#28-2 言語化したデータベースの可能性と無意識レベルを理解する限界
2026-06-03 43:59

#28-2 言語化したデータベースの可能性と無意識レベルを理解する限界

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堀 寛史

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田代雄斗

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サマリー

今回のエピソードでは、情報過多な現代社会において、セラピストがどのように情報を選択し活用すべきか、そして「言語化されたデータベース」の可能性と無意識レベルの理解の限界について掘り下げています。裁判におけるAIの活用と、それに伴うデータ収集と解釈の重要性、そして俗人的な情報収集能力の価値が語られました。また、食べログやGoogleレビューといった二次情報だけでなく、YouTubeで料理人の技術を見るように、一次情報や身体を通した情報体験の重要性が強調されました。病院や施設における情報発信のあり方についても議論され、表面的な情報だけでなく、裏側を見せることの信頼性や、そこで働く人々の質が伝わることの重要性が指摘されました。さらに、ポッドキャスト文化の現状や、継続的な情報発信の難しさ、そして「ネタ切れ」を防ぐための工夫についても触れられました。後半では、自身の思考や経験をデータベース化することの意義、特に無意識レベルの癖や思考パターンを言語化し、自己理解を深めることの重要性が語られました。感情の言語化や、嫌なものを特定することで選択肢を絞り込む方法、そして「モヤモヤ」を言語化することのメンタルヘルスへの影響についても詳しく解説されました。最終的に、自己理解を深め、より良い情報選択やキャリア形成につなげるために、自身の経験や感情をデータベースとして蓄積し、外化していくことの重要性が結論付けられました。

00:02
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
情報選択の重要性とデータベースの可能性
Advanced Therapist、エピソード28本目の後半部分ということで、前半は結構データベースとか情報に関する話、色々していったんですけども、
改めて、これだけたくさん膨大に情報がある世の中の中で、さっきのATの話だとキャリア的な選択をするときに、どういう情報を選択すればいいかというのもありますし、
セラピストとして臨床だったり専門的な活動をするにしても、科学的な文献もたくさんあれば、世の中の健康に関する情報も色々あるわけなので、
どう選択して自分が活用するかみたいなところは、やっぱり考えておいたほうがいいかなと思うので、その辺りの話をしていこうと思います。
はい、お願いします。前回、色々なデータベースを集めていったり、情報をという話をしたんですけども、
AI時代におけるデータ収集と人間の解釈
情報の解釈の部分というのはあまり話していなかったなと思いつつ、今後の世の中ってどういうふうに動いていくかというと、
一つの例で言うと、裁判というものが、結局判例主義なわけですね。
そうなると判例は確実にAIが強いんですよ。
そうなってきたときに、裁判官の判断というのは、究極はAIに任せたほうが良くなると。
じゃあ裁判ってどうなるかって言ったら、データ収集次第になってくるわけですよね。
どんなデータを、例えば検察だとか弁護士が集めてくるか。
その集められたデータによって、その証拠と、あとはそのエビデンス、そして判例に基づいて判断されるようになってくるということなので、
結局は俗人性が強い、足で稼いでる人が強いってことなんですね。
その人にしかない情報を持ってたら、その人の価値が高まるってことですね。
そうなんですよ。だからAIがたくさんいろいろできることになったところで、
結局人が集めてくるデータっていうのは、データを集める際にそこに解釈があるわけですよね。
これが正しい、これはいらないっていう、取捨選択の判断が出てくると。
その取捨選択をしていくという人間の判断というところに、実はこれからの世の中というのは影響され得るってことなんですよね。
情報でいうと、できるだけ一時情報に近い情報も集めてくるし、
自分の体を通して情報を取ってくるっていうのも大事だし、
それによってたぶん二次情報とか三次情報であっても、
違和感を感じられたりとか、直感的に送られたりするんじゃないかという判断もできてくるかなと思うので、
やっぱり今、身体制の需要線が高まってくるような気がします。
食体験から学ぶ技術と定性的な情報の価値
本当に。僕は外食が好きなんですけど、ご飯を食べるときに、
食べログだとかグーグルの情報はそこそこ見るんだけれども、
一番好きなのはYouTubeで、そのお店を30分くらい丸一日を追って、
その人たちが料理を作っているYouTubeとかって見ます?
あんまり見ないですね。
僕、それすっごい好きで見るんですよ。そういう店に行きます。
要はその人たちの包丁さばきだとか鍋さばきだとか、やっぱり技術が見えるので、
その技術が見えて、本当に技術価値が高いところは、
味が合わなかったとしてもうまいはずなんですよ。
それが例えば、よく学生にも言うんですけども、
高級イタリアンとサイゼリアの違いっていうのは、
高級イタリアンっていうのは人が作っていると。
サイゼリアっていうのはセントラルキッチンで作ってきたものを温めていると。
だから味の安定性はあるが、そこに技術だとかっていうのは基本的にないし、
それを担保しているのが支援店なんだよって話はよくするんですけども、
僕はやっぱり技術が好きなので、
その技術というものが追えるのはYouTubeで料理作っている姿とかなんですよね。
なるほど。なので、星いくつみたいな分かりやすい定量的なところだけじゃない、
定性的な部分みたいなところが長時間の動画とかだと現れてくると思いますし、
そういうところから判断できると間違いづらくはなるかなと思います。
病院・施設における情報発信と信頼性
そうです。なので、誰かがここは美味しいよというステルスマーケティングも絶対あるわけですよね。
そこの判断というものをもちろん、例えば誰かとご飯食べに行くときに、
人に紹介するときにここって点数が高いから行こうかということはあったとしても、
個人一人で行くときはあんまりその判断をしないんですよね。
例えばセラピストのキャリアとかの就職とかの店だとしても、
年収いくらとか、この先輩がいいって言ってたみたいな感じじゃなくて、
例えばいい人採用しようみたいな病院とかがあったとしたら、
その病院で活動している様子みたいなものが、
もちろん個人情報は配慮しないといけないんですけど、
長く発信したりすると本当に伝えたいことが伝わって、
いい人が集まってくるみたいな感じもないんですか。
本当に病院だからどこまでパブリックに見せれるかというのは、
一旦ちょっと横に置きますけれども、
例えばリハ室とかあるいはスタッフルームの整頓されている状況だとか、
上司の机の上とか見たら大体わかるだろうなと思っています。
やっぱり上司の机の上が散らかっているっていうことは、
いろいろな情報が整理できていないはずなんですよね。
かつリハ室が片付けられてなくて、車椅子がどっかにあったりすると、
これは絶対定期的に事故が起きているはずなんですよ。
そういったものが本当は管理という世界で見られるでしょうし、
あとはバッと朝一からのリハのリハ室の場面だとか病棟の場面を見たときに、
どんなことをやっているかというので、
そこの考え方だとか流れというのは見えますので、
結構本当は見学で専門学生が選ぶときに、
教員と一緒に見たらわかるんだろうなと思ったりします。
確かに。
こういう就職説明会とか見学みたいな場になると、
たぶん作っちゃう部分もあると思いますし、
普段から日常的に裏側も見せるみたいなことまでしておくと、
患者さん側からしてもお信頼できるなみたいなかもしれないし、
働く人も集まってくる、いい従業員になりそうな気がするので、
大変なところはあると思いますけど、
そういう施設があってもいいなと思っています。
ポッドキャスト文化と継続性の課題
今その真逆という方向はあれですけど、
僕の中では真逆なのが楽しい雰囲気ですみたいなのを
インスタで踊ったりだとか、
僕はあれあんまり好きじゃないですよ。
そうではなくて、
例えば勉強会の様子だとか、
上司の考え方だとか、
就職ってやっぱり人生を賭けに行くので、
ご飯を食べに行くとだいぶ違うわけですよね。
そこにすごくお互いにとっての影響関係があるわけだから、
きちっとした情報の方がいいだろうと。
ただきちっとした情報はフォロワーがつかないんですよね。
そこのアンビバレントな問題をどうクリアするかでしょうけども、
いらない人が10人来るより、
いい人が1人来てくれる方がいいかなと思ったりします。
個人的にはなんですけど、
もっと病院とかでこういうポッドキャストの配信とかしてくれたらいいなと思ったりしてて、
やっぱり上司と部下とかで話してる様子とか、
同僚同士とかでもいいと思うんですけど、
そういうとこに関係性とか、
どんだけ学んでるかにじみ出てくるような気がするので、
そういうのあったら聞きたいなと思います。
本来はポッドキャストコンテンツってそういう風になされるべきですし、
割とアメリカなんてそういうポッドキャスト文化が根付いてるところはそうですけど、
日本は一つポッドキャスト文化が根付けきらないというのは、
ラジオが強いというのはあると思うんですよね。
やっぱりいわゆる専門のパーソナリティと音楽との中でのラジオが一つ強すぎるということがあるのと、
あと実際にポッドキャストをやるときに、
そんだけ喋れる人がいるかというのが気になってくるんですね。
ただ今田中さんが言うように、
上司と主任が喋ってて、
最近の新人はみたいなとか、
あるいは新人の人が来て話していくとかっていうのは、
ちょっと聞いてみたいと思うんですけど、
病院の上が許さないとかあるでしょうね。
今のところないですよね、多分そういう施設として。
もしかしたらYouTubeの、インスタとかはありますけどね。
だから本当は大学とかでもやればいいんでしょうけれども、
じゃあうちの大学でやるから多分やらないでしょうね。
たまに大学とかだったらあるような気がしますね。
教授と学生で一緒にやってるとかあるような気がするんで、
オリジナルの周りの中だったら面白いかもしれないですね。
僕も学生もやりたいとかって言ってくる子いるんですね。
だけどこれって僕がすごくポッドキャストとかを重要視しているところで言うと、
継続性なんですよ。
継続するかな?
そうですね、なかなか確かに。
学校だと学生もどんどん変わっていくし、
教員も変わっていく可能性があるような気がするんで、
確かにちょっと難しいときに勉強しましたね。
なので誰かすごく優秀なプロデュース、優秀である人じゃないですけど、
プロデュースできる人がいて企画を立てて、
例えば100回こういうことやりましょうとかっていう企画で、
人を選んでいくとかっていうことができれば多分うまくいくんですよね。
僕はどちらかというと、
このアドバンススラピストもそうですし、
もう一つのヨムヨム白紙ラジオもそうですけども、
何の準備もしないわけですよ。
それでもいい。
そっちが大好きなんですね。
それが逆に何か決められてしまうと話せなくなったりするので、
僕と例えば学生がやろうとしたときに、
この脚本でお願いしますとかって言われると、
最初に脚本にケチがついてしまって、
学生がやりづらい。
だから学生同士でやってくれて、
1回だけ呼んでもらうとかっていうのはありだと思います。
確かにそうですね。
確かにそういう難しさはあるような気がしましたし。
なので、さっきの病院とか施設でやるっていうときは、
中だけじゃなくて第三者的なプロデューサーがいて、
中、方向性もデザインしてみたいな感じであれば継続性もあるし、
中だけでやらないっていうのがいいかもなと。
本当に最近ポッドキャストの作り方みたいな本、
それかYouTubeかなんかでやってましたけど、
結局ネタ切れが一番怖いんですよね。
ネタ切れをしやすいテーマでやってしまうと影響があるので、
一人オタクみたいな人を連れてきて喋らそうっていうのは一番楽なんですよね。
ガンダムとかのオタクだったら多分何百本も喋れるわけですよ。
だから理学療法でどこまで喋れるかっていうところ、
僕らも理学療法じゃないネタをいっぱい喋るわけですし、
理学療法単体で喋ろうと思ったら結構限界ありますよね。
そうですね。改めて考えていくと、
引用の活用と自己表現の進化
もしどこかの病院でやろうと思ったとしても、
患者さんの個人名はなかなか出せないとか、
知ってるけど出せないものがたくさんありすぎて、
言いづらくなってみたいなところは結構ありますね。
結構今病院がちゃんとやってるところって、
ブログとかをやってるところは多いと思うんですよね。
誰かが学会発表しましたとか、こんな新聞作りましたみたいな。
でもあれって読者がつかないんですよね。
物語性がなかったりだとか、
近視さがなかったりしたら、どちらかというと
ポジショントーク的になるというか、
うちはこれだけ学会発表してますみたいな。
そういったのだとすると見はするけども、
肯定的に見られない。要はXで言うといいねとか、
ノートで言うと好きがつかないっていうやつですよね。
そうか。そういう意味だと、
アドバンスセラピスがどこまでいくかは分からないですけど、
こういうふうにある程度フラットな立場のところがありつつ、
そこに読み上げるところがあれば対談して
飲んできてもらう。そういうほうがまだ現実的な感じですかね。
本来はそれが現実的だと思いますし、
結構誰だったかな。何かの時にゲスト、
例えば2人でこういうふうに喋ってる時に、
ゲストが来る会は飛ばすとかって人もいるらしいですね。
そういうのもあるらしいですね。
ゲストが入ってきたら、この2人の話を聞いてるのに
ゲストいないやろうとかっていうような、
聞く側の、確かにコテンラジオとか聞いてた時に
ゲスト会よりも連載会の方が面白いんですよね。
そうですね。物によってはそういうゲストの話を聞きたいっていうので
集まってくるところもあるかもしれないですけど、
番組の構成次第ですかね。
本当にこう、Podcastを作っていく音声コンテンツ、
全てにおいてコンテンツを作っていくっていうものも
おそらくはベースには、
これはいわゆるナレッジOSがあってやってることなんですね。
例えばこれが小学生がやると現実的無理なわけじゃないですか。
だけどその経験値があったり学問値があったり、
いろいろなナレッジOSの中に含まれてるデータベースを
喋ってるわけなので、
やはりデータベースを揃えていくっていうのは人生の中で
アウトプットしていくことにおいてもすごく重要だし、
アウトプットができないのって結構苦しいことだろうなと僕は思うんですね。
それはこの前チリでそうだったんですよ。
日本語が喋れないっていうことがすごい苦痛だったので、
なんかアウトプットしやすいっていう状態を作っておく。
なのでPodcastを例えばやりたいとかってなった時に
どんなことでもいいし、
オーディエンスが増えなくてもいいから
継続的にやっていくとかっていう人が強いんでしょうね。
そうですね。
多分そういうことができる人の方が精神的な健康度も高そうな気はするんで。
さっきの話の中でも、例えば医療会話福祉みたいな協会の人だと、
広く表に話せない内容が多いからコミュニケーション取る人としては
うちは同士だけになっちゃって
世界は広がりづらいみたいなところはある気がするんで
データベースみたいなのと考えながら
メンタルヘルスとかに通じていきそうだなと。
本当なので、このアドバンスセラピスト自体で話している内容も
個人のナレッジデータベース、ナレッジOSの中に入れ込まなきゃいけないですね。
なんか上手に入れて、そして本当に判断基準だとか
あとはどういったことを連呼しているかですよね。
僕は自分自身の中でものすごい気をつけているわけではないですが
できるだけ同じ話とか同じ内容を繰り返さないようには
ちょっと気をつけてはいるんですね。
だけども、絶対に繰り返し言ってる話があるはずなんですよ。
そういうのが何かを調べたいです。
そうですね。
このアドバンスセラピストだと一応最近
サブスタックというニュースレターもやろうかなと思って始めたのと
ノートで記事で文字起こしして書いてある部分もあるので
それぞれ読み込ましたら多分出てくるものもあるかなと思いますけど
多分何だかんだよく言ってるのは学位大事だよね
というようなよく言ってそうな気がしますね。
そうですね。
取り決めごとのぶれなさというのでは学位大事でしょうね。
だけども何かこの人っていつも最後に結論付けるときに
こういう話をするのよねみたいな
犯人はお前だみたいなのは僕あまり好きじゃないんですよ。
そうじゃないように気をつけているが
しかしやっぱり癖づいた内容だとか
癖づいた思考パターンというのがあって
それを自分をデータベースから引っ張り出したいです。
無意識レベルなんですね多分そういうところは。
そうです。口癖というところも含めてだと思いますけれども
無意識レベルでやっている
つまりその無意識レベルでやっているということは
おそらく大切にしているということと
あとはそれ以上深く考えていないということなので
自分が森先生とかと話す中で感じた部分でいくと
学生同士と集まって会議のときに
今後の目標をみんなで話すみたいなときとかも
やっぱりその学生たちが言う目標よりも
自分が一番いい目標を立てないとみたいな話も
成長志向みたいなところというか
労働者みたいなところが先生としてはあるという感じがします。
確かに今日よりも明日、明日よりも明後日というような
究極の啓蒙思想を持ってますよね。
本来は僕はアンチ啓蒙思想なんですけど
だけど自分自身の
いわゆる社会が啓蒙的にありすぎるというのはあまり好きじゃないんですよ。
もっと落ち着けよと。
だけど自分個人においては究極に啓蒙しまくってるんですよね。
このアンビバレントなものが何なのかっていうところは
確かに今おっしゃられて
そうですよね。僕はずっと自分自身を高めようとすることに
エネルギーを使い続けてますし
実際にチャッピーとの対話の中でも
頑張れない自分をどうしたらいいみたいな相談してますから
だけど他の人に言わせると
僕はものすごいドーパミンが非常に出てるタイプだから
すごい活動してるように見えると。
だけど僕自身はそんなに活動してるイメージはないんですよね。
そうなんですか。
だからむしろサボりすぎてるって思っちゃうんですね。自分が。
その辺ももっと情報収集して知らないとっていうのにもつながってる。
そうなんですね。だから本当に
自分自身がやっていること自体と
だからこれは他の人との平均値を取る必要はないかもしれませんけど
ある程度自分を納得させようと思ったときに
エビデンスデータがあって
これぐらいやっときゃいいかみたいなものは欲しいっちゃ欲しいですね。
そうですよね。
田代さんは自分のこういうデータベースとか結構欲しいタイプですか。
それとも全然それよりももっと知識として知りたいものがあったりしますか。
そうですね。なんか自分の中だと
最近その人文知的なところに興味が高まってきてて
もともと科学的な感じで考えることが多かったんで
そうするとこうなんかデータベースとか
作るイメージそこまでわからなかったですけど
前半部分でもあったような歴史的な記述とか
もうある程度固定化された情報みたいなところは
もっと集めて引用もできるようになりたいなと思ってますし
特に今の興味としてはそこがあるなという感じです。
確かにな。引用ってすごい重要な
和志田清和が接続詞のように引用を使うって表現されてたんですよね。
だから引用の使い方で自分の考え方を高めつつ
かつ自分自身のいわゆるN1の考えじゃないですよって
していくことが引用だと思うんですね。
いわゆるN2とかN3になってくる
第三者視点あるいは三人称視点になるために
引用で使えると思うんですよ。
あるいは事実関係でいうと
今日も研究会の中で話をしてたんですけど
わずかに増加したっていう表現は使うなと
小6とかに2.2ポイント増加したって書ける
そこがわずかにっていうのはあなたの判断であって
それを判断するのは読者だから
事実を書きなさいっていう指導をしてたんですけど
そういうところとあとはそのわずかにというものが
一体何なのか自分にとってわずかっていうのが
一体どうなのかっていうのも知りたいとかですね。
そんなことをやっぱり考えますね。
そうですね。自分はどっちかというと
科学的な形で論文を書いてきたっていうと
数字で他の人が同じように認識できるように書こう
みたいなことは意識してきたんですけど
本当に接続詞的な引用を使うとかっていうのは
全然これまでできてなかったなっていうところもあって
そういうことができてる人のしゃべり方とか
文章を読んだりするとか多いなっていうのもあるので
自分の中でも成長したいっていうのもあるからこそ
その辺に最近の意識を持っていますね。
今それでちょっと思い出しました。
僕ら哲学系の人たちっていうのは
めちゃくちゃ引用を使い続けてたんですね。
でもある時に僕の師匠にあたる浜渦先生っていう
哲学者がいるんですけど
一切引用を使わなくなったんですね。
それがかっこよかったんですよ。
引用はいらないって言って。
一周回るとそんな風になるんだと思ってて
僕は別に引用を嫌っているわけでもないし
引用しないわけではないんですけども
引用を使って何か説明しなきゃいけなくなってくる
ターンというのが少しずつ減ってきた感じがあった。
引用を使うことによって何かを説得しようとしている自分に
ちょっと疑問を感じたりすることもあるので
あくまでも論理的に正しさの方を求めていく感じが増えてきましたね。
引用も無理に使おうとするとちょっと違った解釈になっちゃったりとか
なかなか論が組み立てきれないっていうのもあるかなと思うんで
フェーズですね。
自分は本当知らなさすぎるからまずは知ろうという感じでやってます。
言葉の蓄積と引用の巧みな使い方
ただその引用って本当に面白いというか
ここでこういう引用を使いたいっていうことってあるんですね。
僕自身もすっかりと言葉は忘れちゃったんですけど
村上隆のコインロッカーベイビーズっていう小説があって
その中に僕すごい強烈に印象に残ってた言葉があって
これをどっかで使いたいってずっと思い続けてきて
プロの最後に使いました。
いいですね、そういう
ここで何かいつか使いたいみたいな言葉が蓄積しているのもいいですね。
なんかやっぱりかっこいい言葉ってあるんですよ。
かっこいい言葉に出会った時に
これはいつか使ってやろうっていう風に思うことは結構ありますし
例えば村上春樹の
僕が走る時に
そういう走りを考えることみたいなエッセイ集があって
その中に
痛みは耐えがたいが苦しみはオプショナルだって言葉があるんですね。
これは村上春樹の言葉ではなく
村上春樹が走っている最中に
誰かがそういう言葉のTシャツか何か着てたと
それ以来村上春樹は走る時にそれを常に考えるようになったと
僕もそれをもらって痛みの研究をしていたから
確かに痛みは耐えがたいと
だけどそれを苦しいと考えるかどうかっていうのは自分次第だ
苦しみはオプショナルだ
オプショナルな痛みっていうのを
それで多分論文を書いてます。
結構論文に使ってますね。
そういうような引用の仕方もしてきましたし
ある哲学者がこういう風に言っているとかっていう
結構長めの文章を引っ張り抜いて
引用に使うとかっていうことですし
結構3行以上の引用っていうのは
かぎ括弧で括るのではなくて
行を開けて3マス引伝として載せるんですよね
そういうような引用っていうのは結構僕は使ってきましたね
長い引用を使います僕は割と
本当に人文系の論文とかをこれまで書いたことがないんで
論文を引用するにしても科学的なところだと
数字を引っ張ってくるっていう感じが多かったですし
そっちのことを学んでいきたいなと最近は思いますね
ちょっと一発
理学療法推論学会で書いてください
僕が添削しますので
どういうテーマで行こうかなっていう感じですけどね
理学療法士の思考とかでもいいんじゃないですか
それをその理学療法士の思考の話なので
数字データではなくて
例えば思考に関する内容の引用を
思考とは何かみたいな形で
その時に理学療法士が進退制があった時に
進退制というのが例えば誰を
例えばメルロポンティを使うとか
あるいは古くからデカルトを使うとか
あるいは認識だからカントを使うとか
なんかそういうのができたものですよね
そうですね
ちょっとずつ収集してきた感じはありますけど
まだまとまってないんで
いつかどこかで文庫としてまとめられるように
頑張ってみたいな
その時に引用の使い方とかで
違ってたら僕らが指摘するので
こういう引用じゃない方がいいですとか
この引用の前後文脈はおそらく違いますとか
前後文脈がおそらく違いますと言われた時に
その引用を取るんではなくて
その引用の前後文脈まで載せるってことですよね
そうなった時に自分はこの解釈で
こういう風に考えたみたいなところの
そういう文章を書いてみてください
ちょっと考えてみます
AIによる文章分析と自己の癖の発見
1回書くと面白いですよ
苦しいですけどね
そうですよね
まだちょっとイメージ切れてないですけど
フォローしてアシストしてくれる人は
あまりちょっとできたかなと思って
いやでも確かに文章を書くって
最近本当にAIができてきて
僕らも書いた文章を修正させたりだとか
誤字脱字を見つけたりだとか
っていうようなことをやっていくので
綺麗にはなってきてるんですよね
最近僕が気づいたところで言うと
いわゆる英語の文型ってあるじゃないですか
SV、SVO、SVC、SVOC、SVOOっていう
僕の文章ってSVOOがないことに気づいて
SVOCとSVCなんですよ
僕が書く文章って
それをチャッピーとかに分析させて
SVOOの文章を
例えば僕が書くときに
できるだけSVOOの書き物も入れて
というような指示を出しています
自分の癖なんですよね
そういう無意識的な自分の癖みたいなことを
見つけてくれるのはやっぱり
CSAIの得意なところなんですかね
そうなんです
特にSVOOと言われるような書き方って
どちらかというと三人称的な文章になるんですね
私がこう思ってるとかっていうよりも
コップがこういう状態でこうだみたいな
僕は割とそういう文章が苦手だってことに気づきました
SVOOですね
そうなんです
たしろさんとかも
自分自身が書いた文章とかも
そういった分析をしてもらうと
面白いと思いますよ
そうですね
そういう文法的な分析したことなかった
でもノートとして過去
最近振り返ったら2018年ぐらいから
ちょこちょこっと書いてたところがあったんで
ちょっとその辺改めて見返して
分析したいみたいなと思いました
本当だから何て言ったらいいかな
誰に何をしたみたいな
あまり僕は人に何もしてないんだと思います
いつも自分はこう考えるっていうことだけ書いてて
誰かが自分が誰かをこうしたとか
誰かがこういうことを何かしたみたいな
書き文章をほとんど書いてないんだと思います
そこに着いたことはちょっと面白かったですね
性格とか思考の癖が出るですねやっぱり
そうなんですよ
なるほど
こんなところですかね
セラピストの仕事と人生における成長
ちょっとデータベース的なところ
あとどうかな
セラピストとして
これ聞いてくださっている方が
自分なりのデータを整理するとか
そういう時にこういうのをお勧めだよみたいな
医学療法として仕事をしていくときって
例えば仕事そのものにおいて
何かしらのデータベースとかっていうのは
逆に規制があるから使えないわけですよね
その規制というのはつまり
外部接続をされていないカルテの機械に
やらなきゃいけないから
結構自分で文章を書かなければいけないと
普段書くようなカルテの文章というものは
おそらく自分の人生に影響するような文章ではないわけですね
自分の感情だとか自分の考えとかが
あまり入っていないものですし
そういった文章が積み重ねていっても
人生における成長にはあまりならないと思うんですね
人生における成長というのは
やはりそのアフターファイブですよね
仕事以外の時に自分の考えというものを
どれくらい蓄積できるかって
結構重要だと思うんです
それがデータベース化するとか
ということじゃなくても
簡単に日記をつけるとかもそうでしょうし
歩きながらしゃべって
音声データに残していくということもそうでしょうし
自分の感情ですよね
感情というものが外に出ていかないと
妙な感情がちょっと専門的に言うと
浄土のまま蓄積していくというのが
よくないんですよ
つまり言語化されていない嫌な思いだとか
言語化されていない喜びだとか
言語化されていない悲しみっていうものが
心の中に残り続けるっていうのは
それって変な蓄積のされ方をされるので
認知から認識まで引き上げるという機会というのが
すごい重要だと思うんですね
誰かとしゃべるということでももちろんいいと思いますし
だけど誰かとしゃべるのって
フェーズが一個上なわけないですよね
人がいるから
そうじゃなくて独り言を言うっていうフェーズ
あるいは文字を書くっていうフェーズは
実はものすごくメンタルヘルシーに影響します
それはあるでしょうね
感情の言語化とメンタルヘルス
多分そういうモヤモヤみたいな言語化できないものが
蓄積するとバーアウトみたいな感じになりやすいと思いますし
今の表現が本当にすごく重要で
僕の知り合いもよくモヤモヤするとか
モヤつくっていう表現をするんですね
僕モヤモヤすることでないんですよ
だからモヤモヤって何?っていつも聞くんですね
モヤモヤ
僕未だにモヤモヤってのはあんまり分かっていないんですけども
割とはっきりと言語化してしまう
それが正しいか正しくないかは別だけども
割と自分の感情というのを一つのものの
切り分けてボックスに入れることが得意なので
モヤモヤするって何なんだろうな
それって怒りなの?悲しみなの?喜びなの?
とかいうのをすぐ聞いちゃいます
なるほど
自分はどっちかっていうともともとそんなに
あんまり感じたこととか言語化すること
そんな多いタイプじゃないんで
結構モヤモヤ感っていうのは何となく分かるんですけど
結構多いんじゃないかなと思いますね
本当それはそうなんです
本当にモヤモヤするっていう人たちが多いというのに
ここ数年で気づかされました
言語化すればいいじゃんって
それができないからモヤついてるんですよね
だから言語的なレベルを引き上げていくっていうものは
必ずしも幸福ではないかもしれませんけど
そういうモヤモヤ感というものはあまりないなと
それこそ最近というか福井施設で
自閉症の勉強会みたいなのあった時に
言語思考有利な人もいれば
ビジュアル進化っていうような視覚的な思考の方が
有利な人もいるっていうので
多分そういう人は言葉で発するんじゃなくて
絵に描くとか体を動かしてもいいかもしれないんですけど
何かしらで発散する方法もあるかもしれないんで
その過程で言語化できた方が伝わりやすいみたいなのがあるかもしれないんですけど
感情は言語が楽でしょうね
いわゆる感情を表現する言語パターンっていうのはすごくあるので
絵とか音楽とかってなってくると
感情を表現するまでの勉強が大変ですよね
だけど感情だからその
いわゆる自分の燃やつくパターンみたいなのを
15パターンとか20パターンぐらい準備して
それで選択するっていうのがいいと思うんですよね
怒りなのか悲しみなのか
私って怒ってたんだっていうのを知ると
何に怒ってるって次のステップにつながっていくので
喜怒哀楽でももちろんいいと思いますし
何かしらの自分の中のパターンっていうものが
指差し確認ができる状況を作るっていうのはすごくいいと思うんですよね
その意味だとカウンセリングとかっていうのは
そういうのをアシストしてるみたいな役割もあるんですかね
カウンセリングもそうですし
例えば僕らが学生と相談して
例えば就職を決めるとかもそうですし
調子が悪いとかっていうのも
どういうことなのかっていうものを
その人の考えの言語化させますよね
例えばどういう就職したいのって言った時に
いやもう回復期だったらいいんですみたいなことを言うと
でも回復期の難度で例えば給与がどれぐらいだとか
等候の病院だとか人間関係がどうだとか
いろいろなパターンを与えていくと
すごい言語化されていくわけですよね
で結構僕がよく使うのは
どういうところに就職したいのって言ったら
いや特にないんですって言った時に
嫌なものを出せって言います
理想はいいと
ここだけは嫌だっていう
こういうのだけは嫌だ
例えば給与が安いとか
すごい家から遠いとか
そうなってくると絞り込んでいけるわけですね
で嫌なものをたくさん見つけると
いいものが見えてくるんですよ
だからカウンセリング技術はないですけども
ネガティブなものだけあるいは
ポジティブなものだけっていうカテゴリーを分けて
例えばすごい悩んでる時は
嫌な感情じゃなくて
ハッピーな話だけしましょうみたいな
ハッピーな話をしていくと
私ってもしかしたらまだ幸せなのかと思ったりだとか
状況に応じて規制をかけます
こういうポジティブな方向性の話って
選択肢かなりたくさんありますけど
これは嫌だっていうのは結構かっこたる気がする
それが見つかると情報の選択はしやすくなるなと
日本人は特にそうなんですよ
いいものが表現しないけど
嫌なものは表現が得意なんですよ
だから嫌なものをたくさん表現させると
残ったものがいいものになるっていう
これは本当に就職探しだとか
あるいは自分の専門にしたい学問
例えばこれは嫌だ
私脳卒中は嫌なんですとか
呼吸は嫌なんですって
残ったらじゃあ循環器か運動器だねみたいな
そうなると私は循環器の方がいいかもしれません
みたいになってくるので
だからもやつくって言った時に
選択肢の捉え方で変えていったらいいと思いますし
あとよく最近学生なんかが使う時に
いわゆるメンタルに来るとか
緊張するとか
いろいろそういう表現をした時に
その緊張するっていうのは
ネガティブな緊張なのか
チャレンジングな緊張なのか
どっちかはっきりさせてとか
例えば口頭諮問とかがあった時っていうのは
これはチャレンジングな本来は緊張なわけですよね
つまりそれを乗り越えることによって
自分が成長するわけですから
その時は例えば
ネガティブな緊張とか
あるいは緊張すると言うなと
チャレンジだっていう言葉を言い換えて
いわゆる認知行動両方的に
表現を変えていくということはよくやります
だんだん前半話していったところと
自己理解を深めるための情報選択と表現
つながってきたような感じがして
最初はデータベース作るとか
集めていくっていうのは
生産的な活動につなげるみたいな
イメージが強かったですけど
データベースみたいなものも
そもそも感情化できていない情動みたいなものを
言葉にすると自分の理解も深まってくるし
そうすると選択する方向性とかも
詰まってくるから
キャリアとか働き方みたいなのでも
情報の選択がしやすくなるし
自分の中の情報みたいなことを
見える化して整理しとくと
いろんな方向性で生きてくるんだろうなと
聞いてきて思いました
自分の中のデータベースというものが
ちゃんと表現できるようになるというのは
とても重要で
僕は感情自体をできるだけ
判断の中に入れないように
トレーニングをしていくっていうのは
逆に言うと
常に感情判断をしてるからなんですよね
感情判断をすることによって
あまり欲しくない選択肢にもなり得ると
だけども
感情判断というのが嫌なので
データベースを作って
できるだけ論理的な判断をしたいというところ
例えば転職をするときに
給料が安いので給料が高いところに行きたいです
という人がいたときに
その給料を使って何をしたいんですか
という質問にはほとんど答えられないんですよ
例えばあなたの給料が月額5万円上がると
その5万円を何するんですか
貯金するとかって言うんですよ
その貯金は何年間でどれくらい貯めて
その貯金で何をしようとしてるんですか
これ答えられないんですよね
つまり中長期的な不安というものの
言語化できていないわけですよ
それが例えば自分は持病を持っていて
いつ働けなくなるかもしれないから
今のうちに貯めておきたいとか
あるいは例えば25歳の子が70歳の段階で
2000万円ないと国がダメだって言ったと
だけど今から45年経つ間に
世の中ってどれくらい変わるかと
今から45年前ってどんな社会だったかと
それが2000万円という数値の考え方も変わるよね
それよりも今楽しむ方が重要だとか
っていうような給与が安い
じゃあその給与が高くなったら
何をするのかっていう目的がなければ
おそらくそれはある種中小概念として
誰かのポジショントークの中で負けたっていう
自分の負け話としての話なんですよ
そうではなくて具体性まで持ち込めるか
っていうのはすごく重要であって
結局だから給与が安いっていう話は
これ感情の話なんですよ
だからその感情を廃した時にどうなのか
っていうようなところに持っていきたい
そしてそれは僕は自分のナレッジOSとして
自分がそういう判断の時は
どういうふうにしてるかっていうのを
調べたいっていうふうになります
そうですね
情動みたいなのを感情化できてない人は
言葉にすることで新しく見えてくる部分もあるし
堀先生の中だと逆に言語化しすぎたことによって
何か縛っちゃう部分もなくはないみたいなところもあるから
論理的な感情を廃して事故しようみたいなところもある
みたいな話はあったと思うんで
人によって活用の仕方が違ってくるんですね
データベース構築と自己成長への活用
本当になので自己理解を深めていくっていうための
今日の最初のオブシリアンでしたっけ
っていうようなデータベースを
たくさん作っていったりだとかして
例えば今日考えたことは覚えてても
3年前のことって覚えてないわけですよね
そういうようなものが蓄積されておいて
自分がどういうふうに変化しているかとかっていうのを
追うためのデータベースなんかあると
結構いいか悪いかというんじゃなくて
面白いか面白くないかというと面白いと思います
ですね
さっきのオブシリアンとかだと
自分のパソコンの中にローカルで保存されるから
結構自分の本音みたいなの書きやすかったりしますし
おり先生の中だとノートで記事書いていくっていうと
外から見えやすいところっていうので
あんまりもともと外から見せるからこそ
分かりやすく
メモの取り方次第で
場所と手法を分けておいて
何にせよそれを残しておくと
後に追加するものもあるかなと思う
これを聞いてちょっと自分のデータベース
残そうと思いましたみたいな人が出たら
それはそれで
いやもう本当に残していきましょう
そうですね残してそれも共有してもらえると
コミュニケーションのきっかけになりますし
本当にしゃべっていくっていうことで
自分を外化していって
外化した自分をもう一回聞くことによって
自分っていうのがやっぱり高まっていくので
内的な自分って形がすぐ変わってしまうので
その外観覚みたいのをちゃんと作るっていうのは
すごく重要だと思います
ですね
今日の話の中でもセラピスト的な仕事をしている人は
普段の患者さんとかと関わる中だと
なかなか自分の感情を出すときも少なかったり
結構抑えてる部分もあるかもしれない
そうするとモヤモヤみたいなものが
固まりやすい構造にもあるかもしれない
ぜひちょっと外に情報を出すみたいな
意識が高まるといいなと思います
本当にその通りだと思います
もろもろいろいろ話してきましたが
なんとなくまとまってきたかなという感じで
オンラインコミュニティへの参加案内
改めて最後にオンラインコミュニティやってます
みたいなところもあるので
配信の説明欄のアンケートに記入書いてもらえば
Discordのリンク送りますという感じにしているので
よかったら参加してもらえたらと思います
ぜひご紹介いただき
またいろいろな話を聞いてみたいとかも
情報をいただけると
僕らそれについて喋ります
はい
じゃあ今回はこんな感じで
ありがとうございます
ありがとうございました
43:59

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