1. にじシバラジオ
  2. にじシバラジオ#112 ✦はらだ『..
にじシバラジオ#112 ✦はらだ『にいちゃん』と性被害表現をめぐって ✦ゆるクィア用語辞典 第47回「被害感情」
2026-09-23 28:05

にじシバラジオ#112 ✦はらだ『にいちゃん』と性被害表現をめぐって ✦ゆるクィア用語辞典 第47回「被害感情」

spotify apple_podcasts

聴取に関する注意喚起 / 漫画『にいちゃん』の紹介と一般的なBL作品との比較 / ゆいと景の関係性及び事件の背景 / 事件の発覚と両親による「警察に通報しない」決断 / ゆいの抱える後悔と景への複雑な執着・再会 / 景の過去の被虐待体験とゆいによる受容・対峙の構造 / 家族からの「普通」の強要と景の置かれた環境 / 児童虐待・性虐待の連鎖と心理的防衛機構に関する考察 / ジュリア・クリステヴァの「おぞましいもの(アブジェクション)」理論 / ゆるクィア用語辞典 第47回「被害感情」/ 元加害者に忘れられていたことによる執着の断絶と自省 / 救いのない生き様を描いた人間ドラマとしての総括 /

#にじシバ #にじシバラジオ #LGBT #LGBTQ #LGBTQ+界隈 #埼玉県 #川口市 #蕨市 #レインボーさいたまの会 #ポッドキャスト #雑談 #はらだ #にいちゃん #クリステヴァ #山本直樹

*************************************

◆にじシバは、川口市芝にあるブックカフェ「ココシバ」で開催している、ジェンダーやセクシュアリティ不問のおしゃべり会です。月2回開催。

開催日程の詳細はにじシバ公式HPでご確認ください!

(にじシバラジオのnote(にじシバラジオ配信日記)もあります!ラジオで拾いきれなかった補足情報を書いています。))

◆また、にじシバはNPO法人レインボーさいたまの会の活動の一環でもあります。活動の詳細についてはレインボーさいたまの会公式HPをご覧ください。

◆にじシバラジオの感想・お便り・お問い合わせはこちらから→ ⁠https://forms.gle/EMNvwJGcmJDFdcb49⁠

◆にじシバラジオMCの一人、小倉さんが経営する出版社・有限会社ぶなのもり

◆にじシバ開催場所、ブックカフェ「ココシバ」

OP・ED曲はBGMerさんが配信している楽曲を利用しています。→ BGMer ⁠http://bgmer.net⁠ ※OP曲 [Free Music] Lunar Eclipse - Drunk  ※ED曲 フリーBGM [夕暮れコスモス]

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

性虐待を含む内容への注意喚起の後、はらだの漫画『にいちゃん』を取り上げる。小学生のユイと、彼を性的に加害した大学生のケイの関係、事件発覚後も続く執着、ケイ自身の被虐待経験、マイとの復讐を通じて、被害と加害の連鎖や愛着の複雑さを考察する。家族がケイに「普通」を強いる場面や、過去の加害者が自分を覚えていない場面から、虐待の記憶と責任の問題を論じる。後半はジュリア・クリステヴァの「おぞましいもの」を手がかりに、性関係の望ましさと見たくない側面を考え、『にいちゃん』が性虐待だけでなく、被害を抱えた人が先へ進む姿も描く作品だとまとめる。最後に「ゆるクィア用語辞典」で「被害感情」を取り上げ、被害者としての怒りや悲しみが変化し、ユイやケイの行動と自省に結びつく過程を説明する。

性虐待を扱う漫画『にいちゃん』への注意喚起と紹介
こんにちは、にじシバラジオ第112回です。MCのともぞーです。 小倉です。
にじシバラジオは、LGBTQ系サブカル・社会ネタを主に取り入れるポッドキャストです。
今回なんですけれども、ちょっとですね、一部、性虐待的なところを…
そうですね、てかセンシティブな内容を含めます。
センシティブな内容を含むので、ちょっと聞きたくない方はですね、聞かない方がいい可能性がありますというところをまず注意喚起させていただきたいと思います。
はい。私にとってやっぱり、この本はBLというものを生み出した一つの成果だと思っていて、とても大切に思っている本なんだけど、好きな本かといったら好きじゃないっていう先に言っておきますけど。
で、原田という作家のね、兄ちゃんという漫画がありまして、この本は本当にその意義深い作品だと私は思っていて、
今サッと友蔵さんにも読んでもらいましたけど、どうでした?
あのね、何がどう意義深いんですかね。
わからない。
そうか。
わからないです。
どの点が。まずその発行年度っていうと2017年。
そうですね、10年ほど前の作品で。
はい、10年前の作品。
これは、もちろん通常のエンターテイメント的なBLの文脈、つまりBLって、それこそ前回のBL批評の回でも言ったように、女性たちが主に女性たちが好んで読み、自分という存在のない男性同士をくっつけたり話したりとかしながら、
一つの型のようにして楽しむストーリーが一般的である中で、兄ちゃんって非常にリアルな性犯罪であるとか、性関係であるとかってことを、おそらくこれ7話であるんで、7回で語っている。
で、その主人公がね、小学生から大学生になるまで、その兄ちゃんにとらわれながら、兄ちゃんとの関係を、第三者の面も含めて再構築していく話なんだけど、ネタバレしちゃいますけど、だから再構築してもそこに幸福はないんだよね。
ユイとケイの出会い、事件発覚後の執着
で、いろんなトラウマを、性虐待を受けた小学生の男の子と、それ実際の加害者との関係なんだけど、その加害者も実は被害者であったっていうことがあって、被害者が加害者となりまた新たな被害者を生んだっていうことで言っちゃうと、元も子もないじゃなくてなんだっけ。
まあなんだけど、ほんとネタバレしちゃうんであれですけど、その性犯罪の被害者である小学生の男の子は、自分が相手を犯罪者にしてしまったことに対しても後悔が一つあり、なおかつその死亡の情というかね、恋情とかも自分の中に抱えてしまっていたので、すごい執着し続けるんだよ。
大学生のケイが、近所に住んでいる小学生のユイ君という男の子を誘惑して、たぶらかして、自分の欲望の矛先にするんだよね。
そこは単に本当に欲望の矛先で、お母さんとかお父さんの知られることとなり、結局話されるというか。
ケイがユイ君に対してあるワードを教え、そのワードを家庭でお母さんお父さんの前でユイがね、これってどういうことって言ったことで、何か変だっていうふうに察してですね。
さすが大人っていう感じでね、察してそれで親がその実態に気づく。
気づいて、当然引き離すわけですよ。
気づくというか、アクシデントがあって、ユイがケイのところが逃げ出したところを、たまたまその両親が見かけて、両親としてはパニックになり、ケイに対して結構ひどいことを言って、引き離すと。
ただまあ、本来はそこで警察に通報したほうが良かったのかどうかっていうのが作中の中で出てくるんだけども、近所の目とか何とかいろいろあって、警察だったりはならない。
なってない。
ただまあそのユイの家庭としては引っ越しをして、別のところに住むことになり。
ところがその後もだから、ユイ君はそのさっき言ったようなね、事情もあり、ケイを探し。
要するにそのなんて言うんですかね、自分が逃げてしまったせいで両親にバレてしまって、そのことでそれまであったケイとの関係性っていうのは破綻してしまった、みたいなことに対する後悔と、ただ一方ではその欲望、性的欲望というところで忘れられないみたいな。
擦り込まれた欲望みたいなものもあって、彼を探すんだよね。
で、まあ出会ってしまうんだよ。で、出会ったところで2人はまたその関係を新たにやり直すんだけど、かなりそのもう。
関係、やっぱりね、すごい執着なんかね、知れた、ハリウッド映画やりそうな感じの展開。
それでまあ執着があって、それで2人の関係がまた違う、少し年を取ったね。
で、ユイもお兄ちゃんはそのちっちゃい子にしか関心がないんじゃないかっていうふうにもう疑いつつ、それでもそう彼に執着していく。
マイとの共闘と被害・加害の反復
で、ケイもそれを何か加害の対象として、自分のその鬱屈した心情の対象として、まあ関係はどんどん続いていくんだけど、たまたまその大きく話が展開するのはユイ君が高校で女子に告白されると。
で、その女の子が何ちゃんだっけ、マイ子ちゃん。マイって呼んでたよね。
このね、存在がまず一つには見えるとしたらエポックメイキングなんだけど、あんまり女子出てこないところで、彼女が出てきたことで状況がガラッと変わると。
で、彼女は実はシングルマザーの子供で育てるんだけど、すごくその人気のある女子にもかかわらず、まあ割とそのヒョウヒョウと付き合ってたんだけど、いろいろ会った後に結局ケイのことを知ってたのよ。
あの写真を見せたときに知ってたと。で、それは何でかっていうと、自分を、もうネタバレしてますからね。本当にネタバレ嫌な人は聞かないでくださいね。ネタバレしてるんだけど、自分の父親が塾の講師をやっていて、それでそのケイ君のことを全くユイが行われてたのと同じように加害してた、虐待してたと。
で、それが発覚して彼は、お父さんは捕まってるのね。通報されてたぶん捕まっていて、もちろんそのことも含めて、その事件も含めて彼女たちの人生を大きく揺らがしたことでもあるから、恨みにももちろん思っていて。
なんとこの展開でマイちゃんとユイ君が結託して、ケイを追い詰めるというか。そうですね。
だから単純なその復讐劇にはなってなくて、復讐は果たすんだけど、その復讐の仕方っていうのが、そのケイがおじさんにされたことって、されたけどそのおじさんが捕まったらなんかして、おじさんと引き離されちゃったっていうところが、ケイとユイの関係にたぶっていて。
で、実際にはそのおじさんにされていたことっていうのをケイがユイにしていたと。
で、一方ではじゃあおじさんにされたかったことが何なのかっていうことをユイが気づいて、そのおじさんにされたかったことであろうことをケイに対して行うみたいな感じになっていくと。
で、だからそれこそ恨みにも思ってるし、情もあるしっていうことをわかって、自分に対して行われた行為を許してあげられるのは自分だけだっていうふうにユイ君はケイに突きつけていって。
「普通」の強要と過去の加害者への再会
まあ、いろいろあってその関係は継続していくんですよ。途中でケイがね、もちろん家族から事件があったことからすごい束縛されて、普通であることを強要されていく中で、親にどれほど、それこそ超強レベルで普通にしようとされようとしてきたっていう。
アメリカとかであるコンバージョンセラピー。コンバージョンセラピーの場合は、要するにコンバージョンセラピーっていうのは同性愛者に対して行う、同性愛っていうのは病気だからセラピーを受ければ治るんだっていう発想が昔からあって。
それで、今は93年、1993年WHOで同性愛は病気じゃないよっていうふうになったこともあり、同性愛は病気じゃないということが当たり前ですけれども、アメリカの一部だとまだ病気だって主張する人たちがいて、そういう人たちがコンバージョンセラピーってやってるんですね。
まだやってるんですね。
基本的にコンバージョンセラピーは普通に心理学の療法の一つとしてやられてるみたいなんで、認知行動みたいなことをやるかわかんないですけど、ただ兄ちゃんの中で出てくるやつは女性とセックスさせるみたいなね、そういうやつで。
お母さんの指導の療法がひどいことになってるだけなんだけど、結局最終的には2人は関係を続けていながらもお互い予感だものをずっと抱えているってだけの話なんですけど。
私ね、結構衝撃的だったのは、実際のKに性格害、性虐待を行っていた前のお父さんに会いに行くんだよ。
Kもいろいろ自分を整理したくて、多分いろいろやってるんです。会いに行って、そうすると本当に普通のいいおじいさんをね、新しい家庭を持って、小学生くらいの子供がいる。自分のことも覚えてない。
特にそういった新たな犯罪行為を発してね、すごく悪い人とかだったらさ、多分KはKで何か吹っ切れたりとかね、新しい一歩を踏み出せたりとかできたと思うんだけど、またこいつやらかしてやがんなみたいなね。
でも本当にその辺の一個立てに、普通のファミリーと暮らして、小学生の子供のいる、いいお父さん風のね、冴えないおじさんがいるわけですよ、そこには。一方で自分は本当に薬や酒に逃げ込むぐらいの追い詰められ方をして、自分も性虐待を繰り返してしまうような状態に置かれているのに、
片方ではそういう形の、自分をそれまで苦しめて束縛していた感情の先がこれかっていうところのシーンが私は一番衝撃的で、本当にそれこそマイの怨念も含めて、マイもすごく可愛くて素直でいい子で明るくてキャラとしてもユニークでいいんだけど、多分すごい果てしない闇を抱えている。
虐待の連鎖と愛着をどう捉えるか
でもね、自動虐待をさせるって話は割と一般的かなと自分は思っていて、それは性虐待も同様で、親とか保護者から、あるいは大人から虐待を受けた場合は、その虐待はある種のミンチバイアス的に、それが正しいものだみたいにミンチしちゃう。
心理的な防御機構があるから、そうするとそれを正しいと学習してしまった場合に、自分よりも下の子供というか、児童に対して繰り返してしまうということはある、普通にある。普通にあるって言い方はあれなんだけども。
よくある。よくあることなので、結局それを正しいと思っているから、悪の凡庸者ではないけども、学習してしまった悪っていうものを普通にその日常生活と並列させることができちゃうっていうところがあるので。
じゃあ、お父さんはまだ性虐待をどこかで知っている可能性がある。知っている可能性があるんじゃないですか、たぶん。それこそ自分の子供に対して知っている可能性すらあると思いますし。っていうのはあるから、なんかあんま、うーんみたいな感じ自分は持っていない。
でも連鎖はもちろんその正しいこととして学んでしまって、しかも頭ではそうではないとわかってても、そのもっと無意識化でとかって話は十分にあり得ると思うんだけど、じゃあその与えられたもの、与えられた価値観が正しいわけじゃないですか、誰にとっても。それこそ、じゃあ何が本当に正しいって言えるのかっていうのがたぶんずっと一貫してこの漫画の主張じゃないですか。
ただね、やっぱりそこはやっぱり漫画だから、実際の性被害っていうかね、性虐待のことを考えると、やっぱりそこははっきりするような何が正しいのかっていうのは、漫画だからこそっていう問いの立て方なのかなっていうような感じはあるかなっていう感じがしますね。
でも性虐待がだから別に正しいとは一言も言ってないわけですよ。
もちろんこの作品の中で正しくないということの話の中で最後の説明になるわけだけど。
自分的にはその虐待を受ける中で、それが全てマイナスなものとして、マイナスな経験をマイナスな経験というか人生に与える影響は非常にマイナスダメージがでかいんだけども、
ただそれでもその課題者に対して愛着が生じてしまうっていうそこの部分っていうのはあり得ることではあるよなっていうところはあるなっていうのはあって、ただそれが正しさっていうところではないとは思うんだよね。
もちろん何が正しい何が正しくないっていうのはちょっと簡単には言えない話だしもちろん。
その愛着が生じたからといってその関係性っていうのが肯定されるのかっていうと肯定できないと思うんだよね。
やっぱり大人としては大人としてはというか社会正義としてはその愛着が生じたからといってじゃあその愛着に基づくそのけいとゆいの関係性だって言ったらいいんだろう。
関係性な生じちゃってねそこでおめでとうって言えるものかって言ったらそんなことはない。
だからそんな漫画ではないしそういうふうにやっぱり描くことはできないし実際におめでたいことはないわけじゃないですか。
まあそういう関係を継続している人もいるかもしれないけど決してなんかこうはたからいろいろ考えると考えさせられちゃっておめでたくはなかったりするじゃないですか。
クリステヴァの「おぞましいもの」と性の表現
だけどじゃあおめでたい関係とは何なのかっていうことを逆に考えるわけですよ。
よかったねーとかそれこそじゃあこれだったらおめでたい関係なんだねっていう何かそこにイデアがあってそれこそけいのお母さんのようにこうであったら。
ゆいの親もそれこそお彼女ができたって時に大変喜ぶわけじゃないですか。
ゆいはすごく頭のいい子だからそこら辺も指してこの辺の情報だけこう出しとけと。
でもゆいも全然それを親にじゃあケイトうまくいきましたっていうか付き合いが始まりましたってことはカミングアウトしようとしながらもできない。
明らかに人から望まれている関係があってそれ自体も所詮すり込みに過ぎないかもしれないのにそちらはおめでたくこうよろしいことであり
一方でそうでないものはっていう風になってしまうとそうでないものと私たちは言わざるを得ないんだけどだけどますます追い詰めてるよなーっていう感じがするんだよね。
たぶんジュリア・クリステバーっていうフェミニストの理論家がいてその人はおぞましいものっていう概念を70年代ぐらいから作ったんですけど
翻訳されて日本で流行したのは80年代ぐらい
何かっていうと特に性的関係っていうのは快楽とかそういうあるいは異性愛関係っていうのもそうなんだけどそういう結婚とかある意味正しいものであるとか楽しいものみたいな風に考えられがちなんだけど
実際にはその性的関係の中には見たくないものというか目を背けたくなるようなものとかっていうおぞましいものっていうのは存在していて
そのところがこう普段は観察されない状態にあるんだけれどもそこがあるからこそある意味関係性が成り立った
異性愛関係であったりとか結婚関係であったりとかそういった関係性が性に基づく関係性が成り立っているという部分がありますよ
だからおぞましいものっていうのは構造的に欠かせないものなんだけどおぞましいが故にないことにされている
でも実際にはそれが重要なんだよっていうものを描いた作品っていうような感じはある
まさにだからよくジュリアン・クリステバーが出てきたな80年代読んだわそれだ
今例えば性的動員の問題とかも含めてね
たぶんそれぞれ本当のこと言ったら絶対性行為禁止になるぜっていうふうに100%思うぐらいの意味だから
そこは社会契約の問題なので性的動員の問題も結局性的不動員というものがあまりにもおぞましいものとしてあるので
だからそのちゃんと性的動員っていう社会契約的なもの概念を整えましょうっていう話なんで
よくカリカチュアされてセックスする前にお互い合意をちゃんと契約しておけばいいのかみたいに言われたりするんだけどそういうことじゃない
分かってますけどでもその庶民感情としてねそういう気持ちになる気持ちもわかるし後からダメって言ったらダメってことになっちゃうんでしょっていう風な危機感が起こるのがわかるぐらいに性行為っておぞましいじゃないですか
そのおぞましさを代名にしちゃうんだよね
例えばそれは夫婦であったらおぞましくなくて大人と子供であるとか動物と人間であるとか
日本では動物と人間は別に犯罪化されてないけども
そこでどこで線を引くのかっていう時にさ人の感情ってなかなか線が引きづらくて
男女の恋愛すらもトラウマから発生していることなんで100もあってたまたまこれは本当にBLっていうね雑誌の形態の中で生きてるから男性同士にたまたまなったしこれが男女である可能性も十分当然あって
おぞましいものが含まれているからこそ逆に性的欲情とかさ興奮とかにつながりやすいってこととかもあったりするじゃないですか
性の問題って本当にだからそんなにすっぱりここから間違いありませんこれは間違ってますっていうふうに胸を張って誰も言えないだろうっていうところがあって
それを社会契約の上に乗っけていくのはすごく難しいんだしやっぱりそれこそ逆に文学的な言葉で語らざるを得なくて
その語りは読み手によって受け取り方とか運動とかが変わっていくと
そういう矛盾とかをいっぱい一冊にまとめたのがこれ
たとえばね山本大輝の漫画作品の数々っていうのも割とそういう部分であるのかな
兄ちゃんと似たような傾向っていうかな
まあ男女だけどね
性のおぞましさ的な部分に触れるものがあるような気が自分だって
歳近い?作家の歳はわからないんだけど
でもおそらくそういう山本大輝的な
それこそただのポルノというふうに呼び掃せる
そういうふうに呼ばれたりすることが多い山本大輝と片っぽで兄ちゃんは
BLだからこそあんまり人の目にも触れずにきたっていうね
その性の系統もある意味同じで
楽しくキラキラやってもおぞましくドロドロやっても
性的な行為自体はそんなに大差はないわけじゃないですか
それは受け手の問題でここから何を得られるかは多分
『にいちゃん』が描く被害者たちの先への歩み
人によって違っても本当に何進めてくれてるのよって人も多分
10人中9人はそうじゃないかなと思うんですけど
私にとってはこれができる人間すごいっていうふうに思ったぐらいに
ある意味やっぱ本質性の本質をある意味描いている作品の一つかな
っていうような感じはしましたね
そんな感じで予知ですね
ゆるクィア用語辞典「被害感情」
それではこれよりエルクイヤー用語辞典のコーナーとなります
このコーナーでは我々がクイヤーだと思う用語について
我々の解釈で説明してみますということで
ちょっと何を標本にしようか
悩んだ結果ですね
被害感情が適切かなと思いまして
っていうのもこの漫画の本編の方でも言ったようにですね
それぞれ性虐待を受けたケイとユイが出てくるところで
ケイもユイも被害を受けながらも
そこからこう
発論の仕方が変わってくる
被害感情があって
それからだんだん正常化するわけじゃないんだけれども
しないね全然
ただ被害受けたっていうところからは
ちょっと先に進むというかね
そうですね
立ち直りではないんだけども
先に進んでいくという
人間は前に進んでいくものだな
で被害感情とはというのは一応ね
用語で引くと事件や事故
不当な扱いを受けた時に
心に巻く強い怒り悲しみ許せないという気持ちのことですと
心が受けた大きなショックや傷つきから生じる自然な反応ですが
解き方につれて変化したり
精神に大きな負担をかけたりすることがあります
っていうのが普通に自主の言葉で
これさ救いはというかね
全然救いのない話でもあるんだけど
ユイが小さな子に全然向かっていかなかったことなんだよね
自分に対してアプローチをかけてきたケイを探して
ケイが前のお父さんを探したのもそうなんだけど
全然連鎖させないユイの
執着っぷりがすごくないですか
それはユイがまだ子供だからっていうのはあるかもしれない
ケイに会えたからでしょ
それもある
要するに被課題者に対して会ったことで
ある意味復習的なこともしてますからね
そうですね
自分の中でもそこら辺の解釈が間違っていれば間違っていなかろうが
整理をつけたがるタイプの子だから
これがもちろんケイに会えず
その後大学生活をしているうちに
自分が同じことをしないとは全然
それはキャラクターとしてあり得るけど
これはたまたまユイというさ
半球心の高いタイプの性格の人が
ケイを探し出して
ケイの問題に気づき
ケイが自分に与えてきた感情とか行為についての解釈を
自分なりに再解釈して
存在してるから
次の行為は絶対ないと思う
ここからさっきさ
ケイと離れたところで
じゃあ下のちっちゃい子に同じことを行うかって言ったら
行わない気がするんだよね
そこは分かってる
漫画は何も書いてない
自分がね
やっぱ被害感情っていうところで言うと
ケイが自分に対して行った迷子のお父さんを見に行って
結局分かんないよなとは言って
自分のことを覚えてなくてね
そこをきっかけにユイに対して
本当にひどいことをしたんだっていう
本当にひどいことをして
かつ自分がやっていたことは何だったんだ
みたいに実践するっていうターンがあるというところが
すごく
僕はここがいいシーンなのかなって感じはして
逆に自分を覚えてなかったことでね
だからある意味そこが
ケイがおじさんに対して執着して
依存していた気持ちっていうのは
そこで立たれて
初めてそこで自分がしてきた行為を振り返る
せいするきっかけになっている
自分が被害者であったにも関わらず
自覚的ではなく加害者になっている
そうしたところの
そういう反省の時代じゃないですけど
ところを得られなくのが上手いのかな
っていうような感じはありました
そこをきっかけにやっぱりケイとユイの関係が
柔らかくなっていく
攻撃的じゃなくなっていく
だってそれまで
殺し合いだもんね
殺し合い
スタンガン突きつけたりとかね
そうそうそう暴れたりとかね
自分もすごく屈辱的なこと
レイプしたりとか
そうそんな感じですよね
延々とそんな感じなので
こんな感じなのでね
確かにそっからはなんかカップルっぽくなってるもんね
そこの同じような被害を受け加害を
ケイは加害もしたけど
ユイとケイが同じような被害者である
でカップルっぽいというか
初めてここで最後の方のところで
ある意味恋人的な感じの関係者になれているのか
みたいなところですかね
単純にその性虐待だけを描いているわけではなくて
その性虐待を受けたケイとユイの
それぞれのある意味
先へ進む姿みたいなところも
そうですね
得られた作品というところまでも含めて
堪能してほしい作品ということですかねこれはね
そうですね
でも最後まで救われない気もするんですよ
でも人間は救われないからね
はいということで
ゆるくやよこ辞典のコーナーでしたと
虹柴は川口シシワのアンテナブックスタンドカフェ
ここ柴で月2回開催しています
ジェンダーやセクシュアリティに関わらず
誰でも参加できるおしゃべり会で
LGBTQに関するさまざまな話題などについて取り上げています
9月の虹柴は9月25日に開催予定です
各回19時からJRわらび駅東口と
5分の合う場所にあるブックカフェここ柴で開催しますので
ぜひお越しください
詳しい開催日時などは概要欄のホームページをご覧ください
またチャンネル登録やフォロー高評価お願いします
それではお付き合い頂きありがとうございました
また来週お会いしましょう
さよなら
28:05

コメント

スクロール