すごいですね。
すごいですね。文化勲章っていうのは何て言うんですか。
多分創作に携わる人にとって一番最高の栄誉みたいな感じですからね。
それをこの内実こういう詩を書く人ですっていうのも。
いやでもそれが心強かったりしたわけだよね。
みんなをエンパワーメントしたというか。
実際谷川俊太郎死後、高橋睦夫の谷川俊太郎追悼文が日経新聞に出てますね。
すごいですね。日経新聞ですよしかも。
現代詩、谷川さんの詩っていうのはすごい分かりやすい感じがあって、それこそ教科書にも載るくらいの明石さが。
結構教科書に載ってるのは分かりやすいと思うんですけど。
いろいろな詩はあるんだけれども、その中でもやっぱり教科書に掲載されるくらいの分かりやすい詩もあるよっていう話かなっていうところ。
詩はなかなか触れる方っていうのも少ないと思うんですけど、私もそんなにめちゃくちゃ詩が好きっていうわけではないんですけど、
それでもさっき言ったLGBT関係の詩というか、同性愛について取り上げた詩っていうのはどういうものなのかっていうところなんですが、
一言で言うと別に応援をするとかそういう感じの詩ではないかなと。
むしろそういうセクシャリティのドロドロした部分を直接的な表現じゃなくて、
結局その直接的に表現しようとすると単なるエロ視要説みたいな感じになっちゃうところを、
やっぱり詩なので、すごく詩的表現というか、メタファーを駆使して表現をするというところが、
高橋武装さんの詩の独特というか、詩的表現というのはそういうもんですけどね。
持ち味というかね。
でも結構直接的だったよ。
例えばどういう詩があるかというところなんですけど、
読むと全部読むと長いと。
今から紹介しようと思っているのが長歌長詩と書いて長歌なのかな。長詩。
米歌という詩がありまして、
ちなみに今参照しているのが現代詩文庫という視聴者から出ている現代詩文庫の俗高橋武装詩集というものなんですが、
俗ということはその前編があるんですが、そちらはちょっと私持ってなくて。
俗だけしか持ってない。
何かきっと読みたい詩があったんだね。
青春の何かがあったんでしょう。
この米歌という詩なんですが、結構本当に長いんですよね。
出だしはですね。
夕焼けがある。世界で一番悲劇的な。そのゆえに一番美しい夕焼け。
秒ごとに移ろう。時の最も感じやすい皮膚。
世界の薔薇色のジンマシンを後ろに黒黒と注り立つこちら向きの男。
幾筋もの筋肉の。ネジでよじれる筋からなる。
たくましい首の。うつむき加減に苦しげな顔も。
針金のように一本一本固い。
縮れた胸毛を纏いつかせた肉の隆起も。
影の領土に封せられて定かではない。
っていうような。
いいとこ読みましたね。
まずイメージが出てきますね。
何ていうかすごいたくましい男が立ってくるっていうイメージ。
そういうイメージから始まって、
次第にセクシャルなところに踏み込んでいくっていうような流れになっています。
ちょっと続きを読みますね。
しかしその強い腰。
遥かな眩しい黄金の世紀に。
健やかなアダムの虎をほとばしらせた腰から。
肉満ち渡る万弱のムカモモに向けて。
豊穣の力みなぎらす聖なる中心部は光の中だ。
その毛柔らかな光の下に一筋一筋。
ねぶられ現れ慈しまれるニコグサの中に。
今、うすうすと安らぐ美しい肉の。
見つめれば付け根からただれたるブドウ酒色の。
先端までびっしりと張り付き。
中には穴をうがって出入りしている快楽の恐ろしい蟻たち。
動かないかに見えたこの人の表情も。
目には見えずゆっくりと動いている。
太い首に絡む月刊の木づたを。
二筋土鳥の形にしこらせて。
みたいな感じの。
すごいですよね。
そうですね。
でも、逆にちょっとエロ少なめって感じですよね。
だから、やっぱり韻微な感じ。
単にエロい表現をエロとして書いちゃうと、
ただのエロ小説になっちゃうので。
そこをいかに美しいものとしてやっぱり。
あえてそう書いてるわけじゃないと思うんだよね。
彼の表現方法がそうだから、これが文学的詩だというふうな認知をされて、
文化勲章までもらえるわけですよ。
だからやっぱり、エロいものを綺麗に見せようというものではない。
だから高橋勲の中でこれが、
彼の表現したい世界であるという、そういうものだと。
表現せずにはいられない世界なんでしょうけど。
書かれたのは1960年代ですか?
これはですね、1966年から1970年に書かれた詩だということで。
当時バラ族とかあった?
まだバラ族の発端前ですね。
そうですよね。だからそういう時の、
例えばそういう表現形式っていうのは、
例えばもっと族的なものに関して言えば何かあったんですか?
どうなんだろう。多分その時代背景的に言うと、
66年から70年っていうのは、
その前教頭世代の直球のところで、
多分唐津玉郎とかも活動していた時代、
橋本さんとかも活動していた時代で、
同世代的には何だろう、こういう感じで。
橋本さんはもうちょっと後っぽい感じ。
橋本さんは前教頭、東大に入り帰った頃なのか。
なんかそんなイメージですね。勝手なこと言ってますけど、
違ったらカットしてください。
だからそういう時の風俗小説の世界ってさ、
もちろん男女ものでも一体風俗小説の世界が一体、
どこがどういう雑誌を出版してとか、
もちろんわかんないけど、男女ものはどうせいっぱい、
いろんな形であったろうと思うけども、
例えばそうではない文芸の世界であっても、
もう片方でじゃあ俗なる風俗小説の部分っていうのは、
一体何があったかとかっていうのって、
なんかもうすでに歴史の話になっちゃってますよね。
さっきちょっと雑談してた時に出てきた、
今の人たちにそのテイストは伝わるのかしらっていうのをね。
そこはやっぱり今日話したいところで、
いわゆるLGBTっていう風にくくられた時代っていうのは、
2010年、15年くらいかな、
以降だっていう風にちょっと考えるとすると、
それ以前の同性愛に関する描写っていう部分が、
もうまたいくつか時代に分かれるかな、
一つは90年くらいのネットが登場する前後の時期。
前ですね。
そう、バディとか小倉東さんがバディとかを作った時代以降とそれ以前。
なので平成以前と昭和みたいな感じになってくるんですけど、
高橋光雄さんが書いたこの詩を書いた時代背景っていうのは、
昭和の40年代くらいの時代なのかな。
40年代ですね。
ちょうど40年代ですね。
くらいの頃の同性愛のあり方を描いているというような感じ。
私は若干記憶としてさ、
例えば上野の映画館とか、
それこそ上野のゲイバーのあたりの雰囲気とかね。
若干記憶はあるというか、
名残みたいなのはさ、
昔大宮の地下道に、
それこそ焼夷兵がアコリを持って物漕いしてるみたいなのが、
本当に子供の時の記憶としてあった彼女と同じくらいに、
高校生くらいの記憶として、
当時の、
その時代は終わったわけじゃないよ。
その後も上野は続いたし、
今も多分何か残ってると思うんだけど、
例えばサウナとか映画館とか、
そういったところが、
私はちょっと匂いを、
まだ当時の名残を覚えてるけれども、
今はやっぱりLGBTQって言った時に、
LGBTQって言いながら、
セクシャルな内容に関しては、
わりかし触らないようにしようっていう、
やっぱり法制度の問題とか、
文通があると少しはそれが長期的な。
で、マッチングアプリでもいろんな種類の人みたいな形になるわけだけど、
やっぱりもう切なな感じがね。
映画館の暗がりの中で匿名性が高いんですね。
相手の顔もよくわかんない中で、下半身だけ。
今読んだところだと手と手の重なりとかそういう部分が出てきて、
その手で触れて合図をして、それで具体的に手が下半身に伸びてみたいな、
そういうようなところが表現されていたっていうやつなんですけど。
でもね、映画館出たらおしまいだし、さよならだもんね。
なのでそういう一瞬の切な的な出会いみたいなものを表現をしているのかなっていう。
今どういう詩書いてるんだろう。まだ書いてるのかしらね。
まだ書いてらっしゃるんですかね。
この谷川俊太郎が10日前まで詩を書いていて、5日前まで忘れたっていうふうに高橋無双が書いていて、
自分はでもそれの文章を書いてるくらいだから書いてる可能性だけですね。
だからそれはそれとしてって感じですけど。
なのでちょっと今回高橋さん、高橋無双をちょっと紹介したかったっていうのは、
そういう世界観で描かれた詩っていうのがあったんだよっていうのをまずは紹介したかったなっていうところであって。
世界遺産。
やっぱり文化勲詩を。
違う違う。
文化勲詩を受賞者。
やっぱりこういう文化勲詩を受賞者っていうだけだと、
じゃあ具体的にどういう詩を書いていたんだろうっていうふうになっちゃうんですけども。
今でも普通に本屋さんに売っていますので、現代詩文庫とかね。
でも現代詩文庫もちょっとでかいところに行かないと置いてないんですよね。
そうですよね。基本的にはネットで買えるかどうかってやつですよね。
やっぱりそこら辺も書店に行って棚、詩の棚行ってパラパラ見て立ち読みして、
これは絶対自分の家に置きたいなって思うかどうかっていうと、
ちょっとそれはそういうチャンスはなくなったよね。
そうですね。
特にやっぱり詩集っていうのはなかなか売れないジャンルではあるんで。
そうですね。
だから詩人として食っていくっていうのはめちゃめちゃ大変だと思います。
もう本当に何人もいないんじゃないかと思いますけどね。
たかしむつはそういう意味ではよく知られた、私たちの間でだけ?
いや大丈夫ですね。
文革文章ですか。
文革文章を。
そんなやゆすんなって感じだけど。
別にやゆしてるわけないですよ。
やっぱりすごい詩人なんだなっていうのは非常に思いますけれども、
その文革文章っていうところに紛れて具体的などういう作品なのかっていうのが、
やっぱり見えづらくなってしまうっていう部分があるのかなっていうところから。
それはやっぱり丁寧にね、個人の作品っていう意味で言ったらちょっと触れてもらえると。
だから今とどう繋げるのかって難しい作家さんなのかなっていう気もするんですよ。
逆にね。
そのホモエロティックな表現っていうのを、
これはあの、あれですね。
えっと、塚本。
塚本邦夫。
そうですね。塚本邦夫もいたわ、その界隈。
塚本邦夫さんの、塚本邦夫さんの短歌っていうのは、難しいんですけど、
僕はちなみに短歌が割と好きな方。
そうなんですね。知らなかったっていうか、もしかしてもう一回ぐらい知らなかったって言ってる可能性が怖い。
塚本邦夫さんの短歌は難しいんだけど、イメージがつかみやすい部分があるんですけど、
高橋武蔵さんの短歌は難しい上にイメージをつかみづらい感じがあるかな。
ちょっと現代詩文庫に入っているカイツマンデスを紹介すると、
例えば、キリストの血もて染めたる殻のうち、卵は復活の黄金のたとえ。
難しいですね。
解釈を勝手につけて言おうと思えば、いくらでも言えるやつですけどね。
一本のオリーブの木がありしかば、その影ありぬその木の下に。
これもちょっとイメージがつかみづらいかな。
みんな下ネタで読むとすごい一定だけですからね。
違う?大丈夫?
今言ったやつは聖書のモチーフにしてるっていう部分があるので。
そこら辺は清い感じでやってるのかな。
そこの文脈を踏まえていれば、つかみやすいのかもしれないですね。
キリスト教がないかもな。
ギリシャ神話をモチーフにしてるものはありまして、
神託の迷路に迷う若者の、もうぞかおれる、くたるるまでを。
これは多分ミノタウルスの迷宮の話。
父殺しの指注ぎたる清水と、その泉水、首けがれたり。
これもオイティブス神話の話だったりとかして。
そっちのほうがまだわかりやすいですね。
わかりやすいんだけど。
ただ、ギリシャ神話のイメージを喚起して。
情緒に結びつけるっていうのは、なかなか難しい部分があるっていう。
なるほど。
今のきなみに名前が並んだんですけど、
当時、70年代とか60年代、70年代、80年代ぐらいまでは、
やはり例えば、LGBT小説とかもなかった時代。
はい。なので、すごく端尾と二割イコールな感じで、切り分けられない。
端尾主義的なものから、当事者の声にならない声みたいなところとの実質機関みたいなのを、
イメージとしては、現代にはやっぱり引き継げないので、
それはある意味しょうがないけど、
研究とかもその辺多分、知ってる人は多分わんがくでいるでしょうけどね。
そこはちょっと今後も追っていきたいと思うんですかね。
やっぱり今小倉さん言ったように、端尾、多分ジュネとかの世界観に、
塚本邦夫、片渕武蔵とかの、
そうですね。
シルサー達彦とかね。
シルサー達彦とか、その辺が多分つながっていく流れなんだろうなっていう感じはありますけどね。
ということでちょっと長くなってきたので。
本当?はい。分かりました。
この辺で。
二次芝は川口芝のシェアスペース、スペースとプランで月に開会させています。
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それではまた来週お会いしましょう。さよなら。
さよなら。