スベンソンの社長小玉さん?ほとんどですよね。
卓球部はもう日本代表の監督でしたからね。
そうですか。
だから卓球で知り合って仕事になってたりするんです。
結構そういうの多いです。
体動かされてるんですね。
今も卓球で知り合って、あるホテルの社長とたまに卓球やるんですけど、そこのユニフォームもやったりとか。
なるほど。
そういう卓球でもこういう関係が広いですね。
卓球のいいところはね、体を動かすとまず汗かくのもすごくいいし、狭いところでできちゃうし、
サッカーとか大きいところでできないけどね。野球とかね。
小さいところでできるって、温泉卓球じゃないけどね、簡単にできるんですけど。
やっぱり私はもともと好きなのは、打てば帰ってくる。
そうすると打ち返す。これでコミュニケーション取れますよね。
これって好きですね、私。
一人じゃないってこと。一人じゃ何もできない。
なるほど。ご一緒です。卓球をやられているということと、
あとはスポーツ観戦ですね。
そうですね。
どういったスポーツをご覧になる機会が多いんですか?
やっぱり今サッカー、FC大阪のユニフォームやってますから、
ちょっと負けたら悔しいとか、やっぱり力入ってますよね、関係すると。
関係してないとなんともないのに、関係すると力入っちゃいますよね。
まだやってます。
野球も南海電鉄の応援ですけども、
南海電車のユニフォームをやってるから、南海フォークスを観に行くんですよ。
なるほど。
そうなんです。関係してくるから。
南海電鉄の制服をやられてるってことですか?
そうです。
そういう関係性もあったんですね。
そうなるとやっぱり南海フォークスの試合に行きたくなる。
行きたくなるというより、行かないとこの日ですからとか言われるから。
うちは南海の岸和田で生まれてからどうしても電車は南海なんですね。
やっぱり南海様々なんですよ、本当に。
一つですね、先ほどFC大阪の話が出ましたけども、
FC大阪というのはやはり大阪という地元の…
東大阪です。
地元ですね。
そういった関係性だったんですね。
私もユニフォームを拝見させてあげましたけども、
非常に色づかいというか、縦縞模様がすごく特徴的な…
珍しい。
特徴的ですよね。
そうですね。それとやっぱりホーム&ウェイだから両方作らなきゃいけないので、
やっぱり相手との差をパッと瞬間で分からなきゃいけないから、
やっぱり色と形ですよね。
瞬間的判断をするというか、
ボールを下ばっかり見ても相手を見ていないと。
やっぱりユニフォームって大きいですね。
メッセージだから。
あとユニフォーム以外にも背番号のデザインも…
あれってね、背番号のデザインってありそうで、
簡単にすると背番号のイメージがすごく重要なんですよ。
文字をデザインしたんです。数字。
数字の特徴がすごく重要ですね。
なるほど。
そのデザインのこだわりとかっていうのは大きなものなんですか?
やっぱり長年見てるわけですけど、数字の形がきれいというだけでデザインになるし、
メッセージ性も強いし、なんか垢抜けるっていうのかな。
やっぱりトータルですね。
なるほど。
本当にユニフォームプラスそういった背番号、番号、文字。
そう、背番号の文字。文字が大きいから。
ただ普通の文字じゃ当たり前なんです。
それをちょっと変えるだけで、なんかちょっとかっこいいし。
私のユニフォームは、勝つユニフォームだと宣言しちゃって負けたら困るんですよ。
だからそれにはね、今までF1とはいろいろやりましたけど、
私のユニフォームは強いっていうジークスがあってね。
そういう風に言っちゃったらちょっとややこしいんだけど負けたらかっこいいんですけどね。
やっぱり目立つっていうのは、やっぱり自分に責任を持つんですよね。
目立たないと負けても分からないんですけど、目立つからすごい責任を感じると思うんですよ。
そうすると自分のためにもファンのためにも勝つしかないんですよ。
やっぱり勝負って勝つしかないでしょ。
そうですよね。
そうですよね。負けて笑ってられないですよね。
だから勝つための、やっぱり応援団ですね、私。ユニフォームっていうのは。
勝つための衣装っていうことですね。
そう、それの応援団服ですよ。
だから何も言わないで勝ってねとかね、頑張ってねって言わなくても、
それを着ると勝たないとまずい。勝たないとかっこ悪いっていうので自分の意識になる。
なるほど、そうですか。
言葉よりも感じるっていうのかな。
ベルギーの時も本当にすごく目立ったし、これベルギーなんですよね、本当に。
もう勝ち続けましたよね。
勝ち続けました、はい。
これは本当に僕も印象に残っているユニフォームなんですけども、
これ出てきた時は本当に衝撃的で、感情表現だった時がまずはこれですね。
つまりとにかくかっこいい。
嬉しい。
この色使いと、あとはこのRがありますよね。これがすごくかっこよかったですね。
それでね、ベルギーっていうのはグリーンという意味だから、
芝生がグリーンなんですよね。
あの芝生のグリーンに勝たなきゃっていうのが、誰に勝つんじゃなくて芝生に勝たなきゃってことが始まったんですよ。
どんなグリーンかなってすっごい悩んでいる時ある時、映画館行ったら非常口のあれがバーって目立つんですよ。
あっ、このグリーンだと思ったんです。
非常東南の?
非常東南のグリーン、そうそうそう。
このグリーンだと思ったんです。あれ以上目立つグリーンないですよ。
そうなんですか。
そうなんです。それになったんです。
ただの地味なグリーンじゃないですよ。もう遠くからでも見れる非常東ですから。
すごい美しいですよね。
ですからスタンドのどこから試合を見てもすごく目立つんです。
目立つのはグリーンだけでは目立たないんですよ。
やっぱりデザインとこの黒と白がカーンとなってほしいね。
それがすごい強いっていうか、グリーンが目立つための作戦なんです。
もともとは最初これだったんですよね。
そうですね、これですよね。
これ同化しちゃって、もう芝生と一緒ですもんね。
これじゃダメ。これね、ラムスから始まったんです。
ラムスがね、なんかもっと目立つようにしたいんだけど。
目立つにはどうしたらいいかって。目立つための研究でしたね。
だからパンツなんかもそのまんまだけど綺麗ですよね。
こちらですよね。綺麗ですよね。
こうやって見比べると全然このグリーンの鮮やかさが。
そうですね。
グリーンの種類が違うんです。
違いますよね。
グリーンの研究でした。
何としてでも芝生の上に馴染まない強いグリーンっていうので。
僕もよく覚えてるんですけども、
純子さんがよくベルディブランドの練習場にお越しいただいて。
行きました行きました。驚き。
そうですね。クラブハウスのテラスからよくご覧になってましたよね。
そうです。
週に一回ぐらいいらっしゃったじゃないですか。
毎週行って、行かなかったら負けてるんですよ。
だからね、来なかったからよって言われちゃうんですよ。
来なかったら負けたよって言われるから、絶対に行ってましたね。
ラモスの辺りが仲良いそうです。
ラモス。あの時はカズさん親子ね、しっかりいましたよね。
両親が来て、頑張って見てましたね。
もう終わったらカズさんの兄弟、お兄さんもいましたからね。
本当にこのユニフォームでたくさん勝たせていただいた。
本当にね。何回優勝したか。
ニューオータニーで優勝祝いをしましたよね。
鏡割りを。
しました。
懐かしいです。
懐かしいですね。これは私の宝です。本当に。
お互いにそうですよね。
そうですね。
この時代にね、そこからサッカーブームになって、
今チームがどれくらいいるんですか。J3。
今ですね、60チームくらいあります。
60チーム。あの時は何チーム。
スタートは10チームでした。
10チーム。
6倍です今。
6倍。
30年間で増えましたね。
みんなプロですもんね。
そうですね。
プロですよね。
だからみんな真剣ですよね。
スポンサーもガーって入っているし、
スポンサーに対しても勝たないと申し訳ないですよね。
そういう意味でね、やっぱりサッカーって社会的なものですね。
それと地域。地域にとってはものすごく大きい環境だと思います。
ホームタウンですね。
ホームタウンね。裏はなんかすごいじゃないですか。
裏は普通の服を着て歩くのは恥ずかしい。
ユニフォームを着ていると堂々と歩けるけど、
赤いユニフォームをね。
赤いユニフォームを着ていると堂々と歩けるんだけど、
そうじゃないので着ていると小さくなったりする。
なるほど。
それくらいそこの町に溶け込んでいるのがね、
あれくらいね、やっぱり地域性というのが、やっぱりそれが強いですよ。
密着している証拠ですね。
ものすごいですよね。
今、ベルディも川崎から東京に移転しましてね、
本当に東京の多摩地域ですけども、
すごく周辺の地域エリアからはすごく温かく支えられているチームなんですけども、
当時はね、純子さんデザインしてたときは川崎時代で、
このユニフォームとそれからチームバス、これも一緒にデザインしてたんですか?
あれが最初ですよね。
私はね、選手がね、選手を乗せるユニフォームをデザインしたんです。
ああ、なるほど。
選手を乗せる。
乗せるユニフォーム。
包む。
それでバス見るだけで選手がいるかなと思うじゃないですか。
それがもう、だから町中走るわけですよ。
バスのデザイン、広自動車初めてだったんですよ。
ああ、そうだったんですね。
私がね、無鉄砲に言ったんですよ。
あれ、そんなことできないって。
やったことないけど、やってみます。
そして広自動車その次から、いろんな広告でしっかり仕事しました。
私も東京を撮っておけばよかった。
ああ、そうですね。
そうでしょ、あれ始まりです。
東京をね。
そう、始まり。
で、町中走るじゃなくて、選手乗せなくても、みんな写真撮ってますもんね。
そうですね。
なんか記念撮影とかね、なんか選手乗ってるんで思えますよね。
あのバスも本当にインパクトありましたね。
もう、とにかく目立つんですよ。
目立つの。目立つんですよ。
一回ね、私バスデザインして、一週間後にパリから戻ってきて、
どうしましたと思う?
成田に着いたら、ベルギーのバスが迎えに来てくれたの。
びっくり。
で、私一人で乗るだけでしょ。
もう、それぐらいバスの関係と仲良かった。
そうなんですね。
成田にバスが迎えてくれたの。
ベルギーって書いて、恥ずかしくて、選手じゃないのに乗って。
それも相当思い出深いんじゃないですか。
本当に思って、そんなことしてくれるんですよ。
そうですか。
本当にバスとこのユニフォームの一体感というか、
そういう意味では、本当に力強さをいただいたなと思いました。
やっぱりバスもね、バス通るだけで写真撮ってましたもんね。
そうですね。
やっぱりそれも、選手を乗せるユニフォームだなと思って。
普通、ベージュルの普通だったんですよ。
こういうユニフォームで、ここに書けるって書いてあるんですよね。
それがもうしっかりと、広告でやってますもんね。
そうですよね。
だから、あの当時、純子さんがデザインしたバスだとか、
やっぱりあれが、他のクラブのコンセプト全体の出発点じゃないかなと思うんですよね。
出発点、みんな競争でしたよね。
そうですよね。
だったら、だったらって感じで、どんどん。
そういうのってね、サッカーってやっぱり面白いだけじゃなくて、見せるわけだから、
それが競争するとどんどんレベル上がっていくでしょ。
そうですね。
やっぱりそれすごい重要だと思うんです。
ユニフォームって、誰々の選手というのもあるけど、ユニフォームが目立つから、
やっぱりメッセージ性が強いというか。
世界でも、私ワールドカップとか行ったことあります。
あ、そうですか。
でもずっとね、純子さん、サッカーは見続けていらっしゃいますよね。
パリサン・ジェルマーのベルナル・ラマーっていうキーパーの人いますね。
あの人がご縁があって、私パリコレクションやってて、
ファッションショーにモデルとして出てもらったんです。
そうしたら、そんなの出たことないから嬉しくて嬉しくて、
お礼に椅子くれたんです。
それが、あの椅子。
ベルナル・ラマーが重たいんですよ。
ブラジルの先の人なんだけど、パリに持ってきたの。
それをパリから東京に持ってきて、日本へ世界一周しているの。
折り畳みだから、簡単にそうと言いながら、結構重たいんです。
でも何かああやって置いてあるだけでオブジェとしてね。
そう、ベルナル・ラマー、キーパー。
パリサン・ジェルマーのキーパー。
パリサン・ジェルマーって言ったら、今本当に大人気チームですね。
そうですよね。
私見に行ったら怖かった。
何しろ女性いないんですよ。
応援しているところは全部、少年か男性ですね。
親子か。女性なんていないんです。
すっごい怖い世界で、帰る時もホームとアウェイで、
出る時に先にホームじゃなくて、アウェイの人を出しておかないと喧嘩になるから。
あんな怖い世界ですね。
混乱が起きるんですね。
そうです。すっごい怖い世界ですね。
武器を持たない戦争って言うんでしょ。
本当にそんな感じ。そういう場面見ました。
サポーター同士の対立って、たまにやっぱりありますよね。
日本は平和ですよね。歌を歌ったりね。
すごい可愛いじゃないですか。女性もいっぱいいてね。歌を歌ったりね。
だけど向こうは戦争ですよ。
少し最近は規制も厳しくなって、警備も。
ヨーロッパ?
ヨーロッパもですね。少しやっぱり安全対策が取られてるみたいですけども、
かつてはやっぱり大変な時代もありましたもんね。
怖い世界で、怖いっていうのが分かりました。
それがスター選手に乗ってると、もうなんか鳥巻みたいな。
海外選手も本当に進行がいろいろありかと思うんですけども、
国内の選手としての、アスリートとしての交流ってのはやっぱり
いろんな方と交流されてるんでしょうね。
私はサッカーだけじゃなくて、もちろん典型的にはラーモンスです。
ラーモンスとはもうしょっちゅう、
気が合うのかすぐそこに住んでるし。
ご自宅も近くなんですよね。
本当ラーモンスは仲いいですね。
この前カズさんばったり会ったりして、なんか嬉しいですね。
あっちからジュンカさんとか来てくれて、どこにいたのって感じで、
やっぱり嬉しいです。私の戦友って感じで。
またね、このユニフォームを作って大体もう30年ぐらい経つんですけども、
それからずっと進行も続いて、今でもそうやっていう関係が続くとは。
今でも全然古いとか昔と思ってないんですね。続いてるから。
ベルディは会社変わっても、やっぱりベルディはベルディだし。
サッカーはサッカーだしね。
仲間っていう意識もありますか?
仲間、全然もう古いとかそういう感覚ないですね。
やっぱりもともとは読売から、読売と知り合ったのは、
私は武道館で、デザイナー1人じゃなくて5人で読売主催の大きなファッションショーをしたんです。
私が取りをやったんですよ。
他の人は、デザイナー同士でやりたくないとか揉めたりして、
私も揉めるよりは取り出す。別に私は揉めなかったんです。
読売の事業部が、私にすごいお世話になったっていうことで、
そろそろベルディとかそういうのが始まるので、そっちのデザインをしませんか?
というので、始まりのちょっと前にファッションショーをやったんです。
私はその時、よく分からなかったんですけど、
その人間関係で事業部だから、読売の事業部とそういうのをやってて、
それが延長ですよね。
ジャイアンツとベルディは、ジャイアンツの方が早かったんですか?
ベルディはジャイアンツをやってて、長嶋さん時代。
長嶋さんってもういい人でね。
これを長嶋さんが着てね、着たんですよ。
みんなに選手にすごく自慢でね。
これ今はフォーム&ウェイで裏が黄色で、裏表着れてたんです。
今はちょっとなってないですけど、最初作った時はリバーシブルだったんです。
それを選手にみんなに自慢げに、このブルゾンというかジャケットは、
小島純子さんが作ってくれたオレンジと黄色の裏表着れるジバンシーなんだよって言ったのよ。
ジバンシー?
リバーシブルじゃなくてジバンシーなんだよ。
もう選手たちは今日も笑えなくて困ってこうということで、
もうずっとシャーミンで、皆さん本当にかわいいというか、
長嶋さんってそういうね、ちょっと英語を使ったりとかね、
サービス精神がすごいじゃないですか。
もうその話が今でもあの当時の人はもう忘れない。
長嶋さんらしいですね。
裏表着れるジバンシーなんだよって。
リバーシブルってわからなかったのか、なんとなくわかったのか知らない。
周りの方はそれがわかってて、キツキツ言われて。
もううーんって言うんだよね。
今日も先生の前で笑えませんでしたって言ってたもの。
先生ですよね、皆さんが選手から言うとね。
もう笑えなくて。
これもじゃあ本当にいい思い出ですね。
そうですね。これ見てやっぱ長嶋さんですね。
長嶋さんですよね。本当にこれ覚えてますよ。
長嶋さん着るとすごくこう似合うんですよ。
そうなんですよ。
それって宮崎のキャンプってあったでしょ。これ着てたんですよ。
だから宮崎ではこれは大変ですよ。
こんなの持ってる人って見ただけで。
宮崎キャンプ。
本当に貴重なものですよね。
長嶋さん一個宮崎でしたでしょ、宮崎キャンプね。
宮崎は寒くて、1月とかだから。
1月、2月、春ですよね、キャンプ。
これでなきゃダメだったんですよ、寒くて。
なるほど。
でも本当にこのウィンドブレーカー、これはやっぱりこう。
野球のキャンプって寒いですから、もういい防寒ですよね、本当にね。
それで裏表やりたかったんだけど、
私もね、オレンジだったら裏は黄色が配色的にいいんですよ。
でも裏はね、タイガースに見えるっていうので。
ややこしいね、いろいろと。
タイガースに見えるから裏は着れないみたいな。
そういう関係もありますね。
ライバルチームですね。
ライバルな、超ライバルでね。
裏着たら、裏着て一回ね、