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【インタビュー】遠回りも、全て意味がある。〜青森の少女がパリコレに立つまで〜
2026-04-16 53:48

【インタビュー】遠回りも、全て意味がある。〜青森の少女がパリコレに立つまで〜

インタビュー記事制作で録音したものですが
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早々にキャスティング側に移行するが....
青森小学生時代にモデルに憧れるも隠す🫣
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00:07
はい、じゃあ1時間ぐらいですか?時間は。そうですね、まあ1時間弱ぐらいで、はい。わかりました。
じゃあ、インタビューさせていただきます。よろしくお願いします。よろしくお願いします。はい。
じゃあまず、こなみさんのそのモデル経歴みたいな部分をちょっと聞きたかったんですけど、私もちょっと実はそこまで詳しく知らなくって。
はいはいはい。ちょうどいいですね。はい。 是非、流れを知りたいです。
そうですね。もともとは、2012年の時に、
仙台のフリーペーパーみたいなのがあって、それに読者モデルとして
登録したのが一番最初の活動のきっかけかなって思うんですけど。
はい。震災の後。震災の後ですね。
で、その時に、自分自身も自分にできることで東北盛り上げていきたいなっていう思いがあって、
ファッションショーを企画して、下市でファッションショーをやり始めたんですけど、
で、そのファッションショーは、私はモデルっていうよりかは、どっちかというと運営側に入ってはいたものの、
ただ、私自身も知識がなかったので学ぼうと思って、その時出てくれたモデルの子たちにウォーキングレッスンを用意してたんですけど、
自分も知れと一緒に受けてて、で、ファッションショーに。
第一回の時は自分もちょろっと出たんですね。
ちなみにその時は何歳ですか?
22?
学生?社会人?
大学生ですね。
大学生。
なるほど。
それが最初、といえば最初なので、今、今年36になるので、
それを本当に最初の活動と捉えるならば、もう14年やってることになるんですけど、
なるほど。
ただ、じゃあ本格的にモデルをやってたかっていうとまたそうでもなくて、
やっぱり私のメインって自分がモデルを集めて育成してキャスティングするっていう方に舵を切ってしまったので、
03:02
元々そのモデルに興味があったのは事実で、
なので、自分ができそうなこと何かないかなっていうので、
フリーペーパーの読者モデルを応募したりとかっていうのはやってたんですけど、
ただそんなに活動もしないまま、それはやめて自分のエピを立ち上げる方に走ったので、
一旦本格的なモデル活動はお休みになったんですね。
ただ、やっぱりエピの活動をしてて、今度見えてきた部分があって、
モデルの仕事って穴開けられないんです。
他の仕事もそうだと思うんですけど、
やっぱり1回決まったもの、この日撮影ありますとか、この日イベントに入りますってなった時に、
穴を開けてはいけないってなった時に、じゃあ誰が責任を取るのか。
そういったら同じ会社内で責任を取らないといけないので、
こっちとしては代わりに行ける子を探すんですけど、
行ける子がいなかった時、私が行くしかないんです。
なるほど。
それで代打でイベントのコンパニーを入ったりとか、
ファッションショー出たりとかっていうのはちょこちょこやってた感じ。
じゃあ最初に震災の後にファッションショーやるってなった時は、
自分自身がモデルの経験があったわけではないってことですか?
そうです。あったわけじゃないです。
それでなんでショーをやろうってなったんですか?
自分も出たかったですし、
あと好きだったんですよね、ファッションショーを見るのが。
見る経験はたくさんしてたんですか?
たくさんって言うほどたくさんでもないですけど、
東京ガールズコレクションみたいな、ちょっと大型のファッションショーだったりとか、
あと海外のショー、そういうのを見てて、ネットとかで見てて、
あと実際、東京ガールズコレクションみたいなのは見にも行きましたし。
すごい、それはどこ、いつぐらいから興味があったんですか?モデル業みたいな。
興味あったのは小学生ぐらいの時から興味はありましたね。
すごい、将来の夢みたいな部分でもあったんですか?ちっちゃい頃。
いや、でもそこは小学生ながらに結構現実見てて、
自分はそんな可愛くもないし、背も高くないし、青森出身だったんで、
青森に住んでてもモデルなんてできるわけないって。
ちょっとそう思っちゃうかもしれない、確かに。
そうなんですよ。
そう思って、モデルとかそういう女優さんとか、そういうのに憧れはあったものの、
06:07
どうせできないだろうって思ってたんで。
一緒です。
将来の夢とかのところにはお医者さんって書いたりとか、全然違うこと書いてました。
それから時が経って、フリーペーパーの読者モデルに応募するまでは、
じゃあ結構秘めてたっていうか、心にもあるけど。
秘めてはいて、青森から仙台を出てきて、
仙台は都会なので、青森よりかはチャンスがあって、
ミスコン?地域のミスコンって言うんですかね。
ミス仙台みたいなのとか、ミス宮城みたいなのが、
今名前はちょっと違って森の都新前大使とか、
ライシーレディっていう、今はライシーアンバサダーなのかな。
ちょっとやっぱ時代とともにレディとかガールとか使えなくなってきたので、
今名前変わってるんですけど、そういうのにチャレンジしてみたりとか。
それは大学生になってからってことですか?
大学生になってからです。
そうなんですね。
でもやっぱり最終までは行くんですけど、落ちちゃって、
グランプリとかは取れなくて、その結果を見て、
やっぱり自分はそこまでの才能はないんだなとか、
そこまで評価されてないんだなみたいなのも感じてたんで、
やっぱり心の中では、やっぱり私にはモデルっていうのは本格的にやるのは無理なんだろうなって思っていて、
なので落ちるのも怖かったんで、事務所のオーディションは受けにはいかなかったんです。
へー。
で、本当にフリーというか、自分でその震災の後にやろうって思いつきで立ち上がってやったみたいな感じですか?
そうですね。ミスコン落ちたりとか、自分は結局モデルには向いてないんだなって思ってたのは震災前の話なんですね。
20歳前というか。
ただやっぱり私の中で震災ってすごく大きくて、震災の時に私父親亡くしてるのもありますし、
あとやっぱり周りで亡くなった人もたくさんいて、
で、亡くなった時に後悔するのは嫌だなっていう風にちょっと価値観というか考え方みたいなのが少し変わった部分もあって、
たった一回しかない人生であれば、仮に明日津波で流されたとしてもいい人生だったなって思いたいなって思った時に、
09:09
なんかやりたいことをやってみよう、チャレンジしてみようっていう気に少しこう、マインドが変わったというか。
それで、自分にできそうなところ、いきなりそれでもやっぱり、いきなり事務所のオーディション行っても今のままだったら落ちるだろうなとか、
それで地元のフリーペーパーで読者モデル募集してるのを見て、ここだったらもしかしたら自分でもいけるんじゃないかみたいなので応募したっていう。
期間が決まっててやるみたいな感じですか?
なんか適当だったんですよね。だから期間とか契約とかあんまりそこまでガチガチじゃなかったんで、
一応面接して、仕事があったら声かかって呼ばれるみたいな。
で、そっからショーをやろう、やりたいってなった時は、その人脈っていうか、そういうショー関係者みたいな人とかもいたんですか?
なんかこうやったことがある人とか。
いや、いなくて、だから完全になんか自分のイメージ。
イメージでショーってこういうもんだよなっていう感じの、手探り状態ですよね。
だから今の自分から見ても、すごいなんか雑なショーっていうか、ちゃんとしたショーじゃなかったなって思うんですけど、
ただそれでもやりきったっていう。
まず一回ファッションショーを自分で主催してみるっていう。
で、手伝ってくれる友達もいましたし、
モデルは街中でスカウトしたりとか、いろんな大学行ってスカウトしたりとか。
すごーい。めちゃくちゃアクティブにチャレンジしたんですね。
そうなんですよ。その時期は私の人生でも一番アクティブだったなって思うんですけど、
すごい。
もうなんか恐れを知らなかったっていうか。
知らない人にも声かけてるってことですよね。
そうですそうです。知らない人に声かけてました。
それで参加する人もいたんですか?
います。
いるんだ。
それでモデル、モデル興味ありませんかって。
怪しくないですか?だって急に声かける。
いや、怪しかったと思いますよ。怪しかったんで実際に断られたりもしましたし、
ちょっとそういうの興味ないですとか。
連れてかれそうとか怖いですよね。
そうなんです。
ただ、私も大学生の女子大生だったので。
12:02
女子大生だったからどうか。
大人の男、おじさんとかじゃなかったんで。
確かに確かに。
でもちょっと趣旨で聞いても、え?ってなりますよね。
そうですね。いきなり本当に、本当にいきなり声かけるので。
すいません。
ナンパですね。すいません。
お姉さんすごい可愛いなと思って声かけたんですけどっていう入りでまず入って。
で、実は私ファッションショーを今企画してるものなんですけど、
すごい可愛かったんでぜひモデルで出てほしいなと思って声かけましたって言って。
で、興味があれば話聞いてくれますし、興味なければそこで、
いや、なんか結構ですみたいな、興味ないですって感じで去っていったりもしましたし。
すごいそこでメンタルが鍛えられるような感じで。
そうですね。鍛えられてましたね。
実際何人ぐらいのモデルさんが参加されたんですか?
1回目は15人ぐらいだったと思います。
すごい。そんなに。
何回やったんですか?
何回?
おっきいショーは年に1回毎年やってて、
その何百人って集めるようなのは年に1回やってて、
それとは別にちょこちょこちょっとちっちゃなショーっていうのは、
何回ぐらいやったんでしょうね。
年間で10回ぐらいやってたかもしれないですね。
一番最初は大学でやったんですか?場所は?
町中のクラブを借りてやりました。
そうなんだ。大学祭とかそういう感じじゃなくて、本当に場所を借りてやったってことですね。
場所借りてやりました。
会場費とかもかかりますし、いろいろウォーキングレッスンでレッスンの会場とかも借りたりしてたんで、
経費がかかってたので、みんな学生でしたし、私も含めて学生でしたし、
予算みたいなのがないので、とにかく赤字にならないように、赤字になったら我々自腹で払わなきゃいけないんで、
それで人生で初めての協賛営業っていう営業にも行って、それでお金集めてきて。
それは集まるもんなんですか、そういうので。
集まりましたね。
集まるんだ、すごい。
それはあれですね、ちゃんとそのコンセプトというか、こういう趣旨でやるんですみたいなので、じゃあ協力するよみたいな感じで。
そうですそうです。
すごい大きい金額ではなかったんですけど、1社5000円からとか1万円からとかすごい小さい金額からだったんですけど、
15:12
学園祭に協賛出してくれてるような企業さんとか、大学のパンフレットにロゴが載ってるじゃないですか、そういうのをもらってきて、
ここの会社さん、大学に協賛出してるからもしかしたら話聞いてくれるかもしれないって言って電話かけて。
直接テレアポして。
なんかドブイタ営業みたいな感じで、ナンパとドブイタ営業でなんとかやったみたいな感じ。
飛び込みも行きましたし。
えー、そうか当時はクラウドファンディングみたいなのそんなに主流じゃないのかな。
うーん、なんかどうなんでしょうね。
それこそその知識はなかった。
ないですよね、そうですよね。
まだSNSも結局ミクシーの時代でフェイスブックが出てきたばっかり。
そっかその辺りか、なるほど。
インスタもまだ、なんか出てきたんだが出てきてないんだがまだみんな使ってないような。
今だとね、まだいろんな多分方法あったかもしれないけど、まだその時は直接足で稼ぐみたいな感じの。
そうですね、フェイスブックとLINEが出てきたばっかりの時代。
そっかー、いやーよくやりましたね、すごい。
そっか、そっからそのショーをやるようになって、就職とかはしないでいきなり会社作ったんですか?
そうです。
なんか厳密に言うとちょっと就職はしたんですけど、
なんか正社員っていうよりかは大学卒業してすぐ個人事業主でこのMPをやり始めたので
なんか就産?就産勤務みたいな感じで、だから今で言うとパート?みたいな感じなんですかね。
で、企業さんにちょっと入ってお仕事させてもらったりはしてたんですけど、
ガッチリなんかフルタイムで正社員でゴリゴリやってたっていうわけではない?
そこは怖く、ちょっと私はもう普通に会社員しか頭になかった人なんですけど、そこ怖くなかったんですか?自分で企業して。
怖かったですね。怖さはありました。仕事ないんじゃないかとか、生活していけないんじゃないかとか。
たださっきの震災の話にも戻るんですけど、
後悔はしたくないなと思ったんですよ。
18:00
なのでその大学の時にファッションショーをやり始めて、
エピ立ち上げて、大学卒業した時にエピを後輩にサークルとして譲って自分は就職するっていう道もあったんですけど、
それでエピがなくなるのも嫌だったし、
よくこれあるんですよ、サークルって立ち上げた人が頑張って立ち上げて、
2代目3代目は立ち上げ機を見てるから一緒に頑張ってくれるんですけど、
立ち上げた人を知らなくなってきた4代目5代目って思いとかが薄れてきてるんで、
うまく運営がいかなくなって、
大体5期目とか6期目で潰れたりとかする。
自分自身も大学生の時にサークルそういうサークルいっぱい見てきて、
エピ潰したくないなって思いもありましたし、
何より私がやっててめちゃくちゃ楽しかったので、
これを続けていきたいから仕事にしたいなと思って、
やってみてダメだったら諦めればいいと思って、
まずは1年頑張ろうって思ってすぐ独立した。
サークルの時からエピって名前だったんですね?
そうです。
あの時はエピ&カンパニーじゃなくてエピって名前でした。
すごいそれが本当に会社になるってちょっと感動ですよね。
そうですね。
そのなんだろう、ある意味大学生の時は趣味みたいな感じじゃないですか。
ビジネスっていう感じではなくて楽しいみたいな感じでやってて、
そこから本当にお仕事としてやっていく時ってなんか葛藤とかやっぱありますよね。
なんか葛藤というか難しさはあったんですよ。
まず私自身就職してないんでビジネスマナーとか、
ビジネスの世界の常識とか、
あと上司もいないんで困った時に頼るところもいないって言うんで、
分からないことだらけでしたし、
あとは今もあるのかもしれないですけど、
起業するってなった時に厄仮見みたいなのもあったんですよ。
小波さんがなんか金儲けに走ったとか、
はいはいはい。
なんか金の亡者になったみたいな。
ビジネスやるんだってみたいな。
ビジネスやるんだってみたいな。
21:02
そういうちょっとなんか惹かれたりとかもしましたし、
大変なことはたくさんあったんですけど、
そういう周りの人に惹かれたりとか、人が離れていったってのもありますし、
ビジネス分からなかったんで、
それで多分損することだったりとか、
あと相手の方を困らせたり怒らせたことだってありますし、
値付けとかも難しかったですし、
これをいくらで売ったらいいんだろうっていう。
例えば自分の今の感覚で言うと、
共産営業しに行く時に5000円のプランって絶対作らないです。
そんな安い金額は作らないんですけど、
でも昔って学生からしたら5000円でも大金なんで、
平気で3000円とか5000円のプラン作るわけですよ。
そういうところも全然わかんない中でのスタートだったんで、
うまくいってるようでうまくいってないっていうんですかね。
自分の中ではやれてるみたいな感じはあったんですけど、
今振り返ると全然甘かったなって思いますし、
大変なことばっかりでした。
もう体当たりして失敗してみたいなの繰り返しみたいな。
そうですそうです。やりながら学ぶっていう。
じゃあ誰も本当に教えてくれる人もいなかったってことですよね。
先に行く人ね。
すごい。
教えてくれる人いなかったですね。
いなかったというか、
本当は同じ業界の人とかから聞ければよかったと思うんですけど、
それもちょっと怖くて、
変に教えをこいに行ったら取り込まれるんじゃないかとか、
こうしなきゃいけないみたいになって苦しくなっちゃったりとかもありそうですしね。
変に恩を作りたくもなかったですし、
っていうのもあって、
頼るに頼れず、大人怖いみたいな。
大人怖い。
大人怖いみたいなところもやっぱりありましたし。
最初から会社設立ですか?
個人授業になってからちょっと。
最初は個人授業主でやりながら、
2013年大学卒業してるんですけど、
2013、14が個人授業主で、
2015年に会社を作りました。
その個人授業の間ってどういうことを仕事でやってたんですか?
でも大きくは変わらずなんですけど、
まずモデル集めてファッションショーをやっていたっていうのと、
24:02
年に1回ファッションショーをやってたっていうのと、
そこに参加してくれたモデルの子たちをいろいろ営業をかけて、
他の企業さんの広告に出てもらったりとか、
イベントにコンパニオンで入ってもらったりとかっていうので、
キャスティング業務をやったり。
あとは、ファッションショーをやってたので、
ちょっとしたイベントの企画・制作が、
マーケティング調査っていうんですかね。
学生ばっかり当時はいたので、モデルが。
学生のアイディアを取りまとめますよ、みたいなのをサービスにして。
学生にパイプがあることを活かしてってことですか?
そうです、そうです。
わりと個人事業やり始めてからも、仕事はそれなりに継続的にあった?
ちょこちょこあったんですよ。
もちろん潤沢に仕事があったとか、
潤沢にお金が売り上がったとかではなくて、
もう私の給料5万。
5万、私がもらえたらいいぐらいの売り上げだったんですけど。
月ってことですか?
そうです、月5万です。
やっぱそっか、そんないきなりガッとは稼げるものではない。
はい、稼げるものではなくて、
家賃3万のボロ木造アパートに住んでましたし、
生活費で5万なんてすぐ消えますよね?
すぐ消えます。
どうしてたんですか?貯金?
一応そうなんですよ、大学の時に貯金してたんで、
それをちょっと切り崩してやったりとか、
あとは追加でバイトもしたりしてたんで、
私の会社からの給料は5万なんですけど、
あとなんかもうちょっと自分のバイト以外で、
5万円追加みたいな感じとかで、
全然裕福な生活はできなかったんですけど、
ただそれでもやりたいことをやれてたんで楽しかったです。
そうですよね。
多分周りの同級生とかは会社員になってとかだったりするとね、
なんかちょっといいなとかなかったんですか?
でもやっぱりやりたいことやってる方がやっぱり幸せ。
そうですね。
なんか同級生で会社に就職して楽しそうにしてる人っていうのは、
27:04
どっちかっていうとあんま合わなかったんですよね。
だからそのいいなとか思う機会すらもなかったというか。
なるほどね。
すごい。でもそこに大学生の時点でいうか、
その若い頃に気づけてるのがすごいなって思います。
もう会社に行くものとしか思ってなかったから。
まあそうですよね。
だからもう全部震災で人生変わったっていう感じ。
私も別に起業しようって元々思ってたわけじゃないですし、
それこそこんなモデルになろうって憧れはあったけど、
結局諦めてたんで。
ただ震災の時にたくさんNPOとか復興支援団体系の人たちが東北に入ってきて、
企業の人たちも復興支援で入ってきてて、
その時に経営者ってこんな身近にいるんだっていうのも気づきますし、
私も全然震災なければ普通に就職して働いてたんでしょうけど、
後悔したくないなって今を本当に生きたいなっていうのと、
経営者って意外とたくさんいるし、いろんな人がいるし、
経営者のイメージも私が持ってたのって、
とにかくすごい社長さん、社員がたくさんいてお金持ってて、
必ずしも社長ってそんな大企業の社長だけじゃなくて、
一人社長の会社もありますし、NPOとか非営利団体みたいなのとかもあるっていうのも知りましたし、
その震災の時に。
それで自分の中で選択肢がかなり広がったっていうのはありましたね。
まずそういう人たちがいるんだって身近に感じるだけで違いますよね。
確かに。
普通に会社立ち上げる時も、すごい何ていうのかな、
割とすんなりっていうか、会社にしろみたいな感じだったんですか?
そうですね。
最初1年やってみてダメだったら諦めよう。
1年なんとかなった。
じゃあもう1年やってみよう。
もう1年なんとかなった。
そろそろ会社にしようかなって思ってた時に、
仙台放送さんに法人じゃないと取引ができないって言われたんです。
30:11
個人とは契約ができないって言われて、
テレビの仕事欲しいなって思って、
よし会社にしようっていう感じで。
息が来たみたいな。
周りの仕事をもっと拡大させるために会社にした方がもっと拡大できるのであれば、
やっぱりこのタイミングでチャレンジしたいなっていうので、
法人事業主の時と一緒です。
会社も作ってダメだったら辞めればいいやっていう気持ちで、
3年目で法人化しました。
その時は所属は何人ぐらいいらっしゃったんですか?
あれ何人でしょうね。
でも20人ぐらいだと思いますけどね。
まだマネージャーさんとかはその時はいないんですか?
はいないです。私一人です。
一人でその20人を束ねていろいろやってたんですね。
ただ大学生の、エピの時に一緒にやってくれてた大学の友人だったりとか後輩もいたので、
その子たちが一応マネージャーとかスタッフ的な動きはしてくれてました。
そうなんだ。
すごい、でもやっぱりそこを対企業みたいになってくると、
やっぱり会社の方が信頼度っていうか、やっぱりありますもんね。
仕事取ってくるときに。
そこから会社立ち上げてからは今何年目ってことですか?
11年目。
11年目、10年以上経ってるんですね。
です。
その11年の間にもう辞めちゃおうかなみたいなこととかなかったんですか?
いやめちゃくちゃありますよ。
もうめちゃくちゃありすぎて、辞めたいと思ったことありませんか?
いやもう回数も数えられないぐらいありますっていう感じ。
でも辞めてない?
辞めてないですね。
なんでですかね?
やっぱ好きなんでしょうね。
どんなところが好きなんですか?
何が好きなんでしょう?
なんでしょうね、やっぱり楽しいんですよね。
楽しい。
やってて、モデルが大きい仕事があれば嬉しいですし、
33:04
うちとして大きいファッションショーのプロデュースの話とか、
そういう開発系の話来たりとかってなるとよっしゃって思いますし、
そのやりがいっていう言葉になるのかわかんないですけど、
やってて、やっぱり楽しい、このまま続けたいから辞めるの辞めようみたいな。
辛いことは多いですけど、大変なこととか。
それは本当、いろんな面で大変な部分ってあるので、
人間関係もそうですし、お金の部分もそうですし、
もうダメだって思うことってたくさんあるんですけど、
でもそういう時に、私運がいいので助けてくれる人が現れたりとか、
状況が良くなったりとか、
あとは私がもうどうでもいいやって気にしないとかいろいろあるんですけど、
状況が好転して良い方向に向かったりもするので、
なので、もうちょっと頑張ってみよう、もうちょっと頑張ってみようって言って10年経ちました。
すごい。
でもなんか、多分あれですよね、
そうなるようになるっていうか、
結局死なない限りなるようになりますもんね。
そうです。何とかなります。
そうですよね。
ちなみにその前、私ちょっとインタビューで聞いたんですけど、
パリコレに出たっていうのは去年、一昨年とかですか?
2024年です。
2024年。
それは何だろう、小波さんの自身の夢とかだったりするんですか?
そうですね。
実際に私が本格的にモデル始めたのは、
そのパリコレがきっかけになってますね。
だから、すごいちょろちょろちょろちょろ細かくいろいろ広告出たり、
ファッションショー出たり、レッスン受けたり、テレビに出たりとか、
そういうのも合わせると14年ぐらいやってるんですけど、
本格的にモデルですって名乗れるレベルっていうんですかね、
はその時からなんですけど、
まずコロナがあって、
コロナの時って、うちの業種って人が動いてなんぼの仕事なので、
ほとんど仕事がなくなったんですよ。
36:03
それこそさっき言ったところの会社辞めたいっていう状況ですよね。
辞めたいというか、放散するっていうレベルだったので、
その時にやっぱり仕事もないし、
人の採用も止めざるを得ないので、
人の採用を止めると、今度出てくだけになるので、
仕事もないし不安定な世の中で、モデルも不安になるわけじゃないですか。
モデルなんてやってる場合じゃないってなって、
モデル業やめますって言ってどんどんどんどん減っていって、
コロナ前って一時期うち100人ぐらいいたんですよ、所属の子が。
いたんですけど、その子たちもほとんど辞めてって、
20人生きるぐらいまで減ってしまって、仕事もないし、
もうダメかもって思ったんですよ。
ダメかもって思うと、自分もちょっとうつ病っぽくなるっていうか、
働けないなみたいな、動けないなみたいになってきて、
動いてもうまくいく未来も見えないしっていう時に、
このままじゃダメだなって思ったんですね。
このままじゃダメだけど、何していいか分かんなくて、
いろいろ考えたんですよ、時間はあったんで、暇だったんで。
もう会社がダメになるかもしれないってなった時に、
会社はもういいやと。
今まで会社のために、うちのモデルたちのためにって、
私は自分を身を削って給料5万でもやってたわけですよ。
じゃなくて、私は私のために努力したりとか、
自分のために一回動いてみようって思ったんですね。
そうだって、私なんでモデル事務所やってるんだっけって、
モデルが好きだったから、モデルに憧れてたから、
自分自身がやりたかったけど諦めてたことに、
よし、自分が出る側に今年はチャレンジしてみようって思ったんです。
いや、どん底からそこに上がったのがすごいですね。
すごい。
今、結局うまく立て直してるんで、美談になりますけど、
悪い話で言ったら、うちのモデルとかも知らねえみたいな。
うちの会社知らねえみたいな。
39:01
ある意味は手放したっていうか。
そうそう。
いや、チャレンジするんだったら、そうです。
もううちのモデルとか知らんって言って、
うちのモデルにももちろんアナウンスはしたんですけど、
パリコレのオーディションあるよって受けたい人どうぞってアナウンスしつつ、
自分も知れって応募して、
もううちのモデルたちも全員ライバルだから、
育てるとか情報投票もしないし、
もう私は私のためにこれ全部やるんだみたいな感じの、
そんぐらいの勢いでチャレンジしたんですよ、
そのパリコレのオーディションに。
そもそもパリコレのオーディションって持ってこれるものなんですか?
それも運がいいんですよ。
で、うちもダメだなって思ってた時に、
たまたま打ち合わせで話した相手がカメラマンさんで、
東京のカメラマンさんで、
初めましてだったんですけど、
いろいろ話してるうちに、
私の知り合いで今度パリコレに出展するデザイナーさんがいるんですけど、
紹介しますかって言われたんです。
すごい。
本当ですかって。
で、ぜひ紹介してくださいって言って紹介されたのがけみさんっていう方で、
パリコレのデザイナーさんで、
それでうちの事務所としてもパリコレとか海外歩くモデルを輩出していきたいんで、
ぜひオーディション情報くださいって言って、
オーディション情報をもらって。
すごい。
じゃあそのご縁がなければ出てないっていうことですね。
ご縁なければ出てなかったと思いますね。
そういうオーディションが開催されてるのも知らなかったと思うんで。
すごいですね。でもやっぱりなるようになってるというか。
そうなるようになってるんですよ。
もうなけなしのお金をかき集めて、
自分もウォーキングレッスン通ったりとかして、
オーディション対策して。
でもやっぱりこの10年の時間って、
まだ当時は10年経ってなかったですが、8年と9年の時間ってやっぱ無駄じゃなくて、
昔の私だったらどうせ私なんて無理だろうって諦めてたのが、
この8年9年会社をやってきた自信っていうのは自分にもありますし、
この業界で選ぶ側もやってきてるっていうので、
どういう子が選ばれるかとか、
42:03
グランディングとか。
どういうポイント見られてるのか。
そういうのも少なくとも分かってるんで、
じゃあ自分をどう見せたらいいかとか、
審査側との連絡のやりとり一つとっても、
どういう連絡をしたら向こうの評価が上がるのかとか、
そういうのを考えて一個一個やっていった結果、合格したっていう。
すごい。
ちなみに所属モデルさんは誰か合格したんですか?
全員落ちましたね。
落ちたっていうか、これもうちょっとダメだなって思うんですけど、
うちのモデルが2人ぐらいドタキャンしてオーディション。
そうなんですね。
ダメでしょって思ったんですけど。
オーディションってどこでやるんですか?
東京でやりました。
ただ私はそれもネタに変えて、
けみきさんもオーディション会場で言ってたんですよ。
本当はもっと人来る予定だったのに、
ドタキャンしてるやつが多いみたいなことを言ってて、
うちの子だと思ったんで、
すいません、ドタキャンしたモデルを抱えているモデル事務所の社長ですって言って。
そういうのもネタになるんで、覚えてもらえるんで、
よかったんですけど。
そんなこんなで結局、うちの事務所からは他のモデルは合格はせず。
私が行くことになりました。
どうでしたか?実際パリコレンという舞台でやってみて。
なんか単純にまず楽しかったっていうのと、
いろんな意味で出てよかったなっていうのがあって。
正直、私は客観的に見て、世界にチャレンジする器じゃないなとは思ったんです。
それがまず一つ知れたのは、
突拍子もない夢は見ちゃダメだなって思ったっていうのの、
自己理解が進んだっていうのもありますし、
ただやり方を工夫すれば全然戦ったフィールドでもあるなっていうのも感じましたし。
そういうリアルな現場っていうのを見るとか、
その中に入ってじゃないと見えない世界とかもあるのを改めて知ったので、
やっぱり行けてよかったですし。
もうここが結局私も傾斜だなって思うんですけど、
45:02
だからパリコレンに出て、次どうしたいかって言われると、
私が次また出たいももちろんあるんですけど、
じゃなくてうちの子たちを出したいにやっぱりなるんです。
私が出たいじゃなくて。
だから結局私は自分のためにって言って、
この1年頑張ってパリコレンっていう夢を叶えて自分が出て、
出た先に行き着くのはどこなんだろうって言ったら、
自分のうちの子たちのために本当はこのチャンスを作りたいに、
結局帰ってきたんで。
やっぱり人にチャンスを与えたいが一番大きいんですね。
いいですね。
会社が頑張ろうって。
そうですね、確かに。
自分のためにって振り切ってやったからこそ、
その強い思いが改めて認識できたっていう。
じゃあすごくいい経験だったんですね。
本当にいい経験でしたね。
その時は出会った人でいまだにつながってたりとか、
そこから世界が広がって、
全国のモデルさんともつながれたりとか、
全国の仕事にもつながったりしてるので、
いい体験というか、きっかけになりました。
すごい。
震災とコロナなんですね。
じゃあターニングポイント。
そうですね。
偶然というか、天変地異みたいな。
そうですね。だから本来は私だけじゃなくて、
世の中みんな天気になってると思うんですけど。
でも本当に大事なことに気づけるのかもしれないですね。
そういう大きなことがあると。
すごい。
でも昔のモデルに憧れてた頃の穂波さんが、
パリコレに出る自分を想像絶対できないですよね。
してなかったですね。
すごくないですか。すごい。
じゃあみんなにチャンスがありますね。
あります。チャンスは転がってるので、
あとそれを掴めるか、掴めないか、
あとそれを掴むかって決めるかどうかですね。
決めるかどうか、そうですね、確かに。
自分なんてって決めてるだけかもしれませんもんね。
本当に。
そうです、そうです。
すごい、めちゃくちゃ熱い。
いい話をありがとうございます。
最後なんかちょっと、
私もまだ駆け出し中の駆け出しなんですけど、
これからモデル活動をちょっと頑張っていきたい方に
何かメッセージとかありますか。
48:01
そうですね、なんか、
私はすごい結局遠回りをしたんですね。
今思うと、あの時まだ20歳前、
18とか19の時にもっといろいろ、
例えば事務所のオーディションを受けてみるとか、
それこそ海外のオーディションを受けてみるとか、
チャレンジしてたら今ってもっと変わってただろうな、
みたいなちょっとした後悔とか反省みたいなのもあるんですけど、
でも今も悪くないというか、
周り道してモデルじゃなくて、
モデル事務所立ち上げてモデルに戻ってきたみたいな感じで、
一周回ったみたいな感じなんですけど、
いつからでもチャレンジできるし、
チャレンジの仕方とか、
間違わなければうまくいく。
仮に間違ったとしても失敗しても、
一番強いのって続けることだなって思うんです。
私があの時、よし会社辞めようって言って、
もうモデル事務所辞めて、
モデルの業界とは全く関係ないところで働き始めてたら、
絶対パリコレは出れてないですし、
あの時、うちのモデルを優先させたいから、
私はエントリーしないとかってきれいごと言ってたら、
やっぱり私は出れてないし、
出れてなかったら会社ももしかしたらダメになってたかもしれないし、
まずやるって決めたら、
簡単に諦めないでほしいなっていう。
とりあえずいろいろやってみる。
目が出なくても、
これだと私は目が出なかったんだなとか、
ちゃんと冷静に分析して何がダメだったのか、
何が足りなかったのか、
それを修正していけば、絶対チャンスはやってくるんで、
あとはそのチャンスがやってきた時に、
つかめる自分になっているかどうか、
準備運動できているかどうか、
が大事かなと思います。
そうですよね。
チャンスが来ている時に下向いていたら気づかないですからね。
そう、気づかないんですよ。
そこですよね。
まず気づくっていうところができるかどうかも。
気づける感度があるかどうかと、
気づいて手を伸ばした時に、
それをつかめるだけの技術とか知識とかが、
自分に蓄えられているかどうか。
それこそ10年前にパリコリのオーディションの話が来て、
51:03
でも私手を上げていたかどうかわからないですし、
仮に上げたとして多分落ちているんです。
戦い方がわからなくて。
でも私はこの10年力を経営側で蓄えてきたからこそ、
戦い方がわかるし、
どうやったら勝てるのか。
今タイミングがよくチャンスが来て、
それをつかんで、つかんだ先に
それを達成できるだけの力が私に蓄えられていたから、
達成できた。
そう考えると遠回りも悪くないですね。
遠回りも悪くないですね。
これからのモデルさんって多分お仕事も
いろいろ幅が求められそうですし、
いろんな経験とか知識とか付けておいた方が
良さそうな気がしますね。
私は結構自己分析大事にしてて、
自分に何が向いてるかとか、
あとできる、できない。
あんまり無謀なことを知らない。
だからまず自分がどこだったら戦えるのかとか、
あとどこで戦いたいのかっていう自己分析と、
あとそれを達成するための戦略、
みたいなのがちゃんと汲めてれば、
みんなある程度はできると思います。
自分がちゃんと持っているもので戦える場所を
ちゃんと見つけるっていう。
素晴らしい。
私もちょっと頑張ります。
あっこさんは既に自分でも音声配信やってるのもありますし、
社会人経験もあるし、ママだし、
ちゃんと考えて行動できる部分もあると思うんで、
すごい強いと思います、ポテンシャルというか。
スタート地点が高いと思います。
ありがとうございます。
一応自己分析はめちゃめちゃ時間とお金かけてやってきました。
それが出てるって感じですね。
ちゃんと。
嬉しい。
じゃあちょっと自分のフィールドを探します。
ここから。
探していきましょう。
ありがとうございます。
インタビューこんな感じで大丈夫でしょうか?
もうバッチリです。
バッチリです。
ありがとうございます。
じゃあちょっと一旦レコーディングはここまでにします。
はい。
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