00:00
青いクワの実を食べた思い出。
畑やね。
昔、カイクを掘ったからね。
カイクを掘った後で、クワした後で、クワの実が残るでしょ。
それを食べるよね。
それはどうやって、料理にして、食べて、生で?
生で。
口が真っ青になって、ブドウみたいなもんなんですよ。
甘い?
甘い甘い。
あんまりたくさん食べたら、腹を食わすけどね。
カイクを飼ってて、
ちゃんと眉を糸にして、みんなでやって。
結局ですね。
歴史的に言うと、
日露戦争ってあったよね。
1905年に、日露戦争ね。
その日露戦争を、前から1900くらいからかな。
国が奨励して。
昨日はね、また人権なかったからね。
利用がないから。
もうやると。
そうそう。
それで百姓に米と、
それと岩川したわけです。
つまりクワを植えさせたわけです。
クワの木を。
クワの葉っぱっていうのは、カイクは食べるからね。
うちも大きな百姓だったんですが、
クワの畑がありました。
ここでクワの畑が、
年がら年中、カイクの葉っぱが枯れていくから、
ちょうどもうそれが採石終わってくると、実がなるの。
それを姉と夫に言って、
夫は食べました。
その頃、遊び、どんな遊びって知ってましたか?
その頃の遊びは、子供の時の遊びっていうのは、
どんな感じでしたか。
田んぼと川と、
田んぼと田んぼの間の細い溝があるわね。
それから、低い山。
川の横に笹林というのがあったりして、
そこでホジロを採るわね。
冬はね。
冬は、笹のところにホジロがおるんで、
そこに霞をかけておいて、
ホジロを覆って、霞をかけると。
それを採って家で買うと。
そういう遊びですね。
それから、あとは魚取りですかね。
夏は、あゆですね。
あゆだってね、そんなあゆするわけないし、
あゆしばき言って、あゆ叩くわけない。
深いところから笹林に追い出して、
笹林を叩いて殺す。
村長しか言われてない。
初めて聞いた。
ホジロの他にいろんな鳥居がいるけど、
ホジロだけ取るんですか。
ホジロだけ取る。
目白とか。
そういうのも多いけどね、ホジロだけ取る。
それなんで。
大きな鳥居を買えへんしね、自分で。
苦労したわけじゃないからね。
家で飼うわけですからね。
春夏秋冬、そういう遊びがあったわけですね。
03:04
夏は川へ追いに行って、
その川の深い深いところにあゆを追い出していただいて、
母親に取ってきやがってと怒られて、
鳥にやれって言われて、鳥のおじさんに。
あゆだったら普通に焼いて美味しいの?
美味しいんだけど、田舎のあゆはね。
こんなあゆですけどね。
ちょうど今、宮古の小あゆ。
美味しいでしょ、食べるの。
それとあとですね、
ちょうど夏から秋、
それは夏の仕事だよね、夏の遊び。
冬。
夏から秋、冬まで行くとわかんない。
14月くらいなんだよ。
で、このちょっと細い川をせき止めるね。
10メートルくらいここに木が生えておって、
ゴラあゆって魚が隠れるようなところがあるわけ。
それを目当てにして止めて、
水をこっち回して、上を。
これを飼い出して、空っぽにして、
ナマズやね。
ナマズトイ。
これがナマズね。
きれいですよ。
3年こちて、3年経ってこんなナマズはなるんですけど、
それがゴラからガガガガーって出てくるわね。
それ食べる?
これは食べれる。
ナマズは、
うちの親父はうまいうまいって太ったけど、
ナマズは、僕はわかんないけど、食べれるね。
油濃いけどね。
それから時々はウナギが食べる。
ウナギでも捌くの大変そうですよね。
捌くや料理?
いや料理は木で芽届くとついて、
親父はよくやってましたね。
それが大体その程度の遊びですからね。
それがもう冬になって、
氷ついてくると、
食べとる田んぼの間に溝があるんだよ。
これくらいね。
ずーっと溝がね。
自然にできた溝があって、
そこに土壌があくんだよ。
土壌は水がなくて水減っても、
全部土守っとって、
それを桑で土ごと植え上げて、
ピューッと伸ばすと、
土壌がピピピピッて晴れるんだよ。
これ、うちのおじいさんは、
土壌汁って言って、
山川だけどね、
タマゴで土汁。
そうそう、土壌汁ね。
それをうちのおじいさんは食べてたけど、
僕はよくわかんない。
それが冬ですかね。
それから冬を1月明けて、
2月頃、ものすごく寒い時、
川の中での船が、
よく動かないよね。
寒くて。
それを人間は寒いけど、
つかむ。
そうやってやったらね。
じゃあもう、
1年中何かがとれるのか。
必ずね。
ちょうど田植えの季節、
6月ぐらいになると、
ちょうど川がね、
水が出てくて、
ハエ。
コロナハエね。
それがいっぱいおるわね。
それを浮きで釣る。
ウジ虫でね。
06:00
ウジ虫というのは、
ウジ虫が取ってきて、
やる。
それさえしてね、
魚を捕りました。
動物を捕ったりとか、
捕まったりとかもします?
それはあんまり捕らなかったです。
まあ、子供の自分は、
ちょうどそういうことばかりして、
遊んでましたからね。
小学生ね、それは。
中学生、中学校入って、
うちの親父が、
昔、東京の中学行ってた前やから、
英語が若干分かって、
ちょうど僕も中学校入ったら、
英語が出てきたんですから。
それに興味を持ってね、
英語にやけに好きになって、
英語の先生も先生で、
やけになって、
えらい勉強したんですよ。
勉強は遊べみたいな。
中学校1年生が勉強したし、
英語をやりだしたんです。
とことん英語をやりだして、
塾も何もないしね、
自分でね、
一緒にやって、
で、学校先生に、
お前はえらいと褒められて、
それで、中学校3年生の
英語勉強大会に出たり、
学校を代表して、
そんなのやりましたね。
まあ、それは、
教えてもらった先生もよかったんです。
それは東京外大か大阪外大か、
行って、将来はね。
外交官でもなるかよな、
という夢があったんだよね。
それで、高等学校入って、
やっぱり高等学校入っても、
やっぱり英語はよかった。
英語は学校で一番よかった。
一番うちよかったかな。
それで、どうしようかな。
東京行って、東京外大、
2機校ですからね、東京外大は。
お茶と酢の学校はよかったもんですからね。
それで、数値しか英語はやってなかったんで、
まあ、しかし外交官は、
外交官は大学でな、
飯食えるかよなと思って、
やっぱ商売の大学行ったほうがやると。
主に僕は大阪行った。
大阪行ったのは小学部行ったんですけど、
それで大阪行きて、
田舎から。
まあ、大阪行ったら、
昔の大阪商売ですから、
英語が非常に拝廷が多くてね、
通りやすかったもんやから、
受けたんですけど。
大阪のどの辺にあったんですか。
杉本町ですね。
今もあるよね。
杉本町あって、
ちょうど終戦に戦後、
まあ、僕入ったのがあれ、
1957年。
だから、戦後12年しか経ってないけどね。
GHQが、
杉本町の大阪時代の
校舎をまだ占領しとった。
で、ちょうどそれを撤退した直後になると、
外人が作っておいたチャペルもあったからね、
まだそういうところ。
そこへ入学したわけですけど、
当時、雇うのもあまりないしね、まだね。
学校近くへ下宿して、
アルバイトして、
で、大阪は仕事がいっぱいあったから、
町田電機の仕事がね、いっぱい。
09:01
町田がバーッと伸びてるときやからね。
そこで、
アルバイトして、
そこで卒業した。
結局、
魚取りとか、
遊んでばっかりおったけど、
それが良かったのかわからない。
人たちのことを熱中するのが良かったから。
そうですね。
だから、
そんなことで、
今のうちの孫には、
好きなことを教え、
好きなことを教えて、
言うてます。
大学はどこでもいい。
大学行きたかったらいいし、
行きたくなかったらいかない。
行きたかったら、
好きなところに行ってみて。
好きじゃないことは、
身に入らないですからね。
そうですね。
中途半端に大学行ってもね、
あかんかいって言って、
おったら、
うちの娘は、
3人おって、
3人にして言い続けてるけど、
1人だけ、
後の2人は平凡な、
嫁姫になってしまってるけど、
1人だけ字を書くことが好きで、
子供のときから。
小学校のときは詩作ったり、
それが好きでね、
これはやっとすると、
面白くなるのかなと。
やっぱり好きなことは、
子供のときはそうけども、
授業感は非常に早いし、
上手やし、
当時僕は転勤で東京に
行ってたもんやから、
小学校のあれ、何年生やったかな。
3年生かぐらいのときに、
東京都の小学生の、
小学生の、
詩で合格したりして、
杉並区長、
最初は表彰されたり、
その最後は、
この子は、あれは何とか、
土になった船、
海岸の船が腐って土になるという、
そういうテーマで、
詩書をどこでも見てきたかしらけどね。
それでね、
この子は何者なのかなと思って、
じーっと大きなのを見とったんだ。
大学も、
自分の好きな大学に入って、
西洋美術入って、
先生に声を上げられて、
学芸員になると言うとったんやけど、
学芸員みたいなのやめてくれとか、
僕が言った場合から、
俺は新聞記者になるわけで、
新聞記者なんて。
文章とかね。
字やね。
で、読売新聞入って、
読売新聞の社会部も記者しとって、
今、ようやく、
50、来たんだ。
参加指示から、
この読売新聞の文化部長になりました。
大阪本社の。
女で文化部長で大したことない。
いろいろまあ、将棋、
文化部言ったらもうすごい広いよね。
12:01
落語からね、
歌舞伎から将棋まで当たって、
だからこのまま、
おじい君が八巻取って、
そのうち、
今度あれ、
なんか、表彰式、
四国話会か、
あのやつがいて、
それはいかないかのやつがいて、
結局まあ、
今はね、
そういう好きな仕事で、
平穏なことやってるんですけど、
結局はやっぱり、
やっぱり好きやないと続かんので、
靴屋を持たれば。
私は商売好きで、
今何商売もしてますけど。
やっぱりその、
職業分野ってもう決まってるような感じであるんでしょうね。
教育とか。
なんでもまあ、
それがね、
全部の子がそういう得意なね、
技術を持てれば日本も良くなるんでしょうけどね。
なかなかそうはいかんからね。
あの将棋なんてあれも、
生まれつけてるかも。
いや、あれはちょっと、
そうかわかりませんね。
そういう将棋に適してる。
昨日新聞読んどったら、
なんか冬雲は、
二拍手先読むんやってね。
二拍手先てね、
自分がこういう挿したら、
相手はこう挿す、
これで一手でしょ。
相手こう挿したら、ついたら二手読むね。
二拍。
二拍まで読むっていう。
まあ、やっぱり好きなことが、
その好きなことが、
俺はその、
自貫ことが好きだから、
作家なんでやと、
それも一つなんですが、
それも慣れへんからあんまり。
他の道でまたその、
自貫と好きなことを、
他の道でまた生きてくる場合もあるもんですから、
子供とか孫にはやかましい、
僕は言ってきましたね。
孫にもそれ言うとね、
やっぱりさっきの話じゃないけど、
三人に一人。
要はあの、
遺伝の方とかしてあげないと。
面で。
井戸の方とかありましたね。
あれも三分の一なんですが、
だいたいあの、
三分の一しか出てきませんね。
三人子供で一人はね。
米をもらうって。
そんなもん、もう。
藤井くんみたいなん、
あんなもん。
小学生とか幼稚園とか知らんけど、
非常に興味持ったんですよ、あれ。
教えた人はそんなに強い人?
うん、八段ね。
杉本先生家の八段で、
これはそんなもんね。
ただ教え方は上手だったんですよ。
やっぱその、
基本的に将棋の二百とも読めへんけど、
教え方はね。
だから、
幼稚園か小学生か知らんけどもなくて、
ある時やっぱりもう率将棋が好きになったんよね。
飯食うよりも好きになったっていう、
そんなことやと思いますわね。
だからやっぱりその人間って、
そういう子ばっかりでもおらんので、
結局も何十人、何百人、
15:01
何千人に一人やろうけど、
ああいう子は出るんですね。
それとって人間でも
そんなもんなれへんので、
ちょっとでも、
ちょっとでも特色のある、
自分なりにっていう、
そういう人間は
やっぱり
自分なりにっていう、
そういうのはね、
持てればいいと思うんでね。
あと子供の時にも、
要は墓が、
田舎の墓は、
田舎はお墓があって、
亡くなると、
その晩に、
死体を焼きに行くんですよね。
火葬場みたいな。
火葬場でね。
棺桶をそのまま、
これぐらいの穴があったら、
穴を入れて、
その上に炭を入れて置いて、
薪を置いてね、
焼くわけだけど、
ちょうど、
9時頃から焼くのかな、あれ。
2時頃、
朝の2時頃に見に行くのね、
焼けてるかどうかとか。
その時に、
火の玉を言うて、
その、
火の玉だよね。
焼いてるところから。
焼いてるところから、
黄色い火の玉が出たり、
赤い火の玉が出たりね、
パパッと上がるのね。
それは非常に怖がってみたね。
それ見るのが、
非常に怖いわけだって。
ただ、なることは、
輪が燃えてるんですけどね。
輪が燃えてるわけだから、
花火みたいな。
それは当たり前なんですよ。
それは、子供の時期に見に行きました。
面白かったね。
年取っていくと、やっぱり食えないよね。
おいしいね、これ。
なかなか上手に作ったね。
出来立てですしね。
出来立てがね。
そうそう、出来立てね。
なんとかそういうことで、
商売でも、
だからその、
よその会社よりも、
よくない商品。
そればっかり今まで、
追求してきましたね。
結局、なかなか見つからへんし、
見つかっても、
価格が高かったりして、
商売にならなかって、
長い間、10年ほど苦労しましたけど。
ある時、偶然、やっぱり、
それが偶然、
やっぱりそういう、
良い商品に突き当たって、
当たって、
そういうのがヒットしたんだ。
そういうのがあります。
スーパーで、
あの、
高級スーパーずっと見とったら、
わかめのふりかけがあって、
わかめのふりかけって、
わかめのふりかけがこの小袋に入ってる。
これは、ナルトのわかめって、
18:01
元の塩で、
作ったもんですって。
あってですね。
これは、なかなか面白いなと思って、
ナルトの天然塩、
ナルトの穴水、
これは面白いなと思って、
バカ高い、高かった、
でも面白いなと思って、
これの袋でした。
家で食べて、
ご飯のふりかけ食べたら、
おいしいんですよ。
これは一変、握り飯、
握り飯の具材にしたらいいと。
それで、総裁は言って、
今まで中国の真っ黒な、
わかめでしたわ。
これよろしいわ。これ使いなさいって。
えらい当たりまして。
結局、
今でも売れてますけど。
今でもどんどん売れてますけど。
やっぱり塩って、
違うんですね。
違うんだよね。
全く偶然やわね。
そんなもん偶然ですけど。
そういう偶然のことがやっぱりありますな。
一生懸命考えとると、
さつまいもをね、
さつまいもをなんとかならんかと思って。
鹿児島県の、
一番えいさつまいも。
さつまいもは、
スイーツ、
お菓子の
原料で使うからね。
今、わからない人だけど、
焼き芋がすごい流行ってる。
流行ってるでしょ。
焼き芋の専門のお店がある。
どこに?
梅田の。
焼き芋だけを。
あれ、いろんな種類が
今あるから。
いろんな種類によって、
これが出てくる。
中の色も違ったりとか。
食べると眠くなるけど、
あんまりすぐ寝るのも良くないらしいですね。
眠くなりますよね。
ありますよね。
ちょっと我慢して、
ちょっと消化してからの方が
良いらしいです。
夜は減らした方がいいね。
夜はしっかり食べた方がいい。
夜は食べた方がいい。
夜は少なくても
夜は豪華になりますね。
どうしても夜は食べるけどね。
お酒とかの
主人が飲むから
長くなります。
ピリピリって。
うちの主人が早いときは
健康的に
そのサイクルじゃないと
ダメになる。
早いときは
保険だよね。
生命保険の人は早い。
こっちの方が早い。
21:03
生命保険の会社は
良いじゃないですか。
今、日本の外国の大きな
生命保険の会社がどんどん
日本に来ている。
日本の会社。
今の趣味、一番の
これが楽しい。
今まで
農作物を自分で作ってたんですけど
心臓が悪くなって
心不全になって畑を辞めたから
それまで
いろんなものを自分で作ってたんです。
自分で食べるもの?
自分で食べるもの。
それと商売場も
思想の
振りかけを作らないから
自分で商売を
やってるから
一遍一遍作ってみたり
里芋も
商売してるから
里芋も自分で作ってみたり
全部自分で少しずつ作ってみたり
やってたんですけど
楽しかったんですけど
もうちょっと
里芋なんて
土地も違う
里芋って
何個ぐらいできるんですか?
大体
一株?
一株で
そうですね
3キロ
3キロだから
どうでしょう
これが20個ぐらい
もっとできるやつがあるのね
それをね
役所に
僕はしわらぎで
しわらぎの役所に
作ってもらってるんですけど
それを皮剥いてね
真空かけたら冷凍にして
下ろすわけやね
そういう商売は今やってますから
まあ
どうしても里芋作らなくて
自分で作ってました
まあいろんなこと
してきました
自分で決めなあかんもんね
決まってなかったね
どんどんどんどん
名前つけるほうに
決められてたね
ここがリミットっていうほうで
逆算する
逆算し方が甘いから
もう越えちゃう
最初は
いつ頃来た?
いよいよ持てばいいのに
来てますよ
5年が6、7年
体壊してたから
しばらく来てなかった
気が分かるからね
その余裕な時間が
すごい長いですね
バスから電車に
結局感情動脈が
詰まった
急に
急ですかね
前からいろいろ症状あったんやけど
大人になって
24:00
1秒争ってたのに
感情動脈が詰まり
心臓が動かない
走れないんです
心臓が動こうとして
足が持ちかけて
走らない
走らない
ちょうど去年の今頃から
走らない
信号が来る瞬間に
渡りたいタイプやのに
大人になっちゃって
タイミングも分からないから
また暴走ってやった
よかった
ご相談でした
ありがとうございます
おいしかった
よかった
気まぐれだ