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  2. #5-1 ゲスト:東京ヴェルディ..
2024-03-01 28:29

#5-1 ゲスト:東京ヴェルディ代表取締役副社長 森本 譲ニさん①

今月のゲストは、東京ヴェルディの代表取締役副社長 森本 譲ニさんにお越しいただきました。

【今週のテーマ】

・ご自身の経歴

・日本初のプロサッカークラブを目指して創設した経緯

・リブランディングについて

・今シーズン東京ヴェルディの目標


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ビルドアップローカル、番組ナビゲーターの常田幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、
これまでの経験とゲストの皆様とともに、スポーツを通じて街を豊かにしようという番組です。
さて、今月のマンスリー・ゲストは、東京ヴェルディの代表取締役副社長、森本 譲さんにお越しいただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
はい、皆様、初めまして。森本でございます。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
早速ですが、森本さんですが、1979年、大阪府のご出身ということで、現在は東京ヴェルディの代表取締役副社長と、
一般社団法人東京ヴェルディクラブの理事長も兼務されております。
今週は森本さんに、16年ぶりにJ1に復帰した東京ヴェルディについてお話を伺いたいと思います。
森本さん、16年ぶりですよ。J1復帰。
そうですね。本当にヴェルディを応援していただいているファン、サポーターの方には、本当にお待たせいたしましたということで、
昨年のプレイオフの決勝も、合計5万2千人以上の方々に国立競技場に来ていただいて、
本当に歴史と記憶に残る試合を、上福監督一等に選手たちが全力を尽くして頑張ってくれて、
なんとかJ1に復帰できたと。そんなシーズンでございます。
本当におめでとうございます。
ファン、サポーター、本当に念願のJ1ということで、12月2日でしたかね。
清水エスパル選のプレイオフで、私も国立競技場に駆けつけていたんですけども、
本当に感動的な試合で、最後のドラマというか、皆さんが気持ちを一つにしたことで、
ああいった試合ができたのではないかと思っていますね。
上福監督は本当にシーズンを通して、守備の重要性を春のキャンプからずっと選手たち、チームに浸透させてくれていて、
最後、実はPKにつながった試合も、正直観客の皆さんもこのままいったら負けるんじゃないかという雰囲気が、
ロスタイムですね。後半ロスタイムになった時に、最後、選手たちがやっぱり信じれるもの。
上福監督が1年間をかけて積み上げてきたものを、選手たちが実行してくれて、
相手チームを取り囲んで、そのボールをダッシュしたものが最後PKにつながっていくというドラマと、
あと、我々は最後までもちろん信じてはいたんですけれども、
03:00
あのロスタイムでのPKというのは、来ていただいたお客様5万人以上が本当に涙する、
そういった劇的な最後のシーンになったのかなというふうに思いますね。
そうですね。私もスタンドから見てまして、もちろんスタンドもそうなんですけれども、
ピッチにいる選手、あの選手たちが最後まで諦めない、そういうたくましさ、そういったものを感じましたね。
そうですね。本当に選手たちが最後まで自分たちのサッカーを信じて、
自分たちだったら最後やりきれるんだという、その精神的なまとまりがPKにつながって、
最後結果はドローだったんですけれども、シーズンを通して3位で追われたという、
これもまた勝負運の強さを上福さん筆頭にですね、昨年チームがコツコツと積み上げてきた、
その結果が最後国立で大爆発したんじゃないかなというふうに思いますね。
まさに執念の勝ち上がりだったと思います。
本当におめでとうございます。
ありがとうございます。
そしてその東京ベルディなんですけれども、チームの創設からちょっと振り返っていただきたいなと思うんですけれども、
1969年、昭和44年になると思うんですが、
日本で初めてプロサッカークラブを目指して創設されたという、こういうクラブということでよろしいですね。
そうですね。はい。私ももちろんまだ生まれていないところなんですけれども、
いろんなOBの方や大先輩からいろいろお聞きするにあたってですね、
さかのぼること1968年、ベルディが誕生する前年にですね、
当時のサッカー協会の会長である野津さん、野津譲さんがですね、
翔力松太郎さんの前にですね、直接日本初のプロサッカーチームを作ってくれないかというふうにお願いにあがられたということで、
当時飛ぶ鳥を落とす勢いの読売新聞社がですね、子どもたちに夢を与えられるそういったチームを作ろうということで、
1969年にプロサッカーチームを目指す母体としてのベルディが出来上がったというふうにお聞きしております。
なるほど。まさにパイオニアという、そういった精神がすごく感じられるんですけれども、
ちょっと私の方で当時の1969年ですね、その時の日本のスポーツ界がどんな状況だったかというのをちょっと調べたんですけれども、
これがですね、まず一つはプロ野球ですね。
読売ジャイアンツが9連覇中のど真ん中、5連覇の時ですかね。
大津さん、長嶋さんが絶頂の時ですよね。
それからあと相撲界にちょっと目を向けてみますと、横綱の大富豪籍が30回目の優勝を達成していると。
これもすごい大きなビッグニュースなんですけれども、
このプロ野球とそれから大相撲、この前世紀の時に将暦松太郎さんが今度はプロサッカーだと。
ここに目を向けたというのは、この試練というのは本当にすごいですよね。
そうですね。当時サッカーはおそらくヨーロッパでは国技というかですね、メジャーなスポーツだったと思うんですけれども、
日本ではまだまだ、やっぱり巨人、大砲、卵焼きの時代で、スポーツといえば野球をみんなが志していた時代だったと思うんですけれども、
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やはり欧米に先に目を向けて、これから国際化になった時にサッカーもきっと日本で流行るだろうと。
そのサッカーをまずいち早く子どもたちに夢を見てもらえるようなプロチームを作っていくんだというその先見願はですね、
やはり将暦松太郎さんの素晴らしさなのかなというふうには、弱敗ながら思いますね。
そうですね。当時からチームのエンブレムというんでしょうかね、そこに描かれている鳥がデザインをされているんですけれども、
質素調ということでお聞きしておりますが、採用されている理由というのが、やはりパイオニア精神ということなんでしょうかね。
そうですね。実はベルディを創設することにも携わられて、元日テレの職員として東京ベルディの以前社長も務められた坂田さんの方にですね、
私がいろいろとお話を聞く機会があったんですけれども、私も実は携わる前はですね、
あのロゴは小さい頃からずっと見ていたんですけれども、思想調だとは思っていなかったんですね。
きっとワシかコンドルかなと思っていて、いろんなお話をお聞きする際に、実はこれは思想調なんだというお話をいただいて、
どういう背景ですかということを聞いた時にですね、まさに当時将暦松太郎さんを筆頭にベルディを設立されたメンバーの方々の思いとして、
日本サッカーの原流、起源になっていくんだと。
我々が源になってですね、パイオニアスピリッツを持って、これから日本のサッカーを開拓していくんだと。
そういう思いをエンブレムに込めたんだということで、秘書長を採用したと。
あともう一つ、秘書長を含めたベルディの思いとしては、ロマンを見せてくれるような、
子供たちに当時の読売巨人軍だけではなくて、サッカーでも子供たちが夢を持って憧れられるチームを作りたいんだという思いが、
エンブレムに最初に作られた方々の思いとして詰まっているというふうにお聞きしております。
その秘書長が今でも引き継がれているということですね。
そうですね。
ベルディといえばですね、チームが創設して、日本サッカーリーグの時代から強烈な個性があるチームとして非常に人気があるんですけれども、
その中でいち早くブラジル、このブラジルのサッカー文化も取り入れられているということなんですが、
この辺りのお話をちょっとお伺いしたいなと思うんですが。
はい、これも私の大先輩の方々からいろいろお聞きをしたお話になるんですけれども、
やはり1969年にベルディを創設されたタイミングからですね、
いち早く世界を目指せるプロチームを作ろうということで皆様がご尽力されたというふうに聞いているんですね。
ターニングポイントは1972年に当時の監督をですね、当時は珍しかったと思うんですけれども、海外から招聘をして、
当時オランダ人のフランスファンバルコムさん、監督としていらっしゃったと。
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それまでにも実は創設以降、当時やはりサッカーの最先端ということで、今もブラジルが非常に有名なんですけれども、
ベルディは当時からブラジルから選手をたくさん日本に招聘をして、中心となっていたのがジョージ・ヨナシロさん。
そのジョージ・ヨナシロさんのプレイヤーを、個人儀を思う存分生かすための戦術と、
あとバルコムさんのオランダ人としての勝負強さ、厳格さをですね、掛け合わせて、それが今の東京ベルディのプレイスタイルの源になったというふうに聞いております。
そうなんですね、なるほど。
あとそれからスタッフの関わり合いということなんですけれども、ホペイロといわれる用具係、これもいち早く導入されたということですよね。
そうですね。やはり選手たちを取り巻く環境をですね、プロを目指すからには、きちんとしたプロフェッショナルをそれぞれの分野で設けるべきであるというふうに当時のスタッフの方々が考えられて、
ホペイロといわれる用具係をですね、専門に専任として設けるであったり、ベルディとしてのクラブハウスの中に選手たち専用の食堂をきちんと設けるであったり、
あとはそのクラブハウスの横にですね、天然芝のグラウンドをきちんと隣接をして、その中で紙質も含めた異色獣を完備するという、
そのヨーロッパでは当時当たり前だと言われていたかもしれないんですけれども、日本ではなかなかそこまでの環境が整っていなかった。
その中で用具係、ホペイロの導入も本当に日本の中では最先端、いち早く導入をしてプロの環境を整えていったというのがベルディの歴史であると聞いております。
ここも一つのパイオニアと言いますか、今では他のクラブチームあるいはいろんなスポーツチーム、用具係って当たり前のような感覚になっていますもんね。
そうですね。
ありがとうございます。
そして1993年ですね、いよいよ日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグが開幕するわけなんですけれども、ようやくプロサッカーの時代が到来するということで、
日本中がですね、Jリーグに熱狂して、その中心は東京ベルディ、当時はベルディ川崎でした。
この時のですね、当時の森本さん的な印象っていうのをですね、少しお聞かせいただきたいんですけど。
はい、自分ごとで恐縮なんですけれども、当時私は中学生でですね、サッカーを練習する毎日を送っていて、いわゆるサッカー構造としてJリーグの開幕をワクワクしながら、テレビの前でもう悔い入りように見ていた記憶が鮮明に今も覚えています。
当時は本当に運動神経のいい子たちはもう全員野球をやるんだというようなクラスの中で、小学生でも中学生でもそういった風潮が当たり前の時にですね、サッカーを通してプロになるんだと。職業として選ぶことができるんだというのはもう我々子供たちにとっては衝撃的な出来事で。
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目の前にそのプロがあれだけの煌びやかなステージに立って、あれだけの観客を集めて試合をしているということが、どれだけその当時のサッカー少年たちの目標、そして夢を掻き立てたのかというのはものすごい影響力があったというのはもう間違いないと思います。
当時はやっぱりプロになるというのは、個人種目の相撲とかジョッキーとかですね、あとゴルフ、ボクシングというのは職業にはあったと思うんですけども、それ以外のプロチームというのはやっぱり野球しかなかったと思うんですね。
その中でサッカーとしてもプロチームとして自分でご飯を食べていく可能性があるんだというのは、本当にサッカーをやっていた子供たちだけではなくて、当時のいわゆるアマチュアの選手たちもですね、その後のプロサッカーの発展をみんなが信じて、夢見た瞬間がJリーグの創世期、開幕だったというふうに記憶しているんですね。
とにかく人気がありました。
もう中学生だったので、私は中学のスイターというところに住んでいたので、いわゆる岩場大阪のお膝元だったんですけども、どれだけ人気があったかというのは、女子の中高生にものすごい人気があって、当時のエピソードでいうと、男子中学生がですね、好きな子に告白してデートに誘うときに、Jリーグチケットがあるよって言うとですね、必ずデートが成功する。
それぐらいの女子中高生も含めて、とにかくJリーグのスタートというのは、皆さんにとっての期待と夢を提供できたんじゃないかなというふうに思いますし、私たち少年サッカーをやっていた子どもたちも、まさか世界のスーパースターがですね、この日本に来て。
そうですよね、いろんな選手が来ましたね。
自分たちの目の前で本当にプレーをしてくれるっていうのは、また夢だったわけですね。
テレビの向こうで、夜眠い目をこすって見ることしかできなかったスーパースターが、日本の目の前でプレーをすることのこの影響もですね、やっぱりその後の日本のサッカーの成長のスピードをものすごく早めたと思いますし、
私は残念ながらプロにはなれなかったんですけども、その後の日本代表の活躍にも間違いなくこのJリーグの開幕というのは大きな影響を与えたんだろうというふうに思います。
なるほど。そのJリーグですけども、その輝かしい開幕を迎えまして、ベルディもですね、Jリーグ開幕から2連覇、Jリーグチャンピオンとして輝くんですけども、その他多くのタイトルを獲得いたします。
その後、ホームタウンを川崎市から東京都に移転しますが、2006年にJ2に降格すると、本当に流星を誇っていたチームがJ2に降格してしまうという、こういった歴史をたどるわけなんですけども、一度復帰を渡すんですが、再降格してこれまで長い長い辛い時代が続いたということになりますね。
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そうですね。2009年から合計15年間、ずっとJ2にベルディはいました。ただ、その間もサポーターの方、ファンの方、そしてスポンサー企業の方、そして何よりもホームタウンを中心とした行政の方々ですね、こういった方々には本当に辛抱強くJ1への復帰を待ち望んでいただいて、
その間もすごく熱心に応援をいただいたというのは本当に感謝しかございません。最近サポーターの皆さんから言われていたのがですね、やはり15年以上ですね、J1から遠ざかっているとサポーターの中にもやっぱり10代20代の方々が多くいて、彼らはやはり物心をついた時にベルディがJ2にいたと。
だからJ1のベルディを自分たちは実は生で見ていないんだと。このメッセージを本当に重く我々も受け止めていて、何とか一刻も早くJ1に上がっていきたいという思いで当然取り組んではいたんですけれども、今回J1に上がることができたことでですね、少しでもそういった信じて待ち続けていただいたサポーターの皆さん、そして地元のホームタウンの皆さん、
何よりもベルディを応援していただいているサポーターの方々、スポンサーの方々、皆さんに少しはご恩返しができたのかなと思いますし、何よりも一番辛い時に支えていただいた皆様のメッセージや思いというのは我々はもう一生忘れることはないなと思いますし、その思いを持ってこれからもJ1のステージで一生懸命戦っていきたいなとそんな風に思っております。
昨年J1昇格プレオフを成しまして、16年ぶりということでJ1復帰が決まったわけなんですけれども、現在上福監督の下で新しいチームがスタートしておりますね。改めてちょっとお聞きしますが、J1復帰とそれから新しいチームでのスタートした思いというんでしょうかね、今のご心境というのはいかがでしょうか。
本当に上福監督には心から感謝をしております。ベルディというのは1969年に誕生して、その後素晴らしい成績を残した時代を経て、その後にJリーグが誕生して、またそこで様々なタイトルを取ることができて、その後J2に長く定名をする時期を経て、上福さんに来ていただいた上で今シーズンからJ1。
大きく捉えると、やはり創世記の第1章と、様々なタイトルを取って一緒に上昇軍団として活躍できた第2章と、すごく苦しい思いをしてJ2に定名していた第3章と、これから第4章を迎えていくというような新たなベルディを引っ張っていっていただける、そういったリーダーシップを持っている監督が上福監督なんだろうというふうに思っています。
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具体的には昨年の夏から指揮をとっていただいたんですけれども、本当に一言で言うとプロフェッショナルの監督だなというふうには思っています。
一番いい選手たちのことをよく見られていらっしゃいますし、何よりもクラブ全体をサッカーのピッチ上だけではなくて、クラブ全体がどうなればより強くなるのかということを本当に我々とともに、経営陣とともに真剣に考えてアドバイスまで一緒に議論していくと。
こういう細かいところまでを築いて実際に実行に移していただけるというのが本当に彼のすごい素晴らしさだと思いますし、それを選手たちも彼のリーダーシップを受けてですね、一丸となって戦うそういったチームマネジメントができたからこそ、今回J1に昇格ができたんじゃないかなというふうに思っていますので、本当に彼でなければこのタイミングでのJ1というのは正直難しかったのかなというふうに考えております。
東京ベルディ、プロスポーツチームとして非常にブランディングに成功しているという印象が非常に強いんですけれども、このリブランディングについてお話をお伺いしたいんですがよろしいでしょうか。
はい、そうですね。先ほどのお話にあったとおり、1969年に東京ベルディが誕生してからちょうど50年を迎える節目の2019年にエンブレムとロゴを変更させていただいたというのが、いわゆるリブランディングスタートだったと思います。
これはただ単にデザインを変えるということがフォーカスされがちなんですけれども、当時やっぱり50周年の節目を迎えたときに、その誕生したタイミングと2019年では経営体制も異なっていますし、何よりも長くJ2に定名していたベルディをですね、どのようにしてこれからJ1、またV1回復させていくのかというところを
決意表明としてJ1に向けて本気で取り組んでいくんだということを社内外にきちんと表明をする意味でのリブランディングという意味では強かったというふうに記憶しています。
合わせてその時に実はサッカーチームだけではなくて、ベルディはバレーボールチームと、あとはeスポーツチーム、そしてトライアスロンチームというベルディのエンブレムをつけて活躍活動してくれているチームが複数あったんですけれども、このタイミングで当然男子はJ1に返り咲いていく。
次の50年を目指していくための決意表明と、あと総合型クラブとしての新しいベルディの形を模索していくというこの2つの意味を持って2019年にその決意表明の形と表れとしてブランディングロゴを開始させていただいたというのが背景なんですね。
その時にすごく気を使ったのがやはりその50年間も同じエンブレムで創設いただいた皆様の様々な思いが詰まっているというふうにはもちろん聞いておりましたので、当時の東京ベルディの社長を務められていた元日テレ社員の坂田信久さんというベルディをずっと支えてこられた方にも直接ヒアリングに来まして、どういう思いを継承していけばいいのか。
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そしてそのリブランディングに対する思いなんかも率直にお聞きしたところですね。すごくありがたいお言葉をいただいて、これからのベルディを作っていくのは皆さんであると。ですから皆さんがやりやすい形で変えていってもらうことが自然体なんだと。
ただもし次のリブランディングロゴを変えていったり次のチームの世の中への発信を検討いただくにあたってはやっぱりパイオニアスピリッツと世の中の人がベルディを見たときにロマンを感じれるようなそういった思いは是非継承してもらえるとありがたいという言葉をいただきまして。
実はそのリブランディングのエンブレムを変えるときに基礎調のマークをかなりシンプルにして今のロゴのデザインにさせていただいたというのと、やはりチームそのものが世の中に対して勝てばいいというチームではなくて、チームが目指していく姿というものをきちんと世の中に対してコミュニケーションしていくということを心がけていこうというのがリブランディングの裏側だったんですね。
その中で実際のデザインを起こしていくタイミングではですね、世界的に有名なデザイナーをネビル・ブロディというデザイナーがいるんですけれども、彼に依頼をしまして、彼はサッカーの母国と言われているイングランドの代表チームのユニフォームのデザインなども監修している人物だったので、
その専門家にですね、サッカーのことがきちんと歴史的にもサッカーのエンブレムを変更することの重みをちゃんと知ってくれているそのデザイナーに背景と思いとバックグラウンドなんかもきちんとインプットをして、出てきたデザインが実は100個以上ありました。
100個ですか。
それをきちんと精査させていただいて、我々の思いとですね、今までのOB、OGの方々の思いも含めて、最終的にかなりシンプルな形にさせていただいたんですね。
そのシンプルにした理由のもう一つは、これからのコミュニケーションにおいて、ほとんどがデジタルコミュニケーションにこれからシフトしていくだろうと。
その場合、デジタルコミュニケーションでかなり細かいデザインになってしまうと、画面上で崩れてしまう。何のロゴかわからなくなってしまうという、そういった状況もありましたので、シンプルなロゴにして、
かつ、もちろんベルディの名前の語源になっているポルトガル語の緑という緑色はきちんと継承して、そのパイオニアスピリッツとロマンを見せることができるチームというその理念を継承する形で、2019年にリブランディングしたというのが背景でございます。
24:10
本当に50周年を機に、ただ単にリブランディングをしたということではなく、いろんな重いのが詰まった、そういったような取り組みだったということですね。
そうですね。
ベルディのリブランディングがスタートして、現在は他のクラブチームも、おそらく何チームかエンコウを加えているというチームもあるんですけれども、グッドデザイン賞、こういったものもベルディが受賞して、非常に幅の広がる新しい取り組みだなというふうに、そんな印象を受けましたね。
そうですね。ありがとうございます。当時はやっぱり2019年のタイミングでは、エンブレムとかロゴを変えていくということがそこまで一般的ではなかったんですけれども、グッドデザイン賞をいただいた背景はですね、ロゴの変更のデザインに対する評価ではなくて、ストーリーですね。
ベルディが次の50年に向かって新たな決意表明をしていくということと、総合型クラブも含めた新しいベルディのスポーツクラブの形をデザインしていこうとしている。こういった全体の取り組みに対してのご評価ということで、グッドデザイン賞をいただいたというふうに聞いております。
なるほど。ありがとうございます。最後にですね、今シーズンの東京ベルディの目標をお願いいたします。
はい。まず競技面ではやはりJ1への残留と、今後できればJ1の優勝を狙っていく、そういったチームづくりの礎を今シーズンは築いていく。そんなタイミングが今シーズンであるというふうに考えております。
それ以外にも、やはりこれまで応援いただいてきていたホームタウンの皆さん、もちろんこれは北区の皆さんにも含まれるんですけれども、サポーター、ファンの皆様、そしてスポンサー、行政の方々、今までベルディを応援していただいた方に、やっぱりJ1で戦っていく、その姿を見ていただいて、勇気を持っていただけるような、そういった戦い方を年間を通して全力を尽くしていくというのが我々の目標というふうに考えております。
とは言っても、ベルディというのは株式会社でございますので、自分たちで民間企業として売り上げを高めて、一つの会社として、自立した企業として収益を、さらにチームの共感に投資していけるような、そういったサイクルをきちんと運営として、経営として築いていきたいというのがビジネス面での目標になります。
わかりました。ベルディの創設からリブランディング、そういった細かいお話までお伺いしました。本当にありがとうございました。
今週は、東京ベルディの代表取締役副社長、森本じょうじさんに、東京ベルディについてお聞きいたしました。来週は、日テレ東京ベルディベレーザー、これについてお話をお伺いしたいと思います。ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルドアップローカル、本日はここまでとなります。番組の感想は、各媒体のコメント欄か、Xでハッシュタグ、ビルドアップローカルをカタカナでよろしくお願いいたします。
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今回特別企画、番組をお聞きいただいているリスナーさんに素敵なお知らせです。選手のサイン入りリベルぬいぐるみと渋沢くんぬいぐるみのセットを抽選でプレゼントいたします。
詳しくは、渋沢くんFM公式Xをご覧ください。皆様のご応募、どしどしお待ちしております。それではまた。
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