気覚ましにね、助かったと思っているんですけど、
音楽がですね、僕のいわゆる受験勉強から大きく影響を受けたと思っております。
で、ようやくこれで大学に入学するわけなんですね。
で、初めてですね、アルバイトをできるようになりまして、
これでですね、自分で自由に使えるお金をね、手にすることができるようになりました。
これで高校まではお小遣いがなかったので、CDを購入したりレンタルしたりして、
録音するっていうことはできなかったんですけど、
こっから一気にですね、音楽収集が加速します。
ので、高校1年生からなんですね。
レンタルCD店に並んでいる、いわゆるレンタルランキングベスト30とかベスト50みたいに並んでいると思うんですね。
あれを、ジャンルを問わずですね、片っ端から1位から50位まで借りて録音するって生活が、
こっから始まります。
なので、高校生ですから、大学生ですから、18歳からですね、
かれこれ30年ぐらいですね、この生活をね、してました。
詳しくはまた後で話しますけど、
だからその時からの曲は全部持ってます。
全部ある。
最初はカセットですね。
カセットに録音することが始まりまして、
今度はミニディスクが出てきた。
大学生の時にはもうミニディスクに録音してましたね。
カセットテープはここまでですね。
その後は、今度はですね、
iTunesが出たことによってダウンロードしてですね、
音楽を買うというものは始まりまして、
と言ってたら今度はサブスクになっちゃったんですよね、時代が。
音楽をコレクションしなくてもいつでも聴けるようになっちゃったので、
収集というものはここで終わっていくんですけど、
10年くらい前まではレンタルCD屋さんにいてですね、
借りるって生活をですね、
だから僕今のような、今の会社を作ってからもですね、
その生活してましたから、10年くらい前ではやってましたね。
だからもう演歌だろうが、
アイドルだろうが、ロックだろうが、ポップスだろうが、
関係なく知ってる人が聴くという習慣ができた。
この何十年間それをやり続けたので、
いわゆるいろんな歌詞とかいろんなメロディーっていうのが
頭の中に記憶として残ってるのがいっぱいありますよね。
なので歌詞の方はラージランゲージモデルです。
ただ自分自身のラージランゲージモデルですね。
で、そのいろんな歌詞を書いたりする時にそれが出てくると思ってるし、
最近では自分で曲を作るんですけど、
メロディーをね、口ずさんで、
それをエイヤー音楽に投げて曲にしてるんですけど、
この時はラージメロディーモデルですね。
というですね、メロディーのものもたくさん頭の中に入ってるから、
それを組み合わせて曲を出してるんじゃないかなと思うんですよね。
こういうのはね、始まったのはこの膨大な自分のですね、
バックボーンがあって、これを自分の今のですね、
エイヤー音楽に活かしてるからできるんだって、
これなかなか真似することできないし、
そのエイヤー音楽にそれができるかっていうとね、
これできないんですね。
オリジナルが作れないんですね。
ここはね、やっぱり財産かなと思ってますね。
ということで、ずっとですね、
この自分のヒット曲をですね、
保存していくってことを始めてるわけなんですけど、
大学のですね、3年生からですね、
一人暮らしを始めまして、
その時からは今度、
自分のテレビっていうものは初めてね、
これでゲットするわけですね。
これでですね、自分のテレビの中で
今度何やったかっていうと、
ミュージックビデオって言われてるものの録画を始めました。
なのでこれもエアチェックのラジオ時代から変わりまして、
今度はミュージックビデオの録画と、
そして自分が好きなアーティストが
テレビに、音楽番組に出演したりとかすると、
それをですね、録画するというですね、コレクションが始まりまして、
これもね、めっちゃたくさんあるんですけど、
VHSのテープもね、たくさんあるんですけど、
これを始めたりもしております。
これでですね、大学に入学するわけなんですけど、
そうするとですね、
一学年上の兄がですね、
同じ大学の広島大学に入学しておりまして、
在籍しておりまして、
そんな兄がですね、所属していた男性合唱団に
グリークラブというのがありまして、
そうするとですね、そこの先輩方が
弟が同じ大学に入学したということを知ってですね、
それで簡易を受けるわけですね。
それでいやいや、僕は男性合唱団の方に
入部するということになるわけなんですけど、
僕はあまりですね、合唱には興味がなくて、
しかも男だけが歌うってちょっとなんか
キモいなと思っていて、
今で言えば、例えば
いろんなね、アカペラの
いわゆるグループとかあるじゃないですか、
ゴスペラーズとかあるんだけど、
そういうものがまだね、世に出る前なので、
男だけでって言って思ってたりしたんだけど、
アカペラとはちょっと違うんですけどね、
合唱違うんですが、そういう子にいまして、
でもまあ、カラオケというものも
高校時代に僕一回も行ったことがなくて、
大学にみんな入ってカラオケに行くんですけど、
その時にね、やっぱり歌う時に
上手に歌いたいなと思うので、
せっかくこういう合唱団に入ってるから、
歌を上手になるためにもいいんじゃないかなと
自分に言い聞かせていたんだけど、
なかなかそうならなくてですね、
上手くならなかったというのがですね、
当時の思い出になりますね。
僕もともとですね、
喉があんまり強くなくて、
カラオケでも1,2曲歌うだけで
もう声が枯れちゃう。
だから全然発声がちゃんとできてないんですよね。
ちゃんと習ってないからね、できてないんですよ。
いわゆる腹式呼吸でとかということも
ちゃんとできてないと思うんですね。
なので、小学校4年生の時に、
いわゆる生徒会のですね、
選挙活動をしたことがあるんですけど、
この時にですね、
よろしくお願いしますっていうのをやってるとですね、
声を出しすぎてしまってですね、
その選挙に受かったんですけど、
受かった日にみんなの前で挨拶しなきゃいけないのに、
声が出なくなったっていう経験があって、
昔から喉が弱かったっていうのは自覚しているんですね。
なので、カラオケに行っても声が出せなくなっちゃうんですよ。
すぐね。
で、僕今ですね、公演の仕事してるから、
カラオケに行って翌日声が出なくなるとですね、
さすがに自分の仕事において影響を与えるので、
僕はだからこの公演の生活を2011年ぐらいから始めているんですけど、
こっからね、カラオケは封印したんです。
だから僕のカラオケを聞いたことある人はほとんどいないと思うんですけど、
歌わないというふうに決めていたんですけど、
最近ね、この永夜音楽を始めて、
カラオケでね、最近歌う機会が去年、今年かな?
今年ぐらいからようやくですね、出てきたんですけど、
ところがね、びっくりなのは、
歌ってもですね、声が枯れなくなったんですね。
さすがにこの15年間ですね、
公演生活で毎日2時間3時間人前で喋るっていうのをですね、
訓練していることによって、
喉が鍛えられた僕って、
発声も多分上手になったんでしょうかね。
声が枯れなくなりましてですね、カラオケ歌ってもね、
枯れはしますけど、声が出なくなるとか、
カラオケ中にもう全然ガラガラになってっていうのはね、
今もなくなったんで、発声も良くなったんじゃないかなと思っていてですね。
あとはこのライブ配信もですね、
ずっともうね、
2010年ぐらいからやっているので、
これも大きかったんじゃないかなと思っているんですけど、
というのでですね、カラオケは1回マイク持つと話さないっていう生活を
大学時代にはやっていました。
これで大学1年生の時にですね、
母親からですね、譲り受けた車がありまして、
これをですね、改造しまくっていまして、
特にですね、
カーオーディオの部分はですね、
お金をね、継ぎ込みまくりましたね。
なので、当時はCDチェンジャーも持ってたし、
MDチェンジャーも持ってたし、
そしてウーファー付けたりとか、リアスピーカー付けたりとか、
当時はアゼッソというですね、
ブランドを使ってたんですけど、
かなりお金をかけて改造してました。
それをレンタルで借りたCDをカセットやMDに録音して、
大音量で音楽を流しながら車を運転するというのはですね、
大きな楽しみになりましたね。
趣味になりましたね。
これで聴く場所もですね、できたわけなんですけど、
これがですね、今度大学の3年生ぐらいになるとですね、
さっきも紹介しましたように、
この映像付きでですね、
できるようになったので、
これが大量にですね、今まだ保存されている状態になっています。
これはですね、今VHSがそもそもないので、
見ることはできないんですけど、
かなり希少な映像がね、今膨らまれている可能性があるかなと思っています。
これでさっき紹介したように、
高校時代はボーイとかを聴いていてですね、
そしてブルーハーツとか出てきてですね、
ユニコーンとかですね、聴いておりましたけど、
大学に入る頃からですね、
いわゆるビーング系と言われている、
ビーズに始まってザード、
ワンズ、ティーボラン、レフとかですね、
いろんな方がフィールドビューとかですね、
今フィールドビューめっちゃ流行っているんですけど、
30年ぶりにですね、今世界中でヒットしているらしいんですけど、
こういう人たちが出てきたことによって、
ビーング系を聴くようになりました。
そして高校時代から聴いていたのがTMネットワーク、
小室哲哉さんの曲が好きで、
いわゆるTKサウンドというものをね、聴いておりました。
この中でようやく、
女性ボーカリストとして
最初に好きになった人っていうのが、
当時ビーングに所属していました、
ミケというですね、3人組のアイドルグループがあったんですけど、
この宇徳恵子さんでした。
宇徳恵子さんは、もともとミケとして、
アイドルとしてデビューする前は、
踊るポンポクリンで有名なBBクイーンズというところの
バックコーラスをしている3人組だったんだけど、
これが独立してミケとして出たんですけど、
このね、センターにいる女の子の
宇徳恵子さんが大好きなんですね。
これに関してはまた、詳しくは栄夜音楽ラジオの方で
過去に喋っているので、ぜひまた見ていただきたいんですけど、
さらにこのビーング系でですね、
ザードの坂井泉さん、
さらには大黒巻とかですね、
好きになっていくわけなんですけど、
そしてもう一人ですね、これ高校時代から少し聞いてたんだけど、
大学時代かなにより聞くようになったのが
濱田まりさん。
濱田まりさんはですね、
非常に好きで、今でも一番好きな
アーティストで、ここにもありますけどね、
最近40周年ですね、
CD出しましたけど、別アルバム出しましたけど、
これもね、貼っておりますが大好きなんです。
この今お話しした
宇徳恵子さんはとにかく
性格が好きなんですね。
この性格の良さの部分と
そして坂井泉さんの
ビジュアルですね、と
濱田まりさんのロックヘビーメタっていう楽曲性、
この3つの要素を融合させたのが
今僕がやっているAIシンガーの
ミリアなんですね。ミリアちゃんという人は
この3つの要素をうまく取り上げて、
見た目はちょっと坂井泉ぽいでしょ、ポニーテールしてて。
一応性格はこの宇徳恵子さんぽい
ってことをイメージしていて、そして曲調は
非常にロックとかヘビーメタを歌うという
濱田まりのポイントが入っているというですね、
この3つの要素でできているのがミリアという
女性AIシンガーなんですけど、手物になっているのは
この大学時代からのですね、
ついているものになります。
今度ね、男性ボーカリストは
振り返ってみるとですね、やっぱり先ほど紹介しました
高校の時に好きだった女の子の
尾崎豊はやっぱり
好きだった女の子の影響で聞いた
尾崎豊は相当僕の人生にも影響を与えたと
さっき話しましたよね。さらにはね、徳永秀明
ですね、徳永秀明さんは
うちの母親が僕が
聞いてたのを聞いて、ファンになって
くれたこともあって、特に
思い出がある、そしてモテない男性
というかですね、そういうキャラとして
いろんな詩を書いていてですね、好きな人で徳永秀明さん
そしてもう一人モテないといえばですね
濱田翔吾。この3人の
曲や歌詞、世界観
っていうものがですね、強く影響を受けたと思っていて
なので孤独だったりとか、男性側の気持ちとか
恋愛に対しての片思いの曲とか
こういったものをですね、今の僕のですね
歌詞を今自分で書いてますけど、影響を受けてるんじゃないかな
と思ってますね。はい
社会人時代の音楽とビジネスの融合
これでですね、社会人になります
社会人になるとですね、父親の会社に
入社してですね、営業職として東京営業所の方に
所属されます。当時ですね
学生時代に使っていたカーオーディオと
スピーカーが乗っていた車はですね
東京に持って行くことができなくて、廃車になったんですね
このスピーカーとオーディオをですね、営業者に
積み込んでですね、全国を営業で
車で移動しながら音楽を聴いて
営業するというスタンスが始まったわけなんですね
で、これでですね
録音するものと、そしてそれを聴くものっていうのが
うまく揃ってですね
国内をですね、回り始めるわけですね
当時はですね、1994年からですけど
営業者にですね、MDチェンジャー
っていうのを積んでまして、複数のMDをですね
交換しないでも連続再生できるような環境とか
CDチェンジャーを積んでまして
なんせですね、東京から青森までですね
700キロぐらい車で
移動するみたいなことをやってたんで、だからもう7時間8時間は
もう走りっぱなしなんですね
その時にずっと音楽をですね、聴くっていうことをやってたので
だから仕事をしている時間よりも多分
音楽を聴いている時間の方が長いぐらいですね
で、やってました。でもその時はね
いわゆる誰かのアーティストをずっと
聴いていくこともやってたけど
毎日いろんな曲をですね、録音していたので
その毎日のヒット曲を順番に
ループして聴いているっていう感じが多かったような気がしますけどね
そういう形で全国各地に営業に行ってました
そうすると今度はですね
営業で車で回っていると、営業先に
いわゆる中古CDショップがあるわけですよ
そこにですね、訪問してみるとですね
そうすると
阿行から和行までアーティストが順番に並んでいるわけですね
その棚のCDの背拍子ですね
を一個一個眺めていって
知らないアーティストはいないのかな
知らないアーティストの名前が出てくると出してみてどんな人かな
で、そのジャケ買いって言うんですけど
見て気になるような人がいれば
それを買うというのをやってましたね
なのでジャケ買いとか
あとはですね、レーベルとかスペシャルサンクス
って裏に書いているので
この音楽事務所系だったらいい曲がありそうだとか
この人の系列だったらいい曲がありそうとか
見ながらですね、ジャケ買いをしてですね
音楽を新しく探すということを始めました
だからヒット曲はもう全部網羅していたので
ヒット曲ではなくて、ヒットしないけど
いいアーティストいないかなというのをですね
社会人になってから始めました
当時はビジュアル系のインディーズバンドにはまっていまして
ちょうどバクチクとかXジャパンとか出てきて
その後はマリズミゼルが出てきまして
そこからディルアングレイとか出てきて
そこからですね、さらにいっぱいいるんですけど
それをガーッと聴いていくわけなんですね
その中で、これ言ったら怒られるんだけど
ラルカンシェルっていうのはビジュアル系じゃないんですが
ラルカンシェルも集めていたところですね
なんとまだ有名になる前の
インディーズ時代の貴重なライブ会場で
配布しているようなCDがあって
それをですね
数万円出して購入したりしてましたね
これが今でこそインターネットが普及しているから
ネットから買えるんだけど
当時はインターネットがまだ普及してないので
その中古のCDショップから
中古CDの一覧になっているものが紙で
郵送で送られてくるんですね
そのちっちゃい時に1行ずつアーティスト名曲名と
どんな曲が入ってます、いくらですみたいなの書いてて
それをですね1行ずつ見ながら
気になる人があったらそれを注文する
ってことをやっておりました
そこでさっきのラルカンシェルの曲を見つけたりしたんですけど
そんな生活をしてました
なので実は
結婚した時にですね
うちの妻からどのくらいの給料をもらっていて
どのくらいの家賃どこに住んでいて
どんな生活してるかってことをだんだん把握されますよね
で、計算されたんですよ
給料と生活費を計算してもう貯金額が合わないと
問い詰められまして
で、大量に音楽に投資したってことをですね
剥除することになってしまうんですけど
たぶんね
10万円くらいとかは毎月使ってたんじゃないかなと思うんですよね
そんな問い詰められるくらいだから
たぶんほとんど使ってたんだと思うんで
そのくらい×12でしょ
120万でしょ1年間で
×10年
だから1000万くらい
1000万以上はたぶん僕突っ込んでるんじゃないかなと思うんですけど
そういう生活をしておりました
ということで今現在では
カセットテープが数百本くらいで
CDが数百枚くらいでMDも数百枚くらいあって
膨大なコレクションが今持っていてですね
音源ではなくてVHSの映像まで含めると
自分自身の音楽アーカイブがここで形成されていたんですね
なのでラージランゲージモデルと
ラージメロディモデルとですね
この2つはこの膨大なコレクションの聞いてきた
そしてそれを聞き続けてきたことから
生まれてるんじゃないかなと思うんですよね
これで東京にですね
5年いましてそれから仙台営業所を
立ち上げることになりまして
僕は営業所長としてですね
行くわけなんですけどこの時にですね
やっぱり部下や同僚とのコミュニケーションを
自分が上司に初めてなったので
していかなきゃいけないってことになって
音楽を介してコミュニケーション取ろうってことを考えたんですね
当時はよく一緒にカラオケも行ってましたし
音楽をね色々聞き合うことやってたんですね
それでその人たちが聞いてる音楽を
教えてもらって
そういう音楽聞いてるんだったらこの音楽聞いたらいいよ
みたいないわゆる音楽ソムリエみたいなね
ことをねやってましたそこでですね
その人の好みに合わせてオリジナルで選曲した
CDを作ってプレゼントするようなことをですね
始めたんですね
そこでですね
マイベストカラオケ、ロッキン、ラフィン
リッスン、ルッキンというですね
という形でラ、リ、ル、レ、ロなんですけど
ラがですねラフィン
お笑い系の面白い音楽を集めたのがラフィンですね
リッスンっていうのがリですね
これが注目の聴いてほしい曲を集めたのがリッスン
リッスンはみんなが好きそうなヒット曲ですね
これがリッスンですね
ルッキンっていうのは注目の曲だけを集めたものがルッキン
同僚と一緒にカラオケ行くので
カラオケでみんなが歌って盛り上がる曲がカラオケレッスンですね
がありまして最後ロッキン
これは僕が聴いているロックのみんなにも
普及させたいのでそれを集めたものがロッキンというもので
ラ、リ、ル、レ、ロですね
1枚74分で12、3曲くらい入ると思うんですけど
これを10セット以上作ったんじゃないかなと思うんですけど
同僚に配ったりしてました
そうすると
同僚がですね
自分が作った選挙のCDを人から人に
実は知らない間に渡っていてですね
そしてあるガソリンスタンドで
僕のCDがBGMで流れているということを知ったんですね
これで自分が選んだ曲が誰かに聴いてもらえるんだという
DJとか
いわゆるソムリエみたいなものが
仕事になったらいいなと思って
そういう会社を作ろうと思って
父親の会社を辞めようと思った時に
父はその話をしたんですね
笑ってましたけどそんな仕事ないよと言ってましたけど
今となってはDJという仕事もそうだし
例えばプレイリストというもので
やっぱり上手にプレイリストを作る人というのが
人気があるというのは同じだと思うんだけど
こういうものというのがインフルエンサーですよね
インフルエンサーという言葉は当時はないから
要はそういうことなんですよね
これをやってました
僕は同僚にも配っていたんだけど
当時はまだ結婚してませんけど
結婚することになったら妻にもですね
自分が選曲したCDをプレゼントいくつもしたし
ギリの母の方にもプレゼントしたし
うちの長男にもですね
その人に合わせたオリジナルCDを作って
渡すっていうことをやってました
息子の場合はですね
成長すると今度本人から曲のリクエストが来て
それに自分がお勧めしたい曲を加えてですね
それでCDをプレゼントするという
親子間の音楽コミュニケーションもできてきた
音楽を通して例えばギリの母とか
妻とか子供とかとですね
コミュニケーションすることもできるということを
やっているんですね
いろんな音楽を聴いてきたので
どういうアーティストでどういう曲を聴いてきたかというのは
今回はやりませんけど
1980年代から2000年代にかけて幅広い音楽を
聴き続けたということは間違いないのかなと思っています
これで社会人になって
東京5年そして仙台5年いまして
その後結婚して新潟に来るわけなんですね
こっから以降というのは
仕事が忙しかったというのもあるのかもしれませんけど
特にハマった
強烈に残ったというアーティストは
実はあんまりいなくて
多分記憶に残っている限りでは
2組くらいしかいないですね
一つが和製ホラーのビジュアル系バンドの
キリューというバンド
このバンドは非常に音楽性が和を意識しているような歌詞になって
曲名が全部日本語なんですね
歌詞も日本語が多くて
和テイストの和楽器とか取り入れている
非常に面白いバンドなんですけど
キリューはかなり聴きましたね
最近では女性5人組のロックバンドの
バンドメイドというもの
世界ではベイビーメタルとか話題になっていますけど
ベイビーメタルの後発で
今世界でも流行っているというか注目されている
バンドメイドというグループがあるんですけど
この曲もよく聴きましたね
だからキリューが知った年とバンドメイドが知った年
1年間ほぼこの曲だけしか聴いていない
という年があったりしましたけど
一方で若い頃好きだった
濱田麻里さんというのは
当時はヘビーメタルから始まったんだけど
リターントゥマイセルフというヒット曲を生まれた頃から
ポップになってそこからちょっとおとなしい曲になっちゃった
1回離れたんですけど
また彼女がヘビーメタルに戻ってきまして
未だに元気でヘビーメタルを歌っているんですけど
今もう1回再燃して
今最も好きなアーティストの人になっているのが
濱田麻里さんですね
この音楽性を今ですね
メディアの方に反映していると言ってもいいんじゃないかな
と思っております
音楽メディアとしてはレコード時代から
カセット、CD、MD、iTunesによる
ダウンロード、音楽サブスクへと移行が行われていて
全ての変化をリアルタイムで経験しながら
40年間に渡って音楽を聴き集め続けてきた
ということですね
それでようやく僕は起業するわけですね
2007年に起業した際には
今の本業でありますネットビジネスアナリストという
肩書と電脳アイデア専任という
2つの肩書を持っているんですけど
とは別にですね
音楽コンサルタントという肩書を実は作って活動を
細々とやってたんですね
さらには音楽コンサルタント協会という公式サイトまで
立ち上げて
ミュージシャンの方がどうやってSNSとかを使って
有名になるかっていうね
そういうセミナーも過去やったことあるんですけど
企業が音楽を活用してサービスを作る方法とか
いわゆる音楽×ビジネスのコンサルティングというのも
やっていこうという会社を作ったんだけど
この仕事がほとんど来なくて
趣味なんでしょって言われてるんだけど
趣味じゃなくて音楽はビジネスになるんですよ
って言ってたんですが
まさかこれが20年近く経って
生成AI時代にですね
再び音楽を仕事にするという構想が
花開くなんてのは当時は全く思ってなかったんだけど
今は現実味を帯びたものになってるんじゃないかな
と思いますね
AI音楽との出会いとMIRIAの誕生
2024年の4月頃に
音楽生成AIのSUNOと出会いました
最初は試しに触ってみる程度で
僕1曲だけ今iTunesに登録してる曲あるんだけど
これはこの頃作った曲なんですが
面白いでしょって言ってる程度だったのは
クオリティが低くて
そのままでは使い物にならなくて
編集とかしなければ全然ダメだったんですよ
ところがこれがだんだん歌唱が上手になって
楽曲生成能力が上がってきたので
これは使えるんじゃないのと気づいたのが
2024年の12月ぐらいです
この時にSUNOのバージョンが3.5から4に進化しまして
それで普通の音楽の
いわゆる4分とか5分ぐらいの曲っていうのが
フルで高品質で生成できるようになったんですね
この時にペルソナという機能が
今はボイスって名前になりましたけど
これで2020年11月29日に
今自分を代表するAIシンガーであります
MIRIAが誕生したわけですね
先ほど紹介した宇徳圭子さん
坂井泉さん浜田麻里さん
この3つの影響を受けて
自分なりに融合したコンセプトのAIアーティストが
誕生することになったわけなんですね
間もなく2年2歳になろうとしてますけど
こんな感じです
それでSUNOが出て2020年12月から
AIで音楽作ると1回に2曲できるんですね
だから1日2曲作ろうって決めてですね
そんな簡単なもんじゃなくて2曲どっかでたくさん作ってるんだけど
そこから2曲だけを絞って
みんなに聴かせてあげるってことをやってました
これが2020年12月からやっていて
ちょうどこの時にMixi2というサービスが始まったので
Mixi2の中で
音楽生成AIのコミュニティがあったので
そこに入ってですね
その方々に聴いてもらうっていうぐらいで活動してたので
ほとんど曲が聴かれないで
再生回数も5回とか10回とか
そんなものしかいかないっていうのがずっとついてたんです
それが2024年の12月から
年越して2025年の7月ぐらいまで
6月までですね
そのような形がついてたんだけど
2025年の7月1日からですね
ちょっと幅を広げようということで
YouTubeに配信するってことを始めたのが
2020年の7月からです
25年の7月からです
今ちょうど1年ちょっと経ったからまだね
だけどYouTubeにあげてもほとんど泣かず飛ばずで
再生回数も全然10回とか20回とかいかないぐらいだったんですね
それでずっときまして
2025年が終わって
2026年になるわけですね
この26年になるタイミングぐらいの時に
SU-NOのバージョンがまた1個上がるということがあったんですけど
この時にですね
今のVOICEっていう名前ですけど
この機能の精度がめちゃくちゃ上がったんですね
これで声がちゃんと再現できるようになってきたんですよ
それまではですね
スタイルを変えると曲調が変わったりしてたんだけど
これが変わらないようにできるようになったんですね
ということでこの頃からですね良くなってきたんですけど
もう1個は2026年になるぐらいの時に言われたのは
この年26年から著作権でたくさん訴えられているので
MIRIAというVOICEはもしかしたら使えなくなるんじゃないかという噂があったわけです
なので2025年の暮れぐらいから
もう思い残すことがないように
いろんな曲をMIRIAに歌わせようということで
今まではとびとびで思いついた時にMIRIAちゃんの曲を作ってたんだけど
2025年の12月からは
毎日1曲ずついろんなテーマで曲を歌わせようと
だからボサノバ調だったりとかアカペラだったりとか
いろんな曲を作ってきたんだけど
こういうことを始めたのは2025年の12月から
これ始めまして
でもそんなに泣かず飛ばずで来たわけですね
年越しまして2026年の2月にお待たせしました
このAI音楽ラジオを始めることになったわけなんですけど
ここでトモミンと出会ったことによって
僕のAI音楽人生は大きく変わりました
彼女の影響で曲の作り方、詩の書き方、そしてテーマ、世界観ですね
いろんなことを教えてもらいまして
それを反映させていきました
スーノP・ヨコタンっていう名前に変えたのもこの時からですね
そこから一気に変わったんですね
たぶん2026年の2月時点では
僕スーノのフォロワー数ってまだ2桁ぐらい
20人とか30人しかいなかったと思うんですけど
今1800人なんですね
なのでまだ3,4,5,6,7,8,9だから半年ぐらいしか経ってないんですよ
ここまで成長させることができました
これにはいろんな仕掛けもしましたし
いろんなことも取り組んできたんですけど
本当に彼女の影響は大きいですね
いろんな曲の作り方のアイディアをいただいたり
アドバイスをいただいて
それをですね
全部自分のものにしてきたつもりです
ともにいかがでしょうか
できてるでしょうか
彼女が作っている音楽にも影響を受けて
そっか、曲ってこうやって作ればいいんだということで
いろんなことを教えてもらったりもしました
今があるわけなんですね
AI音楽が拓く新たな可能性
ということでですね
このような生活をしてくるきっかけとなった出来事をですね
今日は自分の人生を振り返ってみました
映画音楽というものがこれからどうなっていくのかということは
まだ未知数でありますけど
自分の人生というものをどのように曲にするか
歌詞にするかテーマにするかということをしていくのを
僕はずっとテーマにしていまして
自分の考えていること
思っていること
自分がやってきたこと
自分が体験したこと
自分がですね
振られたこと
こうしたことということを
全部僕は曲になっています
これを自分の気持ちが入っている作品としてですね
世に出していっています
もちろん全然関係ない
空想で作った曲もいっぱいあるんですけど
僕が作った曲も相当たくさんありますので
ぜひその辺もね
聞いていただければ嬉しいなと思っています
はいということで
今日は1時間ぐらいに渡りまして
僕の映画音楽を作るルーツというものを紹介いたしました
ぜひこのように1回
自分の人生の音楽との関わり方というのを
こういうふうに洗い出ししてもらったらですね
皆さんのそこに強みがわかってくると思います
ぜひね
ラージランゲージモデルを
自分用のものを作るとか
ラージメロディモデルを作るとかということもですね
ぜひそれがですね
自分の財産となって
自分のオリジナルとしてですね
世に出していけます
今日ね冒頭のように話しましたけど
僕はもともと歌は上手ではないし
今でも上手じゃないし
楽器は演奏できないし
音楽理論は一切わからないし
そんな人間でも
今数の音楽生成ランキングで
総再生回数ランキングで今12位まで来てるっていうのは
全てですね
その自分の形にするものをですね
表現することってできてるからなんですね
これはね
チャンスでもあるんですね
ここにまだミュージシャンとか
すごい人が入ってきてないから
僕この位置にいるんであって
本物が入ってきたら
僕なんかって吹っ飛ぶわけですよ
でも今そのぐらい可能性があるから
昔音楽好きだったけど
やっぱり楽儀を優先して断念したとか
ミュージシャンになろうと思ってたけど
結局無理で諦めたとか
っていう人も
今40代50代の人もですね
まだチャンスあります
ここからもう一花咲かせましょうと
人生ね
まだいろいろできますよ
逆にその経験が
全て皆さんの曲になって
返していくことができますので
それらをね
今見た僕みたいに
洗い出ししてみてください
そうするとですね
それが共感する人が
たくさん現れてくるんじゃないかな
と思いますので
そういう活動をね
一緒にしていきましょう
それのサポートすることが
僕もできたら嬉しいなと思ってますので
また引き続きですね
エイヤー音楽ラジオも
頑張ってやっていきたいと思ってますので
よろしくお願いいたします
はいということで
1時間ぐらいに渡りまして
お話しさせていただきました
以上で終わりたいと思います
エイヤー音楽ラジオ
すんのぴーよこたんでした
ではまた次回お会いしましょう
ありがとうございました
バイバイ
58:57

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