そんなことがありまして、これどういうドラマか。原作があるわけですね。
原作漫画なんですけど、ちょっと残念ながら僕はまだ漫画の方は読んでないんですけども、
元々どういうドラマかというと、光作くんがやっているのは鈴木っていうキャラクターで、
鈴木くんは基本陰キャなんですよね。陰キャでほぼ帰宅部みたいな感じで、
学校が、高校が終わると自宅に帰って、何をするかっていうとBL小説を書くっていう。
小説なんですね。
小説です。ただそのBL小説をネタにするのは基本同級生っていう形で、
教室の中にいる同級生を妄想で膨らませて、BL小説に登場させるという。そういうことをやっている。
休み時間とかに図書館に行って、BL小説を書くみたいな感じなんですけど、
一方で鈴木とその対象的な世次沢というキャラクターがいて、これはもうタイトルにある通り養家集団のグループにいる人。
昔の言葉で言えばネアカーみたいな感じです。
昔そういう言葉もありましたね。ネアカー、ネックラーって言ってましたね。
養家集団は4人グループなんですよね。4人グループのうちの一人が世次沢で、
その世次沢が鈴木が書いている、鈴木がBL小説を書いているというか、BL好きだっていうことを発見し、
そこで世次沢と鈴木の距離が近くなっていって。
なぜ?
なんで近くなるかっていうと、実は世次沢もBL好きだっていう。
そう、それがないとね。まさかその先に行くんじゃないでしょうねと思って一生釘を刺しています。
だから一つのクラスの中にBL好きが2人いて、それぞれが養家と陰家で、
その陰家の方は世次沢、養家集団にいる世次沢をネタにしてBLを書いている。
書いているところがそれが世次沢が知ることになり、その世次沢は鈴木に惹かれていくという。
元々鈴木は陰家として教室の中にポツンと孤立しているような感じだったんですけど、
世次沢も鈴木も高校2年生なんですよ。
高校1年の時に鈴木と同級生だった子たちとの間で陰家集団的なグループが作っていたんだけど、
その子たちとは教室が別々になってしまって、クラスが別になってしまって、鈴木はどうしよう誰も友達ができないみたいな。
孤立ポツンとしていたところが世次沢の養家集団と仲良くなっていくっていうような中で、
だんだん距離が縮まっていくっていうのが全体的な流れだったなっていうところでして。
バリバリ学園モノなんですね。
学園モノですね。
第3話を見てちょっと面白かったのは、鈴木が高校1年の頃にいた陰家集団というか、陰家友達の子たちもオタクなんですよね。
たまに顔を合わせる、学校の中で陰家集団だった友達と顔を合わせる機会があるんだけど、
だいたい顔を合わせるときは世次沢たちの養家集団と一緒にいるから、なんか鈴木、養家集団と仲良い。不思議だな。
全然あんな陰家だなんで養家だと一緒にいるんでしょうね。
カーストを越えみたいな。
そうそう。
なんかアルファオメガみたいなね。なんかそれの学生版みたいな。
そんな風に、大一の時の友達から見られて。
で、ちょっとなんかね、鈴木が若干距離を置くようになったきっかけ。
鈴木自身も陰家集団とちょっと距離を置いてた風になって。
それは何かっていうと、陰家の友達のところにオタク同士だから、オタク同士の会話でお前何が好き?みたいな感じで言っていたところで、
鈴木が、俺BLが好きなんだよねって言ったらドン引きされるっていう経験を鈴木がする。
BLって男同士やるやつだろ。お前そっち系なの?みたいな感じの、ちょっとホモフォービックな感じの会話になる。
そのやりとりがあったと。なんかそれ自体がちょっと古臭い。今時は。10年前ならそう言われた。
それで、鈴木としてもちょっと孤独感を感じていたっぽいんですよ。
一方で陰家集団は、セリ沢がBLを読んでいるっていうのと、陰家集団と鈴木は一緒にカラオケに行くんですね。
カラオケに行く中で、セリ沢以外の他の3人は、それまで鈴木がBLを書いているってことは知らなかったんだけど、
そのカラオケのところで、他の3人も鈴木がBLを書いているってことを知ることになると。
そしたら、セリ沢以外のメンバーも俺もBL読むよ、みたいなことを言い出して。
で、鈴木としてはすごい居場所ができた感が持つみたいなね。そんな感じの展開になっている。
今言えると言えないのはハザかいなのかしら。
そこでは言ってるわけじゃないですか。僕もBL読むって話はしてるわけで。
結構重層的になってるなと思ったのが、いわゆる他の陰家集団以外のBLドラマーの場合は、
結構やっぱり性的指向の問題があって、基本芸当自社であったり、男が好きってことに戸惑うみたいな、
そういうアイデンティティーの例えみたいなのもあったり、昔のBLだったらそういうのもあったりとか。
はい、そうですね。昔そんな感じでしたね。
昔?
昔。
ここのところそういう方向ですよね。
あんまり男子がBLが好きで、かつBL小説を書いてしまう。
鈴木がセリザーとBL小説に登場させる場合でも、基本セリザーは攻め設定なんですよね。
鈴木がBLを書いているってことをセリザーが知る場面でも、
俺攻めなの?受けなの?どっちなの?聞いて、いや、攻めだけど、みたいに言うと、
いや、俺本当に攻めなんだよね、みたいな。
で、答えるみたいな。
なるほど。
そういう展開があったりとかして。
今気がついたんですけど、これ小説なんですね。
小説なのか、漫画じゃないのか。
漫画じゃなかったです、原作。
なんか表紙絵だね、やっぱ漫画。
これはフォア子さんという方が描かれているイラストで、漫画絵でね。
原作は、それこそBL小説を書いてるんだってところで止まったんだけど、やっぱりわかりやすい自分の設定としてね。
だから自分もBL小説を書いてる人が、BL小説を書いてる子を主人公にしてるってことだよね。
そうですね。
重層的。
違うかな。
そう、だからなんか最近は不断誌というか、BL図を読む芸であったり文献であったりというのも増えてきているかなと思うんですけど、
そういう時代のすり替わりというかを受けて、じゃあBLを書いている男子を主人公にされたらどうなるのか。
しかもそれが教室にバレるとか、
ということになったらどうなるのかとか、というところを踏まえて物語化してるのが面白いなって感じはありました。
でもね、やっぱり今までBLって、2つ言いたいことを一遍に言おうとしてから話が分かりやすい。
BL漫画を書いている、BL小説が主人公になるBLって結構あるんですよ。
なるほど。
これって多分他では全然想像つかないぐらいに比率が高い。
最初に発明した人はすごいと思うんだけど、多分10年ぐらい前にはもうあって、その後BLを書く子が実際女の人目に遭っちゃうっていうので、
1つある設定として結構見る。
もう1つBLの流れとしては、その昔はセクシュアリティーの問題とかをかぶせてなかったから、
要はそのノンケが恋をする。
ノンケとかゲイとか関係なく。
お前が好きだ的なやつ。
お前がいいんだ、男だからとかじゃなくてみたいな設定があって、その後どうしてもその説明をしなくちゃいけなくなったわけですよ。
途中からゲイ設定に、少なくとも片方だけはゲイ設定になっていることがすごく増えてきて、
多分そこからまたもう1段階変わってる気がしますね。
だからBLも変遷があって、本当に性行為の描写とかも、昔はそれこそヤオイアナみたいな言い方もしてましたけど、
今は、だからやっぱりそれを2回も3回も、そんなにさっくりいかねえよみたいな話もするので、
2転3転してきて、かなりこなれてきてるんだと思うんですけど、
だからBLとゲイ小説の境界が一時すごく壁が低くなって、
今ちょっとまた、これはもうファンタジーでいいじゃんって言ってあげてる気がしますね、今。
ここのレギュレーションはね。
ファンタジーなんで、これ以上ゲイ小説に寄せてはいかんみたいな、ゲームドラマに寄せてはいかんみたいになってる感じがありますけどね。
どうですかね。だから今回夏のドラマで、現地部が出てるドラマで言うと、あと3本あって、
1つがちょっと待とうよハルトラくんっていうやつなんですけど、これも高校舞台のドラマで、
みんなすごいな、学生やれんな。
男子校の寮生活があるような学園で、男子寮の2人部屋なんですけど、
2人部屋で1人がゲイバレしてしまった先輩、1人が新入生みたいな感じの新入生のハルトラくんっていうので、
ハルトラくんを現地部の桜木くんっていう子がやってるんですけど、
マサヤくんっていう子がやっていて、先輩の方はゲイバレしちゃったもんだから、
ちょっと同級生からちょっとだけ距離を置かれちゃっている。
で、そこで同室になったハルトラくんに、こんな俺と同室になっちゃっていいの?みたいな。
ちょっと肩にしまくない?みたいな感じでいろいろ気にかけるんですけど、
実はハルトラくんも、はっきり言うと今の段階では名誉はしてないですけど、
おそらくゲイですね。先輩のことを気に入ってるようで、すごいグイグイくるみたいな感じの展開。
男子寮者も結構あるよね。
男子寮者はね。
ファンタジー。
ファンタジーも竹宮圭子の頃から。
ファンタジーですけど、今どのくらいあるのか知らないけど、結構寮生活もジャンルとしてありますね。
男子寮っていうジャンルが。
そうですね。
あとまた現地部のメンバーの永野寮太くんが出ている、これはもうこの間終わったんですけども、
その恋愛っていうBLドラマがあって、これは会社員物なんです。サラリーマン物で、
その会社の先輩と後輩っていう、また先輩後輩には変わりないですけど、
先輩の方がゲイで、ノヤノヤなゲイバーに行ってずっとみたいなゲイで、
それで永野くんの方はちょっとアイデンティティがわからない感じののっけなのかなみたいな感じで。
ただその先輩ゲイはちなみに会社にはバレてないというか、会社にはカミングアウトしてない。
そこもあるきっかけで付き合うことになっていくんだけれども、
というようなそんな感じの物語展開。
すごいな、なんかテレビが思春期だな。学生物とかね、やっぱり会社でもそうだけど、
もうなんかその漫画でずっとやってきた、BL雑誌、BL漫画をやってきたことをドレスしてますね。
全部いろんなジャンル入れなきゃみたいな感じ。
最初は名作からチョイスされていて、だんだん今度は相場な的になってまいりましたね。
そうですね。去年もBLドラマについて取り上げて、その若手の東流門になってるよねみたいな話をしてたんですけど、
もうここまで作品が多くなってくると、東流門どころか活躍の場みたいな感じになりつつあるかなっていうような感じがあります。
たぶんこれって本当に声優もその時も言ったと同じような感じでしたよって言ったと思うんだけど、
結局女性のドラマをやらせるよりも問題が、ファンが怒るからさ、なかなか女の子とくっつけると。
だからそれがずっとあって、BLをやる分には彼の色っぽい演技も見れるし、
なおかつ女性俳優さんと絡ませるとかっていうのと違って、スキャンダルというよりはファンのね、
どう週刊誌が扱うか何しようか構わないんだと思うんだけど、ファンが納得できるかって言ったらば、
女の俳優さんとラブロマンスをやらせるよりは男性同士の方がいいやって話にたぶんなってっちゃったね。
もちろん主要なゴールデンタイムのドラマとかはね、先々のんけの恋愛ドラマというわけですが、
ただ若手活躍の場っていうところでもね、やっぱBLが流星を誇っている。
そうですね。ずっと声優界がピタミンチですよ。
だからフラッグになるほど。
知ってる、みけたって感じ。
ということでですね。
それではこれよりゆりクリア用語辞典のコーナーとなります。
このコーナーでは我々がクリアだと思う用語について、我々の解釈で説明してみますというところですが、今回はBL評論を取り上げたいと思います。
というのも今期いっぱいBLドラマがあるかなっていうところのタイミングで、
聖道社から出ているですね、スミセ評論雑誌のユリイカっていう雑誌があるんですけど、
そのユリイカがBLドラマ特集をしてたんですよ。
買っちゃったっていうね。
それはいいなと思って、ちょっと最近BL評論に触れてないなと思って、最近どんな評論が書かれてるのかなと思って買ってみたんですよ。
そしたらちょっと。
ちょっとっていうね。
今そのお話をしてましたけど、終わってんなっていうね。
いやてか、確かに難しい、BL評論が難しい時期に来ているっていうのもそうで、
研究者がじゃあどこまでそのBL作品を追っかけられてるのかっていうのは、これだけ本数が増えてくるとかなり追えなくなってくるし、
それこそBLっていう一つの表現形態は、レーベル、雑誌、昔一番多いときに十数誌出てるんですけど、
だからどこで出してるのねっていうのがわかれば、こういう傾向の。
学園ものばっかりだなとか、若い子の向けだなとか、そういうふうにみんな判断がつくぐらいにBL業界は閉じた業界の中ですごくセグメントがされてた時代で、
そのマニアックなものだったわけじゃないですか。
それがこれだけドラマも出るようになって、大衆にも受けるようになったという段階で、評論の形も変わっていかなきゃいけないなっていうところで、
まずすでに最近の作品のされ方と需要のされ方みたいになって、昔のすごいフェミニズム秘書的な評論をさらに超えていかなきゃいけないところに来てると思うんだけど、追っかけられてるの?っていうのは一つと。
そうなんですね。昔の自分がまだ学生だった頃に90年代後半とかからBL評論、あと2000年代初頭ぐらいですかね。BL評論って出てきていて、
その頃は基本はフェミニズムのセオリーを背景とした評論が多かったかな。
要するにBLで男性同性愛っていうのを表彰として描いていくときに、いわゆるゲイ当事者が描く表彰ではなく、BL作家の女性というのはかけ離れたものになっていると。
それっていうのはセクシャリティー、クイアー理論的なところから見てどういう可能性が重要だとか。
やっぱりエンパワーメントに役立っているんだとか、そういういろんな評論はされてきて、それは私も面白く読んでた時期があるし、実際そういう側面はあったと思うんだけど。
例えば男の乳首がなぜ描かれないのかみたいなね。
男の乳首がないとかね、毛が生えてないとか。
ヤオイヤな動態があるとかね。
そうそう、それがどう変わってきたかも含めて、大体10年代、20年くらいまでは、コロナ前くらいまではまだしも有効性があったんじゃないかなっていうのがしますね、ざっくり。
そういう中で漫画表現であったり小説表現として描かれる身体性の部分っていうのが、実際のリアルのゲイのセックスとは違うんだけど、それがただちにゲイフォービア、ポモフォービア的な表現かっていうと、そういうわけでもないのではっていうようなところもあったりとか。
あとまた相互の域もありましたよね。ゲイ漫画も一方である中で、ゲイ漫画の作家さんがBL描いてたり、あるいは逆もあったりとかして、少女漫画の延長っていうだけではなくていろいろあるんだなってことも、乗り入れ的なことがいろいろあって、
不断種みたいなのも、読者とか視聴者に不断種みたいな言われ方をするようになって、ずいぶん変わってきたなと思うし、影響はされ合ってきたんでしょうけど、ゲイ漫画とね。
そこのところが、ちょっと今回のユリカのBLドラマ特集の評論を読んでると、ちょっとがっかりしちゃう。
今何か一つやってきたことの限界を迎えてるんだけど、批評に対する批評が足んないから、改善がないぞっていう。
結構、解説っていうよりは感想みたいなやつはYouTubeとかでいっぱい見るわけよ。流れてくるし、そっちのほうがよっぽどフに落ちたりするじゃないですか。そうそうそうそうとかって思うのに、評論読むとどうしたおばさんとかどうしたおじさんみたいな感じになっちゃうじゃないですか。
読んだとか見たとかって感じがしちゃうっていう。そこはやっぱり評論に対する評論がまだちょっと足りてないんだろうなと思います。
それとあとはやっぱり、かつての読者層・授業層と今の授業層はだいぶかけ離れていて、BLの授業層っていうのがかなり広がりを見せていて、多様に授業されるようになっているっていう中で、
女性が描くBL、ゲイが描くゲイ漫画みたいな、そういう単純な構図でもなくなってきて、かつBL漫画の世界で描かれていたものは、直ちにBLドラマっていう、実写になった場合にね、ドラマ化された場合のある種のリアリティ的なものっていうところっていうのを、評論のほうがちゃんとすくい上げきれてないような感じっていうのもあるのかな。
あるいは評論という形式自体がすでにかみ合わなくなってきてるのかもしれないけども、でもいい論者が登場してくることを期待しますね。
あと、やっぱりその評論の枠組みがなんだろうな、クリティカルなものではなくなってきてるのかなっていうのは、それこそクエア理論であるとか、昔のゲイスタリズム的なものが機能していた時代っていうか、フェミニズムが機能していた時代っていうか、そうしたところだと、ちゃんとクリティカルな評論が欠けていたような気がするんですよね。
どういう視点からどういう切り口でいくと、これがきちんと批評として機能するのかっていうところがあったかなと思うんですね。ある意味現代社会の批評にもなるし、単にBL評論に留まらず、そのBLから切り込むことで現代社会のある種のイデオロギーだったりとかみたいなところをきちんと批評するみたいな、そういう部分になっていたところがあったかなっていう気はするんですが。
今回のユリイカを読むと、ただの評論に留まってしまっていて、批評性がない感じを受けたかなっていうところで、いろいろBL評論ありますけれども、ワクワクして面白いBL評論を。
そうですね。社会の面白い傷を入れるとか、物語の見方を、こういう見方をっていうふうにできるものが。
って言ってると、お前は賭けって言われるやつ。
お、賭け。そうだ、こう言ったら賭けみたいな。楽しみにしてます。
ということで、ゆるキー材料不自然のコーナーでした。