1. にしのんラジオ
  2. 「ナニモノカ」を自らカタチ創..
2023-08-25 06:43

「ナニモノカ」を自らカタチ創ると「ワタシ」に成る #14

1 Mention 2 Comments spotify apple_podcasts youtube

「ナニモノカ」になると、「ダレ」になれるの?●不思議な少年2(「タマラとドミトリ」収録) https://amzn.to/3ulOO9c

🐸にしのんラジオ📻
西野キズナが、自然体で生きるために考えているコトをゆるりと話します。気まぐれ配信。
LISTEN配信(音声&テキスト) https://listen.style/p/24non-radio
Youtube配信(音声のみ) https://www.youtube.com/playlist?list=PL8yiX4TTHQx3awG0_T6WMxJcFJmiTkZMp
おたより投稿フォーム https://forms.gle/JDQ3eLXP4bXSssTf7
X(旧Twitter) https://twitter.com/nishino_kizuna

#ライフスタイル #自分らしく生きる #思考 #マインド

00:06
こんにちは、西野キズナです。今日はね、ツイッターで最近みんながなんかつぶやいてた
何者かっていう話を話題にしようかなと思います。 この何者かっていうのは、何者かになりたいとか、そういう
話題なのかなって思うんですけど、何者かを考える時に一番最初に思い出すのは、
山下一美さんっていう漫画家さんの、「不思議な少年」っていう漫画作品なんですね。
2巻に掲載されている、「タマラとドミトリ」っていうタイトルのお話があるんですけど、
簡単にあらすじを話しますと、この漫画のタイトルになっている不思議な少年っていうね、
名前のついていない少年がいるんですけど、この少年はあらゆる時代、空間、全部飛び越えていろんなところに行ける、
人間を見守るような超越存在みたいなものなんですよね。
タマラとドミトリっていうお話では、この少年がファマラっていう14歳の女の子に会いに行きます。
物語としては、このタマラっていう少女が主人公になるんですけど、
この少女はドミトリっていうね、20歳ぐらい上の年齢の男性のところに突撃に行くっていうところからお話が始まるんですけど、
10代のね、若い女の子なので、もっと外の世界で本当の人に出会いたいと言って、不思議な少年に森の外に連れ出して欲しいってお願いするんですね。
少年は今すぐには連れ出すことはできないけれども、10年後にもその気持ちがまだあるなら、
その時に君の幸せをもう一度確かめようって彼は言うんですね。
タマラが何者かになりたい、誰かと出会いたいと思っていたところを、
少年と出会うことで自分の気持ちに気づいていく、考える機会を得ていくっていう流れがすごい印象的で、
03:05
自分の幸せとか、幸せになるっていうのはどういうことかっていうことを考え始めるんですね。
みんなが求めている何者かっていうのも、実はもうなっているかもしれないのに、
自分には見えていないだけなのかもしれないなーって私は考えることがあります。
何者かって概念の話だと思っていて、
言葉の意味付けで、結局人間が形を与えて作ったものですよね。
私はあんまりそういうのを信用してなくて、信用してないって言い方あれかな。
自分の物差しにしたりしてないとか、なので、
人間の形作った何者かっていう概念になりたいかっていうと、
なりたくないですね。
だってそれって誰かが定義付けたりとか、形を作ったものでしょうっていう。
なので、何かになるんだとしたら、
まあその形から全部自分で、
価値も形も概念も全部作りたいかな。
でも多分それは形にしていくと何者かっていうものじゃなくて、
結局私っていうものになるから、話題にしている何者かからはずれちゃうんだろうなと思ったり。
慣れたか慣れなかったかって、でも第三者が決めることじゃないですよね、きっと。
それを慣れたって判断できるのは自分だけなんじゃないかなとか思うんだけど、
06:00
この話題はなかなか興味が尽きない話題ではあるんですけど、
私にとってはタマラとドミトリっていう漫画に何か答えがあるなって思って、
思い出したようにその作品を読んでますね。
とまあそんなところで今回は終わりましょうかね。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回の収録でお会いしましょう。
06:43

このエピソードに言及しているエピソード

コメント

私は大阪出身で「何者かになれる」と自分の可能性を信じていたので、大学を卒業したら東京に住みたいと思っていました。東京に住めば「何者かになれる」と思っていました。具体的には仕事で成功するとか、有名になるとか、そんな類です。 でも実際に住んでみると出る杭は打たれるので、出過ぎないといけない、出過ぎるためには色々な人を蹴落としたり色々なことを犠牲にしなければならないと分かり、「何者かになる」ことは諦めました。 でも今思うことは、自分らしくあること、つまりは自分で納得して選択すること、自分の人生を生きることが大事だと感じています。お話にあった「ワタシ」になる、ということのほうが大事なのかなぁ、と思い、自分の選択をしっかり後悔のないようするようにしています。

出る杭は打たれるもしんどいですけど、自分が出るためにだれかを犠牲にするのもしんどいですね…🥲 歳を取ると、「環境が自分をつくるのではなく、日常の自分が己を作るのだ」ということが、だんだんわかるようになりました。その考えに至るまでの過程で、踏みしめて形作ってきたものがやはり「ワタシ」なのだと思うので、わたしも「納得のいくワタシ」を目指していきたいなあと思っています。

スクロール