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どうもヤマンです。どうもハリーです。この番組は、教育会社を経営しているハリーと、デザイン会社を経営するヤマンがお届けする、仕事に役立つ情報を紹介する番組です。
今日はね、テーマ、ベルリンの壁。ベルリンの壁。はい。ベルリンの壁。知ってますよ。知ってるようで、案外ね、何で崩壊したのかとか、何で建てられたのかっていうのをね、ちょっと今日は話しに行こうかなと思います。
あの、カップヌードルのCMで見ましたよ。あの崩壊してるとこね、ツラツラ走ってガンってやってるとこでしょ。おー知ってた。これおじさんしか知らないやつじゃん。
そうそう。で、ベルリンの壁、崩壊って言ったらね、みんなこう学校の社会の授業とかで習うと思うんですよ。はい。
なんか知らんけど、ドイツに西ドリ、ベルリンと東ベルリンで壁があって、西ドイツと東ドイツだと思って。西ドイツと東ドイツであのベルリンに壁ができて、で、ベルリンの中でもこう分かれてたんですよね。うん。
そこまでは知ってる。うん。で、なんかソ連崩壊したぐらいに壁崩壊したんでしょうみたいな。なんか別々の国だったんですよね、この西ドイツと東ドイツが。
そうそうそうそう。で、まあこれ語る上で、第二次世界大戦まで遡らんといかんのですよ。
あー。系列があんま分かってないですけど、第二次世界大戦の後に崩壊するんですね。
そうですそうです。で、第二次世界大戦の時にナチスドイツが負けるんですよ。うん。
で、負けた時に西ドイツっていうのが、まあソ連がね、こう持ってたんですよ。
あーはいはい。で、その連合軍はアメリカとかイギリスとかね。うん。
あったんですけど、あの東の方はその資本主義の国が持ってたんですよ。
あーはいはい。西が独裁。で、そうそうそうそう。うん。で、えっと、西側があれです。資本主義です。アメリカとかイギリスとか。
あ、西が、はい。そう。で、東ってほらソ連に近いじゃん、ドイツでも。で、えっとソ連が持ってたんですね。
あーはい。で、戦争終わったんだけど、その後にあの冷戦って言ってアメリカとソ連がまたこう戦争を始めちゃうんですけど。うん。
やっぱりね、この東側のこの共産主義とその西側のその民主主義、資本主義国家っていうのがもう考え方が合わないんですよね。はい。
そもそも。うん。で、対立するようになるんですよね。はい。
で、東側ってやっぱりその共産主義なんで自由主義経済を許されてないんですよ。もう全員平等みたいな。うん。金持ち作るの許さんと。うん。
で、国の制度とかも国が考えるからみたいな。うんうん。
一方でその西の方はもう結構自由に競争して、みんないいものを作って切磋琢磨して、その格差は生まれるけど、その格差の中に経済の発展があるよねみたいな考え方だったんですよね。うん。はい。
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で、結構その東にいてるそのソ連の配下にある国の人たちが西にこう逃げる、移住する人がめちゃくちゃ増えてたんですって。やっぱりこの自由の国の方がいいと。
ドイツも。はいはい。で、その社会主義国家の配下にある東ドイツはその社会主義なのにそんな国民が逃げるのにもう国家として成立しないって言って壁を作ったんですよ。
クワーって。逃げれないように物理的に。逃げれないように。そう。へー。
これが1961年、だから戦後ちょっとしてから作られて、うん。大体高さが3メートルって言われてるんですよ。
3メートルか。頑張れば。3メートル。でも3メートルって言ったらさ、うん。2階建て?3階建てぐらいのマンションぐらいじゃないですか。
あーそうか。2階建てぐらいか。で、なんかその壁だから、こうよじ登るのもさスパイダーマンみたいにさこう手の表面に粘着があれば登れるかもしれんけど。
でもなんかTikTokとか見てたらパルクールすごい人。ああいうね、ああいう技術持った人だったらいけたかもしれない。3メートルぐらいだったら。
まあまあまあ。で、そうそういやそんな感じで3メートルの壁ができて、長さが155キロあったらしいんですよ。
155キロね。うん。めっちゃ長いですよね。155キロってどんなもんなんだろう。僕ら大阪なんで大阪から。
大阪、東京が300キロでしたっけ。そっか。名古屋ぐらいまであるのか。大阪から。かな?うん。
で、西ベルリンの大きさっていうのが481平方メートル。東京と同じぐらいなんかな。東京都と。
えーちっちゃ。うん。で、人口が当時2000万人ぐらいだったらしいんですけど、東京都で当時8000万人、え、8000万人もいないよね。
え、ごめんごめん。全然俺桁間違えてた。西ベルリンで人口200万人ですね。
あーはいはい。2000万人もいないですね。2000万人ってめちゃくちゃ多いですよ。200万人ぐらい。213万人ってなってました。僕が見た資料では。うん。
なんで、東京と同じぐらいだけど人口は少ない感じか。はい。で、いきなり壁がバーンってできてさ、もう慌たふためいたらしいんですよ。
もういきなりさ、その変な話、例えばこれが東京で同じことできたらさ、もう原宿の友達にいきなり会えなくなったとか、新宿に住んでるおじいちゃんおばあちゃんに会えなくなったみたいな、そういう人たちがいきなり出てきたんですよ。
うんうん。まあそれがその、ソ連のその社会主義国家っていうそのメンツなのが、まあその維持するためにそういう壁ができて、で、東ではそういう共産主義、で、西ではその資本主義っていうのが約まあ30年間ずっと行われてたんですね。うん。
で、むちゃくちゃこう逃げるやついっぱいおったんですよ。はいはい。もうこの東ドイツから西ドイツに行く人たちがむちゃくちゃ多かったんですね。うん。
まあある人はね、その特殊能力でよじ登ろうとするんですけど、国境警備隊に寄って守られてて、はい。逃げようとするやつは射殺していいっていうこう命令が下ってたから結構死んでるんですよ。うーん。
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で、犠牲になった人が136人かな、この30年で、死、ぐらい死んでるらしいんですけど、はい。逃げようとして、殺された人たちがね。うーん。まあ中にはそのトンネル掘って逃げようとしたり、気球に乗って逃げようとかしたり、まあそういう人がね、結構いるんですよね。へえ。
でね、僕もね、これ調べる前まではソ連が崩壊して、ベルリンの壁が崩壊したんかなと思ってたんですよ。はあはあはいはいはい。ソ連がその東ドイツを牛耳ってた、まあ支配してた、まあ支配というか管理下にあったソ連が崩壊したからベルリンの壁が壊れたんかなと思ってた。これ逆なんですよね。ああ、なるほど。先にベルリンの壁が壊れてからソ連が崩壊してるんですよ。うん。
そう、だからね、多分僕らその中学校の歴史とかでも多分そういう風に習ってるんですけど、うん。なんとなくね、逆にちょっと覚えちゃってる人も多いかなと思うんですけど、うん。まあそこはちょっとね、逆なんで、あの気をつけてもらったらいいかなと思うんですけど。はい。
で、じゃあなんでベルリンの壁が崩壊したのって思うじゃないですか。いやそこですよ、なんかもう歴史上の美談っぽい感じがあるじゃないですか、あれ。ねえ、これでね、めっちゃ面白い話があって、うん。ある一人のボンミスに、その政府の広報担当のボンミスによって崩壊したらしいんですよ。めっちゃ筆記あるじゃないですか。
どんなボンミスしたんだっていう話なんですけど、これが当時ね、ソ連が崩壊したのが1991年って言われてるんですよ。で、ベルリンの壁が崩壊したのがその2年前の1989年の11月9日って言われてるんですけど、まあ2年前ですよね。うんうん。
で、ソ連の崩壊がね、1991年なんですけど、だいたいこの1988年から91年のこの3年ぐらいで、もうソ連の中でももう経済的に厳しいと。うん。もうみんな働かないし、社会主義国家だと。はい。共産主義だと働かないし、その経済的に成長もないから苦しいって言って結構内部分裂みたいなのが結構起こってたんですよね。
あーはい、3年かけて91年にようやく崩壊してしまった。崩壊した。そうそうそう。で、そのソ連の配下にあった国たちも、もうソ連やべえんじゃねみたいな、このまま社会主義国家の言うことを聞いてると、もうどんどん衰退していくばっかりだよみたいな状況になって、中でこういろんなデモとかが起こってたんですね。
で、例えばそのハンガリーとかポーランドとか、まあ社会主義国家だったんですけど、もう脱社会主義みたいな、脱共産主義みたいな動きが強まってる時あったんですよ。うん。で、同じようにその東ドイツでも、もうこのままじゃったらやべえと、なんかパスポートを作って、そのパスポートの申請すれれば西ドイツに行けるようにしてくれと。うんうん。
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いうぐらいの、その法案が、その法案を通すための会議が行われてたんですよ。うん。で、その会議が1989年の11月9日の朝の会議だったらしいですよね。朝。で、そう。で、そこの会議に、あのシャボフスキーっていう、その東ドイツの政府の広報担当の、あのむちゃくちゃポンコツなやつがいてるんですよ。シャボフスキー、なんか名前もね、ちょっとふわふわしてますね。ふわふわしてるでしょ。
で、もうこれこの人めっちゃ好きなんですけど。うん。多分そういう、もう共産主義国家崩壊して、なんかぐちゃぐちゃになってる時の、多分むっちゃポンコツなやつが広報担当になったんだろうと僕は推測してるんですけど。はい。この人、会議中も、なんか外、会議に参加してて外でタバコ吸ってたんですよ。はいはい。
で、そのシャボフスキーさんがいない間に、OKっていう法案が通ったんですよ。パスポートをさえ申請して、なんかお金が払うかなんかでさえすれば、うん。東ドイツか西ドイツに行けるって。はあはあ、なんか条件付きで。条件付きで。うん。
で、しかもじゃあこの法案、もう明日からっていうことで決まったらしいんですよ。おー早いね。急遽決まって。うん。じゃあそれで記者会見しなきゃいけないってなって、じゃあその広報担当のシャボフスキーさん、記者の前で発表してくださいって言った時にシャボフスキー全然内容を理解してなかったんですよ。まあ外でタバコ吸ってましたからね。
外でタバコ吸ってたから。で、こいつめちゃくちゃポンコツだし、なんでそんな重要なポジションにこんなポンコツがいてんだろうって思うぐらいポンコツなんですけど。はい。で、そいつが記者会見の時になんとなくのことしか把握してなかったんですよ。で、東ドイツから西ドイツに行けることになりましたってもう言っちゃうんですよ。
おーはいはい。そのメディアの前でね。で、え?って本当はパスポート申請しなきゃいけないのに行けることになりました。パスポートとかもいらないみたいな感じになって、え?え?え?って記者会見がざわめくわけですよ。うん。あんだけ厳しかったのに射殺までしてたのに。
うん。その、例えばすごい政府の容認とかが東のなんか研究者とかが西ドイツにその研修に行くって言って行くときも、東ドイツに家族を置いていかないと西ドイツに行けないぐらい厳しいルールがあったにもかかわらず、そのソ連の衰退によって結構もうヨーロッパの中であの管理もこう弱くなってたんですよね。うん。
だからそのシャボフスキーみたいなポンコツのやつがなんか広報担当みたいになったと思うんですけど、で、そこでザワザワザワってなって記者が、え?いつから行けるんですか?ってなったときに、ただいま思って行けることになりましたって言った。
んならもうドンガラガッシャーンってなって、その西ドイツ中の国民約3万人ぐらいがブワーって壁に押し寄せたんですよ。あー面白いっす。なんかアップルの発表会みたいな。そうそうそうそう。今から変えます。
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そう、で、ぐわーってなって、うわーってなって、みんなでもうその時のシーンです。カップラーメンのあれは。ツルハシ持ってるか?ってやりだしたり、ある人はどっから持ってきたんやっていうぐらいのブルトーザでガタガタガタガタガタって壁壊しだしたりとか、もうお祭り状態になったと。
えーやば。で、もうそんな3万人も押し寄せたらその国境警備隊も全員射殺するわけにもいかないし、もうおとやげ状態っていうことになって、まあこれめでたくというのかどうかわかんないけど、1989年の11月9日にベルリンの壁が崩壊し、そして1990年の10月3日に西ドイツ、東ドイツが統一されたんですね。
で、統一されたときって、その西ドイツって、まあベルリンの壁は約30年間あったんですけど、西ドイツってその自由経済で競争社会だったんで、ドイツって結構車有名じゃないですか。
もう本当日本とドイツって2トップだと思うんですよね。トヨタ、ホンダ、スバル、マツダとかで、ドイツだとそのベンツとか、アウディとか、BMWとか、フォルクスワーゲンとかね、あの辺全部ドイツの車なんですけど、もうそのときのその西ドイツが基盤となってんすよ、この技術が。
へー。
で、バコーンって壁崩れて、西ドイツの人が東ドイツの車を見たときに愕然としたらしいんですよね。
ほう。
30年前の車のまんまやんってなったらしい。
はいはいはい。
だからそのぐらいの経済格差があって。
うーん。
で、だいたい給料が、えっと、西ドイツの人の給料のだいたい4分の1ぐらいだったらしい。
ほうほうほう。
だから例えば西ドイツの人が給料40万、毎月40万もらってたら、東ドイツの人は月10万ぐらいしかもらってなかったんですよね。
うーん。
だから東ドイツってものすごい貧乏だったんですよ。
うんうんうん。
で、競争もなかったから、その共産主義で。
うん。
どんだけ働いても、どんだけ頑張っても給料一緒だったらみんな働かないじゃないですか。
うん。
で、その成長してなかったんですよ、30年間。
うん。
統一後は、西ドイツの資本主義、民主主義のベースに統一して、今のドイツね、今でも世界的にGDP第4位、日本の次第4位の先進国なんですけど。
うん。
今でもやっぱり東ドイツと西ドイツの貧富の差みたいな。
うん。
このベルリンの壁の爪痕みたいなのがあるんですよ。
うんうん。
だからもしね、ドイツって結構旅行行きたい国、ベスト10には入ると思うんですよね。
ビール美味しいし、ソーセージ美味しいし。
あーはいはい。
ヨーロッパの中でもさ、フランス、パリ、イギリス、UK、ロンドン、イタリア、あとドイツってね、結構候補に上がってくると思うんですけど、
もし旅行行った時に、その東ドイツ、西ドイツみたいなんでね、なんかそういう歴史を感じることができるかもしれない。
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なんか。
かもしれない。
かもしれない。
うん。
まあそんなことでね、このベルリンの壁、一人のシャボンスキーっていう政府の広報担当のポンコツの間違った発言によって崩壊したんですよね。
あーなんか、すごい面白いんですけど、もっと泣ける話かと思ってたら。
そうでしょ。
まあでも実際ね、100人以上の人が逃亡を図って殺されたり、東ドイツはすごい貧乏な経済的に苦しい生活をしてたんで、悲惨な事件、悲惨なその出来事としても捉えれるんですけど、
実はこの崩壊した背景って、ちょっとお茶目な一人のボンビスによってできてるっていうのがね。
面白い。
意外に知らないと思うんですよ、こういう話ってね。
だからそのベルリンの壁が崩壊したことがさらに後押ししてソ連が崩壊に至ったと。
ソ連のね。
あーはいはいはい。
共産主義が。
という話ですね。
僕もこの辺の話全然知らんかったし、その西と東のそのちょっとした格差も実はこの時の歴史がバックグラウンドになってるみたいだもんね。
なんかこう旅行行った時にね肌で感じてみたいですよね。
もう感じれないのかもしれないけどそういうのって。
なんか残ってたりしないですかね、そういう。
残ってたり、絶対でもなんかはありますよね。
その広島の原発みたいにさ、そのベルリンの壁なんちゃらこんちゃらみたいなのあると思うんですけど。
僕行ったことないんでドイツ。
でもいつか絶対行きたいと思ってる国の一つではあるんですけど。
皆さんドイツに旅行に行かれる際は是非この話をちょっと思い出してもらって物思いに受けてみてみてはいかがでしょうか。
そうですね、ベルリンの壁は一人のポンコツによって壊された。
壊壊したと。
そうそう。
そんな感じですかね。
なるほど。
ってことで今回の感想をメールまたはアップルポッドキャストのレビューでお待ちしています。
2人でコメント欄を全て読んでいますので今後の番組をより良くするためにあなたの感想をお待ちしています。
います。
はい。
それではまた来週お会いしましょう。
さよなら。
さよなら。