渡辺周馬の紹介
ビルドアップローカル!
ビルドアップローカル、番組ナビゲーターの常田 幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在の地域金融機関に勤務している私が、スポーツを通じて、街を豊かにしようという番組です。
さて、今月のマンスリー・ゲストは、一般社団法人 クラブサポート代表理事 プロビーチバレーボール選手の渡辺周馬さんにお越しいただきました。
渡辺さん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
はい、今月はバレーボールと、それからビーチバレーボールの二刀流の選手ということで、
かつ、一般社団法人 クラブサポートの代表理事もおやられております。
渡辺さんをお迎えしてですね、さまざまなお話をお聞きしたいと思っております。
まずですね、ご自身のことについてお聞きしたいんですけども、
岐阜県のご出身ということでよろしかったですよね。
どんなところで生まれ育ったんですか、小さい頃は。
一応、岐阜県の美濃鴨市っていうところに生まれたんですけども、
皆さんご存知の通り、岐阜県って海がない都府県なので、
中部地方ですもんね。
山に囲まれたエリアで、小さい頃は田んぼと建物しかないっていうところで生まれて育ちました。
自然豊かなところですね。
だいぶ自然豊かだと思います。
私もね、美濃鴨ではないんですけども、近くの地域に行った時にね、
ゴヘモチをお土産で買った記憶がありますよ。
ほんとおいしかったですね、あれは。
僕も大好きです。
皆さんね、やっぱり喜ばれるんですよね。
本当ですか。
そうなんですね、自然豊かな場所ということで。
子供の頃の話もちょっとお聞きしたいんですけども、
バレーボールやられる前に、いろんなスポーツもしかしたらやられているかもしれませんが、
最初に始められたスポーツって何だったんでしょうか。
いつも意外と言われるんですけど、柔道をやってました。
柔道?
意外ですね。
ありがとうございます。
いつ頃から始められていたんですか。
確か幼稚園、小学校入る前の、保育園の時から始めて、
一応中学3年生まで続けて、結構長く柔道をやってました。
幼稚園から中学生まで。
やってました。
そうなんですね。
柔道っていうのは何かきっかけというか、ずっとそれだけに集中してやってたんですか。
そうですね。他の習い事、例えばソロバンだったりとか、
小学校だったらピアノとか水泳とか、あと陸上ちょっとかじったりとか、
いろんなことはやってたんですけど。
結構やってましたね。
結構やってましたね。
でも柔道だけはずっとやってたって感じでしたね。
そうなんですね。
その時に目標とかあったんですか。
当時は、確か岐阜県で柔道でトップになる、優勝するっていうのが目標で、
とにかく強くなりたいみたいなところを目標にしてやってたかなとは思うんですけど、
デュアルキャリアの挑戦
なかなかそんな簡単に上手くいかなかったので、当時は。
でもね、いろんなスポーツやられてるってことは、やっぱり子供の頃から運動神経が相当良かったんでしょう。
良い方だったとは思います。
スポーツですとかは、50メートル一番速かったですね。
50メートル一番速かったですね。
そうなんですね。
陸上をやってたからっていうことじゃなくて。
ちょっとかじったからぐらいだと思いますけど、
瞬発系のバッて出すのは今もそうですけど得意な方だったので、
走るとか飛ぶとかっていうのは得意でしたね。
そうなんですね。なるほど。
いろんなスポーツを得ながら、今、ビーチバレーに取り組まれてるってことなんですけども、
バレーを始められるきっかけ、それは何だったんですか?
まずバレーが中学2年生の夏ぐらいから始めたんですけど、
一番のきっかけは中学1年生の秋か冬ぐらいの時に柔道で怪我しちゃって、
全人体を損傷みたいな形で怪我しちゃって、
一回スポーツから離れるっていう期間が半年間ぐらいあったんですね。
バレー人体だったので。
で、それ復帰するってなった時に、ちょうどそのタイミングで成長期とかがあって、
身長が伸びたりとかして、
自分の中で柔道って体質合うのかなみたいなのをふと思ったきっかけが、
思ったところがあって、
じゃあ他のスポーツやってみよう、何してみようかなってなった時に、
母がずっとバレーボール指導者とかも、
選手をやって指導者をやってた身だったので、
それを見て一回バレーボールやってみようかなっていうところが一番初めで、
バレーにそこからハマってしまってここまでやってます。
そうなんですね。
でもすぐのめり込んだって感じですか?
そうですね。すぐのめり込みました。
本当ですか。
で、またね、先ほど体格の話にもありましたけども、身長もどんどんこうなっていったってことですね。
そうですね。大きくなりましたそのタイミングで。
なるほど。前十字。
はい。人体ですね。
こう選手をされた。
そうです。
結構柔道ってね、怪我の多いスポーツですもんね。
そうですね。バレーとかに比べたら多いかもしれないですけど、
体の強さとか、そういったところは柔道のおかげで、
強い体にしてもらえたのかなとは思ってます。
なるほど。
そのバレーボールと柔道って結構対極というか、
そうですね。
スポーツの本質自体全然違いますけども、そこはスムーズに入れることができたんですか?
スムーズだったかな。
もちろん最初始めたスポーツなんで、バレーボールはできないのは当たり前でしたけど、
楽しかったですね。できないことがあって、それをできるようにしていこうって練習するのは楽しかったなとは覚えてます。
でも柔道やってたおかげで、やっぱり体強いじゃないですか。
周りのバレーやってる中学生に比べたらパワーがめちゃめちゃあったんですよ。
だからそれを活かせれたっていうのはあったし、身長もそのタイミングで伸びたっていうところもあったので、
もちろん一緒にやってるメンバーに恵まれてたっていうのはもちろんあると思うんですけど、
そういったところもあって、バレーにもっとやりたいっていう思いになれたのかなとは思いますね。
中学からバレー転校というか、あと高校も全国大会に行かれたりとか、大学も行かれ、成績を残されてると思いますけど、その時代はどうだったんですか?
一番バレーだけをやったのは高校生だったと思います。
長野県の京合高と呼ばれる高校に家を出て、市区でバレーをやるためだけに入学してっていう感じで入って、
ほんとに368日ずっとほぼバレーして、寮も監督さんの家が1階にあって、2、3階がバレー部の寮なんですよ。
だからずっと共同生活をして、しかも監督さんが学校の校長先生なんで、
もう3年間みっちりやり込んで、指導をしていただけた。そこから大学の方につながるっていうところも大きかったので、
本当に今でも感謝しています。
そういう順調なバレーボール人生というか、そういう順調じゃない?
全然順調じゃなかったです。挫折もありながらやってきました。
挫折も当然ありますよね。
もちろんスポーツなんで、皆さんあると思うので。
なるほど、わかりました。
あと先ほど岡田さんのお話にもちょっと出ましたけども、ご両親が教育者だったということでちょっとお聞きしたんですけども、
小さい頃、しつけは厳しかったでしょ?
そうですね。もちろん勉強もちゃんとやれっていうタイプだったので、
それこそ中学って語教科あるじゃないですか、テストで。
400点切ったら合計で坊主にするぞって言われて、嫌だったんで、頑張って勉強してました、当時は。
すごい、それもまた面白いエピソードですよね。
あと、大学卒業されて就職されたということなんですけども、どんな企業に就職されたんですか?
証券会社さんのお手さんの方に入社させていただいて、
デュアルキャリアっていうやり方でアスリートやりながら働かせていただいてました。
なるほど、初めからデュアルキャリア、それも考えながら就職したってことですか?
そうです。まず就職活動をする時に、バレーボール一本で入るのか、
辞めて仕事だけするのかっていうのを迷った時に、選びきれなくて両方やりたいっていうのが僕の中での回答だったので、
それを許してくれて、なおかつ今後やりたいことにつながりそうだなっていうところがどこだろうって、
仕事というか就職先を探してたかなと思います。
一番初めの就職した企業ではどんな職種、何をやられてたんですか?
もうゴリゴリの営業です、証券会社なので。
ビーチバレーとの出会い
営業って夜遅い時って当然あるでしょ?
いや全然そんなことはなかったです。僕5時に仕事終わってました。
だからバレーボールも続けられて、なるほど。
だからこそ効率よくはもちろんですし、もちろんそれが結局バレーボールもちゃんと頑張れるっていうところに
つながったかなとは思ってます。
ちなみに営業成績はどうだったんですか?
一応新人賞とかを取ってたので、講座開拓件数とかはトップ5とかには入ってます。
すごいじゃないですか。
ありがとうございます。
やっぱりそういう才能もあるんですね。
二刀流じゃないや、デュアルキャリア。そこでバレーボールだったじゃないですか。
ビーチバレーそれを選択したきっかけって何だったんですか?
本当最初一番初めビーチバレーに触れたのはそれこそコロナのおかげなんですよ僕は。
インドアの体育館だと緊急事態宣言明けでなかなか体育館使えなくて東京都が。
なるほど。
ただビーチバレーだと屋外なんで、使えるよっていうところから
じゃあちょっと一回運動もしないといけないからビーチバレーやってみるかっていうのが一番初めのきっかけで
そこからビーチバレーにハマって、でもビーチバレーも本気でやりたいっていうところから
今どっちかというとビーチバレーの方がメインになっちゃってますけど、のめり込んで今頑張ってます。
やっぱり当時思い起こすとアリーナスポーツとか室内のスポーツっていうのがかなり厳しい状況になって
逆にゴルフとか屋外スポーツが盛んになるという。
そうでしたね本当に。
そういう時でしたよね。
それがきっかけでビーチも好きになったというか。
そうですね。
その時は就職を働きながらでしょ?
その時も証券会社にいて、もちろんビーチバレーよりかはその当時はもちろんインドアの普通のバレーボールの方がメインだったので
インドアの練習とか試合がない時にビーチバレーをちょっとやって
社会人になった3年目ぐらいのタイミングからビーチバレーの方に本腰を入れてやるようになりましたね。
その後独立されるわけですよね。
一般社団法人クラブサポートを立ち上げられるんですけども
この会社を立ち上げるきっかけというか
デュアルキャリアをやろうと思えば、先ほどお聞きした証券会社でウイヤル教員も続けられると
これで十分なんじゃないかなと思っちゃうんですけど
そこでまた新しいことをやろうと。
それはきっかけはどうだったんですか?
きっかけは就職活動している時から
自分自身で事業を作ってというか、自分で何かやっていきたいなっていうのはもともとあって
それこそ両親が教員っていうところもあったので
当時から部活動の指導だったりとか
じゃあそこで何かやっていきたいなっていう思いはあったはあったんですけど
じゃあどうやったらいいのかっていうのももちろん新卒のペペが何もわかるわけないので
とりあえずまずできることをやろうっていうので、その証券会社に入ってバレーボールをやってたんですけど
これだったらできるかもなっていうものも見つけれたので
独立しようっていう決意を持って辞めて独立したっていう感じですね
なるほどね。
一般社団法人クラブサポートの設立
次週にですね、詳しいことを会社のね
一般社団法人の詳しいことをちょっとお聞きしたいなと思ってますけども
勤め先を辞めて会社を経営するっていう立場があるじゃないですか
やっぱりその決断というかね
それはやっぱり相当な覚悟というかそういうものがあったと思うんですけども
周囲の反応というかご両親とかね
大丈夫とかいろいろ心配の声ってあるじゃないですか
その辺はどうだったんですか
あったはあったんですけど
僕は根拠のない自信っていうのが強みなので
やるって決めたら言われたら多分言うこと聞かないっていうのが両親も分かってたと思うんで
そんなに強くなんかもう言われたりはしなかったです
そうなんですね。なるほど。
もったいないねって言われたらなんで辞めるんとかは言われましたけど
いや絶対こっちの方がおもろいと思うからって言って
そっからはもう何も言われてないです
おもろいと思うからいいですね
ありがとうございます
なるほどわかりました
また次週にですねそのちょっと詳しいお話をお聞きしたいと思っております
今週はですね一般社団法人クラブサポート代表理事
プロビーチバレーボール選手の渡辺周真さんに
ご自身についてのお話をお伺いしました
次週はスポーツ選手である渡辺さんの一面についてもですね
またお話をお伺いしたいと思います
渡辺さん今日はありがとうございました
ありがとうございました
常田幸永がお送りしているビルダップローカル
本日はここまでとなります
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カタカナでよろしくお願いいたします
そしていつも番組をお聞きくださっているリスナー様に
素敵なお知らせ
渡辺周真様よりプレゼントをいただきました
ビーチバレーユニフォームを抽選で
計3名様にプレゼントいたします
詳しくは渋沢くんFM公式Xをご覧ください
皆様のご応募ドシドシお待ちしております
お相手はビルダップローカル番組ラビゲーターの
常田幸永でした
それではまた