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2023-03-23 17:43

681話 深堀圭一郎プロとの出会いと別れ

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Michael Hasegawaの聴くだけでゴルフが上手くなるラジオ。この放送は幕張ゴルフ調達センターアークゴルフの提供でお送り致します。
はい、そういうわけでですね。 ゴルフインストラクターとしてデビューをした
Michael Hasegawa。当時はMichaelとは言ってませんでしたけれども。 そんな困難でですね、まあ
これは転職なんではなかろうかと思った矢先にですね、 このゴルフスクールに誘っていただいた、このレッスンやったらっていう勧めていただいた
Kanaya Proに、から深堀プロのキャリーをやってみないかっていう話が
来ました。 最初ね、ものすごい驚いたんですよね。あの当時もうね
ジャンボ尾崎さんと本当にジャンボ尾崎さんを倒そうとしている若手のホープみたいな形のですね
深堀さんでしたから、もう油がノリに乗っている深堀圭一郎さんだったんで。 本当かな、本当の話かなと思った。もともとですね、そのKanaya Proはですね
深堀さんの明治大学の後輩でして、その流れでですね、なんかこうすごく長くやってくれていたその柿沼さんってね、柿って言うんですけど
専属のキャリーさんが辞めるということで、 まあ新しいキャリーさんを探していると、専属キャリーを探しているということでですね
まあそんな話が来たんですよね。 悩みましたね僕はね。
まあこんなチャンスはもう二度とないだろうと、 まずは思いました。それから
やっぱり僕としてもですね、二度とないんで、これをやらないといけない、やらないといけないんじゃないかっていうふうに思ったんですよね。
でもですね、僕にはですね150人以上のですね生徒さんがもうその時いたわけなんですよ。
で、せっかくね、こんな僕でもですね、来てくださった生徒さんたちなんで
なんかこう、もうそれこそ半年、1年弱ですよね。でこのまま行ったらですね、次のシーズンからオフの間から一緒に行かなきゃいけなかったので、もう2、3ヶ月後にはやめないといけないという状況になったんですね。
で、まあみなさんだったらこれどうします?
まあいろんな方に相談しました。 もちろん練習場の支配人にも相談したし、
カノヤプロにも相談したし、 先輩のそのインストラクターにも相談したし、そこの練習場にはテニスのコーチもいたので、
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濱部さんという方なんですけど、テニスの金上さんにも相談したし、 ですけど
まあまあそれぞれの意見があって、 結局決めるのは自分なんだなぁと思いながら、
まあでもよくよく考えてみたら、ダンロップゴルフスクールでいろいろ勉強させてもらって、
まあ理論という部分では最低限の理論が分かったというレベルでしかなくてですね、
全くもってゴルフの知識が欠落しているというか、まだ全然足りてないっていうのも分かってたんで、
僕はこのままこのままやっててもですね、
持ち前のですね、勢いでですね、レッスンの方はもしかしたらそのままでもなんとなくごまかしレッスンで人気になったかもしれませんけれども、
僕の中ではまだまだ上手くできない人がいっぱいいたし、 勉強が足りないんだなぁと思ってたんですよね。
これでやっぱり深堀さんのところに行って、数年修行することによって、
またちょっと違ったものが見えてくるんじゃないかなっていうのもあって、
苦渋の決断ではあったんですけれども、
深堀さんの方にちょっとやらせてもらおうかなっていう気持ちになってたんですね。
そんなこんなそうやって人たちに相談してたら、やっぱりそういう話っていうのはもう漏れるもんで、
いつの間にか生徒さんの間にも話が広まってたんですよね。
生徒さんには僕は言ってなくて、誰にもですね、言ってなくて、
あるクラスでですね、長谷川さん、長谷川コーチと深堀さんからそういう話をもらったんだって、みたいな話になってて、
そうなんですよって言って、それはチャレンジした方がいいと思うみたいな話をですね、すごく言ってくださってですね。
それでっていうこともないんですけれども、自分の中でもほぼ決まってたんですけれども、
そうだよなって思って、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったんですけど、
じゃあチャレンジさせてくださいっていうことで、結局やることになったんですよね。
今でこそ、今も思ってるんですけど、その当時もう150人もいたんで、
150人以上だったですね、半年150人は多分180ぐらいまでいたと思うんですよね。
で、その方が全員ですね、寄せ書き書いてくれたんですよ、6人。
辞めるときにですね、なんで180人もいるんで、色紙がもう1枚やとか2枚じゃないんですよね。
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5、6枚あったかなぐらいの枚数で一言ずつ書いてもらって、もう本当に温かい言葉をかけてもらったんでね。
いまだに僕それ実家に飾ってあるんですけど、本当にそういう応援してくださった方たちがいたからこそ、
今の僕もあるなっていうこともね、いつもそれを見るたびに感謝してるんですよね。
そうやってですね、ちょっと後ろ髪引かれる思いでですね、深堀さんのところに行くことになりました。
この深堀さんもですね、一番最初にお会いしたのがですね、一応面接みたいな感じになったんですよ。
面接というかね、一回ご飯食べましょうみたいな感じで。
で、深堀さんの自宅の近くのアザブジューバンでですね、焼肉屋、今でも覚えてるんですけど、
まあ僕ら先行ってて、後から深堀さんがベンツでね、ピャーンって来て、早速来るわけですよ。
いや、初めて会ったときはテレビの中でしか見たことがないかとかあったんで、
しかもほら、ずっと僕はあの時はもうテレビからしか情報がなかったから、もうテレビの人なんですよね。
で、もう本当にかっこよくて、いやーなんかこの方と仕事するのかってその時しみじみ思ってですね、やってたんですけれども、
まあそんなこんなで話をしたら、まあいい子じゃないということで、やっていくことになったんですね。
そう、でこれがね、まあ業務内容とすればですね、まああの、マネージャー兼キャリーっていうことだったんですね、最初は。
まあマネージャー兼キャリーですね。だから基本的には、まあその移動とか宿泊とかもあるじゃないですか、
もあるし、まあそれぞれそのメーカーさんとのやり取りとかもいろいろあったりするので、
そのあたりも全部やりながら、まあキャリーもやるっていうような仕事の内容だったんですね。
それで、まあでもこれをやっぱり数年やって、まああの、また僕はゴルフインストラクターに戻ろうっていうふうに思ってたんですけれども、
まずですね、甘く考えてました。はい、正直ですね。これは深堀さんにも、もう今日もわかってると思うんですけど、
完全に甘く考えてました。数年やって、エルモの絵ってやめるとか、そういうあの、
世界じゃなかったですね、はい。勝負の世界ってそんなもんじゃないです。
まあ一番最初に、今でも覚えてるんですけど、まずあの合宿から始まったんです。シーズン前の、で五転葉ですよね。
五転葉、あの太平洋五転葉ってあるじゃないですか。ビザやるとこですよね。あそこで、
横田慎一さんと久保屋健一さんと3人で、あの深堀さんと3人で合宿やるっていうことで、まあやったんですよ。
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で初めてそこについて行って、まああの時は担ぎはしなかったんですけど、カーテンに乗せて、まあじゃあ距離だけ測っていこうかみたいな感じで、
まあTショットボーンって打って、次セカンド、セカンド行ってね、で距離測るった時に、
えーだいたい150ぐらいですって言ったら、もう、何?とかっていきなり怒られてですね。
いやだいたいじゃ撃てないんだけどって言われて、 え?と思って、えーともうここからだいたい、だいたいが150ってやるじゃないですか。
だからでも、もうあの、久保屋さんが言ったのは、その148なのか149なのか150、だいたいなんかでショット撃てないよって言われて、
あーって思って、そうだ、これはそうだよねって思ってですね、 あの自分のあのやっぱりゴルフがそのぐらいアバウトだったんで、
まあ要はその1ヤード単位の管理ができない、技術的にできないわけじゃないですか。 だからほぼほぼ150って言ったら、だいたい150ってね、思って打ってたりするわけじゃないですか。
150ジャックとかね、言う感じでとかね、あのやるわけじゃないですか。 そうじゃ打てない。
やっぱりもう、久保屋さん本当にそれやるんで、で、えーと、まああの一流の選手って左右はでもどうせみんな曲がったりするんですよね。
曲がるんですけど、縦距離がほぼ崩れないんですよ、良い選手は。 だから多少ボールが曲がってもピンの横2メートルにあるとか、
ワンピンにあるとか、まあそんなようなショットの精度なんですね。縦がすごい重要なんですよ。 縦が崩れていくと基本的にはトップに行けないんですね。
だからそれだけに1ヤードとか、そういう距離に関しては適当。 今、昔はレーザーなんかなかったんで、補足でやったりしてたわけじゃないですか。
それでね、いきなりビシーって言われてですね、そらーと思ってね、もう本当に顔真っ赤になってたと思うんですけど、いきなり。
で、まあそういうところからいろいろ、久保屋さんに教えてもらって、でね、多分ね、本当にあの、
久保屋さんも大変だったと思うんですよね。僕も今、会社をやって、若い人たちと仕事することにもなったんで、なんかいろいろ思うところあるんですけど、
あの時の僕って、うちの社員の頃の話じゃないですからね。 本当に田舎から、この町を出た一心でですね、もう皆さん聞いていただいたらわかると思うんですけど、
本当に自転車を漕いで、ゴルフ場で練習をしてるだけの人間なんで、全くわかんないんですよ。
で、ゴルフのことだったらね、なんとなくそれはできるんですけれども、じゃあ例えば今度深堀さんときに言ったら、その偉い人たちとの会食だったりとか、
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スポンサーさんとの話とか、試合の分なんとかとか、宿泊分のところも含めて、僕ができるわけがないんですよね。
なぜなら田舎にずっと住んでたからですね。まさかそんなことをするとは思わなかったんで。
で、いきなりそれになったわけですよ。 できないですよね。でも気も回らないんですよ。なぜなら何やってるのかわかんないから。
で、やると失敗して、もう今度そうすると、なんかちょっとこうやるの怖くなっちゃったりなんかして、
なんかそうやってですね、もう本当にグダグダで始まったと思うんですけど、
いやもう本当に深堀さんのパフォーマンスをあの年は落としたのは俺のせいだなって未だに思いますよね。
良くなかったんですよ。僕はやっぱり1年目って、まあ怪我もあったんですけどね。怪我もあったんですけど、
あの時の深堀さんの状態を考えると、
ちょっと良くなかったと思うんですよね。とはいえでも予選は1回落とさなかったんですけどね。
予選落とさないってすごくないですか。当時深堀さんってバリバリだからパーン率1位。サンドセーブとパーン率1位の選手で、
キャディーあったらめっちゃ楽なんですよ。あのキャディーってドライバー渡してセカンドポンって打ってる人に乗ったらもうすぐパターン渡してっていうこの流れですか。
70%以上乗るんで、もうほとんどもうこの流れでめっちゃ楽なんですよ。結構曲がっちゃうと大変じゃないですか。
そうだからそのバリバリの時代の時に行ったんですけど、いや多分ね危機苦労があったんじゃないかなと思うんですよね。
だからあまりしみじみね、なんか昔の笑い話にはなってますけど、今はね、なってますけど相当イライラしてたと思います。
イライラしてたと思います。僕自身も何とか頑張ろうと思うけどなかなかできなかったですね。
まあそんなこんなでですね深堀さんのやつやるんですけど、やることになったんですけど。
やっぱりね深堀さんとの思い出は
2003年の日光カンツリーでやった日本オープン、日本オープン優勝で、これがやっぱりね、
僕の中ではね、深堀さんと一緒にいて1勝しかできなかったんですけど、それがジャパンオープンなんですね。
メジャータイトルを取れて。あの時はねやっぱすごかったですね。本当に
まあ調子も良くて
あの時練習してても、練習場だとボールが全然曲がらないし、
全部シンクって板もいくんで、練習つまんないよねって言ってたんですよね。
まあでも最後まで練習してたりした週なんですよ。その週って。
なんかいろいろハプニングもあって、最初泊まった予約したホテルが
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やっぱりなんか深堀さん的に気に入らなくて、もうこれもう一緒にチェックアウトするって言って、一泊だけして次の日チェックアウトして
近くの違うホテル取り直して、そこに移動して、そこから通ってたり、なんかすっごいバタバタしてたんですよ。
でなんだかんだ始まったら、3日目終わってトップと5打差ぐらいあって
スタートとあそこの1番とこことこことこことバーディー取って出れれば、もしかしたら優勝届くかもしれないねっていうふうに前の日言ってたんですよ。
で、本当にその予定してたホールにポンポンポンってバーディー来たんですよ。
で、もう見えてきちゃったんですよトップがね。
え?とか思って、もうなんかこう今の安原さんという方とね優勝争いしたんですけれども、
でもハーフターンでまだ2打とか3打ぐらい差があって、あったんだけど、俺もなんかその時勝ったなって気持ちがあって、
川尾さんもう今日勝ちましたみたいなこと言ってたら、もう早えよとか言われて、早えよとか言われたんだけど、なんか雰囲気あるんですよ。
そしたらやっぱそっからまた怒涛のバーディーラッシュで、すっごい難しかったんですよ。
まあすごい難しいパターンとかも決めていったんですけど、まあそれで決めて日本オープン優勝したんですよね。
まあその日のねあの帰り道はね本当に気持ちよかったですね。優勝ってこんな気持ちいいもんかと思いましたね。
で、しかも日本オープンですからね。その後東京に帰ってからやっぱりあのみんないるから残ってきてるんで、そこで祝祝会やってもらって、やってですね。
あのもうプロゴルファーだけじゃなくて、あとそのレップって言ってそのツアーに来てもらってるその当時ナイキジャパン、ナイキゴルフ、ナイキの方だったんですけど、
ナイキの方とか芸能人も何人か来てて、いやもう本当にねあのあんなことってもう二度と僕は中では人生中ではないんじゃなかろうかっていうね経験をさせてもらったんですよね。
そうなんですよ。まあそんな感じでですね、深堀さんの仕事のところがですね、やったんですよね。
まあこれもなかなか順風満帆に行ってると思いきやですね、それからまたちょっと問題を起こして、僕がですね問題を起こして
深堀さんのところを去るっていうことになるんですよね。そこまでお世話になっておきながら。
まあちょっとこれはまたですね、また次回この後、今17分なってしまったので、また次回お話ししていきたいと思います。そんなわけで今日もいってらっしゃい。
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