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この放送は、SWC、スロースビーズクリエイターズ、コミュニティメンバーのnomaがお送りします。
はい、ということで、今回は配信のジングルを自分でやってみると、弾いてみると、いうのをちょっと試みてみました。いかがでしたでしょうか。
本題に入る前にまず告知を一つさせてください。本日8月21日午前11時からお昼12時までの1時間、
香里さんのウェビナーが開催されます。テーマがAIツールの便利帳ということで、世の中にめちゃくちゃあふれているAIツールの中から、
おすすめ、おすすめではないのかな、こういうのあるよっていうのをカテゴリーごとにまとめて紹介してくれるという、かなり有益そうなウェビナーが開催されますので、
よかったね、リアルタイムで参加できる方は参加してほしいし、そうじゃない方はアーカイブ残るそうなので、そちらを視聴していただければなと思います。
告知は以上になります。はい、今日の本題なんですが、タイトルにある通り、思い出は記憶から感覚へということですね。
これ一応経緯として、昨日か一昨日かちょっと忘れちゃったんですけど、チーム手羽先ウェビナーの感想っていうのを配信で上げさせてもらったんですけど、
その中で白井さんが最後にポロッと言ってた、スロースは忘れさられてもいい、みたいなことをケンスーさんが言ってたっていう話をされてて、
なんかそれが僕の中でめちゃくちゃ心に残ったんですよね。だからここをちょっと掘り下げて考えてみたいなーって思って、今日は話してみようと思いました。
で、これを考える上で、ちょっと着想になった曲っていうのがあって、それがですね、クルリというバンドの大事なことという曲ですね。
ちょっとワンフレーズだけ歌うと、
一番大事なことは、誰も知らないことなんだ。
あれもこれも大事なようで、時が過ぎれば消えてゆく。
っていう感じの歌い出しから始まる曲なんですね。
その最初の歌詞がね、一番大事なことは誰も知らないことなんだ。
あれもこれも大事なようで、時が過ぎれば消えてゆく。
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というところですね。この時が過ぎれば消えてゆくっていうところ、なんかこのあたりが忘れさられてもいいよねっていうところと、なんかすごくリンクするなっていう感じがしたので、
ちょっとこの曲をヒントに今回考えてみたいなというふうに思います。
まず白井さんがこの忘れさられてもいいっていうところに対してどういう解釈をしたのかっていうのを紹介するんですけど、
白井さんはスロースを通して生まれたコミュニティや関係性が重要なのであって、スロース自体が忘れられても構わないという意味ではないかと解釈していますというふうに書かれているんですが、
要は大事なのはスロース自体ではなく、それを通して生まれたコミュニティや関係性が重要なんじゃないかっていうことをおっしゃられていて、それは僕もまさにその通りだと思ってて、
スロースが本体のようでいて、実は本体はそれを通して生まれる思い出だったりとか関係性なのかなっていうのはすごく僕も思うんですよね。
だからきっとそういうのを残したいっていうのは間違いなくあるなと。
その上でじゃあその思い出っていうのもいつかは忘れ去られていくんじゃないかっていうことですよね。スロースを通して生まれた関係性だったり思い出っていうのもいつかは忘れ去られていく。
そこをじゃあさらに考えるとどうなるのかっていうところをちょっと今日は考えたいと思ってて、
さっきの歌詞の続きの部分がですね、
風に乗って雲の切れ間に漂うのは思い出のような色づき始めた手のひらのような薄紅色の恋心っていう歌詞なんですけれども、
ここがね、要は何でしょうね、具体的な思い出じゃないんですよね。ここに書かれていることって。
風に乗って雲の切れ間に漂っているのは恋心っていう感覚なんですよね。ここで歌われているのは。
で、そう考えた時に、最後の最後、一番最後に残るのはもしかしたら感覚なんじゃないかなっていうのが僕の中の結論なんですよね。
思い出っていうものが、要は忘れ去られる。
まあ多分段階があるとは思うんですけど、思い出っていうのは記憶ですよね。
それが次の段階でおそらく歴史になって、要は記号になっていくっていう段階があって、その記号すらも最後は忘れ去られた時に何になるんだろうって思ったら、きっとそれは感覚のようなものなんじゃないかなっていう風に思っていて。
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これ例えるなら水ですよね。水が要は最初は固体だった氷ですよね。氷の固体だったところから液体になって、それが最終的に気体になっていくみたいなそんなイメージかなという感じがしました。
だからその雲の切れ間に漂うのは恋心。
だからもうこれは何かしらの底には物語がもともとはあったのかもしれない。思い出っていうのがあったのかもしれないけど、それが全部溶けてなくなって、だけどなんとなくその空を見てたらなんかこう恋心みたいな感覚が湧いてくる。
なんかそういうものが漂いながら残っていくのかなっていうことを感じたという。めちゃくちゃ何言ってんだっていう話だと思うんですけど、とりあえず聞いてくれたら嬉しいですね。
なのでまぁ結局のところ感覚っていうものが最終引き継がれていくのかなっていうふうに思ったということですね。思い出っていうものは記憶から感覚になって最終的にはなっていくんじゃないか。
これを具体化した事例というかつながるなっていう話がいくつかあって、まず一つが以前ケンスルさんと小原さんの対談の中で出てきた圧縮経験という言葉があったと思うんですけど、
この対談が出た時に僕白井さんとちょっと学びのみんなの学びでやりとりして、圧縮経験ってこれって個人の経験則から来てる話なのかそれとも人間がもともと持っている直感みたいなものなのかどっちなんでしょうねみたいな問いかけをしたことがあって、
その時に白井さんが色々調べてくれて、多分個人の経験則というよりは人類の歴史の中で紡がれてきた圧縮経験っていう見方もあるんじゃないですかっていう。それであればなんかもともと人が備えている直感っていうところに近いんじゃないかなっていう見解をされてて、
僕それめっちゃハッとしたんですよね。あ、なるほどなっていう。経験っていうとなんかその自分一人の経験っていうところを考えちゃうけど、その人類が残してきたなんかこう圧縮経験みたいな考え方ってあるんだなっていうのでまずハッとしたし、それが今回の話にすごい近い話だなと思うんですよね。
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さっき言ったみたいにその残った感覚だけが残ったものっていうのがどんどんどんどん人類として引き継がれていって圧縮経験になっているって考えたらなんかめちゃくちゃすっきりするなっていうふうに思いました。
で、別な例としてはあの梁太郎さんが先日のウェブナーで言ってた輪廻転生っていう話。輪廻転生っていうのは魂としての生まれ変わりっていうことだけじゃなくて、単純にその人が分子に分解されていってそれがまた何かしらに再構築されていくっていうことを考えても輪廻転生っていうのは結構理にかなって話だよねっていうおっしゃられてて。
なんかそれもちょっと似てるなと思いましたよね。その気体になっていくっていう、気化していくっていう思い出が個体から液体になって気化していくっていうことを考えたら、輪廻転生もその人自体の肉体っていうのが最終的に分子になってそれがまたどこかを漂ってまたそれが何かで個体になっていくっていうのもなんかすごく似た話だなっていうふうに思ったし、
もう一個あげると、以前香里さんがスタイフで話されていたペコリトールだったかな。ペコリトールっていう概念があって、これって人って雨の匂いが好きだよねっていう感覚があるっていうところで、それは何でかって言ったら、昔の人たちは水を探し回るっていうのが結構あったから、
水源を見つけるためにその水と土が混ざったような匂い、その雨の匂いみたいなものを嗅ぎ分ける能力というかみたいなものが培われていって、それが残ってて今でもその雨の匂いが好きっていう感覚がみんなの中に残ってるっていう話されてて、これも結局感覚だけが伝承されてるっていう状態じゃないかって思ってて、
実際わかんないじゃないですか、その水源を探してた人たちの個体の記憶っていうのは僕たちは知る余地がないし、もう知れないですよね、どうやったって。だけどその人たちが持っていた感覚っていうのはなんかわかるわけですよ。
雨の匂いいいなっていう。そこで接点が生まれてるというか、繋がってるなって感じることができるわけですよね。だからそう考えたときにその個体としての記憶がなくなったりとか忘れられたりしても、その感覚っていうのは実は深いところで引き継がれていってるんじゃないかっていうことを思いましたね。
だから公園、けんすうさんが公園作りました。だけどその公園作ったけんすうさんのことは忘れ去られましたとなったけれども、その公園で遊ぶ人たちはいるわけですよね、未来に。
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で、その遊んだ人たちが、なんかその公園って気持ちいいなとか、なんか楽しいなとか、なんかね、この公園の土の匂いがいいなとか、木々の匂いがいいなとかね、なんかいろいろ感じる感覚ってあると思うんですよ。
それってじゃあ誰が残したの?なったときに、それは公園を作ったけんすうさんなんじゃないかなっていう気がしますよね。そう思ったら、なんだろう、忘れられたとしても残っているものがあるっていうふうに考えることができるんじゃないかな。
だから本体が忘れられるとか覚えてもらうとかっていうのはさほど重要なことじゃないっていうことは、そういうところからも言えるのかっていうふうに思いましたね。
で、ここまでの話を踏まえた上で、さっき紹介した大事なことという曲の最後のサビをちょっと聴いてほしいんですね。いきます。
一番大事な言葉 誰も言わずに終わりそう あれもこれも大丈夫さ 時が過ぎても覚えてる あなたのことは覚えてる
っていう感じで終わるんですよ。これ気づきましたかね。最初のサビと最後のサビで言ってること真逆になってるんですよ。最初はあれもこれも大事なようで、時が過ぎれば消えていくって歌ってるんですけど、最後はあれもこれも大丈夫さ、時が過ぎても覚えてる、あなたのことは覚えてるっていうふうに歌って終わるんですね。
これは僕の解釈では、その最初のサビではその記憶について歌ってる。この記憶、思い出っていうのは時が過ぎれば消えてっちゃうなっていうふうにことなんだけども、最後のサビで歌ってるのは、だけど何かしらこれは大事だよなっていうその感覚みたいなものはきっと残っていくよねっていう。だから時が過ぎても覚えてる。
あなたが知っているその感覚っていうのはきっと僕たちも覚えてるっていうふうな意味合いになっているのかなというふうに解釈してみました。ちょっとマニアックなこと言うと、最初のサビと最後のサビでキーが転調してるんですよ。最初のサビはこのキーなんですね。
一番大事なことはっていうキーなんですけど、最後は一番大事なことはっていう感じでキーが少し変わってるっていうのもなんかその性質が変わったよっていうそのメッセージの性質が変わったよっていうところを安に表現してるのかなっていうところがあって、そういうところもいいなっていうふうに思ったというお話ですね。
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このことからわかるのはきっと僕たちっていうのはもう本当に大事なことっていうのを知ってるんじゃないかっていう仮説もあるわけですよね。きっと何かを一生懸命勉強したりとかしなかったとしてもきっとその過去から引き継がれてきたその感覚、大事なものをかぎ分ける感覚みたいなものはすでに持ってるんじゃないかなっていう。
そういうふうに考えることもできるのかなっていう。だからそういうところにちょっと思いを馳せるじゃないけど、自分の感覚を信じてみるっていうのはそういうところからも割と大事なことなんじゃないかなっていうことを感じたという話でした。
今日もかなり取り留めのない話を長々と話してしまいましたが、最後まで聞いてくださりありがとうございました。
野間でした。
スロスロスロース。