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2025-09-19 15:17

#23‐3 ゲスト:スペリオ城北オーナー兼監督 大津祐樹さん

今月のゲストは、

サッカー元日本代表であり、

サッカーチーム・スペリオ城北オーナー兼監督 大津祐樹さんに

お越しいただきました。

 

【今週のテーマ】

・海外移籍や怪我との闘い


【番組内容】 スポーツ×街づくりをテーマに、30年のスポーツ界でのキャリアをもつ常田幸良が、

スポーツを通じて街を盛り上げる様々な人にフォーカスを当て、掘り下げていく番組です。

番組の感想は各媒体のコメント欄、または X(旧Twitter)で #ビルドアップローカル

でよろしくお願いいたします。

【配信日】  毎週金曜日

【出演】  パーソナリティー: 常田幸良

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サマリー

スペリオ城北のオーナー兼監督である大津祐樹さんが、海外移籍や怪我との戦いについてお話しします。彼はボルシア・メーヘン・グラッドバッハでの挑戦を通じて成長を実感し、オランダのフェンローへの移籍後の経験についても振り返ります。また、元日本代表サッカー選手の大津さんは、怪我や引退の決断についても語り、チームのために若い選手を優先する姿勢や引退を決意した背景を深く掘り下げます。

00:09
BUILD UP LOCAL!
BUILD UP LOCAL!番組ナビゲーターの常田幸永です。
この番組は、30年のスポーツ界でのキャリアを経て、現在は地域金融機関に勤務している私が、スポーツを通じて、街を豊かにしようという番組です。
さて、今週もサッカー元日本代表で、サッカーチームスペリオ城北のオーナー兼監督大津祐樹さんにお越しいただきました。
大津さん、どうぞよろしくお願いいたします。
今週はですね、大津さんに海外移籍、それからですね、怪我との戦いについてお話をお伺いしたいと思っております。
海外移籍の挑戦
まずですね、初めての海外挑戦なんですけども、柏レーソルからドイツのブンディスリーガーですね、ボルシアメーヘングランドバッハというチームに移籍をするんですが、この時の状況をちょっと教えていただきたいんですが。
ここもレーソルで、僕はずっとレーソルにいたかったので、海外に行くっていう発想はそもそもなかったんですよ。
なんですけど、直前でオリンピックの選考がありまして、オリンピックの選考で落とされたんですよ、予選で。
予選で落とされた時に、いやこのままじゃまずいなって思って海外に移籍しようっていうので、移籍したんです。
そこまでいろいろと大幅いただいてたんですけど、海外に行く気はそもそもなくて、海外試行とか全くなかったんですけど。
オリンピックに落とされたのがすごく悔しくて、これは行くしかねえなっていうので行ったっていう感じなんで。
それこそ成立学園と一緒なんですけど、ボルシア・メーヘン・グラッドバッハって何?みたいなところからスタートしました。
ブンデス・リーガーそのものの印象っていうのはどうだったんですか?
僕本当にサッカー、海外のやつ全然見てなくて。
オリンピックで外されて、やばいというか、さらに自分も成長するしかないとかってそんな思いだったんですかね?
そうですね。海外行って本選出れたんですよ。
で、なった時にやっぱり移籍してよかったなっていうのはすごく思いましたね。挑戦してよかったなっていうのは。
ただ試合に出れてたかって言うと出れてなかったので、海外に行った時に。
ただ自分の成長はすごくできたなってレベルが上がったなっていうのはもちろんオリンピックの時に肌で感じるものもあって。
今まで一緒にやった選手たちより、やっぱり強度上がってるなとか質上がってるなっていうのはすごく感じていて。
改めて思ったのはやっぱりこう自分より高い環境に身を置くことによって自分の成長ってあるなっていうのはすごく思いましたね。
なるほど。当時のボルシアメンヘングランドバッハの監督というのはドイツ人だったんでしょうかね?
スイス人ですね。パブレ監督っていう監督。
スイス人だったんですね。どんな監督だったんですか?
すごい戦術が細かくてキチキチしてるような監督で、プレー自体もコンパクトにゲームを作りながらカウンターで攻めたりっていう感じのスタイルだったので、すごくいいチームではありましたね。
僕が移籍した時に17位とか16位とかだったのかな、前年とか。なのでチャンスあるよって言われて僕が行った年4位でした。
そうなんですか。じゃあもうかなり名勝というか。
名勝です。すごい結果出しましたね。
大津さん自身も海外移籍されて、これまでのサッカーとの考え方、その辺の違いってやっぱり強い思いはあったんですか?
行ってみた時にやっぱりクオリティが高いなって思ったのと、なんかこう日本でやってはいた時になんかこれは難しいなって思ってたレベル感より、本当にこうすげえ奴っているんだなみたいなのはすごく感じたのは、
僕が当時ボーション争いしてたマルコロイス選手とかは、一個やっぱレベル違うなっていうのはすごく感じましたね。
その中でボーション争いして勝たなきゃいけないっていうところで、彼は当時ドイツ代表のアンダー世代の代表で、まだA代表は入ってなかったんですけど、
そこからですね、その年活躍して気づいたらもうドイツのトップトップだったんで、ちょっと若干安心しましたけどね。
ドイツのトップトップだったんだみたいな。
なるほど。
その当時は本当に若い世代で活躍している選手っていうぐらいだったので、レベルはすごい違うなっていうのは感じましたね。
なるほどね。スタジアムの雰囲気とはどうですか?
スタジアムも本当に5、6万人ぐらい入るようなスタジアムなので、すごいですね雰囲気も毎試合それに近いんで、
サポーターも熱狂的だし、町自体もやっぱりサッカーが中心に動いているなっていう、一番スポットが当たっている感じがしますね。
サッカー環境の違い
なるほどね。その後オランダのフェンローの方に移籍をされると思うんですけども、過去から結構フェンローというチームは日本人の選手が多く移籍されているというそんな印象なんですけども、
ブンデスと大きな違いってやっぱりありましたか?
やっぱりブンデスの方がレベルが高かったのは間違いないですね。
かなり逆に勝つことの難しさだったり、弱いチームが強いチームを勝つためにはみたいなのって、そこまで苦しんだことは今までなかったので、その辺はすごく勉強になったというか、難しさを感じましたね。
日本との練習環境、ヨーロッパですけども、練習環境の違いとかやっぱり大きな差というのはやっぱりあったんですか?
日本とやっぱり文化が違うなっていうのは思いましたね。
日本人ではこういうことって当たり前だよねっていうのが海外だと違う。海外で当たり前だよねって思うことは日本では違うっていうことがすごくサッカーの時もそうですし、サッカー外のとこもそうですし、
そういうのは価値観を変えてもらえたなっていうのは海外遺跡で、一つのものに対して正しさってないんだなっていうのは思ったのは感じましたね。
日本っていうところにいて日本人が考えることにフォーカスだけしないで、物を多角的に多方面から見れるようになったのは海外遺跡してからですかね。
いろんな考え方があるんだなみたいな。そういうのはすごく感じましたね。今まではやっぱり真っ直ぐにしか物事見えてなかったので。
日常の生活についてもちょっとお聞きしたいんですけども、言葉はドイツ語だと思うんですけども、コミュニケーションはどうされてたんですか?
通訳がいたので、でもドイツ語も勉強しながらやってましたね。あとはサッカーなんで、サッカーのワードとか用語っていうのはやっぱりつながるものがあるので。
リハビリと怪我の思い
なるほど。それからですね、ちょっと話題が変わるんですけども、怪我についてちょっとお聞きしたいなと思うんですけども、初めての大きな怪我がフェンロの時ですかね、アキレス腱を痛められて。断裂ですか?
アキレス腱断裂ですね。
手術も施されたんですよ。相当試合までに現場復帰っていうのはかかったと思うんですけども、その時の過ごし方ってどんな思いで過ごされてたんですか?
いやもう自分の調子も良くて、それこそA代表入ったり、入る前だったのかな。そういう時期でこう。
入ったばかりだった。
入ったばかりで、自分のコンディションもすごく上がってきた時に、でもこの日にアップの時に、なんか最近怪我しねえなって思ったんですよ。
っていう日にアキレス腱断裂したんですよ。
やっちゃったの?
なんか予兆あったのかなみたいな。
なんか呼び込んじゃったんですね。
なんだこれって思いましたけど、よくよく考えたら、うわ、俺アップの時なんか考えてた?みたいなのは思ったんですよね。振り返ってみると。
もしかしたらですけどね、気になってたのかな?みたいな。体は気になって疲労があったからそういう考え方が自分だからあったのかな?とか思うと妥当だったのかな?みたいなのはなんかあったと思いましたけどね。
その後は手術をされてリハビリですよね。長い辛いリハビリだとは思うんですけども、いろんなことを考えられたと思うんですけど、そのあたりいかがですか?
本当最初の3ヶ月はまずモチベーションでいけるんですよ。
怪我と復帰の苦悩
で、間の大体9ヶ月ぐらいかかったのか8ヶ月9ヶ月ぐらい。間の2、3ヶ月はもうやっぱ空を見上げてましたね。
残りの3ヶ月ぐらいはラストスパートかけれるんで、これいけるぞっていうのなんですけど、真ん中が先が見えないんで、一回空を見てましたね。
そうですか。
何もないじゃないですか。やり続けてるけどまだまだだなみたいな。
手術もリハビリも全部オランダでやれたんですか?
手術は日本でやりました。
日本で、そうなんですね。
初めての大きな怪我っていうのがフェンロの時のアキレス腱だと思うんですけども、また国内に復帰されて、今度人体でしたっけ?膝の。
内側じゃないですか。
内側、内側束縛人体。
後十字か後。
後十字人体。
でもアキレス腱とかに比べたらもう3ヶ月とか4ヶ月とかだったなっていうのがあったので、アキレス腱が一番きつかったですね。
こっからだな時だったタイミングであったので。
そうなんですね。
最後ジュビロで引退をされるんですけども、厳禁帯ですね。
契約がまだジュビロと1年残ってたということもちょっとお聞きしてるんですが、その中での引退を決められたっていうことの決断は、当時どういったことが引退に導いた考え方だったんですか?
まあ契約は残ってたんですけど、100%でプレーできなくなった時には引退しようっていうのは自分の中で決めていて。
やっていくと終わりがないじゃないですか。
そのカテゴリーもありますし、どこまでもプレーはできるなっていうのと、ある程度自分の中のトップカテゴリーでしかプレーはしないっていうのは基本的には決めていって、
かつ自分がそのカテゴリー内で100%の力でプレーがチームにとってできてるかみたいな基準があったので、
そこを考えた時に最後ジュビロでは桃前を断裂したんですよね。断裂してその後復帰した時にあんまりこう体的にはしっくりこないなーっていうのは思っていたのと、
これがまた2年3年やったらフィットしてくるだろうっては思うんですけど、僕の場合は何年齢も年齢なんで、1年単位で本当にチームに貢献できてるかっていうところがすごくチームとしては大事だなっていう風には思っていたので、
そういう意味では僕が球をもらうことより若い選手が球をもらって、そのお金で良いサイクルが生まれて良いチームになっていく方が優先度が高いなと思ったので引退したっていうのが大きな理由ですかね。
当時何歳ですか?
33ですね。
若いですよね。
33ですよね。若いですよね。
だけど1年で勝負をされてたと。
それでまた数年でフィットできるっていうそういう感覚にはならなかったわけですね。
そうですね。本当にチームのこともすごく自分のことも好きだったので、そういう意味ではチームのことを考えた時にあまりこう良い状態じゃないなみたいな。
自分のことだけ考えたら70%でも60%でもサッカーやれてればいいやってなるかもしれないんですけど、それを俯瞰してチームとして見た時に、
じゃあ60%70%でやってる選手より100%でやってる若い選手にもちろん給与も高かったので、クラブの中でもっていうことを考えたらこの費用があればじゃあ他にいい選手取れるよねっていう話で考えると、
僕はそのフィールドには今の状況では立ってないな、その土俵には立ってないなっていうのはすごく感じたので、僕なりに考えた結果ですかね。
チームファーストの考え
なるほど。チームファーストっていうのを第一に考えるっていうこともね、その考えがやっぱり一番大きかったんですね。後悔はないってことですよね。
全くないですね。
それは悲しい。
そうなるぐらいやってきたつもりなので、今は全くないです。
はい、ありがとうございます。今週はですね、サッカー元日本代表でサッカーチームスペリオ城北のオーナー兼監督大津裕樹さんに海外移籍についてお話をお聞きいたしました。
次週は選手引退後の経営者としてのキャリア、スペリオ城北の運営についてお聞きしたいと思っております。大津さん、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
常田幸永がお送りしているビルダップローカル、本日はここまでとなります。
番組の感想は、各媒体のコメント欄か、Xでハッシュタグビルダップローカルをカタカナでよろしくお願いいたします。
そして、いつも番組をお聞きくださっているリスナー様に素敵なお知らせ、今月のゲスト大津裕樹さんからプレゼントをいただきました。
大津裕樹さんのサイン式紙を抽選で、計3名様にプレゼントいたします。
詳しくは、渋沢くんFM公式Xをご覧ください。
皆様のご応募、どしどしお待ちしております。
お相手は、ビルダップローカル番組ナビゲーターの常田幸永でした。
それではまた。
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