1. 35歳、右に行くか左に行くかAge 35 Which Way To Go?
  2. #213 - ありがとう、ママ、M..
2025-06-22 25:27

#213 - ありがとう、ママ、Mama、妈妈

アメリカの小学校で娘の母の日イベントに参加してフラッシュバックした遠い昔の母親の姿⚡

異国での子育ては、新鮮な気持ちで楽しいこともあるけども、戸惑い不安になることも盛り沢山😂

”お母さんありがとう”を心の底から感じた今年の母の日話をお届けです🎙

 

「私はこうだったよ」や「2人のこんな話を聞いてみたい」などご意見がありましたら、以下のリンク内のGoogleフォームからご連絡お待ちしています📩

https://lit.link/35migihidari

 

その他、X(旧Twitter)やinstagramで#35右左でポストや@35migihidari のリンクを貼ってもらえれば、すぐに飛んでいきます!

もちろん、リポストやコメントなども大歓迎です。

エピソードと共に、X(旧Twitter)とInstagramも更新します。@35migihidariをフォローしてください!

 

#podcast#ポッドキャスト #podcaster #35歳、右に行くか左に行くか #35右左 #35migihidari

#社会科学系研究者 #女性研究者 #ワーママ #中小企業診断士 #アメリカ駐在 #駐妻

#Mothersday#母の日 #アメリカ子育て #異国子育て

サマリー

このエピソードでは、母の日にアメリカの学校で行われた行事について、ワーキングマザーのまきが体験した感動的な瞬間を共有しています。また、母の日のイベントがどのように盛大に祝われるかについて考察がなされています。母親との関係や子育てについての思い出が語られており、ディズニーシーに行く際の経験やアメリカでの子育てにおける語学と文化の壁についても触れられています。異なる文化圏での子育ての難しさや楽しさについて語り、母親への感謝の気持ちを深める場面が描かれています。特に、母の日のイベントを通じて、家族との絆やマイノリティの視点が重要であることが強調されています。

母の日のイベント
35歳、右に行くか左に行くか 共働き、ワーキングマザーで会社員のまき
社会科学系の研究者でパートナーと二人暮らしのないちゃん 10代で出会ったまきとないちゃんがライフステージの変化を感じた35歳から始めたポッドキャストです
キャリア、子育て、パートナーとの関係など 知的でオープンな近況報告を繰り広げています
はい、ということで今日は久々に私の持ち込みテーマでございます
はい、久々?あ、でもまあそうか、なんか企画とか続いてたからね
そう、なんかいつもないちゃんにテーマをなんか委ねてたなぁ、最近と思って
でも、そんな始まってからずっとよ、3年間
今さらか
でもまきのね、持ち込みテーマはね、あの面白いから毎回
子育てが雰囲気だとか、夫婦の喧嘩とか
だいたい、なんかもう話聞いてよ、みたいなやつだからね
そうそう、愚痴ね、愚痴ベースが多いから
いやでもね、今回は結構なんていうの、心が揺れる話というか
ハートタッチ、ウォーミングみたいな感じで
全米は泣いたって?
全米は泣いた、いやわかんない、そこまでになるかわからないですが
ちょっと話したいなと思ったのが
あの、母の日があったじゃないですか、ちょっと前に
はい、5月の頭かな
そう、で、あのアメリカの学校
ってかアメリカって本当に母の日盛大にやるんだなっていうのびっくりしたんだけど
すごいのよ
母の日だけじゃなくて全てが盛大
もうそうそうそう、過去にもさ、そうなのよ
言ったけど、そのイベント大国っていう話はずっとしてるじゃん
でも、なんかその、母の日って5月の日本と同じタイミングなんだけど
なんか母の日がしかもできたのがアメリカらしいんだよね、そもそも
だから結構な記念日アメリカでできてるなと思って
まあもともとお祝い、そうそうそうっていうのもあるんだけど
学校での感動的な体験
で、えっと、なんかその、辞書の母の日のそのイベントに
学校に参加したときにちょっと感じるときの話だったんですけど
あのまあそのイベントもね、なんかもう3ヶ月、4ヶ月、もうるき降ってるぐらいから
この母の日のイベントはこの日にやるんで
金曜日の午後の何時から何時に予定開けといてくださいみたいな
もう3ヶ月前ぐらいからすっごいリマインドが
でもそれ以降なんかずっと続くみたいな
2週間おきにリマインドされて
で、その母の日に向けて子供たちが制作したりとかいろいろ準備をしてるから
なんかその娘と母とここで写った写真をくださいとか
なんかすごいなんかフォローされるなーっていうのは思ってたわけよ
なんかこうずっとね
で、でいざまあそこまで言われてるから
まあちゃんとブロックもして
まあでもそれもあれだよね
私の職場復帰のタイミングと重なったから
結構ドタバタではあったんだけど
行ったわけですよ
で、そしたらなんかもう本当想像を上回る感じで
プログラム自体が1時間半ぐらいで前半と後半に分かれるのね
で、結婚式じゃないの?
そうそうそうなんだよ
で、1時間みたいなところでは学年全体
あの下の子が行ってるキンダーガーテンの学年が3クラスぐらいのかな
が一斉に中庭に集められて
で、しかも結構その子供たちも清掃というか
男の子とかちょっとスーツみたいな着てたりとか
決まってて女の子もドレスみたいな感じで
で、その中学校の中庭でなんかちょっとそのなんて言うんだろうな
石畳でこう階段でこうちょっと歌を歌えて
なんかみんなで座って見れるみたいなスペースがあって
そこに通されて
そこに入る時も招待状みたいな感じで
なんかこう準備されてて今日のプログラムの式次第みたいな
で、でもママが整揃いよ
アメリカのママたちが
で、そうしたらなんかその最初の前半では
その学年全体でえっと
なんか歌をとか
あとはそのメッセージを読むみたいな
詩を読むみたいな回で
で、あの歌を歌ったりとか
あとその一人一つの一節みたいなのがパートがあって
それをこう言っていくみたいな
それも全部英語なんだけれども
あのお母さんが毎日してることみたいな感じで言って
で、それを結構あのうちの子もずっとこう練習して
で、途中先生から
あのLINEは無事覚えることはできたんだけど
ちょっと声が小さいのが心配なので
一緒に練習してください
当日までってメールを個別でもらったりとかしながらね
当日を迎えて
だから私もちょっとドキドキしながら見守ったんだけども
まああの声はちっちゃかったけども
でもちゃんとなんかこう
かき消される声なのか
そうだよね
お母さんにもシェアしたよね
そうそうすごいから
そうなのでもまあ一応無事に終えて
母と子の絆
それだけでもなんかまあすごいなみたいな
まあそのその感じは結構その何
あの日本にいた時もさ
保育園の発表会とかそういうのであったから
そこまでは想定内
まあやっぱりアメリカでもこういう感じでやるんだなっていう
で、そこで終わるか
そこで終わるぐらいが日本の感じなんだけれども
そっからまたクラス別に別れて
次はクラスの中でお母さんと一緒になんかこうイベントをします
みたいな感じでなんかこう別れてるわけよ
で、クラスに入ったら
そのそれぞれの子供のこの椅子と
あの机のセットみたいなところに
それぞれ座ることになってて
お母さんと一緒に
で、その目の前にはなんかお母さんのこういうところが好きみたいなとか
こうなんかお母の日に向けた
それもなんかこう何個かその制作物みたいなのもあって
で、しかもそのそもそも単人の先生が
その会にクラスになんか知らない人2人ぐらいいるなと思ったら
自分の娘とあと自分のお母さんも連れてきてるわけよ
ね、そのだから自由の
毎年できる?
いや、わかんない
で、しかもなんか先生が言ったのは
え、なんかそのあるね
その自分の生徒にあの母の日のイベントの準備してて
もうすぐ、もうすぐだねみたいな話をしたら
じゃあ先生は自分のでもお母さんを呼ばないの?
みたいな感じ聞かれて
その子供のそごくな疑問だよね
みんなのお母さん来るよね?みたいな話をしたら
なんかじゃあ先生は?みたいな感じ言われて
そしたら先生が確かにそう聞かれて
私もなんか何で聞いてなかったんだろうと思って
声をかけてきてもらいました
みたいなさ、なんていうの
ふっかるだし、ノリがいいしちゃんとお母さんもね
で、なんかこういろいろビンゴ大会とかしたりして
で、あとなんかフォトスポットみたいなところで
こう一緒に写真を撮ったりとか
なんかそのお母さんの絵を描いた
その写真、絵がバーッと並んだ
どれが自分の似顔絵か探しましょう
みたいなやつがあったりとか
で、もうおまけに最後はあの動画ですよ
その先生と先生の娘さんお手製による
その子供たちにこうインタビューをして
あのお母さんのどういうところが好きですか?とか
お母さんが好きな食べ物は何ですか?とかっていうのを
子供に数人ずつピックアップしてこうインタビューして
こうるっていうその動画を編集したものを見せられて
もうなんか泣いてるお母さんとかもいてさ
まあでも本当にジーンとする感じなのよ
で、うちの娘も英語が苦手だけれども
なんかマムアイラビューみたいな感じで
こうメッセージがあったりとかして
その動画を通じて見るっていうのも
またちょっと感動するじゃないか
っていう感じで
そうでそれでなんか一通り終わって
なんかすごいなと思ってて
何より私は新鮮だったわけよ
こんな経験をしたことないから
で、そうなのよ
で、あとその時に同時に思ったのは
まあその例えばそういうこうイベントの時に
お母さんたちがいて
で、なんか結構お母さんたち同士でしゃべってたり
わーっとしてたりとかして
アメリカ人の
で、クラスに入った時も
なんか知り合いがいたりとかして
私たちが機の途中に来たっていうのもあって
そんなにこう知り合いは多くないから
だし何を喋ったらいいのかも分かんないな
みたいな
だし次なんか他のお母さんたちは
なんかはいはいこういう感じね
みたいな次の展開こうね
みたいな感じで見てるんだけれども
なんか私は全部次どうなるんだろうみたいな
ちょっとこうなんだろう
ドキドキもしてるわけよ
楽しみつつも
なんかで母として
なんかどうやって振る舞ったらいいんだろう
みたいな感じで
どういうリアクションをしたらいいんだろう
みたいな
とかが別にそんな
なんか正解とかはないんだけれども
なんか次が読めないから
なんかそういう緊張感もなんか微妙にあって
でそうした時に
なんかこうふっと本当にふっとね
なんか自分の母親が
なんか昔こう昔の姿がこう
フラッシュバックして急にね
っていうのもなんかうちの母親ももともと中国出身だから
ディズニーシーの思い出
日本の教育とか日本のその学校行事みたいな
何にもこう分からず
でそうなのよである時本当本当覚えてるのが
結構でもそれは大きくなってからかな
私が中学か小学校高学年ぐらいの時に
なんかみんなで友達でディズニーランドに行こうみたいな
ディズニーシーかな
ディズニーシーができたタイミングとかでなったんだけど
でみんなでもディズニーシーとか当時ちっちゃかったから
その子供同士だけではちょっと厳しいっていうので
親もこう基本はついてこうみたいな流れになっていて
私も仲良い友達同士で行くっていうのがだったし
行きたいみたいな感じだったんだけど
なんか結構母親がその性格もあるけどね
あのなんかそのママ友とか全然いなかったから
でもその娘は行きたいって言ってるけど
でも私はちょっと行きたくないな
みたいな感じでしぶってたわけよ
でも行かなきゃいけないかみたいな
そう悩んでて
でその時に私はもう行かなくていいよって
うちは別に一人ぐらいお母さんがいなくたって
他のお母さんたちもいるから
私なんか自分で一人で自分のことできるから
みたいな感じで言ったんだけど
なんか確か頑張ってついてきてくれたのかな
お母さんが
アメリカでの子育ての課題
でもなんかその時にその親子の娘とお母のエトリの中で
なんかその逆に私がそうやって言って
で私がそうだそうだ
でもしついてくるのであったとしても
例えばねなんか別にそんな頑張って
そのなんていうの
こう話を弾ませようととか
気を使って他のお母さんに対して
やる必要もないし
だって別に友達じゃないんだから
あのママなんていうのその娘たちは友達だけども
別に母親同士は友達なわけじゃないんだから
無理して気使うことないし
なんか別に喋らなくてもいいと思うよ
みたいなこと言ったら
たぶんお母さんもなんか気が楽になって
ついてきたっていうなんかエピソードが
ふっとなんか急にこうよぎってさ
でだからお母さんもほんとなんか
この積み重ねだったんだろうなと思って
日本で子育てをしてきた
していた日々っていうのが
でもだってあれだよね
じゃあ今そのマッキーがさ
子供たちが仲良くなった結果
なんていうの
英語がペラペラなお母さんたちと一緒に
1日一緒にいなきゃいけないとなるとさ
やっぱり気合は入るじゃん
入る入る
それ向こうも気使ってるって分かるし
言語のバリアによってね
いい人たちだと思うけど絶対
そうなんかそのそもそも仲良いとかね
その友達だったら
多少そのアメリカ人の友達で
あのどっかに行くとかだったら
まだいいんだけれども
そのいわゆるママ友みたいな
その子供たち同士がつながってて
それのその保護者としての
そのつながりでの
そのなんていうの協力関係みたいなのって
またそこ一つハードルがあるというか
かつそこに言語のバリアがあると
言語とそのカルチャーのバリアだよねがあると
だいぶそのハードルが上がる
削られるから
なんかその中でお母さんはすごい頑張ってたんだな
っていうふうに思ったというか
ちょっとその当時の母親のなんかこう気持ちを
なんかよりこう親近感というか
ちょっとこうなんかデジャヴというか
ついた意見みたいな
ついた意見みたいなのができたなっていうふうに思って
なんか次母親となんかそういう話を
もうちょっとしてみたいなみたいなふうに思ったんだよね
なるほどね
してないの結局
してないしてない
すぐ電話しそうじゃん
してないんだ
いやいやでも今度あのこっちに来るからさ
母親たちが
その時になんかゆっくり話そうと思って
まあもう全く忘れてるかもしれないけど
いやそうなんか
そんなのあったかしらとか言いそうで
そうそうそうそう
でもほんとなんかちっちゃなことなんだけど
なんか日々ほんと予測不可能というかさ
だからさ自分は経験してないことをさ
なんかこう子供たちが経験してって
ででもなんか子供たちになんか聞かれてもさ
いやわかんないよ
私だってみたいな感じの状況を
ずっとこうやってきたのかと思うと
なんか頑張ってたんだなぁと思ってね
いやそうだよ
だってしかももうなんかこう
負けない場合はさよくも悪くもさ
短期的で長期だけど
いずれ日本に帰るってことは分かった状態でいるじゃん
それともう私は後がないんだっていう
ここにいるしかないんだっていう気持ちって
多分ちょっと違うよね
この国の人たちと仲良くなれないと
なんか終わりだみたいな思っちゃうじゃん
そうすると
いや私はまだ母国があるからって思わないっていうかさ
ほんとだね
さらにハードルが高いっていうことだよね
なんかそんな気がするけどね
そうなんかそうなんだよ
結構その子育てを通じて
結構その子供を通じて
子供を通じた追体験みたいな
っていうのはなんか結構
よくこれまでも感じてたんだけれども
あー自分もこういう時あったなとか
こういう感じしてたなとかさ
だけどなんかそのこのまた3世代というか
上の母親側の追体験っていう
こっちのなんかこうことができたっていう価値も
改めて噛み締めたというか
そうそうそうそうそうなの
なるほどね
っていうなんか出来事だった
そうかな自分がちっちゃい時を思い出すだけじゃなくて
自分がちっちゃい時の親がこうだったっていうのも
そう
なんか思い返すみたいな
そうそうそうそう本当に
そうでなんかそうなんかすごく心にね
なんか心が動かされたんだよね
この前の話はそういう意味で
なんかさあれだよね
多分日本で育って
日本で育てられて
日本で誰かを育てるって環境だと
その時点で多分
そういうなんてある種の親側の立場の体験を
そこで得る人も多いと思うんだけど
なんかまきはさなんていうのそのある意味
その帰化した経験もあるし
自分のが育ってきた家と
自分が育てる家ってちょっとなんかまた
経路が違ったりするじゃん
だから改めてアメリカに来た時の方が
よりその実家の感じっていうのが
出てきてたのかもしれないね
アメリカの家の方が
アメリカに来て自分がそのマイノリティとして
そのいろいろ子供たちとか家のこととか
仕事も含めてやってかなきゃいけない
っていう時の方が
親たちのことの当時の気持ちとか大変さ
が本当になんか染みるように分かるな
っていうふうに思って
そうそうちょっと自分の行いを
これまでの反省したよね
あんなにきつく言っちゃって
母親への理解と感謝
本当そう何にも一切
全然想像できてなかったなと思って
できれば父親にも思いを馳せてほしい
いやねそうなんだよね
父親はねどうしてもまたちょっと違うんでね
まあまあまあ特に母親ね
そう父親も本当に尊敬をするけど
母親のこの言っても
やっぱその教育とか子供たちと
そのなんかママ友とかさ
どこに行ってもあるからさ
そういう感じっていうのやっぱり
その家庭とか子育てっていうのは
女性側によってるっていうのは
バンク割と共通だから
なんかその中での本当に
なんか本当にちっちゃなことなんだけど
なんだろうその全然そのなんか
遊びの始まり方も
ちょっと違ったりとかもするしさ
急にその dm 来てさ
プレイデートしませんかとかさ
あとだからアメリカの場合は
もうあの車の送迎がないと
子供たち同士で自然に行こうってないじゃん
そうだから急になんか子供たちで
お手紙にやり取りとかしてんだけど
お母さんの電話番号書いた手紙が
こう持って帰ってきて
こここれでお母さんに調整してって
お願いしてみたいな
なんかそういうやり取りなんだよね
とかでもなんか急に連絡すんのもなー
とかって日本人的な発想で
私思っちゃったりとかもするけど
向こうは待ってるかもしれない
そうそうそうだし
これはどう出るのが正解なんだとか
なんかこうなんかね
ちょっとしたことなんだけれども
いろいろこう分かんないこともあって
普通がねそうそうそうだよね
だからママが自分のちっちゃい時に
経験してきた普通と
日本の子育てで行われるべき
普通がギャップがあるじゃん
やっぱり隣の家にさ
文句をさ貼りに行ったりはしないわけじゃん
何それいつの時代よ
いや違うなんかさ私がさママにさ
なんかちっちゃい
ママがちっちゃかった頃の
はいはいはいはい
異なる文化圏での子育て
なんていうのこう
政治動員みたいなのって
ローカルではどうだったの?
みたいなの聞いたわけ
そしたらなんか毎朝
自分の家に貼ってやる
なんか自分の家に悪口を
隣の家に貼りに行く日々から
まず最初スタートするみたいな話を聞いて
大好物なの
超面白いんだけどと思って
そうだよねそうだよね
そうそう
そんなことはまずないわけじゃん
ないし
そうだからなんか
本当にやっぱり文化圏が違うところで
子育てするっていうのは
なんかそれもまた全然
そうなんか大変
楽しいところももちろんあるんだけど
いろいろほんと違うことが多いから
ストレスも多かっただろうなっていうのをね
なんか改めて親をこう
親を尊敬することも感じた
イベントを
しかもあれだよね
やっぱさこう
マキのアメリカ駐在にしろ
そのお母さんの日本に来たことにしろさ
やっぱり行き先というか
動くということの主導権はさ
やっぱ男性が持ってたわけじゃん
だからついていくしかないみたいな
その自分の意思とはまた別に
その適応していかなきゃいけないっていう
課題がさ突きつけられるというかさ
そうなのそうなの
やっぱ能動的に行くんだって思ってる人ってさ
嫌がおうでもっていうか
積極的に適応していこうとするけど
でも追随者ってさ
えーってなるじゃんそれに対して
別にポジティブで選んだ選択じゃないけど
彼についていくってことは決めたものの
家族で行くってことは決めたものの
そこでこうなんていうの
起こりうる文化的な障壁っていうのは
まあ念頭にないもんね
ないない
そうなんだよね
そうっていうね
まあでもなんかこれも
この経験もきっと
なんていうの
自分のその幅というかさ
を広げるって意味では
なんか良かったなーって
思ったから
その何ともこう言えない気持ちというか
まあとにかく本当にお母さんありがとうって
母の日とかそういうイベントとか
そんなにこう祝う家庭じゃないんだよね
親も含めてなんだけど
だけどなんか今年の母の日は
なんか本当にちょっと心に
心から
母の日の感謝
ジーンとくるものがあったっていう
その学校でのイベント含めね
そうそうそう
マキはそれでお母さんに何かしてあげたの?
何もしてない
だからあの
してないんかい
その日っていうよりかは
そうこっちに来た時に
あのいろいろ恩返ししたいな
っていうふうに思ってるけどね
まあ多分めちゃくちゃ助けてもらうんだけど
いやもう多分8人ぐらい助けてもらうから
間違いない
いやなんかそれだけ
その話を聞いてさ
なんか単純に思ったのがさ
お母さんいない子っていないの?っていう
あーでもなんかその一対一じゃなかったから
でもね多分ほとんど
みんな来てたんじゃないかな
私がしっかり見れなかったけど
みんなだいたいセットだった気がする
ああそうなんだ
ただ先生からのお手紙には
なんかもちろんその仕事とか
予定がつかないとかっていうのは分かるから
あの無理だったら全然大丈夫です
みたいなふうには返したんだよね
そうどうだったんだろう
それでもめちゃくちゃ寂しいよね
そのイベントでもしみんなが
そうそうなんかこう
なんか日本側のある種の配慮って
マイノリティ側から考える気がするんだよね
確かに確かに
なんかマジョリティが楽しめるイベントをしましょうよりも
これをやった時に
マイノリティはどう思うのかから
イベントのそのセッティングがされていくような気がして
みんなが平等になるようにだよね
そうそうそうそうそうそう
アメリカはそこらへん考えなさそうじゃん
考えなさそうだねあんまりね
だからそこらへんどうだった
もちろんその会社が忙しいとかじゃなくて
単純にシングルファザーの家庭とか
そうだよねあるよね
いないのかなとか
それがもしいたら何か考慮に入るのかなとか
あんまりそういう確かになかったねあんまり
どうしてんだろうね
でもなんか個別で何かやりとりとかしてたりするのかな
なんかそこはあんまり垣間見えなかった今回
なんかそこらへんどうなんだろうなと思って
普通にそのアメリカ人の持ってる
その多様性に対する意識とかが出そうじゃん
なんかそういうふうに気を使う方が良くないとかっていうのもさ
あるしあるかもしれないし
そこらへんどうなんだろう感覚的にって思って
確かにちょっと今後その観点でリサーチしてみます
そしたら一気に感動の数値が下がるかもしれないけど
いやいやこれはこれそれはそれですよ
というお話でした
はいいいお話でした
ご意見やご感想は概要欄のリンクから
googleフォームやメールなどでお寄せください
また数字とアルファベットの35右左で
Xやインスタグラムのともやっています
いいねと思ったらいいねを押してもらって
メッセージを送りたいなと思ったら
ハッシュタグ35右左のメーションや
引用リポストなどでも感想を寄せください
すぐに見つけに行きます
お待ちしてます
25:27

コメント

スクロール