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  2. #003 変わらないものはない、..
2024-05-07 30:36

#003 変わらないものはない、常に挑戦と自己変革の姿勢【ゲスト:newmo - 青柳直樹さん】

今回のゲストは、newmo株式会社 代表取締役CEOの青柳直樹さん。

ライドシェアという新しい領域に挑戦するに至った背景やスタートアップで求められるリーダーシップと、個人的な成長と挑戦について伺いました。


●エピソード詳細

・オープニング

・青柳さんと佐俣アンリの出会い

・金融業界からスタートアップへの転身

・newmoの創業とライドシェア事業の展望

・起業したいではなく何をやりたいか

・エンディングトーク


●ゲスト紹介

青柳直樹


newmo株式会社 代表取締役CEO


1979年生まれ。2002年慶應義塾大学総合政策学部卒業。

ドイツ証券勤務を経て、2006年グリーに入社。CFOとして資金調達、株式上場を主導するとともに、事業開発責任者としてゲームプラットフォーム立上げに従事。2011年よりサンフランシスコにて海外事業の拡大に尽力。事業統括本部長を経て、2016年9月にグリー取締役を退任、その後はメルペイ代表取締役、クラウドワークス社外取締役、メルカリ上級執行役員を経て、2021年にはメルコインの代表取締役CEOに就任。

現在は2024年1月にnewmo株式会社を設立し、ライドシェア事業の領域で新たなビジネスに取り組んでいる。


newmo株式会社 ( https://newmo.me/ )


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サマリー

青柳直樹氏は、自身の経歴と価値観について語り、起業家としての挑戦や自己変革について深く掘り下げています。彼はインターネットに対する情熱を持ち、新しい産業への移行の重要性を強調しています。リスクを取りながら成長する姿勢が、多くのビジネスの成功につながっていると考えています。このエピソードでは、青柳氏が挑戦と自己変革の重要性について語り、特にメルカリでの経験や成長に触れています。また、ライドシェアや新たな事業への貢献に対する情熱、そしてチームや環境の影響についても深く考察されています。新しい挑戦と自己変革に関する姿勢について語られ、青柳氏の経験を通じてリーダーシップにおける自己変革の難しさが示されています。彼の会社の成長に向けたビジョンと、過去の経験からの学びが強調されています。

青柳直樹の経歴
こんにちは、創業期のスタートアップ投資に特化したベンチャーキャピタル、ANRIの代表、さまたANRIです。
この番組では、毎回様々な企業家をゲストにお呼びし、企業家を突き動かす熱について深く掘り下げていきます。
今回のゲストは、NEWMO株式会社代表取締役CEOの青柳直樹様にお越しいただきました。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
では早速なんですが、青柳さんのこれまでの経歴等を踏まえて、簡単に自己紹介していただいてもよろしいでしょうか。
はい、わかりました。
私は2002年に慶応大学のSFCを卒業しました。
大学時代には、エンジェル投資家の有明さんとか、いろんな会社の社外取締役をやっている琴坂さんとかが、
同級生ではないんですけれども、大学時代に知り合った友人ということで、
その後ですね、ドイツ証券というところに4年間ほど勤務をしました。
お客様は半導体の会社とか、やっぱり楽天とか、そういう会社がお客様で、
テーブルの向こう側にいる人たちに憧れてですね、
2006年にグリーに入りました。
グリーではCFOということで入社をしまして、上場も経験して、
そこをですね、徐々にコーポレートよりも事業がやりたくなりまして、
2009年、10年ぐらいから事業のほうをやり始めて、
2011年からはアメリカのカルフォルニア、サンフランシスコに赴任をして、
海外事業というところをやってきました。
グリーは10年ほど勤めて退職をして、2017年の末頃からですね、
仮に加わって、メルペイですとか、メルコインの代表というものをやって、
日本事業、最後は2023年末まで担当しまして、
2023年末に退職をして、今年1月に起業したということです。
挑戦の姿勢
おめでとうございます。
ありがとうございます。
今日ですね、僕のテーマは、
アホヘキさんのプロフィールが強そうすぎるっていうのがあって、
どうしても直前に青柳直樹って検索したんですよ。
あまりにも強そう。
青柳さんって人がどういうモチベーションを持ったとか、
どんなダメな人だったのかみたいなことを聞けると、
なんかやっぱり青柳さんも人間なんだなっていうことが伝わるといいなというのが、
私の裏テーマでございます。
ありがとうございます。
一番初めに、僕と青柳さんの関係でいくと、
僕のファンドの一番初期からの支援者。
アンリーさん1号に支援というか、
ご出資をさせていただきました。
あれって何がきっかけでしたっけね。
いらっしゃったんですよね、アンリーさんが。
たぶん面白い人たちを出資者に募ろうということで、
その中にグリーを介してということで、
どちらかというとあの時は会社というよりは個人でと。
まだグリー社がいわゆるLP投資を本格的にやる前のフェーズで、
社内これどう整理しようと。
なかなか整理しがたい時期で。
でもこれは応援したいというので、
個人で出資をさせていただいたのが、
事業というかビジネスでお付き合いする始まりでしたね。
確かに。
あの時やっぱり神だったんですよね、青柳さんが。
たまたまいる場所が良かったんだと思うんですよね。
モバイルインターネット来て、
ソーシャルネットワーク重なるところにいて、
ちょうどそういうスタートアップ始まる、
まだスタートアップって言ってなかった、
ベンチャーって言って終わり頃っていう、
だったかなと思います。
青柳さんが作った一つの偉大な歴史は、
投資銀行の人がスタートアップに行って、
CFOロールをしていくっていうのの先駆け?
そうですね、まだ一般化していなかった頃で、
私の前だと、
おそらく楽天に行った山田さんや高山さんが、
特に山田さんがゴールドマンから楽天という形で、
ただ彼らは後銀出身で、
たしかに、そっか。
生谷さんのある種先輩や同級生ということで、
本当に投資銀行をある種大量採用時代で、
みんな投資銀行を続けるか、
PEファンドに行ったんですよね。
ただ私はインターネットが好きすぎて、
それは結果的に先駆けになったというところですね。
これインターネット好きはどこからなんですか?
これ大学のSFCかなと思います。
ちなみに僕、貴重な我が高校の…
慶応保宿校。
慶応保宿校の…
安里さんや大井さんが同じ学校で。
で、埼玉の学校からSFCってめちゃめちゃレアだった。
埼玉から庄内に行くのは2時間かかるじゃないですか。
普通行かない進路ってこれマニアックなんですけど、
結構強い思い持ってそもそもSFC行ってるんじゃないかなっていう。
高校生の時に、私は部活やってたんですけど、
膝を壊してテニス部を2年生の時に辞めて、
1年ぐらい結構麻雀打ってたんですけど。
やっぱそれは全員登録したんですね。
ただ早めに来たモラトリアムみたいなところから、
大学の進路どうしようって。
もともとは多分理工学部とかに行こうと思ってたんですよ。
コンピューターとか好きで。
ただ調べているとどうやらということで、
当時SFCの学生の方がたくさんウェブページ作ってて、
大学生活を発信してたんです。
結構当時インターネットで配信するって先駆けてますよね。
まだあんまり?
96年、97年ぐらいで。
かなり早いですね。
ネットスケープで見て、
でもなんかこの大学生いいなって思ってしまって、
それがSFCに行った理由。
で、大学に行ったら村井先生がいたんですよ。
で、ある種思想からインターネットの基礎的な技術の話をしていて、
しかも授業がオンラインで行われるっていうのが一部行われていて。
その時代に?
はい。
すごいですよ、それ。
で、これだなっていうふうに思ったっていうのが最初ですね。
そうか。
じゃあもうそこからずっとインターネットであると。
はい。
あと私父親が昔ゼネコンに勤めてて、
父親ゴルフ場とかダムとかトンネルとか作ってたんですけれども、
民事再生法でやっぱバブルが終わって、
その時期ですね。
父親の会社が再生プロセスに入るというのを身近で見ていて、
開かないなと。
なるほど。
やっぱり新しい産業に自分は行かないと、
何もずっと同じであるものはないなっていうこととか、
あと中学受験も私は第一志望の学校に落ちて、
ただ結果的にいった形容が良かったんですけれども、
自分より優秀なやつたくさんいるなというのは、
結構いろいろなところで気がついて。
面白い。
自分は他の人と違うポジションで違うことをやっていくべきだっていうのが、
中高ぐらいの経験でやっぱりあって、
快晴東大から外務省行く人、日銀行く人、たくさん友達にはいるんですけれども、
そういう人たちの土俵ではないところでやろうやろうと思ったら、
違うことで力を身に付けて新しい産業に行こうという、
なんかここはずっと変わらないかな。
それですね、もうここから来るグリーンにせよ、
メルカリにせよ、ニューモにせよ、全部繋がる、
結構根底に流れるストーリーな感じがしますね。
自分の中では意思決定しようと思った時に、
今までの経験は生きるんだけど、新しいことをやっていこうとか、
あとちょっとやっぱり何年かすると落ち着いてきちゃって、
そこに対して自分で危機感を勝手に覚えていって、
新しいものとかチャレンジを取り入れようとしてしまう性質が、
多分本能的にあるんだと思いますね。
成功への道
僕ね、その部分が一番アボギーさんの掘りたい部分ですね。
ありがとうございます。
めちゃめちゃ絶好調の時に、
なんでそれを挑戦するのになるタイプなんでしょうね。
投資銀行を辞める時はリーマンショックが起きる前だったので、
先輩たちからは何考えてるんだと、
本当に親身に皆さん止めていただいて、
ただその後3,4年経って結果リーマンショックが起きて、
会社はそこを越えて上場して、
その時止めてくださった皆さんが、
お前よく頑張ったなと言ってくれて報われて、
いいなとこういうリスクを取って、
タイムラグやギャップがあるんですけれども、
後でそれがいいねって言ってもらえるっていうのは、
すごい自分の中で良かった経験で、
これをやり続けたいなと思ってます。
早速掘りたいんですけど、気になりすぎて。
これ何なんですかね。
絶好調なわけじゃないですか。
絶好調なわけで来ると思うんですか、ある日。
これはこのままでいいんだろうかみたいな。
いや、投資銀行を辞めた時は、
バンカー向いてたと思うんですけど、
一方で本当に30代40代のすごいバンカーの方々は、
肝臓を使ってですね、案件取ってくるわけですよ。
なるほど。
で、皆さんこう海外のMBAとか行って、
役もあっていう人たちがやってるに対して、
僕は大丈夫だろうかと。
で、やっぱり早く、
自分だけができる挑戦をしたほうがいいんじゃないかっていうふうに、
その時はどちらかというと不安もありましたね。
あとやっぱり目の前に現れた、
当時はライブドアとかもですね、
まだ事件が起きる前とかでやっぱりやんちゃしてて。
あと楽天さんが海外で買収をしたり、
球団を始めるっていうのを見ていて、
やっぱりそういうまだ自分が何者でもない時に、
何かを成している人たちに会って、
自分はどうなるんだみたいな。
どうなりたいんだ。
で、その時もしかしたら楽天に入ってても良かったんですけど、
今の楽天に入るよりは、
これから楽天のように大きくなる会社に入ろうと思って、
いくつかの会社のCEOに会ってですね、
ケミストリー的に田中さんと合うんじゃないかっていうふうに思って、
やるテーマも大きくは見つかって、
それで飛び込んだっていう感じですね。
だから出来上がってるプロフィールを見るとですね、
結果的に全部正解になってるので。
いやすごいね。僕、運がいいんだと思うんですよ。
これね、めっちゃ面白いんですよ。
挑戦することの重要性
正解になってるから、すげえ強そうに見えるんですけど、
確かに選んでるタイミング的には、
なんでそこ行くんだって言われたタイミングなんでしょうね。
自分的には毎回、大きいテーマは、
モバイル、インターネット来るよねと。
それがソーシャルなのかゲームなのかは分かってなかったです。
ただ、少なくともインターネットといった時にモバイルになっていく。
っていうのは2006年の時には分かっていたかなと。
なるほど。
大きくは。
で、スタートアップが少ない。
ミクシーとかドリコムとかハテナとかあったんですけど、
確かに。
なかなか少なくって、逆にこれはすごくいいんじゃないか。
あとは、僕が常に気にしているのは一緒にやる人が、
創業者も大きいんですけど、チーム。
このチームだったら、究極うどん屋やっても大丈夫みたいな。
うどん屋やらないんですけれども、
というぐらいいいチームができそうだなみたいなところで、
自分がそこにいるイメージが湧いた時に参画していて。
グリーもメルカリも、そういう意味では悩んだ時に、
なんか金銭的なものとかだと、投資インコをPEのほうがいいし、
正直、メルカリ入る時も他に魅力的な話もあって。
で、悩んだんですけども、日本のキャッシュレス。
このメルカリ、当時すごい奇跡的な成長をしていて、
グリーで学んでないことがここにあるかも。
この仲間たちとやった時の自分が、
いい関係で貢献できているイメージが、
会話している中で湧いて。
それで決めたんですけれども、メルカリに入るって、
小泉と山田に電話で伝えた時驚かれました。
来ないと思ってたみたいな。
ただその直前まで結構、いくつか並行検討したってわけですよね。
そうですね。まずはこのライドシェアの検討をずっとしていて、
自分で会社を法人は作って、調達をする手前まで行って、
調達一度してしまったらやはりそこにオブリゲーションも発生するので、
ただ当時はライドシェアのウィンドウは開いてなかったというので、
結構自分的にはもやもやした挫折なんですが、
そこでただもやもやずっとしてられないということで、
一旦ちゃんと社会に貢献して働こうというふうに、
2017年の10月ぐらいに決めて、11月にメルカリに入社しました。
ありましたね。確かにその頃も結構会話させてもらった気がしますね。
ライドシェアへの思い
はい。ありがとうございます。
確かにライドシェアのテーマっていうのは、
僕の中でもすごい長く追っているテーマだったので。
そうですよね。
これは僕らの中でも2015年とかぐらいから、
やっぱり日本の交通の中でこれをスタートアップでやりたいっていうのが。
おそらく2号ファンドの時にはもう安里さんおっしゃってたかなと思っています。
私はまだその当時はグリーにいて、
グローバルの挑戦とかソーシャルゲームをやっていたんですけれども、
2016年にちょうど会社を離れて、そこで時間ができたんですよね。
で、次自分何やろうというので、ある種投資家っていうのを考えたんですけれども、
スタートアップスタジオとかですね。
話してましたね、それ。
どうだろうと思ったんですけれども、
それを考えている中で、
いや、青柳さん一つに決めたほうがいいよというふうに言われまして、
私2016年から17年が一番演じる投資家としてアクティブにやっていた時期で、
幸いそのタイミングに投資した会社って上場する会社や、
エグジットする会社や、大きく伸びる会社出て、
投資家としてはですね、グリー時代も投資して半分ぐらいの会社が上場していきました。
値段高いな。
ということをやっていたんですが、どうしても投資をして経営者を応援していると、
自分がやりたくなってしまうっていう。
そっちの人ですね。
はい。ところに気がついて、
2016年、17年、自分は何やろうと思った時に、
私もですね、この交通のテーマやりたいなっていうふうに、
もうこれは思ってしまったっていうところなんですよ。
きっかけ何だったんですかね。
もともとはアメリカに住んでいたっていうのがあって、
そこで最初、車自分で運転してたんですが、
あまりにもパーキングロッドを見つけて、運転するのがちょっと苦痛で、
事業をやりたいと思った時に、車を売ってですね、
なるほど。
Uberで移動する生活にしたら、そちらのほうがとても良かったっていうのが、
現体験としてあって、
日本に帰ってくるたびにないなと。
これ実現しないかなと思っていた個人の体験があります。
加えて、2017年に何やろうと思った時に、
やっぱり自分の強みが生きて、
やっぱり自分の体験に基づくものがいいなと。
これはやっぱりグリーで田中さん見ていても、
本当にその中学生、小学生からゲームとか好きで、
そうなんですね。
細かく物作りすることがやっていて、という強みと、
これは後で楽天だったり、グリーやりながら身につけた経営としてのスキルみたいなものを、
組み合わせて会社を大きくしていくのを見ていて、
やっぱり自分らしさ出していかないとなって思った時に、
自分がそういう体験を知っていて、
このテーマはとてもお金がいるなと。
確かに。
元々CFOをやっていたというところがあって、
投資家の方々も知っている方が多いですし、
実際にその事業を伸ばす時のファイナンスの使い方みたいなところが、
これはお金を集めてファンドをやるよりも、
お金が必要でそこにレバルチェックがかけられる事業をやったらいいんじゃないかというふうに思って、
自己変革と新たな道
突き進んでいきました。
タクシーの2種免許を取ってみたり。
結構大変ですけどね、2種取るの。
実際やってみようというところで始めて、
タクシー業界のルールとかを知っていて、
いろんなタクシー会社さんをお会いするんですけれども、
やればやるほどですね、
これは無理ゲーなんじゃないかというのが、
2016年、17年の当時はあって、
いろいろトライしたんですけれども、
なかなか自分たちだけでは扉を開けないと思って、
一度このテーマはしまうことにしたんですが、
火がつきましたね。
結構そこそこ土砂回りもやってたんですよね。
そういう回ったりとか免許取ったりとか。
どこかで起業したいみたいなのはあったんですか。
CFOだけじゃないんですよね。事業側もやる。
そうですね。CFOはグリーで2012年までで、
どちらかというと事業をやってるキャリアのほうが、
もう長いんだ。
圧倒的に長いんですよ。
確かに。
そちらのほうが面白いと自分は思うタイプ。
自分よりもやはりCFOだったり、
ちゃんと財務守りやるっていうのが長けた人もいるなと。
フリーで一時期財務のトップをやってくださっていた水野さんという方がいて、
いくつかいいすごいためになる記事を東洋経済オンラインとかで書いてるんですけれども、
こういう方とご一緒していて、
なおさら自分はより自分が生きる。
やっぱり新しい事業をやるほうがいいなと思って、
メルカリの中でも新規事業。
メルカリがすごく伸びて、
マーケットプレスがすごく一歩足にならないように、
多分会社をいい意味で変化させてかき回すために、
新太郎さん僕を呼んだんだと僕は思っていて、
自分はある種これは生図なのか、
違う旗を立てる人として呼ばれたというふうに勝手に思っていて、
ただ同時にメルカリ経営陣としての一体感とかハーモニーみたいな、
よく遠心力をどんどん起こしていくタイプがいるんですけど、
これは後で会社に歪みとか圧力をもたらすので、
それをやらないけれども新しい事業をやるっていう人が必要だろうと思って、
これはいいなというふうに思って、
メルペイとかメルコインとかやってました。
暗号師さんとか本当にもう、
ブロックチェーン技術がメルカリのマーケットプレスでいずれ大きく変えていく必要になる、
というふうに思うと同時に、個人的にやっぱり興味がありすぎて、このテーマに。
確かに。
で、これをその金融当局とともにやってみたい。
こんなんだからこそやるみたいな、いうところがありました。
そこら辺のあれですよね、
青木さんの着想の無邪気さとオペレーションの老快さみたいなところは、
もしかしたらその今のメルカリとか経て、青木さん強みなのかもしれないですね。
自分自身が予期しない形でうまく開いたとは思っていて、
金融事業なので、結果的にその、
行政の方とか政治の方とか業界団体とか、
いろんな人たちとお付き合いをして、
一緒の利益みたいなものを作りながらやっていく必要があって、
昔の僕はもっと荒々しくって戦っていたと思うんですけれども、
そこは実はこのスタイルの方がいいかな、みたいなものはですね、
最初のCFO時代とその後アメリカに行って、
よりカルフォルニアの天気の下で多国籍の人たちと働いて、
全然片肘張らずにいろんな人と働いて、
いろんな人の能力を引き出した方がいいじゃん、みたいに思ったのと、
やっぱりメルカリすごく働き方もすごく今風で、
でもこういう会社のミッションやディスプリンや仕組みがあれば、
すごく大きな事業を作れるんだっていう意味で、
ガムシャレにやってた自分のやり方と対局で。
確かに。そうなんですよね。
割と子参の青焼きウォッチャーとしては、
やっぱり僕が本当に若者だったときは、
戦神としての青焼き伝説が多すぎてですね、
地獄のように働き、驚くほどマイクロに詰め続けるみたいな。
やってましたね。否定できないですね。
全て自分ですね。
でもそれでディール決めてくるっていうタイプの、
でもそこから明確にスタイルチェンジしていってるわけですよね。
30代で変化していますね。
アメリカに行ってすごく優秀なインド人の同僚、
自己変革の重要性
買った会社のCEOだった人に、
アメリカのナンバー2になってもらったんですけれども、
この人の方がめちゃくちゃ優秀なわけですよ。
当然しかもローカルの人で。ただ彼はインドを捨てて来てるわけですけど、
カルフォルニアに。そんな人たちと一緒に働いて、
いやいやと、自分はこれスタイルチェンジしなきゃなと。
いうふうに思ったのは一つのきっかけ。
あとはグリー時代に360度評価ということで入れたときに、
これはもう田中さんの意図だと思うんですけど、
50人ぐらいのフィードバックをもらうように指定されまして、
50人からコメントを匿名でもらうというのがあって、
非常に、ただ点数はすごく高く出てて、
おかしいな、おかしいなって田中さんに言ってたんですけど、
点数は出てるんだけど、やっぱり一個一個のコメントを見ていくと、
自分はもしかしたら怖がられてるし、
変わった方がいいかもっていうのは明確にそこに出ていて、
結構メルカリでもエグゼクティブのアセスメントということで、
サクセッションプランニングの一環で、自分についてのインタビューを
いろんな人にしてもらって、それを匿名なんだけど
だいたいわかるんですけどね、誰が何を言ってくれてるのか、
っていう人のフィードバックをもらえるありがたい機会があって、
それをみんなで一緒に見ながらですね、
こういうふうに僕、みんなからフィードバックもらって
こうしていこうと思うんだけど、みたいな話をする機会とかもあって、
結構それはそれぞれの会社でもらったフィードバックに、
最初の一瞬間はぐぬぬぬって思うんですけれども、
そこから消化して、じゃあ変えてみようみたいな。
これから半年、1年自分変えてみます、みたいなことを周囲に宣言したりしてですね。
変わっても昔の履歴が残ってるんで、
人はちょっと恐れてたりするんですけれども、
多分10年前に一緒に働いた人と、最近去年働いた人では
多分印象が違うのかなと。
リーダーの自己変革ってすごい難しいテーマだなと思っていて、
なぜかというと、特に勝ち続けてるリーダーは、
とはいえ勝ちっていうトラックを残してるじゃんっていう中で、
自分をどういうふうに変えるかっていうインセンティブって、
すごい作るの難しいなっていう。
さらにこれ起業して難しくなったなと思ってまして、
今までは結構いろんな方がフィードバックをくれたんですけれども、
今回は自分がCEOファウンダーになっているので、
それをもらえる仕組みを作らないと、
どこかで自分が限界になるっていうことは自覚はしていて、
それがちゃんと自分たちが会社の限界を迎える前に、
自分が本当にそこで変われるかっていうのが、
NEMOがそもそも成功しなければいけないんですけれども、
その時に出てくる自分のテーマだろうなと思います。
起業家の視点
なるほど。
もう僕本当にいまだにやっぱり戦神のイメージが強すぎて。
今も好きなんですよ。
よりリスク取って新しい市場で、
メルペインにしても、メルコインにしても、今回のライブシェアにしても、
本当はですね、誰も見てない市場にスッと入っていって過剰する方が、
事業としてはいいんですけど、
なぜかあえて盛り上がっているところに、
いやーって飛び込んでいってしまうところがあるんで。
でもインターフェースとか、
コミュニケーションとかはだいぶ変わったと思うし、
マネジメントスタイルも変わったんですけれども、
そういうところが好きっていうところだけは変わってない気がしていて。
確かに。
これは自分なんだなって思ってしまってますね。
確かに。
起業したいみたいなところから今回出発していなくて、
なんか自分がインターネット大好きで起業したいみたいな思いは、
おそらく20代の半ばぐらいまでのほうがありました。
で、それはもうその起業家と言われる人たちに憧れて、
そうなって世の中変えていきたいというふうに思っていたんですが、
ちょっとメルカリ経験して、
何やるか、誰とやるかがすごく重要で、
自分がそのときそのときにおいて、
グループのCEOがあったり、
No.2があったり、
1執行役員があったりということで、
これいいなと。
よりみんなでやったほうが大きいことを短期間でできるなというふうには思って、
起業したい欲みたいなものは薄れていったんですよ。
そうなんだ。
会社を売って、その後次何やろうかって悩んでる起業家とかもたくさん見ているし、
上場しても別にそれが幸せとも限らないというのも見ていて、
なんかもう上場したいとか起業したいとかじゃなくて、
何やりたいみたいなところになって、
ライドシェアのテーマでなければ、僕はまだ起業してなかったと思います。
面白い。
というところでいい感じの時間になってきたので、
第3回はニューモ株式会社代表取締役CEOの青木直樹さんにお越しいただきました。
今回はこれまでの話がメインでしたが、
次回はこれからの話を伺っていきたいと思います。
そして番組ではメッセージを募集しています。
ポッドキャストの感想や私、佐又安里への質問、
今後の希望ゲストなど何度もお寄せください。
また安里では企業相談や資金調達の相談を受け付けております。
どちらも番組概要欄のグーグルフォームからメッセージを送りください。
それからXなどSNSでもぜひ感想をつき合いください。
ハッシュタグはハッシュハートに火をつけろでお願いします。
それでは次回もお楽しみに。
圧倒的な未来を作るのは君だ。
ハートに火をつけろ。
30:36

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