広告をやって楽しむ、見て楽しむ、話して楽しむ、アドバタラヂオパーソナリティの富永誠です。
砂堅でございます。
2人で収録するのはとても久しぶりですね。
ごぶさた。
どれぐらいぶりですかね。
か月ぶりぐらい?
いやいや、もっとですよ。
去年ですもん、収録したの一緒に。
2ヶ月ぶりぐらい。
2ヶ月ぐらい。12月ですもんね、前回。
申し訳なかったね、1人で。
本題入る前に、1人でやってた回、僕進めてますけど、どうですか?
よかったよ。ちゃんと聞いてるよ。
本当?
本当だよ。ちゃんと聞いてるよ。よかったよ。
聞いてます?
ちゃんと聞いてる。
ちなみにおすすめの回はどれですか?
おすすめの回って言われると。
いいんですよ。
でも、よくやってるなって。頑張ってるなって思ってるよ。心の底から思ってるよ。
そんなところですよ。
ちょっと富永のほうで、年始からもう4、5本か、配信させてもらってて、
あれ、角木さんいなくなったみたいな感じになってましたけれども、
ちょっとバタバタしてて。
ちょっとバタバタされてて、収録を僕のほうで引き続けてやってたんですけど、
本来はね、割とこういう形で2人で喋るっていうのがアドバタラジオではあるんですけど、
今回ですね、去年ちょっと僕たちに起こった大事な出来事について触れていなかったなというところで、
かつこれすなけんさんに僕もいろいろ意見を聞きたかった話でもあったので、
それを中心に今日はお話できたらなというふうに思ってます。
そうですね。去年末のタイミングでご連絡があり、そして1月のタイミングで、
実はアドバタラジオはですね、ある大学の講義かつその講義のテストに出ました。
なんと。
ご存知ですか?
そうか、ウェンゴー。
知ってますよね。
こういうのってリアクションにちゃんと。
僕ら2人知ってる順。
あ、そっかそっかそっか。
そうなんですよ。
そうだよね。
これはすごいありがたいお話でしたね。
ありがたいですね。まさか。
まさかですよ。
まさかの教育部門進出。
アドバタラジオついにそこまで来たかっていう。
去年やっといくもんですね。
そうだね。
というところで、そこらへんのお話を今日していきたいなと思うんですけれども、
まずですね、東洋大学の柳竹明さんが持ってらっしゃるマスコミュニケーション特論という講義で、
ぜひアドバタラジオのエピソードを取り上げさせていただき、かつテストに出させてくださいというお願いが来たんですよ。
びっくりしましたね。
びっくりポンだったね。
そうなんですよ。
去年末。
去年末にちょっと打ち合わせを柳さんとさせていただいて、テストに向けて、授業に向けていろいろヒアリングを受けたんですけども、
その時にですね、僕らが結構前だと思うんですけど、広告に対する批評?評論?
ジャーナリズム?
ジャーナリズムについて話した回があるんですよ。
これが2021年4月5日、第15エピソード目の。
15回か。
広告を批評するってどういうこと?っていうのと、そこからの16、エピソード16でSNSでの広告批判について。
そしてこれはその後の話なんですけど、125回目のあの宣伝会議が買収された広告業界ニュースの考察っていうので、
お話しさせてもらったこれらのエピソードを元に、このマスコミュニケーション特論の方で話されてるのが広告についての社会学だったりとか広告学とか、
そこに紐づくジャーナリズムの話をされている講座なんですよ。
講義ですね。
そこでいわゆる僕らが教材になり、学生の人たちに聞いてもらったと。
恐ろしい。
学生だから20代前半ですよ。
いたんでしょ。
いっぱいいました。
いたでしょ。
この間伺ったときは。
そこで皆さんに聞いてもらった僕らの声が届いてると。
誰ですか?授業中流したのかどうかわからないですけど。
聞いてくださいみたいな感じだと思うんですけど。
そうだね。絶対聞いてくださってるわけだからね。
というところでヤンヤンさんといろいろ話をさせていただきましたね。面白かったです。
まさか僕らは授業で選ばれるとは。そんな経験ありました?
ないない。面白いよね。ちょうどこのタイミングで東洋大学さんのもありましたし、
また別の僕が知ってる元広告屋さんが大学の教授をされていて、その方の卒業政策のインタビューを受けさせていただいたりとか。
ちょうどこのタイミングともう一個の大学のタイミングが絶妙に重なっててね。
アカデミック過ぎてたんですね。
アカデミックアドバタラジオみたいなちょっとムーブメントが若干起こってましたね。
なお去年末から今年にかけてね。すごいですね僕らね。
面白い。
僕らすごいですねって思われすけどね。
そこでエピソードが教材になり、学生の方々がそれについて学んでもらったと。
学んでもらったというか、僕らとしては広告を話す番組として参考にしてもらったと。
そうですね。
その上でですね、1月のタイミングのマスコミュニケーション特論の方でテスト出ましたと。
僕ら問題10です。問題10番目。
ほう。
で、はい点4点。
あ、それ知らなかった。
はい点4になるんで、大きい。
なるほど大きいね。学生にしては死活問題ぐらいな。この一問が物を言うみたいな。
そういう問題に選んでいただいて。
なるほど。
一応今回ですね、出題内容とそれに対する学生さんの答えをお話しさせてもらった上で、
スナケさんの意見もちょっといろいろ改めて聞きたいなというふうに思ってます。
問題内容なんですけど、次の問いに自分の考えを述べてくださいと。
問いの内容が、広告を報じるメディアが縮小し、広告ジャーナリズムが必要とされないと思われているのはなぜか。
ここはご紹介難しいんですけど、
講義第6回メディア情報・広告戦略の立案及び第13回政治権力・広告効果の測定で扱った、
いわゆる僕らの取り上げられた講義以外のところから情報をちゃんとピックアップして、
紹介した事例を手がかりに、紹介した事例はいわゆる僕らですよね、
を手がかりに考えようというような内容でテストに出ました。
一応、受講生の方々から同意を得て、この質問に対する答えっていうのを今回ピックアップ。
その中でも選んだ上で皆さんにお話しさせてもらいたいなというふうに思ってます。
ちなみにこれ結構ありますけど、読まれましたですか?
読んだ読んだ。
すごいですよね。学生さんは素晴らしいですね。
ちゃんと、あの時は僕自身も我々が番組で話をしているとき、
いつも通り真面目なところとナンパな部分のいつもあの感じで喋っていることも参考にされているので、
ちゃんとそこのところから抽出して聞いてくださっているんだろうなというところの編集力を含めて、
あと言葉尻をちゃんと俯瞰的に見て表現というか回答されているなというのが僕の中ではすごく感じた部分ですね。
すごいですよね。一応学生さんたちの回答のところなんですけど、
インターネットやソーシャルメディアの普及により広告メッセージを直接消費者に届ける手段が多様化していると考えます。
そのため消費者は独自の情報源を持ち伝統的なメディアを通じての情報需要が減少している可能性があることが原因の一つだと考えられる。
広告というのは様々な個人や団体企業が行えるものであり、メディアや政治などがその広告に本来干渉するものではないかな。
あともう一つですね。今の時代ソーシャルメディアなどが一般化してきたことに倣ってターゲット・購買者の追い方、接触の仕方が変化してきているからである。
メディアによる広告宣伝に頼らなくても企業は会計に直接接触できるようになったため、広告ジャーナリズムの需要が減ってきていると言えるか。
たくさん学生さんからご回答いただいた。他にもあるんですけど。
いわゆる広告業界に入りたいかどうかは全然わかんないですよ。
わかんないですけども、僕らのように広告業界にいる人ではなくて、これから社会に出る立場として学生さんがこうやって色々答えていただきましたけれども、
改めて、すなけんさんこれ何が答えというのはないと思うんですけど、皆さんの回答を踏まえてご意見をもらいたいなというふうに思うんですけど、
まずすなけんさん的に答えというのはなかなか難しいと思うんですけど、今率直に思っていらっしゃるところを伺えたらなと。
これ前提として、僕らアドバタラジオとして以前エピソードでも収録させてもらいましたけども、
すなけんさん20年前ぐらいか。
20年前からキャリアをスタートさせたね。
に広告をジャーナリズムする立場にいらっしゃって、結構珍しい今となっては。
っていうキャリアを積んでたからこそ、今回こういうアドバタラジオのスタートというのもそういうのも影響したりとかするんですけど、
その時に以前広告ジャーナリズムについて触れた際には、僕らは今の現代において批評とかジャーナリズムしてお金を稼ぐっていうのはなかなか難しい。
それは広告だけじゃなくて映画とかもそうじゃないですか。本もそう。
そこに対して批評とかジャーナリズムをするのって、ぶっちゃけメディアの多様化だったりとか、
ユーザーが能動的とか受動的にっていうところもまた変化してるじゃないですか。
それにさらに広告はお金が伴わない。
広告をジャーナリズムすることだったりとか批評することによって稼ぐのが難しいじゃないですか。
難しいね。
そこにね、この人の批評はジャーナリズムが好きだからお金を払って雑誌として買う。
でもその中でマネタイズの仕組みができてないから。
本当に本当にニッチなのよ。ものすごく。
映画の批評とかはまだできるじゃないですか。
関数があったりとかずっと流れてるしね。
だけど広告においては難しい。
難しい。
っていうところが僕らが話した前提のところにあるという中での砂木さんの今。
これらの回答を踏まえて思うこと。
広告を批評することが広告クリエイター自身が許容できなくなってきてしまっている。
っていうのが僕は一側面あるかなっていうのもちょっと思うところはある。
なんかこう褒められるのはみんなありがとうだけど
それどうなのよって言われる人があまり許容できないし
なってるかなっていうふうに思うっていうのがあるし
あと高め合えるジャーナリストも多分いないくなってきてるんじゃないかな。
柿って発信側の。
発信側と、ここジャーナリストとすればね。
それに異議を唱えたりとかあーだよこうだよって言ってる人。
今広告自体が広告費の削減とかも含めて昭和平成ほどの勢いがないと言われてるじゃないですか。
だから僕は改めて言えば批評家の人だったりジャーナリストの方っていうのは生まれてほしいなと思ってる部分あるんですよ。
そうね。
その時に弊害があるのは広告の作り手側の熱かなっていうふうに思ってます。
いわゆるその人たちが批評家ジャーナリストを守らなきゃいけないというか。
守るっていう側面もあるし育てるという側面もあるしね。
ジャーナリストは逆の側面もあるしね。
育てる。広告クリエイターは育てるというか。
還元をお互いに。
お互いが。
しなきゃいけないからこそ意外とまた広告として盛り上がるマスメディアとかも含めてですね。
にはその批評家が生まれることが大事なんじゃないかなと思ってるんですよ。
確かに。それは都に願いますよ。
僕らはあんまり真似たりできないとか前のエピソードで話してたし、
今後この現代に合わないってさっきも話ありましたけど難しいという話はしてましたけども、
一広告好きな二人としてはその役職というか仕事っていうのは再熱してほしい。
そうだね。これも多分トミーにも前の僕はいろんな先輩から言われてるけどね、
お前こんなんやってなったらお前やれよって言われるわけですよ。
僕は嫌ですって。
そういうふうに思っちゃうのはやっぱり広告作ってる人たちからもサポートしていかなきゃいけない。
そういう環境であるべきだと思うんですよ。
そういうね。
でもね難しいのはサポートしてるのに批評されるわけですよ。
そこよ。
だからさっきスナケさんが話したように受け手側が耐えられないっていうのも。
そこなのよ。だから本当に僕が流行り立ての時とかの時の大人たち相当かっこいいと思う。
そうですよね。サポートしてるのに批評されて。
でましてや僕が言った業界史は定期公読ですから、要はお金払って批評されるわけですよ。
ジャーナリズムとして質問されるわけですよ。だから面白いですよね。
お金払って批評されるわけですから。ジャーナリストされるわけですから。
でもしょうがねえなあで寛容に。でもあいつが書いたからやっぱりちょっと帯引き締めて頑張ろうっていう関係ができていた。
もちろんそういう関係をナンパにしないために僕の上司も頑張ってたし。
やっぱりそこの関係性って本当に素敵だなあと思うしね。
やっぱり僕思ったのがこの間JAC関わってるじゃないですか。アドバタラジオとして。
その時にやっぱり自分たちで盛り上げなきゃいけないんですよ。やっぱり。
そうだね。
自分たちの出来事に対して自分たちで盛り上げなきゃいけないんですよ。主体性を持って。
確かに。人事ではなくね。自分事にしないとね。
いいも悪いも自分たちが自分事として対応しなきゃいけないし育てなきゃいけない。その気持ちの余裕がないと、やっぱり広告ジャーナリズムっていうのはまた盛り上がることはないのかなと。
確かにね。今本当に話を聞いていて思い出したことが本当にふとあったんだけど、僕は神田博山さんっていうのが大好きだよね。
神田博山さんが前に高段の小屋があったの。もう高段しかいらない。今は寄せつって楽岡さんとか色門さんっていうところに高段さんが行くって言うんだけど、
そこの場所は高段しか架けないところがあって、そこの高段の乗席の場所がなくなるってことがあった。その時に本が出たらしいんだよ。
なくなるからその本、その場所がなくなるから出版社が出したんだろうね。
だからその出版社の本を見たお客様が、いつもはお客さん10人ぐらいしかいないわけよ。それがその本が出たっていうことでグーって盛り上がったらしい。