1. ハートに火をつけろ by ANRI
  2. #009 アスリートから起業家へ..
2024-08-06 32:22

#009 アスリートから起業家へ! あえて困難な道を選ぶことで得たものとは【ゲスト:フェンシング オリンピック銀メダリスト - 太田雄貴さん】

今回のゲストは、日本初のフェンシング オリンピック銀メダリストであり、現在は国際フェンシング連盟理事をはじめ、数々のスポーツ振興活動に携わっている 太田雄貴さん。

オリンピックメダリストから起業家へ。その決断をするに至った経緯やマインドセットについてお伺いしました。


●エピソード詳細

・オープニング

・オリンピックで勝つ人とは

・アスリートから起業家へ転身したきっかけ

・全く予期していなかったフェンシング協会会長就任

・企業における日本とアメリカの戦い方の違いとは

・エンディングトーク


●ゲスト紹介

太田雄貴

国際フェンシング連盟理事 | IOC委員

1985年生まれ、京都府出身。 日本初のフェンシング銀メダリスト。公益社団法人日本フェンシング協会元会長。

現在は国際フェンシング連盟理事やIOC委員として活躍中。


太田雄貴さん Xアカウント( https://x.com/yuki_ota_japan )


●番組へのメッセージフォーム

https://forms.gle/HsggHGEzxZhgJBkQ8

SNSからは「#ハートに火をつけろ」で感想などお待ちしております!


●起業・資金調達の相談

https://bit.ly/4c5h8h6


●制作

PitPa Podcast



See Privacy Policy at https://art19.com/privacy and California Privacy Notice at https://art19.com/privacy#do-not-sell-my-info.

00:06
ハートに火をつけろ!
こんにちは、創業期のスタートアップ投資に特化したベンチャーキャプタル、
ANRIの代表、様田ANRIです。
この番組では、毎回様々な起業家をゲストにお呼びし、
起業家を突き動かす熱について、深く取り下げていきます。
今回のゲストは、日本初のフェンシング・オリンピック銀メダリストであり、
現在は国際フェンシング連盟理事をはじめ、数々のスポーツ振興活動に携わっている
太田雄貴様に推していただきました、太田さん、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いや、嬉しい。
嬉しい。
直前の回が、漫画家の稲垣さんという、
アイシルド21とか書いている漫画家さんで、太田さんなんで。
なるほど。じゃあ、がっつり起業家だけというよりは、起業家精神を持っている。
さすが。もう何も言わなくても分かっている。
人たちがゲストに多いって感じなんですか?
そうですね。僕の中では、スタートは僕らの周りの起業家さん、お話なんですけど、
聞いている方はどちらかというとスタートアップ関係の方が多い中で、
僕としてはやっぱり、幅広い意味でいろんな産業で起業家している人。
なるほどね。
っていうのに興味があるんです。
起業家の方としても、起業家の話を聞くのも、もちろんモチベーションが上がるんですけども、
幅広い意味でいろんな産業で起業家っているんだよ。
なるほどね。
いるじゃないですか。そこそこね。ジーワンダー40とかで見ると、政治家で起業家っぽい人。
います。
とか、官僚でも起業家っぽい人とか、やっぱりいろんなポジションに起業家っぽい人いるなって中で、
太田さんは僕の中では、もうだいぶ前から普通の起業家。
いやいや、ほんとそれはですけど。いわゆるアントレプライナーシップってやつですよね。
そうそう。
そういったものが日々の仕事のヒントになるんじゃないかなという中で、
どんどん不思議な方向に行っていて、今は料理人とかでいないかなとかを考えているところです。
それは全然僕が、テレフォンショッキングのようにつないでいきますよ。
それもそう。テレフォンショッキングって例えが、もうそろそろ通じなくなっているんだなって思いながら、
そうなんですって考えているんですけど、ちょっと一旦ですね。
さすがに太田さんなりものだってことはないかもしれないけど、
いやいや、そんなもんないですけど。
もしかしたら高校生とかになると、太田さんが…
いや、知らないです。知らないです。
僕も引退して7年経つんですね。
最初に、1985年生まれで、今39の歳で、
オリンピック4大会であって、2004、8、12、16までなんで、
16で引退しているので、もう8年経っているんですよ。
それでいうと、今の高校生8年前って言ったら、記憶ないし、最後にメダル取ったの12年なので、
03:01
今から12年前ですか?
そうすると、もちろん記憶もないですし、
どっちかというと、東京オリンピック招致して、東京イエーってガッツポーズして、
爆泣きしてる。
爆泣きしてる人っていう印象の方が強いかもしれないですね。
それで、最後にオリンピック出たのが2016年のリオで、
僕、その2016年のリオの前に、世界選手権優勝するんですよ。2015年なんですけども、
これは人生で取りたかったタイトルの一つが取れて、
16年のオリンピックは、世界ランキング1位で出て、
もちろんフェンシング界のみならスポーツ界で、
期待もされて、出て、1回戦で負けるんですよ。
その時に、やっぱりオリンピックって場所は、
勝ちに行くやつじゃないと勝てない場所だなっていうのを、改めて感じたんですね。
で、12年の時に、勝ちに行って勝ちに行って、団体で銀、個人もビスト16位で負けちゃって、
一度引退して、いろんな生徒と企業家の人とかあったり、
ライフスタイルの中にスポーツを僕は置いたんですよ。
要は、人生の中における遠熟みを持ったスポーツとの向き合いをしたんですけど、
やっぱりオリンピックって場所は、やるかやられるかみたいな、
それこそスタートアップでいう創業期かつ、一番厚く叩かなきゃいけない時期に近くて、
マチュアというか、大人びっちゃうと勝てる場所じゃないというか、
なんかふわっと入っちゃったんですよね。
それが自然体で入れんじゃないかと思って。
だけど、4回目なのに、もう空気には飲まれる、全部空回りする、1回戦敗退するみたいな。
結構僕の中では、オリンピックはすごい栄光もくれたし、
人生の教訓というか、舐めんなよみたいなところもくれた場所だったりするので。
小沢さん、めっちゃ面白いのは、本読んでても割とトライアンドエラーしてるんであると。
割と結構戦い方を変えてみようと思って、あ、やべえって言って慌てて戻すとか。
結構トライアンドエラーする。
そうですね。できる限り人間なのでミスもしたくないし、
できる限り正解を早めにたどり着きたいとは思ってるものの、
なかなかそうはいかなくていいんだっていうのが、フェンシングの時もそうだし、今もそうだし。
特にフェンシングにおいては、国際大会、自分の人生を通して120試合ぐらいワールドカップって言われてる大会出て、
優勝って3回しかしてないんですよ。
ということは、117回は少なくても1回以上負けてるんですよね。
06:02
銀メダルが10回、15回だとするなら、表彰台立ってるのも120分の20とか25とかだとすると、
ほとんどはベスト8とかで負けるけど、そのうちの1回オリンピックで引くっていうのは、
実力以上のものをオリンピックで出せる人と出せない人っていうのは、
それこそこのテーマにある熱じゃないんですけど、
本当に勝ちたいと思ってる人じゃないと、あの表彰台には立ってないなっていうのが、
いろんなオリンピック選手を見てて感じるところかなって気がしますね。
初めてアスリートとして意識した。
いやいやいや、そうなんですよ。もともとはアスリートだったんですよ。
だいぶ前にね、僕も忘れましたけど。
そうか。そこから大田さんの中では、僕の中ではもう、
Y社黒には結構アントレプリナーみが強まってる。
そうですね。
なんか自分の中でアスリートっぽい感覚とアントレプリナーっぽい感覚って、
なんか切り分けてるとか違うもんだって感覚あるんですか?
なんか、アスリートっぽかったのは、おそらく2012年ぐらいまでで、
2012年の前に遡ること、2008年に、まず北京オリンピックでメダルが来たんですね。
北京でメダルを取った時に、当時知り合いだった人に、こう言われたんですよ。
大田君と、今だったらあんた誰でも会ってくれるよと。
なるほどね。
今このメダルを取って、日本中が君を認知してるこの瞬間であれば、
誰でも会えるよって言われたんですよ。
なるほど。
誰に会いたいの?って言われた時、僕まだ22歳なわけですよ。
尖ってるわけですよ。
会いたい人は特にいませんみたいな感じなわけですよ。
尖りまくってるんで。
尖ってますね。正しく尖ってますね。
尖ってるわけですよ。別にもうないですよみたいな。
地球を制したかの気分なわけですよ。
正しくアスリートですね。
そこから、いろんなアスリートの横のつながりみたいなのが、徐々にフェンシング以外にできるようになるんですよ。
多分その中にタメセイ大さんがいたりとか、柔道の野村忠弘さんがいたりとか。
柔道の野村さんに関しては、モチベーションが上がんないですみたいなことを僕が言ってたら、
いやいやいやと、お前言うたって銀メダルやぞと。
俺はオリンピックで負けてへんって言われて。
そういう、自分よりもっと成し得てる人たちに囲まれてたのが、12年ぐらいまでで。
その時に12年の時に、ようやくスポーツ以外のとこにも関心を持つようになってたわけですよ。
12年でメダルを取った時は、スポーツ界じゃない人たちとできる限り会いたいって思って、
その時に一番最初に会ったのが、グリーンの田中さんだったんですよ。
そこでいなり引きましたね、田中さんを。
でも、要は当時は僕、勉強ができるイコールビジネスで成功するというくらい、
09:06
法定式が間違えてるんですよ。
なるほど。
何がビジネスが、仕事が成功する定義が、完全に分かってないんで、
その中で田中さんとの出会いだったり、ライフネットの岩瀬さんとの出会いで、
皆さんが一回、僕のお誕生日という手でフェンシングの普及も含めてやってくださった中に、
今、ビズリーチ創業者の南曽一郎さんだったり、
アットコスメの吉島さんだったり、
オイシックスの高嶋さんがおられて、
そこからだーっと広がっていって、G1に行くようになって、
そこからはほぼ企業家の皆さんに囲まれるっていう人生って感じですよね。
なるほどな。
そこから、僕も太田さんにお知り合いになる前に、
南さんか、セプテン社長だった佐藤幸樹さんに、
太田は多分企業家だからあれは、
多分企業をしても別にうまくいくタイプだって評価してるのを聞いて、
そうなんだと思って、でもその数年後にお会いして、
確かに一般的なアントレプレナーの所作だなって。
たまたま自分が好きだなと思う人たちが、
マリンさんも含めてみんなアントレプレナーなんですよ。
これ何でだろうって自分なりに分析したら、
やっぱり僕個人競技で誰のせいにもできないじゃないですか。
アントレプレナーの人って人のせいに絶対できないじゃないですか。
人のせいにするってことはすなわち自分が負けたということだと思うので、
どんなことがあっても全部自分の責任ですって言えるような人たちが多いのが、
すごく好きだなって思って、
そういう人たちをつるむとやっぱりどうしても引かれるし引っ張られるし、
それが僕にとってはすごく成長させてもらえたって感じでした。
このアントレプレナーシップ性、
僕の中ではフェンシング業界の会長に突然なっている時点で、
もう途中から意味が分からない。
僕までも本当に意味が分からなかったですよね。
基本的にあれは名誉職じゃないですか。
だいたいどこかの会社の会長さんとか、
三宅とか、やんごとない方が会長ってなるとか、
あくまでもレジェンド選手が70歳とか80歳とかでなってたりする仕事が、
31歳?
そうですね、当時31歳でしたね。
またここから僕の失敗談も含めて話していくんですけど、
2016年引退した直後に、まず起業してみたいと思うわけですね。
やっぱり周りに起業がいますよね。
そもそも起業が何たるものかよく分かってないわけですよ。
とにかく分かりやすいのは、
まずマネジメント会社に入っていたところを自分側で見れば、
少なくても一定のキャッシュフローはあるだろうと。
ということで、人を一人採用して進めたわけですよね。
12:05
でも本当に面白くてですね、
待てど暮らせど、当然仕事ができないわけですよ。
事業がないんで。
事業がないということが、
これほどまでに致命的であるということに気づいていくのに、
もちろん時間がかかるんですよね。
面白い、なるほど。
プラス、大体の芸能の方とかアスリートもそうなんですけど、
自分自身が肖像とか使って、もしくは登壇してとかっていうのって、
ある種、もともとのかかっているコストはあれど、
原価率ゼロのまるまるまみずなんですよ。
確かに。
ここに慣れてくると、なかなかビジネスを作るっていうのが、
より難しくなってくるんですよ。
仕入れするとか、固定費を抱えるみたいなのが確かに。
そうすると、よりバランスシードというか、
より軽く言いたくなってくるんで、
より、なんていうんですかね、
めべりしていくっていうのはわかってるんだが、
新しく何か始める動機もなかなか作れないみたいなのが、
しばらく続くんですよ。
なるほど。
そんなときに、だけどそれでもやっぱり企業かなと思ったときに、
スキーやってた、
美永健太郎さんが、
ユウキ、スキー行こうぜっつって、
一緒に苗葉がなんか連れてってもらったときに、
ユウキ、スポーツ、今お前全く興味ないって顔してるけど、
やっぱり今までは散々世話に上がってるから、
やっぱり大義のために働いてほしいみたいなことを言われて、
だから、お前が興味ないのは知っていると100も承知で言うけど、
フェンシング協会の理事職みたいなものが来た場合は、
絶対に断らないようにと。
めちゃめちゃいいメンターですね。
そうそう。
それで、最初はえーと思ったんですけど、
先輩がユウシーと思って理事職を受けてたら、
ちょっとフェンシング協会当時ゴタゴタがあって、
ゴタゴタの中で初めて出た理事会で、
僕は会長選に出ることになり、会長になるんですよ。
ここはもうちょっと話すの長くなるので、
全部破処理してますけど。
だから、ある日突然何の準備もない。
だから、誰も、僕の周りも含めて、僕も含めて、
全く予期してないタイミングで会長になるんですけど。
これ本当にもうサプライズ?
いや、サプライズですよ。
僕、その日、村上太一君と晩御飯食べる約束をしてて、
で、6時ねって言ってたんですけど、
なんかちょっとそういうゴタゴタがあって、
ちょっとお遅刻して、
ごめん、隊長遅れたって言ったら、
どうしたんですか太田さん、顔真っ白ですよ。
真っ白ですよ、真っ白って言って、
いやいや、実はこんなことになって、
おめでとうございますですね、とか言って。
企業化する時にニコニコして言うからな。
その時、メンシングと会長になった時には、
近いメンター相手だったのは、両親とか父親から、
困った時は難しい方か、辛い方を選びなさいって言われてたのが、
15:02
やっぱ受けないっていう選択肢もあったと思うんですけど、
どっちが一番しんどいかっていうと、
多分受けた方がしんどいので、
それで分かってんのに受けちゃうっていう。
これめっちゃやった儲け者だとかでもない?
ないですよ。
大変ですよね。給料もないし。
実情も分かってるんで、だけど。
しかもバタバタしていったタイミングで、
なることになっちゃったと思う。
ただ、一個前に、
事業がないから暇してたって話があったじゃないですか。
これ結構ですね、僕にとって重要な時間でして、
要はちょっと暇だったんですよ、僕。
なんていうんですか、今までのたくあいは最低限あるけど、
ビジネスの作り方とかが分かってないので、
これは実地のMBAだと思って受けようと思ったんですよね。
ポジティブ。
MBA行くとお金払わなきゃいけないけど、
ある種、学費を免除して、
その責任感あるスポーツMBAと思って、
フェンシング協会の会長を引き受けようと。
その代わり、4年で辞めるって決めて受けたんですよ。
これも10年やるとどうしてもさっきおっしゃったみたいに、
名誉職になるのと、
10年やるとやっぱりどうしても力がくっついてきちゃうので、
本人は望む望まなくても、
4年でスパッと辞めれたら全然問題ないだろうと思って、
4年間でできることをいっぱい一生懸命頑張ろうっていうのが、
実態でしたね。
なるほど。
そんなだったの?
僕正直なんかもうめちゃめちゃ野望を持って狙ってたかと思ったら。
どっちかというと今やってるIOCの方が狙って狙ってだったんですけど、
フェンシング協会の会長に関しては、
狙うどころか、本当に家中の栗を拾ってるので。
でもあの後に、僕逆に、
協会の会長ってやろうって言ってこんなにいろんなものを買えるんだって、
正直思ったんですよね。
そこは結構ポイントで。
ご存じない方に説明すると、
協会の収益構造とか見た上で、
ちゃんとファンを作って、
スポンサーフィーとか国の助成金以外で食えるようにしようみたいな。
そうですね。
そのためにやっぱ認知を広げるために、
一般的な大会とかにも人が来るようにしようみたいな改革をやり続けるわけですよ。
僕それはやっぱり確かに見てて知ってたんで、
あんなにやれる権利があるしやっていいんだっていうのが。
普通やっぱりですね、
会長って名誉職なので、
皆さんあんまりやられないんですけど、
でも代表権があるのは会長だけなんですよ。
もちろん代表理事と会長分けてる組織もあるんですけど、
代表権がある人が最終的にはケツを持つので、
ってことはマーケティング本部長が言おうが、
最終的には代表権がある人間が、
常にBLを睨みながら、
大会を作っていくっていうのができれば一番強いんですね。
18:01
なので、どっから始めていいかわかんなかったんですけど、
とにかくまずフェンシングをやってる人たちからも、
有機が会長でも大丈夫だと思ってもらわなきゃいけないんですよ。
確かに。
なぜならすごいカチューの栗を拾ってるので、
僕に対してやっぱりよく思ってない方も、
一定数いる中で始めてるので、
そうすると、ただでも埋まらなかったフェンシングの会場を、
有料でもいっぱいにできれば、
何か変わるんじゃないかっていう、
兆しを見せることができるんじゃないかっていうので、
大会からやるんですよ。
そういうことか。
そうなんですよ。
あえてみんなが信用しやすいものをやったってことか。
そうです。
そこら辺が企業化とかの戦い方なんですね。
なんかこう、
協会改革における一番最初のセンターピンって、
センターピン、一番ピンはやっぱり大会改革で、
メディアの皆さん含めてムードを作ってから、
例えばこういろんな定間の変更とか、
大きなものに踏み込んでいかなきゃいけないんですけど、
信任がない中でそれをやると、
やっぱり本当に爆死するんで。
もうね、この話の内容がすでに完璧に企業化なんですよね。
いやいやいや。
本当にその順序っていうのは、
もちろんこう、
なんていうんですかね、
僕も苦労しながらだったんですけど、
たまたま本当によかったのは、
当時、理事って20人いるんですけども、
昔常務理事も10人くらいいたのが、
僕の時は4人にしたんですよ。
4人以上って書いてあったんで。
なので、
4人以上は定間で決まってるから。
そう決まってるから。
ここまま持って。
4人にして、
その時の副会長をしてくださったのが、
福岡の明太子の山谷っていう会社の山谷の山本社長と、
そこそこ専務理事にブラックロックとかで、
金融でずっといた宮脇さんって呼ばれた、
お末たんですよ。
この2人を末られたのは、
ものすごく僕としては学びがあったし、
トップだけが走ってもダメだし、
実務できる人たちを横に据えていくっていう重要性を感じたのも、
教会の会長時代でしたね。
確かにそういう意味では、
僕もいろんな組織、
大学とか国とかいろんな組織の改革なしとかで、
頑張ってると聞くんですけど、
ガバナンスと人事取れてるのはでかいですね。
自分に人事権があって、
選んでいいっていうのは、
強烈な権利なんで、
だから一気に変えられたのか。
これは僕の会長前の、
1個前の星野さんって会長が辞める時に、
こんな状態で引き渡すから、
次の会長の出す訴覚案は、
1人でOKということを前提として、
選挙に行ったんですよ。
今ちょっと取り渡しました。
厚いバトンパスですね。
次の人がめちゃめちゃ困るから、
次の人がどういう結果になろうとも、
出したものは全部通すっていう前提だったんで、
ここの握りは、
めちゃくちゃありがたかったですね。
なるほど。
それでいろんな組織の人に、
21:00
会長になりましたって言ったら、
とにかく最初は小さく行けと。
小さく、小さい。
10人の常務理事もたぶんいらないから、
でも案の定、
常務理事に入れてくださいっていう、
お電話とかがすごいわけですよ。
その会長になった瞬間から、
いろんな方々からお電話いただくんですけど、
でもすごいのは、
皆さん無給なんですよ。
無給なのにそれがやりたいっていうのは、
むしろ何て言うんですかね、
たぶん安里さん、
いろんなNPOとか、
いろんなボランティアの知ってますけど、
無給の、
何て言うんですかね、
いい人ほど厄介なものがないってさ、
おかしいんですけど、
お金だけじゃないモチベーションなので、
一番そういう人たちに引いていただくのは、
すごく大変なんですよ。
承認欲求とかと名誉欲とかなんで、
結構そこそこの割合良かると思って、
言ってくれてるんだけど、
それとか一番、
物を大きく変えるときは厄介ですね。
そうなんですよね。
なので全員、
要は16人は役がないので、
4人しか役がないから、
そうすると役がない方がマジョリティになるじゃないですか。
ちょっと皆さん納得感というか、
あいつもないならいいかみたいなとか、
そういうとこからスタートしたって感じでした。
あまりにも面白い。
いやいやいや、
その最初の1,2年でしたね。
そうか、なるほどな。
それでどんどんぐるぐるぐるぐる変えていって、
さっきおっしゃったみたいに、
4年っていうのはもう約束だからって言って、
次に渡すっていう。
だからなんかこう、
派手なところがどうしてもフィーチャーされるんですけど、
これ企業家の方が聞かれてるからちょっと言うと、
たまたまニセコにスキー行った時に、
堀江門さんにめっちゃ褒められたことがあって、
お前やばいなって言ったんですけど、
それ1月の2日か3日だったんですよ。
フェンシング協会のガバナンス構造って、
公益遮断法人なんで、
社員さんがいるんですね。
社員って誰かというと、
47都道府県の方々なんですよ。
47都道府県にフェンシング会のトップがいるわけですよ。
そこに僕は年始のお年賀のお電話をしてたんですよ、
ずっとスキー場で。
皆さんおはよう。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
あまりにも偉い。
それを見て高本が、
フェンシングなんかやめて早く政治行けとか言ったら、
いやいやそうじゃないんですよと。
別にそこがやりたいわけじゃないと。
あくまでフェンシングをより良くしていくためには、
それしかないんだっていう話をしてて。
でもまさにで、
私たちもループとかニューモみたいな、
自治体さんとか観光庁さんとか、
既存のいろんな移動にまつるプレイヤーさんとかと、
コミュニケーションしながらやっていかなきゃいけない。
最近スタートアップを見ていくと、
本当に世の中を変えるためには、
マルチステークホルダーとちゃんと会話しなきゃいけない。
僕もすごい若い頃とかに、
シリコンバレーみたいに、
法律ギリギリでもぶち上げて、
やったまま勝ちだと思ったんですけど、
やっぱり日本はこのイノベーションないと思う。
なるほどね。
24:00
やっぱり多様な人たちが組織を作ったりとか、
ルールを作ってきて、
守らなきゃいけない産業とかいっぱいある中で、
アメリカはこの産業をぶっ潰してもいいから、
ダイナミズムでのし上がるものを応援しようとか、
このメカニズムはすごい強いものが多いんですけど、
やっぱり日本はこのやり方は、
誰も幸せにしないなって。
ループの岡井さんとかすごい上手いんですよね。
マルチステークホルダーの皆さんが、
今何に情熱があって何に困っているのか、
っていうのをすごい熱心に聞いて、
定期的に私たちが今こうやっていて、
こういうことをやっているんですけど、
ここだったらどっちかになれますかとかを、
めちゃめちゃ一生懸命やるわけですよ。
なるほどね。
これからのスタートアップって、
こういう社会の変え方をやれないとダメだと思っていて、
そういう意味では大田さんがやっていることに、
結構近いと僕は思っているので、
お声掛けしたいという話です。
ちなみに安里さんとはいえ、
VCという立場で、
リターンを出さなきゃいけないという立場がある中、
アメリカのリターンの出方とダイナミズを見ていると、
最初はあっちに憧れた時期というか、
憧れますよ。
なんでああなんないんだよって、
本来あああるべきでしょって思ったと思うんですけど、
それが日本にはフィットしないとか、
自分の中でその、
日本は日本に売り方しないとダメなんだなと思ったきっかけとか、
何が、あと何歳くらいの時に、
どういうきっかけだったのか。
20代から30代前半で、
歴史的な炎上を3回くらいやってますから。
確かに1個は言わんでも入りますよ。
結構ね、歴史的炎上がいっぱいあるし、
私は若い頃に独立して、
結構すごい流行るとか、
会社いっぱい応援しているので、
スタートアップの、
特に20代とか30代前半までは、
スタートアップの生きた奴らの1個代表として認識されてまして、
なるほどね。
やっぱり、
アメリカではYouTubeっていうのが、
コンテンツ違法とかでも、
めちゃめちゃユーザーが支持してて変わってたじゃないか、
みたいなことを、
やっぱり20代は真剣に考えたんですよね。
なるほど。
でもやっぱりこれ、
みんな怒るよね。
そうですよね。
私、UUUMって会社で、
多分YouTuberっていう職業が、
世の中に広まるきっかけの会社、
一緒に創業されてたんですけど、
やっぱり当時テレビ局の方にご挨拶行くと、
泥棒だと思われてたんです、僕ら。
YouTubeでビジネスしてる人は、
お前もコンテンツ泥棒か、みたいな。
なるほどね。
ってものすごい警戒されたりして、
当時はめちゃめちゃムカつくんですよね。
いやいや、絶対今に見てるって思うじゃないですか。
今に見てるって思うんですけど、
でも確かに当時、
みなさんは一生懸命作ったコンテンツが、
第三者が勝手に上げたものとかで収益取られてて、
それは困るよねっていう。
やっぱりいろんな人がいろんなことを頑張ったものを無理にするとか、
嘲笑う人っていうのは、やっぱり怒る。
言い悪いじゃなく、
日本ってある程度成熟された社会になっていて、
27:01
これを若いやつが、
いろんな奴を投げ倒しながらやるっていう改革は、
コスパが悪い。
なるほどね。
それすごい分かりやすい表現ですね。
結果遠回りになるっていうか。
別にその気持ちは分かるけど、
別に誰かを怒らせることに進む改革って、
みんながイメージすることは日本にはない。
って思ったんですよね。
なるほどね。
劇場型で政治みたいに変わるものってあるんですけど、
逆に直接民主っぽいもの、
都知事選みたいなものは劇場型で変えることはあるかもしれないけど、
少なくとも社会制度を変えるってあんまりそういうのないっぽい。
なるほどね。
っていうのに、気づいて反省して、
もはや40になり、若手の教科に、
いや、それは良くないっていうことを言う側になってるっていう。
それはやっぱり僕自身が大量に企業家を、
いや、俺がもっと早めに悟せれば救えたかもしれないっていうのをいっぱい見てきた。
そうなんだ。そこもあるんですね。
僕ね、一個思ったのは、
尖ってた頃の自分のことも嫌いじゃないというか、
我々ちょうど近い40歳の時に、
尖ってない感じが、
進化なのか、老いなのか、
その両方なのかも含めて、
今のさまたさんは、今のさまた兄だと思うんですけど、
そういう自分との折り合いって。
葛藤は。
そこって日々どう折り合いつけてるんですか?
いや、でも結構ずっと葛藤しながら、
僕が独立した時は本当に結構生きりだったので、
基本的には全員殺すって気持ちを毎日持ち続けて、
それも同業者も企業家も、好きならば俺が全部ひっくり返すみたいな。
それぐらいベンチャーキャピタルも業界団体とかに近いような、
年功序列構造になりやすいんですよ。
余進ってやればやるほどたまるから、
より芸歴が長い人が負ける理由って減ってくるんですよ。
最年少で独立して、後ろ盾がゼロからスタートするんで、
すごい尖ってた時期があって。
でもあれはあれで、そういう自分がいていいし、
むしろ僕はそういう若手がいればいいと思ってる。
そういう若手が最低限暴れられる場所は、
業界とか産業にキープしてたいなと思うけど、
でも逮捕とかはされなくていいよねっていう。
確かにね。
いやでも面白いな。
日々その葛藤みたいな部分で。
でもあの頃のオラオラというか、
殺してやるみたいなのがないと、
30:00
多分今の兄貴さんもないじゃないですか。
結構もうちょっと上の世代の人たちって、
今のご年齢になってもそのテンションの人いるじゃないですか。
名前は言えないですけども。
40代にも50代にも60代にもおられるじゃないですか。
あの状態で居続けないといけないって、
ものすごい精神衛生上にも良くないし、
でも一方でビジネスで成功しようと思うなら、
殺すなみたいなマインドじゃないとダメなのかと思うと、
自己嫌悪にもなったりするんですけど。
でも軍心は軍心でいていいっていう。
ああいう軍心は軍心で、
一生軍心でずっと軍の最前線でやるんだなっていう人もいるし、
それこそ今僕らオフィスで一緒にやってる
ニューモの青木さんとかは、
軍心の世界から来て全然変わっていく。
それは何でですかって聞いたら、
やっぱりメルカリに入ってメルペイとかやって、
金牛でルールメイクするとかやっていくと、
これは違う戦いだねっていう。
ニューモでもまた違う戦いだから、
その世界に対してこういう風にやった方がいいよねみたいな。
変わっていくと。
変わっていける素敵さってあるな。
確かに。
しなやかで素敵ですよね。
でももしかしたらまたどっかで、
軍心に戻らなきゃいけない時期が来るかもしれない。
必要に応じて変わっていけた方が素敵。
ああ、なるほど。
ということで、第9回目は太田裕樹様にお越しいただきました。
今回は太田さんのルーツとこれまでのお話を詳しく伺いましたが、
次回は太田さんのこれからのお話を伺っていきたいと思います。
そして番組ではメッセージを募集しています。
ポッドキャストの感想や私、さまたアンリーへの質問、
今後の希望ゲストなど何でもお寄せください。
またアンリーでは企業相談や資金調達の相談を受け付けています。
どちらも番組概要欄にフォームのリンクがありますのでそちらからお送りください。
それからXなどSNSでもぜひ感想をつぶやいてください。
ハッシュタグはハッシュハートに火をつけろでお願いします。
それでは次回もお楽しみに。
圧倒的な未来を作るのは君だ。
ハートに火をつけろ。
32:22

コメント

スクロール