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おはようございます。いとうゆうこです。
今日は特別編ということで、起業家の方にインタビューをさせていただいたものを配信しようと思っています。
お相手は株式会社エピアンドカンパニーという会社の代表取締役である松橋穂波さんという女性の方なんですよね。
私は今、宮城県仙台市に住んでいるんですけれども、この方も仙台にいらっしゃるということで、たまたまご縁があって知り合うことができまして、
今回、起業家という形で授業をされている、はるか先に行っている人なんだけれども、
今、すでに成功しているというか、そういう感じの方のリアルな話を聞いてみたいなって前から思っていたので、
今日はじっくりとインタビューさせていただきました。
どんな立場の人にも聞いてほしいって思ってます。
自分ビジネスに興味ある人ももちろんそうだし、
お仕事とかも今順調だから、何か新しいことやらないとか、暮らしとか子育てに今注力しているという方も、みんなそれぞれの人生において、
とってもそれぞれ気づきのある時間になるかと思うので、ぜひ、ちょこっとでもいいから聞いてほしいなと思っています。
それではどうぞ。
じゃあ、ちょっと最初に簡単で大丈夫なので、もしよかったら、自己紹介みたいな感じでお伺いしても大丈夫ですか。
松橋穂波と申します。株式会社エピアンドカンパニーという会社で、モデルの育成キャスティングの事業と、
あと女性向けだったり、Z世代向けに強いんですけれども、そこに対する市場調査だったり、その調査を元にした企画提案、
いろいろこういうアンケート結果出てるので、こういうイベントやったらどうですかとか、こういう回答出てるので、こういう商品とか開発したらどうですか、
伝え直し事と、あとは最近新規事業で始めたんですけど、ブランディングの事業ですね。
これはもともとモデルのマネジメントする中で、モデルをどうブランディングしていくかっていうのって大切なので、
それってでも企業さんにも置き換えられるよねっていうので、今後どうしていきたいかどうなりたいかっていうところと、
あとどういうふうにそれを伝えたいか、どんなふうに周りの人から見られたいかっていうところで、
それの言語化とビジュアル化を手伝いするっていう、そういう事業を今してます。はい、そんな感じです。
ありがとうございます。素晴らしい。もう今度10周年パーティーも行われるということで見ましたけど、もう10年っていうことですもんね。
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すごい。10年経ちましたね。いやーすごいですよね。
そこらへん、また後半でお仕事の方聞いていきたいなと思ってるんですけど、
まずは先日パリに行かれたということで、そのお話をお伺いしたかったんですけど、
どうでしたか?パリ。
感想としては、これはすごい月並みなんですけど、楽しかったですっていう。
パリこれのためにパリに行ったんですけど、一方で旅行っていう、しかも私初めてヨーロッパ行ったので、
初めてのヨーロッパ、初めてのパリっていうのもすごくワクワクしましたし、
いわゆるテレビとか、ネットとかでしか見たことがないような観光地に直接行って、
こういう観光の側面もすごく楽しかったですし、もちろんパリファッションウィークの期間だったので、
そういうコレクションっていう側面でも、新しい発見とか気づきみたいなのもあってすごい楽しかったです。
そうなんですね。実際出て、ランウェイですか、そこに立った時っていうのはまた特別な気づきとかはあったんですか?
私自身が一番驚いたのが、緊張しなかったんですよ。
そうなんですか?
そうなんですよ。デザイナーさんとかから人によっては緊張して、せっかくのランウェイなのに覚えてないみたいな人がいるんだよって言ってて、
これ私もそうなる可能性あるなって思ったんですけど、
いや、本当に緊張しなくて、緊張というか、いい緊張はしてたんですけど、
手足震えたりとか、頭真っ白になっちゃうとかっていう、そういう悪い感じの緊張っていうのはしなくて、
すごく覚えてますし、気持ちよかったですね、歩いてて。
気持ちよかった。
そもそもこのパリ行きに応募したきっかけとかっていうのをね、ちょっと先にお伺いしようかなと思うんですけれども、
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どういった理由でこれに応募されたんですか?
そうですね、まず本当きっかけとしてはたまたまだったんですけど、
たまたまというか、オーディションの案内がたまたま来たっていうところで、
背景としては、うちの会社って人出しをするビジネスがメインだったんですね。
そのブランティングとかは、最近新規事業でっていうお話ちょっとさせていただいたんですけど、
もともとはやっぱりモデルのキャスティングなので、撮影現場に人出したり、イベント現場に人出したりとか、
っていう中ですごくコロナで人出しができなくなって厳しい時期だったんですよね。
そこで、私自身がコロナにやられてしまったというか、会社は結局は今続いてはいるんですけれども、
本当に会社の状況としてもピンチでしたし、このままちょっと会社閉じなきゃいけないかもなっていうのは本当に考えてましたし、
そういう中で、うちのモデルがどんどん離れていったりとか、社内の状況が変わったり、
自分も落ちてったというか、やる気がどんどんなくなっていってしまって、
本来、私がなんとかしなきゃいけない立場なんですよね。
じゃあ、この事業どうするっていうので、こういう新規事業をやろうとか、こういう措置を取ろうとか、こういう対策をしようとか、
その一番先頭に立って旗を振らなければいけないはずの私が、もう旗を振る元気がなくなっていって、
もうどうしようっていう感じのコロナの期間だったんですよね。
なので、じゃあコロナ収束の宣言というか、そういうので、
じゃあもうコロナはご類になります。社会も変わらずになりますってなった時に、私戻れなくて、
本来2023年はもうコロナ開けてる年齢ではあったんですけど、それでもやっぱり戻れなくて、
で、社会もまだ戻るというか、業種とか内容によっては人出ししなくてもいいじゃんみたいなのを気づいてしまう。
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だからもう別にモデル起業しなくていいじゃんとか、予算使わなくていいじゃんってなってしまったものもありますし、
あと単純に私が動けてなくて取りこぼしてるような仕事とかチャンスみたいなのもあって、
ってなった時に、その2023年の終わりに、さすがにもうこのままだとまずいって、私のお尻にも火がついたんです。
で、この状況をなんとか変えないと、本当に私もダメになるし、会社もダメになるなって思った時に、
いろいろ自分を見つめ直したというか、なんで私ってこんなに熱持って起業してバリバリ働いてきたんだっけとか、
いろいろ考えてるうちに、あ、そうだ、私も結局モデルとかそういうのが好きで、出たい側の人間だったなぁみたいなのを思い出して、
でも会社の社長としては、私が出るっていうよりかは、私が裏に引っ込んで、そういう子たちを前に出していくのが正解なんじゃないかっていうふうにずっと考えてて、
それもあって私は、私自身はモデル活動みたいなのはしてなかったんだけど、で、ただまあそういうのにちょっと気づいてしまったっていうところと、
会社のために会社のために、周りのうちのモデルの子のために社員のためにお客様のためにっていうので、
人のためにっていうところにちょっと寄りすぎてたなっていうのも感じたというか、気づいたというか、
じゃあ私って私のために何頑張ってんのとか、私のためにどう動いてんのっていうので、会社の社長としての松橋穂波はもちろん会社の売上を伸ばすこととかが結局私のためでもあるんですけど、
じゃなくてそういうのを取っ払った時の、別に社長じゃない松橋穂波は何か今やりたいことやれてんのとか、
自分のために時間とか使えてないし、自分のために何にも挑戦できてない、いわゆる趣味何ですかって聞かれたら、仕事ですみたいな。
休日何されてますか?休日は私ないんです、ずっと仕事してるみたいな状況になっちゃってたので、これだって、これじゃダメだって。
で、私が私のために夢中になれることとか、私が本当に嬉しいとか楽しいとかっていうところに、ちゃんと時間使ったりとか見つけていったりっていうことをしないとなっていうのを本当に年末、来年はこうしようっていう抱負を立てるタイミングでそういうのを考えてたんですよ。
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そしたら、ここは私の引きの強さなんです。本当にもうこのままだとダメになる。だから何か来年は何かやらなきゃって思ってたタイミングで年明けて、
うちの会社にパリコレのオーディションの案内が来て、でもその時にこれだって。私の2024年の私のためのチャレンジはこれだって。
で、実際このオーディションの案内が来たっていうのは、社長も私としてもすごい嬉しくて、そういう海外のコレクションのオーディションの案内が来るまでの事務所になったんだとか、こういう繋がりができたっていうのは私の営業努力とかでもあったと思いますし、なのでそれも純粋に嬉しかったですし、
あと、うちのモデルの子たちにこういうチャンスを作れたっていうことが嬉しかったですし、で、応募条件見たら身長制限なしって書いてあるし、あれこれ私も出れるなみたいな。年齢制限も49歳までって書いてあったんで、あれこれ私出れるなってなって、私が出ない理由がなかったんです。
なので、うちのモデルの子たちにも出な出なって背中を押しつつ、自分もちゃっかりエントリーしてたっていう。
それが最初ですね。
そうだったんですね。なんかその中の過程ではね、もうYouTubeでたくさんアップされてて、いろんな葛藤とかも動画では見てましたけれども、やっぱりちょっとリアルで再度聞いて申し訳ないんですけど、たくさんの本当にリアルでモデル活動をしているような人たちと戦うっていう中で、
自分に向き合って自分と比較してしまうっていう状況下の中で、どうやって頑張れたのか、そこらへんお伺いしたいんですけど。
そうですね。私がもうこれにチャレンジするって決めた以上は、その、全力で戦いたいなってのはあったんですよ。
だからもちろん、もうすでに海外のコレクションを歩いてるモデルもたくさん出てましたし、身体的なポテンシャルが高い、いわゆる顔ちっちゃくて、背高くて、スタイル良くて、足長いなーみたいな人もいっぱいいたんですけど、
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じゃあ、その子たちに負けそうだから努力しないはなんかすごいダサいなって思ったので、オーディションのそのデザイナーが身長制限とかそういうのを取っ払って、
ハッピーに生きている人であれば誰でもいいですよって思っている以上は、ハッピーに生きてるっていうことが伝われば合格の可能性があるし、今回というか通常のそういうコレクションのキャスティングって、
本当にウォーキングしか見てもらえない。自己PR、私はこんな人間でこんなことを過去やってきて、高校でみたいなその自己PRする時間もなくて、写真とか見てあとパッと見た目見られて、じゃあ歩いてみてって言われて歩いて終わりなんです。
あくまでも本当に見た目とウォーキングの技術、雰囲気みたいなところで先行されることがほとんどなんですけど、今回はSNSの審査だったりとか、スチール撮影の審査だったりとか、あと自己PR面白いやつあげますみたいな感じで言われてて、
ちょっとなんて言うんですかね、エンタメ要素が強いオーディションではあったので、そこはちょっと冷静に分析して、既に海外歩いてるモデルさんとか、ポテンシャル高いモデルさんたちも、なんか面白いことやれって言われたりとか、じゃあSNS頑張れるかってなったら多分そこは違うなって思って、
私はその他の人たちが弱そうなところは逆に全部取っていかないとダメだなって思いましたし、追加でとはいえウォーキングがすごい下手だったら絶対落とされるってのも分かってて、めちゃくちゃウォーキング頑張って練習してっていう感じで、
とにかく自分の中で勝つための理由を探して、ための戦略を立てて、あとはそしたら結局オーディションの日しか周りの子たちって会うことないんで、そんなにやらなかったですね周りは。
なるほど、そっかそっか、じゃあどちらかと言うと自分との戦いみたいな感じだったでしょうかね。
そうですね、自分との戦いっていう方が強かったですね。
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すごい、でもそこの中でもやっぱりね、どうしてもだらけてしまう、今日はいいか、今日はマック食べちゃうみたいな、そういうのはなかったんですか?
いや正直それは、筋トレをすごくちゃんと毎日やろうって決めてたんですけど、それはちょっと続かなかったなっていうのがある。
あと食事もお酒飲まないようにしようとか、ラーメン食べないようにしようって思ってたんですけど、結局誘われちゃったりとかすると、断る。
一人でいるときはなんとなく、ダメだダメだっていう気持ちがあったんですけど、誰にでもパリコレ挑戦してるって言ってたわけでもなかったです。
SNS検査が始まる前までは。
そっかそっか。
あれもう最終の審査だったので、とかだと、なんて言うんですか、落ちたら恥ずかしいじゃないですか。
最初の時は言ってなかったんですよ、周り。
あ、そうなんですね。
もちろんうちのモデルたちも私が応募してるの知らなかったですし。
そうなんですか。
いや落ちたら恥ずかしいなって。
ちょっとどっかにあって。
そういうのもあって、人に誘われたら食べちゃったとか、飲んじゃったとかっていうのは結構あって、
意外と意志はそこまで、それに関する意志はそこまで。
なるほどね。
いやでもそこからね、戦って結果勝ち取ってのパリに行かれたわけですから、振り返ってみてどうでしたか?
ご自身の落ちてた時からのやりたいことに向き合って、結果今振り返ってみてご自身の活動を。
そうですね。
なんか、まずはめちゃくちゃこの挑戦してた期間が楽しくって、
あ、生き返ったなって。
生き返った。
息吹き返したな、松橋穂波として生き返したなっていうのがあって、
だから正直オーディションの期間中って、体力的なこととか会社の仕事のこととか大変だったんですよ、忙しくて。
本来は私は会社の仕事をしてないといけない時間にウォーキングレッスンしてたり、
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営業してなきゃいけないのにスチール撮影の練習してるとか、体鍛えてるとか、
だったんで、そういうところ大変だったんですけど、大変さを超えてくる楽しさとかワクワクがあって、
だから結局元気だったんですよ。
普通疲れるんですよね、普通。
もうダメだって、こんな忙しいのってなるのがなんなくって、
し、楽しい、忙しい、嬉しい。
すごい。
それで、やっぱり自分の本当に心からやりたいこととか、
あと、自分で決めたことに対して、自分との約束を守るじゃないですけど、
そのためにこうする、そのために今こうなってる、みたいなのはすごく楽しくて、
なので、まずはその過程も私はすごく良かったですし、
で、あとその集大成として目に見えるような形で、きちんとモデルとして合格っていう結果がついてきたり、
あと、SNS審査なんかだと私全国一位だったんですけど、
そのぐらいの人に応援してもらってるっていうのが、
これもやっぱり落ちてた時って見えてなかった部分で、
私は一人で戦ってるというか、すごい孤独な気持ちにもなってたんですけど、
こんなに私のこと応援してくれる人がいて、こんなにみんなに支えられてるんだっていうのを改めて気づけたっていうのもあって、
それもすごく重要な気づきでしたし、あと嬉しかったですし。
で、パリに行くことが決まってからと、行ってからは、
実際にそのショーを見てとかっていう話ではなくて、
パリに、パリとか海外に挑戦しているモデルさんたちの情報っていうのが結構入ってくるようになったんです。
環境がやっぱり変わると、入ってくる情報変わるなっていうのもあって、
それでそういう人たちのSNS見たりとか、その人たちの投稿見たりとかっていうことを通して、
今、言い方としては正しくないかもしれないんですけど、
私が思ってたよりも海外のランウェイってレベル高くないなって思ったんですよ。
っていうのが、私はやっぱり一度諦めた人間なんですね。
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身長が足りながら出れないだろうか、年齢も若くないし、今からチャレンジするのってダメだろうとか。
それで普通にこの仙台に住んでてとか、出身の青森でちっちゃいと聞いて、
入ってくる情報がハイブランドの映像とか、ハイブランドの広告の写真とか、
そうなると、皆さんすごいスーパーモデルの人たちが結構ここにはついてるので、
これ以下はもうモデルとして認められないんだっていう感覚になってたんですけど、
実際ファッションウィークって、そのハイブランド以外の新規のデザイナーさんとか、
むしろ初めてパリコレに出展しましたみたいなデザイナーさんたくさんいらっしゃって何百売って、
なった時に全てのブランドがスーパーモデル起用できるかって言ったらやっぱり問題なくて、
だからブランドもチャレンジャーだし、世界のコレクションに出展するっていうチャレンジャーの一人でもあって、
そこに対してモデルも新人モデルがチャレンジしていくってなった時に、
意外と身長やっぱ低いなとか、意外とスタイルそんな良くないな、
意外とウォーキング下手だなみたいな、私にそういう感想を持たれたモデルさんには申し訳ない。
そう感じるようなモデルも普通に歩いてるってことを気づけたのが、
すごい私はでも驚きっていうか、すごい良い気づきだったなと思って、
少ない情報量の中で、こうなんじゃないかとか、ただの妄想でしかなくて、
実を知らなければ、私はもう今回のオーディションにチャレンジしてなければとか、
パリに行ってなければ多分この気づきなかったです。
うちのモデルの子にも多分170センチ以上の子にしか、
そういうファッションショーのオーディション受けちゃダメだよ、どうせ落ちるんだからっていうような社長になってたと思うんですけど、
今だったら全然身長低い子とかでも、可能性あるって自信持っているので、
そういう気づきはやっぱり今回チャレンジして収穫できたものだったので、
そういう全てのことが気づきでしたし、自分を復活させてくれたもので、
なので、これからこの経験もとに、私は出る側っていうよりか、また一周回って戻って、
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出る側に戻る予定ではないので、そういう収穫はありましたかね。
すごい体験をさせてもらいました。
そうなんですね。
このお話を聞くだけでも多分聞いている人ものすごいたくさんの気づきがあるなって私思ってるんですけど、
この経験をもとにまたお仕事という形で、これから抱えているモデルさんとかにも関係していくと思うんですけど、
ちょっとそのお仕事に関して少しお伺いしたいんですが、
今ね、さっき冒頭でも言った通り10周年ということで、その10周年の中にさっき言ったように、
コロナとかもあって落ちてしまうみたいな時期もあったと思うんですけど、
一番最初の頃、個人事業主としてされてるっていうのをお伺いしたんですが、
その頃ほんと一番最初の原点をやろうっていうのって、どんなきっかけだったのかお伺いしてもいいですか。
私のほんとに一番最初にやろうって思ってやったのって、実はファッションショーなんです。
ここもパリポリに結局つながってるなって思うんですけど、
じゃあなんでそのファッションショーをやろうと思ったかっていうところでいくと、
きっかけとしては東日本大震災なんですね。
その時に自分自身でできることで、
東北を盛り上げたい、何か復興につながるようなこと、
ここにいる人たちが元気になるようなことがしたいって漠然と思っていて、
とはいえ、私ただの女子大生というか、まだ学生でしたし、
自分にできることって何って、何もなかったんですよね。
考えた時に。お金もないので、そういう募金みたいなのも高々知れてるし、
特殊な技術とか知識とかそういうのもないんで、
っていうので悶々と過ごしてる時期を経て、
化粧品を私自身が被災者として支援品で受け取ることになった時に、
その方からあなたは被災者である前に女性だからこういうものも必要でしょって言ってもらった時に、
ここでも気づきなんですよね。
自分は被災者だとか、ここは被災地だとかっていう方が先行しちゃってて、
でも被災者である前に、確かに女性の人間で、被災地である前にここって宮城県で東北で、
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でももう被災者とか被災地、被災地、被災者、被災、その言葉にもうがんじがらめになってたなと思って、
当時って飲み会するのも不謹慎だって言われたり、着飾って出かけるのも不謹慎だって言われる中で、
でも真の復興って、元通りの生活を何も考えずに送れるようになるっていうことが、
真の復興って捉えた時に、おしゃれすんのいいじゃん、メイクすんのいいじゃん、
それで心が軽くなるんだったら、やればいいじゃんって思った。
その時に、私そういえば仙台大学生で出てきて、めちゃくちゃ服買いまくって、めちゃくちゃお化粧品買いまくって、
要は大学デビューっていうか、青森の田舎から出てきて、そういう買い物する場所もなかったですし、
行ってるものも少なかったですし、っていう中でも仙台来て、それが楽しいってなってた自分を思い出した時に、
美とかファッションとか、そういう切り口で盛り上げるのも悪くないんじゃないかなっていう時にたどり着いて、
ファッションショーやろうと。
ファッションショーやって、学生たちたくさん集めて、なんか楽しそうにしてたら、そっからなんか笑顔の輪が広がって、
この被災地も明るくなっていくんじゃないかって。
あと女性にとって見た目整えるってすごく大事なことだと思ってて、今は男性にとってもだとは思うんですけど、
お化粧してないで外出するより、すごい綺麗にしてから外出たほうがちょっと、
衣装とかも中学校の時のジャージ着て外出るとかよりは、自分好きな服に包まれて、外出たほうがちょっと背筋伸びてるとか、
こういうのってあると思ってて、そういう気分を上げてくれるものだったり、背中を押してくれるものっていうのがファッションだったり、
メイク、美容の分野だなって思ったので、じゃあもうこれをやろうっていうことで、
手段としてはそこから正直美容系のセミナーやりますとか、ファッション系の他の形のイベントやりますっていろいろあったんですけど、
でもやっぱりその中で私がファッションショーって手段を選んだのは、結局私がそういうモデルっていう世界に憧れがあって、
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ファッションショーっていう世界観みたいなのを昔から何かしらで見た時には素敵だなって多分どっかで思ってたんで、
なのでその手段としてファッションショーを選んだっていうのはあると思うんですけど、
それが本当に一番最初の取り組みで、その時点では別に企業とかではなくて、ただの一大学生の任意団体の活動みたいな感じだったんですけど、
そこに集まってきてくれたモデルの子たちがどんどん可愛くなってて、どんどん綺麗になってきて、
で、本当にちょっと芸能目指して上京しますっていう子がいたり、いろいろミスコンテストで受賞するようになってたりとかっていうのを見た時に、
このファッションショーをただ震災復興のためのファッションショーです。だから震災が今落ち着いてきたのでやめます。
で、やめちゃうのってすごくもったいないなって思うようになって、
元々はやっぱりそのショーに見に来てくれる被災した方々を元気づけるが目的だったんですけど、
途中からそうではなくてこのショーに関わる側、内側の人間のその成長みたいな方にちょっとフォーカスが当たるようになってきて、
あ、そうだ東北ってこういう若者とか女性とかがこうやって華やかな舞台で表に出るって機会がほとんどないなっていう気づきもあったり、
でもこの場所とかこのきっかけがあれば、この箱があればこの子たちってどんどんこうやってみるみる変わっていって、
自分で目標決めて羽ばたいてってなったら、やっぱりこれ潰すのってすごく惜しいなって思うようになって、
あ、じゃあ私はもう学校卒業するけれども卒業した後もこれやりたいから、卒業後にもやり続けるためにはどうしたらいいんだろう、
仕事にすればいいんだって、右も左もわからない状態ではあったんですけど、ファッションショー屋さんとして起業したんですよ。
そうなんですね。
なんかすごくストンと腑に落ちたというか、全てがつながっている感じがしますけど、
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でもそこで個人事業主として始めた、でもファッションショーってやっぱり場所代だったり多くの人が関わるというところで、
やっぱり先立つものが必要なのかなと思うんですけど、そこら辺の苦労とかっていうのはどういうふうに乗り越えていったんですか。
そうですね、まずは収支計画みたいなのを、情報を引っ張ってきて身を見真似で作って、もちろんお金足りないってなるわけですよね。
そしたら、協賛営業っていうのを、生まれて初めての営業ですよね。
それ、身を見真似で協賛のお願い資料みたいなのでググって、
人で引っ張ってきた情報でそういう資料とかも作って、
協賛に今で言うとテレアポですよね、電話とかから、
すいません、何々大学の何々なんですけれど、こういうのやりたいんですけど、お金出してくださいみたいな。
そう、すごい、素晴らしい。
やってましたね。
なるほど、そこはもうやるしかないっていう感じで動いちゃったって感じなんでしょうかね。
そうですね、だから本当に今の私よりも当時の私の方が怖いものを知らずというか、守るべきものとかもないですね。
とにかく何か思い立ったらやろうみたいな感じでしゃらに動いてて、
だから当時からそういう周りを巻き込むみたいなところが長けてたのかもしれないんですけど、
それで、私一人じゃなくて一緒にそういう営業してくれるような友人とかもどんどん増えていって、
今度企業さんも賛同してくださる企業さんが一社二社って増えてくると、今度その企業さんが紹介してくださるんですよね。
いい取り組みだからこういう人紹介するよとか、こういう企業さん紹介するよみたいなのでどんどんどんどん広がっていって、
お金も集まりましたし、衣装も協賛いただいてたんですけど、そういうブランドさんも応援でついてくれたり、
ヘアメイクさんもそういうヘアメイクアーティストの方がご協賛でついてくださったり、
ウォーキングのレッスン、モデルのレッスンもウォーキングの先生がついてくださったり、
どんどん輪が広がっていって、結果、ちゃんと成り立ったっていう。
はい、すごい。
なんかその過程では、これは私の勝手な仮説なんですけど、やっぱり穂波さんが自分がこうしたいっていう思いが明確にあって、
その言葉できちんと伝える力があったのかなっていうふうに感じたんですけど、
そこらへんこう自分の思いを言語化できてたとかっていう感覚はありましたか?
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それはありましたね。
私の中でやりたいことが明確で、こういうことがしたい。
要はファッションショーもファッションショーがしたい。
ファッションショーも、じゃあ何のためにやるの?こういう目的でやりますとか、
そういうのはすべて言語化できてたっていうのはあります。
私がむしろしたことってそこしかないですね。
私はもう旗振り役で、私がしたいのはこれだって、この未来を作りたい。
この未来を作るためにみんな手伝って、わーって。
ここにわーってついてきてくれた人たちが、じゃあこういうのやる。
じゃあこれ自分がやるよとかこういう人紹介するよっていうので、
道ができてたっていう感じですね。
なるほど。
私は今までいろいろ接する方とかお話聞く機会があるんですけど、
そういう方の中には漠然とした思いはあるけど、
それがちょっと自分の中できちんと言葉にできないとか、
ちょっとこういうことやりたいけど変かなっていうか、おかしいかなとか、
私がやることじゃないかななんて、それで行動が止まってしまうような人もいる印象なんですよね。
ほなみさんがもしそういう人に会った場合、なんかアドバイスするとしたら、
そういう方々になんてお伝えしますか。
これ結構難しくって。
私はどっちかっていうと、それの感覚でできちゃうタイプなんだ。
なるほどね。
そこに対しての言語化はできてないんですよ。
やりたかったらやればいいじゃんって。
なるほどね。
なんていうタイプなので。
難しいんですけど、ただ一つ言えるとしたら、
その前にもっと自分とちゃんと向き合ったほうがいいかなと思ってて、
っていうのも私も1年ぐらいは瞑想期間だったんですよ。
私にできることで東北を盛り上げたいまではできてます。
できてるというか、あったんです。
じゃあ何する?は、すぐファッションショーやるってなってないので、
それでいろんな学生団体のぞかせてもらったりとか、
そうするといろんなの見えてくるんですよ。
学生団体、海外の発展途上国の支援してる学生団体いると、
なんか素敵だなとか、やろうって思った。
あ、違う違う、海外じゃない、海外じゃない。
まず大事だみたいなのでとか、
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もしかしたら趣味とかから糸口が見つかるんじゃないかっていうので、
新しいそういうのやってみようって常話クラブ行って馬乗ってみて、
馬怖い無理ってなったりとか。
それでそういうのでいろいろやってって、
これが好き、これが得意の他に、これは興味ない、これは嫌い、これは苦手だったを増やしてったんですよ。
だからまずいろんなのやってみて、
自分ってこれ本当に好きなのかなとか、本当に続けられるのかな、
いやしっくりこないなとか、なんか違うなとか。
実際そこに私時間も使ってるんですね。
私はもうこれだって実は1個決めたのがあって、
それが子どもの支援だったんですよ、教育支援。
その活動は1年ぐらいやったんですね。
で、1年やって違うなってなったんですよ。
これじゃなかったって。
だからやめたんですけど、
そんぐらいやるまでは気づかなかったんですよ。
私は子どもが好きだ、私はこの教育にすごく力を入れている、
私はもうこれ追い続けていくんだみたいな気持ちでやったんですけど、
結局なんか違うなっていうのと、
やっぱりファッションとかメイクの方が好きだっていう気づきにたどり着いてっていうのもあったので、
たぶん今ちょっとこれ大丈夫かなとか、
これもやっとしてる方って、
そのもやりを解消するための行動はできてないんじゃないかなと思ってて、
うーんっていう人は、
そのうーんって何に引っかかってるんだろうとか、
このじゃあ動けてない自分の要因ってなんだろうとか、
ひも解いていく必要がもうちょっとあるのかなと思ってて、
そこは本当に過去も自分のトラウマとかも向き合わないといけないと思うんですね。
昔こういうことをやったらいじめられたとか、
こういうことを言ったら後ろ指刺された、クスクス言われたとか、
でもまずはそこに気づくこと。
そうだそうだ、自分ってこういうことを昔やった時に、
こういうこと言われて嫌な気持ちになったからブロックかかってんだなとか、
私ってこういうことで過去失敗したから、またこれで失敗するんじゃないかって思っててできないんだなとか、
思い込みというか、あるはずなんですよ絶対。
できない理由が。
それをちゃんとひも解いてそこに向き合う必要があって、
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そしたら自ずと行動ってできるようになるんじゃないかなって思いますし、
あとは単純に自分で行動できてない人って行動しないっていう選択をしてるだけなので、
そこを一歩乗り越える、乗り越えて踏み出すっていうことが一番多分大変で、
踏み出せないとあと転がっていくっていうか、
違ったらやめればいい、
引き返せばいいんで、別に命取られるわけじゃないので、
そのぐらいちょっと俯瞰してというか、大丈夫だよっていう気持ちももちろん必要だと思いますし、
なので自己分析がまず必要っていうのと、
やってみてダメだったら引き返せばいいぐらいのゲーム感覚で考えてもいいと思いますし、
っていうのはあるかなって、それは伝えたり。
素晴らしい。
これを聞いている人は多分もうみんなすごいメモメモとかしてるかもしれないです。
本当そうですよね。
本当に素晴らしいお話を聞かせていただきました。
ありがとうございます。
じゃあ最後にですね、
いろいろお話伺わせていただきましたが、
最後にちょっとこれを聞いている人、もしくは花見さんが誰かに何か届けたいとしたら、
最後に何を伝えたいかっていうのをお伺いしてもいいですか。
はい、そうですね。
結局思い込みが可能性狭めてるなって。
パリコレの話もそうですし、
どうせ身長足りなかったら無理でしょうとか、
どうせもう30超えてるから無理でしょうとか、
いやでもそれ全部私クリアしました。
はいはい。
あった時に、あ、ただの思い込みだったなって、その考え方って。
であと最後にお話ししたところもそうですけど、
行動できてないって絶対何か行動できてない思い込みがあるはずなので、
それってもちろん悪いことじゃないと思います。
その思い込みが当たってることもあるし、
それが自分の身を守ることでもあると思うので、
一概にはダメとは言わないですけど、
その思い込みって今のあなたに必要ですかっていう、
それは過去のあなたを守るためにとか、
過去のあなたがあったもので、
今のあなたにその思い込みって必要ですかっていう。
あーなるほど。
それ取っ払ったらもっと可能性広がりますよっていうのですね。
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あー素晴らしい。ありがとうございます。
なんかもう聞いてる私自身がきっと思い込みがたくさんあるので、
確かにね、でも今の私に必要なのかっていうのは、
なんかハッと気づかされたので、
ちょっとまた前に進めるなーなんて思いました。
今日は本当に貴重なお話ありがとうございます。
めちゃくちゃ話しすぎちゃいました。
30分。
本当?
全然大丈夫です。
ちゃんとタイムスタンプみたいなのも付けますので、
ぜひみんなに聞いてほしい。素晴らしい時間になりました。
本当に今日はありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
今日は株式会社AP&コンパニー代表取締役の松並、
ごめんなさい松橋穂波さん大切なお名前を噛んでしまった。
インタビューいただきまして本当にありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
たったくを求めますね。