そうです。なので、誰かがここは美味しいよというステルスマーケティングも絶対あるわけですよね。
そこの判断というものをもちろん、例えば誰かとご飯食べに行くときに、
人に紹介するときにここって点数が高いから行こうかということはあったとしても、
個人一人で行くときはあんまりその判断をしないんですよね。
例えばセラピストのキャリアとかの就職とかの店だとしても、
年収いくらとか、この先輩がいいって言ってたみたいな感じじゃなくて、
例えばいい人採用しようみたいな病院とかがあったとしたら、
その病院で活動している様子みたいなものが、
もちろん個人情報は配慮しないといけないんですけど、
長く発信したりすると本当に伝えたいことが伝わって、
いい人が集まってくるみたいな感じもないんですか。
本当に病院だからどこまでパブリックに見せれるかというのは、
一旦ちょっと横に置きますけれども、
例えばリハ室とかあるいはスタッフルームの整頓されている状況だとか、
上司の机の上とか見たら大体わかるだろうなと思っています。
やっぱり上司の机の上が散らかっているっていうことは、
いろいろな情報が整理できていないはずなんですよね。
かつリハ室が片付けられてなくて、車椅子がどっかにあったりすると、
これは絶対定期的に事故が起きているはずなんですよ。
そういったものが本当は管理という世界で見られるでしょうし、
あとはバッと朝一からのリハのリハ室の場面だとか病棟の場面を見たときに、
どんなことをやっているかというので、
そこの考え方だとか流れというのは見えますので、
結構本当は見学で専門学生が選ぶときに、
教員と一緒に見たらわかるんだろうなと思ったりします。
確かに。
こういう就職説明会とか見学みたいな場になると、
たぶん作っちゃう部分もあると思いますし、
普段から日常的に裏側も見せるみたいなことまでしておくと、
患者さん側からしてもお信頼できるなみたいなかもしれないし、
働く人も集まってくる、いい従業員になりそうな気がするので、
大変なところはあると思いますけど、
そういう施設があってもいいなと思っています。
今その真逆という方向はあれですけど、
僕の中では真逆なのが楽しい雰囲気ですみたいなのを
インスタで踊ったりだとか、
僕はあれあんまり好きじゃないですよ。
そうではなくて、
例えば勉強会の様子だとか、
上司の考え方だとか、
就職ってやっぱり人生を賭けに行くので、
ご飯を食べに行くとだいぶ違うわけですよね。
そこにすごくお互いにとっての影響関係があるわけだから、
きちっとした情報の方がいいだろうと。
ただきちっとした情報はフォロワーがつかないんですよね。
そこのアンビバレントな問題をどうクリアするかでしょうけども、
いらない人が10人来るより、
いい人が1人来てくれる方がいいかなと思ったりします。
個人的にはなんですけど、
もっと病院とかでこういうポッドキャストの配信とかしてくれたらいいなと思ったりしてて、
やっぱり上司と部下とかで話してる様子とか、
同僚同士とかでもいいと思うんですけど、
そういうとこに関係性とか、
どんだけ学んでるかにじみ出てくるような気がするので、
そういうのあったら聞きたいなと思います。
本来はポッドキャストコンテンツってそういう風になされるべきですし、
割とアメリカなんてそういうポッドキャスト文化が根付いてるところはそうですけど、
日本は一つポッドキャスト文化が根付けきらないというのは、
ラジオが強いというのはあると思うんですよね。
やっぱりいわゆる専門のパーソナリティと音楽との中でのラジオが一つ強すぎるということがあるのと、
あと実際にポッドキャストをやるときに、
そんだけ喋れる人がいるかというのが気になってくるんですね。
ただ今田中さんが言うように、
上司と主任が喋ってて、
最近の新人はみたいなとか、
あるいは新人の人が来て話していくとかっていうのは、
ちょっと聞いてみたいと思うんですけど、
病院の上が許さないとかあるでしょうね。
今のところないですよね、多分そういう施設として。
もしかしたらYouTubeの、インスタとかはありますけどね。
だから本当は大学とかでもやればいいんでしょうけれども、
じゃあうちの大学でやるから多分やらないでしょうね。
たまに大学とかだったらあるような気がしますね。
教授と学生で一緒にやってるとかあるような気がするんで、
オリジナルの周りの中だったら面白いかもしれないですね。
僕も学生もやりたいとかって言ってくる子いるんですね。
だけどこれって僕がすごくポッドキャストとかを重要視しているところで言うと、
継続性なんですよ。
継続するかな?
そうですね、なかなか確かに。
学校だと学生もどんどん変わっていくし、
教員も変わっていく可能性があるような気がするんで、
確かにちょっと難しいときに勉強しましたね。
なので誰かすごく優秀なプロデュース、優秀である人じゃないですけど、
プロデュースできる人がいて企画を立てて、
例えば100回こういうことやりましょうとかっていう企画で、
人を選んでいくとかっていうことができれば多分うまくいくんですよね。
僕はどちらかというと、
このアドバンススラピストもそうですし、
もう一つのヨムヨム白紙ラジオもそうですけども、
何の準備もしないわけですよ。
それでもいい。
そっちが大好きなんですね。
それが逆に何か決められてしまうと話せなくなったりするので、
僕と例えば学生がやろうとしたときに、
この脚本でお願いしますとかって言われると、
最初に脚本にケチがついてしまって、
学生がやりづらい。
だから学生同士でやってくれて、
1回だけ呼んでもらうとかっていうのはありだと思います。
確かにそうですね。
確かにそういう難しさはあるような気がしましたし。
なので、さっきの病院とか施設でやるっていうときは、
中だけじゃなくて第三者的なプロデューサーがいて、
中、方向性もデザインしてみたいな感じであれば継続性もあるし、
中だけでやらないっていうのがいいかもなと。
本当に最近ポッドキャストの作り方みたいな本、
それかYouTubeかなんかでやってましたけど、
結局ネタ切れが一番怖いんですよね。
ネタ切れをしやすいテーマでやってしまうと影響があるので、
一人オタクみたいな人を連れてきて喋らそうっていうのは一番楽なんですよね。
ガンダムとかのオタクだったら多分何百本も喋れるわけですよ。
だから理学療法でどこまで喋れるかっていうところ、
僕らも理学療法じゃないネタをいっぱい喋るわけですし、
理学療法単体で喋ろうと思ったら結構限界ありますよね。
そうですね。改めて考えていくと、
もしどこかの病院でやろうと思ったとしても、
患者さんの個人名はなかなか出せないとか、
知ってるけど出せないものがたくさんありすぎて、
言いづらくなってみたいなところは結構ありますね。
結構今病院がちゃんとやってるところって、
ブログとかをやってるところは多いと思うんですよね。
誰かが学会発表しましたとか、こんな新聞作りましたみたいな。
でもあれって読者がつかないんですよね。
物語性がなかったりだとか、
近視さがなかったりしたら、どちらかというと
ポジショントーク的になるというか、
うちはこれだけ学会発表してますみたいな。
そういったのだとすると見はするけども、
肯定的に見られない。要はXで言うといいねとか、
ノートで言うと好きがつかないっていうやつですよね。
そうか。そういう意味だと、
アドバンスセラピスがどこまでいくかは分からないですけど、
こういうふうにある程度フラットな立場のところがありつつ、
そこに読み上げるところがあれば対談して
飲んできてもらう。そういうほうがまだ現実的な感じですかね。
本来はそれが現実的だと思いますし、
結構誰だったかな。何かの時にゲスト、
例えば2人でこういうふうに喋ってる時に、
ゲストが来る会は飛ばすとかって人もいるらしいですね。
そういうのもあるらしいですね。
ゲストが入ってきたら、この2人の話を聞いてるのに
ゲストいないやろうとかっていうような、
聞く側の、確かにコテンラジオとか聞いてた時に
ゲスト会よりも連載会の方が面白いんですよね。
そうですね。物によってはそういうゲストの話を聞きたいっていうので
集まってくるところもあるかもしれないですけど、
番組の構成次第ですかね。
本当にこう、Podcastを作っていく音声コンテンツ、
全てにおいてコンテンツを作っていくっていうものも
おそらくはベースには、
これはいわゆるナレッジOSがあってやってることなんですね。
例えばこれが小学生がやると現実的無理なわけじゃないですか。
だけどその経験値があったり学問値があったり、
いろいろなナレッジOSの中に含まれてるデータベースを
喋ってるわけなので、
やはりデータベースを揃えていくっていうのは人生の中で
アウトプットしていくことにおいてもすごく重要だし、
アウトプットができないのって結構苦しいことだろうなと僕は思うんですね。
それはこの前チリでそうだったんですよ。
日本語が喋れないっていうことがすごい苦痛だったので、
なんかアウトプットしやすいっていう状態を作っておく。
なのでPodcastを例えばやりたいとかってなった時に
どんなことでもいいし、
オーディエンスが増えなくてもいいから
継続的にやっていくとかっていう人が強いんでしょうね。
そうですね。
多分そういうことができる人の方が精神的な健康度も高そうな気はするんで。
さっきの話の中でも、例えば医療会話福祉みたいな協会の人だと、
広く表に話せない内容が多いからコミュニケーション取る人としては
うちは同士だけになっちゃって
世界は広がりづらいみたいなところはある気がするんで
データベースみたいなのと考えながら
メンタルヘルスとかに通じていきそうだなと。
本当なので、このアドバンスセラピスト自体で話している内容も
個人のナレッジデータベース、ナレッジOSの中に入れ込まなきゃいけないですね。
なんか上手に入れて、そして本当に判断基準だとか
あとはどういったことを連呼しているかですよね。
僕は自分自身の中でものすごい気をつけているわけではないですが
できるだけ同じ話とか同じ内容を繰り返さないようには
ちょっと気をつけてはいるんですね。
だけども、絶対に繰り返し言ってる話があるはずなんですよ。
そういうのが何かを調べたいです。
そうですね。
このアドバンスセラピストだと一応最近
サブスタックというニュースレターもやろうかなと思って始めたのと
ノートで記事で文字起こしして書いてある部分もあるので
それぞれ読み込ましたら多分出てくるものもあるかなと思いますけど
多分何だかんだよく言ってるのは学位大事だよね
というようなよく言ってそうな気がしますね。
そうですね。
取り決めごとのぶれなさというのでは学位大事でしょうね。
だけども何かこの人っていつも最後に結論付けるときに
こういう話をするのよねみたいな
犯人はお前だみたいなのは僕あまり好きじゃないんですよ。
そうじゃないように気をつけているが
しかしやっぱり癖づいた内容だとか
癖づいた思考パターンというのがあって
それを自分をデータベースから引っ張り出したいです。
無意識レベルなんですね多分そういうところは。
そうです。口癖というところも含めてだと思いますけれども
無意識レベルでやっている
つまりその無意識レベルでやっているということは
おそらく大切にしているということと
あとはそれ以上深く考えていないということなので
自分が森先生とかと話す中で感じた部分でいくと
学生同士と集まって会議のときに
今後の目標をみんなで話すみたいなときとかも
やっぱりその学生たちが言う目標よりも
自分が一番いい目標を立てないとみたいな話も
成長志向みたいなところというか
労働者みたいなところが先生としてはあるという感じがします。
確かに今日よりも明日、明日よりも明後日というような
究極の啓蒙思想を持ってますよね。
本来は僕はアンチ啓蒙思想なんですけど
だけど自分自身の
いわゆる社会が啓蒙的にありすぎるというのはあまり好きじゃないんですよ。
もっと落ち着けよと。
だけど自分個人においては究極に啓蒙しまくってるんですよね。
このアンビバレントなものが何なのかっていうところは
確かに今おっしゃられて
そうですよね。僕はずっと自分自身を高めようとすることに
エネルギーを使い続けてますし
実際にチャッピーとの対話の中でも
頑張れない自分をどうしたらいいみたいな相談してますから
だけど他の人に言わせると
僕はものすごいドーパミンが非常に出てるタイプだから
すごい活動してるように見えると。
だけど僕自身はそんなに活動してるイメージはないんですよね。
そうなんですか。
だからむしろサボりすぎてるって思っちゃうんですね。自分が。
その辺ももっと情報収集して知らないとっていうのにもつながってる。
そうなんですね。だから本当に
自分自身がやっていること自体と
だからこれは他の人との平均値を取る必要はないかもしれませんけど
ある程度自分を納得させようと思ったときに
エビデンスデータがあって
これぐらいやっときゃいいかみたいなものは欲しいっちゃ欲しいですね。
そうですよね。
田代さんは自分のこういうデータベースとか結構欲しいタイプですか。
それとも全然それよりももっと知識として知りたいものがあったりしますか。
そうですね。なんか自分の中だと
最近その人文知的なところに興味が高まってきてて
もともと科学的な感じで考えることが多かったんで
そうするとこうなんかデータベースとか
作るイメージそこまでわからなかったですけど
前半部分でもあったような歴史的な記述とか
もうある程度固定化された情報みたいなところは
もっと集めて引用もできるようになりたいなと思ってますし
特に今の興味としてはそこがあるなという感じです。
確かにな。引用ってすごい重要な
和志田清和が接続詞のように引用を使うって表現されてたんですよね。
だから引用の使い方で自分の考え方を高めつつ
かつ自分自身のいわゆるN1の考えじゃないですよって
していくことが引用だと思うんですね。
いわゆるN2とかN3になってくる
第三者視点あるいは三人称視点になるために
引用で使えると思うんですよ。
あるいは事実関係でいうと
今日も研究会の中で話をしてたんですけど
わずかに増加したっていう表現は使うなと
小6とかに2.2ポイント増加したって書ける
そこがわずかにっていうのはあなたの判断であって
それを判断するのは読者だから
事実を書きなさいっていう指導をしてたんですけど
そういうところとあとはそのわずかにというものが
一体何なのか自分にとってわずかっていうのが
一体どうなのかっていうのも知りたいとかですね。
そんなことをやっぱり考えますね。
そうですね。自分はどっちかというと
科学的な形で論文を書いてきたっていうと
数字で他の人が同じように認識できるように書こう
みたいなことは意識してきたんですけど
本当に接続詞的な引用を使うとかっていうのは
全然これまでできてなかったなっていうところもあって
そういうことができてる人のしゃべり方とか
文章を読んだりするとか多いなっていうのもあるので
自分の中でも成長したいっていうのもあるからこそ
その辺に最近の意識を持っていますね。
今それでちょっと思い出しました。
僕ら哲学系の人たちっていうのは
めちゃくちゃ引用を使い続けてたんですね。
でもある時に僕の師匠にあたる浜渦先生っていう
哲学者がいるんですけど
一切引用を使わなくなったんですね。
それがかっこよかったんですよ。
引用はいらないって言って。
一周回るとそんな風になるんだと思ってて
僕は別に引用を嫌っているわけでもないし
引用しないわけではないんですけども
引用を使って何か説明しなきゃいけなくなってくる
ターンというのが少しずつ減ってきた感じがあった。
引用を使うことによって何かを説得しようとしている自分に
ちょっと疑問を感じたりすることもあるので
あくまでも論理的に正しさの方を求めていく感じが増えてきましたね。
引用も無理に使おうとするとちょっと違った解釈になっちゃったりとか
なかなか論が組み立てきれないっていうのもあるかなと思うんで
フェーズですね。
自分は本当知らなさすぎるからまずは知ろうという感じでやってます。