おめでとうございます。
ありがとうございます。
今日ですね、僕のテーマは、
アホヘキさんのプロフィールが強そうすぎるっていうのがあって、
どうしても直前に青柳直樹って検索したんですよ。
あまりにも強そう。
青柳さんって人がどういうモチベーションを持ったとか、
どんなダメな人だったのかみたいなことを聞けると、
なんかやっぱり青柳さんも人間なんだなっていうことが伝わるといいなというのが、
私の裏テーマでございます。
ありがとうございます。
一番初めに、僕と青柳さんの関係でいくと、
僕のファンドの一番初期からの支援者。
アンリーさん1号に支援というか、
ご出資をさせていただきました。
あれって何がきっかけでしたっけね。
いらっしゃったんですよね、アンリーさんが。
たぶん面白い人たちを出資者に募ろうということで、
その中にグリーを介してということで、
どちらかというとあの時は会社というよりは個人でと。
まだグリー社がいわゆるLP投資を本格的にやる前のフェーズで、
社内これどう整理しようと。
なかなか整理しがたい時期で。
でもこれは応援したいというので、
個人で出資をさせていただいたのが、
事業というかビジネスでお付き合いする始まりでしたね。
確かに。
あの時やっぱり神だったんですよね、青柳さんが。
たまたまいる場所が良かったんだと思うんですよね。
モバイルインターネット来て、
ソーシャルネットワーク重なるところにいて、
ちょうどそういうスタートアップ始まる、
まだスタートアップって言ってなかった、
ベンチャーって言って終わり頃っていう、
だったかなと思います。
青柳さんが作った一つの偉大な歴史は、
投資銀行の人がスタートアップに行って、
CFOロールをしていくっていうのの先駆け?
そうですね、まだ一般化していなかった頃で、
私の前だと、
おそらく楽天に行った山田さんや高山さんが、
特に山田さんがゴールドマンから楽天という形で、
ただ彼らは後銀出身で、
たしかに、そっか。
生谷さんのある種先輩や同級生ということで、
本当に投資銀行をある種大量採用時代で、
みんな投資銀行を続けるか、
PEファンドに行ったんですよね。
ただ私はインターネットが好きすぎて、
それは結果的に先駆けになったというところですね。
これインターネット好きはどこからなんですか?
これ大学のSFCかなと思います。
ちなみに僕、貴重な我が高校の…
慶応保宿校。
慶応保宿校の…
安里さんや大井さんが同じ学校で。
で、埼玉の学校からSFCってめちゃめちゃレアだった。
埼玉から庄内に行くのは2時間かかるじゃないですか。
普通行かない進路ってこれマニアックなんですけど、
結構強い思い持ってそもそもSFC行ってるんじゃないかなっていう。
高校生の時に、私は部活やってたんですけど、
膝を壊してテニス部を2年生の時に辞めて、
1年ぐらい結構麻雀打ってたんですけど。
やっぱそれは全員登録したんですね。
ただ早めに来たモラトリアムみたいなところから、
大学の進路どうしようって。
もともとは多分理工学部とかに行こうと思ってたんですよ。
コンピューターとか好きで。
ただ調べているとどうやらということで、
当時SFCの学生の方がたくさんウェブページ作ってて、
大学生活を発信してたんです。
結構当時インターネットで配信するって先駆けてますよね。
まだあんまり?
96年、97年ぐらいで。
かなり早いですね。
ネットスケープで見て、
でもなんかこの大学生いいなって思ってしまって、
それがSFCに行った理由。
で、大学に行ったら村井先生がいたんですよ。
で、ある種思想からインターネットの基礎的な技術の話をしていて、
しかも授業がオンラインで行われるっていうのが一部行われていて。
その時代に?
はい。
すごいですよ、それ。
で、これだなっていうふうに思ったっていうのが最初ですね。
そうか。
じゃあもうそこからずっとインターネットであると。
はい。
あと私父親が昔ゼネコンに勤めてて、
父親ゴルフ場とかダムとかトンネルとか作ってたんですけれども、
民事再生法でやっぱバブルが終わって、
その時期ですね。
父親の会社が再生プロセスに入るというのを身近で見ていて、
開かないなと。
なるほど。
やっぱり新しい産業に自分は行かないと、
何もずっと同じであるものはないなっていうこととか、
あと中学受験も私は第一志望の学校に落ちて、
ただ結果的にいった形容が良かったんですけれども、
自分より優秀なやつたくさんいるなというのは、
結構いろいろなところで気がついて。
面白い。
自分は他の人と違うポジションで違うことをやっていくべきだっていうのが、
中高ぐらいの経験でやっぱりあって、
快晴東大から外務省行く人、日銀行く人、たくさん友達にはいるんですけれども、
そういう人たちの土俵ではないところでやろうやろうと思ったら、
違うことで力を身に付けて新しい産業に行こうという、
なんかここはずっと変わらないかな。
それですね、もうここから来るグリーンにせよ、
メルカリにせよ、ニューモにせよ、全部繋がる、
結構根底に流れるストーリーな感じがしますね。
自分の中では意思決定しようと思った時に、
今までの経験は生きるんだけど、新しいことをやっていこうとか、
あとちょっとやっぱり何年かすると落ち着いてきちゃって、
そこに対して自分で危機感を勝手に覚えていって、
新しいものとかチャレンジを取り入れようとしてしまう性質が、
多分本能的にあるんだと思いますね。
突き進んでいきました。
タクシーの2種免許を取ってみたり。
結構大変ですけどね、2種取るの。
実際やってみようというところで始めて、
タクシー業界のルールとかを知っていて、
いろんなタクシー会社さんをお会いするんですけれども、
やればやるほどですね、
これは無理ゲーなんじゃないかというのが、
2016年、17年の当時はあって、
いろいろトライしたんですけれども、
なかなか自分たちだけでは扉を開けないと思って、
一度このテーマはしまうことにしたんですが、
火がつきましたね。
結構そこそこ土砂回りもやってたんですよね。
そういう回ったりとか免許取ったりとか。
どこかで起業したいみたいなのはあったんですか。
CFOだけじゃないんですよね。事業側もやる。
そうですね。CFOはグリーで2012年までで、
どちらかというと事業をやってるキャリアのほうが、
もう長いんだ。
圧倒的に長いんですよ。
確かに。
そちらのほうが面白いと自分は思うタイプ。
自分よりもやはりCFOだったり、
ちゃんと財務守りやるっていうのが長けた人もいるなと。
フリーで一時期財務のトップをやってくださっていた水野さんという方がいて、
いくつかいいすごいためになる記事を東洋経済オンラインとかで書いてるんですけれども、
こういう方とご一緒していて、
なおさら自分はより自分が生きる。
やっぱり新しい事業をやるほうがいいなと思って、
メルカリの中でも新規事業。
メルカリがすごく伸びて、
マーケットプレスがすごく一歩足にならないように、
多分会社をいい意味で変化させてかき回すために、
新太郎さん僕を呼んだんだと僕は思っていて、
自分はある種これは生図なのか、
違う旗を立てる人として呼ばれたというふうに勝手に思っていて、
ただ同時にメルカリ経営陣としての一体感とかハーモニーみたいな、
よく遠心力をどんどん起こしていくタイプがいるんですけど、
これは後で会社に歪みとか圧力をもたらすので、
それをやらないけれども新しい事業をやるっていう人が必要だろうと思って、
これはいいなというふうに思って、
メルペイとかメルコインとかやってました。
暗号師さんとか本当にもう、
ブロックチェーン技術がメルカリのマーケットプレスでいずれ大きく変えていく必要になる、
というふうに思うと同時に、個人的にやっぱり興味がありすぎて、このテーマに。
確かに。
で、これをその金融当局とともにやってみたい。
こんなんだからこそやるみたいな、いうところがありました。
そこら辺のあれですよね、
青木さんの着想の無邪気さとオペレーションの老快さみたいなところは、
もしかしたらその今のメルカリとか経て、青木さん強みなのかもしれないですね。
自分自身が予期しない形でうまく開いたとは思っていて、
金融事業なので、結果的にその、
行政の方とか政治の方とか業界団体とか、
いろんな人たちとお付き合いをして、
一緒の利益みたいなものを作りながらやっていく必要があって、
昔の僕はもっと荒々しくって戦っていたと思うんですけれども、
そこは実はこのスタイルの方がいいかな、みたいなものはですね、
最初のCFO時代とその後アメリカに行って、
よりカルフォルニアの天気の下で多国籍の人たちと働いて、
全然片肘張らずにいろんな人と働いて、
いろんな人の能力を引き出した方がいいじゃん、みたいに思ったのと、
やっぱりメルカリすごく働き方もすごく今風で、
でもこういう会社のミッションやディスプリンや仕組みがあれば、
すごく大きな事業を作れるんだっていう意味で、
ガムシャレにやってた自分のやり方と対局で。
確かに。そうなんですよね。
割と子参の青焼きウォッチャーとしては、
やっぱり僕が本当に若者だったときは、
戦神としての青焼き伝説が多すぎてですね、
地獄のように働き、驚くほどマイクロに詰め続けるみたいな。
やってましたね。否定できないですね。
全て自分ですね。
でもそれでディール決めてくるっていうタイプの、
でもそこから明確にスタイルチェンジしていってるわけですよね。
30代で変化していますね。
アメリカに行ってすごく優秀なインド人の同僚、
買った会社のCEOだった人に、
アメリカのナンバー2になってもらったんですけれども、
この人の方がめちゃくちゃ優秀なわけですよ。
当然しかもローカルの人で。ただ彼はインドを捨てて来てるわけですけど、
カルフォルニアに。そんな人たちと一緒に働いて、
いやいやと、自分はこれスタイルチェンジしなきゃなと。
いうふうに思ったのは一つのきっかけ。
あとはグリー時代に360度評価ということで入れたときに、
これはもう田中さんの意図だと思うんですけど、
50人ぐらいのフィードバックをもらうように指定されまして、
50人からコメントを匿名でもらうというのがあって、
非常に、ただ点数はすごく高く出てて、
おかしいな、おかしいなって田中さんに言ってたんですけど、
点数は出てるんだけど、やっぱり一個一個のコメントを見ていくと、
自分はもしかしたら怖がられてるし、
変わった方がいいかもっていうのは明確にそこに出ていて、
結構メルカリでもエグゼクティブのアセスメントということで、
サクセッションプランニングの一環で、自分についてのインタビューを
いろんな人にしてもらって、それを匿名なんだけど
だいたいわかるんですけどね、誰が何を言ってくれてるのか、
っていう人のフィードバックをもらえるありがたい機会があって、
それをみんなで一緒に見ながらですね、
こういうふうに僕、みんなからフィードバックもらって
こうしていこうと思うんだけど、みたいな話をする機会とかもあって、
結構それはそれぞれの会社でもらったフィードバックに、
最初の一瞬間はぐぬぬぬって思うんですけれども、
そこから消化して、じゃあ変えてみようみたいな。
これから半年、1年自分変えてみます、みたいなことを周囲に宣言したりしてですね。
変わっても昔の履歴が残ってるんで、
人はちょっと恐れてたりするんですけれども、
多分10年前に一緒に働いた人と、最近去年働いた人では
多分印象が違うのかなと。
リーダーの自己変革ってすごい難しいテーマだなと思っていて、
なぜかというと、特に勝ち続けてるリーダーは、
とはいえ勝ちっていうトラックを残してるじゃんっていう中で、
自分をどういうふうに変えるかっていうインセンティブって、
すごい作るの難しいなっていう。
さらにこれ起業して難しくなったなと思ってまして、
今までは結構いろんな方がフィードバックをくれたんですけれども、
今回は自分がCEOファウンダーになっているので、
それをもらえる仕組みを作らないと、
どこかで自分が限界になるっていうことは自覚はしていて、
それがちゃんと自分たちが会社の限界を迎える前に、
自分が本当にそこで変われるかっていうのが、
NEMOがそもそも成功しなければいけないんですけれども、
その時に出てくる自分のテーマだろうなと思います。