時間の感覚の変化と介護
人生のセカンドステージの最も面白く、アラカンともこです。毎朝8時55分からインスタで、9時からTikTokとYouTubeでライブやってます。料理しながら人生語ってます。よかったら遊びに来てね。
今日は、なんか時間が溶ける感じが心底嫌だなーっていう話をしたいと思います。
今日はもう12月1日、なんてことをしや早いんでしょう。もう皆さんそういうふうにね、言ってらっしゃる気がするから。
私は今日は、なんか母の介護で、朝からね、病院の突起症をして、その後スーパーとかドラッグストアとか付き合って、その後ご飯を一緒に食べて、ちょっと家の実家の雑用をして、それで帰ってきたんだけれども、
なんかね、なんか介護してると、なんかテンポが違うんですよね。なんか私、母にいつもの調子でバーっとバーっと話すと、何言ってんだかわかんないっていうふうに言われるの。
それで、あ、ダメだダメだって、テンポを遅くして話す。それで、あとお店とかもね、いつも私は入ってバッと選んでバッと出てくる、そのスピード感が結構なんかせかせかして早いんだけれども、まあとにかく85歳の母を連れてると、もうゆっくりしか動けない。
本当にゆっくり、そうじゃないと母が転んじゃうし、疲れちゃうし、だからゆっくり、手伝えるところはもう買い物の荷物とかもパパパパって私が詰めて、もう本当にお手伝いはするけれども、でも結局母を連れてるとそこまで高速に動くとかっていうのはできないんですよね。
だから、やっぱりやりたいことっていうのはすごく充実してて、それができた時には本当にその満足感ってすごいけれども、でも介護とかっていうと、自分がやりたいとかっていうのとはまた違うから、だからなんだかすごく焦るのよね。
でも、なんかね、やっぱり皆さんもね、これ育児をしてたり介護をしてたり、なんか自分にとってやりたいこととは違うな、無駄じゃないかみたいに感じてしまうようなこともね、私は育児に関してはもう小さい子はいないから、
もう長男は社会人だし、次男ももう高校3年生で半ばもう大人だから、だから小さいも育児っていうのは終わってしまったけれども、でも終わってしまえばね、なんかすごくちょっと寂しいなと思うし、それから介護も、
父はもう施設に入っちゃったでしょ。それで実家で父と過ごす時間をね、今となってみれば、もっと大事にすればよかったなって。私、父が元気で実家で母と過ごしてた時は、もうそうね、近所って歩いていけるほど近所ではないけれども、そんなに遠くないのに、そんなに行かなかったんです。
本当に用事があれば行くけど、用事がなければ行かない。そうね、1ヶ月に1回行かなかったような気がするな。1ヶ月半に1回ぐらいしか、父と母が70代とかの時は行かなかった気がする。別に用事もないし。
でもね、父はもう実家に行くことはもう本当にないと思うから、だから、ああ、なんかあの時間って終わっちゃったんだなっていうふうに後で思うの。
だから、なんかすごくね、時間がこう、自分のやりたいことに時間が使えない、なんかすごく焦って、なんか時間が溶けてるんじゃないかって、本当にイライラしたり焦ったりする気持ちはあるけれども、きっとその時間も後で考えれば、ああ、大事な時間だったな、私の人生っていうふうに考えてみた時に、
あの時間は無駄じゃない?時間とかしてるんじゃなくて、後で自分の血となり肉となり、なんかこう感情、あの時の感情っていうのは、今の発信とか何か投稿まとめたり、誰かにお話したり、ライブで自分の経験談を話したりするときに、血となり肉となり、なってるときと思うから、
だから、私はね、介護でいつも、あーっと思うけど、その時は。でもそう思わないで、きっといい時間なんだなと思って頑張ろうと思います。後悔のないように。はい、そんな感じです。今日も聞いてくださってどうもありがとう。