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2024-12-04 32:25

にじシバラジオ#025 詩人・高橋睦郎の世界を味わう

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谷川俊太郎・火野正平の死/同性愛がテーマの詩・高橋睦郎/文化勲章受章/セクシュアリティのドロドロを描いた詩/長詩・頌<ほめうた>/1960年代の世相/昭和40年代の同性愛/生活系のSNS投稿/頌<ほめうた>で描かれる昭和のハッテン映画館/マチアプがなかった時代の出会い/澁澤龍彦の高橋睦郎評/俳人・歌人としての高橋睦郎/高橋睦郎と耽美系(JUNEとか)の地続き感

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サマリー

今回は詩人の高橋睦郎に焦点を当て、彼の作品や詩の表現方法について深く掘り下げています。また、谷川俊太郎の死を受けて、現代詩の重要性や高橋のユニークな視点に迫ります。ポッドキャストでは高橋睦郎の作品とその世界観を探求し、特に彼の詩に描かれるゲイ文化や映画館での出会いを通じて昭和時代の社会状況を振り返ります。高橋睦郎の作品やその時代背景に焦点を当て、彼の詩の解釈や文化的影響について議論が展開されます。このエピソードでは詩の難解さやイメージの掴みやすさに関する考察が深められ、特に現代の若者との関連性が探求されています。

番組の紹介と追悼
こんにちは、にじシバラジオ第25回です。
にじシバは、川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことやならなかったことについて、
にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
毎週水曜日配信です。
よろしくお願いします。
今回は、おすすめコンテンツ会ということなんですけども、
今回、コンテンツとして紹介、おすすめなのかどうかというところがあるんですが、
先日ですね、詩人の谷川俊太郎さんが亡くなったというニュースがありまして、
93歳目前で言ってましたね。
谷川さんといえば、教科書などにもね、多く現代史として掲載されている著名詩人ということで、
実は個人的には、その翌日に亡くなった日野翔平が死んだっていう。
ダメージが大きかった。
毎朝ですね、日野翔平が出ている本銃弾国語旅という番組がありまして、
それをずっと視聴をしていたものですから、
朝の支度をして、朝のルーチンの一環として、
朝の仕事の身支度をしながら、流し見できる、ながら見できる、ちょうどいい番組だったんですけど。
なんか全然元気ですみたいな話をしてたけどね。
それがいきなり亡くなってしまって、ちょっとショックだったっていうのはありましたけどね。
谷川俊太郎は何せ93になろうとしているぐらいの大王女じゃないですか。
大王女ですよね。
私ちょうど父がね、先々週亡くなったんですよ。
高橋睦郎の詩の世界
もういつ亡くなったのか、先々週か一応はね。
亡くなったんで、これがまた91だから、
91.5歳ぐらいだったので、大王女じゃないですか。
なので、もう年取ってくるとさ、もうダメージが低いよね。
まだ生きてたっていうふうにさっきもね、ちょっといろんな人の差し調べて、まだ生きてるよみたいな話をしてたんですけど。
そうですね。うちの婆さんが亡くなったのも93か4かそのくらいだったんで、
それをなんかうちの婆さんの兄弟がまだ生きているとか。
すごいですね。長生き家系ですね。
長生き家系なんですかね。
なんかすごく先の日本も見れますよ。
ともそうさんは。
そうでもない。うちのじいさんの方は80で亡くなっている。
なるほど。どっちを引くかですね。
どっちを引くかっていう感じですかね。
それはいいんですけども。
それで谷川慎太郎さんが亡くなったっていうことで、
ちょっと詩人、谷川さんは現代詩の代表画みたいな感じですけども、
世の中には詩人っていう現代詩を書く人がいっぱいいまして、
それで高名な方っていうか、いろいろ著名な方がいらっしゃると。
中にはですね、LGBT関係の詩を書く方も出ている方もいまして、
そうですね。
LGBTっていう言葉が登場する以前から、
同性愛とかをAテーマにして詩を書いていらっしゃった詩人として、
高橋宇都夫さんという方がいらっしゃいます。
そうですね。私も高校ぐらいの時から、この人そういう詩を書く人であると思って、
自分の好きなって言われると好きな詩人ではなくて、
何らかのやっぱりこういう人もいて、こういう人も生きててっていうところの守りみたいなところっていうのは多分あったと思うんだけど。
だから僕も別に高橋宇都夫さんの詩がすごい大好きっていう感じではなくて、
ただそういう同性愛をテーマにした詩を書いていらっしゃる詩人の方っていうこととして、
基本的に知識として知っているっていう面が強いと。
ただ改めて今回ちょっと谷川さんが亡くなったっていうタイミングもあって、
ちょっと高橋さんを取り上げてみたいなというふうに思いまして。
詩集はちょっと所蔵しているって思っていたもんですから、改めてちょっと読み直してみると結構面白い詩を。
面白い。
面白い詩をいろいろ書いていらっしゃるんだなっていうのを改めて思ったっていうところがあってですね。
それでちょっと取り上げてみたいなというふうに思いましたというところです。
高橋さん自身もね86?
86歳。
まだ元気?元気かどうか知らんけどまだ健在って言いました。
今年10月に文化勲章をですね受賞されたっていう。
詩の表現と時代背景
すごいですね。
すごいですね。文化勲章っていうのは何て言うんですか。
多分創作に携わる人にとって一番最高の栄誉みたいな感じですからね。
それをこの内実こういう詩を書く人ですっていうのも。
いやでもそれが心強かったりしたわけだよね。
みんなをエンパワーメントしたというか。
実際谷川俊太郎死後、高橋睦夫の谷川俊太郎追悼文が日経新聞に出てますね。
すごいですね。日経新聞ですよしかも。
現代詩、谷川さんの詩っていうのはすごい分かりやすい感じがあって、それこそ教科書にも載るくらいの明石さが。
結構教科書に載ってるのは分かりやすいと思うんですけど。
いろいろな詩はあるんだけれども、その中でもやっぱり教科書に掲載されるくらいの分かりやすい詩もあるよっていう話かなっていうところ。
詩はなかなか触れる方っていうのも少ないと思うんですけど、私もそんなにめちゃくちゃ詩が好きっていうわけではないんですけど、
それでもさっき言ったLGBT関係の詩というか、同性愛について取り上げた詩っていうのはどういうものなのかっていうところなんですが、
一言で言うと別に応援をするとかそういう感じの詩ではないかなと。
むしろそういうセクシャリティのドロドロした部分を直接的な表現じゃなくて、
結局その直接的に表現しようとすると単なるエロ視要説みたいな感じになっちゃうところを、
やっぱり詩なので、すごく詩的表現というか、メタファーを駆使して表現をするというところが、
高橋武装さんの詩の独特というか、詩的表現というのはそういうもんですけどね。
持ち味というかね。
でも結構直接的だったよ。
例えばどういう詩があるかというところなんですけど、
読むと全部読むと長いと。
今から紹介しようと思っているのが長歌長詩と書いて長歌なのかな。長詩。
米歌という詩がありまして、
ちなみに今参照しているのが現代詩文庫という視聴者から出ている現代詩文庫の俗高橋武装詩集というものなんですが、
俗ということはその前編があるんですが、そちらはちょっと私持ってなくて。
俗だけしか持ってない。
何かきっと読みたい詩があったんだね。
青春の何かがあったんでしょう。
この米歌という詩なんですが、結構本当に長いんですよね。
出だしはですね。
夕焼けがある。世界で一番悲劇的な。そのゆえに一番美しい夕焼け。
秒ごとに移ろう。時の最も感じやすい皮膚。
世界の薔薇色のジンマシンを後ろに黒黒と注り立つこちら向きの男。
幾筋もの筋肉の。ネジでよじれる筋からなる。
たくましい首の。うつむき加減に苦しげな顔も。
針金のように一本一本固い。
縮れた胸毛を纏いつかせた肉の隆起も。
影の領土に封せられて定かではない。
っていうような。
いいとこ読みましたね。
まずイメージが出てきますね。
何ていうかすごいたくましい男が立ってくるっていうイメージ。
そういうイメージから始まって、
次第にセクシャルなところに踏み込んでいくっていうような流れになっています。
ちょっと続きを読みますね。
しかしその強い腰。
遥かな眩しい黄金の世紀に。
健やかなアダムの虎をほとばしらせた腰から。
肉満ち渡る万弱のムカモモに向けて。
豊穣の力みなぎらす聖なる中心部は光の中だ。
その毛柔らかな光の下に一筋一筋。
ねぶられ現れ慈しまれるニコグサの中に。
今、うすうすと安らぐ美しい肉の。
見つめれば付け根からただれたるブドウ酒色の。
先端までびっしりと張り付き。
中には穴をうがって出入りしている快楽の恐ろしい蟻たち。
動かないかに見えたこの人の表情も。
目には見えずゆっくりと動いている。
太い首に絡む月刊の木づたを。
二筋土鳥の形にしこらせて。
みたいな感じの。
すごいですよね。
そうですね。
でも、逆にちょっとエロ少なめって感じですよね。
だから、やっぱり韻微な感じ。
単にエロい表現をエロとして書いちゃうと、
ただのエロ小説になっちゃうので。
そこをいかに美しいものとしてやっぱり。
あえてそう書いてるわけじゃないと思うんだよね。
彼の表現方法がそうだから、これが文学的詩だというふうな認知をされて、
文化勲章までもらえるわけですよ。
だからやっぱり、エロいものを綺麗に見せようというものではない。
だから高橋勲の中でこれが、
彼の表現したい世界であるという、そういうものだと。
表現せずにはいられない世界なんでしょうけど。
書かれたのは1960年代ですか?
これはですね、1966年から1970年に書かれた詩だということで。
当時バラ族とかあった?
まだバラ族の発端前ですね。
そうですよね。だからそういう時の、
例えばそういう表現形式っていうのは、
例えばもっと族的なものに関して言えば何かあったんですか?
どうなんだろう。多分その時代背景的に言うと、
66年から70年っていうのは、
その前教頭世代の直球のところで、
多分唐津玉郎とかも活動していた時代、
橋本さんとかも活動していた時代で、
同世代的には何だろう、こういう感じで。
橋本さんはもうちょっと後っぽい感じ。
橋本さんは前教頭、東大に入り帰った頃なのか。
なんかそんなイメージですね。勝手なこと言ってますけど、
違ったらカットしてください。
だからそういう時の風俗小説の世界ってさ、
もちろん男女ものでも一体風俗小説の世界が一体、
どこがどういう雑誌を出版してとか、
もちろんわかんないけど、男女ものはどうせいっぱい、
いろんな形であったろうと思うけども、
例えばそうではない文芸の世界であっても、
もう片方でじゃあ俗なる風俗小説の部分っていうのは、
一体何があったかとかっていうのって、
なんかもうすでに歴史の話になっちゃってますよね。
さっきちょっと雑談してた時に出てきた、
今の人たちにそのテイストは伝わるのかしらっていうのをね。
そこはやっぱり今日話したいところで、
いわゆるLGBTっていう風にくくられた時代っていうのは、
2010年、15年くらいかな、
以降だっていう風にちょっと考えるとすると、
それ以前の同性愛に関する描写っていう部分が、
もうまたいくつか時代に分かれるかな、
一つは90年くらいのネットが登場する前後の時期。
前ですね。
そう、バディとか小倉東さんがバディとかを作った時代以降とそれ以前。
なので平成以前と昭和みたいな感じになってくるんですけど、
高橋光雄さんが書いたこの詩を書いた時代背景っていうのは、
昭和の40年代くらいの時代なのかな。
40年代ですね。
ちょうど40年代ですね。
くらいの頃の同性愛のあり方を描いているというような感じ。
私は若干記憶としてさ、
例えば上野の映画館とか、
それこそ上野のゲイバーのあたりの雰囲気とかね。
若干記憶はあるというか、
名残みたいなのはさ、
昔大宮の地下道に、
それこそ焼夷兵がアコリを持って物漕いしてるみたいなのが、
本当に子供の時の記憶としてあった彼女と同じくらいに、
高校生くらいの記憶として、
当時の、
その時代は終わったわけじゃないよ。
その後も上野は続いたし、
今も多分何か残ってると思うんだけど、
例えばサウナとか映画館とか、
そういったところが、
私はちょっと匂いを、
まだ当時の名残を覚えてるけれども、
今はやっぱりLGBTQって言った時に、
LGBTQって言いながら、
セクシャルな内容に関しては、
わりかし触らないようにしようっていう、
やっぱり法制度の問題とか、
詩の背景と社会的文脈
人権の問題とかって形になってるから、
こういうのって多分感覚的に、
共有しづらいよねって。
そうですね。
だからまあ、
そこは二分しているような感じがありますよね。
その、なんだろうな、
SNS上で発信をしている、
ゲイとかにしても、
いわゆるセックスの話をメインでしている人と、
運動的な感じの活動系の話をしている人として、
やっぱり別れてしまう部分がある。
新しく出てきたのはやっぱ生活系じゃない?
生活系。
ここが一番やっぱり、
20年代以降、
太くなってきているところで、
やっぱりその二人の暮らしとか、
子供も含めてこういうふうにやってます、
みたいなのがYouTube界隈とか、
そういったところを重点的に、
暮らしぶりみたいなところが表に出てきた。
それまでは、
もうなんか、
どっちかしかなかったじゃない。
それこそ90年代以降の文脈だけど、
人権か性か。
でもさらにその前があって、
人権の字がない時代だよね。
その時代の、
性と、
それこそ本人のアイデンティティと、
みたいなところで、
だけ語るか語らないかみたいな話の、
時代がまた別に、
それはその時代が足らなかったことは、
もちろんいっぱいあるけど、
たぶんその時代にはあって、
今語られないことっていうのも、
たぶんいっぱいあるとは思うんだけど。
そうですね。
言われてみれば生活系というか、
そういうのは多くなってきたのかなと。
そういう中で、
記憶がやっぱり引き継がれていけないことっていうのはあって、
引き継ぐべきものと、
引き継がなくてもいいものみたいに、
分けられるのかもしれないんですけど、
じゃあ昭和の40年代くらいの、
ゲイの生活とか、
あり方っていうのはどうだったのかっていうところの中から、
高橋無双の詩が出てきているっていう部分もあると。
映画館の世界
そうですね。
もうほんとね、
ここのみたいな、
孤立したみたいなイメージとセットでやっぱりあったし、
前もこの話出したかもしれないけど、
ヤフー知恵袋で、
同性愛者なのに、
じゃあ浮気とかあるんですか?みたいな。
もうあの、
一周回った。
180度価値観変わった。
みたいな、
当時はやっぱ切な的なというかさ、
言い方をして、
自分たちも納得していたし、
周りも納得させていた。
みたいな文脈が、
今はちょっと切ない感じ。
どうしても引いちゃうけど、
当時は多分それは、
それが一つの当たり前として、
彼らの世界の中ではあったよね。
っていうふうには思うんだけど。
そうですね。
さっきの映画館の話とかっていうのも、
高橋も褒め歌の中に出てきたりするんですよね。
本当長い詩なので、
だいぶかしおりますけれども、
後ろの方になりますね。
映画館の内容としては、
ちょっと読み上げますと、
さあ捕まえたぞ、
可愛らしいおうさぎ。
押さえた手の中で、
バネのように。
いたずらっこの手の下の。
圧迫された噴水の先のように。
祭りの夜。
若い敵矢が水槽いっぱい踏ん込んで。
さてキリキリ言わせる風船のように。
二月の冷たい水にくぐって。
諸手に捕らえたまごいのように。
生き生きと跳ねる。
捕まえたぞ、
ニュース映画館の暗がりで。
トルコ風呂の湯気に立ち込める人柱の林の中で。
公衆便所の匂いの雲の中で。
満員電車の汗臭い人混みで。
待てすばしっこいおうさぎめ。
不思議な国の土手っぷちめく。
地下の国への階段をぴょんぴょん。
どこへ逃げる。
この下は奇跡の森。
罵声の地下の安永画館。
ガラガラの一石の後ろ。
無言のままざわめく森は憎なる森。
どんな呪いがこの人たちをおぞましい木に変えたのか。
おう、
この不安げに佇んで歩けない聖者のような、
使徒たちのような人々よ。
昼から闇へにわかに入った眼には、
彼らの人群がただ黒黒と。
しかしその風のない満月の夜の、
揺れるともなく揺れるのぎのように揺れ動く。
そのめぐり肩のまわりは、
スクリーンに映った白い映像の反射にぼかされて、
性別の祝福すべきしるし。
目に眩しい廃坑のよう。
影たちは黒い汗を吹き出し、
無関心を装い、
それとなく探り合う手の甲が互いを確かめるや、
風の中の箱柳のよう。
ひらりとひるがえり互いの湯水の隙間。
薄い水かきの部分に狩りの指を泳ぎこませ、
果てはきつく握りしめる。
最初の合図を交わした手は手を離れ、
互いのズボンの布地の中の感動的な膨らみ。
快楽のありたちが舐めて、義参の混じったゆたりで、
頭からだらだらと崩れゆく白砂糖の塊。
みたいな感じの。
いやでも、もう昭和だね。
昭和なんですよ。
でもあの、分かりました?映画館の感じがね。
映画館を再現しているかのような感じだけど、
なんか一歩飛ぶと、つまり二世代下がると、
分かんないかもね。
分かんないですね。
分からない方のために長解説をすると、
上野が舞台ですね。
上野が舞台で、そこで、
この詩の朗読、詩を書いた人物とお母しく人が、
若いオウサギを捕まえようとすると。
それ正しい解説か。
要するに、若い男性をね、出会いを求めて、
上野公園あたりに行った。
いや、上野の公園の横の、それこそ映画館ですよね。
上野公園で若いオウサギ、若い男性を声をかけようとしたら、
若い男性が、
暗がりの野生映画館の地下の方に入って行ってしまったと。
それを追いかけて行くんですよね。
追いかけて行って入って行くと、
そこは、いろいろ発展場と呼ばれる世界で、
発展映画館というのがある、今もあるんですけども、
その映画館の中で、暗がり、暗いじゃないですかね、映画館。
スクリーンにはだいたいポルノ映画が流れていて、
ポルノ映画を見ている男たちが、映画館の座席の方にいると。
そこで何をしているかというと、
猥褻なことをしているということなんですが、
猥褻なことをしていることの内容が、今のシーンの中に描かれているというような。
本当だからさ、発展場っていうのもさ、
それこそ、いろんな戦闘の問題で、
あちこちがそれを理由にやめますとか、
褒められた話ではないにせよ、
一つの時代が確実に終わっていて、変わっていて、
それは特別変な人たちが来て急に嵐始めたのではなくて、
昔からたぶん粛々とやっていたけども、
いろんな訪れ方も変わるし、
経営してます側も変わるし、
古くてすすけてそのままでいいって言うんだったら、
いっぱいじいさんが並んで終わるだけなんだけど、
やっぱりそうじゃない風に変化していく、なくなっていくんだなっていう風に。
そうですね。昔は今でこそマッチングアプリがあって、
今はマッチアップの前世紀なので、
もちろんマッチングアプリ使っても出会えないっていう話はいっぱい聞きますけども。
それは違う意味だ。
マッチングアプリで出会ったりとかする中で、
一昔前はゲイバーで出会うっていうのもあったと。
さらにその前、ゲイバーが一般的じゃない。
ゲイバーで出会ったりとか、ゲイ雑誌で出会う。
文通欄を通じて出会うっていうのがあった。
さっきも言ったように、この高橋文通が今紹介した詩を書いた時は、
バラ族が出る前の時代なので、
そうなってくると、基本出会いの場っていうのは映画館であったりとか、
という場所で出会うっていうのが一般的だったのかなっていう。
サウナとかね。
サウナとか、一般的だったのかなっていうところの中で、
そこでの男と男の出会いっていうのを詩的に表現をしているのが今紹介した詩で。
たぶん出会う場所が変わると、例えばマッチングアプリだったらスペックとか、
もちろんそれはゲイ雑誌の文通欄もそうだったけど、になってくるわけだけど、
たぶんもっと違うものが要求されたりとか、
あるいは例えば今だったら長く付き合える方募集ですとか、
いずれはみたいなパートナーとして、みたいな時代的な文脈がどんどん出てくるんだけど、
当時は本当に一瞬のその場の短期的な。
詩人としての高橋睦郎
文通があると少しはそれが長期的な。
で、マッチングアプリでもいろんな種類の人みたいな形になるわけだけど、
やっぱりもう切なな感じがね。
映画館の暗がりの中で匿名性が高いんですね。
相手の顔もよくわかんない中で、下半身だけ。
今読んだところだと手と手の重なりとかそういう部分が出てきて、
その手で触れて合図をして、それで具体的に手が下半身に伸びてみたいな、
そういうようなところが表現されていたっていうやつなんですけど。
でもね、映画館出たらおしまいだし、さよならだもんね。
なのでそういう一瞬の切な的な出会いみたいなものを表現をしているのかなっていう。
今どういう詩書いてるんだろう。まだ書いてるのかしらね。
まだ書いてらっしゃるんですかね。
この谷川俊太郎が10日前まで詩を書いていて、5日前まで忘れたっていうふうに高橋無双が書いていて、
自分はでもそれの文章を書いてるくらいだから書いてる可能性だけですね。
だからそれはそれとしてって感じですけど。
なのでちょっと今回高橋さん、高橋無双をちょっと紹介したかったっていうのは、
そういう世界観で描かれた詩っていうのがあったんだよっていうのをまずは紹介したかったなっていうところであって。
世界遺産。
やっぱり文化勲詩を。
違う違う。
文化勲詩を受賞者。
やっぱりこういう文化勲詩を受賞者っていうだけだと、
じゃあ具体的にどういう詩を書いていたんだろうっていうふうになっちゃうんですけども。
今でも普通に本屋さんに売っていますので、現代詩文庫とかね。
でも現代詩文庫もちょっとでかいところに行かないと置いてないんですよね。
そうですよね。基本的にはネットで買えるかどうかってやつですよね。
やっぱりそこら辺も書店に行って棚、詩の棚行ってパラパラ見て立ち読みして、
これは絶対自分の家に置きたいなって思うかどうかっていうと、
ちょっとそれはそういうチャンスはなくなったよね。
そうですね。
特にやっぱり詩集っていうのはなかなか売れないジャンルではあるんで。
そうですね。
だから詩人として食っていくっていうのはめちゃめちゃ大変だと思います。
もう本当に何人もいないんじゃないかと思いますけどね。
たかしむつはそういう意味ではよく知られた、私たちの間でだけ?
いや大丈夫ですね。
文革文章ですか。
文革文章を。
そんなやゆすんなって感じだけど。
別にやゆしてるわけないですよ。
やっぱりすごい詩人なんだなっていうのは非常に思いますけれども、
その文革文章っていうところに紛れて具体的などういう作品なのかっていうのが、
やっぱり見えづらくなってしまうっていう部分があるのかなっていうところから。
それはやっぱり丁寧にね、個人の作品っていう意味で言ったらちょっと触れてもらえると。
だから今とどう繋げるのかって難しい作家さんなのかなっていう気もするんですよ。
逆にね。
そのホモエロティックな表現っていうのを、
高橋睦郎の詩の解釈
詩的表現でその芸術性のある描き方で描き出しているっていうのがあるんですけど、
やっぱりそのイメージっていうのが、今の若者にダイレクトに届くかっていうと届かない。
届かない。届く性が強すぎてね。逆に当時のね。
で、ホモエロティックって言いながらもあんまりエロくないじゃん。そこまで丁寧に説明されちゃうと。
っていう問題があり、メンタリティーがちょっと想像しづらい当時の時代性もあり、
確かにもう当時は本当にね、奥から絞り出すような声というか文章だったしだったと思うんだけれども、
今のに一番残りづらいパターン。
そこにでも光を当てた文化勲章すごいじゃんっていうふうに。
また文化勲章言ってるしよくないな、これ。
そんなわけでですね、もし皆さんもよければ、図書館とかに行けば高橋文通さんは入ってるんじゃないかなと思います。
で、そういう時代背景とか当時の高橋文通さんがそういう詩を書いていた60年代であるとか70年代であるとかっていうところの時代背景に
思いを馳せていただきながら読んでもらうと味わい深いのかなっていうふうにすごい思いますね。
気になったよ。高橋文通の多分、おそらく評論とかも出てんじゃないの?
そうですね。現代詩文庫にも評論文、渋沢達彦の評論とかも入ってます。
さっき言いたかったの渋沢達彦でした。
渋沢達彦が高橋文通をどう評論しているのかっていうのはちょっと。
逆に気になりますね。
おそらく詩人として、これは今から読むな。渋沢達彦が1975年に現代詩手帳に書いている評論なんですけど、
おそらく詩人としての高橋文通の不幸は私のような死の嫌いな人間に愛されるという不幸であろう。
ヒニック。
ヒニックな感じ。
後世は結構、後世ってまだ生きてるけど、俳句を書いてますね。
そうですね。俳人でもありまして、現代詩文庫の中にも何作か、結構俳句も収録されていますね。
歌人でもあって、短歌も読んでいます。
60年代くらいの短歌の、戦後の短歌運動というのがあって、
その中だと、やっぱりそっちの流れに組んだ感じの短歌なのかなっていうのがありますが、なので結構難しいです。
ちょっと読んだだけでは。
一回読んで意味があってなるやつですね。
読んだだけではですね、文字で読むだけだと意味を取りづらい感じかな。
詩をめぐる文化的背景
これはあの、あれですね。
えっと、塚本。
塚本邦夫。
そうですね。塚本邦夫もいたわ、その界隈。
塚本邦夫さんの、塚本邦夫さんの短歌っていうのは、難しいんですけど、
僕はちなみに短歌が割と好きな方。
そうなんですね。知らなかったっていうか、もしかしてもう一回ぐらい知らなかったって言ってる可能性が怖い。
塚本邦夫さんの短歌は難しいんだけど、イメージがつかみやすい部分があるんですけど、
高橋武蔵さんの短歌は難しい上にイメージをつかみづらい感じがあるかな。
ちょっと現代詩文庫に入っているカイツマンデスを紹介すると、
例えば、キリストの血もて染めたる殻のうち、卵は復活の黄金のたとえ。
難しいですね。
解釈を勝手につけて言おうと思えば、いくらでも言えるやつですけどね。
一本のオリーブの木がありしかば、その影ありぬその木の下に。
これもちょっとイメージがつかみづらいかな。
みんな下ネタで読むとすごい一定だけですからね。
違う?大丈夫?
今言ったやつは聖書のモチーフにしてるっていう部分があるので。
そこら辺は清い感じでやってるのかな。
そこの文脈を踏まえていれば、つかみやすいのかもしれないですね。
キリスト教がないかもな。
ギリシャ神話をモチーフにしてるものはありまして、
神託の迷路に迷う若者の、もうぞかおれる、くたるるまでを。
これは多分ミノタウルスの迷宮の話。
父殺しの指注ぎたる清水と、その泉水、首けがれたり。
これもオイティブス神話の話だったりとかして。
そっちのほうがまだわかりやすいですね。
わかりやすいんだけど。
ただ、ギリシャ神話のイメージを喚起して。
情緒に結びつけるっていうのは、なかなか難しい部分があるっていう。
なるほど。
今のきなみに名前が並んだんですけど、
当時、70年代とか60年代、70年代、80年代ぐらいまでは、
やはり例えば、LGBT小説とかもなかった時代。
はい。なので、すごく端尾と二割イコールな感じで、切り分けられない。
端尾主義的なものから、当事者の声にならない声みたいなところとの実質機関みたいなのを、
イメージとしては、現代にはやっぱり引き継げないので、
それはある意味しょうがないけど、
研究とかもその辺多分、知ってる人は多分わんがくでいるでしょうけどね。
そこはちょっと今後も追っていきたいと思うんですかね。
やっぱり今小倉さん言ったように、端尾、多分ジュネとかの世界観に、
塚本邦夫、片渕武蔵とかの、
そうですね。
シルサー達彦とかね。
シルサー達彦とか、その辺が多分つながっていく流れなんだろうなっていう感じはありますけどね。
ということでちょっと長くなってきたので。
本当?はい。分かりました。
この辺で。
二次芝は川口芝のシェアスペース、スペースとプランで月に開会させています。
ジェンダーやセクシュアリティに関わらず、誰でも参加できるおしゃべり会で、
LGBTQに関する様々な話題などについておしゃべりしています。
詳しい開催日程などは概要欄のホームページをご覧ください。
またよろしければチャンネル登録やフォローをお願いします。
それではまた来週お会いしましょう。さよなら。
さよなら。
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