謙虚でいることの意義
気分理科を大切にしたいともこです。こんにちは。
50代からインスタやTikTokの発信を始めてみてどうだったのか、
初心者の視点で本音で話してます。
毎朝8時55分からインスタで、9時からTikTokとYouTubeでライブやってます。
よかったら来てね。
今日は、気負ってもね、しょうがないからもう気負わないでいこうっていうお話をします。
毎日行動してると、たまにうまくいくことがあるんだよね。
人に良かったねとか、これできてすごいねとか、たまたま褒めてくれる優しい人がいたり、
たまたま何かうまくいったってこともあるかもしれない。
そうすると、私やっぱり嬉しくてね、内心はすごい天狗になっちゃってるのに、
表面上は謙虚なふりしてさ、でも違うなって。
やっぱりそういうふうになっちゃうと、やっぱり次もいいこと言わなきゃとか、
人に役に立つことをしなきゃとか、人に評価されたいって欲が出ちゃったりしてね。
そうなるとさ、固くなっちゃって、頭も固くなり体も固くなり、
やっぱり変な方向に行っちゃうというか、残念な人になっちゃうというか、自分でね。
だから、言葉にすると謙虚っていう言葉はよく使うけれども、
本当に謙虚になれる人って周り見てているからね、すごいなと思うんだけど、
私には圧倒的なレベルの違う人、この人すごいな、こんなにできてすごいなとか、
自分にはもう絶対無理って思うようなレベルの高い人に、
実力の差を見せつけられて謙虚にならざるを得ない、
そういうのが強制的で私はあっているような気がします。
だから、自分の身を置くところが、自分がぬくぬくとあんまり努力しなくてもいいところじゃなくて、
もうすごく努力しないと、もうすごいついていけないような、
そういうところに身を置いて、それでそこで真面目に生きていくっていう、
それで結果的に自分の実力の至らなさを、
つくつくまざまざと見せつけられて、結果的に謙虚になるっていうのが、
私はそれがあったらできるような気がします。
だから、何をやるか、どこで生きていくか、それだけ気をつけて、
失敗したくないから、じゃあやらなきゃ失敗しないっていう守りの姿勢になってしまうと、
もうそれはやっている意味がないから、そういうふうにならないように、
どんどん恥をかき失敗をして、それででもやりたいんだったらもう気負わないで、
もう自分の実力はこんなもんなんだから気負わないで、でもこうやる。
その時に何かの表紙でいいものができるかもしれない、
そういうふうに思ってやっていきたいって改めて思いました。
もうなんか私の周りの人たちみんなすごいんだよ、本当に。
すごいなっていつもね、まだまだと、
実力の差とか感性の、私は鈍いんだけど、感性の鋭い人とか、
継続している人、もう本当にいつも頭が下がります。
はい、そんなことでした。
はい、聞いてくださってどうもありがとう。