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Michael Hasegawaの聴くだけでゴルフが上手くなるラジオ。この放送は幕張ゴルフ調達センターアークゴルフの提供でお送り致します。
昨日に引き続きまして、私のこの木のゴルフを始めたきっかけのところまで話をしたんですけど、練習場を見つけるというところまで話もできましたからね。
なかなかやっぱりこの練習場のですね、この個人の高校生というですね、まずアルバイトを許可、アルバイトとして受け入れてくれるところがないんですよね。
で、普通であれば、高校生のゴルフ部とかであれば、そのゴルフ場とかにですね、ゴルフ場とか練習場と契約してるんでしょうね。契約なのか何かわかんないですけど。いろいろそういうのあると思うんですが。
僕はもう普通のですね、公立高校行ってしまったので、全くそれができないと。自分でそれを探さなきゃいけないという状況になったわけですよね。
近くでですね、みなさんこの千葉県に住んでる方、ちょっとわかるかもしれませんけれども、結構有名なゴルフ部かな。千葉学芸高校という高校があるんですけど、そこはゴルフ部があったんですね。お金持ちがよく行く高校ですね。
当時はですね、千葉学芸高校じゃなかったんですね。トンジョトンジョって言われて、東金女子とか、なんかそんなようなあれだったと思うんですけど、今は千葉学芸高校ということで。
池田祐太選手とかがですね、出身校ですよね。僕らの時にはですね、そこ女子校だったんですね。そこには入れれず。入れてたとしてもですね、私立に行けるようなね、うちはお金なかったと思うので、多分行けなかったと思うんですけど。
自分でこれやらなきゃいけないと。ゴルフでですね、自分でやらなきゃいけない。いやどうやったらできるかってね、もう本当に高校生ながら考えてたんですよ。やっぱりその練習場で働かせてもらうのがいいよねって思ってて。いやーどこに行ってもダメ。
大体が自転車ですよ。自転車で動ける範囲の中から選ばなきゃいけない。そうすると3つ4つ出てくるんですよね。3つ4つ出てくるんですけど、あんまり遠くに行っちゃうと、今度そんなに練習してる時間とかもなくなってしまうっていうところもあって、すごい絞られてきたんですよね。
最初はですね、その通学路からちょっと外れるぐらいのところで探してたんだけど、全部やっぱりのきなみ断られるわけですよ。もう門前払いに近いですね。もう一切話聞いてくれないです。
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今ちょっと大人になってからですね、例えばそういう青年が来てですね、まあそういう熱い気持ちでですね、なんかこういろいろこうあったらですね、じゃあやってみるかみたいな話になりそうなもんですけど、まあそうですね、そういう熱さがね、もしかしたら出てなかった話ですよね。
いやーダメかーって言っても、でもね、本当にその間もですね、どうしてもゴルフやりたくて、家でですね、自分でコース作ったって言ってましたけど、それ以外の素振りとか筋トレとかね、当時日台が強かったんですよね。
山原さんとか倉本さんとか、まあそういう世代が活躍してた時代ですね。倉本さんがやってるトレーニング本みたいなやつがね、なぜかしらうちにあったんですよね。親父のものだったのかわからないですけど、それを読みながらトレーニングしてたんです。
素振りですよ、ずーっと素振りですよ。やってて、いやーボール打ちたいなーっていう気持ちでずっとやってたんですけど、もうしょうがないと。
で、じゃあちょっとその通学路。通学路ってまずね、家から高校までがですね、1時間くらいかかるんですよ、自転車で。自転車1時間毎日来るんですよ。だから往復2時間です。で、フォローだと45分くらいで帰ってくるんですよ。
高校時代で風向きってめちゃくちゃ大きくて、今日は向かい風だとか、今日は追い風だとか、風次第でですね、本当に嬉しかったり悲しかったりしてましたよ。一気に注意してましたよ。
ねーなんかね、今はね、車でビュンって行くから風なんかも全く、ゴルフするときくらいしか気にしなくなりましたけど、当時はですね、風向きっていうのはですね、僕にとってはものすごい死活問題でですね、もう向かい風とかだともう死んだと思って、これもう今日は終わったみたいな感じになって。
本当に九十九里の方の海の風、南風とかも地獄ですからね、本当に向かっていくときに。今度帰りの北風ね、冬のね、冬の北風も地獄ですね。そうなんですよ。だからね、そんなこんな時期が変わってたんですけど、まあしょうがないと。
でそのもう逆サイドにですね、学校と家の、またさらに逆サイドに練習所があったんですよ。松尾ゴルフ練習所っていうのがあったんですけど、もう今なくなってしまったんですけど、いやもうそこ行くかと。もうそこ行って、もうダメだったらもうこれはもうちょっと諦めようというぐらいの気持ちでですね、もうほぼそこぐらいしかなかったんで。
でまたさらに30分走った反対側に。だからもう自転車に1日ですね、3時間自転車に乗るっていうことになるわけなんですけど、そこにですね、行って頼み込んだんですよ。でね、まあそこに行った方、松尾ゴルフ練習所に行った方がこのレイリーを聞いてるとは思えないんですけど、ものすごいもう昔ながらの練習所で、もう超アットホームなんですよ。
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でまず入ると、まず食卓ね。もう本当に生活感が、生活感が割れ出しのこの練習所でですね、ちょっと小窓からですね、おばさんが出てきてですね、じゃあ会おうつってコインをね、いくらいくら。そこの小窓でなんかやるみたいなね、あのところで。その小窓の先はね、食卓になってるんですよね。
奥の方でなんか誰かがね、ご飯食べてるなみたいなのが見えるんですよ。でもなんかそんなようなゴルフ、そんな練習場で、えー、すいません、えーと、まあ私こういうもんですと、えーと、まあ、あの本当に僕お金とかもうそういうのはいらない。アルバイトって言うじゃないんですけど、お金とかいらないんで、ちょっとあの仕事手伝ってボール打たせてもらえないですかって言ったら、あ、いいよみたいな話になって、え、いいんですかみたいな。
なんかもう、なんかあれだけ断られてきてですね、いいんですかみたいな。そしたらまあなんだかんだ言って、そこの、まあすごいそこか、そこのおばさんとかね、そこの社長にお世話になってくるんですけれども、あのー、まああの、とりあえず、あの、毎週日曜日ボール拾ってるから、来ないよ、来ないよって言われてまずそこに行って、あ、わかりましたって言って、もうすんごい嬉しくて。
もうその日かちょっと眠れなかったら覚えてますね。
日曜日の朝ですね、営業が始まる前に土日拾って、土日だったかな。朝お客さん来る前にみんなで拾うんですよ。手押しのあのあれで。
天然芝、芝の上にもうあるから、で、こうコロコロコロコロコロコロっていうのをやって、もう拾うんですよね。
でもうこれで来てね、コロコロ拾うんですけど、その前にね、もうみんなクラブを持って、芝からまずネットの、やっぱりネット際が一番ボールが多いわけですよ。
だからそれはみんなで、みんなっていうかもう近所周りの人が結構悪いという結果的には来ててですね、4,5人でやるんですけど、最初はですね、ウエッジでですね、ポコポコポコポコ真ん中の方に打つんですよ。
ずっとポコポコポコポコ真ん中の方に。ね、これ一瞬にはなるじゃないですか。芝から打てるんで。
で、なんとなく集まったなって言ったら、もうみんなでこうコロコロで拾って、である程度コンテナで重ねたところに、もう株ですよ、株。
株でビーンって来て、株の後ろにそのコンテナをね、2個乗っけてビーンって持ってって、芝なんて人工芝じゃなくてボールがドロドロになっちゃうんですよ。
なんで、それをボール洗い機にガラーって入れて、で、みんなでジャーって洗いながら干して、やるみたいなのがあって、それ手伝った後にボールが打てるというような感じでですね、打たしてもらって。
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で、もうそれでね、もう土曜日、日曜日がね、ほんと楽しみになって、朝起きてボール拾って、もう一日中打たしてもらって。
で、ほんとに、その中からですね、平日も来ていいよみたいな話になって、学校終わってから、そこはボール拾えないんでね、学校終わったら練習場に行って、
ボールを打たしてもらって、で、あのボール貸し出し機もそんなハイテクのあるじゃないんですよ、そのコンテナあるじゃないですか、拾って洗ってジャンと置いてあるコンテナを持ち上げて、多分重いですよ、もう20キロ30キロだと思うんですけど、それをボール貸し出し機の上にガラガラガラガラって減ってくるとそこに足して入れるというシステムになってですね。
僕はそれをですね、学校帰ってきたらですね、そのコンテナでですね、そこの中にゴロゴロゴロゴロ入れるという、とかね、あとはその灰皿掃除したりとか、そういうのをやって合間にですね、ボールを出してもらって、そういうような感じだったんですよね。
ですからね、ほんとね、もうずーっとそれが始まったらずっとゴルフになりましたね。うん。学校終わる、そのまま自転車で練習場に行く、そこから打たしてもらう、で、そうするとですね、11時くらい、お客さんがそこの営業時間がですね、決まってなくてですね、お客さんがいなくなったら電気消して終わるっていう仕組みなんですね。
だから最後の一人まで電気がついてるんですよ。で、僕はもう最後まで打ちたいんで、もう最後まで打って、僕が水銀灯を全部バチバチバチってブレーカー落として消して、終わりなんですよね。で、終わると、なんかその小窓からね、「鉄、飯食ってく?」って言われて、
で、「あーどうも、ごちそうさまでした。いただきます。」って言って、毎晩そこでご飯食べさせてもらって、帰ってお風呂入って寝て、学校行って、練習場行って、ボール打って、最後そこでご飯を寄せようになって、家に帰って寝て、これを365日。雪が降って、雨が降っても、背中にクラブ抱えてですね、しょってですね、行ってたのを覚えて。
で、よくやりましたよね。だから3年間それやりました。正確には2年半ですね。1年の全般はですね、そんなこんなでですね、ずっと環境探しっていうかですね、そういうのがなかなかなかったんで。で、もう本当にそこの松尾のね、本当に人にはお世話になったっていう経験があるんですよね。経験っていうか、あれなんですよ。
そこの社長はね、投入病で亡くなっちゃったんですけど、1年前に。いまだにですね、練習場はないんですけど、まだね、お母さん元気にいるので、家に、そっちに帰った時にはですね、お世話になってたんで、挨拶に行って、いろいろ話して帰ってくるんですけど、いやでもあれもいい思い出でしたね。今思うと。
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なんかね、いろいろこう、いきなり田舎の子供が、なんかこういきなり大人の世界に入ったみたいな感じで。なんかね、本当にあれが、あの時のいろんな経験、もちろんゴルフをね、始めるきっかけを与えてもらったっていうのもあるんですけどね。あそこでダメだよって言われてたら、たぶんもうゴルフの仕事してないですからね。たぶん。
で、まあそこはそこでやっぱりいろいろな人間模様があって、まあそういうね、あってもそこなんで、みんな近所の人たちが来てたりして、毎晩酒飲んでるんですよ。結果的にはですね、社長と。だから社長投入病になっちゃったんだと思うんですけど、あの、もう行ってはさ、酔っ払いもいたりとかさ、もう練習してるとさ、もう高校生だからさ、高校生がさ、もうバシバシ打ってるわけ。で、もう球は飛ぶけど曲がるわけですよ。
そうするとさ、もう近所の土研屋の社長が来てさ、もうそうじゃねえとか言って、でもなんかすっげえ怒られるんですよ。で、まあまあまあ言われて、早く帰ってくんねえかなとかって思うんだけど、まあ帰らないんだよね。
まあでもこっちは打ちたいから、それいたらみなさん教え間に習ったこと、教え間に捕まったことがある人はわかると思うんですけど、もう来ないでください。消えないんですよね。
だからもうそうやって嫌だなあとかさ、で、まあこうやって打ってるとさ、また来たよあの土研屋の社長来ちゃったよつって、ケイさん来ちゃったよとか言って、もう嫌だなあとか言って、あんな見ないようにしようと思ってやってるんですけど、もう来るんだよね。
そういうのとかさ、ほんといろいろ、いろんな経験させてもらって、まあああいうところで人生経験とか早めに詰めたんで、そっから先の人生とかでも何回生きてきてるのかなあっていうふうに思いますよね。
だからね、まあそのきっかけづくりって、まあいまだにレイリオでもね、結構言ってるのは、たぶんこういうのかもしれませんよね。
だから自分がそうやって、なんていうのか、できない言い訳すんな、できない言い訳すんな、みたいな話言うじゃないですか、僕よくね。
できない方に頭使うんだったらどうやってできるかっていうように頭使ったほうがいいよねって、なんかレイリオで言ってますけど。
まさにそれで、そのそうですね、だからこの練習所を見つけて、何となく自分の居場所を見つけた経験があって、やっぱりゴルフってお金がないとね、うちの親父が言ってブルジョアのスポーツだって聞いてたんで、お金がないとできないのかとかって思っちゃってたらもうできなかったと思うんですよね。
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だけどなんだかんだ田舎に住んでて貧乏でもですね、なんとなくゴルフができたっていうのは、やっぱりその自分のこれやりたいと、なんとかやりたいっていう気持ちがあったからですね、なんか5周年でそれができたような気がしますよね。
だから諦めんのを判断で、そうやって今の環境でどうやるかっていうのを、まあ自分がなんかそれで、偶然僕はそこでそういうラッキーがあったから、そういう風に思えるような人生になったと思うんですけど、なんかそういうマインドって大事だなって、今話してて思いましたね。
昔の俺だったらすぐ諦めてたよね。うちの親父がそうなの。ああもうダメだ、ああもうダメ、ダメダメ、ああもうダメ、もうダメだよ、もうどうせ、もうダメ、ダメだよどうせ、こういうタイプなんだようちの親父。もうやだ、本当に話してると。本当に自分もネガティブになりそうで、もうダメ、もうダメ、もうダメとは言わないけど、もうなんかそんなタイプなんですよ。
なんか結構諦め早いタイプなんで。なんかそんな感じであれなんだなって。僕も結構ああいうのって親の影響を受けると思うんですよね。親の影響を受けると思うんで、そういうタイプだったんですけど、なんかあそこのゴルフのとこだけは何としてもね、思いっきり打ちたいって思ったんだよね。
いつもその庭でちょこんとしか打てないから、アプローチだからね。アプローチでちょーんとしか打てないから、思い切って打ちたいこのボールをっていうのがね、思って何度庭からね、田舎だからポンって田んぼとか山まで打ちゃいいんですけど、これを道路まで行ってもいいと思って思いっきり打ったらどんだけ気持ちいいかって思ってですね、もうその衝動にがられながらですね、
なんとかこのボールを思いっきり叩きたいっていう気持ちでですね、なんか高校時代はそれをまず探してやるんですけどね。まあでもそんなこんなでですね、僕はその高校生活とそのゴルフのね、ゴルフ生活が始まって。
もう本当に先ほど言ったように、もうそれだけ、もう本当に。練習所、学校練習所帰って寝る、学校練習所帰って寝る、これだけです。でやっぱりね、あのこれが、あのまあボール打ってると今度コース行きたくなるんですよね。
で、その社長もですね、新千葉っていうゴルフ場があって、そこのメンバーだったんで、年に1回は連れてくれるんですよ。それで楽しみに行くんですけど、いやーやっぱりこの間練習場で思いっきり打ちたいなと一緒で、コース行きたいなとなるわけですよ。
じゃあどうやったらコース行けるのかなって言って、もうこれはまた近くのね、ゴルフ場にまた特異のアタックでですね、行くわけなんですが。
まああのあるね、ゴルフ場、今で言うとサンブグリーンっていうね、ゴルフ場なんですけど、そこにまだ新しい、まだプレオープンだったのかな、あんな感じで、まだ女性の方がね、会長さんやられてたんですね。
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で、マスター室周りも全員女性の方なんですよ。で、行ったら結構怖かったんですけど、めちゃくちゃ怖かったんですよ。ただ話聞いてくれて、じゃあいいよみたいな感じで、キャディのバイトをね、させてもらえることになるんですよ。
そこは高校2年の夏ぐらいだったと思うんですけど、そこからキャディ土日はボールを拾った後に、早朝拾った後に自転車でレイクホースまで行って、そこでキャディをやって終わった後に回らせてもらうということ。
ここでも人間模様があるんですよ。ここはですね、もうね、私も本当にゴルフしか興味がない子供だったんです。高校生とは子供じゃないですけどね、ここで初恋をするんですよね。
もう本当に志仲間にですね、そういう恋愛にね、うつつを抜かしている場合じゃないのですね。ここでですね、本当に初恋をするんですよ。それはまた次回ということで。
20分もこんな話でした。まだそこの高校生から抜け出せないんですけど、そんな話でした。そんなわけで今日もいってらっしゃい。